四編下 赤坂より藤川へ

原文

道中膝栗毛四編 下

鶏の声万戸にひびきて、ひきつるる果役の馬の嘶きいさましく、すでに夜明ければ、弥次郎兵衛北八も、あらましに支度ととのへ、はやくも赤坂の宿を立出けるに、此宿の出端より、あとになりさきになり行、三人づれの旅人、是もゑどのものと見へて、すこしいさみ肌のまき舌にて、はなし行をきけば

ひとりの男「コウゆふべのとまりは、おかしかったなア

今一人「ソレヨなんだか奥の間にとまつてゐたやつらア、きのきかねへやらうどもだ。やどに婚礼があるを羨しがりやアがつて、襖のあいだから覗きおつて、むちうになり、とうどうふすまを、ぶつこかしやアがつた。大わらひなべらぼうどもだ

今一人「それからその聟にあやまるざまア。あの騒ぎでおいらもろくにねられなんだ。いめへましい

一人の男「そして、アノひとりのやらうめは、なんだか宵に宿の亭主をよびやアがつて、ここのうちは卵塔場じやねへかといやアがつたが、あのべらぼうめはどふでも気がふれてゐると見へる

ト此てやいゆふべ、弥次郎北八がとまりしうちへ、一所にとまつたと見へて、此はなしをする。弥次郎聞て大にあつくなり、あしばやにかけより、詞をかけ

弥次「コレきさまたちやア、さつきからだまつて聞てゐりやア、おいらがことをべらぼうたア、なんのこつた

さきのおとこ「ナニこんた衆のことじやアねへ。こつちのことだは

弥次「こつちの事といふことがあるものか。ゆうべのやどでの事をぬかすのだろふ。その襖をぶつこかした、べらぼうといつたア、おれがことだは

旅人「ハアこんたそのべらぼうか

弥次「ヲヲそのべらぼうだ

旅人「ハハハハハハハべらぼうだからべらぼうといつたが、いいじゃアねへか

弥次「イヤこいつ、わるく、しやれやアがる

旅人「くそをくらへ

弥次「なんだくそをくへ。コリヤおもしろへ。くふべいからもつてうしやアがれ

ト弥次郎まつくろになつてりきむ。されどあい手は、けつきさかんのいさみでやい、馬のくそをつゑのさきにつつかけ

「サアもつてきたからくらへくらへ

弥次「イヤ馬のくそはきらひだ

現代語訳

赤坂より藤川へ

家々で暁を告げる鶏の声が為手、引き連れた助郷馬の嘶きは勇ましく、すでに夜も明けたので、弥次郎北八もひととおり食事を済ませ、早くも赤坂の宿を出て行くが、此の宿駅の出入り口より後になり先になって行く三人連れの旅人がいる。これも江戸の者と見えて、少し侠気のある風体をしており、話しっぷりはべらんめえ口調である。その話を聞くと

一人の男「昨夜の泊は可笑しかったなあ」

今一人「それよ。何だか奥の間に泊まっていた奴等あ、気のきかねえ野郎どもだ。宿で婚礼があったのを羨ましがりやがって、襖の間から覗きおって、夢中になり、とうとう襖をぶっ倒しやあがった。大笑いなべらぼうどもだ」

今一人「それからその婿に謝るざまあ見ちゃおれぬわ。あの騒ぎでおいらもろくに寝られなんだ、いまいましい」

一人の男「そして、あの一人の野郎奴は、なんだか宵に宿の亭主を呼びやがって、ここの家は卵塔場じゃねえかと言いやがったが、あのべらぼうめどもはどうでも気がふれていると見える」

と、この連中は昨夜、弥次郎北八が泊まった家に、一緒に泊まったとみえて、この話をする。弥二郎は聞いて熱くなり、足早に駆け寄って、言葉をかけ、

弥次「おい、貴様たちやあ、さっきから黙って聞いていりゃあ、おいらがことをべらぼうたあ、何のこった」

先の男「なに、あんたたちのことじゃねえ。こっちのことだわ」

弥次「こっちの事という事があるものか。昨夜の宿でのことをぬかすのだろう。その襖をぶっ倒した、べらぼうと言ったあ、俺がことよ」

旅人「はあ、あんたがそのべらぼうか」

弥次「おお、そのべらぼうだ」

旅人「はははははは、べらぼうだからべらぼうだと言ったが、いいじゃあねえか」

弥次「いや、こいつ、悪い冗談を言う」

旅人「糞くらえだ」

弥次「なんだと糞を食え。こりゃ、面しれえ。食ってやるから持って来やあがれ」

と弥次郎は甚だしく腹を立て、力む。しかし相手は、血気盛んな勇み肌の連中で、馬の糞を杖の先に引っ掛け

「さあ、持って来たから糞食らえ」

弥次「いや、馬の糞は嫌いだ」

語句

■万戸(ばんこ)-家ごとに暁を告げる鶏の声がして。■果役-租税制の一つとして、公役に出ること。江戸時代では種類が多いが、ここは街道筋なので、助郷のことをさす。助郷役の馬はうち続いて、いさましく嘶く。■あらましに支度ととのへ-大体。一とおりに食事をすませ。■出端(でばな)-宿駅の出入り口。■いさみ肌-江戸の仕事師(鳶職)達のごとく勢いよく侠気のある風体■まき舌-ここでは、べらんめえ口調。歯切れよく快活な物言い。■きのきかねへ-「まぬけ」と同じ。■べらぼう-大ばか者。■あやまるざまア-この下に「見ておれない」とか「といったらない」などの語を補って解すべきである。■ろくに-十分に。■気ふれてゐる-気違いだと。■てやい-仲間。■あつく-腹を立てる。かっかする。■こんた衆-こなた方。お前さん方。■そのべらぼうだ-ここの、自ら恥をさらすのが滑稽だが、この言葉のやり取りは、咄本『千里のつばさ』(安永二年)や『落噺六義』(寛政九年)に見える、馬鹿貝売りをなぶってやろうと、「ばかヤイ」と呼んだところ、引き返して、「ばかはお前かえ」というと、「ム、おれだ」と答えた形式を利用したもの。■くそをくらへ--前出したごとく、人の言動を断ち切るための罵言であるが、それを本当の糞食うにして争う滑稽にかえた。■まつくろ-甚だしく腹を立てる形容に使用。■けつきさかん-血気盛ん。元気いっぱい。

原文

旅人「きらひといふことがあるものか。是非(ぜつぴ)くはせにやアおかぬ

ト三人かかつて弥次郎を手ごめにする。きた八おかしく中へはいり

北八「イヤもふ御めんなせへ。たれたも同前でござりやす

三人「ハハハハハハかんにんしてやろう

ト行過る 弥次郎とても叶はぬと見て只口の内にぶつくさぶつくさ

此内桐(きり)の木中柴(なかしば)をうちすぎ、山中にいたる。爰は麻(あさ)のあみぶくろ、早繩(なは)などをあきなふなれば、北八

みほとけの誓(ちか)ひと見へて宝蔵寺(ほうぞうじ)なむあみぶくろはここのめいぶつ

かくて藤(ふじ)川にいたる。

現代語訳

旅人「嫌いという事があるものか。なんとしても食わせにゃあおかぬわ」

と三人かかって弥次郎の動きを封じる。北八はそれを見て可笑しくなったが、頃合いと見て中に入り

北八「いや、もう御免なせえ。食べたも同然でござりやす」

三人「はははははは、堪忍してやろう」

と行過ぎる。弥二郎はとても叶わぬと見て、只口の中でぶつくさボヤキを言う。

しばらくすると桐の木中柴を過ぎ、山中に着く。ここは麻の網袋、早繩などを商っており、北八

みほとけの誓(ちか)ひと見へて宝蔵寺(ほうぞうじ)なむあみぶくろはここのめいぶつ

こうして藤川に着く。

語句

是非(ぜつぴ)-「ぜひ」訛。■手ごめにする-動きの取れないようにする。ひどい目にあわせる。■たれたも同前-「食べたも同前」の誤りか。あるいは「糞をたれたも同前」と、へこんだ弥次郎兵衛を形容したか。■ぶつくさぶつくさ-口小言を言うさま。■桐(きり)の木中柴(なかしば)-『諸国道中記』に「桐の木、中柴、これより少しづつ坂有り。山中、此ところにて、麻のあみ袋・早繩をうる」。山中村は三河国額田郡。ただし早繩は、『改元紀行』には宝蔵寺村。『東海道宿村大概帳』には元宿村とある。袋は『東海道名所図絵』山中里の条に「農家に白芋染芋の細工して売るなり」。■早繩-捕手が罪人を縛る補縄。■宝蔵寺-浄土宗宝蔵寺は本宿村にある。『諸国道中記』や一九は皆一緒にしている。宝(正しくは法、ただし道中記類は宝)蔵寺の名物は、さすが仏の誓いで、名さえ「(南無)阿弥陀仏」という、網袋であるの意。■

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朗読・解説:左大臣光永