三編下 袋井より見附へ

原文

両側(りやうがは)の茶屋賑(にぎは)しく、往来(おうらい)の旅(たび)人おのおの酒のみ、食事(しよくじ)などしてゐたりけるを弥次郎兵衛見て

ここに来てゆききの腹(はら)やふくれけんされば布袋(ほてい)のふくろ井の茶屋

此しゆくはづれより、上方(かみがた)ものと見へて、桟留(さんとめ)の布子に、銀(ぎん)ごしらへの脇差(わきざし)をさし、花色羅紗(はないろらしや)のしやうぞくかけし合羽(かつぱ)をきたる男、供(とも)ひとりつれて、あとになりさきになり

上方もの「モシおまいがたはおゑどじやな

弥二「さやうさ

上方「わしも毎年(まいとし)くだるものじやが、おゑどはきよとい(気疎)はんじやうなとこじやわいの。アノ吉原へもちよこちよこさそはれて、昼三(ちうさん)とやらいふおやまを買(かう)たが、いつも人にふれまはれてゆくさかい、なんぼかかつたやら、こちやしらんが、おまいがたも、さだめて買(かい)なさるじやあろふが、アリヤなんぼほどかかるぞいな

弥二「わつちも女郎かいでは、地面(ぢめん)の五ヶ所と拾ヶ所はなくしたものだが、ナニ昼三ぐらいではわづかなことさ。マアひらのちうさなんなら、片じまいで壱分弐朱、茶屋が壱分か、藝者(げいしや)が壱トくみで又壱分、そして一斤(いつきん)一斤でもとれば、その代(だい)が弐百ヅツかかるぶんのことさ

上方「ハテノわしも大見世はしよしよへいたが、其いつきんいつきんといふは、なんのこつちやいな

弥二「ソリヤア酒(さけ)一斤、肴一斤などど、内の酒がのめぬから、別に外からとりよせることさ

上方「ハアわしがいた内ではそないなことはなかつたわいな

弥二「ナニそりやアのめる酒でも、のめねへといつて、べつにとるが、ゑどつ子の気性(きしやう)さ

上方「そして上方ではみな借(かつ)てもどるが、おゑどの女郎は現金ばらひじやそふな

弥二「ナニサあそこでも、つき馬をつれてかへりさへすりやア、いくらでも貸(かし)てよこしやす

上方「ハハハハハハ コリヤおまいは、大みせのおきやくじやないわいの。そのつき馬とやらいふことは、わしらが店(たな)のしよく人しゆの、はなしできいてゐますが、昼(ちう)三かいにそんなことは、ありやせんわいな

弥二「なくてさ、ほんにわつちらア、尻に四ツ手駕(かご)の蛸(たこ)のできたほど、かよつたものだ。ナニねへことをいいやしよう

上方「ハアそん らおまいのおなじみは、何屋しやいな

弥二「アイ大木(おほき)やさ

上方「大木やの誰じやいな

弥二「とめのすけよ

上方「ハハハハハハそりや松輪(まつわ)屋じやわいな。大木やにそんなおやまはないもせぬもの。コリヤおまい、とんとやくたいじややくたいじや

弥二「ハテあそこにもありやす。ナアきた八

現代語訳

両側の茶屋が賑やかで、往来を行き交う人々がおのおの酒を飲み、食事などしているのを弥次郎が見て

ここに来てゆききの腹(はら)やふくれけんされば布袋(ほてい)のふくろ井の茶屋

この宿外れから、上方の者と見えて、桟留の綿入れを着て、銀ごしらえの脇差を差し、花色羅紗の紐をかけた合羽を着た男が、供を一人連れて、後になり先になり

上方者「もし、お前さん方はお江戸の人じゃな」

弥次「そうさ」

上方「わしも毎年下る者じゃが、お江戸はすごく繁昌している所じゃわいの。あの吉原へもちょこちょこ誘われて、昼三とやらいう遊女を買うたが、いつも人のおごりで行くから、いくらかかったやら、こちらは知らんが、お前さん方も、きっと買われるであろうが、ありゃなんぼ程かかるものだろうか」

弥次「わっちも女郎買いでは土地の五ヶ所や十カ所は失くしたもんだが、なに、昼三ぐらいではわずかなことさ。まあ一段低い女郎なら、夜だけ相手してもらって一分二朱、茶屋へのおひねりが一分か、芸者が一組で又一分、そして酒と肴のひとそろいでも頼めば、その代が二百ずつかかるということさ」

上方「はての、わしも大見世へはあちこち行ってみたが、その一斤一斤というのは何のこっちゃいな」

弥次「そりゃあ、酒一斤、肴一斤などとその遊女屋の酒は飲めねえから、別に外から取り寄せることさ」

上方「はあ、わしが上がった女郎屋ではそんなことは無かったわいな」

弥次「なに、そりゃあ飲める酒でも、飲めねえといって、別に取るのが、江戸っ子の心意気っていうもんさ」

上方「そして上方ではつけにして戻るが、お江戸の女郎は現金払いじゃそうな」

弥次「なにさ、あそこでも、つき馬を連れて帰りさえすりゃあ、いくらでも貸してよこしやす」

上方「はははははは、こりゃ、お前さんは大見世のお客じゃないわいの。そのつき馬とやら言うのは、わし等が店の職人衆の話で聞いていますが、昼三買にそんなことはありゃせんわいな」

弥次「無くてさ、ほんにわっちらあ、尻に四手駕籠の蛸ができたほど通ったもんだ。なに、無(ね)えことを言いやしょう」

上方「はあ、そんならお前さんのお馴染みは何屋かいな」

弥次「はい、大木屋さ」

上方「大木屋の誰じゃいな」

弥次「とめのすけよ」

上方「はははははは、そりゃあ松輪屋じゃわいな。大木屋にそんな女郎はおりませんもの。こりゃお前、埒も無い」

弥次「はて、あそこにもありやす。なあ北八」

語句

■ここに来て~-一首は、「腹がふくれる」意で、布袋和尚を出し、布袋の持つ「袋」を「袋井」の地名にかけた。この袋井の茶屋へ来て、街道往来の人も満腹したろう。土地の名さえ腹の大きい布袋和尚に縁のある袋井だの意。■上方(かみがた)もの-上方出身者。■桟留-インドのサントメから輸入。後に日本製もできた。綿の縞織物。『万金産業袋』に「もやう赤糸入りの立じまを奥島といへり。是御本手と云ふ。紺地に浅黄色鳥を青手と云ふ。蛇がたら、赤ざんづくし、藍ざんづくしなど有り。なべて是を奥島唐浅留とて賞翫にするなり」とは、輸入品、和製もあり柄は同じ。■銀(ぎん)ごしらへの脇差(わきざし)-脇差の金具を銀製にしてあること。■花色羅紗-はなだ(薄藍色)の羅紗(輸入本の当時は高級品)。■しやうぞく-合羽の紐を結ぶ部分。■きよとい-大いに。きつく。■はんじやう-繁昌。■吉原-江戸の公娼街。■昼三(ちうさん)-揚代昼三分から付いた称で、当時吉原では最高位の遊女。元来は夜も三分で「よび出し」と称し、茶屋へ呼んで客に会った。享和では、最高の呼出し昼三も、新造付きで一両一分。その下に新造が付かないで三分のものがある。主に大見世に多い。■おやま-当時の上方では遊女の総称。『浪花聞書』に「おやま、遊女なり。女郎とは先ず言わず、けいせいとも云ふ」。■ふれまはれ-振舞。人のおごりで行くから。■さかい-上方後の代表のごとく使用される接続詞。■ひらのちうさん-ここにいうのは寛政の再見で「さんちや、金三分、片じまい一分二朱」とある、一段低い方。■片じまい-夜だけ揚げる場合をいう。■茶屋-引手茶屋。遊女屋へ遊ぶ客を案内する業者。五十間道から吉原廓内へかけて、並んでいた。■藝者-茶屋や遊女屋で宴席を開くときに興を添える者。男芸者、女芸者ともにあった。二人連れになって呼ばれるのが習慣で一組という。■一斤-酒と肴をそれぞれ一揃えすつのこと。この称は品川遊郭に始まって、幕末では一般化し吉原でも使用されたが、この頃は吉原では用いなかった。酒一斤を一九は一升と考えていたが、実際はそれより少なかったか。肴一斤は台の物(洲浜を作った台に数品の肴を乗せて客席へ出すもの)一つををいう。■大見世-入口の格子が天井に達し、張見世をせぬ、吉原で高級な遊女屋。■内-その遊女屋をさす。■借てもどる-払いを即座にせず、つけ払いにする。■つき馬-現金で支払しない誘客の宅へ、ついて行って、金を貰って来る者。これも下級の客のこと。■四ツ手駕-江戸市街通行の駕籠。竹を四柱とした小型のもの。『守貞漫稿』頃では、日本橋から吉原大門まで二朱の価。■蛸-同じ所が刺激を受けて皮膚の硬くなった部分をいう。四手駕に乗り慣れているの意。■大木や-吉原の江戸丁一丁目の大見世扇屋の仮称。■とめのすけ-松葉屋の名妓染之助の仮称。■松輪屋-江戸丁一丁目の大見世松葉屋の仮称。■やくたい-埒もないこと。

原文

北八「エエさつきから、だまつて聞(きい)てゐりやア、弥治さんおめへきいたふうだぜ。女郎買にいつたこともなくて、人のはなしをききかぢつて、出ほうだいばつかり、外聞(げへぶん)のわるい。国もののつらよごしだ

弥二「べらぼうめ、おれだとつていかねへものか。しかもソレ、手めへを神につれていつたじやアねへか

北八「エエあの大屋さんのとむらひの時か。ヘヘ神につれたもすさまじい。なるほど弐朱のつとめをおぶさつたかはり、馬道(むまみち)のさかやで、むきみのねたとから汁(じる)でのんだ時の銭(ぜに)は、みんなおいらがはらつておいた

弥二「うそをつくぜ

北八「うそなもんか。しかもそのとき、おめへさんまの骨を咽へたてて、飯を五六ぱい、丸呑にしたじやアねへか

弥二「ばかアいへ。うぬが田まちで、あまざけをくらつて、くちをやけどしたこたアいわずに

北八「エエそれよりか、おめへ土手で、いい紙入がおちてあると、犬のくそをつかんだじやアねへか。業(ごう)さらしな

上方「ハハハハイヤはやおまいがたは、とんとやくたいなしうじやわいな

弥二「エエやくたいでもあくたいでも、うつちやつておきやアがれ。よくつべこべとしやべるやらうだ

上方「ハアこりや御めんなさい。ドレおさきへまいろふ

トきもをつぶしそうにあいさつして、あしばやにゆき過る

弥二「いまいましい。うぬらに一ばんへこまされたハハハハハハ

このはなしのうち、みかわのはしをうちわたり 大くぼの坂をこへて、はやくも見附の宿にいたる

現代語訳

北八「ええぃ、さっきから黙って聞いていりゃあ、弥次さんお前も聞いた風だぜ。女郎買に行ったことも無くて、人の話を聞き齧って、出まかせばっかり、外聞の悪い、日本人の面(つら)汚しだ」

弥次「べらぼうめ、俺だとって行かねえことがあるもんか。しかも、それ、手めえを付添に連れて行ったじゃねえか」

北八「ええ、あの大屋さんの弔いの時か。へへ付添に連れて行ったもたいそうなこった。なるほど二朱の遊び代をおごってもらった代わりに、馬道の酒屋で、剥き身のねたとから汁を飲んだ時の銭は、皆おいらが払っておいた」

弥次「嘘をつくぜ」

北八「嘘なもんか。しかもその時、おめえはさんまの骨を咽につかえて、飯を五六杯、丸飲みにしたじゃねえか」

弥次「馬鹿あ言え。お前が田町で、甘酒を食らって、口を火傷したことは言わずに」

北八「ええ、それよりか、お前(めえ)土手で、いい紙入れが落ちていると、犬の糞を掴んだじゃねえか。業晒しな」

上方「はははは、いやはやお前さんたちは、とんと埒の無い人たちじゃわいな」

弥次「ええ、埒が無くても悪態でも、うっちやっておきやあがれ。よくれこれと喋る野郎だ」

上方「はあ、こりゃ御免なさい。どれお先へまいろう」

と驚いて早々に挨拶をして、足早に行き過ぎる。

弥次「いまいましい。お前たちにいちばんやり込められたわい。はははははは」

この話をしているうちに、みかの橋を渡り、大くぼの坂を越えて、早くも見附の宿に至る。

語句

■女郎-江戸では「じょうろ」と発音すること、上方の「じょろう」とは相違する。今も東京歌舞伎においてしかり。■国もののつらよごし-同国人の体面までを悪くする。■神につれていつた-「江戸神」の略。吉原にいる専門の太鼓持(男芸者)でなくして、郊外の者を太鼓持同様の付添いとして同伴する者をいう。野太鼓。■とむらひ-葬式の帰りに、大一座で廓へ遊びに行くこと。江戸民間の風として川柳などにも多く見える。もちろん、下級の遊女屋での遊びである。■弐朱-吉原の河岸見世を除けば、下級の遊女の揚代。「たった二朱もつて吉原ほれあるき」(柳多留・四十八)。■つとめ-遊里での遊び代金。■おぶさつた-他人に遊びや飲食の費用を出してもらうことをいう通言。後に一般語となる。■馬道-浅草寺の東側で、北へ進む所。吉原通いの客の通路(今は花川戸と浅草の一部)。ここは朝帰りなどで酒食したときのことをいう。■むきみ-浅蜊貝のむき身をからしを入れた味噌または酸味噌であえたもの。■から汁-おから汁。豆腐のからを入れ、更に味噌を入れた汁。■さんまの骨-さんまの骨など、喉に立たぬものを、おかしくいったものか。■飯を~-魚の骨の喉に立った時は飯を丸飲みにすれば、同時に抜けて腹中へ下るという。■田まち-ここは浅草田町(台東区)。これも吉原の往来によったもの。■土手-山谷堀に沿った日本堤の土手八丁。ここから五十間道に下って、吉原へ入る。■あくたい-悪態。悪口を言うこと。初めの気取りはどこへやら、品の悪い所を全部人前で打ち明ける結果となった滑稽。■つべこべとしやべる-あれこれとしゃべる。■うぬら-お前達。悪しざまにいう二人称。■へこまされた-やり込められた。■みかのはし- 遠江国山名郡山ケ野村(磐田市)にある。『諸国道中記』に「みかのはし四十七間有り」(『東海道宿村大概帳』には「長三拾間横三間」で高欄付と見える)。■大くぼの坂-山名郡岩井村のうち。『諸国道中記』に「大くぼのあとさきに小坂有り」。■見附の宿-袋井より一里半の宿駅。遠江国磐田郡(磐田市)。

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朗読・解説:左大臣光永

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