四編上 御油より赤坂へ

原文

はや夜に入りて、両がはより出くるとめ女、いづれもめんをかぶりたるごとく、ぬりたてたるが、そでをひいてうるさければ、弥次郎兵へやうやうと、ふりきり行すぐるとて

その顔でとめだてなさば宿の名の御油るされいと逃て行ばや

弥次郎兵衛あまりに草臥(くたびれ)ければ、先此所はづれの茶店に腰をかけたるに、あるじの婆々(ばば)

「アイお茶まいりませ

弥次「モシ赤坂まではもふ少しだの

ばば「アイたんだ十六丁おざるが、おまへひとりなら、此宿にとまらしやりませ。此さきの松原へは、わるい狐が出おつて、旅人衆がよく化(ばか)され申すは

弥次「そりやア気のねへはなしだ。しかし爰へ泊(とまり)たくても、つれがさきへいつたからしかたがねへ、エエきついこたアねへ。やらかしてくれふ。アイおせは

トちや代を置、此ところを立出行に、くらさはくらしうそきみわるく、まゆ毛につばをつけながら行。はるか向ふにて、きつねのなくこへ

「ケン~ケン~

弥次「ソリヤなきやアがるは。おのれ出て見ろ。ぶち殺してくれふ

トりきみかへつてたどり行に、北八もさきへかけぬけ、此所迄来りしが、これもここへきつねが出るといふはなしをききて、もしもばかされてはつまらぬと、弥次郎をまち合せ、つれ立ゆかんとおもひ、土手にこしをかけ、たばこのみいたりけるが、それと見るより

北八「ヲイヲイ弥次さんか

弥次「ヲヤ手めへなぜここにゐる

北八「やどとりにさきへいかふとおもつたが、爰へはわりい狐が出るといふことだから、一所にいかふとおもつて待合せた

トいふに弥次郎心つき、こいつきやつめが、きた八にばけたなとおもひければ わざとよはみをみせず

弥次「くそをくらへ、そんなでいくのじやアねへは

北八「ヲヤおめへなにをいふ。そして腹がへつたろふ。餅を買て来たからくひなせへ

弥二「ばかアぬかせ。馬糞がくらはれるものか

北八「ハハハハハハハ、コレおれだはな

弥次「おれだもずさまじい。きた八にそのままだ。よく化(ばけ)やアがつた ちくしやうめ

現代語訳

御油より赤坂へ

早くも夜に入り、両側の宿屋から出て来る女たちは、いづれも面を被ったように、白粉を塗り立て、袖を引いて煩い。弥次郎兵衛はようやくそれを振り切って行過ぎる。

その顔でとめだてなさば宿の名の御油るされいと逃て行ばや

弥次郎兵衛はあまりにも疲れたので、先ず、ここの外れの茶店に腰を掛けたが、主の婆が

「はい、お茶あがりませ」

弥次「もし、赤坂まではもう少しだの」

婆「はい、たった十六丁でおざるが、お前様一人なら、この宿に泊らしゃりませ。この先の松原では、悪い狐が出おって、旅人衆がよく化かされ申すわ」

弥次「そりゃあ気が進まねえなあ。しかし、しかし、ここへ泊りたくても、連れが先へ行ったから仕方がねえ。ええぃ、大したことはあるまい。やってしまおう。はい、お世話」

と茶代を置き、ここを出立して行くが、回りがひどく暗くて薄気味悪い。眉毛に唾をつけながら進んで行く。はるか向うから狐の鳴く声が聞える。

「ケン~ケン~」

弥次「そりゃあ、鳴きやがった。おのれ出て見ろ。ぶち殺してくれよう」

と力みかえって辿って行くと、北八も先へ駆け抜け、この所まで来ていたが、これもここへ狐が出るという話を聞いて、もしも化かされてはつまらんと、弥次郎兵衛を待合せ連れだって行こうと思い、土手に腰を掛け、煙草を吸っていたが、弥次郎兵衛を見つけると

北八「おい、おい。弥次さんか」

弥次「おや、手めえなんでここに居る」

北八「宿を取りに先へ行こうと思ったが、ここへは悪い狐が出るということだから、一緒に行こうと思って待っていたんだ」

と言うので、弥次郎は勘ぐって、こいつは、狐めが北八に化けたなと思ったので、わざと弱みを見せず

弥次「糞くらえ、そんな古い手にのるものか」

北八「おや、おめえは何を言う。腹が減ったろう。餅を買って来たから喰いなせえ」

弥次「馬鹿あ抜かせ。馬糞が食えるものか」

北八「はははははは、俺だよ。北八だわな」

弥次「俺だもあきれた。北八にそっくりだ。よく化けやがった。畜生め」

語句

■とめ女-街道の宿屋で、旅人の袖を留めて、客を引くために道筋に出しておく女。■めんをかぶりたる-面をかぶる。お白粉を暑くつけているさま。『改元紀行』に「御油より赤坂まで十六町にして、一宿のごとし。宿に遊女多し。同じ宿なれども御油はいやしく、赤坂はよろし。此辺よりかみつかた、すべての女の笄ながくして、江戸の風俗に異なり。江戸絵のむかし絵みる心地す」。■御油るされい-ご許されいに「御油」の地名をよみこんだだけの詠。■赤坂-三河国宝飯郡の宿駅(宝飯郡音羽町)。御油から十六丁。芭蕉の句「夏の月御油から出て赤坂や」のごとく、東海道で最も近い宿駅の間である。■松原-『諸国道中記』に「竹の庄とて道より左の方に、松山有り。高き松二本有り。古城の跡也」。■わるい狐-人を化かす狐。『頭註東海道中膝栗毛』に『勘鹿軍談』なる書を引き御油の宿はずれに人を誑かす狐のあったこと、また古城跡に狐屋敷の知名あるをいい、それらの噂からの発意により、狂言「狐塚」を利用したとの説が見える。「赤坂狐」の語もあって(東行話説)、赤坂狐(美濃の赤坂の遊女のことともいう)が人を化かすの語によって、一九はここを作ったかとの説もある。■気のねえはなしだ-気の進まないことだ。■きついこたアねへ-大したことはあるまい。やってしまおう。■くらさはくらし-ひどく暗いし。■まゆ毛に-眉毛に唾を塗ると、狐狸などに化かされないという。「狐塚」(狂言記)にも見える。■つまらぬ-困る。■きやつ-あいつ。ここは噂の悪い狐をさす。■よはみをみせず-気の弱りに妖怪はつけ込むというから、気をはげまして。■そんなでいくのじやアねへは-そんな古い手にのるものか。狂言「狐塚」は、太郎冠者らが、主人を狐の化けたものと思い違いし、松葉でふすべる筋(虎寛本)。■馬糞がくらはれるものか-狐は化かして、馬糞を餅と見せて食べさせるという。以下宿に着いてまでも、宿を卵塔場、風呂を糞壷、女郎を石地蔵と考え、酒を馬の小便と思い、弥次郎兵衛が狐に化かされるいるのではないかと、用心する所々は、俗説によったのであるが、一九は寛政十一年刊の黄表紙『穴賢狐縁組』で、狐に化かされて、以上をことごとく経験する滑稽を描いた。それを逆に用心にかえて再度使用したものである。それは狐の嫁入りに石を打った祟りだとしたのを、これも逆にして、婚礼の部屋をのぞき見ることにかえて使用してある。一九は同じ材料を若干趣をかえて使用することの多い作家である。

原文

北八「アイタタタタ弥次さん、コリヤどふする

弥次「どふするもんか。ぶちころすのだ

トうつかりした所をぐつとつきたをして、弥次郎そのうへへのりかかりおさへる

北八「あいたあいた

弥次「いたかア性体をあらはせあらはせ

北八「アレサ尻へ手をやつてどふする

弥次「どふするもんか尻尾を出せ。ださずばこうする

ト三尺てぬぐひをとき、きた八が手をうしろへまはしてしばる。きた八おかしく、わざとしばられていると

弥次「サアサアさきへたつてあるけあるけ

ト北八をくくりうしろからとらへて、おつたておつたてあか坂のしゅくにいたる。はやいづれのはたごにもきやくをとめて、かどにたちいる女もみへず。弥二郎はやどからむかひの人が、もはや出そふなものと、うろつく内

北八「コウ弥次さんいいかげんに解(とい)てくんな。外聞のわりい。人がきよりきよろ見てわりいはな

弥次「エエくそくらへ。ハテ宿はどこだしらん

北八「ナニおれはここにゐるものを、だれがさきへ、やどをとつておくものだ

弥次「まだぬかしやアがるか、ちくせうめ

此内向ふよりくるやど屋のおとこ

「あなた方は当宿おとまりではおざりませぬか

弥次「きさまむかひの人か

やどや「ハイおさやうでおざります

弥次「それ見たか。此ばけぞこないめ

ト北八をつえにてひとつくらくらはせる

現代語訳

北八「あいたたたた弥次さん、こりゃどうするつもりだ」

弥次「どうするもあるものか。ぶち殺すんだよ」

と北八がうっかり油断したところをmぐっと突き倒して、弥次郎兵衛その上へ馬乗りになって抑え込む。

北八「あいた、あいた」

弥次「いたかあ正体を現せ現せ」

北八「あれさ、尻へ手をやってどうするんだ」

弥次「どうするもあるもんか尻尾を出せ。出さねばこうする」

と三尺手拭を解き、北八の手を後へ回して縛る。北八は可笑しさをこらえながら、わざと縛られている。

弥次「さあさあ、先へ立って歩け、歩け」

と北八を括り後ろから捕らえて、追い立て追い立て赤坂の宿に着く。早くもいずれの旅籠にも客を泊めて、門に立っている女も見えない。弥次郎が宿から迎えの人が、もう出て来そうなものとうろついているうちに

北八「これ、弥次さん、いい加減に解いてくんな。外聞の悪ぃ。人がきょろきょろ見て悪いわな」

弥次「ええぃ、糞くらえ。はて宿は何処だ、わからん」

北八「なに俺はここに居るものを、誰が先に、宿をとっておかれるものか」

弥次「まだ抜かしやぁがるか、畜生め」

そのうちに向うから宿屋の男がやって来る。

宿屋の男「貴方方はこの宿駅にお泊りではおざりませぬか」

弥次「貴様、迎えの人か」

宿屋「はい左様でおざります」

弥次「それ見たか。この化けぞこないめ」

と北八を杖で一度叩きあげる。

語句

■性体をあらはせ-正体。狐の本体を示せ。■三尺てぬぐひ-三尺の長さの手拭。『嬉遊笑覧』ニ上に「今は三尺手拭といふもの、旅客の腰帯とし、また賤者のひとへ帯となるのみなり」。■かどにたちいる女-門外で客を引く女。■当宿-この宿駅。■おさやう-「さよう」(左様)を丁寧に言った語。

原文

北八「アイタタタタタタ、どふしやアがる

やどやの男きもをつぶし

「あなた方、外のおつれさまは、まだおあとでおざりますか

弥次「ナニもふわつちひとりさ

やどや「ハアそれでは間違(まちがひ)ました。私方のおとまりは、拾人さまじやと承りました

ト此男はそうそう行過る。又あるはたごやのみせさきにて

てい主「おとまりかなもし

トかけよつてとらまへる

弥次「イヤつれのものがさきへ来たはづだが

北八「そのつれは、おいらだはな

弥次「エエいけしぶといやつだ。もふいいかげんに尻尾を出しおれ。イヤまてまて。あそこに犬がいる。コココココココ シロ コココココ ヲヲシキヲヲシキシキ。ハハア犬がきても、いけしやアしやアとして居おるから、さては狐ではねへ。ほんとうの北八か

北八「しれた事。わりいしやれだ

弥次「ハハハハハハ サアおめへの所へとまりやせう

ト心とけて、きた八がいましめをとくと、やどやのていしゆ

「サアおはいりなさりませ。ソレお湯をとつてこい。おざしきはゑいかな

北八「アアとんだめにあつた

トあしをあらふ。此うちやどやの女、にもつをざしきへはこぶ。ふたりもざしきへうちとふりて

弥次「ホンニ北八了簡(りやうけん)しや。おらア実に、ほんとうのきつねだとおもひつめた

北八「ばかばかしいめにあつた。いまだに此手首(てくび)が、ぴりぴりする

弥二「ハハハハハハしかしまてよ。斯(かう)はいふものの、やつぱりこれが、ばかされてゐるのじやアねへか。どふやらおかしな心もちだ

トむしやうに手をたたき

現代語訳

北八「あいたたたたたた、どうしやぁがる」

宿屋の男はびっくりして

「あなた方、他のお連れ様は、まだお後でおざりますか」

弥次「なに、もうわっち一人さ」

宿屋「はあ、それでは間違いました。私方へのお泊りは十人様だと承りました」

とこの男は早々に行き過ぎる。又ある旅籠の店先で

亭主「お泊りかな、もし」

と駆け寄って捕まえる。

弥次「いや、連れの者が先に来た筈だが」

北八「その連れは、おいらだわな」

弥次「ええぃ、いけしぶとい奴だ。もういい加減に尻尾を出しおれ。いや、待て待て。あそこに犬がいる。コココココココ シロ コココココ ヲヲシキヲヲシキシキ。ははぁ、犬が来ても、いけしゃあしゃあとして居おるから、さては狐ではねえな。ほうとうの北八か」

北八「しれた事よ。悪い洒落だな」

弥次「はははははは、さあ、おめえの所へ泊りやしょう」

と打ち解けて、北八の戒めを解くと、宿屋の亭主

「さあ、おはいりなさりませ。それ、お湯を取って来い。お座敷は良いかな」

北八「ははぁ、とんだ目に遭ったわい」

と足を洗う。そのうち宿屋の女が荷物を座敷へ運ぶ。二人も座敷へ通って

弥次「ほんに、北八勘弁しろや。おらあ実に、本当の狐だと思い込んだんだよ」

北八「馬鹿馬鹿しい目に遭った。いまだにこの手首がぴりぴりするわ」

弥次「はははははは、しかし待てよ。こうは言うものの、やっぱり、これが化かされているんじゃねえのか。どうやら変な心持だ」

とやたらと手を叩き

語句

■とらまへる-袖をとらえる。■いけしぶといやつだ-ひどく強情な奴だ。■尻尾-悪いところを示すのを「尻尾を出す」という。ここは狐と思っているので、文字どおりになるのが滑稽。■ヲヲシキヲヲシキシキ-犬をけしかける語。■いけしやアしやアとして居おるから-平気の平左でいること。ひどく平気な様子であるのは。■了簡(りやうけん)しや-堪忍してくれ。あやまる言葉。

原文

御てい主御てい主

ていしゆ「ハイおよびなさりましたか

弥次「コレどふも合点(がてん)が行(いか)ぬ。爰(ここ)はどこだ

ていしゆ「ハイ赤坂宿でおざります

北八「ハハハハハハ弥次さんどふしたのだの

弥次「エエまだはぐらかしてゐやアがる

トいいつつまゆげをぬらして

御ていしゆさん、なんとここの内は、卵塔場(らんとうば)じやアねへか

ていしゆ「エエなによヲおつしやる

北八「ハハハハおもしれへおもしれへ

ト此内かつてよりやどの女

女「おゆにおめしなさりませ

北八「サア弥次さん、先湯にでも入て、気をおちつけるがいいよ

弥次「ちくしやうめが、糞壷(こへつぼ)へいれよふと思つて、その手をくふものか

ていしゆ「ナニ湯は清水(しみづ)でおざりますから、綺麗(きれい)でおざります。マアおいでなさりませ

トかつてへ行 女ちやをくんできたり

「モシお淋しかア、女郎(ぢよろ)さんがたでもおよびなさりませ

弥次「ばかアいふな。石地蔵(いしじぞう)を抱いてねるこたアいやだ

女「ホホホホホホいなことをおつしやります

北八「そんならさきへはいりやせう

トきた八ゆどのへ行 此内ていしゆまたざしきへ出来り

現代語訳

弥次「御亭主、御亭主」

亭主「はい、お呼びなさりましたか」

弥次「これ、どうも合点がいかぬ。ここは何処だ」

亭主「はい、赤坂宿でおざります」

北八「はははははは、弥次さんどうしたの」

弥次「ええぃ、まだはぐらかしていやあがる」

と言いつつ眉毛を濡らして

「御亭主さん、なんとこの家は、卵塔場(らんとうば)じゃあねえか」

亭主「ええっ、何をおっしゃいます」

北八「はははははは、面白(おもしれ)え、面白(おもしれ)え」

とそのうちに勝手より宿の女が出て来る。

女「お湯をお使い下さりませ」

北八「さあ弥次さん、先に湯にでも入って、気持ちを落ち着けるがいいよ」

弥次「畜生めが。糞壷へ入れようと思って、その手をくうものか」

亭主「なに湯は清水でおざりますから、綺麗でおざります。まあ、おいでなさりませ」

と勝手へ行く。女が茶を汲んできた。

「もし、寂しかったら、女郎さんがたでもお呼びなさりませ」

弥次「ばかあ言うな。石地蔵を抱いて寝るのは嫌だよ」

女「ほほほほほほ、嫌な事をおっしゃります」

北八「そんなら先に入りやしょう」

と北八は湯殿へ行く。そのうちに亭主が又座敷へ出て来る。

語句

■はぐらかして-ごまかしゃあがる。ばかしゃあがる。■卵塔場(らんとうば)-卵塔は鳥の卵の形をした墓石で、僧侶の墓の型。無縫塔ともいう。ここは卵塔を人々が座っていると見せかけている意で、座敷の中でなくて墓地ではないかと、問うている。■糞壷(こへつぼ)-野や田畑の間に、肥料となる人糞をたくわえてある壷。■石地蔵(いしじぞう)-街道に立つ石像の地蔵尊。狐に化かされて、地蔵を抱いた話は多い。

原文

ていしゆ「ときにお客さまへ申上ます。今晩は私方に、すこし祝事(いはひごと)がおざりますから、御酒をひとつあげませう

トいふうちかつてよりさけさかなをもち出る

弥次「おかまいなさるな。なんぞおめでたいことかの

ていしゆ「ハイおさようでおざります。わたくしの甥(おい)めに、娵(よめ)を貰(もらひ)ました。今晩婚礼(こんれい)をいたさせますから、おやかましうおざりましよ

トいいすてて立て行、北八ふろよりあがり

北八「なんだ、おごりかけるの

弥二「ここの内に、こんれいがあるといふことだ。コリヤいよいよ、きやつめがはぐらかすにきはまつた。もふ水風呂(すいふろ)へもはいるめへわへ

北八「エエおめへもいいかげんにしな。さりとは執念ぶけへこつた

弥次「イヤイヤめつたにゆだんはならぬ。この硯(すずり)ぶたもこんなにうまそふに見へても、性(しやう)は馬のくそや犬のくそだろふ

北八「ホンニそふだろふから、おめへは見てゐなせへ。こいつはありがてへ、おじぎなしにやらかしやせう

トきた八手じやくにて、さつさつとのみかける。弥次郎れいのいぢがきたなく、さすがに見てもゐられず、まじまじして

「いめへましい、気をわるくさしやアがる

北八「きづけへはねへ。いつぱいのみなせへ

弥二「イヤイヤ馬の小便だろふ。ドレにほひをかがして見せやムウムウウ。こりやアほんとうのよふだ。どふもこらへられぬ。アアままよやらかせ

ト一ぱいついでのみしたうちしながら

酒だ酒だ。ドレドレさかな。ヲツト此玉子はどふもいろあいが気にくはねへ。ゑびにしよふ。カリカリカリ。こいつはほんとうのゑびだゑびだ

トひつかけひつかけ、さいつおさへつさつさつとのみかける。此内かつての方は、わんかぐのおとがたぴしとさはがしく、とりこみさいちう、はなれざしきには、はやこんれいのさかづきごとはじまりしと見へて うたひのこへする

「四海なみしづかにて、国もおさまる時津風、ゑだをならさぬみよなれや。あひに相生(あひおひ)の松(まつ)こそめでたかりけれ

北八「ヤンヤア

弥次「コウやかましいわへ

現代語訳

亭主「時にお客様に申し上げます。今晩は私方で、少し祝い事がおざりますから、御酒をひとつあげましょう」

と言ううちに勝手より酒・肴を持って出て来る。

弥次「おかまいなさるな。なんぞ目出度い事かの」

亭主「はい、左様でおざります。私の甥めに、嫁を貰いました。今晩婚礼をさせますから、おやかましゅうおざりましょう」

と言い捨てて立って行く。北八は風呂から上がり

北八「なんだ、すごい御馳走だな」

弥次「ここの家で婚礼があるということだ。こりゃ、いよいよきゃつめがはぐらかすに極まった。もう水風呂へも入るめえわえ」

北八「ええ、おめえもいい加減にしな。それにしても執念深く思い込んだもんだ」

弥次「いやいや、めったに油断はならぬ。この硯蓋もこんなに美味そうに見えても、正体は馬の糞や犬の糞だろう」

北八「ほんにそうだろうから、おめえは見ていなせえ。こいつはありがてえ、辞儀なしに遠慮なくいただこう」 

と北八は手酌でさっさと飲みかける。弥二郎は、食い意地が張っているので、さすがに見ておられず、まばたきして落ち着かない。

「いまいましい。気を悪くさせやがる」

北八「心配はねえ。一杯飲みなせえ」

弥次「いやいや、馬の小便だろう。どれ臭いを嗅がせて見ろやムウムウウ。こりゃあ本当のようだ。どうもこらえられぬ。ああままよやらかせ」

と一杯ついで飲み、舌打ちしながら

酒だ酒だ。どれどれ肴。おっと、この玉子はどうも色合いが気に食わねえ。海老にしよう。かりかりかり。こいつは本当の海老だ海老だ」

とひっかけひっかけ、盃を交換しながらさっさと飲み始める。そのうちに勝手の方では、椀や家具の音ががたぴしと騒がしくなって、取り込みの最中のようである。離れ座敷では、早くも婚礼の盃ごとが始まったとみえて、謡の声が聞えて来る。

「四海なみしづかにて、国もおさまる時津風、ゑだをならさぬみよなれや。あひに相生(あひおひ)の松(まつ)こそめでたかりけれ」

北八は「ヤンヤア」と思わず掛け声をかける。

弥次「これ、やかましいわえ」

語句

■おごりかけるの-膳に馳走の酒・肴が並んでいるので言った言葉。■きやつ-ここも狐をさす。■水風呂(すいふろ)-据風呂。桶状の湯舟の下部が釜になっている。場所を移動し手風呂に入ることができるので重宝された。■さりとは執念ぶけへこつた-それにしても、念深く思い込んだものだ。■硯(すずり)ぶた-多くは長方形の盆ようの具で、肴などをのせて客席へ出すもの。■おじぎなしにやらかしやせう-辞儀なしに、遠慮なく食べよう。■いぢがきたなく-食い意地が張っているので。■まじまじして-まばたきして、落ち着かないさま。■気をわるくさしやアがる-目の前で男女仲よくしたり、馳走を食べたりして、見せつけられて、嫌な気分になること。■きづけへはねへ-心配はいらない。■したうちしながら-うまいものを飲食して舌をならすこと。■いろあい-色の調子。黄をしているので、また糞を思い出している。品の悪い冗談も、一九作の特色。■さいつおさへつ-盃を交換しながら、北八と弥次の調子が、どうやら普通に戻ったさま。■がたぴしと-椀・家具のふれ合う音。■とりこみさいちう-混雑最中。■四海なみしづか~-謡曲「高砂」の一節で、婚礼の祝儀にうたう。仲人や一族の長老がうたう習慣で、天下家庭が平穏で、夫婦相和すことを祝った文句。■ヤンヤア-北八は調子をあげて、その席ならぬに、はやしの詞を言う。

原文

北八「やかましいことはいいが、おめへさつきから盃(さかづき)をはなさねへ。ちつとこつちへまはしな。ホンニ馬(むま)のくそだのせうべんだのと、いふかとおもやア、やみくもひとりで喰(くら)うやつさ。ハハハハハ

弥二「おらア正直(せうじき)、化(ばか)された気になつていたが、今おもやアそふでもねへ とんだ苦労をさせやアがつた

北八「エエおめへのくらうしたよりかア、おらアしばられて、へんちきなめにあつた。ハハハハハハ

ト此内かつてより膳も出、かれこれする内、おくのざしきにて又うたひうたう

「千代もかはらじいくちよも、さかへさかふる松梅(まつむめ)の、ふたばの竹のよをこめて、老(おひ)となるまでと結(むすぶ)ぞたのしかりける。めでたいめでたい。三国一の娵(よめ)をとりすまいた。しやんしやんしやん

ト手をうちたたきざざめきわたる。此内かつてより女来り

「あなたがた、もふお床(とこ)をとりましよか

弥次「そんなことにしやせう

北八「コレ女中、祝言(しゆうげん)はもふすみやしたか。さだめて娵御(よめご)はうつくしかろふ

女「アイサむこさまもよい男、よめごさまもゑらい、きりやうよしでおざります。おきのどくなことは、あちらの座敷(ざしき)にねやしやりますから、むつごとがきこへましよ

弥次「なんだ、そんな手合(てやい)と割床(わりどこ)はあやまる

北八「こいつは大変(たいへん)大変

女「モウおしづまりなさいませ

ト出て行。ふたりもそのままねかけると、はやふすまひとへとなりのざしきに、むことよめがねるよふす。 ひそひそとはなしするをきけば、した地から、いろごとにて、もらひしよめと見へて、なかなかしよたいめんとは見へず、ぶつたりつめつたりしていちやつくよふす、手にとるよふにきこへ、弥次郎北八はねもやらず

弥次「エエとんだめにあはしやアがる

北八「ホンニわりい宿(やど)をとつた。人のこころもしらずに、なんだかおそろしく、むつまじいな。畜生め

弥次「サアはなしごへがやんだからむつかしい

現代語訳

北八「やかましいことはいいが、おめえさっきから盃を放さねえ。ちっとはこっちへ回しな。ほんに馬の糞だの小便だのと、言うかと思やあ、むやみやたらと一人で喰らう奴さ。はははは」

弥次「俺(おら)あ正直言って、化かされた気になっていたが、今思やあそうでもねえ、とんだ苦労をさせやがった」

北八「ええぃ、おめえの苦労したよりかあ、おらあ縛られて、へんてこな目に遭った。はははははは」

とそのうちに勝手から膳も出て、あれこれするうちに、奥の座敷から又謡の声が聞えて来る。

「千代もかはらじいくちよも、さかへさかふる松梅(まつむめ)の、ふたばの竹のよをこめて、老(おひ)となるまでと結(むすぶ)ぞたのしかりける。めでたいめでたい。三国一の娵(よめ)をとりすまいた。しやんしやんしやん

と手を叩いて喜びの声でにぎにぎしい。そのうちに勝手から女が来て

「貴方方、もうお床を敷きましょうか」

弥次「そんなことにしよう」

北八「これ女中、祝言はもう済みやしたか。さだめし嫁御は美しかろう」

女「あいさ、婿様も良い男、嫁御さまもたいそう器量良しでおざります。お気の毒なことは、あちらの座敷に寝やしゃりますから、睦言が聞えましょ」

弥次「なんだ、そんな連中との割り床は閉口だな」

北八「こいつは大変、大変」

女「もうお静まりなさいませ」

と出て行く。二人もそのまま寝かけるが、早くも襖一つ隣の座敷に、婿と嫁が寝る様子。ひそひそと話しする声を聞くと、婚約以前からの知合いの女を嫁に貰ったようで、初対面とは思えず、ぶったり、つねったりしていちゃついている様子が手に取るように聞え、弥次郎と北八は寝る事も出来ず

弥次「ええぃとんだ目にあわしやがる」

北八「ほんに悪い宿をとった。人の心も知らずに、なんだかおそろしく睦まじいな。畜生め」

弥次「さあ、話し声がやんだから、これからが問題だ」

語句

■やみくも-むやみやたらと。■へんちきなめに-へんてこなめに。■千代-地方的な祝言謡の文句か。■三国一の-婚礼の時の祝い言葉。嫁又は婿の上に、「三国(日本・中国・天竺)一」を冠していう。■ざざめきわたる-よろこびの声でにぎにぎしい。■祝言-ここは婚礼の式。■手合(てやい)-仲間。■割床(わりどこ)-一室を屏風などで仕切って、二組以上の寝床を作ること。安価な遊女屋であること。ここは睦言が聞えるというので、それに準じて、隣室であるが、この語を使用した。■あやまる-閉口である。■した地-下地。婚約以前から、恋中であっての意。■しよたいめん-初対面。ここでは初めての同床ではない。■いちやつく-男女がふざけ合う。■むつかしい-これからが問題だ。

原文

トだんだんふとんからのり出て、となりのよふすをききみみたて、ねられぬままに弥次郎そつとおきたち、ふすまのすき間から、さしのぞく。北八もはだかのままはひおきて

北八「コウ弥次さん、娵はうつくしいか。おいらにもちつと見せてくんな

弥次「コリヤしづかにしや。肝心(かんじん)の所だ

北八「ドレドレ見せねへ

弥次「アレサひつぱるな

北八「それでもちつと退(のき)なせへ

ト弥次郎がむちうになりてのぞきいるを、ひきのけんとひつぱれども、のかじといぢはる。はづみにばつたり、ふすまがあちらのまへたをれると、二人も、ともにふすまの上へころげる。むこもよめも、おしにうたれてきもをつぶし

むこ「あいたあいたあいた。コリヤどやつじやい。なんぜ唐紙を打こかいた

トはねおきた所が、あんどうもひつくりかへしてまつくらやみ、弥次郎はちやつとにげて、おのがねどこへはひこむ。きた八まごまごして、かのむこにつかまさりせんかたなく

北八「御めんなせへ。手水(てうず)にゆくとつて、ツイ戸まどひをしやした。ぜんてへ爰の女中がわりい。夜座敷のまん中に、行燈をおくから、それにけつまづいておきのどくだ。アア小便がもるよふだ。ちよつといつて来やせう。ここをはなしてくんなせへ

むこ「いやはや、あきれたお人たちじや。夜着もふとんも油だらけになつた。コリヤおさん、おさん、だれぞはやう、いこしてくれぬか

トよびたつるこへに、かつてより下女が火をともして来り、そこらかたづけるに、きた八も手もちなく、はずれしからかみをはめてひきたて、やうやうにことはりいふてもとのねどころへかへり、すごすごとねかける。弥次郎おかしくふき出して

ねてきけばやたらおかしや唐紙とともにはづれしあごのかけがね

きた八も夜着うちかぶりながら

聟娵のねやをむせうにかきさがしわれは面目うしなひしとて

斯(かく)うち興(けう)じて、夜もふけゆくままに、双方しづまり、只いびきの声のみたかくなりぬ

道中膝栗毛四編 上終

現代語訳

とだんだん蒲団から乗りだして、隣の様子を聞き耳立て、寝られぬままに弥次郎はそっと起き立ち、襖の隙間から、さし覗く。北八も裸のまま這い起きて

北八「これ弥次さん、嫁は美しいか。おいらにもちっと見せてくんな」

弥次「こりゃ静かにしいや。肝心の所だ」

北八「どれどれ見せねえ」

弥次「あれさ、引っ張るな」

北八「それでもちっと退きなせえ」

と弥次郎が夢中になって覗いているのを、引き退けようと引っ張るが、退かんぞと意地を張る。弾みにばったり、襖があちらの間へ倒れると、二人も、共に襖の上へ転げる。婿も嫁も何かが上から落ちて来たのでびっくりして

婿「あいたあいたあいた。こりゃ誰だ。なんで唐紙をぶち壊した」

と跳ね起きたところが、行燈もひっくり返してしまって真っ暗闇、弥次郎はすかさず逃げて、自分の寝床へ這い込む。北八はまごまごして、かの婿に捕まり仕方なく

北八「御免なせえ、手水に行くはずが、つい迷ってしまいやした。だいたいここの女中が悪い。夜、座敷の真中に、行燈を置くから、それにけつまづいてお気の毒だ。ああ、小便が漏れるようだ。ちょっと行ってきやしょう。ここを放してくんなせえ」

婿「いやはや、あきれたお人たちじゃ。夜着も蒲団も油だらけになった。こりゃ、おさん、おさん、誰ぞ早う、起してくれぬか」

と呼び立てる声に、勝手から下女が火を灯して来て、そこらを片付ける。北八も手持ぶたさで、外れた唐紙をはめて引き立て、ようやく謝りを言って元の寝床へ帰り、すごすごと寝かける。弥次郎は可笑しくなって吹き出し

ねてきけばやたらおかしや唐紙とともにはづれしあごのかけがね

きた八も夜着うちかぶりながら

聟娵のねやをむせうにかきさがしわれは面目うしなひしとて

このようにうち興じて、夜も更け行くままに、双方静まり、只鼾の声のみが高くなっていった。

道中膝栗毛四編 上終

語句

■ききみみたて-注意深く聞こうとするさま。■                      

次の章「四編下 赤坂より藤川へ

朗読・解説:左大臣光永

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