四編上 荒井より白須賀へ

原文

東海道中膝栗毛四篇上

由縁斎貞柳(ゆえんさいていりう)の狂歌(けうか)に、螺貝(ほらがい)の出(いで)しむかしはしらねども、今吹(ふ)くは追風(おひて)なりけりと詠(よみ)しは、東海道(あづまかいどう)に名だたる今切の渉(わたし)になん。そのかみ明応(めいおう)の比山の奥(おく)より、螺貝あまたぬけ出、それより海上あしくなりたりしを、元禄(げんろく)年中

公(おほやけ)の命(めい)によりて、海上に数万(すまん)の杭をうち、蛇籠(じやかご)をふせ、往来渡船(おうらいとせん)の難渋(なんじう)をすくひ給はりし、御恵の(おんめぐみ)有がたさに、風和(かぜやは)らぎ浪低なりてわたるに難なく、かの弥次郎兵衛きた八、爰を打わたりて、あら井の駅に支度ととのへ、名物のかばやきに腹をふくらし休みゐたるに、げにも来往の貴賤絶間なく、舟場へ急ぐ旅人は、足もそらに出ふねをよばふ声につれてはしり、問屋へかかる宰領はくちやかましく、果役をふるる馬さしについてののしる。はたご屋のはかまごし、よこちよにまげてはしり、茶屋おんなのまへだれ、すぢかひに引ずつてとぶ。長もち人足横にたつてうたひ、馬士うしろをむきて、ひよぐりながら行道すがら

うた「うらが性根ははま名のはしよエ、今はとだへてエ、おともせぬヨエ、ドウドウ

ちや屋おんな「おやすみなさりまアし、おやすみなさりまアし。コレ馬士どん、おおろし申さつせへよ

馬士「ヲツトだんなさま、ソリヤおつぶりがあぶんない

トちや屋の軒下へ馬を引いれる。このからしりにのりたるは、もめんのねずみ小もんに、ひうちの所、くろじゆすをあてたる、ぶつさきばおりをきたるお侍、馬よりおりて、きた八と弥次郎がやすんでゐる、向ふのしやうぎにこしをかける

女「おちやあがりまし

トちやをくんでくる。お侍女のかほをじろりと見たあとにて、ちやわんをとり

侍「モウ何時じやろふ

女「九ツ半でもおざりましよ

馬士「きんにようの今時分じやろかい

侍「したくいたそふ。何ぞあるか

女「おなぎのかばやきがおざります

侍「なんじや、お内儀(ないぎ)のかばやきか

馬士「御てい主のすつぽん煮はないかな。ハハハハハハ時にだんなさま、お荷物は是におきます。お小づけがてうど五ツ

侍「その貫(くはん)ざしはこれへたもれ

現代語訳

由縁斎貞柳(ゆえんさいていりゅう)の狂歌に「法螺貝(ほらがい)の出(いで)しむかしはしらねども、今吹(ふ)くはよき追風(おひて)なりけり」と詠まれたのは、東海道に名だたる今切の渡しの事である。過ぎにし明応年間に山崩れがあって、この山の奥から法螺貝が大量に放出されたが、それ以来、海路の交通に支障をきたし、海が汚染され、元禄の年に公儀の命によって海中に数万という大量の杭が打ち込まれた。蛇駕を伏せ、往来する渡船を危険から救われたその恩恵は有難く、風は和らぎ、浪は低くなって、渡るのに苦労なく、かの弥次郎北八は、ここを渡って、新居の駅で旅ごしらえをし、名物の蒲焼に腹を膨らせて休んでいたが、まことに往来の貴賤絶え間なく、舟着場へ急ぐ旅人は、出舟を知らせる船頭の塩辛声につれて、足を飛ばせて走り、問屋を指図する監督の侍は、馬の調達を布告して歩く馬差の役人を口喧しく罵る。旅籠屋の亭主は着崩れた袴姿にもかかわらず、忙しく走り回り、茶屋女もねじれた前垂れ、筋交いに引きずっ飛び回り、客引きに大忙しである。長持人足は長持の横に立って唄い、馬子は後ろを向いて立小便をしながら行く道すがら

唄「うらが性根ははま名のはしよエ、今はとだへてエ、おともせぬヨエ、ドウドウ」

茶屋女「お休みなさいまあし、お休みなさいまあし。これ、馬士どん、客をお下し申さっせえよ」

馬士「おっと、旦那様。そりゃあ、頭が危ない。注意してください」

と言いつつ茶屋の軒下へ馬を引き入れる。この馬に乗っていたのは、木綿の鼠小紋に、ひうちの所に黒繻子を当てた、ぶっさき羽織を着たお侍。馬から降りて、北八と弥次郎兵衛が休んでいる、向いの床几に腰を掛ける。

女「お茶、あがりまし」

と茶を汲んで来る。お侍はかの女の顔をじろりと見た後で、茶碗を取り、

侍「もう、何時じゃろう」

女「九つ半でもおざりましょ」

馬士「昨日の今時分じゃろうかい」

侍「飯を食おう、何かあるか」

女「鰻(おなぎ)の蒲焼がおざります」

侍「なんじゃ、お内儀(ないぎ)の蒲焼か」

馬士「御亭主のすっぽん煮はないかな。ハハハハハハ、時に旦那様、お荷物はここに置きます。小さなお荷物が丁度五個」

侍「そのさし銭一貫文はここへ持って来なされ」

語句

■由縁斎貞柳(ゆえんさいていりう)-大阪の狂歌師。榎並氏。俗称永田善八。別号由煙斎(または油煙斎)。鯛屋と称した菓子商。狂歌普及に功があった。(1654~1734)。作は『貞柳翁狂歌全集類題』などに所収。■螺貝の~-「螺貝」と「吹」、「吹」と「追風」の縁語仕立てで、今切(いまぎり)の昔話を聞きながらの快い渡海を詠じたもの。■今切の渉-『諸国道中記』に「むかしは此所山よりつづきてくが地なりしに、二百年以前明応年中、大地震して、山の奥より螺貝多くぬけ出で、海へとび、其跡だんだんくづれ、五りばかりおく山より、あらゐの浜とひとつニ海となる。元禄年中つ波にて、海上あしくなり、風有りて波高き時は、渡船難儀たっりしに、上よりの仰付数万の杭を打ち、蛇かごをふせ、舞阪の方へ半りほど海中両がわに杭を打ち、其中を渡船する也」。一九はこの文章を抄記したまで。■明応-一四九二~一五〇一年の間。「東海道名所図絵」に、螺貝の出たは永正七年(1510)、今切の地震は明応八年(1499)と見える。■海上(かいしやう)-澄んで読むのが当時の風。■蛇駕-大きく長い駕に石を詰めて、水辺に多く並べて、水を防ぐ用にする。■あら井-新居。舞坂から浜名湖の今切の所、海上一里の宿駅。敷知郡内(今は浜名郡新居町)。■支度ととのへ-食事をして。■足もそらに-足をとばせて、急ぐさまの形容。■宰領-荷物運送の人夫の監督。「くちやかましく」は下の「ののしる」にかかる。■果役-課役。公命で、人民が労役すること一般をいうが、ここは街道筋のことで、助郷に出ること。■ふるる-触れを出して回る。■馬さし-馬差。宿駅で人馬の指図をする役人。その役人に宰領が、自分の方の荷について、口やかましく大声でいっている。■はたご屋-袴の腰板。大名などの宿泊で宿屋の亭主が袴を着けたはよいが、まがったままで忙しく動き回る。■すじかひに-斜めに交差したまま。よじれたまに。■引ずつて-引きずって。■長もち人足-長持入りの荷を運ぶ人足。■横にたつて-長持の横に立つて。■ひよぐりながら-小便をしながら。■うらが性根-『頭註東海道中膝栗毛』に饗庭篁村の説として「うらが恋人の性根はの意」と。■はま名のはし-浜名の橋。『塩尻』に「浜名の橋は湖水にかけわたしたるなるべし。然れば前にいふ本坂越のかたに此名所有りたりと見ゆ」「三ケ日辺は昔の浜名にて、橋の旧跡は釣村にあり」。なお『東海道名所図絵』に「むかしは橋の長さ五十六丈、広サ壱丈三尺、高さ壱丈六尺。陽成帝の御時架されしが、二十年の後貞観四年に修造ありし事、三代実録にも見へたり。今は此橋もなくて、只名のみ遺れり」。歌の意は、おれの思い女の性根は浜名の橋だ。今はかよい路の橋もとだえて、橋行く人の足音もせぬごとく、音沙汰もない。■おおろし申さつせへよ-(新居の宿へ着いたので)馬から客を下ろし申せ。■おつぶりがあぶんない-頭が危ない。注意してください。■からしり-荷物では、本馬三十六貫の約半分二十貫を乗せる馬。人が乗る時は、蒲団・中敷・小付のほか五貫目までの手荷物を許した。■ねずみ小紋-地は鼠色で、小さい紋を一面に散らし出して初めたもの。■ひうちの所-ぶっさき羽織の背筋の切れたとじ目のところ。その縁に、小さく黒色繻子を付けた。■お侍女のかほをじろりと見て-田舎侍は、いわゆる「しつ深」で、女性の顔など見るのが、滑稽本・洒落本では例となっている。■九ツ半-午後一時ころ。■きんにようの今時分-昨日の今時分というのは洒落。■したく-食事。■お内儀のかばやき-「お内儀」は人の妻女を呼ぶ称。ここは洒落ではなく、方言で「うなぎ」を「おなぎ」といったので、聞き違えた。■御ていしゆの-馬方はまた洒落ている。侍の客を小馬鹿にした気味を出したもの。■すつぽん煮-魚類を、味噌・醤油・砂糖で味濃く煮つけて、生姜汁を落としたもの。■お小づけ-五貫目の定まった重さの上に、小さい手荷物として許された荷物のこと。五つもつけると相当の重さとなるので、次の軽尻の荷物としては重すぎるとの羽化方の言葉が出る。田舎侍のほうは、倹約して上手に旅をしよう、旅なれないので馬方などにだまされまいとする気持がある。その間の滑稽を描いたもの。■貫(くはん)ざし-銭一貫文をつないだ細い縄。この縄を緡(さし)という。これも馬につなげていたのです。

原文

馬士「ハイハイ、モシだんなさま、ちとおねがひがおざります。ヘヘヘヘどふぞ御酒を、いつぱいたべたふおざります

侍「ホウお身、さけがすきか

馬士「ハイめしよりはすきでおざります

侍「ゑんりよのない事じや。勝手にのみやれ。身共たべうずならば、ふれまふものを、かいもく下戸じやからぜひがない

馬士「ハアだんなはあがらずとも、ハイどふぞ、いただきたふおざります

侍「ハア解せた。お身酒手をくせといふのじやな。イヤまかりならんぞ。道中御定法の賃銭ども、相はらつてまかり通る。別に酒手なぞといふ事は、決してならん事じや

馬士「さやうではおざりますが、どふぞそこを

侍「イヤ達てといはば遣はそふが、請取書をしやれ。身共帰国の節、とん屋どもへ相とどける

馬士「いつたいから尻のお荷物には、おもすぎておるから、どふぞ御りやうけんさなされまして

侍「然らばソレ八銭も遣はそふ

トくはんざしより八文ぬいてやる

馬士「ハイせめて十六文下さりませ

侍「しからば、身共了見のもつて、今四文遣はそふ

トぜに四文ほうり出してやる。馬士ふえうぶせうに取て、馬をひき行

侍「コリヤまてまて、南無三宝、あやつもふ、どこへか行おつたそふな。身共大切の草鞋を馬につけておゐたが、もつて行おつたおふじや。残念な、江戸まではかれるわらふじじやものを

トぶつぶつこごとをいふをきた八おかしく

「モシあなたは、ゑどへお下りでござりますか

侍「さやうさやう

北八「今承りますれば、草鞋一そくを、ゑどまでおはきなさると見へましたが、けしからず道がお上手でござりますの

侍「イヤ身共、手作にいたいたわらふじじやほどに、一そくあると、いつもゑどまで行戻りはきおります

弥次郎「ほんにわらじのきれるは、あるき下手でござりますが、あなたは道がお巧者なことだ。しかし私も、此わらじは、一昨年松前へはいてまいつたが、帰るまで何ともござりませなんだから、しまつておいて、去年長崎へもはいてまいるし、そして又今度はいて出ましたが、御ろうじませ。まだなんともござりませぬ

侍「はて扨お手前は、身共より道が巧者じや。いかがいたせばそのよふに、ひさしくわらふじがはかれますな

弥二「ナニサ草鞋ははきづめにしても切れませぬが、そのかはり、私はどふも脚絆がきれてなりませぬ

侍「それはどふして

弥次「私は旅へ出ますると、馬に乗づめにいたしますから

きた八「おきやアがれハハハハハハ

弥次「サアいかふ。あなた御ゆるりと、アイおせは

トこの勘定をして立出 此しゆくはづれより、二人ともふた川までの駕をとりて、打のり行ほどに、はや高師山、はしもとの北に見ゆれば、弥次郎兵へれいの狂歌を口づさむ

鳶がうむ高師の山の冬はさぞ雪に真白く見違やせん

現代語訳

馬士「はい、はい。もし、旦那様、ちとお願いがおざります。へへへへどうぞ御酒を、いっぱい飲みとうおざります」

侍「ほう、御身、酒が好きか」

馬士「はい、飯より好きでおざります」

侍「遠慮の無い事じゃ。勝手に飲みやれ。身共も酒が飲めたら、振舞うものを、まったく飲めないので是非も無い」

馬士「はあ、旦那様は飲めなくても、はい、どうぞ、いただきとうおざります」

侍「はあ、解せた。お身、酒手をよこせと言うのじゃな。いや、まかりならんぞ。道中の賃銭などは御定法どおりのものを支払ってまかり通る。別に酒手などという事は、決してならん事じゃ」

馬士「左様ではおざりますが、そこを何とか」

侍「いや、たってと言うなら遣わしもいたそうが、請取書を書きやれ。身共が帰国の折に問屋どもへ届けることにいたそう」

馬士「いったい荷駄馬のお荷物にしては、重すぎましたから、そこをどうぞご理解なさって」

侍「しからば、それ、八文ほども遣わそう」

と貫ざしから八文抜いてやる。

馬士「はい、せめて十六文は下さりませ」

侍「然らば、身共の配慮にてさらに四文を遣わそう」

と銭四文を放り投げてやる。馬士は不承不承に受け取って、馬を引いて行ってしまう。

侍「こりゃ、待て待て。南無三宝、あやつ、もう、何処かへ行きおったわい。身共の大切な草履を馬につけておいたが、そのまま持って行きおったようじゃ。残念な、江戸まで履かれる草鞋じゃものを」

とぶつぶつ小言を言っているのを見た北八はおかしくなって

北八「もし、貴方さまは、江戸へお下りでござりますか」

侍「左様、左様」

北八「今承りますれば、草履一足を、江戸までお履きになさると見えましたが、たいそう道中旅をなさるのがお上手でおざりますなぁ」

侍「いや身共の手作りの草鞋じゃほどに、一足あると、いつも江戸までの往復に履いておる」

弥次郎「ほんに草鞋の切れるのは、歩き下手でござりますが、貴方は道中旅がお上手なことだ。しかし私も、この草鞋は一昨年松前まで履いてまいったが、帰るまで何ともござりませなんだから、しまっておいて、去年長崎へも履いてまいるし、そして又今度履いて出ましたが、御覧なさい。まだ何ともござりませぬ」

侍「はてさて、お手前は身共より道中旅がお上手じゃ。いかがいたせばそのように、長く草鞋を履かれますかな」

弥次「さにせ、草履は履きづめにしても切れませぬが、その変わり、私はどうも脚絆が切れてなりませぬ」

侍「それは又どうして」

弥次「私は旅へ出ますると、馬に乗り詰めいたしますから」

北八「おきやあがれ、はははははは」

弥次「さあ行こう。貴方さまはごゆるりと、はい、お世話様」

とここの勘定を済ませ、出立し、この宿外れより、二人とも二川までの駕を頼んで、乗って行くうちに、早くも高師山が橋本村の北に見えてきたので、弥次郎兵衛は例の狂歌を口ずさむ。

鳶(とび)がうむ高師(たかし)の山の冬はさぞ雪に真白く見違やせん

語句

■御酒を~-これは酒手を上手にねだる言葉。■身共たべうずならば-自分が酒が飲めるならば、振舞う(おごる)のだが、全くの下戸(げこ)なので・・・。馬方のいう意味が通じない返事。■酒手をくせと~-酒代と称して、賃金以外に出す心づけの銭。「くせ」は「よこせ」の意。■御定法の賃銭-公定の賃金。寛政完成後の賃金表では、新居と次の宿駅の白須賀間は、軽尻で六十文、本馬で九十一文。■達て-ぜひに。■とん屋-問屋。この馬方が属している宿駅の問屋。何という馬方が、かかる違法をしたと証拠を出して届けるとは、「酒手」ぐらいでは大仰なところが滑稽。■ソレ八銭も遣はそふ-武士も重いのは承知なのであって、むずかしい事をいって、少しでも安く済まそうとする魂胆。田舎者と見くびった馬方のほうが負けになるのも、これまた滑稽。■南無三宝-誓いの言葉で、「三宝にかけて」の意であるが、失敗した時などにも発した語。■草鞋-似合わしく田舎言葉風にしてあるが、根拠があるのではない。この前後然りである。■けしからず-非常に。■道がお上手-道中旅をするのが上手。■手作-手づくり。■お巧者-素人の手づくりの草履・草鞋は、業者の物より強いのは事実。「上手」というに同じ。■松前-北海道の南端の城下町(松前郡松前町)。日本の東北の端と思えばよい。■長崎-当時唯一の貿易港。これは日本の南西端のつもり。■脚絆-脚絆が切れるのは、次の明らかなように、馬に乗るので、馬具とすれて切れるの意。■ふた川-二川。新居からは次の次の駅。三里六町の間。■高師山-新居と白須賀間にある歌枕。■はしもと-橋本村。新居宿の加宿で、船着より二十丁の所にある。加宿とは、人馬の少ない宿駅では、隣村と合せて、宿駅の任務を果たす定めであった。その隣村の事。■鳶がうむ~-「鳶が鷹を生む」の諺で、「鷹」を「高師」にかけ、真っ白い班の鷹の羽根などいうので、「真白く」を出した。意は平明で、冬には高師山も雪で真白くなって、また別の趣があろう。

原文

此あたりにて向ふよりくる、ふた川の駕(かご)に行合

ふた川のかごかき「どふじやおやかた、かへていかずに

こちらのかごかき「なんぼおこす

ふた川「げんこやらずに、それでいじやござい

こちらのかご「ままよ棒組まけてやらアず

トかごのそうだんができて両ほうのかごかき

「旦那さまがた、駕をかへますから、乗りかへて下さりませ

北八「ふた川まで打こしだがいいか

ト此内ふた川のかごにのり来る男こちらの駕にのりかはれば、北八も弥二郎もさきの駕にのりうつると

北八をのせたるかごかき「旦那は仕合じや。コリヤア宿屋駕でおざりますから、蒲団がしいてあるだけ、おまへ方は、かへさしやつたがお徳といふものじや

北八「ほんにそふだ

トいいつつ、かごにしたじきのふとん、高くなりいたるに心づき、何ごころなくふとんのあいだをさぐり見れば、四文ぜに壱本あり。さては今ままでのつてきた男が、爰においてわすれたと見へた。なんでもこいつ、せしめうつしと、きた八そつと、かの一本をおのがふところへちやくぼくして、そしらぬかほをしている。このうちはやくも、しらすかの駅にいたる。

現代語訳

この辺りで、二川から来る駕に行き合う。

二川の駕かき「どうじゃ親方、客を取り替えないか」

こちらの駕かき「いくら割増をよこす」

二川「げんこ(五十文)やろう。それで承知なら交換しよう」

こちらの駕「ままよ、相棒、負けてやろうか」

駕屋どもの相談が成り、両方の駕かき

「旦那さまがた、駕を替えますから、乗り替えて下さりませ」

北八「二川まで休憩なしで直行したいがいいか」

と、そのうちに、二川の駕に乗ってきた男がこちらの駕に乗り替えれば、北八も弥次郎も前の駕に乗り移ると、北八を乗せた駕かき

「旦那は幸せじゃ。こりゃあ宿屋駕でおざりますから、蒲団が敷いてあるだけ、お前方は、乗り替えさっしゃったがお得というものじゃ」

北八「ほんにそうだ」

と言いつつ、駕篭の下に敷いた蒲団が盛り上がっているのに気付き、何気なく蒲団の間を探って見ると四文銭を百つなぎにしたものがある。さては今まで乗って来た男が、ここに置き忘れたのだと見える。なんでもこいつをせしめると、北八はそっと、その一本を自分の懐へ着服して、素知らぬ顔をしている。篭はまもなく白須賀の宿に到着する。

語句

■おやかた-親方。こちらの駕かきに呼びかけた言葉。尊敬というより、ここは気安い中の軽い冗談。「先生」と言うが如し。■かへていかずに-客を取り替えないか。交換することでお互いに往復共に客を持つ事になって、空駕籠の無駄が無くなる。■げんこ-五の数を示す街道筋の駕篭かきなどの隠語。軽尻が新居・白須賀間六十文、白須賀・二川間五十四文からみれば、ここは五十文であろう。五十文やろうが、それで承知なら交換しよう。■棒組-相棒。駕篭の片棒かく仲間にも相談している様(後出の例によれば、お互いに駕籠かき仲間をいっているから、これも二川の駕篭かきに呼びかけたとも解せる)。■打こし-次の宿場(白須賀)で休憩をとらずに、目的地(二川)まで直行する意。■宿屋駕-宿屋が世話して呼んで雇った駕篭。前出の粗末な問屋駕篭よりよい意。■したじきのふとん-駕篭の下部に敷いた蒲団。■四文ぜに-四文銭を百つなぎ一緡(さし)にしたもの。■せしめうるし-「せしめる」を洒落て言った。こっそり自分のものとする。「せしめうるし」は漆の木からかきとった濃い汁。強い接着力があるもの。■ちやくぼく-「着服」の訛。■しらすか-白須賀。新居より一里二十四丁の宿駅。遠江国浜名郡(静岡県湖西市内)。■出女の~-「色の白いは七難かくす」の諺を利用。「出女」は宿引の女性。客引き女の色は黒いが、名が七難かくすという白を名に負う白須賀の宿なので、勘弁しよう。■汐見坂-この宿駅の区域内であるが、東南の、新居寄りにある小坂。ただし『諸国道中記』には、白須賀の次に「汐見坂より富士山遠江なだ見へ渡る名所也」とあるので、順序は逆になっている。「蒼海」の語は、『東海道名所図絵』にもある(広重の保永堂版は、汐見坂で、正面に遠江灘を見る)。■風景に~-「目もとの汐」は愛敬ある目つきの意。女の目もとの汐という汐見坂では、風景にも愛敬があって、愛すべきである。■さきぼう-先棒。駕篭の前の方をかく者。■えいよふ-不思議に。■馬の耳に風-風流などに全く無関心で、見聞きしても感じない意の諺。■おく山に~-『古今集』秋上所収で、『百人一首』にも採られた猿丸太夫の詠。■なににしされ-どうあろうとも。■ひゆつと-軽々と出る様の形容。ひょっと。 

                                                                         

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朗読・解説:左大臣光永