三編上 金谷より日坂へ

原文

両側(りやうがは)の茶やおんな「おやすみなさいまアしおやすみなさいまアし   

かごかき「もどりかごのつていじやござい

北八「コウ弥次さんかごはどふだ

弥二「イヤ気がない。手めへのるならのつていかつし

北八「そんなら日坂(につさか)まで乗(のろ)ふか

トかごのねだんきわめてうちのりたるに、おりふしあめふりいだしければ、古ござ一まい、かごの上からうちかぶせ、かつぎ出してはやくもきく川の坂にかかると、順礼が二三人

「ふだらくや、きしうつなみはみくまのの、アイおかごの旦那(だんな)壱文下さい

北八「つくなつくな

じゆんれい「御道中御はんじやうの旦那、このなかへたつた一文

北八「ええつくなといふにべらぼうめ

じゆん礼「それにべらぼうがいるもんか。そつちがべらぼうだ

北八「この乞食(こじき)めが

トりきむはづみにいかがしけん、かごのそこがすつぽりぬけて、北八どつさりしりもちをつき

「アイタタタタタタ

現代語訳

金谷より日坂へ

両側から茶屋女が声をかける。

茶屋女「お休みなさいまあし。お休みなさいまあし」

かごかき「戻り篭です。乗っておいでなさい」

北八「おい弥次さん、駕籠はどうだ」

弥次「いやそんな気がしねえ。手めえ乗るなら乗っていかっし」

北八「そんなら日坂まで乗ろうか」

と駕籠の値段を確かめて乗ったが、おりから雨が降り出したので 、古茣蓙一枚、駕籠の上から打ち被せ、担ぎ始めて早くも菊川の坂にかかると、順礼が二三待っている。

順礼「普陀落や岸打つ波は三熊野の・・・。はい、お篭の旦那一文恵んでください」

北八「寄るな、寄るな」

順礼「御道中御繁昌の旦那様、この中へたった一文」

北八「ええい、寄るなと言うに、べらぼうめ」

順礼「こん中に箆棒(べらぼう)が入るもんか。そっちこそべらぼうだ」

北八「この乞食めが」

と力んだ弾みにどうしたのか、駕籠の底がすっぽり抜けて、北八はどっさりと尻もちをつき

北八「あいたたたたたた」

語句

■もどりかご-客を目的地へ送り届けて、自分の宿駅へ帰る駕籠。従って代金を安くするのが普通。■いじやござい-「おいでなさい」の意か。■気がない-その気持ちはない。気がすすまない。■日坂-遠江国佐野郡の宿駅(今は掛川市)。金谷から一里二十四丁。■きく川の坂-遠江国榛原(はいばら)郡のうち、『諸国道中記』に「菊川坂、上下十六町」。■順礼-西国順礼。■ふだらく-西国三十三番のうち第一番那智山青岸渡寺の順礼歌「普陀落や岸打つ波は三熊野の那智の御山にひびく滝つ瀬。■壱文下さい-報謝の金をねだる。■つくなつくな-物乞いを断る言葉。■べらぼうめ-人を罵る語。

原文

じゆん礼「ハハハハハハ

かごかき「エレエレ怪我アさつしやりませぬか

北八「コレ手めへたちやアなぜこんなかごにのせた

かごかき「ゆるさつしやりませ。あんとせるもんで

北八「どこぞへいつて、いいかごをかりてきさつし

かごかき「こかア坂中でかりずとこがござらない。イヤよか(能)ことがある。ぼうぐみ のし(主)のへこ(褌)をはづせ    

ぼうぐみ「アゼどふせる

かご「ハテおれがせることがある。見され

トじぶんのふんどしをはづし、ぼうぐみのふんどしと、ふたすじにて、ござのうへから、かごのどうなかをくくりて

「サアのつていじやござれ

北「とんだことをする。これでのられるもんか

かご「ハテ外にせることがない。そんだいにやアねぶたくならしやつても、このへこでおちずよふがござらない。不肖(ふしやう)してのらつしやいませ

トきのどくそふに いふ。きた八もおかしく、これもはなしのたねと打のれば弥二郎兵へ

「ハハハハハハ白いふんどしで、かごの胴中をくくつた所は、しつかいおやしきの葬礼(そうれい)といふものだ

北八「エエいまいましい。そんなことをいいなさんな

弥二「ハハア、かごの内でものをいふから、仏(ほとけ)でもねへ。こいつここへた科人(とがにん)だな

北八「エエ猶いまいましい。おらアもふおりてゆかふ

トここよりかごをおり、ここまでのちんせんをはらひ、かごをかへしたどりゆくに、雨はしきりにふりだしければ、さかみちすべりて、やうやうとさよの中山たてばにいたる。ここは名におふあめのもちのめいぶつにて、しろきもちに、水あめをくるみていだす。このふたりさけのみなれば、やうやく一ツふたつくひける内、雨つよくなりたるに

爰(ここ)もとの名物(めいぶつ)ながらわれわれはふり出すあめのもちあましたり

伝(つた)へきく無間(むげん)の鐘(かね)は、その寺(てら)に名のみ残(のこ)りて今はなしと

この寺にむげんのかねもつきなくし今は晦日(みそか)に嘘(うそ)やつくらん

現代語訳

順礼「はははははは」

駕籠かき「あれあれ、怪我はねえですか」

北八「おい、手めえたちは何故、こんな駕籠に乗せた」

駕籠かき「許さっしゃりませ。何とか思ってしたことではござりませぬ」

北八「何処ぞへ行って、いい駕籠を借りて来なっし」

駕籠かき「こかあ坂中で借りる所がござらない。いや、よかことがある。相棒、主の褌(へこ)を外せ」

棒組「なんで、どうする」

駕籠かき「さて、俺がすることがある。見ておりなされ」

と自分の褌を外し、相棒の褌と、二つ合せにして、茣蓙の上から、駕籠の真中を括って

「さあ、乗っておいでなさい」

北八「とんだことをする。これで乗られるもんか」

駕籠かき「はて、外には手立てがない。その代り、眠たくならしゃっても、この褌(へこ)で落ちようがござらない。不承知でも乗らしゃいませ」

と気の毒そうに言う。北八もおかしくなって、これも話の種と駕籠に乗り込むと弥次郎兵衛

「はははははは白い褌で、駕籠の真中を括ったところは、武士の葬礼にそっくりというもんだ」

北八「ええ、いまいましい。そんな事を言いなさんな」

弥次「ははあ、駕籠の中で物を言うから、仏でもねえ。こいつはここへ来た罪人だな」

北八「ええ、なおいまいましい。おらあもう降りて行こう」

とここから駕籠を降り、ここまでの賃銭を払い、駕籠を返し、たどって行くと、雨がしきりに降り出したので、坂道が滑って歩きにくいなか、ようやく小夜の中山の立場に着く。

ここは有名な飴の餅が名物で、白い餅に、水飴を包んで出すのである。この二人は酒飲みなので、ようやくひとつ、ふたつ食ったところで、雨が強くなったので

爰(ここ)もとの名物(めいぶつ)ながらわれわれはふり出すあめのもちあましたり

伝え聞く無間の鐘は、無間山観音寺に名のみ残って、今は実物は無くなっている。

この寺にむげんのかねもつきなくし今は晦日(みそか)に嘘(うそ)やつくらん

語句

■あんとせるもんで-何とか思ってしたことではない。■よかこと-「よい」というのを「よか」というは九州方言(物類呼称)。ここで使用させるのは、一九の方言使用が、よい加減である一証。■ぼうぐみ-駕籠かきの相手。■へこ-『物類呼称』には、「ふどし・・・西国及び中国にて、へこといふ。奥州にて、へこしといふ」とあるのみ。■どうなか-胴中。真中。■そんだいにや-その代りに。■不肖して-不承知でも。いやいやながらも。■しつかい-悉皆。全く。そっくり。■おやしき-武家方。町人は棺のまま、または棺を輿に乗せて(江戸では)葬式に出すが、武家方では、駕籠を使用した。白布は 弔い用。■きこへた-わかった。■科人-罪人。重罪人護送用の唐丸駕籠に見立てていったもの。軍鶏(しゃち)を入れるような丸い駕籠で、綱をかけたり、厳重に縛ってあった。■さよの中山-下菊川(立場)と佐野新田の間にある。『諸国道中記』に「此山ひろくひくき山也。山の中五十町也」。ここは立場でなく休み場となっていた。『東海道宿村大概帳』に「下菊川村・・・此所立場にて餅・水飴商ふ、此所之名物也」と。■あめのもち-『改元紀行』に「山中の家にて飴の餅をひさぐ。小夜中山敵討由来。夜啼石の縁起などことごとしう書たるものあり」。■もちあましたり-「餅余す」と雨(飴の餅)を「もてあます」を地口にしてかけた趣向。■無間の鐘-佐夜の中山の無間山観音寺にあったと伝える鐘。『東海道名所図絵』に「此鐘を撞けば、現世にては無量の財宝を得るといへども、未来は無間地獄に堕落すとなり。故に此山を無間山といふ。今此鐘を尋るに曾てなし」。ただし、『和漢三才図絵』などは、中山より北方三里の光明山の鐘という。俗説(『改元紀行』)にいう小冊子類)には、井戸に埋めたという。■その寺-観音寺のこと。■かねもつきなくし~-無間(「無限」かける)鐘も、欲張った連中が撞いて撞いて無くなった。今は金の必要なく大晦日も鐘ならぬ嘘をつくだろう。

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朗読・解説:左大臣光永