四編上 二川より吉田へ
原文
此ところ家毎に、強めしをあきなふ見ゆれば
名物(めいぶつ)はいはねどしるきこはめしやこれ重筥(ぢうばこ)のふた川の宿
両側(りやうがは)の茶屋(ちやや)ごとに、旅人(りよじん)を見かけて呼たつる
女「お休(やすみ)なさりまアし。あつたかなお吸物(すいもの)もおざりまアす
無塩(ぶえん)の肴(さかな)で酒(さけ)でもお飯(めし)でもあがりまアし
此ちや屋のかど口にゐるくもすけ、北八弥次郎をのせたる、かごかきをよびかけて
「ヒヤア八兵衛、かへてうせたな。畜生(ちくしやう)め、はやういて嚊(かか)が番(ばん)をしされ、密夫(まおとこ)めがしけこんでけつかるは
弥二郎をのせたるかごかき
「あほうめ、おどれ(己)が所の親父(おやぢ)めが首釣(くびつつ)ておるこたアしらずに、くそたれめハハハハハハハ7
トここを行過、といやのすこし手前に篭をおろす。弥次郎兵へきた八ここよりおりてゆくと、このしゆくはいづれかのとのさまにや、お小休と見へて、御本陣のまへに、のりものたてつづき、あまたの御どうぜいはせちがひ、といやはかまごしをねぢりてかけまはり、野ばかまふんごみのおさふらふ衆、御本陣へ相つめるを見て、きた八
「ハハアおやしきだけ、大屋様も二本さしているな
弥次「ばかアいふな。踏込さへはいていると、大屋だとおもつてけつかるそふだ
北八「アノ乗(のり)かけを見な。ごうぎに蒲団が重ねてあらア
弥次「その筈(はず)だ。のつてゐる人の天窓(あたま)を見や。叶福助とふもんだ。ハハハハハハ ソレ馬がきたア
馬「ヒヒヒヒヒヒヒ
弥次「アイタタタタタわりい所に合羽篭を置きやアがる。
トけつまづいてこごとをいふを、おやといの中間ていにみゆる男
現代語訳
二川より吉田へ
ここでは、家毎に強飯を売っている。
名物はいはねどしるきこはめしやこれ重筥のふた川の宿
両側の茶屋毎に、旅人を見かけて呼びかける。
女「お休みなさりまあし。あったかいお吸物もおざりまあす。無塩の肴で酒でもご飯でもあがりまあし」
この茶屋の門口にいる雲助が北八と弥次郎を乗せた駕篭かきに声をかけて、
「ひゃあ、八兵衛、客を取り替えてからいなくなったな、畜生め。早く帰って嚊(かか)の番(ばん)をしなされ。間男めがしけこんでけつかるわ」
弥次郎を乗せた駕篭かき「阿呆め、おどれが所の親父めが首釣っておるこたあ知らずに、くそたれめ、はははははは」
とここを通り過ぎ、問屋の少し手前に篭を下ろす。弥次郎兵衛・北八はここから下りて行くと、この宿外れの殿さまには、小休止と見えて、御本陣の前に、乗物が立ち並び、たくさんの御供の者たちはせちがらく動き回る。問屋は袴腰をねじって駈け廻り、野袴・踏込袴のお侍衆が御本陣へあい詰めるのを見て、北八は
「ははあ、お屋敷だけ、大屋様も二本さしているな。
弥治「ばかあ言うな。踏込さえ履いていると、大屋だと思ってけつかる」
語句
■名物~-二川名物はいうまでもなく有名な強飯である。これを詰めた重箱の「蓋」を名にする「ふた川」の宿なんだから。■無塩(ぶえん)-塩物でないの意で、生魚。■くもすけ-雲助。住所不定で、街道の問屋場などで使用される道中人足。雲助駕篭。略して雲助篭というを、問屋場から与えられたりして、交通を助けた。無頼の徒が多かった。■しけこんでけつかる-色事でこっそり入る。雲助など荒い仕事をしている者など、挨拶でも悪口を言い合うのが、一種の親愛の情を示すものである点を描いたもの。■といや-問屋。二川中町(もう一ヵ所は加宿の大岩町字中平町)にあった。『早見道中記』(十九序)には「武右衛門・七郎兵へ」と見える。■お小休-おこやすみ。小休止。■御本陣-二川の本陣も中町に一軒あって、後藤五左衛門(『本陣の研究』など)。■のりもの-上製の外枠のついた駕篭。『守貞漫稿』に「大名も道中には、惣網代溜塗棒黒漆をも用ふる者あれども(江戸では打上げ腰網代)」と見える。■御どうぜい-御同勢。お供の侍たち。■野ばかま-裾に黒点びろうどなどで、広い縁を付けた袴。■ふんごみ-踏込袴。野袴の一種(守貞漫稿)。野袴の裾のへりを狭く作る。そこに紐をつけて、くくると、「たっつけ」のごとくなったのもある。下文によると大屋なども公の場にはこれをつけたのであろう。■大屋様-二本差した武士のふんごみ姿を、大屋かと見間違えた。■乗かけ-乗掛馬。明荷を馬の両側につけ、その上に蒲団を敷いて人を乗せる馬をいう。明荷合せて二十貫、人と小付・後付の荷物や蒲団で約十八貫ぐらいで、本馬相応を乗せることとなる。派手な蒲団を何枚も重ねた(江戸時代の交通文化)。■叶福助-享和三年(1803)ごろから流行した福神の人形。頭の大きい福相の男が裃つけた焼物の座像。後の福助人形で、これを幾重もの蒲団の上に飾って家ごとに福を祈った。■合羽篭-大名の旅行などの時、供の人々の雨具の合羽を入れる篭。蓋があって、下人が棒で担いで運んだ。■おやといの中間-道中のための臨時雇いの中間。
原文
「コノやろうめ、合羽かごへ土足をふみかけやアがつて、ふてへことをぬかしやアがる。よこつらアかぶりかくぞ
弥次「ハハハハ大江山の飯時じやア有めへし、頬(つら)アかぶりかくも気がつゑゑ
中間「なんだこいつ、ぶちはなすぞ
弥次「きさまたちの赤鰯でナニされるものか
中間「そふぬかしやア切(きら)にやアならぬ。コリヤ角助、お身のこしのものをちよつと借(か)しやれ
トほうばいのかくすけが、こしのものをとりにかかる。かく助
「コリヤコリヤ、切ならばお身の刃物でなぜきらぬ
中間「ハテやかましい。どれできつてもいいじやアねへか
かく助「イヤよくないよくない
中間「ハテしはいおとこだ。ちよつとかしやれな
かく助「イヤさておぬしも気のきかぬ男だ。おれがほんとうの脇差は、鎗持の槌右衛門へ、二百のかたにとられたを、お身さまもしつてゐるじやアねへか
中間「ホンニそふだ。エエコリヤおのれ、打はたすやつなれど、ゆるしてくれふ。はやくいけ
弥次「イヤいくめへ。サアきれきれ
トつつかかる。みなみなこのけんくは、おかしがりて、引わけもせず、けんぶつしていると、かのお中間
「エエそふぬかしやア、了簡がならぬ。突殺してなとくれふ
ト引ぬいてつきにかかる竹みつを、弥次郎ひつつかんでねじたをせば、くだんの男
中間「ヤアレ人ごろし人ごろし
ト此内はやとのさまのおたちと見へて、おさへのひやうし木
「カツチカツチカツチ
そりやおともぞろへと、さはぎたつ御どうぜいにつれて、けんくはもそれぎりとなり、弥次郎兵へもこれさいわいに、きた八もろとも、ここをのがれて足ばやに行過
弥次「ハハハハ大笑いのけんくはだ
現代語訳
「この野郎め、合羽籠へ土足を踏み掛けやがって、太(ふて)えことを抜かしやあがる。横っ面にかぶりつくぞ」
弥次「はははは、大江山の鬼どもの飯時じゃああるまいし、頬をかぶりつくも、ちと勇ましい」
中間「なんだこいつ、ぶちのめすぞ」
弥次「貴様たちの赤錆鰯の一物で、なんでこの身が切れるもんか」
中間「そう抜かすなら斬らにゃあならぬ。こりゃ角助、お身の腰の物をちょっと貸してくれ」
と朋輩の角助が、腰の物を取りにかかる。
角助「こりゃこりゃ、斬るならばお身の刃物で何故斬らぬ」
中間「はて、やかましい。どれで斬ってもいいじゃあねえか」
角助「いや、良くない良くない。刃こぼれがするじゃあねえか」」
中間「はて、けちな男だ。ちょっと貸してくれな」
角助「いやさて、お主も気の利かぬ男だ。俺の本当の脇差は、鎗持の鎗右衛門へ、二百文のかたに取られたわい。お身さまも知っているじゃあねえか」
中間「ほんにそうだ。ええこりゃ、おのれ、討ち果たさねばならぬ奴なれど、許してくりょう。早く行け」
弥次「いや、行くめえ。さあ斬れ斬れ」
とつっかかる。皆々、この喧嘩を面白がって、仲裁もせず、見物していると、かのお中間
「ええい、そう抜かすなら、許すわけにはいかぬ。つっ殺しなどしてくれよう」
と引き抜いて突きかかる竹光を、弥次郎が引っ掴んで捻じ倒すと、くだんの男は
中間「やあれ、人殺し、人殺し」
と騒いでいるうちに、早くもお殿様のお立ちと見えて、集合を知らせる拍子木
「カッチカッチカッチ」
そりゃ、お供揃えだと、騒ぎ立つ御供の侍たちに紛れて、喧嘩もそれきりになり、弥次郎兵衛もこれ幸いに、北八もろとも、ここから逃れて足早に行過ぎる。
弥次「はははは、大笑いの喧嘩だ」
語句
■かぶりかくぞ-食いついて噛みつくぞ。■大江山-伝説の丹波大江山の鬼どもが、人間を食う食事時。■ぶちはなすぞ-抜刀して切りつけるぞ。■赤鰯-塩漬けの長くて赤くなった鰯のごとき錆刀。■角助-中間の通称。■こしのもの-刀脇差のこと。■鎗持-槍を持って道中の供をする中間。■二百のかた-二百文借りた抵当。■竹みつ-この竹光の一件は『無事志有意』(寛政十年)の「竹光」など、小話に類話の多いものになった趣向。■おさへのひやうし木-行列の最後尾について、供の中間や小者を整理する係。ここは供揃えの為に、集合を知らせる拍子木であろう。■おともぞろへ-お供の者が、それぞれの役目毎に並ぶこと。■
原文
わきざしの抜身(ぬきみ)は竹(たけ)と見ゆれども喧硴(けんくは)にふしはなくてめでたし
それより此宿(しゆく)を出てたどり行に、はやくも大岩(おおいは)小岩を打すぎ、岩穴(いはあな)の観音(くはんのん)をふしおがみて
行がけの駄賃(だちん)におがむ観音も尻くらひとは岩穴のうち
げに旅のきさんじは、差合(さしあい)くらず高声(かうしやう)にはなしものしてゆく内にも、さすがに退屈(たいくつ)の欠(あく)びをしながら
北八「アアくたびれた。ちつとばかりの風呂敷包や紙合羽も、なかなか邪魔になるものだ。コウ弥次さん、おめへの荷(に)とわつちが荷を、一所(いつしよ)にして、坊主持(ぼうずもち)にしよふじやアねへか
弥次「コリヤアおもしれへ。さいわいここにいい竹が捨(すて)てある。
トひろひとりて、ふたつの荷物を、たけのさきにくくりつけて
弥次「サアサア北八、てめへからもつてこい
北八「としやくに、おめへはじめさつせへ
弥次「そんなら狐(きつね)けんでやろふ。サアこい。ヒイフウミイ。おつとしめた
北八「エエいめへましい
トひつかたげて行、向ふから来るたび僧は、法花宗とみへて
僧「だぶだぶだぶ、だだだぶだぶだぶたぶ。フニヤフニヤフニヤフニヤだぶだぶだぶだぶ
北八「ソリヤ弥次さん、わたしたぞ
弥次「ヲツト受取たりや、其つぎの坊さまはどふだ。はやくくればいに
ト又向ふよりくるのりかけ馬のすずのおと
「シヤンシヤンシヤンシヤン
馬士うた「たかい山から谷底見ればエ、おまんかわいや布さらすナアエ、どうどう
弥次「きたぞきたぞ。お絵符(ゑふ)は勅願所(ちやくぐはんしよ)、ソレ馬のうへに御出家(ごしゆつけ)よしか
北八「あんまりはやいな
現代語訳
わきざしの抜身(ぬきみ)は竹(たけ)と見ゆれども喧硴(けんくは)にふしはなくてめでたし
それからこの宿を出て、辿って行くと、早くも大岩、小岩を通り過ぎ、岩穴の観音を伏し拝んで、
行がけの駄賃(だちん)におがむ観音も尻くらひとは岩穴のうち
実際に旅の楽しさは何処からも支障を持ち込まれず、高い声で話をしながら行くうちにも、さすがに退屈の欠伸をしながら
北八「ああ、くたびれた。ちっとばかりの風呂敷包みや紙合羽も、なかなかに邪魔になるもんだな。おい、弥次さん、おめえの荷とわっちの荷を一緒にして、僧尼に会うたびに交代で持つというのはどうだい」
弥次「こりゃあおもしれえ。さいわいここにいい竹が捨ててある」
と捨ててある竹を拾い上げて、二人の荷物を、竹の先に括りつけて
弥次「さあさあ、北八、てめえから持って来い」
北八「年長者の役としておめえから初めなっせえ」
弥次「そんなら狐拳でやろう。さあ、来い。1(ひい)2(ふう)3(みい)。おっとしめた」
北八「ええ、いまいましい」
とひぅ担げて行き、向こうから来る旅の僧は、法華宗と見えて
僧「だぶだぶだぶ、だだだぶだぶだぶたぶ。フニヤフニヤフニヤフニヤだぶだぶだぶだぶ」
北八「そりゃ、弥次さん、渡したぞ」
弥次「おっと、受け取ったぞ。その次の坊様はどうだ。早く来ればいいに」
と又向こうから来る乗り掛け馬の鈴の音
「シャンシャンシャンシャン」
馬士唄「高い山から谷底見ればエ、おまんかわいや布さらすナアエ、どうどう」
弥次「来たぞ来たぞ。荷札には寺の名が書いてあるぞ。それ、馬の上には御出家でよしか」
北八「あんまり早いな」
語句
■ふし-「ふし」は悶着。苦情。竹光の竹の縁。歌意は、脇差を抜いたところ竹光と見たが、悶着のない喧嘩でおさまってめでたい。■大岩-大岩町は三河国渥美郡(豊橋市内)、で二川宿の加宿。■小岩-『諸国道中記』に「(二川の)今も出口の方を大岩と云ふ。小岩、大岩岩穴の観音有り」。■岩穴の観音-『東海道名所図絵』には、「窟(いはや)観音」と見え、「吉田より壱里半東、大岩村山間にあり。亀見山窟堂と号く。禅宗」。千手観音を安置する。■行がけの駄賃-事のついでにほかの事もする意の諺。■尻くらひ-成語「尻くらひ観音」の、原義は六観音の最後の縁日の月の二十三日以後は、夜も月はしだいに見えなく、暗い意(用捨箱)であるが、転じて悪事をして、後は知らぬと逃げる意に用いる。以上二つの成語を入れての狂歌は、道中のついで観音に参詣すると、暗い岩穴の中に安置してあったの意。■差合くらず-連俳用語から転じて、どこからも支障をもち込まれない事。■坊主持-道中の戯れに行なったもので、一行中、僧尼に出会うたびに、荷物を交互に持ち運ぶこと。■としやくに-年役。年長者の役として。■狐けん-拳の一種。両方で、狐・庄屋、猟師の姿体をし、狐は庄屋に、庄屋は猟師に、猟師は狐に勝つことで、勝負を定める方法。■だぶだぶだぶ-法華宗で、数珠を押し揉んで唱える声。『浮世風呂』にも「だぶだぶといふ僧あれば」と見える。■受取たりや-声色を掛け合いでやる時に、後を継ぐ者がいう口上(踊りの所作の受け渡しでもいう)。『後はむかし物語』に「こはいろをつかふに、請取たりや、其次は是も同じ役者にて、市川海老蔵で頼みます。そこらの付出しは市川海老蔵でと、留めた所でつかひ出すなども、今は古風となれり」。■たかい山から~-この詞章は盆踊歌など、いろいろの節でも歌われた。■お絵符-会符。荷物を運送する時に、公家・武家・門跡の場合、それぞれの荷であることを示した荷札。町人の詐称は禁じられた。(駅逓志稿)。■勅願所-勅願によって建立し、天子の御祈願する寺社のこと。この会符には勅願所某々寺などがあった。
原文
トうけとつてひつかつぎ行道のかたはらに
いざり「御らんのとふり、足(あし)のかなはぬいざりに御ほうしや
北八「イヤアこいつ坊主だ、壱文やれ
弥次「まへから見ると坊主のよふだが、うしろを見や。ぼんのくぼに毛があるは
北八「おきやがれ、ハハハハハハ
此内あとより、びくにが三人づれにて、ゆびにつけし管をならしてうたひくる
うた「身をやつす、賤(しづ)がおもひを夢ほどさまにしらせたや。ゑいそりや、ゆめほどさまにしらせたや、サアサさんがらへさんがらへ
北八「あざやかな声がする
トふりかへり
ヒヤア比丘尼だ比丘尼だ。サア弥次さんわたしやす
弥次「エエいめへましい
北八「人に荷をもたせるは中々いいものだ。是でお供を連た心もちだ。ヤアヤアこいつらまんざらでもねへ。弥次さん見ねへ。こちらの比丘尼がおれを見て、アレいつそにこにこと愛敬がこぼれるよふだ。畜類め
弥次「あいきやうのイイノジヤアねへ。アリヤア顔にしまりのねへのだは
北八「わるくいふぜ
ト此内あとになりさきになり行びくには、まだとしも廿二三、今ひとりはとしま、十一二の小びくにともに三人づれ、中にもわかいびくにが、きた八のそばへよつて
「モシあなた火はおざりませぬか
北八「アイアイ今うつてあげやせう
トすり火うちを出してかちかちかち
「サアおあがり。時にあまへがたアどけへいきなさる
びくに「名ごやのほうへまいります
現代語訳
と受け取って引き担ぎ行進していく傍らに
いざり「ご覧の通り、足のかなわぬいざりに御奉仕を」
北八「イヤアこいつは坊主だ。一文やれ。
弥次「前から見ると坊主のようだが、後を見てみろよ。盆の窪に毛があるわ」
北八「やめてくれ。ハハハハハハ」
そのうちに、後から、比丘尼の三人連れが、指につけた管を鳴らし、歌いながらやって来る。
唄「身をやつす、賤(しづ)がおもひを夢ほどさまにしらせたや。ゑいそりや、ゆめほどさまにしらせたや、サアサさんがらへさんがらへ」
北八「見事な声がする」
と振り返り
「ひやぁあ、比丘尼だ比丘尼だ。さあ、弥次さん、渡しやす」
弥次「ええ、いまいましい」
北八「人に荷を持たせるのは、なかなかいいものだ。これでお供を連れた心持だ。ヤアヤアこいつらアまんざらでもねえ。弥次さん、見ねえ。こちらの比丘尼が俺を見て、あれ、いっそにこにこと愛敬がこぼれているようだぜ。畜生奴。」
弥次「愛敬がいいのじゃねえ。ありゃあ顔にしまりがねえのだわ」
北八「悪く言うぜ」
とそのうちに後になり先になり行く比丘尼は、まだ年も二十二三、今一人は年増、十一二の小比丘尼と共に三人連れ、中でも若い比丘尼が、北八の傍に寄って
「モシあなた火はおざりませぬか」
北八「アイアイ今打ってあげやしょう」
と摺り火打ちを出してかちかちかち
北八「さあ、吸いなせえ。時にお前方あ何処(どけ)へ行きなさる」
比丘尼「名古屋の方へまいります」
語句
■御ほうし-報謝。乞食坊主が、施しを乞う時に言う語。報謝の言葉で、坊主と知ったのである。■ぼんのくぼ-後頭部の中央。小児はここに毛を残してある。■柳田国男の「俗山伏」(柳田国男全集
第九巻所収)に、この毛を魚食毛(ととくいげ)と称したという。山伏の切下げ同様、半俗半僧の証として残していたものである。■びくに-比丘尼。元来は勧進のために諸方を回ったのであるが、中には売色を事としたものもあった。『塵塚談』に「勧進比丘尼・売比丘尼の事・・・年頃なる比丘尼びんざさらをならし歌をうたひ、小女比丘尼を召連れ、みだれ箱様なる箱を抱へ、小比丘に柄杓をもたせ、門々に立ち、米銭をもらひ、行かふ事なり(売比丘尼のこと略)」とある。■ゆびにつけし~-指間に竹の管を下げて、それを音させて、まじないを唱える。■賤(しづ)-自らを賤しんで称した語。■さま-相手の人。思う男。■さんがらへ-諸説に、『松の落葉』四の「さんがらが踊」の余流かという。■あざやかな-見事な。
原文
北八「今夜一所(こんやいつしよ)に泊(とま)りてへの。なんと赤坂迄行きなせへ。一所にしやせう
びくに「それはありがたふおざります。モシどふぞお多葉粉(たばこ)を一ツぷくくださりませ。とんと買(か)うのを忘(わすれ)ました
北八「サアサアたばこいれを出しな。みんなあげよふ
びくに「それではあなたおこまりでおざりましよ
北八「ナニわつちやアよしさ、時におめへがたのよふなうつくしい顔(かほ)で、なぜ髪(かみ)を剃(そり)なさつた。ほんにそふしておくはおしいものだ
びくに「ナニわたしらが、たとへ髪(かみ)が有(あつ)たとて、誰(たれ)も構人(かまひて)はおざりませぬ
北八「あるだんか。わつちらア一ばんにかまう気だ。なんとかまはしてくんなさらんか
にくに「ヲホホホホホホ
北八「はやく一所にとまりてへ。弥次さん、此さきの宿(しゆく)へもとまろふじやアねへか
弥次「ばかアぬかせ。あやにく坊主のくるがとぎれた
トこごといいながら行ほどに、火うち坂をうちすぎ、二けんぢや屋にいたると、此所よりびくにはわき道へはいる
北八「コレコレ、おめへたちやアどこへゆく。そつちじやアあるめへ
びくに「ハイ是からおわかれ申ます。わしどもは、この在郷へまはつてまいりますから
ト野みちをさつさつと行過る。北八あきれて見おくると、弥次郎兵へおかしくふきだし
「ハハハハハハ北八、手めへけふは大分(でへぶ)つけがわりいぜ
北八「エエとんだめにあつた。ごうはらな
トうつかりしているうしろからぱつたり行あたる往来の人
北八「アイタタタタタタ、目をあいてとふれ。だれだ
トふりかへり見ればたび僧
弥次「ヲツト荷物(にもつ)わたしたわたした
北八「コリヤはじまらねへ
トふせうぶせうに荷をひつかたげゆくままに、やがて吉田の宿にいたる
現代語訳
北八「今夜は一緒に泊りてえの。なんと赤坂まで行きなせえ。一緒に行きやしょう」
比丘尼「それは有難うおざります。もし、どうぞお煙草を一服吸わせて下さりませ。とんと買うのを忘れました」
北八「さあさあ、煙草入れを出しな。全部(みんな)あげよう」
比丘尼「それでは貴方がお困りでござりましょう」
北八「なに、わっちらあ良しさ、時にお前(めえ)がたのような美しい顔で、何故髪を剃りなさった。ほんにそうしておくのは惜しいものだ」
比丘尼「なに私らがたとえ髪があったとて、誰もかまってはくれませぬわ」
北八「有る、無いどころではない、大ありだ。わっちらが一番にかまう気だ。なんとか構わせてくんなさらんか」
比丘尼「ヲホホホホホホ」
北八「早く一緒に泊りてえ。弥次さん、この先の宿にも泊まろうじゃねえか」
弥次「馬鹿あ抜かせ。あいにく坊主の来るのが途切れた」
と小言を言いながら行く程に、火打坂を通り過ぎ、二間茶屋に至ると、ここから比丘尼は脇道へ入る。
北八「これこれ、おめえたちゃあ何処へ行く。そっちじゃああるめえ」
比丘尼「はい、ここからお別れ申します。わしどもは、この田舎へ回ってまいりますから」
と野道をさっさと行過ぎる。北八はあきれて見送ると、弥次郎兵衛はおかしくなって吹き出し
「はははははは、北八、てめえ今日は大分ついてねえな」
北八「ええ、とんだ目に遭った。しゃくにさわる、畜生奴」
とうっかりしているうちに、後ろからばったりと往来の人がぶつかった。
北八「あいたたたたたた、目を開けて通れ。誰だ」
と降り返り見れば旅の僧である。
弥次「おっと荷物だ。渡した渡した」
北八「コリャア、嘆いても始まらねえ」
荷をひっ担いで行くままに、吉田の宿に着いた。
語句
■赤坂-三河国宝飯郡の宿駅(今の宝飯郡音羽町内)。■一所にしやせう-一緒に宿をとろう。■構人(かまひて)-女と見て相手にしてくれる人。■あるだんか-あるないどころではない、大ありだ。■火うち坂-『諸国道中記』に「火打坂。少し先にめうと石有り。二間茶や」。■わき道-東海道筋から脇へそれる道。■在郷-田舎。■つけがわりい-つきが悪い。ついていない。運が悪い。■ごうはらな-しゃくにさわる。■はじまらねへ-あっちもこっちも悪い事ばかりの時に、嘆息する語。よい目は一つもない。■吉田のしゆく-三河国渥美郡の城下町の宿駅(今の豊橋市)。二川から一里半二丁。城下の西に豊川が流れ、百二十間の長い吉田橋がかかる。
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