後編坤 江尻より府中へ

原文

降(ふり)くらし富士(ふじ)の根(ね)ぶとをうちすぎて江尻(ゑじり)に雨(あめ)の薺(はれ)あがりたり

雨(あめ)やみたればおのづから、行かふ人の足もかろげに、からしり馬の、鈴(すず)の音もいさましくシャンシヤンシヤン

まごのうた「よんべナアしのんだらアエ、おさんどなア、まづいイ、あぜさねてゐた、がらいよなべの飯がすぎて、つつぶしたアアアへ エエこのほてつぱらア、またばりをこきやアがる。ついでにうらもやらかすべいシヤアシヤアシヤア

さきへゆく馬かたあとをふりかへり

「次郎ヤイ、にし(主)がおま(馬)ア、だがおまだ

あとから行馬士「コリヤア下町(したまち)のさか屋のおまよ。あしこ(彼所)のやろうめが、がいにづなくつかやアがつたんで、おまアゑづい(強)。きんによう(昨日)も、清水(しみづ)へ四(よ)くらいつてかへると、役があたつて、府中(ふちう)迄とつぱしらかしたア。駄(だ)ちんはみんな、うらが呑(のん)でしまつて、がらおまにくわせべいもなアなし、丁場(てうば)の背戸(せど)につなひでおいたら、雪隠(せつちん)のやによ(屋根)ヲ、がららみんなくらあアがつた

さきへ行馬かた「アノ酒(さか)屋のかかあめは、しよつぱ(塩辛)いやつよ。うらがあしこにゐる時分(じぶん)にやア、飯(めし)の中へすさをまぜて、くはしやアがつた。それにあんだがハア、うらを見ると、むせうに字(じ)を書ならへの、イヤ算盤(そろばん)をかぢれのと、いろいろな戯言(たはごと)をつきやアがつて、うらをあしこの、伴頭(ばんとう)に仕(し)よふといやアがつた。其手をくふものか。業(ごう)さらしなドウドウ

北八「まごどん、火をかしてくんなせへ

馬士「アイアイ おまい(御前)ちや(方)アおゑどだな。おゑど衆は気がづない。きんによう(昨日)うらが、府中(ふてう)から江尻(ゑじり)迄、三百でのせた旦那(だんな)が、おゑど衆でゑい旦那よ。長沼(ながぬま)までくると、其旦那がいふにやア、江尻まで三百じや安いから、酒手(さかて)を二百ましてやろふ。そんだい(其代)酒(さけ)は別に、こつちからかつて呑ませると、小吉田(こよしだ)の的場(まとば)で、たらふく酒を振廻(ふるまは)しやつた。それから又いはしやるにやア、コリヤ馬士(まご)、にしやア一日、おま(うま)を引てあゆんで草臥(くたびれ)たろふ。是からうらがおりて、、にしを此おまにのせよふといわつしやる。コリヤハア、あんたるこんだ。うら(我等)ア乗(のる)こたアやアだといつても、きかない旦那よ。ぜつぴうらにのれとつて、そんだい乗賃(のりちん)を二百やろふと、梅の木の立場(たてば)から、とうどううらをぼいのせて、江尻へくると、おきつ迄おまア取のだが、草臥たろふから、おまアとつたぶんで、駄賃(だちん)はやろふと、又二百下さつた。あんなゑい旦那(だんな)は、めつたにやアないもんだ

トはなしの内、此馬にのつているたび人。馬のうへにてそらいびきをかく                   

現代語訳

江尻より府中へ

降(ふり)くらし富士(ふじ)の根(ね)ぶとをうちすぎて江尻(ゑじり)に雨(あめ)の薺(はれ)あがりたり

雨が止んだので、心なしか行き交う人の足も軽やかに荷無しの駄馬の鈴の音もいさましくしゃんしゃんしゃん

まごのうた「昨夜(よんべ)なあ、忍んだらあえ、おさんどなあ、まずいい、あざさねていた。がらいよなべの飯(めし)がすぎて、つっぷしたあああ、ええ。・・・ええいっ、この布袋馬(ほていうま)、また立小便をまりやがる。ついでにおいらあもやらかすべい」

しゃあしゃあしゃあ、という音に先へ行く馬方が後をふり返り、

「次郎やあい、主(ぬし)が馬は誰が馬だあ」

後から行く馬士「こりゃああ、下町の酒屋の馬よ。あしこの野郎めが、むやみにこき使ったもんで、馬は強いよ。昨日も清水へ四往復の荒仕事さ。かえってみるとまたまた荷役がついて、府中までぶっ飛ばしたあ。っへい、駄賃は皆、おらあが飲んだんで、お馬はまったく食物がねえ。溜り場の裏に繋いでおいたら、雪隠の屋根藁を、みんな食らいやがった」

先へ行く馬方「あの酒屋の嬶(かかあ)めは、勘定高い奴よ。おらあがあしこに住み込んでいた時分にゃあ、飯の中にすさを混ぜて食わせやがった。それになんだかはあ、おらあを見ると、しきりに字を書き習えの、いや算盤を少しやってみよのと、いろいろな戯言を言いやがって、おらあをあしこの番頭にしようと言いやがった。その手をくうものか。そんな事になれば恥さらしだ。どうどう」

北八「馬士どん、火を貸してくんねえ」

馬士「あいあい、どうぞ。お前たちはお江戸だな。さすがにお江戸衆は気前がいいわい。昨日、おらが、府中から江尻まで、三百で乗せた旦那が、同じお江戸衆で気前のいい旦那よ。長沼まで来ると、その旦那が言うにやあ、江尻まで三百じゃ安いから、酒手は別に二百割増してやろう。もちろん、現物の酒は別に、こっちから買って飲ませると、小吉田の的場で腹一杯酒をふるまわしやった。それから又言わっしゃるにやあ、こりゃ、馬士どん、主やぁ一日、馬を引いて歩いて草臥(くたび)れたろう。これからは俺(おら)が下(お)りて主(にし)をこの馬に乗せようと言わっしゃる。こりゃはあ、なんたるこんだ。おらあ乗るこたあ嫌だと言っても、聞かない旦那よ。是非、おらあに乗れと言って、乗賃を二百やろうと、梅の木の立場からとうとうおら(俺)を無理に乗せて、江尻まで来ると旦那がさ、興津まで馬を雇いたいが、おめえ乗り草臥れたろうから、このままお前の馬を雇ったつもりで、駄賃はやろうと、又二百くださった。あんなに気前のええ旦那はめったにはねえもんだ」

と話しているうちに、この馬に乗っている旅人は、馬の上でごうごうと狸寝入りの鼾をかく。

語句

■からしり馬-「空尻馬」。荷無しの駄馬。■まづい-『物類呼称』に「あぢなし(食物の味ひうすき也)・・・東国にて、まづいと云ふ」を、現在の「うまくいかない」意のまずいと同じ意に使用。■よなべ-夜仕事の意を、夜食に転じて使用。■つつぷした-そのまま倒れ寝た。この馬士唄(一九作なるべし)の意、昨夜おさんどんの所へ忍んで行ったが、うまくいかなかった。何でぐっすり寝ていたんだろう。夕食の飯をひどく食べ過ぎ、そのままずっこけ寝入ってしまったと。■ほてつぱら-大きい腹の意で、馬を罵る語。■ばり-小便の卑語。■下町-江尻宿の町名。脇本陣などあった。(大概帳)。■さか屋-酒屋。運送用の馬を持っていた所もあったか。■がいにづなくつかやアがつたんで-ひどくこのうえもなく手荒く使ったので。■ゑづい-気が荒くなって恐ろしい意。■清水-南方の清水港。駿河国有渡郡(清水市)。■役-課役。宿駅の助郷のことで、宿駅の人馬不足の時、所定の助郷村に課して徴発した。■府中-駿府(静岡市)。江尻から二里二十九丁の宿駅。幕府直轄地。■とつぱしらかした-突っ走らせた。■駄ちんは~-運賃は、皆自分が酒を飲んで。■がら-がらら。全く。■丁場-人夫などの受け持ち区域をいうが、ここはそこでの溜り場。■背戸(せど)-裏庭。■やによ-藁葺であったので、その屋根の藁のこと。■しよつぱい-勘定高い。けちな。■すさ-藁を細かに切ったもの。壁土に入れたり、混ぜ物をして馬の飼料とする。■むせうに-しきりに。■かぢれ-少しやってみよ。■戯言(たはごと)をつき-ふざけたことを吐く。■伴頭(ばんとう)-番頭に同じ。商店の使用人の最上位で、主人の代理もして、一店を切りまわす者。この馬士は酒屋の主婦に認められたのが気に食わぬ滑稽。諺に「船頭馬方お乳の人」という。■其手をくふものか-そんな奸策にはまるものか。■業さらしな-そんなことになれば「恥さらし」なことだの意。■気がづない-気前がいい。気持が大きくてさっぱりしている。■そんだい-意味不明。もちろん、むろんという意か。■長沼-府中から江尻へニ三十丁の所。南長沼村は有渡郡、北長沼村は安倍郡。■酒手-労働者などを雇った時、代金以外に出す心付けの金の称。労をねぎらい一杯飲めの意で言う。■小吉田の的場(まとば)-府中から一里三十丁程来た所。有渡郡内。天明六年(1786)の『両道中懐宝図鑑』に「小吉田村まとばともいふ、立ば、酒屋有り」。酒を振る舞う話を出した。■たらふく-腹一杯。十分に。■ぜつぴ-「是非」の訛。■振廻(ふるまは)し-おごる。馳走する。■梅の木-この地名も無く、小吉田から江尻までの間、立場はない。何かの間違いであろう。■ぼいのせて-無理に乗せて。■おまア取-馬を求める。

※この馬士の話、江島其磧の『御伽名題紙衣』(元文三年)五の二に「傾城の起請と駕籠昇の昨日の旦那殿咄は、高が嘘でござる」とあり、『世間手代気質』(享保十五年)二の二に、旦那のほうが昨日乗った駕篭の話をする条を、馬子に変えて、逆・順両方に利用した。

■そらいびきをかく-寝た振りをした。    

原文

「ゴウゴウゴウ

馬士「ヲイ旦那あぶない、目をさましなさろ

たび人おこされて目をひらき

「馬が埒(らち)があかぬから、ねぶけがでた。きのふ三嶋(みしま)から乗(のつ)た馬は、よい馬であつた。そして馬士(かた)がとんだ気のよい男よ。三嶋から沼津へ百五十で、ねをして乗た所が、馬子(まご)がいふには、旦那はこんな、はやい馬に乗て、今に落(おち)よふか、イヤめつたに、いねぶりもならぬなどと、心遣ひして居(ゐ)さしやるだろふ。それがきのどくだから、駄賃(だちん)はモウもらいますまいといいおる。それから三まいばしへくると、旦那は馬のくらで腰(こし)がいたみませう。ちとおりてお休なさい。酒でもあがるなら、酒手はこつちからあげませふと、馬かたのほうから、百五十くれて、沼津(ぬかづ)へくると、さきのしゆくまで、おくつて上たいが、わしが馬ははねますから、外に馬を取て乗ていかしやれ。駄ちんはわしが、進ぜませうと、又百五十ただくれた。あんな気のよい、馬子もないもんだ

トはなしの内、此馬を引馬かた、あるきながら

「ゴウゴウゴウムニヤムニヤ

此はなしに弥次郎北八も大きにけうに入、あゆむともなしに、府中のしゅくにつく。

現代語訳

「ごうごうごう」

馬士「旦那危ないよ。目を開けなさろ」

旅人起されて目を覚まし

「馬がのろくて、眠気がさしたよ。昨日三島から乗った馬はよい馬であった。そのうえに馬士がとんでもねえ気持のいい男よ。三島から沼津へ百五十文でやってもらったところが、馬子が言うには、旦那はこんなに早い馬に乗って、おおかた内心では、今に落っことされるぞ、めったに居眠りなどされないぞと、心配しておいでであろう。それが気の毒だから、もう駄賃はもらいますまいと言いおる。それから沼津の三枚橋へ来ると、旦那は馬の鞍で腰が痛みましょう。ちと降りてお休みなさい。酒でもあがるなら、酒代はこっちからあげましょうと、馬方の方から、百五十文くれて、沼津へ来ると、先の宿まで、送ってあげたいが、わしが馬は跳ねますから、他に馬を雇って乗っていかっしゃれ。駄賃はわしが、進呈しましょうと、又百五十文くれたわい。あんな気のいい馬士はいないもんだ。

と話をしているうち、この馬を引いている馬方は、歩きながら

「ごうごうごうごうむにゃむにゃむにゃ」

この話に弥次郎北八も面白くて、歩みも軽く、府中の宿に着く。

語句

■埒があかぬ-足がおそく、道がはかどらない。■三嶋-沼津宿の東寄りの入口にある町。早い頃の『道中記』には、ここから江尻へ船便が出るとする。■三まいばし-現在、沼津市三枚橋町。■馬-馬を求めて。■けうに入-面白がって。■府中-駿府(静岡市)。江尻から二里二十九丁の宿駅。 幕府直轄地。

                                                    

次の章「後編坤 府中より鞠子へ

朗読・解説:左大臣光永

【古典・歴史】メールマガジンはこちら