平家物語 七十一 物怪之沙汰(もつけのさた)

原文

福原(ふくはら)へ都をうつされて後、平家の人々夢見もあしう、常は心(こころ)さわぎのみして、変化(へんげ)の物どもおほかりけり。ある夜入道(にふだう)のふし給へるところに、一間(ひとま)にはばかる程の物の面(おもて)いできて、のぞき奉る。入道相国(にふだうしやうこく)ちツともさわがず、ちやうどにらまへておはしければ、ただぎえに消えうせぬ。岡の御所と申すは、あたらしうつくられたれば、しかるべき大木(たいぼく)もなかりけるに、ある夜大木(よおほぎ)のたふるる音して、人ならば二三十人が声して、どツとわらふことありけり。これはいかさまにも天狗(てんぐ)の所為(しよゐ)といふ沙汰(さた)にて、ひきめの当番となづけてよる百人ひる五十人の番衆(ばんしゆ)をそろへて、ひきめを射させらるるに、天狗のあるかたへむいて射たる時は音もせず、ない方(かた)へむいて射たるとおぼしき時はどつとわらひなンどしけり。又あるあした、入道相国帳台(にふだうしやうこくちやうだい)よりいでて、妻戸(つまど)をおしひらき、坪(つぼ)のうちを見給へば、死人のしやれかうべどもが、いくらといふかずも知らず、庭にみちみちて、うへになりしたになり、ころびあひころびのき、はしなるはなかへまろびいり、中なるははしへいづ。おびたたしうからめきあひければ、入道相国、「人やある、人やある」と召されけれども、をりふし人も参らず。

かくしておほくのどくろどもが、一つにかたまりあひ、つぼのうちにはばかるほどになツて、たかさは十四五丈(ぢやう)もあるらんとおぼゆる、山のごとくになりにけり。かの一つの大頭(おほがしら)に、いきたる人のまなこの様(やう)に、大(だい)のまなこどもが千万(せんばん)いできて、入道相国をちやうどにらまへて、まだたきもせず。入道すこしもさわがず、はたとにらまへて、しばらくたたれたり。

かの大頭(おほがしら)、余(あま)りにつよくにらまれ奉り、霜露なンどの日にあたツて消ゆるやうに、跡かたもなくなりにけり。其外(そのほか)に一(いち)の厩(みまや)にたてて、舎人(とねり)あまたつけられ、朝夕(あさゆふ)ひまなくなでかはれける馬の尾に、一夜(いちや)のうちに、ねずみ巣(す)をくひ、子をぞうんだりける。これただ事(こと)にあらずとて、七人の陰陽師(おんやうじ)にうらなはせられければ、おもき御(おん)つつしみとぞ申しける。この御馬は、相模国(さがみのくに)の住人、大庭三郎景親(おおばのさぶらうかげちか)が、東(とう)八ケ国一(こくいち)の馬とて、入道相国(にふだうしゃうこく)に参らせたり。黒き馬の額(ひたひ)白かりけり。名をば望月(もちづき)とぞつけられたる。陰陽頭安倍(おんやうのかみあべ)の泰親(やすちか)給はりけり。昔天智天皇(てんちてんわう)の御時、竜(りよう)の御馬の尾に、一夜(いちや)の中に鼠(ねずみ)巣をくひ、子をうんだりけるには、異国の凶賊蜂起(きょうぞくほうき)したりけるとぞ、日本紀(につぽんぎ)には見えたる。

又、源中納言雅頼卿(げんちゅうなごんまさよりのきやう)のもとに候ひける青侍(せいし)が見たりける夢もおそろしかりけり。たとへば大内(おほうち)の神祇官(じんぎくわん)とおぼしきところに、束帯(そくたい)ただしき上﨟(じやうらふ)たちあまたおはして、義定(ぎぢやう)の様(やう)なる事のありしに、末座(ばつざ)なる人の、平家の方人(かたうど)するとおぼしきを、その中よりおツたてらる。かの青侍夢の心に、「あれはいかなる上﨟にてましますやらん」と、ある老翁(らうをう)に問ひ奉れば、「厳島(いつくしま)の大明神(だいみやうじん)」とこたへ給ふ。

現代語訳

福原へ都をうつされて後、平家の人々は夢見も悪く、常に心がさわいでばかりで、変化の物どもも多くあらわれた。

ある夜入道のお休みになっている所に、一間に満ちるほどの物の顔が出てきて、のぞき申し上げた。

入道相国ちっとも騒がず、くわっとにらまえていらっしゃると、消え失せてしまった。

岡の御所と申すのは、新しく作られた御所なので、これといった大木もなかったが、ある夜大木が倒れる音がして、人ならばニ三十人の声がして、どっと笑うことがあった。

これはきっと天狗の仕業という評定になって、ひきめの当番と名付けて夜は百人昼は五十人の番人をそろえて、ひきめ(音の鳴る矢)を射させなさると、天狗のいる方角に向いて射た時は音もせず、いない方角へ向いて射たとおぼしき時はどっと笑いなどした。

またある朝、入道相国が帳台から出て、妻戸をおしひらき、坪庭のうちを御覧になると、死人のしゃれこうべどもが、いくらという数も知らず、庭にみちみちて、上になり下になり、転びあい転びのき、端にいるのが中に転がり入り、中にいるのが端へ出る。

たくさんからからと音を立てあっているので、入道相国、

「人はあるか、人はあるか」

と召されたが、その時は人も参らない。

こうして多くのどくろどもが、一つに固まり合って、坪のうちにあふれるほどになって、高さは十四五丈もあるだろうと思われる、山のようになってしまった。

その一つの大きな頭に、生きている人の目のように、大きなたくさんの目が、千も万も生えてきて、入道相国をじろっとにらまえて、またたきもしない。

入道は少しもさわがず、はたとにらまえて、しばらく立たれていた。

その大頭は、あまりに強くにらまれて、霜・露などが日にあたって消えるように、跡かたもなく消えてしまった。

その他に、一番立派な厩に入れて、舎人をたくさんつけて、朝夕ひまなく大切に可愛がり飼われている馬の尾に、一夜のうちに、ねずみが巣を作り、子を生んだ。

これはただ事ではないといって、七人の陰陽師に占わせられたところ、思い御つつしみ事と申した。

この御馬は、相模国の住人、大庭三郎景親(おおばのさぶろうかげちか)が、関東八カ国一の馬といって、入道相国に献上したものだった。

黒い馬で額は白かった。名を望月とつけられた。陰陽頭(おんようのかみ)安倍の泰親(やすちか)が給わった。昔、天智天皇の御時、馬寮の御馬の尾に、一夜のうちに鼠が巣をつくり、子を生んだ時は、異国の凶賊が蜂起したと、『日本書紀』に見える。

また、源中納言(げんちゅうなごん)雅頼卿(まさよりのきょう)のもとにお仕えしている身分の低い侍が見た夢も恐ろしかった。

詳しくいえば、宮中の神祇官とおぼしきところに、束帯で正装した貴人たちがたくさんいらして、会議のような事があったところ、末席にいた人の、平家の味方するとおぼしきを、その中から追い立てられた。

その身分の低い侍は夢の中に思って、「あれはどんな貴人でいらっしゃるのだろう」と、ある老人に問い申し上げると、「厳島の大明神」とお答えになった。

語句

■一間 間は柱と柱の間の長さ。 ■はばかる いっぱいになる。満ちる。 ■ちやうど くわっと。 ■岡の御所 福原の清盛の御所のひとつ。所在地未詳。「春は花見の岡の御所、秋は月見の浜の御所」と巻七「福原落」にあり、清盛は季節ごとの御所を福原に多く持っていたことがうかがえる。 ■いかさまにも きっと。どちらにしても。 ■沙汰 評議。 ■ひきめ 「ひびきめ」のなまり。鏑矢の一種。中が空洞で、穴があけてある矢。射るとひゅっとするどい音を立てる。魔よけに用いる。 ■番衆 番人。 ■帳台 貴人の寝所。周囲より一段高くして四方に帳をたらしたもの。 ■からめく からからと音を立てる。 ■十四五丈 一丈は約3メートル。42-45メートル。 ■一の厩 一番よい厩。 ■なでかわれける かわいがって飼われていた。 ■御つつしみ 御つつしみ事。悪いことを避けるために重く謹慎する必要があるということ。 ■大庭三郎景親 『源平盛衰記』などに石橋山の合戦で頼朝軍を破った。『保元物語』には「鎌倉の権五郎景政が四代の末葉、大庭の庄司景房が子、相模国住人、大庭平太景能、同三郎景親とは、我事にて候」と名乗る。大庭は現在の藤沢周辺。 ■東八カ国 関東八カ国。相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野。 ■陰陽頭 陰陽寮の長官。陰陽寮は方位・吉凶・占などをつかさどる。 ■昔天智天皇の… 「鼠、馬尾ニ産ム、釈道顕占ヒテ曰ク、北国ノ人、将ニ南国ニ付カントス。蓋シ高麗破レテ日本ニ属(つ)カンカ」(日本書紀・天智天皇元年条)。 ■竜の御馬 寮の御馬。馬寮に飼われている馬。 ■雅頼卿 村上源氏。源雅頼。 ■青侍 公家に仕えた六位など身分の低い侍。 ■大内の 宮中の。 ■神祇官 神事を行う役所。 ■上臈 貴人。 

原文

其後座上(そののちざしやう)にけたかげなる宿老(しゅくらう)のましましけるが、「この日來(ひごろ)平家の預かりたるつる節刀(せつと)をば、今は伊豆国(いづのくに)の流人頼朝(るにんよりとも)にたばうずるなり」と仰せられければ、其御(おん)そばに猶(なほ)宿老のましましけるが、「其後はわが孫にもたび候へ」と仰せらるるといふ夢を見て、是を次第(しだい)に問ひ奉る。「節刀(せつと)を頼朝にたばうとおほせられつるは、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、其後はわが孫にもたび候へと仰せられつるは春日大明神(かすがのだいみやうじん)、かう申す老翁は、武内(たけうち)の大明神(だいみやうじん)」と仰せらるるといふ夢を見て、これを人にかたる程に、入道相国(にふだうしやうこく)もれきいて、源大夫判官季貞(げんたいふはうぐわんすゑさだ)をもツて、雅頼卿(がらいのきょう)のもとへ、「夢見(ゆめみ)の青侍(せいし)、急ぎ是へたべ」と宣(のたま)ひつかはされたりければ、かの夢見たる青侍、やがて逐電(ちくてん)してんげり。雅頼卿いそぎ入道相国のもとへゆきむかツて、「まツたくさること候はず」と、陳(ちん)じ申されければ、其後さたもなかりけり。それにふしぎなりし事には、清盛公(きよもりこう)いまだ安芸守(あきのかみ)たりし時、神拝(じんぱい)の次(ついで)に、霊夢(れいむ)をかうぶツて、厳島(いつくしま)の大明神(だいみやうじん)よりうつつに給はれたりし、銀(しろかね)の蛭巻(ひるまき)したる小長刀(こなぎなた)、常の枕をはなたずたてられたりしが、ある夜俄(にはか)にうせにけるこそふしぎなれ。平家日ごろは朝家(てうか)の御かためにて、天下(てんか)を守護せしかども、今は勅命(ちよくめい)にそむけば、節刀(せつと)をも召しかへさるるにや、心ぼそうぞきこえし。

なかにも高野(かうや)におはしける、宰相入道成頼(さいしやうにふだうせいらい)、か様(やう)の事共をつたへきいて、「すは平家の代(よ)は、やうやう末になりぬるは。厳島(いつくしま)の大明神(だいみやうじん)の、平家の方人(かたうど)をし給ひけるといふは、そのいはれあり。但(ただ)しそれは、沙羯羅竜王(しやかつらりゆうわう)の第三の姫宮(ひめみや)なれば、女神(ぢよじん)とこそ承れ。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の、節刀(せつと)を頼朝(よりとも)にたばうと仰せられけるは理(ことわり)なり。春日大明神(かすがのだいみやうじん)の、『其後(そののち)はわが孫にもたび候へ』と仰せられけるこそ心えね。それも平家ほろび、源氏の世つきなん後、大織冠(だいしよくくわん)の御末、執柄家(しつぺいけ)の君達(きんだち)の、天下(てんか)の将軍になり給ふべき歟(か)」なンどぞ宣ひける。又或僧(あるそう)のをりふし来たりけるが申しけるは、「夫神明(それしんめい)は和光垂跡(わくわうすいしやく)の方便(ほうべん)まちまちにましませば、或時は俗体(ぞくたい)とも現じ、或時は女神ともなり給ふ。誠に厳島の大明神は、女神とは申しながら、三明(みやう)六通(つう)の霊神(れいしん)にてましませば、俗体に現じ給はんもかたかるべきにあらず」とぞ申しける。うき世を厭(いと)ひ実(まこと)の道に入りぬれば、ひとへに後世菩提(ごせぼだい)の外(ほか)は、世のいとなみあるまじき事なれども、善政(ぜんせい)をきいては感じ、愁(うれへ)をきいてはなげく、これみな人間の習(ならひ)なり。

現代語訳

その後、座上に気高げな宿老がいらっしゃったが、

「最近、平家の預かっていた節刀を、今は伊豆国の流人頼朝に与えようとするのだ」

と仰せられたので、その御そばにやはり宿老がいらっしゃったが、「その後はわが孫にもお与えください」と仰せられるという夢を見て、これについて次々に質問申し上げる。

「節刀を頼朝に与えようと仰せられたのは、八幡大菩薩、その後はわが孫にもお与えくださいと仰せられたのは春日の大明神、こう申す老人は、武内の大明神」

と仰せられるという夢を見て、これを人に語っているうちに、入道相国がもれきいて、源大夫判官(げんだいふほうがん)季貞(すえさだ)をもって、雅頼卿のもとへ、「夢を見た身分の低い侍を、いそいでこちらによこせ」とおっしゃり遣わされたので、その夢を見た身分の低い侍は、すぐに逐電してしまった。

雅頼卿はいそいで入道相国のもとへ行き向かって、

「まったくそのようなことはございません」

と、弁解申し上げると、その後、お咎めもなかった。

それに加えて不思議であった事は、清盛公がいまだ安芸守であった時、厳島明神参詣の時に霊夢を受けて、厳島の大明神から現実にいただいた、銀の蛭巻をした小長刀を、いつも枕から離さずに立てられていたのが、ある夜突然、無くなったのは不思議であったよ。

平家日ごろは朝廷の御守りとして、天下を守護していたが、今は勅命に背いたので、節刀をも召返されたのだろうか、心細いことだと噂された。

中にも高野にいらっしゃる、宰相入道(さいしょうのにゅうどう)成頼(せいらい)は、このような事などを伝えきいて、

「それっ、平家の世は、ようやく末になったのだ。厳島の大明神が、平家の味方をなさるというのは、そのいわれがあることなのだ。

ただし厳島大明神は、沙羯羅竜王の第三の姫宮なので、女神と伺っているのだが。八幡大菩薩が、節刀を頼朝にお与えになると仰せられたのは道理である。

春日大明神が、「その後はわが孫にもお与えください」と仰せられたのはよくわからない。

それも平家ほろび、源氏の世が尽きた後、大織冠(藤原鎌足)の御末、摂関家の公達が、天下の将軍になられるのであろうか」

などとおっしゃった。

またある僧がその時来ていたのが申したことは、

「いったい神明は和光垂迹の方便はさまざまであられるので、ある時は人間の姿となってあらわれ、ある時は女神ともなられる。まことに厳島の大明神は、女神とは申しながら、あらゆる智慧に通じ万事を知る霊神であられるので、人間の姿で現れなさることもありえないことではない」

と申した。

うき世を厭いまことの仏の道に入っているので、ひたすら後世菩提を祈る他は、世俗のいとなみはありえない事だが、善政が行われているのをきいては感心し、天下の愁いをきいては嘆く、これみな人間の常のことである。

語句

■宿老 長老。 ■節刀 天皇から朝敵討伐のために将軍に授けられる刀。 ■八幡大菩薩 源氏の守護神。 ■春日大明神 藤原氏の氏神。 ■武内の大明神 武内宿禰。景行天皇から仁徳天皇まで五代の天皇に仕えたされる。石清水八幡宮の摂社、高良社にまつられる。 ■源大夫判官季貞 平家の家人。安芸守源季遠の子。 ■清盛公いまだ安芸守たりし時… 巻ニ「教訓状」、巻三「大塔建立」にも。 ■成頼 藤原顕頼の子。光頼の弟で養子。高野山に入り高野宰相入道と称す。 ■すは さあ、あっ、やっ、それ、そりゃといった掛け声。すはや。 ■沙羯羅竜王 八大龍王中の第三。 ■大織冠 藤原鎌足。 ■執柄家 摂政・関白を出す家。摂関家。 ■天下の将軍に… 承久元年(1219)三代将軍源実朝が殺害されて源氏の血筋は滅び、以後ニ代は藤原氏九条家から将軍を迎えた。 ■和光垂迹 仏が衆生救済のため、仏の光を和らげて、人間にもわかるような形で、現世にあらわれ示すこと。 ■三明六通 さんみょうろくつう。三明は宿命明・天眼明、漏尽明の三つ。宿命明は現世の生死を知る智慧。明は智。天願明は未来の生死を知る智慧。漏尽明は一切の煩悩を断つ智慧。六通は天眼通・天耳通・知他心通・宿命通・身如意通・漏尽通の六。通は知ること。天眼通は一切の形色を知ること。天耳通は一切の聞こえることを知ること。知他心通は他者の心を知ること。宿命通は宿世の運命を知ること。身如意通は体を意のままにすること。漏尽通は一切の煩悩を断つこと。

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平家物語|原文・現代語訳・解説・朗読

朗読・解説:左大臣光永