初編 藤沢より平塚へ                                                         

原文

ト此内はやふじ沢につきければまづぼうばなのあやしげなるちやみせにやすみ

北「ばあさん、団子(だんご)はつめてへか チトあつためてくんな

ちや店のばばあ「ドレやきなをしてしんぜますべい

トけしずみの火をかきさがし、灰のたつをもかまはず、あふぎたてる。此内ふたりはほこりをはたきはたき、たばこのみいると、六十ぐらいのかつぱをきて、ふろしきしよつたるおやぢ、このみせさきにたちどまりて

親仁「モシちつとものを問(とひ)ますべい。江の島へはどふいきます

弥「おめへゑのしまへいきなさるか。そんならこりよヲまつすぐにいつての、遊行(ゆぎやう)さまのお寺(てら)のまへに橋(はし)があるから

北「ほんに橋といやア、たしか其はしの向(むか)ふだつけ。いきな女房(かかし)のある、茶屋(ちやや)があつたつけ

弥「ソレソレ去年おらが山へいつた時とまつた内だ。アノかかアは江戸ものよ

北「どふりで気(き)がきいていらア

親仁「モシモシ、其はしからどふいきます

弥「そのはしの向ふに鳥居(とりゐ)があるから、そこをまつすぐに

北「まがると田甫(たんぼ)へおつこちやすよ

弥「エエ手めへだまつていろへ。ソノみちをずつと行(いく)と、村(むら)はづれに、茶やが弐軒(にけん)あるところがある

北「ほんにそれよ。よくくさつたものをくはせるちや屋だ

弥「ソリヤア手めへのいふのは右側(みぎがは)だろふ。左側(ひだりがは)の内はいいはな。去年(きよねん)おらがいつた時、ぴちぴちする鯛(たい)の焼(やき)もの、それに大平(おほひら)が海老(ゑび)のはね出るやつに、玉子(たまご)とくはゐと大椎茸(おほしいたけ)に、そして

現代語訳

藤沢より平塚へ

やがて早や、藤沢に着くと、まず、とっつきのみすぼらしい茶店に休んだ。

北八「ばあさん、団子はつめてえか。暖めてくんな」

茶屋のばばあ「どれ、焼き直してさしあげますべい」

消炭の火種をほじくり出し、灰神楽の舞うのもかまわずにあおぎたてる。灰に降られた二人は、渋面つくって、灰ぼこりをはたきはたき、一服つけていると、道中合羽を着て風呂敷を背にした六十がらみの親仁が店先に立ち止まる。

親仁「ちょいと、伺(うかが)いますが、江(え)の島(しま)へはどう行きますべい」

弥次「お前さん、江の島行きか。そんなら、この道をまっすぐ行って、遊行(ゆぎょう)さまのお寺の前に橋があるから」

北八「ほんに橋と言やあ、その橋の向こうだっけ。粋な女房がいる茶屋があったっけ」

弥次「それ、それ。去年、おらが大山参詣(おおやまもうで)で泊まった家さ。あの女房(かかあ)は江戸者よ」

北八「どうりで気がきいてらあ」

親仁「あのう、その橋からどう行きますので」

弥次「橋の向こうに鳥居があるから、そこをまっすぐに」

北八「曲ると田圃(たんぼ)へ落っこちるよ」

弥次「うるさいぞ、てめえはだまっていろい。その道をずっと行きやすと、村はずれに茶屋が二軒」

北八「そこだ。よく、腐った物を食わせやあがった」

弥次「てめえの言うのは、そりゃあ右側だろう。左側の家はいいぜ。去年俺が寄ったときにゃあ、ぴちぴちの鯛(たい)の焼物。大皿の海老(えび)のはねてるやつよ。玉子、くわい、大椎茸(おおしいたけ)、それからなんだっけ」

語句

■ふじ沢-藤沢。戸塚より二里の宿駅(藤沢市)。■あやしげなる-粗末な。■かつぱ-合羽。防寒用や雨具として、衣服の上に着けるコートのようなもの。目的や好みによって材料も作り方もさまざまである。■ふろしき-風呂敷包みの旅行用荷物。■江の島-藤沢の片瀬海岸にある小島。江の島弁財天があって、信仰・観光の参詣が古来多い。■遊行さま-遊行上人即ち一遍を祖とする時宗の代々(開祖は四代)の本山。清浄光寺。藤沢の松山の中にある。■橋-『早道道中記』(一九序)に「此しゆくよりも、かまくらへゆく道あり、是により二り、ゑのしまへ一り九丁」。広重の藤沢の図(保水堂版など)も、端を渡って行く大山道と、渡らずに行く弁財天の鳥居を載せている。■山-相模国(神奈川県)雨降山(あぶりさん)。石尊大権現の社があり、納太刀の風習あって夏季は江戸方面から参詣の講中も多かった。

◇このところ、変な道案内をする趣向は狂言「磁石」による。

■ぴちぴちする-生きのよい魚の形容。■大平(おほひら)-大平椀または大平皿。共に平たい大ぶりの食器の一種。膳部の前の方に置かれ、魚類野菜類を合せて煮物を入れる。■はね出る-生きのよいさまの形容。

                                                         

原文

親仁「モシモシわしはそんなものはくはずとよふござる。そこから又どふいきます

弥「そこをずつといきあたると、石の地蔵さまがありやす

北「あの地蔵さまは瘡(かさ)の願(ぐはん)がきくそふだ。おらが方(ほう)のへたなすがあれでなをつた。

弥「ほんに瘡といやア、新道(しんみち)の金箔(きんぱく)やのたぬ吉めは、草津(くさつ)へいつたつけが、どふしたしらん

北「あれは大福町(だいふくてう)に所帯(しよたい)をもつていらア

弥「大ふく町といふはどこだ

北「大ふく町はおいらが通(とを)りをまつすぐに、当座町(とうざてう)へ出て、判取(はんとり)町から店賃(たなちん)町を通つて、地代屋敷(ちだいやしき)の算盤(そろばん)ばしをわたると、そこが大ふくてうだ

親仁「そんなことよりやア江(ゑ)の嶋(しま)へゆく道をおしへてくんさい

弥「ほんにそふだつけ。其地蔵(ぢぞう)さまから、大ふくまちをまつすぐいくとの

親仁「ゑのしまへいくにも、そんな町(まち)がござるか

弥「イヤイヤこりやア江戸の町(まち)だつけ

親仁「エエこの衆(しう)は、おゑどの事は聞(きき)申さない。らつちもない衆だ ドレさきへいつて聞ますべい

トぶつぶつこごとをいいながら行過る

北「ハハハハハハ

ト此内あるじのばばだんごを四五くし、ぼんにのせてもつて出る

弥「こいつは黒いだんごだ

トいいながら、一トくし取あげてみれば、けしずみの火が、だんごにくつついているゆへ、わざと火のついているをかくして、きた八のほうへさしいだして

現代語訳

親仁「もしもし。わしはそんなものは、食わずとようござる。そこから、また、どう行きますので」

弥次「そこをずっと行きあたると、石の地蔵様がありやす」

北八「あの地蔵様は、瘡(かさ)の願(がん)に効(き)くそうだ。おらが近所の、へたなす野郎があれで治った」

弥次「ほんとに、瘡といやあ、新道の金箔屋のたぬ吉めは、草津(くさつ)の湯へ行ったが、あの瘡かきは、どうしたかしらん」

北八「あれは、いまじゃ、大福町に世帯もってらあ」

弥次「大ふく町とはどこだ」

北八「大ふく町は、おいらが通りをまっすぐ、当座町(とうざちょう)へ出て判取(はんとり)町から店賃(たなちん)町を通って、地代(じだい)屋敷の算盤(そろばん)橋を渡ると、そこが大福町さ」

親仁「そんなことより、江の島道をおしえてくんさい」

弥次「ほんに、そうだっけ。その地蔵様から、大ふく町をまっすぐにだな」

親仁「江の島さ行くにも、そんな町がござりやすか」

弥次「ちがうちがう。こいつあ、江戸の町だっけ」

親仁「ええ、この衆は。お江戸のことはきき申さない。しょうがないお方だ。どれ、先へ行ってたずねますべいよ」

と、叱言(こごと)だらだら行ってしまう。

北八「はははは」

茶店のばあさんが団子を四、五串(くし)、盆に乗せて登場する。

弥次「わあっ、こいつは黒団子だ」

まず一串取り上げて見ると、消炭の火が団子にくっついたままなので、火のついたところを隠して、北八の方へさしだし、

語句

■瘡(かさ)-「俚言集覧」に「かさは皮膚に生ずる病の総名なり。又専ら微毒にいふ」。ここは後者。■へたなす-茄子の成長不良の実をいう。矮小なる人のあざ名。■金箔や-狸が八畳敷に金玉をひろげるということから、金箔に託して作った名か。■草津-上野国(群馬県白根山麓の有名な温泉。当時は三月から十月にかけて開いた。梅毒に特効ありとした(『譚海』十四など)。『柳多留』二に「草津の湯とかく女房がふのみこみ」。■大福町-「大福帳」のもじり。以下、当座帳・判取帳・店賃帳などの帳簿のもじり。■地代屋敷-地代すなわち土地の賃貸借料をとる屋敷の意。ここは上から続き地名とする。「算盤橋」も、また縁語。■らつちもない-とりしまりのない。たわいない。■けしずみ-薪の燃えてまだ火力のある時に消したもの。炭として使用すれば、早く火が付き便利である。

※これと同じ趣向は、一九の『堀之内詣』(文化十年)にも見える。同じ趣向を再三使用するも、一九の癖。

                                                         

原文

弥「コレ手めへ、こげたやつがよかろふ

北「ドレドレ

ト口もとへあてがひ

アアツアアツアアツアアツアアツアアツアアツばあさん、アツアツアツアツとんだめにあはせたコレ団子に火がくつついて、アアぴりぴりする。

弥「ハハハハハハ手めへへあつたかなのがよかろふとおもつて、火のついていたのをやつたは

北「エエいめへましいペツペツ

弥「サアいかふ 婆さんおせわ

トちや代をおきここをいでてふじ沢のしゅくへはいると、両がはの茶や、口をそろへて

ちやや女「お休みなさいやアし。酔(よは)ないさけもござりやアす。ばりばりする強飯(こわめし)をあがりやアし

馬かた「だんな生(いき)た馬(むま)はどふだ。やすくなりませう。馬は達者(たつしや)だ。はねることはうけ合だ

かごかき「かごよしかの。だんな戻駕(もどりかご)だ。やすくいきましやう

弥「かごはいくらだ

駕「三百五十

弥「たかいたかい、百五十ならおれがかついでいかア

かご「百五十にまけますべい

弥「まけるかドレドレ此草鞋(わらじ)をそけへつけて下せへ

かご「おめへ乗るかへ。百五十でかつぐといわしやつたじやアないか。そんだんで片棒わしがかついで、百五十とるのだ

現代語訳

弥次「てめえ、こげたやつが好きだろう」

北八「どれどれ」

一口、あんぐり。おもわず、

「あつつつつ。婆さん、と、と、と、とんだ目にあわせた。団子にゃ火がくっついてらあ、ああ、ひりひりする」

弥次「はははは。手めえ冷(ひ)え性(しょう)だから、暖かなのがよかろうと、火のついたのをやったわ」

北八「糞いまいましい。ぺえっぺえっ」

弥次「さあ、出発用意だ。婆さん、お世話さま。茶代を置くよ」

藤沢の宿場に足をふみ入れると、両側の茶屋から口をそろえて、

茶屋女「お休みなさいよう。酔わない酒もござりやあす。ばりばりする強飯(こわめし)をおあがりくださいよ」

馬方「旦那、生きた馬はどうだ。安くやりやしょう。馬は達者だ。はねるこたあ、うけあいだ」

かごかき「駕はいらないかの、旦那。戻り篭だ。安く行きましょう」

弥次「駕はいくらだ」

かご「三百五十」

弥次「高い、高い。百と五十なら、おれさまでも、かついで行かあ」

かご「百五十にまけとこう」

弥次「まけるか。そんなら、この草鞋(えらじ)、そこへぶら下げな」

かご「おったまげた。おめえ、乗る気かえ。たった今、百五十で担ぐと言わっしゃったじゃないか。そんだで、片棒わしが担いで、わしの分にも、百五十別にいただきますぜ」

語句

■ちや代を置き-茶だけなら、一杯一文の風が長く残っていたが、ここは団子代も合せての支払い。■酔ないさけ-例の反対をいったり、わかりきったことをいう滑稽の方法である。■ばりばりする強飯-強飯はねばりのあるをよしとする。■戻駕-自分の宿へ帰る駕篭。馬の「かへり馬」と同じ。■百五十-百五十文でなら、乗り手とならないで、自分でかついでもよい値だの意。■そんだんで-それだから。■片棒-二人でかく駕籠の一方。駕籠かきは片棒だけでも、百五十文の収入という勘定。

                                                        

原文

弥「ハハハハこいつはいい。エイハそんなら二百(ジバ)か

かご「やすいがいきますべい、ナア棒組(ぼうぐみ)。サアめしませ

トかごのねができ、弥二郎兵へ、ここよりかごにのつて出かける

さきぼう「ぼうぐみや、旦那(だんな)はかたいぜ

あとぼう「しつかり、かまへていさしやるもんだんで

ト此内茶やのてい主かごかきのなをよびながら

てい主「ヲヲイヲヲイ梅沢(むめざわ)の佐渡(さど)やへ、ちよつくりそふいつてくんさい。此中(こんぢう)の新酒(しん)は、あんまり水(みづ)の交(まぜ)よふがすくない。今度(こんど)から酒(さけ)をちつと、交(まぜ)てよこしてくんさいと、いつてくんさいヨ。ソレ何かおちたア

かご「アイアイ

トかつぎだす

弥「コウ貴様(きさま)たちやア藤沢(ふぢさは)か。アノ宿(しゆく)も大分(だいぶ)きれいになつたの。問屋(といや)の太郎左衛門どのは達者(たつしや)かの

さきぼう「よくだんなさまはしつてござる 随分(ずいぶん)たつしやでゐられます

弥「孫七(まごしち)どのは、まだ勤(つと)めているかの

さき「アイサアだんなはなんでもあかるいもんだ

あとぼう「べらぼうめ、しつてゐやしやるはづだ。駕(かご)の内で道中記(だうちうき)を見ていさしやるはハハハハハ

ト此内はやくも馬入のわたしにつく 北八ここは何といふ川と人にとひしに 只わたしばと斗こたへけるを弥二郎ききて

現代語訳

弥次「はははは、これはおもしろい。まあ、しょうがねえ。そんなら二百か」

かご「安いが行きますべい。なあ、相棒よ。さあ、お乗んなせえ」

駕の値もまとまって、ここから弥次郎兵衛は駕に揺られて行く。

さきぼう「相棒や、旦那は担ぎにくいぜ」

あとぼう「落っこちねえように、身がまえが、大げさすぎるのさ」

そこへ、茶屋の亭主が、大声で駕かきを呼びたてた。

亭主「おうい。おうい。梅沢の佐渡屋へ、ついでに伝えてくれえ。この間からの新酒は、あんまり水の混ぜようが少ない。今度からは、酒をちょっぴり、水に割ってよこせと言ってくんなさいよう。それ、それ、それ。何か、落っこちたぞ」

かご「はい、はい。どっこいしょ」

駕はやっとのことで動き始める。

弥次「貴様たちは、藤沢の駕か。あの宿場も、だいぶきれいになったの。問屋場の太郎左衛門殿は達者かね」

さきぼう「旦那はよくご存じで。いたって健吾にお暮らしでがす」

弥次「孫七殿も、まだ勤めているかい」

さきぼう「さようで。旦那はまったく、なんでもくわしいもんだなあ」

あとぼう「べらぼうめ、御存じのはずだ。駕の中で道中記を見ていなさるわ。はははは」

駕に揺られて、早くも馬入(ばにゅう)の渡しに着く。北八がここはなんという川かと渡舟場の人にたずねても、ただ、渡しとしか言わないのを、弥次郎も耳にとめて、

語句

■二百(じば)-「二百文」の駕籠かきの隠語。■棒組-二人かきの相手の駕籠かきをいう。相棒。■かたいぜ-駕籠に乗った客の感じ。不慣れな客はぎこちなく乗るので、かき手もかきにくい。■しつかり-堅い姿勢で乗っておられるからの意。■梅沢(むめざわ)の佐渡(さど)や-大磯と小田原間の立場。『諸国道中記』に「梅ざわ、よき茶や有り、とまりも有り」、「佐渡や」はそこの酒屋とみえる。■ちよつくり-ちょっと。■此中の新酒-漢字のごとく「新酒」の略。先日送られた新酒。■さい-『物類称呼』に「助語・・・サイ関東」。「くんさい」は「くれ」の意。■貴様-ここでは、目下の者に親しみの呼びかけの二人称。■問屋(といや)-宿駅の役所である問屋場を主管する者。藤沢には問屋場が二カ所あったので二名。次に見える如く、道中記類には、各駅でその名を掲げる(『東海道宿村大概帳』など)。■太郎左衛門-この頃の道中記所見の藤沢の問屋は、「七郎衛門」「孫左衛門」。少し変えて、「太郎左衛門」「孫七」の二人と仮名(かりな)した。■さきぼう-先棒。駕篭の前方のかき手。後方を後棒という。■道中記-袖珍本の旅行案内で、ほとんど「道中記」の文字が書名に入る。宿駅名・里程・運賃・問屋本陣などの名・立場名所旧跡の案内、時に図入りもある。地域別または総合したものなど、さまざまのものが年ごとに出刊されていた。

※この道中記を読む趣向は、『諸道聴耳世間猿』(明和三年)巻四の二による。

■馬入-『諸国道中記』に「馬入舟わたし、武家の外舟ちん十文出る、此川さがみ川也。水上甲斐のさる橋より流るる也」。

びの-難所も関所も無事

次の章「初編 平塚より大磯へ

朗読・解説:左大臣光永

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