四編下 岡崎より池鯉鮒へ

原文

ここは東海に名だたる一勝地にて、殊に賑しく両側の茶屋、いづれも綺麗に見へたり。

ちやや「おやすみなさりまアし、おめしをあがりまアし。よい諸白(もろはく)もおざりまアす。おはいりなさりまアしおはいりなさりまア7し

弥次「ナント腹がすこし、ござつたじやアねへか

北八「いかさま、ここでお小休とやらかそふ

トあるちや屋へはいる うちの女

「ようお出なさりました

弥次「あねさん、お飯にしよふ。なんぞ味(うめ)へものはなしかの

女「ハイよい鮎のさかながおます

弥次「ナニ鮎のなますだ

女「ヲホホホホホ

ト笑ひながらやがてあゆのにびたしをつけてぜんをもちきたる

弥次「ドレドレこいつはうめへ。そしてごうてきにしろいめしだ

北八「エエ外聞のわりいことをいふ。アレ女が笑つていかア。あいつめは顔ぢうがゑくぼだはへ

弥次「ゑくぼならいいが、ほうべたがくぼんで、踏返しの馬蹄石といふもんだ ハハハハハハ

ト例のわるくちたらだらしやれていると 此内おくざしきには きんざいの客三人ばかり此しゆくにゐつづけしかへりがけと見へあいかたの女郎この所までおくり来しとみへて、わかれのさかもり大さはぎにて、此しゆくのこうきぶし、うたふこへにぎやかにきこゆる

うた「きくにませがきゆひこめられて、今はしのぶにしのばれずチツテレトツテレ

ト大さはぎをやるゆへ、北八弥次郎おくの方をのぞきみれば、ひとりの客のこへとして

「コレコレ太兵(たひやう)、さかづきはどふせるのじや

太「イヤ仁兵(ひやう)のねき(側)にあらアず

仁兵「ドレおれひらをふ

現代語訳

岡崎より池鯉鮒(ちりふ)へ

ここは東海では最も繁昌している所で、殊に賑やかに両側の茶屋が綺麗に見えた。

茶屋「お休みなさりまあし。お召し上がりまあし。最高の美味い酒もおざりまあす。ほ入りなさいまあし、お入りなさいまあし」

弥次「なんと腹が少しすいたじゃあねえか」

北八「いかさま、ここで大名並みに小休止とやらかそう」

とある茶屋へ入る。中に居る女

「よくお出でなさりました」

弥次「姉さん、お飯にしよう。なんぞ美味い物はねえか」

女「はい、よい鰺の肴がおます」

弥次「なに、鰺のなますだ」

女「おほほほほほ」

と笑いながら鮎の煮浸しを付けて膳を持って来た。

弥次「どれどれ、こいつは美味(うめ)え、そしてたいそう白い飯だ」

北八「ええ、外聞の悪い事を言う。あれ、女が笑って行かあ。あいつは顔中あばただらけだわえ」

弥次「靨(えくぼ)ならいいが、ほっぺたが窪んで、履み返しの馬蹄石というもんだ。はははははは」

と例の悪口でだらだらと洒落ていると、この奥座敷にには、近在の客が三人ばかり、この宿に居続けた帰りがけと見えて相方の女郎がここまで送って来たと見えて、別れの酒盛りで大騒ぎをしている。この宿の岡崎節を唄う声が賑やかに聞こえてくる。

詠「菊にませ垣ゆいこめられて、今は忍ぶに忍ばれずチツテレトツテレ」

と大はしゃぎをしているので、北八と弥次郎兵衛が奥の方を覗いて見ると、一人の客の声

「これこれ、太兵(たひょう)、盃はどうしたのじゃ」

太「いや、仁兵(にひょう)の傍にあらあず」

仁兵「どれ、俺が飲もう」

語句

■一勝地-『名所図絵』に「当国都会の地にして、商人多く繁昌の所なり」。■諸白-酒の仕込み用の米も麹も、共に精白したものを使用する上製の酒。広く最上品を酒を示す語。■小休-大名行列などの小休止を言う言葉。気取っていた。■鮎のさかな-大平川の名産なので、小道具に出した。■鮎のなます-「鰺の・・・おます」を、洒落て言ったもの。あれば珍物である。■鮎のにびたし-鮒・鮎などを、白焼きまたはそのまま煮出し汁を多くして、長時間かけて甘辛く柔らかく煮て、骨のまま食するごとくしたもの。■顔ぢうがゑくぼ-疱瘡であばたが多い顔を、悪く言ったもの。■ほうべたがくぼんで-以下はえくぼどころか大あばたという意味。■踏返しの-沓脱ぎ石の事。人に踏まれて、落ち込んだ所があるからいう。■馬蹄石-蒼黒色で硬く、表面に蹄のような形がある石で、沓ぬぎ石・庭石などに用いられる。諸国から出るが、大井川・安倍川からも産する。(『雲根志』後編三・三編(六)。■きんざいの客。-近在。岡崎近い在郷の客。■ゐつづけ-居続け。遊里で数日にわたり滞在遊興すること。■あいかたの女郎-相方の女郎。岡崎は三味線の習い初めにも、「吉野の山」と共に「岡崎女郎衆、岡崎女郎衆はよい女郎衆女郎衆」と唱われるので、女郎を点出した。■こうきぶし-岡崎節を、東海道筋では、かく称した。■ませがき-籬垣(ませがき)。菊の花に籬を結うように、きびしく閉じ込められて、忍び合う事も出来ないの意。この詞章と類似のものは、『吉原はやり小唄総まくり』に早くから見える。■ひらをふ-受け手の無い盃を取り上げて飲む。                                            

原文

太「あらためていこ(越)しやれ

仁「ヲトトトトトト、こないにうけてはとかくはあらまい。ソレさそかい

太「ヲツトうけた。ひゆつとやりからかいて、これから門もつこふへもどろふまいか。但しは桝屋かあ、てうじやへいこうまいか

女郎いくの「なんじやいし、アノ太兵はんはナア、酔なさるとナ、あのよふなこといふてじやがナア、ならあまいわいなア

太「イヤイヤ、かかる折から橘屋で、手形うけとつたしろものがあるから、いかざならまい

女郎「ムウそふかいし

仁「そふともそふとも。チツテレトツテレ。かねて手管とわしやしりながら、だまされてさくむろの梅(むめ)ハハハハハハ

ト此内からしりの馬二三疋おつたて来り、此ちや屋の軒につなぎて、馬士共なかにはよりおくへとふり

「だんながた、おむかひに参ました

三人「御大儀御大儀。おなごりおしいが、これでわかれざならまい

女郎「ひさしかぶりで、これからまた鳴海のおつるさんじやおませんかいな

太仁「ハハハハハ サアいかふまいか

ちや屋の女「御きげんよふ

トそれぞれにあいさつをするうち三人の客は、めいめいからしり馬にうちのり、いとまごひしてのりいだす。女郎おくり出て、さまざまのしやれもあれどもりやくす。弥次郎北八、しじうこのていを見て、女郎かいのからしり馬でかへるもおかしいと、打わらひながら

  

三味線(さみせん)の駒(こま)にうち乗帰(のりかへ)るなり岡崎(おかざき)ぢよろしゆ買(かい)に来(き)ぬれば

かくてふたりも此所を立出、宿(しゆく)はづれの松葉(まつば)川を打こへ、矢矧(やはぎ)のはしにいたる 

欄干は弓のごとくに反橋やこれも矢はぎの川にわたせば    

現代語訳

太「改めて一杯飲んでから、自分の方へさしてくれ」

仁「おっとととととと、これ程なみなみとつがれては、どうもかなわぬ。それ、そちらへ返杯をさそうかい」

太「おっと、受けた。ぐっと一気に飲みほしてから、これから門木瓜へ繰り出そうじゃないか。但しは桝屋か丁子屋へ行こうじゃないか」

女郎いくの「なんじゃいな、あの太兵はんはなあ、酔いなさるとなあ、あのようなことを言うてじゃがなあ、外へやりますことはなあ、なりませんわいなあ」

太「いやいや、かかる折から拙者は橘屋にてかかわりのある女郎がいるから、いかざあなるまい」

女郎「むう、そうかいな」

仁「そうともそうとも、ちってれとってれ。かねて手管とわしやしりながら、だまされてさくむろの梅(むめ)ハハハハハハ」

馬士がニ三匹馬を連れて来て、この茶屋の軒に繋いで、中に入り奥へ通り

「旦那方、お迎えに参りました」

三人「御大儀御大儀。お名残惜しいが、これで別れざあなるまい」

女郎「久しかぶりで、これからまた鳴海のおつるさんに行くんじゃないかいな」

太仁「はははははは、さあ行くとしようか」

茶屋の女「ごきげんよう」

とそれぞれに挨拶するうちに三人の客は、それぞれ空尻馬に乗り、暇乞いして乗り出す。女郎が送り出て、さまざまな洒落もあるが略す。弥次郎北八は、この客が女郎買い遊びが終わって、空尻馬に乗って帰るのが可笑しくなり、

三味線(さみせん)の駒(こま)にうち乗帰(のりかへ)るなり岡崎(おかざき)ぢよろしゆ買(かい)に来(き)ぬれば

このようにして二人もここを出立し、宿外れの松葉川を越え、矢矧の橋に着く。

欄干(らんかん)は弓(ゆみ)のごとくに反橋(そりはし)やこれも矢はぎの川にわたせば

語句

■あらためていこ(越)しやれ-改めて一杯飲んでから、自分の方へさしてくれ。■こないにうけてはとかくはあらまい-これ程なみなみとつがれては、どうもかなわぬ。■ひゆつとやりからかいて-ぐっと一気に飲みほしてから。■門もつこふへもどろふまいか-門木瓜・桝屋・丁子屋、次の橘屋も皆、岡崎の女郎屋。実在であったろう。ここは酒の)勢いで、馴染みでない女郎屋へ浮気に行こうとの意。よって馴染みの女から止められることになる。■かかる折から-気取った言い方。こんな時を幸いに。■手形うけとつたしろもの-かかわりのある女郎。手形を手紙とみても、約束とみてもよい。商いでいえば、手形をもらった関係のこと。■かねて手管と~-文政元年(1818)秋、三代目尾上菊五郎が、名護屋大須で天竺徳兵衛の芝居中、この歌をうたって以来流行すると見える。菊五郎は文化元年(1804)江戸河原崎座の『天竺屋徳兵衛韓噺(いこうばなし)』にも出演したから、台本不明ながら、同じくうたったものと思われる。後年同じ内容の富本節「松梅蘗桜草(かわらぬいろみばえのひともと)」(木琴)にも、この文句は入っている。■からしりの馬-荷無しの駄馬。■おつたて-馬方が馬を急がせて。■なかには-中庭。■ひさしかぶりで-久方ぶりで。■鳴海-尾張国愛知郡の宿駅(名古屋市緑区鳴海町)。岡崎から池鯉鮒(知立市)を隔てて、もう一つ西に当る。■おつるさん-鳴海の駅の飯盛の称。宮ではお亀というに対する(金の草鞋)。■いかふまいか-行こうではないか。

原文

それよりうたふ坂町、尾崎(をざき)の郷(ごう)、今村の建場(たてば)につく

ちや屋のばば「めいぶつ、さとう餅(もち)おめしなさりまアし。おやすみなさりまアし、おやすみなさりまアし

北八「ヲイこの餅はいくらヅツだ

もちやのていしゆ「三文でおざります

北八「こいつはやすい。こちらのうづらやきはいくらだの

ていしゆ「それも三文

北八「イヤこれは三文では高(たか)いよふだ。ナント御ていしゆ、こうしなせへ。これを二文にまけてくんなせへ。其かわりそちらの丸いもちは、四文に買(かい)やせう

ていしゆ、こいつはへんちきなことをいふとおもへど、どちらにしてもそんのいかぬことゆへ

ていしゆ「ハイよふおざります。おとりなさりませ

北八たばこ入からぜに二文取出して

「四文あらば丸いのを買(かを)ふとおもつたが、二文あるから、このうづらやきにしやせう

トうづらやきをとつて打くらひながら行

弥次「ハハハハハハこいつは北八でかした。さすがのていしゆも肝(きも)ばかりつぶしていやアがつた

北八「ナントちゑはすさまじかろふ

弥次「へへべらぼうめ、おれもそのくらひな事をしかねるものかハハハハハ

わづかでも欲(よく)にはふけるうづらやき三もんばかりのちゑをふるひて

かく興(けう)じ、わらひつれて、西田海道(にしだかいどう)より半里ばかり、北の方に名にしおふ、八ツ橋(はし)の旧跡(きうせき)を思ひて

八ツはしの古跡(こせき)をよむもわれわれがおよばぬ恥(はじ)をかきつばたなれ

ほどなく池鯉鮒(ちりふ)の駅にいたる

現代語訳

それから宇頭町、坂町、尾崎の郷を過ぎ、今村の建場に着く。

茶屋の婆「名物の砂糖餅をお召しなさりまあし。お休みなさりまあし、お休みなさりまあし」

北八「おい、この餅はいくらづつだ」

餅屋の亭主「三文でおざります」

北八「こいつは安い。こちらの鶉焼きはいくらだの」

亭主「それも三文」

北八「いや、これは三文では 高いようだ。なんと御亭主、こうしなせえ。これを二文にまけてくんなせえ。その代りそちらの丸い餅は、四文で買いやしょう」

亭主は、こいつは妙な事を言うと思ったが、どちらにしても損することではないので

亭主「はい、ようおざります。お取りなさいませ」

北八は煙草入れから銭二文を取り出して

「四文あれば丸いのを買おうと思ったが、二文しかないから、この鶉焼きにしやしょう」

と鶉焼きを取って食らいながら行く。

弥次「はははははは、こいつは北八でかした。さすがの亭主も肝を潰していやがった」

北八「どうだ、俺の智恵はたいしたもんだろう」

弥次「へへ、べらぼうめ、俺もそのくらいの事しかねるもんか。はははははは」

わづかでも欲(よく)にはふけるうづらやき三もんばかりのちゑをふるひて

このように楽しみながら、笑いながら、西田街道から半里ばかりの北にある有名な八橋の旧跡を偲んで

八ツはしの古跡(こせき)をよむもわれわれがおよばぬ恥(はじ)をかきつばたなれ

まもなく、池鯉鮒(ちりふ)の駅に着いた。

語句

■うたふ坂町-『諸国道中記』に「うとふ、坂町、尾崎のごう」。『東海道宿村大概帳』には、三河国碧海郡に宇頭村(岡崎市宇頭うとう町)、柿崎村・尾崎村・今村(安城市柿崎町・尾崎町・今村村)と西に並んでいる。■今村-『諸国道中記』に「今むら、茶や有り」。■さとう餅-砂糖を練り込んだり、砂糖をまぶしたした餅。■うづらやき-焼餅の一種。鶉焼。■へんちきなこと-変な事。■たばこ入-煙草入れ。小銭もこれに入れてある。■ふける-「ふける」は鶉の鳴くをいう。「三文ばかり」は少しの意。少しのことでも欲に走って、ない智恵をふりしぼって、鶉焼を買ったおかしさの意。■西田海道-『諸国道中記』に「にし田海道より半り斗北の方に、八ツはしの旧跡あり」。「西田」は三河国碧海郡牛田村(愛知県知立市牛田町)の誤りであろう。■八ツ橋-『諸国道中記』に「南より北へ流るる小川也。橋も一丈ばかりにて四角なる木のちいさきを八ツわたしたり。是を八ツはしと云ふ。在所の中に有り」として、『伊勢物語』九段の「から衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ」の詠を紹介するが、当時のさまかどうか疑わしい。『東海道名所図絵』に「八橋古蹟 池鯉鮒より八町許東の方、牛田村の松原に石標あり、是より左へ入る事七町許、ここに一惟の丘山ありて、古松六七株、其側に凹(なかくぼ)なる池の形の芝生あり。是むかし杜若のありし址といふ。北の方に遭妻(あひづま)川の流あり、ここに土橋をわたす。これは八橋をわたせし流といふ」。■八ツはしの~-八橋の歌枕で有名な所を詠んでも、我々風情では、力及ばず恥をかくだけの意に、「杜若」をかけた。■池鯉鮒(ちりふ)-三河国碧海郡の宿駅(今の知立市)。岡崎から三里半十一丁。

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朗読・解説:左大臣光永