『源氏物語』の現代語訳つくってます~朱雀院の源氏にたいする感情ほか

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こんにちは。左大臣光永です。

統一地方選、おわりましたね。投票には行かれましたでしたでしょうか。私はついさっき行ってきました。投票所は近所の小学校です。

新入学の季節なので、「ご入学おめでとうございます」とか、折り紙などで手作りしたポスターを作ってあるのが、いいかんじでした。

地域見守り隊というのがあるらしく、毎朝、ボランティアの方々が、門のところで生徒たちを案内するらしいです。

それに対して卒業生たちが、「6年間ありがとうございました」「見守り隊の方々のおかげで安心して登校できました」とか書いてるのが貼り出してあって、ほほえましかったです。

本日は、『源氏物語』の現代語訳をつくっていますということで、その経過報告のような話です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

https://roudokus.com/mp3/GenjiR11.mp3

■源氏、女三の宮に琴を教える
■朱雀院の、源氏にたいする感情
■六条院における女楽(女だけの演奏会)
■寝殿造の構造
■『源氏物語』の長所と欠点
■夕霧の雲居雁にたいする感情
■源氏、紫の上の前で過去の女たちについて語る
■紫の上の発病

といった内容で語っています。

『源氏物語』については11回目の配信となります。以前の配信はこちらのリンク先をご覧ください。
https://roudokus.com/Genji/index.html#r

朱雀院の、源氏にたいする感情

源氏物語の現代語訳を作っています。源氏が、女三宮に琴を教える場面です。なぜ琴を教えるかというと、出家した朱雀院が、「私もそろそろ寿命だろうから、最後にもう一度、娘と会いたい」などと言い出して、「そういえば娘は琴を習っていたけれど、いまごろずいぶん上達してるだろうなあ…ちらっ」と源氏の方を見るわけです。

源氏は朱雀院から女三の宮を妻としてあずかったけれど、女三の宮があまりにも幼稚で子供っぽいので女として見ることができず、ほったらかし気味だったのです。

しかし親子の再会ということになって、琴がぜんぜん上達してないと、源氏が女三の宮を大切に扱っていないことが朱雀院にバレてしまうので、あわてて琴を教え始めたのです。夏休みの宿題を8月31日に始めるみたいなね。

どうも朱雀院というキャラクターはとらえどころがないです。源氏に対してどういう感情をいだいているのか。

朱雀院は自分の娘の中で一番出来の悪い女三宮を源氏に妻として押し付けたわけです。めいわくな話です。六条院には紫の上・明石の君・花散里といった源氏の妻たちがいるので、そこに女三の宮を押し付けたら、源氏の妻同士の間にいさかいが起こることはわかりきったことです。

それをあえて実行したのは、朱雀院は、源氏に対してなんというか…一種の憎悪を抱いているのでしょう。

しかしそれは単純な憎悪ではなくて、朱雀院は若い頃から弟の源氏に先を越されてばかりで、勝てなくて、歯がゆい思いをしてきた、その一方でああなんと立派な弟かと、あこがれもあるわけです。

そして明らかに男色関係をにおわせるような、あいつが女であったら私はほっておかないのに…みたいなことも言うわけです。

朱雀院の源氏に対する感情には、そうした羨望と嫉妬とリビドーが入り混じった、複雑なものがあって…そうしたドロドロした情念が、究極的には女三宮を押し付けて、そして奪い去るという形で成就するのでしょう。

男の怨念は、こわいなあ…

たぶん朱雀院は、「男版・六条御息所」と考えていいんじゃないかと。

六条院における女楽

源氏物語の現代語訳を作っています女三の宮の父親である朱雀院の五十の賀を前に、六条院の御方々が、「女楽」…女だけの演奏を行う場面です。つまり、本番前のリハーサルですね。

明石の女御は箏、紫の上は和琴(六弦の東琴)、女三の宮は琴、明石の君は琵琶を演奏します。

練習のようすが、とても楽しそうに描いてあります。バンドもののアニメなんかでも、本番の演奏より練習してるところでメンバー同士の衝突があったり、ドラマが生じますね。練習シーンというのは、物語を作りやすいのかもしれません。

寝殿造の構造

廂《ひさし》の中の御|障子《さうじ》を放《はな》ちて、こなたかなた御几帳《みきちやう》ばかりをけぢめにて、中の間《ま》は院のおはしますべき御座《おまし》よそひたり。今日の拍子《ひやうし》合はせには童べを召さんとて、右の大《おほひどの》殿の三郎、尚侍《かむ》の君の御腹の兄君《あにぎみ》笙《さう》の笛、左大将の御|太郎《たらう》横笛と吹かせて、簀子《すのこ》にさぶらはせたまふ。内《うち》には、御|褥《しとね》ども並べて、御|琴《こと》どもまゐりわたす。秘《ひ》したまふ御琴ども、うるはしき紺地《こんぢ》の袋どもに入れたる取り出でて、明石の御方に琵琶《びは》、紫の上に和琴《わごん》、女御の君に箏《さう》の御|琴《こと》、宮には、かくことごとしき琴《こと》はまだえ弾きたまはずや、と危ふくて、例《れい》の手馴《てな》らしたまへるをぞ調べて奉りたまふ。

廂の間の内側の御襖を開け放って、あちらもこちらも御几帳だけを境として、中の母屋は院がお座りになられるべき御座をしつらえてある。今日の拍子合わせには童たちを召そうということで、右大臣(髭黒)の三男で尚侍の君(玉鬘)腹の兄君が笙の笛を、左大将(夕霧)の太郎君に横笛を吹かせて、簀子に控えさせなさっている。廂の間の中には、何枚か御褥を並べて、御琴をいくつも並べて用意してある。ご秘蔵なさっている数々の御琴を、美しい紺地の袋に入れてあるのを取り出して、明石の御方に琵琶、紫の上に和琴、女御の君(明石の女御)に箏の御琴、宮(女三の宮)には、こうした格式高い琴はまだお弾きになられないのではないかと、危うく思われるので、ふだん演奏し馴れていらっしゃるのを殿(源氏)御自身が調律してさしあげられる。

……

こういう場面は寝殿造の構造をしっかり理解しておくと、情景を思い描きやすいです。

身近に寝殿造の構造が見られる場所といえば、神社です。神社の拝殿は多く寝殿造を模した構造になっています。写真はうちの近所の大将軍八神社の拝殿です。

神社に参拝した時に、源氏物語の場面を想像しながらみると、面白いと思います。

演奏ににじむ人間性

この女楽の場面がすばらしいのは、各メンバーの演奏に、その人物の人間性がにじみ出ているのですよ。たとえば、

《さう》の御琴は、物の隙《ひま》々に、心もとなく漏《も》り出づる物の音《ね》がらにて、うつくしげになまめかしくのみ聞こゆ。琴《きん》は、なほ若き方なれど、習ひたまふ盛りなれば、たどたどしからず、いとよく物に響きあひて、優《いう》になりにける御|琴《こと》の音《ね》かな、と大将聞きたまふ。

明石の女御の箏の御琴は、他の楽器の合間合間に、それとなく漏れ出す性質の音であって、どこまでも可愛らしく、優美に聞こえる。女三の宮の琴は、やはり幼なげな演奏ではあるが、今お習いになっていらっしゃる最中なので、たどたどしくはなく、まことによく他の楽器と響きあって、よくぞここまで優美な音が出るようになった御琴よと、大将(源氏)はお聞きになっていらっしゃる。

源氏、夕霧に音楽論を語る

源氏物語の現代語訳を作っています。源氏が夕霧に対して、音楽論を語る場面です。どんな芸道もそれぞれ奥深いが、とくに琴の道はきわめつくせないほど奥深いといった、そういう話です。

くどいです。ここまで優雅で風情ある「女楽」…女性たちによる演奏の場面がつづいただけあって、落差がすごいです。こういう場面は、我慢して、やりすごすしか、ないですね。

源氏は中年以降、くどくなる一方なので、この源氏のくどさを、許せるかどうかが、『源氏物語』後半を楽しめるかどうかの分かれ目となるでしょう。

『源氏物語』の長所と欠点

源氏物語は長所も多いが欠点も多い作品だと思っています。

四季折々の風情や人間情緒にかんするような文章はすばらしいですが、登場人物がムダに悩みすぎることは、どうにも弁護のしようがない欠点だと思います。

登場人物がムダに悩みすぎるせいで作品全体がくどく、長く、読みづらくなっています。

一方、平家物語の登場人物は、悩むには悩みますが、切り替えがはやいです。

熊谷次郎直実が若き平敦盛を討ち取ってしまって、ああ俺はなんて罪作りなことをしたのだ。まったく武士というものは因果なものだなあ!武芸の家に生まれさえしなければこんなことにはと、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣くけれど、「さてもあるべきことならねば」そうばかりも言ってもいられないからと、鎧直垂を取って首を包もうとする。

「さてもあるべきことならねば」

この言葉が、平家物語の本質を、しめしていると思います。

悩んでもすぐに切り替えるんですよ。次の行動に移るんですよ。平家物語は。だから物語全体のテンポがよい。

登場人物が悩んでいる間は、そこで物語が完全にストップしているわけですから、テンポが悪くなります。たしかに人間は悩む生き物なんだけど、物語の登場人物たるもの、あるていど悩んだらパッと切り替えて、次の行動に移ってほしいと思います。

「さてもあるべきことならねば」いい言葉だなあと。

その点、源氏物語の登場人物は、いつまでも、際限なく悩みつづけるので、いい加減にしろと思います。

源氏の自慢たらしさを許容できるか

源氏物語の現代語訳を作っています。

女楽…六条院の女性たちによる演奏会の後、源氏も演奏に加り、打ち解けた演奏になるという場面です。源氏の得意っぷりが、悪く言うと自慢げでつけあがったところが、よく出ています。

あのつたなかった女三の宮の琴が、よくぞここまで上達したものだ。これも俺の指導のおかげだなと。全て自分の手柄として感じている。源氏のこういう得意げなところを、嫌味でいけすかないと感じるか、ほほえましいと思うかで、源氏物語の評価は変わってくると思います。

夕霧の雲居雁にたいする感情

ついで、六条院での女楽の帰り道、夕霧がいろいろ考えている場面です。ああ六条院の御方々は華やかで魅力的だなあ。それに比べてうちの家内はパッとしいなあ。楽器も弾けないし、風流の心得がまるでない。嫉妬深いところだけは可愛いいかな、なんて考えてる場面です。

いやいや雲居雁は、じつに素晴らしい女性だと思うんですが。だって源氏物語の主要な女性たちの中で、まともに家事ができそうなのは、雲居雁と花散里の二人ぐらいですよ。ほかは、歌を詠んだり楽器を奏でたりはとくいでも、掃除料理洗濯は一度もやったことすらないでしょう。夕霧はなんて贅沢なんだと、ちょっとムカつきました。

源氏、紫の上にたいして過去の女性関係を語る

源氏物語の現代語訳を作っています。源氏が紫の上を前に、これまでの人生を回想し、過去の女性関係について語る場面です。

「みづからは、幼くより、人に異《こと》なるさまにて、ことごとしく生《お》ひ出でて、今の世のおぼえありさま、来し方にたぐひ少なくなむありける。されど、また、世にすぐれて悲しき目を見る方も、人にはまさりけりかし。

私自身は、幼いころから、人と違うありようで、仰々しく育てられましたし、現在、世間的な栄華を得ていることも、日々のありようも、過去にこういう者は例が少ないのでございます。しかしまた、並々でなく悲しい目を見ることにおいても、人よりまさっていたようですよ。

……

そう言ってわが半生を回想するまではいいんですが、ここから過去の女性遍歴について、とうとうと語ります。

葵の上は身分が高くて畏れ多い女性だがツンケンしてうちとけたところがなかった。

六条御息所は奥ゆかしい女性としてはまっさきに思い出される方ですが、あの方はいつまでも怨みをしつこく引きずるので、苦しかったなど。

過去の女たちの話をベラベラとしゃべる。しかもそれが大半悪口です。聞いてる紫の上は、どう反応したか書かれてないですが、嫉妬にかられたでしょう。源氏はそれをわかってて、あえてべらべらしゃべるのです。それは、「嫉妬する女性はかわいい」という『源氏物語』をつらぬく価値観のせいです。紫の上はその価値観を具現化したキャラクターだと思います。読んでてかなり、もどかしいです。

紫の上の発病

源氏物語の現代語訳を作っています。紫の上が発病する場面です。胸を患い、重体に陥ります。これは実は六条御息所の怨霊のしわざなのですが、源氏が飛んできて、つきっきりで看病します。

ところで紫の上はずっと出家したいと願っていて、今回も出家したいと言ってるのに、源氏は頑として許可しないです。「あなたが出家したら私は一人残されて、寂しくなるじゃないですか」と。この時代の価値観からいうと、はやめに出家したほうが極楽往生ののぞみが高まるわけです。それなのに源氏は「自分が寂しいから」という自分本位な理由で紫の上の出家をはばむのです。それがどうにも、もどかしいです。

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『古事記』(日本神話)【全編】を、【1話2分】ていどで、解説したiOS/Windows用アプリです。

『古事記』【全編を】通して語っていますので、部分的な切り抜きにならず、『古事記』の全体像を知ることができます。

詳しくは
↓↓
https://sirdaizine.com/CD/speedMyth-hyb99.html

朗読・解説:左大臣光永

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