三編上 岡部より藤枝へ

原文

道中膝栗毛三編

十返舎一九著

名にしおふ遠江灘浪(とおとおみなだなみ)たいらかに、街道のなみ松枝(えだ)をならさず、往来(おうらい)の旅(りよ)人、互に道を譲合(ゆづりあい)、泰平(たいへい)をうたふ。つづら馬の小室節(こむろぶし)ゆたかに、宿場(しゆくば)人足其町場を争(あらそ)はず、雲助駄賃をゆすらずして、盲人(もうじん)おのづから独行(どくかう)し、女同士(どし)の道連(みちづれ)、ぬけ参の童まで、盗賊(とうぞく)かどはかしの愁(うれい)にあはず。かかる有難(ありがた)き御代にこそ、東西(とうあい)に走(はし)り、南北(なんぼく)に遊行(ゆぎやう)する、雲水のたのしみえもいはれず。爰(ここ)にかの弥次郎兵衛北八は、大井川の川支(かわづかゑ)にて岡部(おかべ)の宿(しゆく)に滞留(たいりう)せしが、今朝(けさ)御状箱わたり、一番ごしもすみたるよし、聞(きく)とひとしくそこそこに支度(したくう)して、はたごやを立出けるに、はや諸家(しよけ)の同勢(どうぜい)往来の貴賤櫛(きせんくし)のはをひくがごとく、問屋駕宙(といやかごちう)をかけり、小荷駄(こにだ)馬飛(とん)で走る、街道(かいどう)のにぎはひいさましく、ふたりもともにうかれたどり行ほどに、朝比奈(あさひな)川をうちこへ、八幡鬼嶋(やはたおにじま)をすぎ、白子(しろこ)町にいたる、爰(ここ)は建場(たてば)にて両側(りやうがは)の茶屋女

「お茶アまいるはア。一ぜんめしよヲまいるはア。お休みなさいまアしお休みなさいまアし

馬士のうた「うらがお長松(ちよま)のかかアはたこよナア、あぜさ蛸(たこ)だとおもしやるへ、八間(けん)まなかに足だらけ、しよんがへドウドウ

馬「ヒインヒイン

馬かた「旦那衆(だんなしゆ)おま(馬)アいらないか。二ひやくだが安(やす)いもんだイ。なんなら銭(ぜに)さへくんなさりやア、ただでもいかずに

北八「エエ二百出しやア夜(よ)るの馬にのらアくそたれめが

馬かた「ヤイくそつたれたアあんだイ。うらがいつ、くそをくそを

馬「ヒヒヒンヒヒヒン

弥二「ナントちよつぽりのんでいかふか。コウ姉(あね)さんいい酒があらばちつと斗出してくんな

トちや屋へはいる

ちや屋の女「ハイかんをして上げずかヤア

弥二「そふさ。時にさかなは何がありやす

てい主「アイねぶかとまぐろの煮(に)たのばつかし

北八「イヤねぎまのふろふきソレよかろふ

現代語訳

岡部より藤枝へ

有名な遠江灘の波も穏やかで、街道の並木の松の枝も鳴らさないように風も穏やかで、往来の旅人は、互に道を譲り合い、泰平の世を謳歌している。葛籠(つづら)を運ぶ馬を引く馬士の唄う小室節の声量も豊かで、宿場人足はその働き場所をめぐる争いも起さず、雲助はその駄賃を高値でふっかける事もなく、盲人も一人で自由に歩く事ができ、女同士の道連れ、伊勢参の童まで、盗賊やかどわかしの心配もなく安心して旅ができる。このような有難い御代にこそ、東西に走り、南北に、あちらこちらと巡り歩く。修行で各地を巡る雲水のように楽しみも相当に多い。かの弥次郎兵衛北八は、大井川の川が増水して渡れす、岡部の宿に逗留していたが、今朝になって、御状箱が渡り、一番越しも済んだそうな、それを聞くと、同じように川がつかえて、そこに逗留を余儀なくされていた連中はそれぞれに支度をして、旅籠を出立したが、早くも諸大名の供の一群が隙間なく続いて、問屋駕は宙を飛び、小荷駄馬は飛ぶように走る、街道の賑わいは騒々しく、二人も共に浮れて歩いて行くと、朝比奈川を越え、八幡鬼嶋を過ぎ、白子町に着く。ここは建場で道の両側に並んだ茶屋から女たちの声がする。

茶屋女「お茶をさしあげますわ。一膳飯さしあげましょう。お休みなさいまし、お休みなさいまし」

馬士の唄「うらがおちょまのかかあはたこよなあ、あぜさ蛸だとおもしゃるえ。八間(はっけん)真中(まなか)に足だらけ、しょんがえ。どうどう」

馬士の唄に合せて馬の嘶(いななき)き

馬「ひいん、ひいん」

馬方「旦那衆、馬はいらないか。二百だが安いもんだい。なんなら銭さえくれなさるなら、有難く頂戴してただのつもりで乗ってもらいますだ」

北八「ええぃ、二百も出しゃあ宿場女郎にも乗れらあ、くそったれめが」

馬方「やい、糞ったれたあ何だい。うらがいつ糞を食った」

この時、馬が糞をする。

馬「ひひひん、ひひひん」

弥次「ほんのちょっぴり飲んで行こうか。これ、姉さん、いい酒があったら少々出してくんな」

と茶屋へ入る。

茶屋の女「はい、燗をつけてあげましょうか」

弥次「そうさ、時に肴は何がありやす」

亭主「はい、根深と鮪(まぐろ)の煮付けばっかしですが」

北八「いや、ねぎまの風呂吹き、そりゃよかろうよ」

語句

■遠江灘-遠江国(静岡県)の南、太平洋海上、伊勢の大王崎から伊豆の石廊﨑まで七十五里。難所とされた所。ここは謡曲「高砂」の「四海波静かにて、国も治まる時津風、枝を鳴らさぬ御代なれや」を下に置き、御代太平をことほいだ序幕。■なみ松-並木の松。東海道は旅人のために松が植え並べられていた。■枝を鳴らさず-風おだやかで枝も音をたてるほどにはそよがない。■つづら馬-衣類調度の入った葛駕(竹又は檜のへぎで作った籠)を運搬する馬。駄荷の葛駕一個は九貫目の定め(旅行須知)。■小室節-馬士唄の代表にされるが、発生詩章も十分には未詳。ここは古い浄瑠璃などを思い出して書いたもの。■町場-働き場所。■川支(かわづかゑ)-川がつかえること。7「川留」に同じ。■御状箱-川明けに最初に川を越える幕府の公文書。■一番ごし-川留が明くとき、最初に川越しすること。■諸家(しよけ)の同勢(どうぜい)-諸大名の供の一群。■櫛(くし)のはをひく-隙間なく続く様子。■問屋駕-江戸時代、街道の各宿場の問屋場(屋場は宿場でもっとも重要な施設で、大きく2つの仕事があった。 一つ目は人馬の継立業務で、幕府の公用旅行者や大名などがその宿場を利用する時に、必要な馬や人足を用意しておき、彼らの荷物を次の宿場まで運ぶ業務である。)に備えられ、旅人の用に供した粗末なかごのこと。■小荷駄(こにだ)馬-荷物運搬の馬。■朝比奈川-『諸国道中記』に「朝ひな川、橋長サ三十間、町の内にあり」。■八幡鬼嶋-八幡村・鬼島村は、共に駿河国志太郎7(今は藤枝市)。ただし、八幡橋は鬼島村字(あざ)で立場。■白子町-『諸国道中記』に「しろこ町、いせにも白子といふ所有り。此所伊勢の白子の人初めて住みしゆへ、名とす。茶や有り」(『東海道名所記』による)。■一ぜんめし-盛切り飯に粗菜を付した簡略な食事。■長松(ちよま)-長松(ちょうまつ)の愛称。■たこ-蛸のごとく吸いつく女陰で、多情の女にあるという。■足だらけ-足は蛸の吸いつく所、広くてしかも締まる、の卑猥の意をいったもの。■夜の馬-ここは宿場女郎をいう。代二百文。■くそたれ-人を罵る語。■ねぶか-根深ネギ。ネギの一種。■ねぎま-ねぎま(葱鮪):元来はネギ(葱)とマグロ(鮪)を使った「葱鮪鍋」の事。■ふろふき-大根を大きく、輪切りにして、だし汁中に煮、味噌をすったのをつける料理。  

原文

てい主「インネ、ふろふきじやアござらない。たんだ(只)醤油でにたのだアのし

トいいつつてうしさかづきをもち出 まぐろを皿にもつて持来る

弥次「ハハアねぎまといふから江戸でするよふだとおもつたら、コリヤアきじやきを煮たのだな。よしよし

北「はじめよふヲトトトトトト、イヤこの肴(さかな)はおだぶつだぜ。コリヤきのふのまぐろだな

てい主「インネハイ きんにようのいをじやアござらない

弥二「それでもさつぱりくへぬくへぬ

てい主「ハアきんにようのがわるかア、おつといのをしんぜませうか。そんだい(其代)にやア酔(ゑう)こたアうけ合だもし

北八「エエ酔(よつ)てたまるものか。そして此酒は半分水だペツペツ。時にいくらだの

ていしゆ「ハイさかなが六十四文、酒が廿八文

弥二「うまくねへかはりに高(たか)いもんだ。サアいかふと銭(ぜに)をはらひ、爰(ここ)を立出、はやくも鐙(あぶみ)が淵(ふち)といふ所にいたり、例(れい)のすきの道なれば、弥次郎兵衛取あへず

爰もとは鞍(くら)のあぶみがふちなれど踏(ふん)またがりて通られもせず

それより平嶋(ひらじま)口田中を打越、藤枝の宿近くなりて

街道の松の木の間に見へたるはこれむらさきの藤えだの宿

現代語訳

亭主「いんね、風呂吹きじゃあござらない。ただ、醤油で煮たのだあもし」

と言いながら、銚子と盃を持出し、鮪(まぐろ)を皿に盛って持ってくる。

弥次「ははあ、ねぎまと言うから江戸でもするようだと思ったら、こりゃあ雉焼を煮たのだなよしよし」

北八「始めよう、おっとっとっと。いや、この肴は傷んでいるぜ。この鮪(まぐろ)は昨日の鮪だな」

亭主「いんねはい、これは昨日の魚じゃござりません」

弥次「それでもさっぱり食えぬ、食えぬ」

亭主「はあ、昨日のがわかるものか。一昨日のを進ぜましょうか。それで酔うこたあ請け合いだもし」

北八「ええ、酔ってたまるものか。それにこの酒は半分は水だぜ。ぺっぺっ。時にお代はいくらだね」

亭主「はい、肴が六十四文、酒が二十八文でおざりやす」

弥次「美味くねえ替りに高いもんだ」

さあ、行こうと銭を払い、ここを出立する。早くも鐙が淵という所に着き、弥次郎兵衛、常とうの好きな道の詩(うた)を詠む。

爰もとは鞍(くら)のあぶみがふちなれど踏(ふん)またがりて通られもせず

それより平島口田中を越え、藤枝の宿が近付いて来る。そこで又一首

街道の松の木の間に見へたるはこれむらさきの藤えだの宿

語句

■きじやき-醤油をつけて焼く料理法。■おだぶつ-お陀仏。いたんでいる。■酔(ゑう)こたア~-鰹などを食して、蕁麻疹を出したり身体に障害を記すをいう。酒には酔わず、肴に酔う滑稽。■鐙が淵-『諸国道中記』に「右の方に鐙が淵有り」。水守村の葉梨川の淵。■爰もとは-「鞍」「あぶみ」「踏またぐ」は縁語。名は「あぶみ」だが、淵が広くて、鞍のあぶみのごとく、またいで通れないの意。■平嶋(ひらじま)口田中-『諸国道中記』に「平嶋口、田中の城のうら道なり」とあるを、そのまま街道の地名とした。志太郡益津の平島村を通って田中まで行く別れ道のある所。田中は十数丁も離れている。■藤枝-岡部から一里二十六丁の宿駅(今の藤枝市)。

原文

此しゆくの入口にて、ふろしき包ちよいとかたにつけたる、田舎のおやぢ、馬のはねたるにおどろき、にげるひやうしにきた八へつきあたると、きた八水たまりの中へころげて、大きにあつくなり、おきあがつて、田舎ものをひつとらへて

北八「このおやじめ、まなこが見へねへか。寒烏(かんがらす)の黒焼(くろやき)でもくらやアがれ

おやぢ「コリヤハイ、御めんなさい

北八「ヤイ、御めんなさいじやアすまねへわへ。コレやろうは小粒(こつぶ)でも、ぎやつといふから金(きん)の鯱(しやちほこ)をにらんで、産湯(うぶゆ)から水道(すいどう)の水をあびた男だ

おやぢ「インネハイ、水をあびたならよふござるが、そんたのこけた所はおま(馬)の小便(せうべん)たまりだもし

北八「エエその小便のたまつた所へ、なぜ つつこかしやアがつたへ

おやぢ「そりやハイ、わしもがらい、おまにつつぱねられて、そんたにいきやつたのだ。どふもせずことがない。かんにんさつしやい

北八「なんだ堪忍(かんにん)しろ。いやだわへ。ほんのこつたが、大江(おおえ)山の親分(おやぶん)が鉄棒(かなぼう)ひいてわたりにこよふが、石尊(せきそん)さまが猪の熊の似づらをかかせた、てうちんで、路地口から溝板のうへへ、はいかがんできても、きかねへといつちやア、久米(くめ)の平内を居(ゐ)ざいそくにやつたよりかア、まだびくつともせぬやつこさまだア

おやぢ「ソリヤハイ、あにかしちむづかしいことをいわつしやるが、わしらにやアハイ、かいもくにしれ申さぬ。わしもハイ、此近在の長田村じやア、名のしやくも勤(つとめ)た家筋(いへすじ)だんで、今でもお地頭(ぢとう)さまの年頭(ねんどう)にやア上席(じやうせき)ノウせる男だ。あにもがいにけけれ(心)なく、雑言(ざうごん)ノウしめさるこたアござんないヤア

北八「エエわるくしやれらア。尻(けつ)がかいいわへ、あたまのかけでも、ひろわせてやろふか

おやぢ「エレエレそんたアづない人だヤア。わしにもハイ荒神さまがついてゐずに、がいに頤(おとがい)ノウたたかしやんな

北八「エエ此すりこ木め

トくらはせにかかる 弥次郎兵へ見かねてやうやうにひきわけ

「きた八もふりやうけんしろへ。とつさんおめへがぜんてへ、麁相(そそう)しながら気がつゑゑ。もふいいからいきなせへ

トきた八をなだめるうち、おやぢはつらをふくらかし、ふせうぶせうに行過ると弥次郎兵へ

現代語訳

藤枝より島田へ

この宿の入口で、風呂敷包をちょっと肩に担いだ田舎のおやじが、馬が跳ねたのに驚き、そこから逃げる拍子に北八にぶつかると、北八は水溜りの中へ転げて、大いに怒り、起き上がって、田舎者を捕まえて

北八「このおやじめ、目が見えねえのか。寒烏(かんがらす)の黒焼(くろやき)でも食らいやあがれ」

おやじ「こりゃはい、御免なさい」

北八「やい、御免なさいじゃ済まねえわい。こちとらは小粒でも、おぎゃあと産声をあげた声から、金の鯱を睨んで、産湯から江戸の上水道の水を浴びた男だ」       おやじ「いんねはい、水を浴びたならようござるが、そんたのこけた所は、馬の小便溜りだもし」

北八「ええ、その小便の溜った所へ、何故、つっこかしやがったへ」

おやじ「そりゃはい、わしも馬にひどいこと突っ跳ねられてあんたに突き当ったのだ。どうにも仕方がない。堪忍さっしゃい」

北八「なんだ、堪忍しろ。嫌だわえ。◎◎◎大江山の親分が鉄棒を引きずって、渡に来ようが石尊(せきそん)様が猪の熊の似顔絵を描いた提灯を持って、路地裏から溝板の上へ這い屈んで来ても、聞かねえと言っちゃあ、久米の平内を坐り込んでの居催促にやったよりかあ、まだびくっともしねえ奴さまだあ」

おやじ「そりゃはい、何かしち面倒くさい事を言わっしゃるが、わしらにゃあ、はい、全く分かり申さぬ。わしもはい、この近在の長田村じゃあ、名主役も勤めた家筋だんで、今でもお地頭様の年賀に出る時には上席につく男だ。なにもこう酷い雑言を浴びせられるこたあござんないやあ」

北八「ええ、悪く洒落らあ。尻(けつ)が痒いわえ、頭を打ち割って、その一片を拾わせようか。         

おやじ「えれえれ、そんたあひどい人だやあ。わしにもはい荒神様がついていますので負けるものか。ひどい、勝手な口をきくな」

北八「ええ、このすりこ木め」

と拳を振り上げ、打ち据えようとする。弥次郎兵衛は見かねてようやく間に入り、

「北八、もう了見しろえ、 とっさん、おめえがだいたい粗相をしながら 気が強え。もういいから行きなせえ」

と北八をなだめるうちに、おやじは 面を膨らませて、不承不承に行き過ぎると弥次郎兵衛

語句

■寒烏(かんがらす)の黒焼(くろやき)-寒い時の烏。眼病・血の道・癇などに効用ありとされた薬。■小粒-小柄。「山椒は小粒でも辛い」の諺もある。■金の鯱-江戸城の屋上の金の鯱。ただし江戸城には金色の物はない。景気よくいったもの。■産湯-お産で取り上げた初めに浴びせる湯。■水道-江戸の上水道。■水をあびたならよふござるが-水道の産湯とは全く逆に、馬の小便につかった滑稽。■つつこかしやアがつたへ-押しこかした。■いきやつた-つき当った。■どふもせずことがない-どうも仕方がない。■大江山の親分-酒呑童子を、こわい親分に見立てた。■鉄棒(かなぼう)ひいて-祭の行列などの時、親方が、錫杖のごとく頭部に金輪がついて、音のする鉄棒をついて先導する。ここは改まった風体をしての意。■わたり-交渉。掛け合い。江戸の勇連の語。■石尊(せきそん)-相模国(神奈川県)雨降神社の石尊大権現。これはこわい神威の神である。■猪の熊の似づら-歌舞伎の猪の熊入道の似顔絵。隈取りがすごい。■てうちんで-提灯を持って。■路地口-長屋の入口。ここに門がある。■溝板(どぶいた)-長屋の中央にあった下水の溝を覆った板。■久米の平内-浅草観音の境内。仁王門の前左側に安置してある石像の主。ただし、『江戸名所図絵』には俗説として否定する。石像から動かぬの意。■居ざいそく-坐り込んで、じっくり催促する体。■びくつともせぬ-少しも動じない。■あにかしちむづかしい-何かしちむずかしい。田舎者に江戸と江戸風の洒落た比喩は全く通じない。■かいもくに-全く。皆目。■長田村-未詳。■名のしやく-名主役。村方三役(名主・組頭・百姓代)の一。村政全体を管掌する最要職。世襲・旧家の輪番・選挙推薦などで定まるが、名望家でなければならなかった。■地頭-近世では代官やその土地を領地とする者の総称。■年頭(ねんどう)にやア上席(じやうせき)ノウせる男-年賀に出る時には上席につく男。■けけれなく-心なく。■雑言-憎らしい言葉。罵語。■尻(けつ)がかいいわへ-尻がかゆい。ちゃんちゃらおかしい。■あたまのかけでも-頭を打ち割って、その一片を拾わせようか。■づない-ひどい。■荒神さまがついてゐずに-私は私で一家の守護神荒神様が付いているので、負けるものか。■がいに-「非常に」「大いに」「たいそう」「とても」「ひどく」といった意味合いの強意表現。■頤(おとがい)ノウたたかしやんな-勝手な口をきくな。■すりこ木-人を罵る語。手足も無いも同然の意か。■りやうけんしろ-勘弁せよ。

原文

頭(づ)にのつてきた八に今たたかれし薬鑵(やくはん)あたまの親父(おやぢ)へこんだ                             

打笑(わら)ひつつ瀬戸川を打越 それよりしだ村大木のはしをわたり、瀬戸といふ所にいたる。爰はたて場にて染飯(そめいい)の名物(めいぶつ)なれば

やきものの名にあふせとの名物はさてこそ米もそめつけにして

斯(かく)てこの町はづれの茶(ちや)屋に、さきの田舎親父休みいたりけるが、二人を見つけて呼(よび)かけ

おやぢ「エレエレさつきヤア無礼(ぶれい)ノウしました。わしもハイ、ありよふは、一ぱいのんだ元気(げんき)で、づない(無上)事もいいもふしたが、そんたしゆが了簡(りやうけん)ノウしてくれさつたから、へこたらずに帰村(きそん)ノウしますは。マアあんでも、礼(れい)にさけウひとつしんぜませう。ここへよらつしやいまし

弥二「ナニわつちらあ酒(さけ)ものんで来やした

おやぢ「エレチヤア、せつかくわしがおもひだアのし。ぜつぴ一ツよからずに。コリヤコリヤ御亭(ごてい)の、味よいさけウ出さつしやいまし

北「イヤお心ざしは忝(かたじけな)いが、サア弥次郎さんいかふ

おやぢ「ハテコリヤ、じやうのこわい人だやア。じつきにやらずに、ちょつくりよつてくれされヤア

トむりに弥次郎きた八が手をとつてひきづりこむ。ふたりもなる口ゆへ、酒とききて少しこころひかされて

弥次「ゑいは、北八いつぱいやらかさふ。しかし親父(おやぢ)さん、おめへの御ちそうじやアきのどくだ

おやぢ「ハテコリヤよいといふのに。御ていの御ていの、肴(さかな)アじやうにつん出してくんさい。時にコリヤハイ、爰(ここ)はあんまりはしつぽだ。おくざしきへいかずかヤア

ちや屋のおんな「サアあつちイござらしやいまし

ト出しかけたてうしさかづきをおくへもつてゆくと、三人もなかにはからまはり、おくざしきのゑんがはに、わらじのままあぐらをかき、弥次郎兵へ

「サアおやぢさん、はじめなせへ

おやぢ「アイすんだら毒味ノウしませず。ヲトトトトトよからずよからず。さて先若(まずわか)いのへしんぜませう

北「アイわつちあア酒よりかア腹が減った

おやぢ「アニはらがへつた。ソリヤア飯(めし)を食はつしやい。じつきによくなる

北「イヤ先酒にしよふ。ヲットありますあります。時にこの吸物はなんだ。たたみ鰯(いわし)のせんば煮か。おほかたこのあとじやア、かぼちやのごま汁か、さつまいものよごしが出るだろう

現代語訳

頭(づ)にのつてきた八に今たたかれし薬鑵(やくはん)あたまの親父(おやぢ)へこんだ

笑いながら、瀬戸川を越え、それから志太村の大木の橋を渡り、瀬戸という所に着く。ここは立場で染飯(そめいい)が名物なので

やきものの名にあふせとの名物はさてこそ米もそめつけにして

こうして町外れの茶屋に、さっきの田舎親父が休んでいたが、二人を見つけて呼びかける。

親父「やれやれ、さっきは御無礼をいたしました。わしもはい、実のところ、一杯ひっかけた勢いでひどい事も言いましたが、其方様方(そなたさまがた)が勘弁してくれさったから、へこたれずに村に帰りますは。まあ何でも、お礼に酒を一献進ぜましょう。ここへ寄らっしゃいまし」

弥次「なに、わっちらあ酒も飲んで来やした」

親父「やれやれ、せっかくのわしの志だあのし。ぜひ一つよいでしょうが。こりゃこりゃ御亭主よう、美味い酒を出さっしゃいまし」

北八「いや、お志はかたじけないが、さあ、弥次郎さん行こうぜ」

親父「はて、こりゃ、良いと言うのに。強情な人だやあ。直(じき)にしますからちょっくら寄ってくれされやあ」

と無理やり弥次郎と北八の手を取って、引きずり込む。二人も酒が好きなので、酒と聞いて少し心動かされ

弥次「えいは、北八いっぱいやらかそう。しかし親父さん、おめえのご馳走じゃあ気の毒だ」

親父「はえ、こりゃ、良いと言うのに。御亭主よう、御亭主よう、肴をたくさんに出してくんさい。時にこりゃはい、ここはあんまり端っこ過ぎる。奥座敷へ行きましょうかやあ」

茶屋の女「さあ、あっちへござらっしゃいまし」

と出しかけた銚子・盃を奥へ持って行くと、三人も中庭から回り、奥座敷の縁側に、草鞋(わらじ)のまま胡坐(あぐら)をかき、

弥次郎兵衛「さあ、親父さん。始めなせえ」

親父「はい、そしたら毒味をいたしましょう。おっとっとっとこれはお酌お上手で。まずお若い方から進ぜましょう」

北八「あい、わっちは酒よりか腹減った」

親父「なに、腹が減った。それじゃあ、飯を食わっしゃい。直になおる」

北八「いや、まず酒にしよう。おっと、まだあります。あります。時にこの吸物は何だあ。たたみ鰯のせんば煮か。おおかたこの後にゃあ、かぼちゃのごま汁か、さつまいもの

あえ物が出るだろう」

語句

■頭(づ)にのつて-図にのる。つけ上ってきた。「頭」と書いて「あたま」の縁。「薬鑵(やくはん)あたま」は禿げあがって渋色になった頭。「薬鑵」と「へこんだ」は縁。つけ上ってきたやかん頭の親父が、北八に今叩かれて、勢いが挫けただけの意。■瀬戸川-藤枝宿の西側を流れる川。■しだ村-駿河国志太郡(藤枝市志太一~五丁目)。■大木のはし-『諸国道中記』に「しだ村、大木のはし」。天明六年『道中記』に「おおぎばし」。『大概帳』は「青木橋」とさまざまである。志太郡稲川村と南新屋村の間。■瀬戸(せと)-『大概帳』に「瀬戸新屋村二而は黄なる染飯を売る。瀬戸の染飯とて此所之名物也」。『東海道名所図絵』に「強飯(こわいひ)を山梔子(くちなし)に染めて、それを摺り潰し、小判形(なり)に薄く干乾してうるなり」。■たて場-『大概帳』などでは立てばでなく、上青島村地内字三軒屋(藤枝しない)が立場。■やきもの-瀬戸焼(磁器)と同じ名をもっているこの瀬戸の名物は、米の飯だが、焼物同様染付(藍色の絵模様を描いて、釉薬(うわぐすり)をかけた磁器、ここは色でなく、「染」の縁でいう)たものであるの意。■エレエレ-やれやれ。■ありよふは-実のところ。■そんたしゆ-其方様方(そなたさまがた)。■へこたらずに-まいってしまわず。動けなくならず。■エレチヤア-やれまあ。■おもひ-こころざし。■ぜつぴ一ツよからずに-ぜひ一つよいでしょうが。■御亭の-御亭主よう。■じやうのこわい-強情な。■じつきにやらずに-直にしますから。■なる口-「一つなる口」の略。酒の飲める方だから。■じやうにつん出してくれさい-仰山。たくさんに出してください。■はしつぽ-端近。はしっこ。■なかには-中庭。本屋と裏座敷との間にある庭。■すんだら毒味ノウしませず-そしたら毒味をいたしましょう。客より先に亭主が酒を飲むときの挨拶。■ありますあります-酒のまだある盃の中へ、更に多く酒をつがれる時の挨拶。■たたみ鰯(いわし)-鱊(いさざ又しらす)をうす板の如く拵へ乾したるを、しらすぼし(江戸)と云ひ、又たたみいはし(同上=江戸)と云ふ」(重訂本草綱目啓蒙)。■せんば煮-塩を強くした魚鳥の肉に大根などを添え、だしを加えて作った汁(『江戸料理集』など)。ここのは肉を簡略に畳鰯にしたもの。■かぼちや-南瓜を実にした。■ごま汁-『料理三編山家集』に「ごま汁、白ごまには白みそ、黒ごまは常のみそにすりまぜ、すいのうにてかた漉(ごし)にして、だしにてのべ煮たてる」。■よごし-あえもの。『年中番菜録』に「さつまいも、向、あへもの」。共に野暮なものである。

                                                                     

次の章「三編上 藤枝より島田へ

朗読・解説:左大臣光永

【古典・歴史】メールマガジンはこちら