初編 平塚より大磯へ

原文

川(かは)の名(な)を問(と)へばわたしとばかりにて入(にう)が馬入(ばにう)の人のあいさつ

此川は、甲斐(かひ)の猿(さる)はしより流(なが)れおつるよし。やがてむかふにわたりたどり行程(ゆくほど)に、此(ここ)に白旗村(しらはたむら)といへるは、そのむかし、義経(よしつね)の首(くび)ここに飛来(とびきた)りたるをいはひこめて、白はたの宮(みや)といへる、今にありと聞て弥次郎兵へ

首ばかりとんだはなしの残(のこ)りけんほんのことかはしらはたの宮(みや)

それより大磯(おほいそ)にいたり、虎(とら)が石を見て北八よむ

此さとの虎は藪(やぶ)にも剛(かう)のものおもしの石となりし貞節(ていせつ)

弥次郎兵へとりあへず

去(さ)りながら石になるとは無分別(むふんべつ)ひとつ蓮(はちす)のうえにや乗(の)られぬ

斯打興(かくうちけう)じて大磯のまちを打過、

現代語訳

平塚より大磯へ

川の名を問えへばわたしとばかりにて入が馬入の人のあいさつ

この川は、甲斐の国は猿橋から水脈を引くそうな。向こう岸に渡り、てくてく歩いて行く途中に、白旗という村がある。昔、義経の首が、ここに飛んで来たのを、納め祭った白はたの宮の由緒から村の名がつけられている。その社が今も祭ってある、と聞いたので、弥次郎兵衛、

首ばかりとんだはなしの残りけりほんの事かはしらはたの宮

それから大磯に着いて、虎の石を見物して北八が詠む

此のあとの虎は藪にも剛のものおもしの石となりし貞節

弥次郎もとりあえず、一句を詠む

去りながら石になるとは無分別ひとつ蓮(はちす)のうへにや乗られぬ

やりとりおかしく、大磯の町を過ぎて行った。

語句

■入(にう)-「入我我入」(悟れば皆仏となる意の仏語。転じて区別がつかぬ、要を得ぬことの意)の地口で、よくわからない人の答えであったの歌意。■猿はし-山梨県北都留郡桂川にかかる日本三奇橋の一。■白旗村-『諸国道中記』に馬入渡しの次に「(此所十四五町前に)白はた村と云ふ有り、昔よしつね高だちにて、じがいし給ひ首を鎌倉へ送りしに、弁慶が首と義経が首と、二つの首夜の間に、此所へとび来りしを、よしつねの首を祠をたて、しらはた大明神とあがめ奉り、弁慶が首を塚につきこめしとて、今に塚有り、白はたの社を、今はかねこの宮と云ふ」。かかる道中記の記事の、括弧中の文章を無視して、使用したため、白はたの宮と馬入の渡しの道順が逆になっている。■とんだはなし-珍しい話の意に「飛んだ」をかけ、知らぬの意に「白はた」をかけた修辞。■大磯(おほいそ)-藤沢から平塚駅へ三里半、平塚から二十七丁で大磯(神奈川県中郡大磯町)の宿駅。■虎(とら)-曽我十郎の馴染みの遊女虎にちなんだ名。大磯延台寺にあり、男根形の石に七つの女陰を彫った陰陽石。『諸国道中記』に「此石よきおとこあぐれば上ル。あしき男上るには、すこしもあがらずと、たび人の口ずさみ也」。■剛(かう)のもの-「藪にも剛のもの」は、野夫中にも功のある者ある意の諺。この狂歌では、ただ上へは「虎に藪」と続き、香の物として下へは「おもし」に続くのみ。虎死して重い石となった貞節をたたえた歌。■去りながら-せっかく死んでも思う十郎と極楽の蓮座を分けることが重くてできまいと、ふざけた意。

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朗読・解説:左大臣光永

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