四編上 白須賀より二川へ

原文

はいりぐちのちや屋女、おもてに出、よびたつるを見て、弥次郎兵へ

出女の顔のくろきも名にめでて七なんかくす白(しら)すかの宿(やど)

此宿をうちすぎ、程なく汐見坂(しほみざか)にさしかかるに、是なん北は山つづきにして、南に蒼海(そうかい)満々(まんまん)と見へ、絶景まことにいふばかりなし

風景に愛敬ありてしをらしや女(おな)が目もとの汐見坂には

北八かく口づさみたるを駕のさきぼう聞つけて

「ハア旦那はゑらい歌人じやな。アレ向ふの山を見さしやりまし。鹿がゐりますは

北八「ドレドレ是はおもしろい

さきぼう「めいよふおゑどの旦那方は、あんなおもしろふもない、ちくせうめをめづらしがらしやつて、きんにようも発句とやらを、いわつしやれたお人があつた

北八「おれも今の鹿で一首よんだ。貴さまたちにいつてきかせたとつて、馬の耳に風だろふが、こういふ歌だ。おく山に紅葉ふみわけなく鹿の、声きく時ぞ秋はかなしき。なんと奇妙か、なんと奇妙か

あとぼう「だんなはゑらいものじや。わしどもはかいもくしらぬが、なんにしされ、うたが直に、ひゆつと出るといふものじやからゑらいゑらい

北八「ちよつとした所が此くらゐなものよ。イヤ貴様たち、あんまり賛(ほめ)てくれたから、酒が呑ましたくなつた。爰は建場か

さきぼう「さるが馬場(ばんば)でおざります。サア棒組一ぷく吸つていかアず

トちや屋の篭をおろしやすむ

北八「みんな一盃(いつぱい)ヅツのまつし。コレ女中、そこへ酒を壱升でも二升でも、うめへ肴をつけて、出してやつてくんな

弥次郎兵へ篭の内にて

「ヲヤ北八どふした。でへぶ(大分)おうふうなことをいふな

北八「ナニサちよつと呑ませるが、どこでもこのくらひなものだ

トさきほどひろひし、四文ぜに一本をだして、見せかける

弥二郎「手めへそれをみんなおごるか

北八「しれた事よ

弥二「おもしろへ。おいらも御馳走になろふ

ト弥二郎かごを出て、みせさきにすはると、やがて女が、さけさかなをもち出る。北八をのせたる、かごのさきぼう

「是は有(あり)がたふおざります。旦那いただきます。コリヤコリヤぼうぐみ、どこへいつた。ヤイみんな来(き)されの。さつきの猿丸太夫さまが、御酒を下されるは

トかごかき四人よりこぞりてのみかける。弥次郎もおかしく、おもいれのみかける。きた八は、一ばんへこまされて、だんまりなり

弥二「サアサア御ていしゆいくらだの。御酒代は篭の旦那がおはらひだ

ていしゆ「ハイハイ酒とさかなで、三百八十文でおざります。

北八「コリヤごうてきにくらやアがつた

トふせうぶせうにかのぜにを払つてしまふ。かごかき心付

「ヤほんにぼうぐみ、さつきの一本の銭はどふした

ぼうぐみ「ヲオヲオ、それそれ。モシ旦那、あなたの乗(のつ)てござらしやる、ふとんの間に四文銭壱本いれておきましたが、あるか見てくだされませ

トいはれて北八びつくりし

現代語訳

白須賀より二川へ

入り口の茶屋女が表通りに出て、呼び立てているのを見て、弥次郎兵衛

出女の顔のくろきも名にめでて七なんかくす白(しら)すかの宿(やど)

この宿を行き過ぎ、間もなく汐見坂にさしかかると、北は山続きで、南に蒼い海が満々と見え、その絶景は例える言葉も無い。

風景に愛敬ありてしをらしや女(おな)が目もとの汐見坂には

北八がこのように口ずさんだのを駕の先棒が聞きつけて

「はああ、旦那はえらい歌人じゃな。あれ、向こうの山を見さしゃりまし。鹿がおりますわ」

北八「どれどれ、これは面白い」

先棒「不思議なことに、お江戸の旦那方は、あんな面白うもない、畜生奴を珍しがらしやって、昨日も発句とやらを、言わっしやれたお人があった」

北八「俺も今の鹿で一首詠んだ。貴様たちに詠んで聞かせたとって、馬の耳に念仏だろうが、こういう歌だ。奧山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき。なんと奇妙か。なんと奇妙か」

後棒「旦那は偉いものじゃ。わしどもは皆目わかりませんが、どうあろうとも、直(じき)に、歌をひょっと作れるというものじゃから偉い、偉い」

北八「ちょっとしたところがこれくらいなものよ。いや貴様たち、あんまり褒めてくれたから、酒が飲ませたくなった。ここは建場じゃねえか。酒ぐらいあるだろうって」

先棒「猿が馬場でおざります。さあ、相棒いっぷく吸っていこう」

と茶屋の表に篭をおろして休む。

北八「皆、一杯ずつ飲まっし。これ、女中、そこへ酒を一升でも二升でも、美味い肴を付けて、出してやってくんな」

弥次郎兵衛は篭の中から、それを聞いて、

「おや北八どうした。大分太っ腹な事を言うなあ」

北八「なにさ、ちょっと飲ませるが、おいらは何処でもこれくらいの性分だ」

と先ほど拾った四文銭一本を出して、見せかける。

弥次郎「手前、それをみんな奢(おご)るのか」

北八「しれた事よ」

弥次「面白(おもしれ)え。おいらも御馳走になろう」

と弥次郎は篭を出て、店先に坐ると、やがて女が、酒肴を持って出て来る。北八を乗せた篭の先棒が、

「これは有難うおざります。旦那いただきます。こりゃこりゃ相棒、何処へ行った。やい、皆、来されの。先程(さっき)の猿丸太夫さまが、御酒を下されるわい」

と、駕篭かき四人はこぞって飲みかける。弥次郎も可笑しくなって思いきりよく飲みかける。北八は、一番へこまされて、だんまりである。

弥次郎「さあさあ、御亭主、いくらだの。御酒代は篭の旦那がお払いだ」

亭主「はいはい、酒と肴で、三百八十文でおざります」

北八「こりゃあ、たいそう食らいやがったな」

と不承不承でその銭を払ってしまう。すると、駕篭かきは何かに気付いた様子で、

「や、ほんに相棒、さっきの一本の銭はどうした」

相棒「おうおう、それそれ。もし旦那、貴方の乗ってござらっしゃる蒲団の間に四文銭一本を入れておきましたが、あるか見てくだされませ」

と言われて北八はびっくりして、あわてる。

語句

■さるが番場-『東海道宿村大概帳』白須賀の条「此宿内字猿ケ番場にて柏餅を商ふ。是を世に猿ケ番場の柏餅とて、此所の名物なり」(広重の東海道「二川」は、保永堂版・行書・隷書ともに柏餅屋の図。隷書に駕篭の乗替えをしているは、『膝栗毛』に案を得たところ)。■おうふうな-大風。気の大きい事。■ちよつと呑ませる-ちょっと飲ませると言っても、いつもかくのごとしの意。■しれた事よ-わかりきったことだ。■ぼうぐみ-相棒の意。ここは駕籠かき仲間を言うとみえる。■猿丸太夫-駕篭かきが歌の作者を前から知っていたので、ここでばれる。■おもいれ-思いきりよく。■三百八十文-駕篭から出たは四百文。ほとんどを振る舞ったことになる。■ごうてきに-ひどく。■棒組-ここは相棒のこと。■かしわもち-小豆餡(あん)を入れた餅を柏の葉を表裏につけて包んだもの。ただし『東行話説』は、台の上のうどん索餅はまずいが、柏餅がうまいといわれて食したが、「何をもてか柏餅といはん姿なるべき。もしは榧(かや)の実などにてこしらへたる故、かくは名付けたるかと、一ツ喰うて見れば、南無三左にもあらず、ただざくざくとして、糠(ぬか)をかむがごとく、嗅みあり」と悪評あり。■ひろふたと~-「猿が餅」とは、「商人ども一銭も淵部が用には、掛に売らず、猿が餅でなければ合点せぬゆへ」(菜花金夢合・一の二)のごとく、商品に換えすぐに現金を与えるなどの場合を言う成語。「右からひだり」は、入った物が直ちに出るたとえ。一首の意は、拾ったと思った銭は、名物と同じ「猿が餅」の諺の如く、入ったと思えば直ちに、酒代に取られてしまった。■ 

原文

「ナニ爰にか。イヤ見へないわへ

かごかき「ナニないことはあらまい。慥(たしか)に入れて置ました

弥次「さつき見りやア北八、手めへがふとんの下から出して、ひねくりまはしてゐた銭(ぜに)じやアねへか

かごかき「それでおざります

ト北八心のうちにいまいましいことをいふと弥二郎をにらむ 弥二郎おかしくわきのほうをぐつとふりむいていると 北八しかたなくふところから一本だしてふとんの下へそつといれ

北八「ヲヲ、ヲヲ。爰にあつた、あつた

かごかき「サア棒組、この元気でやりからかそふ

ちや屋「よふおざりました

ト駕をかきいだす 弥次郎おかしくここは猿がばんばにてかしわもちの名物なれば

ひろふたとおもひし銭は猿が餅右からひだりの酒にとられた

かく打わらひてゆくほどに、境川(さかいがわ)といふにいたる。爰は遠江三河のさかいにて橋あり。弥次郎地口(ちぐち)にてよめる

遠州へつぎ合せたる橋なればにかはの国といふべかりける

程なくふた川の駅に着く。

現代語訳

北八「なに、ここにか。いや、見えねえわえ」

駕篭かき「なに、ないことはあるまい。確かに入れておきました」

弥次「さっき見りゃあ北八、手前が蒲団の下から出して、捻くり回していた銭のことじゃねえのか」

駕篭かき「それでおざります」

と北八は心の中でぐさりと刺さることをいふもんだと弥次郎を睨む。弥次郎は可笑しくなって脇の方を向いて素知らぬ顔でいると、北八は仕方なく懐から一本出して蒲団の下へそっとさし入れ、

北八「おう、おう。ここにあった、あった」

駕篭かき「さあ、相棒、ありがてえ、御酒はいただいたし、この元気で突っ走ろう」

茶屋「ようおざりました」

と篭を担ぎ出す。弥次郎は可笑しくなり、ここは猿が馬場で柏餅が名物なので、

ひろふたとおもひし銭は猿が餅右からひだりの酒にとられた

このように笑いながら行くうちに、境川という所に着く。ここは遠江三河との境にあたり、橋が渡してある。弥次郎は地口を使って詠む。

遠州へつぎ合せたる橋なればにかはの国といふべかりける

間もなく、二川の駅に着く。

語句

■境川(さかいがわ)-『諸国道中記』に「境川、三河遠江のさかい也。小はしあり」。『東海道宿村大概帳』に「遠州・三州境橋、板橋、長三間、横二間」。■地口-一語を両用に解されるように使用する言語遊戯。江戸時代には単独にも、滑稽文学にも盛んに用いられた。上方では「口合」。専ら江戸の用語である。次の狂歌で「にかは」は「三河」の地口。ただしこの歌、烏丸光弘の「尾張のさかいばしにて、打わたす尾張の国のさかひばし是やにかはの継めなるらん」(古今夷曲集・六)を利用したことの断りでもあるか。■遠州へ~-「にかは」(膠)は接着材で物を継ぎ合す用なのに気づけば、解は不用であろう。■ふた川-白須賀より一里半の宿駅。三河国渥美郡(愛知県豊橋市二川町)。■強めし-糯米を混じた米に小豆・ささげなどを入れて蒸したもの。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

                                                                                  

次の章「四編上 二川より吉田へ

朗読・解説:左大臣光永