五編上 桑名より四日市へ

原文

東海道中膝栗毛五編 上

十返舎一九

宮重大根(みやしげだいこん)のふとしくたてし宮柱(ばしら)は、ふろふきの熱田(あつた)の神の慈眼(みそなは)す。七里のわたし浪(なみ)ゆたかにして、来往(らいわう)の渡船難(とせんなん)なく、桑名(くはな)につきたる悦(よろこ)びのあまり、めいぶつの焼蛤(やきはまぐり)に酒くみかはして、かの弥次郎兵衛喜多八なるもの、やがて爰を立出たどり行ほどに、此頃旅人(りよじん)のうたふをきけば

はやりうた「しぐれはまぐりみやげにさんせ、宮(みや)のお亀が情所(なさけどころ)ヤレコリヤ、よヲしよヲしよし

馬士「コレ旦那衆戻(だんなしゆもど)り馬のらせんか

弥二「よヲしよし

馬士「やすいに、たんだ百五十でやらまいか

弥二「よヲしよし

北八「せうろく四文でのるべいか

馬士「そんならよヲせよせ

馬「ヒインヒイン

長もちにんそく「ふねはナア追(おい)手にほかけてはしるナアンエ、はやくサア、あつ田に泊(とま)りたやナアンエ。八兵衛どふした。馬(おま)でものんだか。なんだかはねらア。どつこいどつこい

北八「なんと弥次さん、なにもなぐさみだに、こうしよふじやアないか。おめへの荷物(にもつ)とわしがのを、いつしよにして、ひとりがひつかついで、半日がはりに旦那(だんな)と家来(けらい)のしうちはどふだろう

弥二「コリヤおもしろい。それよかろふ。まづおいらから、旦那をはじめるぞ

北八「そりやアいいが、けふはもふ八ツだから、七ツがはりにしやせう、勿論(もちろん)だんなと供(とも)のあしらひは、たがひにばんくるはせなしに、やらかしやせうぜ

弥二「しれた事よ

トいひつつあたりに、竹一本をさいかくし、弥次郎がにもつと、北八がつつみを、りやうほうにくくりつけて

北八「先ヅとしやくにおめへ旦那よ。おいらは上下といふもので出かけよふ。ナントよつぽど、気がきいてゐるだろふ

トあとから荷をひつかたげて

現代語訳

桑名より四日市へ

熱々の風呂吹き大根じゃないけれど、宮島大根のように立派に建てられた柱を有する熱田神宮の神に守られた七里の海路は波静かで、往来の船は難なく桑名の湊に着いた喜びのあまり、名物の焼蛤に酒を酌み交わして、かの弥次郎兵衛北八なるもの、やがてここを出立し、辿って行くと、此の頃、旅人の唄う声が聞える。

流行唄「しぐれははまぐりみやげにさんせ、宮のお亀が情所やれこりゃ、ようし、ようし、よし」

馬士「これ、旦那衆、戻り馬に乗らんせんか」

弥次「ようし、よし」

馬士「安いに。たった百五十で行きませんか」

弥次「ようし、よし」

北八「正六四文は六十四文で乗るべいか」

馬士「そんなら、ようせ、よせ」

馬「ヒイン、ヒイン」

長持人足「ふねはなあ、追手にほかけてはしるなあんえ。はやくさあ、熱田に泊まりたや、なあんえ。八兵衛どうした。馬でも飲んだか。なんだか跳(はね)らあ。どっこい、どっこい」

北八「どうだい弥次さん、何も気晴らしだから、こうしようじゃねえか。おめえの荷物とわしのを一緒にして、一人で引っ担いで、半日交代旦那と家来の早替りはどうだろう」

弥次「こりゃおもしろい。それはよかろう。先ずおいらから、旦那を始めるぞ」

北八「そりゃあいいが、今日はもう八ツ(午後二時)だから、七ツ(午後四時)を合図にしやしょう。勿論、旦那と供の役どころは、互に番狂わせなしにやりましょうぞ」

弥次「しれた事よ」

と言いつつ付近にある竹一本をくめんして、弥次郎の荷物と、北八の包を両端に括りつける。

北八「先ず年役におめえが旦那よ。おいらは上下人足という役で出かけよう。どうです、役柄がぴったりで気が利いているだろう」

と後から荷を引担げて

語句

■宮重大根-尾張国(愛知県)西春日井郡宮重(今は春日はるひ町)地方産の大根。長大で美味。尾張徳川公の献上物でもあった。よって「ふとしく」の序であり、また「宮柱」と韻をふみ、「ふろふき」とも縁語。■ふとしくたてし-祝詞では「宮柱ふとしくたてし宮前に」などいうを使用した。立派に宮殿の柱を作る。■ふろふきの-大切にした大根をだし汁で熱く煮て、味噌を付けて食する料理。『骨董集』に「大根を熱く蒸して煙の立つほどなるを、大根の風呂吹といふも、息を吹きかけてくふさま、かの風呂吹に似るゆゑならん」。熱いので「熱田」の枕とした。■熱田の神-熱田大神宮。宮駅の大社(『東海道名所図絵』などに詳しい)。■慈眼(みそなは)す-めぐみをたれる。「見る」の尊敬語。御覧になっている。転じて「恵みを人に与える」。■七里のわたし-宮から桑名への渡海。■桑名-伊勢国桑名郡の宿駅(三重県桑名市)。松平氏の城下町。■焼蛤-『東海道宿村大概帳』に「此宿、蛤・時雨蛤・白魚・干白魚名物なり」。■上下といふもの-荷物を運搬して街道を上り下りすることを職業しているものの総称。■八ツ-午後二時。■7ツ-午後四時。■あしらひ-取り合せ。取扱。役どころ。■としゃく-年役に。年齢が上だからその特権で。■上下-道中上り下りの日雇いの人足。

原文

北八「モシ旦那へ

弥次「なんだ

北八「いい天気でござります

弥二「ヲヲサ風が凪(ない)であつたかだ

北八「さやうでござります

トかりにしうじうのごとく、打かたりつつゆくほどに、はやくも大ふく村、安中村を打過て、町や川にさしかかれば、弥次郎兵衛取あへず

旅人を茶屋の暖簾(のれん)に招(まね)かせてのぼりくだりをまち屋川かな

斯打興(かくうちけう)じてなを村おふけ村にたどりつく。此あたりも蛤(はまぐり)の名物、旅人を見かけて、火鉢(ひどこ)の灰(はい)を仰立(あふぎたて)仰立

女「おはいりなさりまアせ。諸白(もろはく)もおめしもござりまアす。おしたくなさりまアせおしたくなさりまアせ

かごかき「篭いかまいかいな。これから二里半の長丁場(ながてうば)じや。安(やす)うしてめさぬかい

弥二「イヤかごは入らぬ

かご「あとのおやかた、旦那をのせもふして下んせ。戻(もど)りじや。やすめに

北八「だんなは、おひろいがおすきだ

かご「そふいはずと、モシ旦那、やすうしてやらまいかいな

弥二「やすくてはいやだ。高(たか)くやるならのりやせう

かご「そしたら、高うして三百いただきましよかいな

弥次「いやだいやだ。もつと高くやらねへか

かご「ハアまんだやすいなら、やみげんこ(三百五十)で

弥次「壱貫五百ばかりなら、のつてやろふか

現代語訳

北八「もし、旦那え」

弥次「なんだ」

北八「いい天気でござります」

弥次「おおさ、風が凪いで温かだ」

北八「左様でござります」

と仮の主従のように、語り合いながら行くと、早くも大福村、安中村を過ぎて、町や川にさしかかると、弥次郎兵衛とりあえず

旅人を茶屋の暖簾(のれん)に招(まね)かせてのぼりくだりをまち屋川かな

このように楽しみながら進んで行くと、縄生村(なおむら)、おぶけ村に辿り着く。この辺りも蛤が名物で、旅人を見かけて、火鉢の灰を仰ぎたて仰ぎたて女が声をかける。

女「お入りなさいまあせ。諸白もお飯もござりまあす。お食事なさりまあせ、お食事なさりまあせ」

篭かき「篭でおいでにならまいか。これから二里半の長丁場じゃ。安くするから乗らぬかい」

弥次「いや、篭はいらぬ」

駕「後ろの親方、旦那を乗せ申して下さいな、戻り馬じゃ。安くしときますぜ」

北八「旦那は歩くのがお好きなのだ」

駕「そう言わずと、もし旦那、安く値切って乗っていかまいか」

弥次「安いのは嫌だ。高くするなら乗りやしょう」

駕「そしたら、高くして三百文いただきましょかいな」

弥次「嫌だ嫌だ。もっと高くならないか」

駕「はあ、まんだ安いなら、やみ(三百)げんこ(五十)にいたします」

弥次「一貫五百ばかりなら乗ってやろうか」

語句

■風が凪(ない)であつたかだ-会話で天気を示して、この時の道中ののんびりしたさまを示したもの。■かりにしうじうのごとく-仮に、主従に似せて。■大ふく村-大福村は現在桑名市大福。■安中村-安永村であろう。今は桑名市安永。■旅人を~-「まち」に「待ち」をかけた趣向。町屋川の茶屋では、暖簾の揺れるに、招かせて、上り下りの旅人を、地名どおりに待っているの意。■町や川-町屋川。滋賀県との境の竜ヶ岳山麓に発し、桑名の南方で伊勢湾にそそぐ。■なを村-縄生村。今は三重県三重郡朝日町縄生。■おふけ村-小向(おぶけ)村。今は朝日町小向。■火鉢(ひどこ)-箱の中に土を盛って作った竈。■仰ぎたて-団扇で煽ぎたてる。■諸白-上等の銘酒。麹も米も、精白の物を使用したの意。■篭いかまいかいな-駕篭をやりましょうか。■長丁場-宿場間の長いこと。■安うして-安くするから。■おやかた-馬方・駕籠かきなどの、客人を呼ぶ称。■やすめに-価を安い目に。下に「する」意がつく。■おひろい-「歩く」ことの丁寧語。大商人の主人の気取り。                                

原文

かご「エエめつそふな。わし共も商売冥利(しやうばいめうり)、そないにやつとはいただかれませぬ。せめて五百でめして下んせんかい

弥二「それでも安いからいやだ

かご「ナアニやすいこんではあらまい。そしたら、わかれに七百くだんせ

弥二「イヤイヤめんどふだ。何かなし壱貫五百よりまからぬまからぬ

かご「はて〇こまつたもんじや。それよりちつともまからまいか

弥二「まからぬまからぬ

かご「エエなんの事(こん)じや。かごかきのほうから、ねぎるといふはめづらしい。ままよぼうぐみ、壱〆五百でやらまいかい。サア旦那めしませめしませ

弥二「それでいいか。高(たか)くのつてやるかはりに、酒手をこつちへ貰(も)たはにやならぬががつてんか

かご「あげませずとも

弥次「そんならさきへいつて、壱貫四百五十文、こつちへ酒手にさしひいて、のこり五十のかごちんだが、それで承知(せうち)かどふか

かご「エエそんなこんであらず。とひようもない

弥次「そこでまづゑんきりだハハハハハ

北八「こいつは旦那ができたできた

たび人をのせつつもりで駕〇きの高い直段(ねだん)にかつがれにきり  

斯(かく)て朝餉(あさげ)川松寺をうちすぎ、富田(とみた)のたて場にいたりけるに、爰はことに焼蛤のめいぶつ、両側(りやうがは)に茶屋軒(のき)をならべ、往来(わうらい)を呼(よび)たつる声にひかれて、茶屋に立寄こしをかくると

女「おはやうござりました

トちやを二ツくんで来り、弥次郎へさし出す。弥次郎兵へは旦那のつもりゆへ、わらじのまま、ちややの板の間にあぐらをかきて

「きた八、したくはいいか

現代語訳

駕「ええ、滅相な。わし共も商売冥利、そないに沢山はいただかれませぬ。せめて五百で乗って下んせえ」

弥次「それでも安いから嫌だ」

駕「なあに、安いことはあるまい。そしたら、中をとって別れ際に七百くだんせ」

弥次「嫌々面倒だ。とやかく言わずに一貫五百よりは負からぬ負からぬ」

駕「はて困ったもんじゃ。それよりちょっとは負からまいか」

弥次「負からぬ負からぬ」

駕「ええい、何の事じゃ、駕籠かきの方から値切ると言うは珍しい。ままよ相棒、一貫五百で、乗っていただこうぜ。さあ旦那、お乗りなせえ、お乗りなせえ」

弥次「それでいいか。高く乗ってやる替りに、酒手をこっちへ貰わにゃならぬが合点承知か」

駕「あげますとも」

弥次「そんなら先に行ってから、一貫四百五十文、こっちの酒手を引いて、残り五十の駕篭だが、それで承知かどうか」

駕「ええい、そんなことだろうと思っただ。とんでもねえ」

弥次「そこで、まずお前とは縁切りだ。はははははは」

北八「こいつは旦那の大出来、大出来」

たび人をのせつつもりで駕〇きの高い直段(ねだん)にかつがれにきり

こうやって朝餉川、松寺を通り過ぎ、富田の建場に着いたが、ここは特に焼蛤が名物で、道の両側に茶屋が軒を並べ、往来の客に呼びかける声にひかれて、茶屋に立ち寄って腰を掛けると、

女「お早いお着きでござりました」

と茶をふたつ汲んで来て、弥次郎へまず差し出す。弥次郎兵衛は旦那のつもりなので、草鞋のまま、茶屋の板の間に胡坐をかく。

「北八、食事はいいか」

語句

■商売冥利-商売を守る神仏の加護にかけて。■やつと-たくさん。たんと。■めして-ここは「馬に乗る」ことの丁寧語。■わかれに-中をとって。■何かなし-とやかくいわずに。■酒手-労働者などを雇った時、代金意外に出す心付けの金の称。労をねぎらい一杯飲めの意で言う。■あげませずとも-もちろんさしあげましょう。■とひやうもない-とんでもない。■ゑんきり-交渉決裂。■かつがれにけり-「のせる」「かつぐ」は共に駕篭かきの用語で、一方に「うまうまとだます」の意を持つ。一首は、旅人をうまく駕篭に乗せようとした駕籠かきが、かえって、高い値段につられて、だまされてしまったの意。■朝餉(あさげ)川-『東海道宿村大概帳』に「柿村内朝明川あり、幅大概九十九間半、土橋渡り也、此川水元は勢州三重郡千草村山々より流れ来り」。「土橋、長八十四間、横二間」。■松寺-『諸国道中記』に松寺村、とは(「み」の誤刻か)た村、茶や有り」。共に伊勢国朝明郡のうち(今は四日市市)。東富田村にある立場がある。■焼はまぐり-『大概帳』に「東富田村、小向村ニ而焼蛤を商ふ、此所の名物なり」。■したく-食事。

原文

きた八もやくそくなれば供のきどりにて

「よろしうござりませう。コレ女中、おめしを二ぜん出してくんな

女「ハイハイはまぐりでおあがりなされますか

弥次「イヤ箸でくいやせう

女「ヲホホホホホ

トはこにしたいろりのよふなものの中へ、はまぐりをならべ、松かさをつかみこみ、あふぎたててやくうち

弥次「コウ酒(さけ)はいいのがあるかの。しかし諸白(もろはく)ではなくて、片(かた)白にはこまる。そして江戸じやアうめへ(厚味)ものの、くひあきしてゐる骸(からだ)だから、道中(だうちう)のものはねからくへぬ。馬にのればあぶなし、駕(かご)はあたまがつかへる。店(たな)のものどもが、おやどの駕をおつらせなさるが、よふござりますといひおつたが、なるほどそふすればよかつた。不肖(ふしやう)してのればのるものの、もふもふ道中駕にはあきはてた。北八是からはあるいてゆかふ。いい草履(ざうり)があらば買つてくりや。はきつけぬ草鞋(わらじ)で、コレ見や、あしぢうが豆(まめ)だらけになつた

北八「ほんになア、けふはじめてわらじをおはきなさつたから、古(ふる)いあかぎれが再発(さいはつ)した

弥次「とんだことをいふ。これはあんまり足がやはらかだから、わらじのひもがくへこんだのだ。ヤ時に、はまぐりは

女「ハイ只今あげます

ト大さらにやきはまぐりをつみかさねていだし めしを二ぜんもつて来てすへる

北八「コウ弥次さん見なせへ。いろおとこはちがつたもんだろふ。コレコレこのむすめがおめへの飯(めし)はちつと盛(もつ)ておいらがのは、このとふり山もり、餓鬼道(がきだう)の一里塚(づか)といふもんだ。アアうめへうめへ

弥次「へへべらぼうめ。アノむすめが、しやくしあたりのいいのを、ほれたのだとうれしがるのもおかしい。ソリヤア手めへをやすくするのだは

北八「なぜなぜ

弥次「すべてが此かいだうでは上下のものや、供(とも)のものへは、飯(めし)を山もりにして出すといふことだ。それだから誰(だれ)が目にも、おれは旦那、手めへはお供と見へるから

北八「ハアそふかいめへましい

現代語訳

北八も約束なので供の気取りで

「よろしゅうござりましょう。これ女中、お飯を二膳出してくんな」

女「はいはい、蛤でおあがりなされますか」

弥次「いや、箸で食いやしょう」

女「おほほほほほほ」

と箱にした囲炉裏のような物の中へ、蛤を並べ、松笠を掴み込み、煽ぎたてて焼くうちに

弥次「これ、酒はいいのがあるかの。しかし諸白ではなくて、片白では口には合わぬ。そして江戸じゃあ美味へものを食い飽きている身体だから、道中のものは口に合わぬ。馬に乗れば危ないし、駕は頭がつかえる。店の者どもが、自家(うち)の篭をお連れになった方がようござりましょうと言いおったが、成る程、そうすればよかった。いやいやながら乗ってはいるもののもうもう道中駕には飽きてしもうた。北八、これからは歩いて行こう。いい草履があったら買ってくりゃ。履きつけぬ草鞋で、これを見や、足中が豆だらけになった」

北八「ほんになあ、今日初めて草鞋をお履きなさったから、古い皸(あかぎれ)が再発しておいたわしいかぎりでございます」

弥次「とんだことを言う。これは、あんまり足が柔らかだから、草鞋の紐が食い込んだのだ。遅いね。時に蛤はまだか」

女「はい、只今」

大皿に焼き蛤を積み重ねて出し、飯を二膳持って来て据える。

北八「これ、弥次さん見なせえ。色男は違ったもんだろう。これこれこの娘がおめえの飯はちょっと盛って、おいらのは、このとおり山盛りだ。餓鬼道の一里塚というもんだ。ああ、うめえうめえ」

弥次「へへ、べらぼうめ。あの娘が飯を沢山盛ったのを、惚れたのだと嬉しがるのもおかしなもんだ。そりゃあ手めえを軽輩の大飯食いと安く見たからだわい」

北八「何故、何故」

弥次「全てこの街道では上下の者や、供の者へは、飯を山盛りにして出すということだ。それだから誰の目にも、俺は旦那、手前はお供と見えるからなのさ」

北八「はあ、そうかい。いまいましい」

語句

■箸(はし)でくいやせう-はぐらかしの洒落。■はこにしたいろりのよふなもの-箱ようのもの。『東海道名所図絵』に「東富田、おふけ両所の茶店に、火鉢を軒端へ出し、松毬にて蛤を煎り、旅客を饗す。桑名の焙蛤(やきはまぐり)とはこれなり」。『日本山海名産図絵』に「勢州桑名富田の名物なり、松のちちりを焚きて蛤の目番(めつがひ)の方より焼くに、貝に柱を残さず味美なり」。■片白-白米と玄米の麹で醸造した酒、諸白より下品。■ねからくへぬ-まずいから全く食われない。■店(たな)のものども-店員達。大店の旦那の気持。■おやどの駕-自宅にある上等の駕篭に乗って行くがよい。何やら話が、大名高家めく大風呂敷。■不肖(ふしやう)して-いやいやながら。仕方なく辛抱して。■道中駕-道中で雇って乗る駕篭。■豆-水腫。■古(ふる)いあかぎれが再発(さいはつ)した-あまり太平口をいうので、北八がひやかした言葉。豆ではなくて、以前のあかぎれが、また口を開いたのだろう。■くへこんだ-食い込んだ。■餓鬼道-仏教で六道の一。ここに堕した亡者即ち餓鬼は、食物が炎になって飲食できず、飢渇に苦しむ。■一里塚-街道筋で里程を示すために築いた塚。木を目印にしたものが多い。ここで同者に接待したりするのを、餓鬼に施しをする施餓鬼に見立てていった。飢えた者だからたくさん盛り上げるとみた。■しやくしあたりのいい-食物をたくさん盛るを、杓子当りがよいという。■やすくする-軽く見る。軽い者として応対する。■上下のもの-荷物を運搬して街道を上り下りすることを職業しているものの総称。

原文

弥次「ハハハハはまぐりをもつとくんなせへ

女「ハイハイ

又やきたてのはまぐり大さらにもつていだす

弥次「おまへのはまぐりなら、なをうまかろふ

ト女のしりをちよいとあたる

女「ヲホホホホ だんなさまは、よふほたへてじや

北八「おれもほたてよふ」

トおなじくしりをつめにかかれば

女「コレ、よさんせ。すかぬ人さんじや」

北八「どふでも、おいらをばやすくシヤアがる

トぶつぶつこごとをいふうちあたりの寺のかねがゴヲン

北八「女中あれはなん時だへ

女「もふ七ツでござります

北八「しめたしめた。約束(やくそく)のとをり、是からおれがだんなさまだ。コリヤコリヤ弥次郎兵衛、おれはもふ、馬にも駕にも乗(のり)あきた。是からそろそろひろいませう。いい草履(ぞうり)をかつて来やれ。はきつけぬわらじで、コレ見や、豆ぢうが足だらけだ

弥次「ばかをいふ。なるほど手めへは足だらけだ。ひとつの足が、いくつにもわれてゐるから

北八「イヤ旦那にむかつて、手めへとは何のことだ。この荷物をそつちへやろふ

弥次「ハテ現金な男だ。マアそつちにおきやれ

「イヤそふはならぬ

トつきつけるを、弥次郎兵へつきもどすはづみに、はまぐりをもつてある皿をひつくりかへすひやうしに、やけはまぐりが弥次郎兵へのふところへ、ひよいとはいると

弥次「アツツツツツツ、はまぐりのつゆがこぼれてアツツツツツツ

北八「ドレドレ

トふところへ手を入れてはまぐりをつかまへ

北八「アツツツツツツ

現代語訳

弥次「はははは、蛤をもっとくんなせえ」

女「はいはい」

又焼きたての蛤を大皿に盛って出す。

弥次「お前の蛤なら、なおうまかろう」

と女の尻をちょいとつつく。

女「おほほほほ、旦那さまは、ようふざけなさる」

北八「俺もふざけよう」

と同じく女の尻を、つめりかかると

女「これ、よさんせ。ほんとに好かん人じゃ」

北八「どうでも、おいらをば安くしやあがる」

とブツブツ小言を言っているうちに辺りの寺の鐘がごおん

北八「女中、あれは何時(なんどき)だい」

女「もう七ツ(午後四時)でござります」

北八「しめた、しめた。約束通り、これからは俺(おら)が旦那さまだ。こりゃこりゃ弥次郎兵衛、俺はもう、馬にも駕にも乗り飽きた。これからそろそろ歩きましょう。いい草履を買って来やれ。履きつけぬ草鞋で、これ、見や、豆中が足だらけだ」

弥次「馬鹿を言う。なるほど手めえは足だらけだ。ひとつの足がいくつにも割れているから」

北八「いや、旦那に向って、手めえとは何のことだ。この荷物をそっちへやろう」

弥次「はて、現金な男だ。まあ、そっちに置きやれ」

北八「いや、そうはならぬ」

と突きつけるのを、弥次郎兵衛が突き戻す弾みに、蛤を盛ってある大皿をひっくり返す拍子に、焼蛤が弥次郎兵衛の懐へ、ひよいと入ると

弥次「熱ツツツツツツ、はまぐりの汁がこぼれて熱ツツツツツツ」

語句

■はまぐり-女性の陰部を見立てていう。■ほたへる-ふざける。ざれる。たわむれる。■七ツ-午後四時。■豆ぢうが足だらけだ-足じゅうが豆だらけだというべきを、いい間違えたのである。■いくつにもわれてゐる-ひどい皸(あかぎれ)を誇張して言ったもの。■手めへ-目下に言う二人称代名詞。■現金な-事情が変ると、すぐに態度を変えること。■はまぐりのつゆ-蛤の汁。

原文

北八「ドレドレ

トふところへ手をいれてはまぐりをつかまへ

北八「熱ツツツツツツ」

トとりおとせばはまぐりへその下へおちる。きた八うろたへて、弥次郎がももひきのうへから、きん玉とはまぐりを、いつしよにつかむ

弥次「アアアアツツツツツツ、コリヤどふする。きんたまがこげらア

トいふうち、やうやうももひきのまへのあはせめをひろげると、はまぐりがぽつたり おちる

北八「ハハハハまづは、御安産(あんざん)でおめでたい

弥次「しやれどころじやアねへ。とんだめにあつた

女「おけがはござりませぬか

弥次「けがはせぬが、まだ腹(はら)の中(うち)がぴりぴりする

北八「ハハハハハハハ

膏薬(かうやく)はまだ入れぬどもはまぐりのやけどにつけてよむたはれうた

それより此所を立出、はつ村八幡(まん)を打過、七ツ家あくら川にいたりし頃、四日市の宿引(やどひき)出向ひて

「これはおはやうござります。わたくしおやどをおたのみ申上ます

弥次「わつちらア帯(おび)屋へ行やす

宿引「イヤ今夕は、お大名さま、おふたかしらおとまりで、帯屋は両家とも、おさし合でござりますから、わたくしかたにおとまり下さりませ

トいふはうそなり。御小身さまのおとまりで、下宿はわづかなれども、それをいいたてに、やど引わがかたへとめんとするけいりやく也。ふたりともぼんくらなればまこととおもひて

弥次「そんなら、きさまの所はいくらでとめる

やど引「ハイそれはいかやうとも

弥次「ゆふべは宮(みや)の斧(よき)屋にとまつたが、とんだ丁寧(てへねへ)にした。百五十で燭台(しよくだい)をつけてめしをくはせるか。そして酒(さけ)も菓子(くはし)も出したから、コリヤアだまつてもゐられめへと、別(べつ)に茶代(ちやだい)を弐百やるつもりの所、やつぱりやらなんだから、大きに安かつた。きさまの所もそのつもりで馳走(ちそう)するがいい

やど引「かしこまりました

現代語訳

北八「どれどれ」

と懐へ手を入れて蛤を捕まえ

と取落すと、蛤が臍の下へ落ちる。北八はうろたえて、弥次郎の股引の上から、金玉と蛤を一緒に掴む。

弥次「アアアア熱ツツツツツツ、こりゃどうする。金玉が焦げらあ」

と言ううちに漸く股引の前の合せ目を広げると、蛤がぽったり落ちる。

北八「はははは、先ずは御安産おめでたい」

弥次「洒落どころじゃねえ。とんだ目に遭った」

女「お怪我はござりませぬか」

弥次「怪我はせぬが、まだ腹の中がぴりぴりする」

北八「はははははは」

膏薬(かうやく)はまだ入れぬどもはまぐりのやけどにつけてよむたはれうた

それより此処を出立し、羽津村八幡を通り過ぎ、七ツ屋阿倉川に着いたころ、四日市の宿引きが出迎えて

「これはお早いお着きでござります。私のお宿にお泊り下さりませ」

弥次「わっちらあ帯屋へ行きやす」

宿引「いや今夕は、お大名さま、お二頭のお泊りで、帯屋は両家ともご支障がありますから私方にお泊り下さりませ」

というのは嘘である。小心者の武家が泊まっていて、滞在客は少人数ではあるが、それを理由に宿引方へ泊めようとする計略である。二人ともぼんくらなので真実と思って

弥次「そんなら、貴様の所はいくらで泊める」

宿引「はい、それはいかようにも」

弥次「昨夜は宮の斧屋に泊まったが客扱いは丁寧だったね。百五十で燭台付きで飯を食わせるか。そして酒も菓子も出したから、こりゃあ黙っていられめえと、別に茶代をやるつもりのところ、やっぱりやらなんだから、たいそう安かったわい。貴様の所もそのつもりで御馳走するがいい」

宿引「かしこまりました」

語句

■へそのした-臍の下。■ももひき-股引。両の股を通してはく狭い筒状のもの。■安産-無事に出て来たのを、洒落て言う。■膏薬(かうやく)-蛤の貝に火傷の膏薬を入れて売るものがあったとみえ、それによる詠。「つけて」は、膏薬を火傷の患部につけることを、そのことに関して、狂歌を詠じるにかけてある。■はつ村-朝明郡羽津村(今は四日市市)。■八幡-朝明郡八幡村(四日市市)。四日市へは羽津村よりは遠く、順序逆。『諸国道中記』に「はつ村、八まん有り」と見える。一九はこれにより、「はつ村」の八幡社のつもりで書いたのであろう。■七ツ家-『道中記』に「七ツや、あくら川、土橋五十九、間」。『東海道宿村大概帳』によれば「七ツ屋」は桑名宿の字の名。『道中記』によった間違い。阿倉川村は伊勢国三重郡。東阿倉川村四日市へ八丁の所(四日市市)。『道中記』の土橋は海蔵川に架かるものをさしたか。■四日市-伊勢国三重郡で桑名から三里八丁の宿駅(今の四日市市)。天領で代官の管轄。■帯屋-代々の『道中記』類に、帯屋七郎衛門と見える脇本陣(天保書上、『本陣の研究』より)と、っその分家か。■ふたかしら-二頭。「頭」は大名を数える数詞。■さし合-支障。■小身-禄の少ない旗本などをなす。■下宿-宿泊する者。■いいたて-理由にして。■ぼんくら-ぼんやり。うかつ者。博打打の隠語で、盆に暗いから出たとの説もある。■斧屋(よきや)-未詳なれど、実在であったろう。■燭台-暗い行灯でなく、蝋燭で明るく清潔な燭台を使用した、高級な待遇。■茶代-宿泊・休息などの時に与える心付けの金銭。

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朗読・解説:左大臣光永