後編坤 府中より鞠子へ
原文
先伝馬町に宿をかりて、それより弥二郎がしるべのかたへたづね行。ここに金子のさいかくととのひ 大きにいさみ出してやどへかへり、なんでもこよひは、かねてききおよびし、あべ川丁へしけこまんと、きた八もろとも、其したくをして、やどのていしゆをまねき
弥二「モシ御ていしゆわつちらア是から、二丁町とやらへ見物にいきてへもんだが、どつちのほうだね
てい主「安部川の方でござります
北八「遠いかね
ていしゆ「爰から廿四五町ばかしもあります。なんなら馬でも、雇てあげましやうか
北八「こいつはいい
弥二「から尻にのって、女郎買もおもしろい、おもしろい。頓(やが)て爰(ここ)より壳尻(からしり)馬に打乗(のり)、ゆくほどに、かの安倍川町といへるは、あべ川弥勒の手前にて、通筋(とふりすじ)よりすこし引こみて大門あり。爰にて馬をおり、廓(くるは)に入て見るに両側に軒をならべて、ひきたつるすががきの音賑(にぎは)しく、見せつきのおもむきは、東都(とうと)の吉原町におほよそ似たり。客とおぼしきが黒き木綿に紋のつきたる羽織などきて、手拭のさきを結ばずしてかぶり、おくり行茶屋の女は、焼杉の駒下駄を引きずり、客人の神と見へしは、おほくは股引草鞋(ももひきわらじ)にて、いづれも祖父(ぢんぢ)ばしよりなり。そそりてやいに前垂(まへだれ)がけの競(きをひ)あれば、棒のさきにもつこうなどくくりつけて、かつぎあるくひやかしあり。
行かふ男女は、開帳参の人のごとく、更(さら)に風俗(ふうぞく)定まらず、又繁昌(はんじやう)は言斗なし。
向ふよりくるは地まはりと見へて、かたのしまがら、かはりたるどてらをきて、山だしのひくき角下駄に、竹のかはのはなをすげたるをはき、さらしのてぬぐひを、ゐくびにかぶり、、往来の人に行あたりて
「あんだイ、コノおんぢいはまなこをはだけてとをりやアがれ。アゼおれにぶつつかつた
あとからくる地廻り「ヤイ市(いつち)イ、あんとしたそいつ、へこたらしてやらずい
これはへこませるといふがごとし
さきのあいて「くらがりでツイ、がらら行合ました。かんになさい
ト行過る。それより此てやいかうしさきをのぞき
地廻「アノ壁のきしにゐる女のつらは、浅(せん)間さまの天(あま)の面(めん)のよふだ。アリヤ立(たつ)て行(いか)ア。せいのみじかい女郎だ。梶原の馬がくつた、笹葉(ささつぱ)を見るよふに、半分しか育(そだた)ないは
現代語訳
府中より鞠子へ
先に伝馬町に宿を借りて、それより弥二郎の知合いの方を訪ねて行く。ここに路銀調達の目途もたち、勇んで宿に帰り、何でも今宵は、かねてから噂に聞いていた安倍川町へしけこもうと、北八ともども、その支度をして、宿の亭主を招き、
弥次「もし御亭主わっちらあこれから、二丁町とやらへ見物に行きてえもんだが、どっちの方だね」
亭主「安倍川の方でござります」
北八「遠いかね」
亭主「ここから二十四、五丁ほどもありますが、なんなら馬でも雇ってあげましょうか」
北八「こいつはいい」
弥次「から尻に乗って女郎買いも面白い。やがて、ここから、から尻馬に乗って進んで行くと、かの安部川町といわれる色町は、安部川弥勒の手前にあり、街並みの通りから少し引っ込んで大門がある。そのかたわらで下馬して廓内に一歩入ると、とりどりの店が両側に軒を並べていて、遊女顔見世の合図の清掻(すががき)を、三味の音も賑やかにかき鳴らしている。各々の張店の様子は、東都の吉原町におおよそ似せてある。客と思しき人物たちが、黒紋付きの羽織などを着て、手拭の先を結ばずに被り、客を案内する引き手茶屋の女は焼杉の駒下駄を引きずり、幇問(たいこもち)らしい男たちは、多くは股引の草履で、いずれも裾を腰にからげた祖父(ぢんぢ)ばしょりである。ひやかし連のなかには商人風の前垂れかけの意さみ肌もあれば、棒先にもっこなどをくくりつけて、担いで、冷やかして歩く者もいる。
行き交う男女は、御開帳参詣の人に似て、ひときわ雑多な風で、地方に似合わないかなりの繁盛ぶりである。
向こうから肩をいからせて来るのは地廻りのやくざ者と見えて、肩あての縞柄の、ひどく派手などてらを着て、すり減って不細工な角下駄に、竹皮の鼻緒をすげたものを引っ掛けて、晒(さらし)の手拭を、あみだにかぶり、わざと往来の人にぶつかる。
「おっと、なんだい、このおん爺は。ちゃんと目を開けて歩きやがれ。なんで俺様にふつかった」
後から来る地廻り「おい、市よ、何とした。そいつをひとつ懲らしめてやろうか」
先の相手「すんません。暗がりでつい、あっという間にぶつかりました。堪忍してください」
と言いながら行き過ぎる。それからこの連中は格子先を覗いて
地廻「あの壁の傍にいる女の面(つら)は、浅間(せんげん)神楽の面のようだ。ありゃ、立って行く。寸づまりな女だなぁ。梶原の馬が食った笹の葉を見るように、半分しか育っていないわい」
語句
■伝馬町-宿の東側で、上下二町(今も伝馬町)に分れ、問屋、本陣をはじめ旅籠屋も密集した中心地。
■しるべのかたへたづね行-一九の親元がkの府中にあったことを利用して、かかることに作ったのであろう。■金子のさいかくととのひ-金の工面をした。■あべ川丁-駿府で公許の遊郭のあった町(今は安倍町)。次に説明あるごとく、二丁あったので二丁町ともいう。宿の西側に当る。■しけこまんと-遊所や密会に行くことに使用する。■二丁町-安倍川遊郭の別名。■安倍川-府中の西側を流れる大河。甲斐の白根に発し、二流が街道で一本となる。幅大概三百六十間程(東海道宿村大概帳)。■から尻-荷無しの駄馬に旅人の乗るをいう。■あべ川弥勒-安倍川東岸の町名(大概帳)。新通り十丁目より先を安倍川町といい、その少し先を弥勒という。■通り筋-東海道の本通りからはずれて。■大門-廓の総門。■すががき-ここは、遊郭で夕方見世を開いた時に弾く見せすががきのこと。歌がなく簡単な三味線の手だけを繰返し弾く。普通、第二・三弦を一緒に弾くのと、第三弦をすくうことを交互にした。吉原の習慣であるが、二丁町にも共通の点があったとみえる。■見せつき-見世の構えや見世を張っている様子。■黒き木綿に紋のつきたる-『色道大鏡』に小袖に紋所をつけたり、黒の羽織を着るを嫖客(ひょうきゃく:遊里にうかれ遊ぶ者のこと)の心得とする。ここも田舎じみているが古式の残っているさまを示す。■手拭-手拭の頬被りも古風に忍ぶ体。■茶屋-引手茶屋。嫖客を遊女屋へ案内する業者。■駒下駄-歯の部分をくりぬいて製した下駄。男女用共にあり、日和下駄とする。焼杉・桐・塗りなど細部の製はさまざま。■客人の神-太鼓持・幇間・末社(とりまき)を「客人の神」という。大尽を大神に見立てて、それを取り巻く者を末社といった。■股引草鞋(ももひきわらじ)-股引と草鞋をはく。これも田舎出らしい。■祖父(ぢんぢ)ばしより-着物の背縫いの部分を、裾に至らぬところで、つまみ上げて、帯に挟む、尻からげの一風。■そそり-遊里を冷やかして歩く連中。「そそる」はふざける、騒ぐ、ひやかすなどの意。■前垂(まへだれ)がけの競(きをひ)-前垂れをかけた勇み肌。「競」は、勇み肌の人、侠客風の人をいう。江戸ならば鳶の者などは半纏着であるが、ここは田舎だから前垂れかけである。■もつこう-縄や筵などをもって製した、天秤棒などにかけて物を運ぶ具。仕事帰りの姿で、廓をひやかす体。■開帳参-春秋の好機に、諸地方の社寺の本尊神体や宝物を、その社寺や人手の多い所へ移して拝観せしめるを開帳と言い、拝観を開帳参りという。貴賤老若男女さまざまで雑踏した。■言斗なし-いうばかりなし。甚だしい。■地まはり-その土地を勢力範囲とした、やくざ的な連中。■かたのしまがら-肩入(衣類の肩の部分に、身の部分と違った布を使用すること)に、違った縞柄を当てた褞袍(どてら)(広袖でやや長大の綿入れ着物。帯をせず、着物の上にかけたり、下賤の者は着物の代わりにもする)。■山だしのひくき角下駄-山下駄。『守貞漫稿』に「昔の下駄は山樵等、之を製して江戸等に出す。故に山下駄と名す」。古風な下駄である。■ゐくび-頭の後方、首にかけてかぶるさま。■まなこをはだけて-目を見開いて。■へこたらして-『物類呼称』に「居(すは)るといふ事を・・・但馬にて、へこたれると云ふ」。坐り込ませてやろうや。■へこませる-屈服させる。やり込める。■かうしさき-格子先。女郎が張店をしている格子の前。■きし-傍ら。■浅間さま-府中賤機(しずはた)山にある駿河一の宮の浅間(せんげん)神社。富士の本宮を移して新宮とも(『駿河小志』など)。■天の面-二月二十日の祭日の舞楽に出る安摩(あま)の面。安摩は唐部古楽舞曲の一で紗陀調。面は「厚き白紙の、堅長にして方なるをもって製す。墨もて鼻口を画き、目の所には、三隈形のものを画きて、其中を切ぬく也。上に緒を施してこれを結ぶ」(歌儛品目)。一見滑稽。醜女を見立てた。■梶原の馬が~-『諸国道中記』に府中の東、狐崎の条、梶原一族の滅亡を述べ、「岩のおもてにかぢはらが乗りたる馬のあしがた有り。又馬のくひたる笹なりとて、今にささ半分づつくひ切りたるごとくに生じてあり」。
原文
今ひとりのぢまはり「ここの内の着物は、みんな七間町(しちけんてう)の硯(すずり)ぶたのよふだナア
このかぢはらの馬がくつたささのはといふは、きつねがさきのかぢはら堂の故事也 又七間町のすずりぶたといふは、きじろいろに、、あぶらゑのかいてある、するがざいくのすずりぶたの事也。きもののもよふをあぶらゑに見たててのしゃれなるべし
弥二「ナントどこぞへあがろふか
北八「まちなよ。たしかにここは壱分と、拾匁と、弐朱だげな。壁(かべ)のほうにしよふ。大かた拾匁だろふ。むかふの暖簾(のれん)はなんだ。しなの屋、こちらがてうじや、ここが大和屋だな。しかしどふしてあがるのだか勝手がしれねへ
トかうしさきをうろついている内、客人ひとり、あがるを見すまして
きた八「よしよしサアここにしやせう。矢次さん見たてねへ
弥二「ヲットきまつた。サアあがろふ
トつれだちてずつとのれんのうちへはいると、
わかいもの「コレハよくお出でなさいました。先うへへ
ト二かいへあんないする。二人は見立てた女郎をちうもんすると、すぐに其へやへつれて行。あたりを見れば、とこのまに琴もあり、花もいけてあり、すべて吉原小みせのへやもちのごとし。ここは酒代べつにかかるとみへ、
わかいもの「御酒はどふいたしませう
北八「酒も出してくんな
わかい「ハイハイとつて上ませう
ト此内弥二郎があいかた、名は小ざさの、うへだの小そで、しまじゆすのおび、そらいろちりめんのうちかけ、北八があいかたいさ川しまちりめんに、きんもふるのおび、くろちりめんの打かけ、いづれもみな、もみうらなり。座につくと、きじろいろのたばこぼんをひかへて
小ざさの「よくおざいました
いさ川「エエ見たくでもない アノがきやアまだ、たぼこもいれないヤア。小さめヤア小さめヤア
弥二「サアおめへがた、もつとこつちへよんなせへ。わけへしゆ、さけをはやく
現代語訳
今一人の地廻り「この家の着物は、皆、七間町の硯蓋(すずりぶた)のようだなあ」
この梶原景時(かげとき)の名馬摺墨(するすみ)が食った笹の葉というのは、狐ケ崎の梶原堂の故事である。又七間町の硯ぶたというのは、木地蝋色(きじろいろ)塗りに、油絵の画いてある、駿河細工の硯蓋の事である。着物の模様を油絵に見立てての洒落であろう。七間町にはその漆器を売る店がかたまっている。
弥次「どこぞへあがろうか」
北八「待ちなよ。確かにここの揚代は一分と、十匁と、二朱だそうな。壁ぎわのあれにしよう。おおかた十匁てえとこだろう。向こうの家の暖簾は何屋ってえんだ。信濃屋、こちらが丁子屋、ここが大和屋だな。しかしどうして上がるかここの勝手がわからねえ」
と格子先をうろついているうちに、客人が一人、上がる様子を見て得心し
北八「よしよし、さあ、ここにしやしょう。弥次さん、お前も女を見立てねえ」
弥次「おっと決まった。さあ、上ろう」
と連れだって、ずいと暖簾の内へ入ると
若い者「これはよくお出でなさいました。先に上へどうぞ」
と二階へ案内する。二人は見立てておいた女郎を注文すると、その男は、すぐに其の女たちの部屋へ連れて行く。女の部屋の有様を見ると、床の間には琴が立てかけてあり、花も活けてある。すべて吉原小見世の部屋のようである。ここは酒代は別にかかるとみえて
若い者「御酒はどういたしましょう」
北八「酒もだしてくんな」
若い者「はいはい仕出し茶屋に申しつけるでございます」
とそのうちに、弥次郎の相方(あいかた)が目見えに来た。源氏名は小ざさの、上田縞の小袖、縞じゅすの帯、空色縮緬(ちりめん)の打掛(うちかけ)、北八が相方のいさ川は縞縮緬に、金もおるの帯、黒縮緬の打掛で、何れもみな、紅絹裏(もみうら)なのでひときわぱっと目につく。二人は座に着くと黄白色の煙草盆を脇の方にのけてから
小ざさの「よくおいでくださいました」
いさ川「あらまあ、みっともない。あの餓鬼やぁまだ、お煙草の火も用意してないね、小さめやあ、小さめやあ」
弥次「さあ、おめえさんがた 、もっとこっちへ寄んなせえ。若い衆、酒を早くな」
語句
■七間町-府中の町名で、名産の漆器を販売していた。■硯ぶた-酒席で口取肴などをのせて出す、方形の盆のごとき具。漆器が多い。■かぢはら堂-『東海道名曽図絵』に、狐崎梶原山、笹の葉を述べて、「山下に竜泉寺といふ毘沙門堂あり。ここに梶原が像七人の牌あり」。■きじろいろ-木地蝋色。木地の上に漆をかけ、とぎ出して木地の出た蝋色で艶のあるようにしたもの。■あぶらゑ-密陀絵。その漆の上に、油と密陀僧(一酸化鉛)を混じた、朱・黄・緑などの顔料で粗画を描いたもの。■壱分-「壱分」は一両の四分の一。「拾匁」は銀六十匁が一両の相場では、一両の六分の一。「弐朱」は一両の八分の一。天保近くなると、この廓の揚代は十五匁からいろいろという(かくれさと雑考)。■しなの屋-『安部川の流れ』(文化十年序)所収の図に、大門を入れて第一の辻、右手に「信のや」、その斜め向いに「丁子や」がある。「大和屋」も共に実在の名。■見たてねへ-見立てなさい。見世に出ている女郎から希望する相方を選ぶこと。■わかいもの-若者。ここは女郎屋で、客の世話をする男衆。■小みせ-『守貞漫稿』に「(江戸の公娼街吉原)仲の町張り、呼出し女郎(昼夜三分以上の女郎)一人も之無し、一分女郎以下者のみ抱へ置きたるを、大町小見世と云ふ。だいてうこみせと訓ず。又一分女郎もなく、或はありても唯一人ばかりにて、二朱女郎がちなるを小見世とのみ云ふ」。■へやもち-二部屋を与えられた座敷持に対し、一部屋のみ自分用に与えられた女郎。■うへだ-上田縞。『万金産業袋』に「そのむかし信州上田より出たるは、たて横紬にて至極つよし。俗に表一ツに裏三ツを取かゆるとて、三うら島といふtか。しかれども今は曾て出ず。間にたまたま出ても大ぶん次なり。今上田といふは、相州八王子あるひは青梅村などよりいづる。是も地は紬にてつよしといへども、本植田よりはつぎなり。紺じまを上としちや島を次とす。もやういろいろ、上がたにては代官じまともいふ」。■しまじゆす-縞模様を織り出した繻子(面に光沢あってなめらかさを特色とする)。■そらいろ-薄青くはれやかな色。■ちりめん-縮緬(ちりめん)。撚りの無い生糸に、横に強く撚った糸をもって平織にしたもの。縮んだ表面をもつのが特色。■うちかけ-女性の礼式の衣服。■はなやかに小袖より広く長く製し、小袖の上にかけて着る。■さんもふる-『守貞漫稿』に「もうるも蕃国の名、銀もうる、金もうる等、・・・白地に金筋銀筋の横縞也。地は低く横筋金銀糸の処高し。昔日婦女の帯に用いたるよし」。■もみうらなり-紅絹裏(もみうら)。紅絹にて裏をつけてあること。■見たくでもない-見たくもない。すかない。■がき-小児を罵る語。ここは禿(かむろ)をいう。■たぼこ-「煙草」の訛。
原文
わかいもの「かしこまりました只今
トいいすてて行 ほどなくさかづきだいでてうしすずりぶたをもち出、おさだまりのさかづきも、それぞれにすんでいまい
弥二「わけへしゆ、ひとつのみな
わかいもの「ハイ
弥二「ソレさかな
トなんりやう一ツはづむ
わかいもの「是はハイ
トいただいてたつてゆく、入かはりてかふろ、小さめ、かけてきたり
かふろ「アノヤ今吉野屋から、磯次(いそじ)さんがおざいまして、おまいに用がありますから、ちよつくりきさしやしととさヤア
いさ川「今いかづに
小ざさの「ハレ小雨やア久野(くの)の仙(せん)さんはおざつたか
小さめ「インネ
小ざさの「ばあチヤ、おらやだヤア、こんぢうから、いかずいかずといつてよこして、がいに人をつるくるヤア
北八「コウおめへがたア、もつとこつちへよつて、一ツ呑みませへ
いさ川「アイまあおまいちあがりまし
此内わかいもの二人と、やりてがつれだち八寸のうへになにか、ぢうばこをきけて、もちいで
やりて「ただ今は有がたふおざります
わかいもの「わたくし金太と申ます。是は権(ごん)右衛門、已後(いご)はおたのみ申ます
トていねいにれいをいつてたつ
弥二「ハハア爰では花もひつぱりにもらう極とみへた。若者に金太権右衛門といふ名もめづらしい
北八「コノ重箱はなんだ。ハハアあべ川の五文どりか。是が二朱のかへし、紀(き)の字やの台(だい)といふもんだのハハハハハ
ト此内らう下何かさはがしく、大ぜいのこへにて、すむのすまぬのとわめきて、となりざしきへみなみなはいる
現代語訳
若い者「かしこまりました。ただ今」
と言って引き下がる。ほどなく盃台・銚子・硯蓋を運んで来て、遊里風に三々九度の盃事も、それぞれに済んでしまい
弥次「若(わけ)え衆、おめえもひとつ飲みなせえ」
若い者「はい。お引きたて下さって、ありがとうごぜえます」
弥次「それ、肴にこれを」
と南錂銀を一枚ぽいと祝儀にはずむ。
若い者「是は、結構なお肴、はい」
とおしいただいて、引きこんでしまう。入れ替りに禿(かむろ)の小さめが駈けてきて、
かむろ「ねえぇ、今吉野屋から磯次さんがおざいまして、お前様に用があるから、ちょっと来さっしゃいましとさ」
いさ川「今行きますに」
小ざさの「はんれ、小さめやあああ。久野の仙さんはお見えになったか」
小さめ「いんねえ」
小ざさの「あれまあ、俺(おら)あ嫌(や)だあ。この前から行く、行くと言って人をよこしといて、えろう人の心を吊りおるなあ」
北八「これ、お前(めえ)がたあ、もっとこっちへ寄って、一つ呑みなせえ
いさ川「あい、お客さん方たんとあがりませ」
そのうちに若い者二人とやり手の仲居が連れだって、八寸膳の上に、何か重箱のような物をのせて、持って来て
やり手「ただ今は有難うございました」
若い者「私は金太と申します。これは権右衛門、以後お頼み申します」
と丁寧に礼を言って、そのまま引きあげる。
弥次「ははあ、ここでは花代も帰り際にもらう規定らしいぜ。遊女屋の若者に金太、権右衛門という名も珍しい」
北八「この重箱は何だ。ははあ、わかった。五文均一の安倍川餅よ。これが祝儀へのお返しか。吉原風にいやあ紀の字屋の特別料理てえもんだろう。笑わせるぜ。はははははは」
この時、廊下が騒がしくなって、大勢の声がして、済むの済まぬのと喚(わめ)きちらして、隣座敷へ皆々が入ってきた。
語句
■さかづきだい-盃(ちょくではなく、漆器)をのせる中央は空で四方形の台。■てうし-銚子。酒を入れて注ぐ茶碗形の漆器。■おさだまりのさかづき-女郎を初めて揚げた時は、婚礼を模した略式の盃事をする。■なんりやう-南錂。良質の銀の意。安永元年(1772)から鋳た二朱の銀貨幣。寛政十二年(1780)・文政七年(1824)と鋳造があった。■かふろ-禿(かむろ)。廓で女郎について、雑用をする少女。■ちよつくり-ちょっと。■今いかずに- 「ず」は尾参・遠駿・甲信の諸国で、言葉の末につく助語(物類呼称)。「行きますに」。■久野の仙さん-府中の東南久能山あたりの地。そこから来る嫖客の名。■ばあチヤ-驚いた時などに発するこの地の方言として使用。これはまた。あれまあ。■がいに-ひどく。■つるくる-静岡県の方言で、「吊るす」こと。ここは転じて、中途半端にしておくとか、だますとかの意に使用。■やりて-廓で年配の女で、女郎達を管理したり、客の応対を取り仕切ったりする者。■八寸-八寸四方の折敷。角を切り、足を付けた、膳ようのものもある。■ぢうばこ-方形の箱を重ねて、最上に蓋がある漆器。食物をさまざま入れるもの。■きけて-諸翻刻「さけて」とするが、底本かすかながら「き」と読める。『俚言集覧』に「俗にアゲオク(上置)をキケルといふ。オキノキを活用したる言んるべし」。一九作『滑稽吉原談語』に「たかあしのちやだいに、にしきでのちやわんをきけて」。■花-廓で客が、揚代など定めの金意外に、女郎・太鼓持や女郎屋の人々に与える金品。心付け。■ひつぱり-歌舞伎で舞台上の人物が一緒に見得を切るを引っ張りという。もらった花を、関係者一同で分つことを、この語で示した。■極-きまり。定め。■五文取-「げんこ」どり。一つ五文の餅。安倍川の餅については、後出。所の名物をニ朱の花の礼に出したのである。■紀の字や-これを吉原でいえば紀の字やの台に当るの意。『吉原大全』に「享保のすゑ、中の丁に喜右衛門といふものあり。・・・もとより料理など巧者にしければ、ふと台のの物やをおもひつきて、角丁のかど鳴滝屋与右衛門といへる商人の家を買ひて世帯をもち、台肴等をこしらへうりける。めづらしき仕出しなりとてひやうばんよく、喜の字がかたへさかなをとりに遣すべきなどいひはやしければ、自然ときのじやとよびならはしける。今はすべて台肴やの家の名となりぬ」。■台-台の物。洲浜を作った台上に数種の肴をのせ、宴席に出すもの。
原文
北八「そうぞうしいなんだ
いさ川「なんでもおざりましない。アリヤア性の悪い客衆をめつけて、つれてきたのでおざいますヤア
弥二「こいつはおもしろいドレドレ
トふすまをすこしあけて、となりざしきをのぞき見れば、大ぜいの女郎がきやくひとりを中にとりまき
女郎「おまい、こんぢうから、こつちイはなぜきましない
今ひとりの女郎「てうじやへばつかしおざるから、とこなつさんが腹(はら)アつつたつも、むりじやアおざりましない
このきやく人は山家の人
「ヤレ扨(さて)、わしはハイ、おつとい(一昨日)もきんによう(昨日)も、来(こ)ず来ずとおもつたが、がらい用ができて、こられなくなつた。ソリヤアハイ、てうじやへも川なべのおんぢいどんの付(つき)合で、いかずこたアいつたアけれど、アニハイ、爰の常夏(とこなつ)あんねへ(姉)と、申かわしたこたアあるし、日天さまかけて、まづい(不味)心じやアおざらないヤア
女郎「ばあチヤ、それでもてうじやの花山さんに、馴染(なじん)でいかずこたア、ちがひはおざりましないは
客「アニハイ、そんだこたアないこんだが、づなく(無上)そふいやアせず事がない
トしをれかへつている。ここの内のあね女郎、名はとこなつ、うちかけをつまみあげ、きせるたばこ入をもちそへ、ゆうゆうとしてざしきへはいり
とこ夏「弥弟(やてい)さん、こんぢうからあいましないが、よくおざいました
客「よかアきましない。かんにんしなさろ
とこ夏「なにも、かんにんせずこたアおざりましない。わしもハイ、此内ではあんねいあんねいといわれる、女郎でおざいます。こんなアに顔(かほ)をへしつぶされちやア、ほうばいしうの前へ、たたずよふがおざりましない。とてもハイ、これつきりの縁(えん)なら、おまいちのよふな、性根の悪い客衆は、見せしめのため、わしがせずことを見さしやいまし。ソレ夏菊(なつぎく)さん、さつきの剃刀(かみそり)をもつておざいまし
客「ヤレそりやア、わし(私)よヲどふせずとおもつて
とこ夏「どふせずもんか髪(かみ)をきらずにヤア
トかみそりをもつて立かかれば きやくはうろたへてあたまをかかへて
現代語訳
北八「騒々しい。何だ、何だ」
いさ川「なんでもございませぬ。ありゃあ、性根の悪い客を見つけて、皆で連れて来たのでおざいますやあ」
弥次「こいつは面白い。どれどれちょっと拝見」
と襖を少し開けて、隣座敷を覗いて見ると、大勢の女郎が客一人を中に取り巻いてとっちめている。
女郎「お前、この間から、こっちには何故来なさらぬ」
今一人の女郎「丁子屋ばっかし行っているから、常夏さんが腹を立てるのも、無理じゃおざりませんよ」
この客人は山家の人である。
「やれさて、わしは、はい、一昨日も昨日も、来よう来ようとは思っていたが、大そうな用事ができて来られなくなっただ。そりゃあ、丁子屋へも川辺の伯父どんとの付き合いで、行ったこたあ行ったけんど、あにはい、ここの常夏姉(ねえ)さんと、申し交した事(こた)ああるし、お天道様に誓って、そんな不実な心じゃおざらないだあ」
女郎「そんでもさ、丁子屋の花山さんに、馴染を重ねているもんで行ったんでしょう。行ったことに、違いはないじゃないかやあ」
客「なにはい、そんな気持ちじゃないんだ。ひどく言われると、どうしていいか、わからないだあ」
と萎(しお)れ返っている。ここの姉女郎、源氏名は常夏、打掛を摘み上げ、片手で、煙草入れに煙管(きせる)を持ち添え、悠々と構えて座敷へ入って来る。
常夏「弥弟(やてい)さん、この前から会っていないが、よくおいでなさいました」
客「そんなに良くも参りませんだ。堪忍してくだされ」
常夏「なんも、堪忍するもしないもありませぬ。わしもはい、この家では姐御(あねご)姐御といわれる女郎でおざります。こんなに顔を潰されちゃあ、朋輩衆の手前、顔向けできませぬわ。どうせさあ、おまえさんとは今日これっきりの縁なら、お前のような、性根の悪い客は、見せしめのため、ようとわしがすることを見ておきんしゃい。それ、夏菊さん、さっきの剃刀を持ってきて」
客「ええ、そりゃあ、わしをどうしようとするだよう」
常夏「どうするものか。髪を切らずにゃあ」
と剃刀を持って客に取り掛かると、客はうろたえ、頭を抱えて震えている。
語句
■性の悪い客衆-浮気で、廓の習慣を守らない客。一度馴染みの女郎ができれば、それと手の切れないままで、別に馴染(吉原で言えば三回以上会うこと)の女郎を作ってはいけないことになっていた。■てうじや-丁子屋。前にも見えて実在。■腹(はら)アつつたつも-腹を立てるのも。■山家の人-静岡より山の方に入った里人。■川なべ-駿河国有渡郡川辺村。府中から西に当たる地。■付(つき)合-知人と同道で登楼すること。付合では、馴染みのいる女郎屋以外へ登ることも許されていた。■日天さまかけて-お天道様を誓いに立てても。■まづい心-ここは不実な心の意に用いた。■馴染-吉原では、一回を初回、二回目を裏、三回目からは馴染と称して、その女郎の常連の客と見なした。ここは、何回も何回も、花山を揚げたの意。■づなく-甚だしく、むしょうに。■せず事がない-仕方がない。事実はその通りであるを認めたさま。■あね女郎-先輩女郎。■弥弟(やてい)さん-この客の表徳ひょうとく(遊客などの号)。姉女郎に対しての文字であるが、野体即ち野暮客なることを示す。客のほうが全くのまれている姿。■へしつぶされちやア-押しつぶされては。面目なくされては。■ほうばいしう-傍輩衆。同じ女郎仲間。■たたずよふが-立ちようが。顔向けしようが。■わしがせずことを見さしやいまし-私の仕様を見なさい。
※吉原では浮気の客に私刑を加えることあり、『吉原大全』に「吾がなじみの女郎へかくし、外の家へいたる事を禁ず。若し至ることあれば・・・道理によりて女郎客をつけとらへ、或は髪を切る等の事を法式とす」。一九著の『吉原青楼年中行事』に「是に仕着振袖をきせ、あるは顔に墨を塗り、あるは帯しごきに縛し、笑ひ罵り嘲弄して、時をうつすに、客いかんともなしがたく」など見える。それをここに試みた趣向。
■髪(かみ)をきらずにヤア-前出『吉原大全』の例にならう。
原文
客「ヤアレ、コリヤさて待なさろ待なさろ」
しんぞう共くちぐちに
「またずこたアおざいましない
客「そんだアとつて、此ちつぽけなまげの、ちよんさきさへきらないに、そり(夫)よヲハイ、きらずこたアゆるしなさろ
とこ夏「ナニゆるさずもんで
客「アレこりや
とこ夏「ソレきらずに
客「ヤアレこりやこりや
トにげだすをとりまきてにがさばこそ、よつてかかつてあたまをむしりちらかす。いつたいこのきやく人、けんつうにて、みなつけがみなれば、まげもびんもおちてしまい、きやくはあたまをなでまはして
「ヤアこりやハイ、あたまアむしりなくしたは
女郎みなみな「ばあチヤ ヲホホホホホ
客「ヤレ笑所じやアない。コレわしはハイ、てうじやへはいくまいから、あたまア出してくんなさろ
とこ夏「わしやアしりましない
客「アレハイ、夏ぎくどのがかくした。サアあたまアはやく出しなさろ
とこ夏「おまいハイ、これでもてうじやへいかずか
客「モウいかない、いかない
とこ夏「ほんとうにかやア
客「天照皇(てんせうくはう)太神宮さまかけていかない
とこ夏「すんなら夏菊さん、だしてあげさしやいまし
トとこ夏のさしづに、かくしたるつけがみを、出しいだせば
現代語訳
客「ま、ま、待ってくれろ。待ってくれろ」
新造どもが口々に口を揃えて
「待ったあござりませぬ」
客「だからって、このちっぽけな髷の先。これまでちょっとでもわしは、切ったこたあないに、それをはい、切るこたあ許しなさろ」
常夏「なに許せるものか」
客「あれ、こりゃ」
常夏「それ、切るぞよ」
客「ああれ、あんまりな」
と逃げ出すのを女郎達は取り巻いて、逃がしてなるものかと、寄ってたかって頭をむしり散らかす。そもそもこの客人、髪が少なく、皆、付け髪なので、髷も鬢も落ちてしまい、「客は頭を撫でまわして
「頭をむしり取られてしまったわい」
女郎たち「ばあちゃ、おほほほほほ」
客「やれやれ笑いどころか。わしはもう、只今限り、、丁子屋へはあがりませぬゆえ、はあ、頭を返してくんなさろ」
常夏「わたしゃ、そんなもの知りませぬ」
客「夏菊殿が隠しなさっただ。さあ、頭を早く出しなさろ」
常夏「おまいさんは、そのなりでも丁子屋へ洒落こむか」
客「もう行かない、行きませぬ」
常夏「本当にかや」
客「天照皇大神宮様に誓って行かないだ」
常夏「すんなら夏菊さん出してあげさっしゃいまし」
常夏姉さんの一言に、夏菊が隠しておいた付け髪を渡してやる。これはあっち、ここにはこれと取り付ける。
語句
■しんぞう-新造。『吉原大全』に「新造といゑるは、あたらしきふねによそへし名なり。姉女郎にしたがひ十三四歳にもなれば、姉女郎の見はからひにて、新ぞうに出すなり」。年若の女郎。■ちよんさき-先端。■けんつう-『俚言集覧』に「女の髪の少なきを俗におけんつうと云ふ。江戸詞也」。ここはおt子に転用。■つけがみ-付け髪。禿頭をかくすために、髷(まげ)や鬢(びん)の形に作った毛を、松やにで付けるようにしたもの。■あたまア出して-「頭を出せ」というのが滑稽。■おまい-お前。客に対する二人称。■天照皇(てんせうくはう)太神宮-前の日天さまと同じだが、ものものしくいった。
原文
客「ヤアまだ、たらない
なつぎく「モウそればつかし
客「アニハイ、まだかた小びんが、そこらにやアないか。尋ねてくれなさろ
女郎「コレカあるヤア
客「それだそれだ
トじしんにあたまをさぐりまわして、まげさきをよこちよにくつつけ、ためいきをつきて
客「ヤレヤレゑずい目にあった
みなみな「ヲホホホホホホ
ト是より中なをりの酒になりて、いろいろあれども、事長ければりやくす。弥次郎北八ははらのかはをよじり
弥二「いづくのうらでもあるやつだが、よつぽどおもしろかつた。てうど去年のはる、一九が、中田やの勝山にしばられた時、あんなざまであつた。ごうさらしな
ト此内わかいもの来り
「モウお床にいたしませう。チトあつちらへ
トきた八はじぶんのあいかたのへやへ行と、そのうち、わかいものとこをとりて、二人ながらひきわかれてしばらくまどろむ
斯くて一すいの夢はさめて、あかつきのなごりをおしみ、弥次郎床を起出れば、北八も目を摺りながら爰に来りて、打つれ立、梯子をおりるに、皆々おくり出て、挨拶そこそこにひきわかれ、伝馬町さして急ぎ、帰り来りければ、はやくも宿には朝めしの用意ととのへ膳をすゆるに、支度あらましにして、やがて此駅を打立けるが、今もどりし道をますぐに、ほどなく弥勒といへるにいたる。爰は名におふあべ川もちの名物にて、両側の茶屋、いづれも綺麗に花やかなり
ちやや女「めいぶつ餅をあがりやアし。五文どりをあがりやアし、あがりやアし
弥二「おいらアゆふべ、弐朱がもちをくつて来たから、モウここではくふめへ
北八「そふさ、そふさ
ト此内あべ川の川ごし道に出むかひて
「だんな衆おのぼりかな
現代語訳
客「やあ、まだ足りないだあ」
夏菊「もう、それっきりよ。ほかにはないよう」
客「うんにゃあ、まだ片小鬢の毛が、そこらにゃあないか。他の衆に尋ねてくれなさろ」
女郎「これか。きたならしい」
客「それだ、それだ」
と自分で頭を探り廻して、髷先を横っちょにくっつけ、溜息をついて
客「やれやれ、恐ろしい目にあった」
皆々「おほほほほほほ」
と間もなく仲直りの酒になって、いろいろあるが、話が長くなるので略す。弥次郎北八は腹の皮を捩り
弥次「どこの土地でもある一幕だが、ここのはよっぽど面白かったな。丁度去年の春、一九が、中田屋の勝山姉さんに絞られた時も、あんな業さらしなざまであった。
とこのうちに、若い衆が顔を出し
「もう、お床を入りにいたしましょう。どうぞ、あちらの間へ」
と北八は自分の相方の部屋へ行く。若い衆は、それぞれの部屋に床をのべて、北八も弥次郎も、しばし別れてまどろんだ。一睡の夢ははかなく覚めて、弥次郎が床を起きだすと、北八も寝不足の目をこすりながら、ともどもに呆けた顔の朝帰り、梯子を降りると、一同に見送られて挨拶もそこそこに、伝馬町の旅籠屋目指して帰って来た。早くも宿には朝飯の用意が整い、膳を据えると、ざっとなにもかも済ませて府中を後にするうち、、いま宿に戻ったばかりの大通りを、こんどは逆に、旅姿も勇ましく歩いて、まっすぐに行くとほどなく弥勒というところに着く。名物が安倍川餅の両側の茶店はどちらも綺麗で華やかである。
茶屋女「名物餅をあがりやあし。五文均一をあがりやあし、あがりやあし」
弥次「おいら、昨夜(ゆうべ)、弐朱の餅を食って来たから、もうここでは食うめえ」
北八「そうさ、そうさ」
とこのうち安倍川の川越人足が、客引きのため堤防の近くで待ち受けている
川越し「旦那衆はおのぼりさんかな」
語句
■かた小びん-片方の鬢。■ゑずい目-恐ろしいめ。「おそろし、・・・西国にて、ゑずいと云ふ」(物類呼称)。
※全く「毛がなくてお幸せ」といったドタバタで、一九得意の場であるが、この書の前年(享和二年)刊一九作の洒落本『倡客竅学問』に挿入した一九自身と思われる経験を転化して利用したものであったろう。習慣どおり、浮気の客の髪を切る私刑の時、あるおいらんの情けによりそのままになった話である。そのおいらんが中田屋の勝山であったこと、この一条や『子宝山』に見える。
■かはをよじり-大いにおかしがる体。■いづくのうら-何処の浦。どこの土地でもの意。■去年の-「去年」の二字入木。■中田屋-吉原江戸町一丁目左側の中籬(まがき)遊女屋中田屋茂登(三田村鳶魚調査による)。■勝山-中田屋のお職で、二分の女郎。享和二年秋(1802)、退廓(同)。「子宝山」に「あのつらへあかづきんをかぶせて、なか田やへ、つれていきてへもんだ」。■ごうさらしな-恥さらしなことだ。■一すいの夢-一寝入りから目ざめて。ただし「巫山の夢」というべきで、栄華一炊(混じて「睡」とも)之夢の出典(枕中記)ある語を使用する。■あらましに-大略にすませ。■弥勒-『改元紀行』に「安倍川のこなたの家(『東海道中名所図会』に「弥勒茶屋」という)に、臼つく音して、たすきかけたるわかき女の、餅をねるさまおもしろく、・・・新たなる木具にもりて来るは、かの安倍川のもちなるべし。味またよろし」。広重の行書東海道の「府中」に、この所の図がある。■五文どり-五文均一。安倍川餅は、焼いた餅に砂糖入りの黄粉をまぶしたもの。『早見道中記』(一九序)に「さとうもち」とあるが、その他の飴の餅も売ったとみえる。■弐朱がもち-先夜の南錂(二朱)の返しに送られた餅。■川ごし-川越し人足。東海道の酒匂・興津・安倍・大井の四川にあった。旅人は川会所で、川札を求め、川端で人足を求めて行く。
原文
弥二「ヲイきさまなんだ
川ごし「かはごしでござります。やすくやらずに、おたのん申ます
北八「いくらだ
川ごし「きんにようの雨(あめ)で水が高(たか)いから、ひとりまへ六十四文
北八「そいつは高い
川ごし「ハレ川をマアお見なさい
ト打つれて川ばたに出
弥二「なるほど、ごうせいな水せいだ。コレおとすめへよ
川ごし「ナニおまい、サアそつちよヲつんむきなさろ
ト二人をかたぐるまにのせてざぶざぶとはいる
北八「アアなんまいだなんまいだ。目がまはるよふだ
川ごし「しつかりわしがあたまへとつつきなさろ、アアコレ、そんなにわしが目をふさがつしやるな。向ふが見へない
弥二「なるほど深いは。コレおとして下さるな
川ごし「アニおとすもんかへ
弥二「それでもひよつと、おとしたらどふする
川ごし「ハレおとした所が、たかでおまいは、ながれてしまはしやるぶんのことだ
弥二「エエながれてたまるものか。イヤもふきたぞきたぞ。ヤレヤレ御くらう御くらう
トかたぐるまよりおりてちんせんをやり
弥二「ソレべつに酒手(さかて)が十六文ヅツ
川ごし「ヘイコレハ御きげんよふ
ト川ごしはすぐに川かみのあさいほうをわたつてかへる
北「アレ弥次さん見ねへ。おいらをばふかい所をわたして、六十四文ヅツふんだくりやアがつた
川ごしの肩車にてわれわれをふかいところへひきまはしたり
夫(それ)より手越(てごし)のさとにいたるに、又もや俄雨(にわかあめ)ふり出して、たちまち車軸(しやぢく)をながしければ、半合羽とり出し打かづき、足をはやめてほどなく丸子(まりこ)の宿にいたる。
現代語訳
弥次「おっと裸でびっくりさせるよ。おめえはなんだ」
川越「川越でございます。安くしときますげに、雇ってくんなさい」
北八「いくらだ」
川越「昨日の雨で水嵩が高くなっておりやすから、一人前六十四文でごぜえやす」
北八「そいつは高い」
川越「ほれ、まあ、川をごらんなさい」
連れだって川端に出る。
弥次「なるほど、おそろしい水勢だ。これ、まさか落っことすめえよ」
川越「なんの、おまいさん。さあ、そっちをつん向きなさろ」
川越は、たちまち二人を肩車に乗せてざぶざぶと川の中へ入る。
北八「ああ、なんまいだ、なんまいだ。目が回るようだ」
川越「しっかりわしの頭にしがみついていなされ。ああこれ、そんなにわしの目を塞がっしゃるな」
弥次「なるほど深いわ。これ落して下さるな」
川越「なに、落すものかえ」
弥次「それでもひょっと、落したらどうするだ」
川越「はれ、落したところでたかが知れてるわい。お前さんが流れてしまわっしゃるだけのことだ」
弥次「ええ、流れてたまるものか。いや、もう着いたぞ、着いたぞ。御苦労、御苦労」
と肩車より降りて賃銭を渡し、
弥次「それ、別に酒手を十六文づつだ」
川越「へい。これは、おおきにありがとう」
と川越はすぐに川上の浅瀬を渡って帰る。
北八「あれ弥次さん見ねえ。おいらを深い所を渡して、六十四文づつふんだくりやぁがった」
川ごしの肩車にてわれわれをふかいところへひきまはしたり
それから手越の里にさしかかると、またもや、俄雨が降り出し、たちまち土砂降りの大雨になった。半合羽をしっかり羽織って、足を速めてほどなく丸子(まりこ)の宿に辿り着く。
語句
■六十四文-『東海道宿村大概帳』には、上は「脇水より乳通水迄、川越人足壱人ニ付賃銭六拾四文定」から、下は「膝下水、十六文定」まで六段階に分れている。享和では最高も安かったかもしれぬ。■ごうせいな水せい-豪勢な水の勢い。■かたぐるま-肩車。両足を首の脇にして、肩に乗せる様をいう。■わしが目をふさがつしやるな-北八がこわがる体を、人足の言葉で表現する二面描写の方法を使っている。■たかで-たかが知れていて。せいぜい。■川ごしの?-「肩車」の縁で、「わ」「ひきまはし」とかかる。川越しの肩車で、深みへ引っ張り込まれてひどい目に遭ったの意。■手越のさと-安倍川を越した西側。安倍郡手越村(今は静岡市)。平家哀史の千寿の前のいた所で有名。■車軸(しやぢく)をながしければ-激しく大粒の雨の降る事の形容。『長阿含経』など仏書に、「漸ク大雨ヲ降シ、滴車軸ノ如シ」とあるによる(常語藪)。■半合羽(はんがっぱ)-半身を覆う合羽。『守貞漫稿』に「元文以来、市民都すべて半合羽を著す」。■丸子(まりこ)-府中より一里十六丁の宿駅。駿河国有渡郡(静岡市)。鞠子とも書く。
次の章「後編坤 鞠子より岡部へ」