三編下 見附より浜松へ

原文

北八「アアくたびれた。馬にでものろふか

馬かた「おまいち、おまアいらしやいませぬか。わしどもは役に出たおま(馬)だんで、はやくかへりたい。やすくいかずい。サアのらつしやりまし

弥二「きた八のらねへか

きた八「安くば乗(のる)べい

ト馬のそうだんができて 北八ここより馬にのる この馬かたは すけごうに出たるひやくせうゆへ いんぎんなり

弥二「コレ馬士どん、爰に天龍への近道があるじやアねへか         

馬士「アイそつ(其所)から空へあがらしやると、壱里ばかしもちかくおざるは

北八「馬はとらぬか

馬士「インネかち道でおざるよ

ト爰より弥二郎はひとりちか道のほうへまがる 北八馬にて本道をゆくに はやくもかも川ばしを打わたり、西坂さかい松のたてばにつく

ちやや女「おやすみなさりやアし、おやすみなさりやアし

ばば「めいぶつのまんぢうかわしやりまし

馬士「ばあさん、異なひよりでおざる

ばば「おはやうおざいやした。今新田(いんましんた)のあん(兄)にいが、どうし(同志)にいかずとまつていたアに。コレコレよこすかのおんば(伯母)あどんに、いいついでくんさい。道楽寺さまに御説法があるからあすびながらおざいといつてよヲ

馬士「アイアイ、又このごろに来(こ)ずい ドウドウ

北八「この馬はしづかな馬だ

馬士「おんな馬(おま)でおざるは

北八「どふりでのり心がよい

馬士「だんなアおゑどはどこだなのし

北八「ゑどは本町

現代語訳

見附より浜松へ

北八「ああ、草臥れた。馬にでも乗ろうか」

馬方「お前さんがた、馬はいりませぬか。わし等は公役に出た馬で疲れているので、早く帰りたい。安く行きますよ。さあ、乗らっしゃいまし」

弥次「北八乗らねえか」

北八「安けりゃ乗ろう」

と馬に乗る相談がまとまり、北八はここから馬に乗る。この馬方は、助郷に出た百姓なので、応対が非常に丁寧であった。

弥次「これ、馬士どん、ここに天龍への近道があるじゃあねえか」

馬士「はい、そっちから空へあがらっしゃると、一里ほども近いのですよ」

北八「馬は近道を行かないのか」

馬士「いいえ、近道ですよ」

とここから弥次郎一人が近道の方へ曲る。北八は馬で本道を行く。はやくも賀茂川橋を渡り、西坂さかい松の建場に着く。

茶屋女「お休みなさりやあし、お休みなさいやあし」

婆「名物の万十買わっしゃりまし」

馬士「婆さん、異な日和ですねえ」

婆「お早いお着きでございました。今、新田のお兄さんが、他の人と行動を一緒にせず、泊っていたに。これこれ、横須賀の伯母さんに伝言してくんなさい。道楽寺さまで御御説法があるから、遊びかたがたいらっしゃいと言ってよう」

馬士「はいはい、又、そのころに参りましょう。どうどう」

北八「この馬はおとなしい馬だ」

馬士「雌馬でござるよ」

北八「道理で乗り心地がいい」

馬士「旦那、お江戸は何処だのし」

北八「江戸は本町」

語句

■おまいち-「お前達」の訛。■役(やく)-「公役(くやく)」の略。公の勤めで助郷に出た馬。■ずい-この地の終助詞「ず」に訛って「い」がついたもの。「行きますよ」。■すけごう-助郷。宿駅の運搬等の仕事の補助として、それぞれの近村から、人馬を出させる課役。複雑な方法と変遷があった(『駅逓志稿』など)。■いんぎん-礼儀正しい。

丁寧。■天龍-天竜川。■空へあがらしやると-北上すると。■かち道-馬や駕篭の通らぬ、徒歩でのみ通行する道。■賀茂川橋-『諸国道中記』に「惣社明神社有り、出口に賀茂川橋十二間、西坂、さかい松茶や、まんぢう有り」。■異なひより-変な天候。■新田-この所『大概帳』によるに薬師新田・安間新田など「新田」と称する土地がある。■どうし(同志)にいかず-『物類称呼』に「他と連立行くを、東国にて同志に行くといふ」。■御説法-当時の田舎寺院の説教は、娯楽みの多分に入ったものである。『田舎談義』(寛政二年)描写がある。よって道楽寺などと、ふざけた名をつけた。■あすびながら-遊び半分。■おざい-おいで。

原文

馬士「ハアゑいとこだア。わしらも若い時分、おとのさまについていきおつたが、その本町といふところは、なんでもづない、あきん人ばかりゐるところだアのし

北八「ヲヲそれよ。おいらが内にも、家内(かない)七八十人ばかりのくらしだ

馬士「ソリヤア御たいそうな。おかつさまが飯をたくも、たいていのこんではない。アノおゑどは、米(こめ)がいくらしおります

北八「マア壱升弐合、よい所で壱合ぐらゐよ

馬士「ソリヤいくらに

北八「しれた事百にさ

馬士「ハア本町のだんなが、米を百ヅツ買(かは)しやるそふだ

北八「ナニとんだことを。車で買込(かいこむ)は

馬士「そんだら両(りよう)にはいくらします

北八「ナニ壱両にか。アアこうと、二一天作の八だから、二五十、二八十六でふみつけられて、四五の廿で帯(おび)とかぬと見れば むげんのかねの三斗八升七合五勺ばかりもしよふか

馬士「ハアなんだかおゑどの米屋はむつかしい。わしらにやアわからない

北八「わからぬはづだ。おれにもわからねへハハハハハハ。此はなしのうち、程なく天龍にいたる。此川は信州すわの湖水より出、東の瀬を大天龍、西を小天龍といふ、舟わたしの大河なり。弥次郎此所に待うけて、倶にこの渉(わた)しをうちこゆるとて

水上は雲より出で鱗(うろこ)ほどなみのさかまく天龍の川

よりあがりて建場の町にいたる。此所は江戸へも六十里、京都へも六十里にて、ふりわけの所なれば、中の町といへるよし

けいせいの道中ならで草鞋(わらじ)がけ茶屋にとだへぬ中の町客

それよりかやんば、薬師新田をうちすぎ、鳥居松近くになりたる頃、浜松のやど引出向ひて

やど引「モシあなたがたアおとまりなら おやどをお願ひ申ます

北八「女のいいのがあるならとまりやせう

やど引「ずいぶんおざります

現代語訳

馬士「はあ、いいとこだあ。わし等も若い時分、お殿様について行ったことがあるが、その本町という所は、なんでもこの上もなくこの大きい商人ばかり居る所だあのし」

北八「おお、それよ。おいらの家でもみんなで七八十人ばかりの暮しだ」

馬士「そりゃあ、大がかりな。奥様が飯を炊くのもていていのことではないわ。あのお江戸は、米はいくらぐらいしやすか」

北八「まあ、一升二合、いい所で一合ぐらいよ」

馬士「そりゃあ、いくらに」

北八「しれた事、百文さ」

馬士「はあ、本町の旦那が、米を百文づつ買わっしゃるそうだ」

北八「なに、とんだことを、車で買込むは」

馬士「そんだら両ではいくらしやす」

北八「なに、一両にか。ああ、こうと二一天作の八だから、二五十、二八十六で文付けられて、四五の二十で帯解かぬと見れば、無間の鐘の三斗八升七合五勺ばかりもしようか」

馬士「はあ、なんだかお江戸の米やは難しい。わしらにはわからない」

北八「解らぬ筈だ。俺にも解らねえはははははは。この話しをしているうちに、程なく天龍に着く。この川は信州諏訪湖の湖水より出で、東の瀬を大天龍、西を小天龍という。舟で渡らなければならない大河である。弥次郎は此処で待ち受け、共にこの渡しを越えようとして

水上は雲より出で鱗(うろこ)ほどなみのさかまく天龍の川

からあがって建場の町に着く。ここは江戸へも六十里、京都へも六十里で、別れ道なので、中の町というそうだ。

けいせいの道中ならで草鞋(わらじ)がけ茶屋にとだへぬ中の町客

それより萱場(かやんば)、薬師新田を過ぎ、鳥居松近くになった頃、浜松の客引が出向って

宿引「もし、あなたがたあお泊りなら、お宿を取って下さりませ」

北八「いい女がいるなら泊りやしょう」

宿引「たくさんおりますよ」

語句

■おとのさまに~-お殿様。参勤交代の江戸行きの時、人夫として供をしたこと。■本町-江戸の目抜き通りの一。常盤橋東詰の北寄りを東西に通る。薬種屋をはじめ金座・桝屋の大商店・老舗が並んでいた。四丁目まで(今の日本橋本石町・室町・本町に相当)。■づない-この上もなく大きい。■御たいそうな-大がかりな。ここの「御」は丁寧にいうための語。■おかつさま-他人の妻を尊んで言う。主婦。おかみさん。■壱升弐合-『三貨幣〇』によれば、享和三年・文化元年ともに肥後米一石が一貫文。普通の米は肥後米より少し安いのでここのごとくになる。■百-百文。■二一天作の八-算盤の割り算の時の呼声「二一天作の五」を、間違っていう。■二五十-これは算盤の掛け算の呼声。■二八十六で~-浄瑠璃「ひらがな盛衰記」四段目の梅が枝が三百両欲しさに、無間の鐘になぞらえて、手水鉢を打たんとするところに、三下り歌として「ニ八十六で、文(ふみ)付けられて、二九の十八で、つい其心、四五の二十なら、一期に一度、わしや帯とかぬ」のかた言をいわせたもの(この文句については万象亭の『反古籠』に説が見える)。■むげんのかねの-前条の手水鉢を見立てたのでいう。■三斗八升七合五勺-この一両の米の量は、もちろん出鱈目である。■わしらにやアわからない-浄瑠璃の文句でごまかしているのが、田舎の馬士にわからぬのも、もっとも。■わからねへ-この「わからねへ」は、勘定が十分できぬの意。■天龍-『諸国道中記』に「天りう川、信州すわの湖水より流来る。東の瀬を大天竜。西を小天竜と云。舟渡し也。船賃十六文。大水には子安の森より船にのる」。『大概帳』に「大天竜川常水川幅弐拾五間、小天竜川常水川幅百間余、堤より堤まで八丁余、右両川共池田町・富田村之間に之有・・・」。■すわ-信州(長野県)の諏訪盆地にある湖。■けいせい-特に吉原の女郎を言ったもの。「道中」は昼三などが遊女屋から吉原の中の町を通って客に招かれ引手茶屋へ行く儀式。中の町は吉原の中央通りの名に同じなのでかけてある。一首は、吉原の中の町と同じ名だ。ここは傾城道中の高足駄でなく旅の草履がけだが、茶屋に客の絶えぬ繁昌もまた同じだの意。■かやんば-萱(茅)場。『諸国道中記』に「かやんば、あんま本坂越しの道有り、末に記ス、薬師新田やくし堂有り、手前に鳥居松と云ふ所茶や有り」とするをそのまま利用。「鳥居松」は東から来て右側にあった松の名。■はま松-見附から四里七丁の宿駅。遠江国敷地郡(今の浜松市)。■やど引-ここは男性の客引き。■女-飯盛り女。

原文

弥二「とまるから飯もくはせるか

やど引「あげまいで

北八「コレ菜(さい)は何をくはせる

やど引「ハイ当所の名物薯蕷(じねんじよ)でもあげませう

北八「それが平か。そればかりじゃアあるめへ

やど引「ハイそれにしゐたけ、くわゐのよふなものをあしらひまして

北八「しるがとうふに、こんにやくのしらあへか

弥二「マアかるくしておくがいい。そのかわり百ケ日には、ちとはりこまつせへ

やど引「コレハいなことをおつしゃる、ハハハハハハ。時にもふまいりました

弥二「ヲヤもふはま松か。思ひの外はやく来たわへ

現代語訳

弥次「泊まるから飯も食わせてくれるか」

宿引「さしあげすにおきますものか」

北八「これ、采(さい)は何を食わせる」

宿引「はい、ここの名物の自然薯(じねんじょ)でもあげましょう」

北八「それが平椀か。そればかりじゃあるめえ」

宿引「はい、それに椎茸、くわいのようなものをあしらいまして

北八「汁が豆腐に、蒟蒻(こんにゃく)の白和えものか」

弥次「まあ、簡単にしておくがいい。そのかわり百ケ日には少し奮発しなせえ」

宿引「これは異なことをおっしゃる、はははははは。そろそろ城下でございます」

弥次「おや、もう浜松か。思ひの外早く着いたわ」

語句

■あげまいで-さしあげすにおきますものか。■薯蕷(じねんじよ)-『東行話説』の荒井の条に「飯田武兵衛といふが許に暫く息ひて、飯にあらで、茶を一ツのみ居る内、亭主が送る迚、長芋を持ちて出る時に、・・・遅ければ荒ゐ荒ゐといひ立てて長いもならすふひやうしに立つ」と見える。長芋即ち薯蕷(じねんじよ)は、この辺り一帯の名産であった。■ひら-底が浅くて平たい椀。また、それで出す料理。■しらあへ-豆腐をすり潰して薄味をつけてあえたもの。■かるく-簡略に。■百ケ日-宿引が野菜ばかり食べるので、精進料理とひやかし、死者の法要とみ、百ケ日の法要までは簡略にし、当日は最後の日と、少し立派に金をかけよなどと戯れる。■いなこと-宿引の、ひやかしに気づいてのおあいそ言葉。

次の章「三編下 浜松より舞阪へ

朗読・解説:左大臣光永

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