三編上 島田より金谷へ

原文

川ごし「だんなしゆ川アたのんます

弥二「きさま川ごしか。ふたりいくらで越す

川ごし「ハイ今朝がけにあいた川だんで、かたくまじやアぶんない。蓮台(れんだい)でやらすに、おふたりで八百下さいませ

弥二「とほうもねへ、越後(ゑちご)新潟(にがた)じやアあんめへし、八百よこせもすさまじい

川ごし「すんだらいくら下さるやア

弥二「いくらもすりこ木もいらねへ。おいらがじきにこすは

川ごし「ヲヲ川ながりやア弐百つけて寺(てら)へやるから、なんならそふさつしやい。ながれたほうがやすくあがらア。はははははは

弥二「ばかアぬかせ。問屋(といや)へかかつておこしなさるは

トいいすててあしばやにゆきすぎ

弥二「ナント北八あいつらにからかうがめんどうだから、いつそのこと、とい屋へかかつて越(こ)そふ。手めへの脇指(わきざし)を貸しやれ

北八「ぜどふする

弥二「侍(さむらひ)になるは

トきた八がわきざしをとつてさし、おのれがわきざしのひきはだを、あとのほうへのばし、長くして大小さしたよふに見せかけて、

弥二「ナント出来合のお侍よく似合たろふ。此ふろしき包(づつみ)を手めへいつしよに持て供になつてきや

北八「こいつは大わらひだハハハハハハ

ト弥二郎兵へがにもつをいつしよにして、きた八かたにひつかけ、やがて川問屋にいたり、弥次郎兵へ、おくにことばのこはいろにて

「コンリヤとん屋ども、身ども大切(たいせつ)な主用(しゆよう)で罷通(まかりとふ)る。川ごし人足(にんそく)を頼(たの)むぞ

といや「ハイかしこまりました。御同勢はおいくたり

弥二「ナニどうぜいな

といや「さやうでござります。旦那はお篭かおむまか。お荷物はいく駄ほどござります

弥二「本馬(ほんま)が三疋駄荷がつがう十五駄ほどありおるが、道中邪魔だからゑどおもてにおいてきた。其かわり身ども駕の陸尺(ろくしやく)が八人、そこへしるしめさろ   

現代語訳

島田より金谷へ

川越「旦那衆、川の渡しをお使いやあし」

弥次「貴様は川越か。二人をいくらで越すかや」

川越「今朝がたに開いた川だんで、流れが速くて肩車じゃ危ない。蓮台を使いますので、お二人で八百下さいませ」

弥次「なんと、途方もねえ。越後新潟の八百八遊女じゃあるめえし、八百寄越せとは気が強い」

川越「それなら、いくら下さるやあ」

弥次「いくらもすりこ木もいらねえ。おいらが自分で超すは」

川越「おっと、土左衛門になったら、二百つけて寺へやるから、なんならそうさっしゃい。流れた方が安くあがらあ。ははははは」

弥次「馬鹿ぬかせ。問屋に掛けあってほんとの値段でお越しなさるは」

と言い捨てて足早に行き過ぎる。

弥次「なんと、北八、あいつらに関わりあうのが面倒だから、いっそのこと問屋と交渉して越そう。てめえの脇差を貸してくれ」

北八「何故、どうする」

弥次「侍になるは」

ト北八の脇差を取って自分の帯に差し、時分の脇差の鞘の袋を、後ろに長く伸ばし、大小の刀を差したように見せかけ

弥次「なんと、出来合のお侍にしちゃあ良く似あうだろう。この風呂敷包をてめえ一緒に持って供になってついて来な」

北八「こいつは大笑いだ。ははははは」

と弥次郎兵衛の荷物をいっしょにして、北八が肩に引っ掛け、やがて川問屋に着く。弥次郎兵衛はお国訛りの言葉で呼びかける。

「こりゃ、問屋ども、拙者は大切な主の用で罷り通る。川越人足を頼むぞ」

問屋「はい、かしこまりました。ご同勢はいくたりで」

弥次「なに、同勢とな」

問屋「左様でござります。旦那はお篭になさいますか、それともお馬ですか。お荷物はいく駄程ござります」

弥次「本馬が三匹、馬の荷が十五ほどあるが、道中邪魔だによって江戸表に置いてきた。その替り、身どもの駕籠かきが八人、そこへ記載いたせ」

語句

■かたくま-肩車の略。■蓮台-屋根の無い略式の輿のようなもの。大井川にことに多く準備し、これに客を乗せ、川越しが担いで川を渡る。大高欄から平輦台まで数種あり。普通の平輦台の二人乗りは六人の川越しがつく。(樋畑雪湖『江戸時代の交通文化』など)。■八百-大井川の川越賃は出水の幅により乗物の違いなどで種々。満水之節水之深さにしたがひ、其時々問屋方ニ而賃銭を定むべし」と定めがある。『東海道宿村大概帳』で最も水広く(二百四十間)、深い脇通水の時で人足一人九十四文、六人付くとして、八百文はかなり高くふっかけたことは、後でわかる。■越後(ゑちご)新潟(にがた)-越後新潟の遊女を、俗に八百八後家と称した(新がた後の月見)ことによる洒落。■すさまじい-気が強い。■すりこ木-強調のための付した言葉。■じきに-じかに。自分で。■川ながり-川で水死した土左衛門。■問屋-宿駅の業務を行う役所。ただし次に川問屋とあって、川会所と問屋を一つにしているようである。賃銭を定めるのは問屋、川越しの世話は会所。武士は問屋で交渉するのが建前。川問屋は俗称か。見なれない語である。■かかつて-交渉して。■ひきはだ-旅行に使用する脇差(町人差)や刀の鞘の袋。■川問屋-川会所のことであろう。■おくにことば-参勤の侍のそれぞれの自国語をいう。侍使用の地方言葉。■こはいろ-口まね。■旦那-御主人。■本馬-規定最高の三十六貫目の荷を積んだ馬。■駄荷-本馬ほどではないが荷物運搬用の馬。以下トンチンカンな説明が続く。■陸尺(ろくしゃく)-ここは駕籠かきのこと。■そこへしるしめさろ-書類にこの数を書き入れろ。

原文

といや「ハイお侍衆(さふらひしゆ)は

弥二「侍共が十二人、やりもちはさみ箱ぞうり取、よいかよいか、かつぱかご竹馬、つがう上下三拾人あまりじや

といや「ハイハイその御どうぜいはどこにおります

弥二「イヤサ江戸表しゅつたつのせつは、のこらずめしつれたが、途中(とちう)でおいおい麻疹(はしか)をいたしおるから、宿々(しゆくじゆく)へのこしおいた。そこでただ今、川をこそふといふどうぜいは、上下あはせてたつた弐人じや。台(だい)ごしにいたそう。なんぼじや。

といや「ハイおふたりなら、蓮台(れんだい)で四百八拾文でござります

弥二「それは高直(かうちよく)じや。ちとまけやれ

といや「エエ此川の賃銭にまけるといふはないヤア。ばかアいはずとはやく行がよからずに

弥二「イヤ侍にむかつて、ばかアいうなとはなんじや

といや「ははははがいにづないお侍だヤア

弥二「こいつ武士を嘲弄(てうらう)しおる。ふとどきせんばんな

といや「こんた武士か。刀の小じりを見さつしやい

トいはれて弥次郎兵へ、ふりかへりうしろを見れば、かたなの小じり、はしらにつかへて、ひきはだばかりのところ、ふたつにおれている。みなみなどつとわらひ出せば、さすがの弥次郎めんぼくなく、しよげかへつてだんまり

といや「かたなのおれたのをさす武士がどこにあるもんだ。こんたしゆ、問屋をかたりに来たな。そんではハイ、すませないぞ

弥二「イヤ身どもは、みをのや四郎国俊(くにとし)の末孫(ばつそん)だから、それで刀のおれたのをさしおるて

といや「たはごといふとくくしあげるぞ

北八「コウ弥次さんおさまらねへ。はやくいかふ

ト手をとつて引づられ、弥次郎兵へそれをしほに、こそこそとにげ出す

といや「ハハハハハハハとほうもない気ちがひだ

弥二「ツイやりそこなつた  いまいましいハハハハハ

現代語訳

問屋「はい、お供衆は」

弥次「供侍が十二人、鎗持ち、挟み持ち、草履取、書いたか書いたか。合羽籠に雑品入りの竹馬担ぎおる下郎ども、都合上下合わせて三十人あまりじゃ」

問屋「はいはい、その御同勢方はどこにお待ちです」

弥次「いやさ、江戸表出立の節は、残らず召し連れておったが、途中で、おいおい麻疹(はしか)を患いおるので、宿々へ残し置いた。そこで、只今、川を超そうという同勢は、上下合わせてたった二人じゃ。台越しにいたそう。なんぼじゃ」

問屋「はい、お二人なら、蓮台で四百八十文でござります」

弥次「それは高い。ちと負けてくれ」

問屋「ええ、この川の賃銭でまけるということは無いやあ。馬鹿あ言わずと早く行かれたがよいでしょうに」

弥治「いや侍に向って、馬鹿あ言うなとは何じゃ」

問屋「はははは、相当に酷いお侍だやあ」

弥次「こいつ武士を嘲弄しおる。不届き千万な」

問屋「あんたが武士か。刀の小尻を見さっしゃい」

と言われて弥次郎兵衛、振り返り後ろを見れば、刀の小尻が柱につかえて、ひきはだばかりの所が、二つに折れている。皆々どっと笑い出すと、さすがの弥次郎も面目を失くし、しょげかえって黙り込む

問屋「刀の折れたのを差す武士がどこにいるものか。あんたら、問屋を騙しに来たな。それでは、はい、このまま無事には済まさないぞ」

弥次「いや、身どもは、三尾谷四郎国俊の末孫だから、それで刀の折れたのを差しておる」

問屋「戯言言うと括り上げるぞ」

北八「これ弥次さん、治まりそうもねえ。早く行こう」

と手を取って引きづられ、弥次郎兵衛それを期に、こそこそと逃げ出す。

問屋「ははははははは、途方もない気違いだ」

弥次「くそっ、ついやり損なった。いまいましい、はははははは」

語句

■やりもち-槍を持って供をする中間。■はさみ箱-武家の旅行外出の時、衣服小物などを入れて、供に持たせる木製の箱。中央上部に棒をさして担ぐ。ここはその挟箱持のこと。■ぞうり取-替草履を持つなどして従う小者。■かつぱかかご-大名など旅行の時に供人用の合羽を入れた籠。及びそれを担ぐ下人。■竹馬-竹を四足に組みその中央に籠ようのものをつけ、二つを棒につらぬいて担ぐ。物売なども使用するが、武士の旅には雑品を入れて運ぶ。■台ごし-蓮台で川越しすること。■四百八拾文-二人乗り蓮台六人かき、一人は八十文に相当する。後半の『大概帳』賃銭定めと対照しても、水量が多い場合の額である。前の八百文は約二倍ふっかけたことになる。■ちとまけやれ-武士の諸賃は法定であるので、値切るはずがない。いよいよ馬脚を現した。■がいに-ひどく。■づない-『物類呼称』に「大いなること・・・がいとも云ふ、関東すべていふか。又づないと云ふ」。「偉い」の意に使用したか。■小じり-刀の鞘の末端の部分。ひきはだだけで弱く、柱に当たって折れた。正身を見破られていたのである。■みをのや四郎国俊-浄瑠璃「傾城阿古屋の松」(明和元年初演)の三段目に、悪七兵衛景清と、しころ引をした源氏の侍、三尾谷四郎国時(「俊」は一九の誤りか)。三尾谷は太刀を打ち落されて逃げるところを、兜の鉢付の板をひかれた。■くくしあげる-騙(かた)りを働いたことになるので、問屋もおどした。■おさまらねへ-無事にすまない。

原文

出来合のなまくら武士のしるしとてかたなのさきの折れてはづかし

此狂歌に双方大笑ひとなり、弥次郎兵衛北八爰をのがれ、いそぎ川ばたにいたり見るに、往来の貴賤すき間もなく、此川のさきを争ひ越(こへ)行中に、ふたりも直段(ねだん)とりきはめて、蓮台に打乗(のり)見れば、大井川の水さかまき、目もくらむばかり、今やいのちをも捨(すて)なんとおもふほどの恐しさ、たとゆるにものなく、まことや東海第一の大河、水勢はやく石流れて、わたるになやむ難所ながら、ほどなくうち越して蓮台をおりたつ嬉しさいはんかたなし

蓮台にのりしはけつく地獄にておりたところがほんの極楽

斯(かく)うち興(けう)じて金谷(かなや)の宿(しゆく)にいたる。

現代語訳

出来合のなまくら武士のしるしとてかたなのさきの折れてはづかし

この狂歌に双方大笑いとなり、弥次郎兵衛と北八はここを逃れて、急いで川端に着いて川を見ると、往来する貴賤の人たちで隙間もないほどの混雑で、この川を先を争い越えようとするなかで、二人もようやく値段を決めて蓮台に乗って見ると、大井川の水は逆巻き、目も眩むばかり、今となっては命も落とすかもと思うほどの恐ろしさは例えようもなく、まことに東海第一の大河、水勢速く石は流れて、渡るのに難渋する難所であったが、まもなく川を越して蓮台を降りたつ嬉しさはいいようもない

蓮台にのりしはけつく地獄にておりたところがほんの極楽

このように旅を楽しみながら金谷の宿に到着する。

語句

■なまくら-鈍刀。できの悪い太刀。次の「さきの折れて」に続く。転じて武士にして武士らしからぬ者を言う。上の出来合い即ち間に合わせで、武士らしくして武士でないことにかかる。■目もくらむばかり-水流が速いので、見ていると目まいがする。目を閉じて渡るのがこつ(『東海道名所記』など)。■東海第一の大河-『諸国道中記』にも「大井川、北より流れ、下は海へ入ル。駿河遠江の境也。かい道第一の大河也。南風に水まし、西風に水落る」。■石流れて-石が流されるので、川越しも徒(かち)渡りも、足をとられて流されることがある。■蓮台-極楽には蓮のうてな(台)があって、成仏してはこの台に坐るという(『往生要集』など)に、大井川の蓮台は、降りた所が極楽だの意。

■金谷-遠江国榛原(はいばら)郡の宿駅(金谷町)。大井川を隔てて島田から一里。

                                 

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朗読・解説:左大臣光永