後編坤 由井より興津へ

原文

それより 由井川を打越(うちこへ)、倉沢(くらさは)といへる立場(たてば)へつく。爰(ここ)は鮑栄螺(あわびさざい)の名物(めいぶつ)にて 、蜑(あま)人すぐに海(うみ)より、取来りて商(あきな)ふ 爰にてしばらく足を休めて

爰もとに売(う)るさざゐの壺焼(つぼやき)や見どころおほき倉沢(くらさは)の宿(やど)

それより薩捶峠(さつたとうげ)を打越、たどり行ほどに、俄(にはか)に大雨(あめ)ふりいだしければ、半合羽(はんがつぱ)打被(かづ)き、笠(かさ)ふかくかたぶけて、名におふ田子(たご)の浦(うら)、清見(きよみ)が関(せき)の風景(ふうけい)も、ふりうづみて見る方もなく、砂道(すなみち)に踏越(ふみこし)し、足(あし)もおもげに、やうやく興津(おきづ)んも駅(えき)にいたり、爰(ここ)にあやしげなる茶店(ちやみせ)に立寄(たちより)

北八「ヲイばあさん、ソノきなこをつけた、団子(だんご)を弐三本くんなせへ

弥二「さてさて久(ひさ)しぶりでおめへの顔を見たは。いつもお達者(たつしや)でめでたい。ときに此子(このこ)は、ちつさな時見たよりかア大きくなつた。姉(あね)様は達者かの

ばば「わしは子どもはおざんない

弥二「そんなら孫(まご)か

ばば「インネ、子がなけりや孫もおざんない

弥二「ハテノおめへの孫でなけりやア、たしかどこかの孫であつた

ばば「インネ、馬子(まご)じやアおざんない。となりのかごやの子でおざるは

弥二「ハアそふか。コウあの子、団子(だんご)がふたつあまつた。ソレくいな

かごやの子「うらアやアだ

弥二「なぜいやだ

かごやこ「ナニ糠(のか)つけただんごはやアだ

弥二「ナンノぬかをつけたものか。コリヤきなこだ

ばば「インネ、わしがとこじやア、ぬかアつけてうり申

弥二「エエ、どふりでざらざらするとおもつた。ペツペツ、そんなら犬にやろふココココココ

犬「わんわん

弥二「ソリヤやるは、あんといへ

犬「あアん

弥二「アアおしいもんだ

トのこらず犬にやつてしまい、むねをわるくして、ここをたち出、たどり行に、猶あめはしきりにふりつづきて、いつこうしゃれもむだも、いでばこそ、ただとぼとぼと、あゆみなやみて、ほどなく、江尻のしゆくをうち過けるに、ここにて雨もはれければ

現代語訳

由井より興津へ

そこから、由井川を越えて、倉沢という立場へ着く。ここは鮑(あわび)や栄螺(さざえ)が名物で、海人(あま)がすぐに海から取って来て商売をする。ここにしばらく足を休めて、

爰もとに売(う)るさざゐの壺焼(つぼやき)や見どころおほき倉沢(くらさは)の宿(やど)

それから薩捶峠(さつたとうげ)を越え、辿って行くと、急に大雨が降り出したので、半合羽を打ち被(かぶ)り、笠を深く傾けて行くと、有名な田子の浦、清美の関の風景も、大雨に降られて埋もれ見る術(すべ)も無く、砂道に踏み入れ、足を重そうに引きづりながら、ようやく興津(おきづ)の駅に着いた。

興津より江尻へ

ここのみすぼらしい茶店に立ち寄り、

北八「おい、ばあさん。その黄粉をつけた団子を二、三本くんなせえ」

弥次「さてさて久しぶりでおめえの達者な顔を見たわ。いつもご老体ますますお達者でめでたいな。ときにこの子もちっちゃい時見たよりか大きくなった。例の姉様は元気かい」

ばば「わしは子供はないわいな」

弥次「そんなら孫か」

ばば「いんにゃ、子がなけりゃ孫は生まれねえ」

弥次「はての、おめえの孫でなけりゃあ、確かどこかの孫であった」

ばば「いんね、馬子じゃおざらない。隣の駕籠屋の子でおざるわい」

弥次「はあぁ、そうか。そこの子、団子が二つ余った。それを食いねえ」

かごやの子「おらあいやだ」

弥次「なぜ嫌だ」

かごやの子「糠(ぬか)あつけた団子は嫌だい」

弥次「なんの、糠(ぬか)をつけたもんか。こりゃ黄粉(きなこ)だ」

ばば「いんね、わしの所では糠につけて売り申す」

弥次「ええっ、どうりでざらざらすると思った。ペッペッ、そんなら犬にやろう。それ」

犬「わんわん」

弥次「そて、やろう。わんと言え」

犬「ああん」

弥次「ああん、おしいものだ」

と残らず犬にやってしまい、気分を悪くして、ここを立出、たどり行くが、猶、雨はしきりに降り続いて、一向に洒落も無駄も出てこず、ただとぼとぼと、歩み悩んで、間もなく、江尻の宿を過ぎたころからようやく雨は晴れてきた。

語句

■由井川-由比の宿を西へ出た所を流れる川。平常は橋。橋の無い時は川越し人足が出た(東海道宿村大概帳)。■倉沢(くらさは)-西倉沢村字薩捶の地、即ち峠の東麓に立場があった。■鮑栄螺(あわびさざい)の名物(めいぶつ)-『諸国道中記』に「さつた峠の下にて、あまどもあわびを取るなり」。享保の『東行話説』では、著者土御門泰邦は、ここの栄螺の風味を称し、蜑を雇って、あわびを取らせている。広重の隷書東海道「由井」に「ささいの壺焼」の店頭の図がある。■壺焼-栄螺の生を殻のままで、醤油をさして焼いたもの。■見どころ-「見どころ」は上から栄螺の身が多い、下は景色がよくて見物する所が多いで、倉沢の宿にかかる。■薩捶峠(さつたとうげ)-倉沢の立場と保良村の間の峠。東は上り十八丁、西は十二丁。海中から出現した地蔵薩捶を据えるよりの名。『諸国道中記』に「おやしらず子しらず、爰は右の方は山にて高く、左は大海也。海端一騎立の道にて、打よする波大きなり。道ゆく人さらに跡をかへり見るいとまなし。さてこそ親しらず子しらずとは名付たり。明暦元年乙のひつじ九月に、朝鮮国より使官来入せり。其ためにおやしらず子しらずの道をとどめて、さつた山をきりひらき給ひて、海道と成る也」。■半合羽-『守貞漫稿』に「半合羽の長短等、毎時羽折の長短に准ず。蓋し羽織より長ケ五分長を良とす。■清見が関-駿河国庵原郡浄見崎にあったという古関の歌枕。『大概帳』にも「清見寺門前内古清見関の由跡」とある。田子の浦、清見ケ関あたり東海第一の名勝地。■ふりうづみて-雪の大いに降って物を埋める意の歌語であるが、ここは雨の甚だしく降って、四方も見えずなることをいう。■興津-由比から二里十二丁の宿駅(静岡県清水市興津)。■あやしげなる-みすぼらしい。■きなこ-炒った大豆をひいて粉にしたもの。団子・餅・握り飯などをまぶすに用いる。■姉様-この子の姉にあたる子供をいう。■馬士-孫を馬士と聞き替え、その縁で駕籠屋を出した。■あの子-そこの子の意。呼びかけの語。■二つ-一本の串に四個さしたうちの二個。『東海道中膝栗毛輪講』で林若樹・三田村鳶魚の説あって、古い時代は一串に五個さしていたが、明和に四文銭ができた後、一本四個さして四分で売ったのが例になったという。■糠(のか)-「ぬか」の訛のつもり。■あゆみなやみて-苦労して歩み行きつつ。■江尻-興津より一里二丁の宿駅(今は清水市内)。

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朗読・解説:左大臣光永

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