『源氏物語』の現代語訳つくってます~柏木と女三の宮の密通

【新発売】iOS/Windows用アプリ 解説『古事記』1話2分
https://sirdaizine.com/CD/speedMyth-hyb99.html

こんにちは。左大臣光永です。

庭にくる子すずめが、なれてきました。私がパソコン作業をしていると、その手元から30cmぐらいのところに、窓のサッシがあるんですが、そのサッシのところに子すずめがとまって、こちらをぐーーっと覗きこんで、チイチイと鳴きます。窓ガラスをコツコツとたたいたりもします。とてもかわいいです。

本日は、『源氏物語』の現代語訳をつくっていますということで、その経過報告のような話です。12回目です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

■柏木、女三の宮の寝所に侵入
■六条御息所の死霊あらわる
■柏木、まだまだ余裕
■源氏物語における物の怪
■源氏と女三の宮のすれちがい
■密通の露呈
■柏木、やっと罪悪感を抱く

といった内容で語っていきます。帖でいえば、第三十五帖「若菜下」の後半にあたります。

過去の配信ぶん
https://roudokus.com/Genji/index.html#r

柏木を密通に駆り立てたもの

源氏物語の現代語訳を作っています。柏木が女三宮の女房、小侍従を説得して、女三の宮への手引きをさせようとする場面です。

柏木を行動にかりたてた決定打は、なんだったのか。

はっきりとは示されないですが、ここまで波のように押し寄せる柏木の狂気を、繰り返し、しつこく描いてきたので、心の動きにまったく無理がないです。うん…たしかにこの状況ならこうなるよね、という説得力があります

「その時、ユダの中に悪魔が入った」

新約聖書のユダ裏切りのくだりや、シェイクスピアの悲劇にも通じる、見事な書きようだと思います。

物語が破局へと突き進んでいくかんじが、ぞくぞくします。

柏木、女三の宮の寝所に侵入

源氏物語の現代語訳を作っています。柏木が、女三宮の寝所に侵入する場面です。紫の上が二条院で病気の療養をしていて、源氏以下、六条院の人々がそちらに看病に出ている、それで六条院がガランとしている、そのスキをついてのことでした。

べつに柏木は、はじめから寝込みを襲うぞ!と考えていたわけではなく、

せめてこの気持ちだけでも伝えたい。物越しにでもお会いして、一言気持ちを伝えたら、すぐ立ち去るんだ。べつにだいそれたことなんて考えはいない。そういう気持ちだった。しかし、実際に女三の宮を目の前すると、これまで気高く近寄りがたい人だとばかり思っていたけれど、可愛らしく、なよなよと幼い感じなので、理性もフッ飛んでしまい、このままこの人をさらって、自分も一緒にいなくなって、どこか別のところで暮らしたい。

…このへんの柏木の心の動きがとても生々しく、1000年前の作品とは思えないです。

そして事におよんだ後、柏木がうたたねしている夢の中に、猫が出てきます。「あれっ、俺はこの猫を返しにきたのに…」と思ったところで目がさめて、「なんでこんな夢を見たのだろう」と思います。

ただいささかまどろむともなき夢に、この手《て》馴らしし猫のいとらうたげにうちなきて来たるを、この宮に奉らむとてわが率《ゐ》て来たると思しきを、何しに奉りつらむ、と思ふほどに、おどろきて、いかに見えつるならむと思ふ。

強く印象に残る場面です。

この猫は、もともと女三の宮のものだったのを、柏木が人づてで手に入れて、かわいがっていたものでした。

夢の中に猫があらわれたのは、女三の宮の懐妊を暗示するのでしょう。

柏木、途方にくれつつも、まだ余裕

源氏物語の現代語役を作っています。柏木が女三の宮の寝こみを襲った翌日。どうしたらいいんだと、途方にくれる場面です。なにしろ天下の准太上天皇光源氏の正妻を、犯してしまったのです。バレたらどうなるかと、おそれおののきます。

しかし柏木は、まだまだ余裕です。

柏木は女三の宮の姉にあたる女の二宮を妻としていますが、二宮は母方の血筋が悪いので、柏木としては不満でした。

寝てもさめても女三の宮のことばかり思い出される。それに比べると、うちの家内は、おなじ血筋とはいっても見劣りがするな。どうしてこの落ち葉のような見栄えのしない二宮を、妻としてしまったんだろうと、わりと失礼なことを考えて、歌をよみます。

もろかづら落葉をなににひろひけむ名は睦《むつ》ましきかざしなれども

(祭のかざしに使う葵と桂のうち、どうして落葉のように劣った姉のほうを、私は拾ってしまったのだ。世間的な評判は、どちらも高い、仲のよい姉妹ではあるが)

だから姉である女二の宮にあきたらないと。妹の女三の宮といっしょになりたいんだということです。

この歌によって、ニの宮のことを「落葉の宮」とよびます。柏木のクズっぷりがあますところなく描かれていてすばらしいです。

源氏物語の登場人物は「問題解決能力」に欠ける

柏木のやったことはまずかったとしても、その行動力には目をみはるものがあります。しかし行動したあと、延々と悩み続けるのがいただけないです。

源氏物語の登場人物は柏木に限らず、問題解決能力がとても低いです。

源氏の妻を寝取ってしまってああどうしようと。頭抱えるのは当然ですが、ある程度悩んだら、さっさと次の行動にうつらないと。

つまりずっと隠し通すべく隠蔽工作をするか、正直に源氏に話して謝罪するか、ニ択です。どっちにしても、さっさと決めて、次の行動を起こすべきです。

なのに柏木は、延々と悩んで、もの思いに耽り、歌読んだりします。いや、ここで歌読んでもはじまらないだろうと、イライラします。源氏物語のまわりくどさは、主にこういうところから来ていると思います。

しかし貴族という人種の本質を描いてるなあという気もします。

六条御息所の死霊あらわる

源氏物語の現代語訳を作っています。何ヶ月にもわたり紫の上に取り付き、苦しめていた物の怪がついに姿をあらわす。その正体は…、六条御息所の死霊だった!という場面です。ここはほんとにゾッとします。

あのくどく、しつこく、【話の長い】六条御息所が。この人が登場するだけでドヨドヨと暗雲が立ち込め、暗黒宇宙に引きずり込まれるほどの、負のオーラを放ちまくる六条御息所が、ましてや死霊になって出てくる。おぞましいです。

六条御息所の死霊が、憑坐という物の怪の受け皿となる少女に取り付いて、切々と想いを述べます。そこで光源氏がガッとその手を掴み、本当にその人かっ!狐などがふざけて、亡き人の名誉をそこねることを言い出すこともあるというし。たしかな名乗りをせよ。また、もし本当にその人なら証拠をしめせ!といったところ、はらはらはと泣いて、歌をよみます。

「まことにその人か。よからぬ狐などいふなるもののたぶれたるが、亡き人の面伏《おもてぶ》せなること言ひ出づるもあなるを、たしかなる名のりせよ。また、人の知らざらんことの、心にしるく思ひ出でられぬべからむを言へ。さてなむ、いささかにても信ずべき」とのたまへば、ほろほろといたく泣きて、

「わが身こそあらぬさまなれそれながらそらおぼれする君は君なり

いとつらし、つらし」

(私の身は昔とまったく違うふうに成り果てたのに、昔の姿のままにそらとぼけていらっしゃるの貴方は、昔のままの貴方です)

この、歌読んで「つらし、つらし」いうとこが、目にうかぶようで声がきこえてくるようで、鬼気迫るものがあります。

幽霊って、あまりしゃべらないイメージじゃないですか。ぬぼーーと立ってて、一言「憎い…」とか。そういうもんでしょう幽霊って。しかし六条御息所の死霊は、くどくどくどくど、きわめて長い台詞をしゃべりまくります。ただでさえ『源氏物語』の文章はクドいのに、六条御息所が登場するとクドさが四割増しくらいになります。その意味でもおぞましいです。

六条御息所は、かつて葵の上を取り殺した時も生き霊になって現れてその時に歌を読みました。古典において歌が読まれるのは、感動が最高潮に達した時ときまっています。だからこの場面の歌は、御息所の恨み憎しみが最高潮に達しているわけです。どれほど深い恨み憎しみなのかと、ゾッとします。

源氏物語における物の怪

源氏物語には、「物の怪」にまつわる場面が三つあります。

★訂正★四つあります。

一つは源氏が若い頃、関係を持った夕顔の女が正体不明の物の怪に取り殺される場面。

もうひとつは、正妻の葵の上が、六条御息所の生霊に取り殺される場面。3つ目は源氏の妻・紫の上が、六条御息所の死霊に取り憑かれる場面。あとの二つについては、取りついた物の怪の正体は六条御息所ということがはっきり物語中にしめされています。

しかし最初の、夕顔の女を取り殺した物の怪については、本当にわからないのですよ。夕顔をとり殺したのも六条御息所の生霊だと理解している方が多いと思うんですが、夕顔巻ではまだほとんど六条御息所は登場していません。

夕顔が取り殺される場面も、何のしわざであると、はっきり記していない、微妙な書き方をしてあるんですね。

源氏物語の特徴として、同じ趣旨の場面が繰り返される時は、必ずそのサインがあります。それは細かい単語の使い方だったり、言い回しだったり、小道具(芥子の花の匂い)だったり…なにかしら共通した部分を持たせてあるわけです。

葵の上が取り殺される場面と、紫の上が物の怪に苦しめられる場面については、そういう共通項を、いくつも見つけることができます。作者はこの2つを同列の事件として、相互にフィードバックしあうような気持ちで書いていることがわかります。

しかし、夕顔が物の怪に取り殺される場面は、葵の上の場面とも紫の上の場面とも、ほとんど共通項が見出せないです。

つまり夕顔を取り殺した物の怪は、六条御息所の生霊ではない、と読めます。

結局、夕顔を取り殺した物の怪の正体は、物語をすべて読んでも、「わからない」ままです。この「わからない」ということが、いっそう恐ろしく、物の怪っぽくて、不気味です。

柏木、まだまだ余裕

源氏物語の現代語訳を作っています。二条院で病気療養していた紫の上がなくなったという噂があったので、柏木たちが見舞いに訪れる場面です。

柏木たちが二条院につくと、夕霧が目を赤くして出てきて、「やっとご回復なさいましたが、まだまだ油断できないご病状です」と言います。

柏木はそれを見て、「あっこいつ、紫の上様に惚れているな…けしからんやつ」と思うのです。柏木は、自分が源氏の妻である女三の宮に恋煩いをしているので、夕霧も同じように紫の上さまに対してけしからん気持ちを抱いているに違いないと、考えるのです。こういう不謹慎な心の内を、しっかり描いてあることがすばらしいです。人間こういうもんだなと思います。罪が発覚しそうになって初めて罪悪感が湧いてくるのであって、それまではのんびりと、こういうろくでもないことを考えている。人間の本質をとらえていて、すばらしいです。

源氏、六条御息所を毛嫌いする

源氏物語の現代語訳を作っています。光源氏が、病の床についた紫の上を、熱心に看病している場面です。紫の上にとりついていた物の怪の正体は、六条御息所の死霊でした。

それがわかると、源氏はめちゃくちゃに嫌がります。なんとまたあの面倒な人が出てきたのかと!

これまで源氏は、亡き六条御息所にたいする罪滅ぼしの意識から、御息所の娘(秋好中宮)の世話をしてきましたが、

源氏はあまりにも六条御息所が嫌いだから、その娘の秋好中宮の世話をしてきたことさえ、間違いだったように思いはじめます。

この場面の源氏の心の動きには、たいへん共感できます。男で六条御息所が好きという人は、きわめて少ないんじゃないでしょうか。くどく、しつこく、【話が長く】、粘着質で、こんなめんどくさいおばちゃんにつきまとわれたら、大変ですよ。

だいたいですね。

六条御息所が登場すると、翻訳作業が、ストップしてしまうんですよ。あまりにも文章がくどく、長くなるので、ウンザリして、何日も投げ出してしまい、作業が停滞します。習慣がぶち壊されます。嫌いです。創作物の中の、架空の人物を、ここまで嫌いになったのは、六条御息所がはじめてです。これほどまでに不快な人物は、小説だろうと、漫画だろうと、アニメだろうと、私は六条御息所のほかには、見つけることができないです。

しかもですね。

六条御息所が死霊となってあらわれた理由は、源氏が恋しいせいでも紫の上が憎いからでもないのですよ。そうではなくて、源氏が、紫の上との会話の中で、ちょこっと私の悪口を言ったから。というしょうもない理由です。「昔、六条御息所という方がいらしたが、あの方はしつこくて、不愉快で、嫌な女だった」そんなことを源氏が紫の上と世間話のなかで話していたので、死霊になってあらわれたのです。つまり、私が悪く言われるのが気に食わない。私が否定されるのが納得いかない。私が、私が、私が。承認欲求のカタマリ。実にめんどくさい。源氏が愛想をつかしたのも、当たり前です。

いったん六条御息所が物語中に登場してしまうと、直接には六条御息所が登場しない場面でさえも、なんとなくテンポがにぶくなり、時間の流れが遅くなり、くどくどくどくど鬱陶しい展開になっていくように思います。六条御息所の呪いが、物語全体ににじみ渡ってくる感じです。

源氏と女三の宮のすれちがい

源氏物語の現代語訳を作っています。紫の上の病が一時おさまって小康状態になったので、源氏が久しぶりに女三の宮をねていく場面です。

女三の宮が具合が悪そうにしているのを見て、源氏は考えます。「もしかしたら懐妊しているのではないか…しかし滅多に床をともにしもないのに、まさか懐妊ということはあるまい。やはり私の訪れが少ないので、拗ねているだけだろう」そこで久しぶりにたずねていって、源氏と女三の宮で、夫婦水入らずの時間を過ごすという場面です。歌のやり取りなどが描かれます。

女三宮は柏木との密通が源氏にばれるのではないかとハラハラしています。源氏は、そんな女三の宮の態度をみて、長い間訪れていなかったから拗ねているんだなと思って、女三の宮を慰め励まします。男女のディスコミュニケーションのさまが、見事に描かれています。

表面的には静かで、おだやかな場面ですが、これが、次からの破局への前フリとなっています。

密通の露呈

源氏物語の現代語訳を作っています。源氏が女三の宮と柏木が密通している証拠となる手紙を見つけて、怒り、絶望し、思い悩む場面です。「なんたることだ!あんな若造に妻を寝取られるとは…天下の光源氏も地に落ちたものよ」といったところでしょう。

しかし一方で自分の過去をふりかえってみると、源氏はかつて父桐壺院の后であった藤壺宮と密通し、その子が、表向きは桐壺院の皇子として、冷泉帝として即位したのです。過去に自分がしでかした過ちが、今、繰り返されて、今度は自分が同じ立場となったわけです。「ひょっとして父帝はご存知であったのか。あの時、父帝はこのようなお気持ちだったのか…!」とはじめて実感し、ガクゼンとする源氏。

「故院の上も、かく、御心には知ろしめしてや、知らず顔をつくらせたまひけむ。思へば、その世のことこそは、いと恐ろしくあるまじき過《あやま》ちなりけれ」

世代を超えて同じ罪が繰り返される、ゾクゾクする場面です。

柏木、やっと罪悪感をいだく

源氏物語の現代語訳を作っています。柏木が、女三の宮と密通した証拠を源氏にみつけられたことを知って、あわてふためく場面です。

さあ大変なことになった。頭を抱え、罪悪感に駆られ、後悔し、しまいには、こんなことになったのはあの女に奥ゆかしさがなくて軽率なせいだと、心の中で女三の宮を責めます。向こうが悪い。俺は悪くないと。

この辺りの心の動きが、とてもリアルです。事が発覚してはじめて、罪悪感がわいてくる点に、とくに私は注目したい。これまで柏木は何ヶ月にもわたって女三の宮のもとに通って不義の関係をつづけてきたのです。その間、やばいやばいと思いつつも、さして罪悪感は、わかなかった。バレてはじめて、罪悪感が湧いてきたんです。ああ、やらなきゃよかったと。間男の心理とはこういうものかと、きわめて納得できるものです。

そしてこういうまずい状況になって、俺が悪かったのだと反省するのではなく、相手の女を責めると。

いくらなんでも男の前にああいう風に姿をあらわしたら、くらくらっとなるじゃないか。それに恋文を見つけられるとは何事だ。すべて、あの女の軽率さゆえに、こんなひどい事になってしまったんじゃないかと、はじめて柏木の中に、女三の宮を非難する気持ちがうまれます。

柏木のクズっぷりあますところなく描かれていて、逆に清々しいです。

【新発売】iOS/Windows用アプリ 解説『古事記』1話2分
https://sirdaizine.com/CD/speedMyth-hyb99.html

『古事記』(日本神話)【全編】を、【1話2分】ていどで、解説したiOS/Windows用アプリです。

『古事記』【全編を】通して語っていますので、部分的な切り抜きにならず、『古事記』の全体像を知ることができます。

詳しくは
↓↓
https://sirdaizine.com/CD/speedMyth-hyb99.html

朗読・解説:左大臣光永