五編上 四日市より追分へ

原文

トだんだんはなしながら打つれてゆくともなしに、四日市のぼうばなにいたれば、やど引かけだして

「サア是でござります。コレおとまりさまじや

やどの女房「おはやうおつきなさいました

トあいさつのうち、ふたりはわらじをときながら見まはせば、いたつてむさくろしき宿にて、入くちにすすけかへつて、よこにいがみたるぜんだなとこはれかかりしへつついのあるうち也

てい主「今晩は、わたくしかたもこみやいました。おきのどくながら、奥(おく)のお客(きやく)と御いつしよになされて下さりませ

弥次「ずいぶによしさ

女房「さやうならこれへ

トあんないしておくの間へつれ行。あいやどいなかものふたりあり

弥次「御めんなさい

田舎もの「おはやうござらつせへた

北八「アアくたびれた。ゑいとこな

女「すぐにお風呂にめしませ。御案内いたしませう

北八「ドリヤおさきへまいろう

ト手ぬぐひをさげて湯に行。此内十四五の前がみ、ふろしき包のはこをさげて

「おたばこは入ませぬか。楊枝(やうじ)はみがき、おはながみはよろしうござりますか

田舎「久しかぶりで、吉田の大竹へのたりこんで、おやまに浅柄(あさがら)のたばこ買ひおつたが、みなすふてしもふた

今ひとりのいなかもの「四文粉(こ)はあらまいか

商人「イヤそれはござりませぬ。是をあがつて御らうじませ

弥次「ドレドレ、パツパツパツ。こりやねからたわいがない。こつちのはどふじやい

トきせるについですつぱすつぱ

現代語訳

四日市より追分へ

と段々話しながら連れだって行くともなしに、四日市の棒鼻に着いたところ、宿引が駈けだして

「さあ、ここでござります。これ、お泊りさまじゃ」

宿の女房「お早くお着きになさいました」

と挨拶をする間に、二人は草鞋を解きながら周りを見回すと、大そうむさくるしい宿で、入り口に煤け返って横に傾いた棚と、壊れかかった土竈のある家である。      亭主「今晩は、私方も混み合っておりますお気の毒ながら、奥のお客とご一緒になされて下されませ」

弥次「かまわねえから、それでいいぜ」

女房「ではこちらへ」

と案内して奥の間へ連れて行く。相宿の田舎者二人が居る。

弥次「ごめんなさい」

田舎「お早いお着きでござらっせえた」

北八「ああ、くたびれた。どっこいしょっ、と」

女「すぐにお風呂を召しませ。御案内いたしましょう」

北八「どりゃ、お先にまいろう」

と手拭を下げて湯に行く。そのうちに十四五の前髪の少年が風呂敷包みの箱を下げて

「お煙草は要りませぬか。楊枝・歯磨き・お鼻紙はよろしゅうござりますか」

田舎「久しぶりで、吉田の大竹へしけこんで、遊女に浅柄の煙草を買っておいたが、皆吸うてしもうた」

今一人の田舎者「一玉四文の粉煙草はあらまいか」

商人「いや、それはござりませぬ。これをあがってごらんなされ。お口に合いましょう」

弥次「どれどれ、ぱっぱっぱっぱっ。こりゃあ根っからたよりない。こっちのはどうじゃい」

と煙管に詰め込んですっぱすっぱ                                                               

語句

■ぼうばな-宿駅の外れで、その宿命の標示杭が立っている所。■むさくろしき-むさくるしい。■へつつい-竈(かまど)。鍋や釜をかける火所を数個合せ並べたもの。■ぜんだな-膳棚。膳具を並べ置く棚。■こみやい-混み合う。客が多く一緒になった。■あいやど-相宿。一面識もない人と、同じ部屋に宿泊すること。またその人。■ゑいとこな-どっこいしょ。■前がみ-中剃りをせずに、頭の前部の髪を立てた髷の結い方。ここは前髪を置いている少年、の意。■おたばこは~-煙草。以下旅行の日常品を売りに来たもの。■楊枝(やうじ)-黒もじ・白揚などで作り、先を打って平らにしてある。■はみがき-歯みがき砂、砂に竜脳・丁子など加えたもの。箱入りで売る。■ 久しかぶりで-久しぶりで。■吉田-吉田宿(三河国渥美郡の宿駅(今の豊橋市)にある宿)。おそらく女郎屋であろう))■のたりこむ-だらしなく入って。■おやま-遊女。女郎。■浅柄のたばこ-伊勢朝柄産の煙草。■四文粉-一玉(ひとたま)四文の煙草(当時は葉を刻み、粉にしてあったからという)。下品である。■たわいがない-たよりない。弱い煙草をいう。■消らかいた-消えてしまった。

原文

商人「それがよふござりませう

田舎「イヤこれもねから火がつかぬ。見やんせ。すふておるうち消(きや)らかいた

商人「ソレあなたのひざにもえております

田舎「ヤア コリヤコリヤ大事(だいじ)のきりもん(着物)を燃(もや)らかいた、フツフツ。イヤこないに膝(ひざ)の焦(こげ)るたばこはいらない。もつていかんせ

商人「ハイさやうなら

トこごといいながら出て行北八湯よりあがりて

北八「サア弥次さん、湯にはいらねへか

女「あなたおめしなさりませ

弥次「イヤでへぶ(大分)、あだなやつらがちらつくぜ

北八小ごへに「今のやつを風呂場(ふろば)で、ちよびと契つておきは、はやかろふ

弥次「ソリヤほんとうか。どふしてどふして

北八「おれが湯にいつてゐる所へ、おぬるくはござりませぬかといつて、うせおつたから、すぐにそこで約束した。まだひとりいい年増(ま)が見へるから、おめへ湯に入てまつてゐなせへ。大かたそこへくるにはちげへはねへから。そこでくちをかけるがいい

弥次「しやうちしやうち。ドレ入て来やせう

ト弥次郎はゆにいる又ひとりあきん人

「ハイ焼酎は入ませぬか。白酒あがりませぬか

北八「ヲツトそのしやうちうを少しくんな ヲトトトトトトトよしよし

トちやわんにつがせて  ぜにをはらひ、かのしやうちうをあしにふきかけ

「よしよし、これでくたびれがやすまるだろうふ。どなたも御めんさない。ヤアゑいとこな

トよこにねかける。此内弥次郎は湯に入て、女のくるのをまてどもまてども、いつかうに来らず。手あしのゆびを一本一本にあらひて、しばらくのうちまちぼうけとなり、あまりなが湯をしてゆげにあがり、ふろばのはめにもたれてぐにやりとなりゐる 北八はあまりに弥次郎がながゆなるゆへ そつとふろばへのっぞきにきたり このていを見て

現代語訳

商人「それがようござりましょう」

田舎「いや、これも根っから火がつかぬ。見やんせ。吸うているうち消えてしもうた」

商人「それ、貴方の膝で燃えておりやす」

田舎「やあ、こりゃこりゃ大事な着物を燃やしてしもた。ふっふっ。いや、こないに膝が焦げる煙草は要らない。持って行かんせ」

商人「はい、さようなら」

と小言を言いながら出て行く。北八は湯からあがって

北八「さあ、弥次さん、湯に入らねえか」

女「あなた、お召しなさりませ」

弥次「いや、大分、粋な奴らがちらつくぜ」

北八は小声になって、「今の奴と風呂場で、ちょっと約束しておいたのは、素早かろう」

弥次「そりゃほんとうか。どうして、どうして」

北八「俺が湯に入っている所へ、お温(ぬる)くはござりませぬかとと言って、出て言ったから、すぐにそこで約束したんだ。まだ一人いい年増が見えるから、おめえ湯に入って待っていなせえ。おおかたそこへ来るには違(ちげ)えはねえから。そこで声を掛けるがいい」

弥次「承知、承知。どれ、入って来やしょう」

と弥次郎は湯に入る。又、一人、商人が来て

「はい、焼酎は要りませぬか。白酒あがりませぬか」

北八「おっと、その焼酎を少しくんな。おっとととととと、よしよし」

と茶碗に注がせて、銭を払い、かの焼酎を足に吹きかけ

「よしよし、これで草臥れが休まるだろう。どなたもごめんなさい。やあ、どっこいしょ」

と横になって寝かける。こうしているうち、弥次郎は湯に入って、女が来るのを待てども待てども、いっこうに来る気配はない。手持ぶたさに手足の指を一本一本丁寧に洗って、しばらくの間待ちぼうけとなり、あまりの長湯でのぼせ上り、風呂場の羽目に凭(もた)れてぐにゃっとなっている。北八はあまりに弥次郎が長湯なので、そっと風呂場へ覗きにやって来た。北八は弥次郎のこの体を見て、

語句

■あだな-婀娜。なまめいた者。色気のある女。■ちよびと-ちょっと。■契つておきは-約束しておいたのは。■はやかろふ-素早いであろう。■うせおつた-やって来た。■くちをかける-話をしかける。■焼酎-甘藷や米などを原料とした蒸留酒。■白酒-糯(もち)米・麹と焼酎を混じて、五十日程おき、これを石臼ですりつぶして製したもの。甘く万人向きの飲物。■あしにふきかけ-『旅行用心集』に「至極草臥れたる時は、風呂へ入りての後、焼酎を足の三里より下、足のうら迄吹付くべし、手にてぬりてはきかぬなり」。■まちぼうけ-ぼんやりと長く人を待つこと。■ゆげにあがり-風呂など長く入る時、湯気に上気して、気分の悪くなること。■はめ-羽目板。壁の部分に、板張りをした所。■ながゆ-長湯。

原文

「ヤアヤアヤア弥次さんどふしたどふした コリヤたいへんだ

ト弥次郎がかほに水をそそぎ

「弥次さん弥次さん

弥次「ヲヲヲヲウウウウウウウウ~

北八「いいかいいか どふしたのだどふしたのだ

弥次「どふした所か。手めへおれを、ゑらいめにあはした

北八「なぜなぜ

弥次「ゆに入ながら、もふ女がくるかくるかとおもつて、あんまりながゆをしたから

北八「それでゆげにあがつたか。ハハハハハハちゑのねへはなしだ

弥次「手めへのおかげで、まだ足がひよろひよろする

北八「ハハハハハハこいつはおかしい。サアたちな

トやうやうにきものをきせ、きた八がかたにひつかけ、ざしきにつれてかへると、そのままたをれて、さもちからなさそふに

弥次「アアアア今すこしはつきりした

北八「おめへもとんだものだ。いいかげんにあがればいいに

弥次「イヤおれも、手めへのいつたとをり、大かた女めがくるだろふと、まつほどにまつほどに、向ふのながしに、かの年増らしいやつが、なにかあらつてゐるから、コレ背中を、ながして下せへといつたら、ハイとこいて、六十ばかりのばばアめが、たはしをもつて、きやアがつて、おせなかをあらひませうかとぬかしやアがる

北八「こいつはいい

トむちうになり、ねはらばつてゐながら、あしのゆびにて、あとのほうにねこおろんでゐる、いなかものの耳を、ひつぱつたりなにかして、もちやそびにする。このいなかもの、とんだきのよい男にて、そつとわきのほうへあたまをよけると

北八「それからどふした

弥次「きいてくれ、おれもあんまりごうはらだから、いまいましい婆々あめだ。たはしをもつてどふしやアがるといつたら、ハイハイとぬかしてひつこんだが、やがて又包丁(ほうてう)のおれたのを、もつてうしやアがつて 、これでおせなかの垢(あか)を、こそげおとしてあげませうかと、おれを鍋か釜のよふに、おもつていやアがるそふな。いまいましい

現代語訳

「やあやあやあ、弥次さん、どうした。こりゃ大変だ」

と弥次郎が顔に水を注ぎ、

「弥次さん、弥次さん」

弥次「おおおおううううううううううう~」

北八「いいか、いいか。どうしたのだ、どうしたのだ」

弥次「どうしたどころか。手めえ、俺を偉い目に遭わせたな」

北八「なぜ、なぜ」

弥次「湯に入りながら、もう女が来るか来るかと思って、あんまり長湯をしたから」

北八「それで湯にのぼせたか。はははははは智恵のねえ話だ」

弥次「手めえの御蔭で、まだ足がひょろひょろする」

北八「はははははは、こいつはおかしい。さあ、立ちな」

とやっとのことで着物を着せ、北八の肩に引っ掛け、座敷に連れて帰ると、そのまま倒れて、さも力無さそうに

弥次「ああああ、今、少しはっきりした」

北八「おめえもひどく気の利かねえ奴だ。いい加減に上がればいいに」

弥次「いや、俺も、てめえの言った通り、おおかた女が来るだろうと、待つ程に待つ程に、向うの流しに、かの年増らしい奴が、何か洗っているから、これ、背中を流して下せえと言ったら、「はい」と言って、六十ばかりの婆めが、たわしを持って来やあがって、お背中を洗いましょうかとぬかしやあがる」

北八「こいつはいい」

と夢中になり、腹這いに寝そべったまま、足の指で、後ろの方に寝転んでいる田舎者の耳を、ひっぱたり何かして、弄(もてあそ)ぶ。この田舎者は、とんだ気の良い男で、そっと脇の方へ頭を避ける。

北八「それからどうした」

弥次「聞いてくれ。俺もあんまり情ないもんだから、いまいましい婆めだ。たわしでもってどうしやあがると言ったら、はいはいと抜かして引っ込んだが、やがて又折れた包丁を持って来るじゃあねえか。それでどうすると言うと、これでお背中の垢をこそげ落してあげましょうかと、俺を鍋か釜のように、思っていやあがるんだ。いまいましい」

語句

■とんだものだ-ここは、ひどく気の利かない者。■ながし-井戸端・台所・湯殿などで、水を流すようにした設備。そこで洗い物をする。ここは風呂から見えて、洗い物するは、井戸端か。■こいて-「言う」の意を、あしざまに言う語。ぬかして。■たはし-藁を束ね、また巻いて作り、堅い物をこすって、汚れを落とす具。流し場のまま来たもの。■ねはらばつてゐながら-腹這いに寝そべったまま。■もちやそび-もてあそび。次に「なぶりもの」とあるに同じ。■包丁のおれたのを-鍋釜の尻を、「たはし」ですって煤の落ちない時は、包丁の悪くなったのでこするので、この案となった。■こそげる-こすってなくする。

原文

北八「ハハハハこいつは、でかしたでかした

トむちうになりて、又田舎もののあたまを、あしにてさがしまはし、みみをいぢりかけると、こらへかねて北八があしをとらへ

田舎「コレコレ最前(さいぜん)から、だまつておれば、此あしで、わしが耳をなぶりものにさつせへた

トいはれて北八こころつきて

「ハイこれは御めんなせへ

田舎「インニヤ扨(さて)御めんではじゃうち(承知)ならまいわい。それもこなさんが、むちうにならつせへて、はなしせつせる。手そそぶりにやアあらまい事でもないが、こつちであたまをよけよふとすると、又あしであぐりまはいては、なぶりものにさつせつ。なんぜ人のあたまア、土足(どそく)につつかけさつせへた。すまないすまない

弥次「ソリヤおきのどくなことだ。御めんなせへ。此よふにおあいやどするも、他生(たせう)の縁(えん)とやら、どふぞ料簡(りやうけん)してやつて下さりませ

田舎「こんたがそふいはつせりやア、きかまいものでもないが、あんまり人を、ばかにせつせるから

北八「イヤもふ生酔(なまゑひ)だから、かんにんしてくんなせへ

田舎「イヤまんだこなさんは、わしどもをばかにせつせる。最前(さいぜん)から見ておるに、酒ものまないで、生酔とは、猶じやうちならまいわい

北八「はてわつちは酒をのみやせぬが、此足がなま酔だから

田舎「ナニ足が酒をのむもんか。ばかアつくせつせるな

北八「おめへでへぶ(大分)あつくなるの。あしが酔(よう)たといふは、さつき(先刻)焼酎(しやうちう)をふきかけたから、それに此あしめが酔くさつて、ソレ御らふじろ、ひよろりひよろり。アレまだおめへのあたまに、からかをふとするコリヤコリヤコリヤ

田舎「ほんにこなさんの足は、わるい酒じや

北八「さやうさ。あしは下戸の足がよふござりやす。わつちはまことにこまりはてる

田舎「そんならよふござる。もふねまらまいか。女中女中、ねどころをたのみます

ト此内女来りそれぞれにとこをとりねかすと、田舎ものふたりは、そこへころげるやいなや、ぜんごもしらずすうすうと高いびき。弥次郎北八この女どもに、こあたりもん句もさまざまあれど、この所とめしどきのしやれは、ぐつとはしよる 女どもはとこをとつてしまい、かつ手へ行と、弥次郎小ごゑになりて

「きた八きた八、実(じつ)に手めへ、さつきの女と約束(やくそく)をしたか

現代語訳

北八「はははは、こいつは上出来だ、上出来だ」

と夢中になって、又、田舎者の頭を足で探し回し、耳をいじりかけると、とうとう堪(こら)えかねて北八の足を捕え、

田舎「これこれ、最前から、黙っていれば、この足で、わしの耳を嬲りものにさっせえた」

と言われて北八は気付き

「はい、これは御めんなせえ」

田舎「いんにゃ、さても御免では承知ならないんだ。それもお前さんが、夢中にならしゃって、話をなさるてなぐさみにおもちゃにするような間違いなら無いことはないが、こっちで頭を避けようとすると、又足で探り回しては、嬲り者にさっせるだ。何故人の頭を土足でつっかけさっしゃった。済まない、済まない」

弥次「そりゃあ、お気の毒なこった。御免なせえ。このように相宿をするのも他生の縁とやら、どうぞ了見してやって下さいませ」

田舎「お前さんががそう言わっしゃるなら、聞かないものでもないが、あんまり人を、馬鹿にさっしゃるから」

北八「いや、もう生酔いだから、堪忍してくんなせえ」

田舎「いや、まだこの人はわしどもを馬鹿にさっしゃる。最前から見ているに、酒も飲まないで、生酔いとは、猶承知できないわい」

北八「はて、わっちは酒を飲みませぬが、この足が生酔いだから」

田舎「なに、足が酒を飲むものか。馬鹿あ言いなさんな」

北八「おめえだいぶ熱くなるの。足が酔うたというのは、さっき焼酎を吹きかけたからだ。それにこの足めが酔いくさって、それ、御覧じろ、ひょろりひょろり。あれ、まだおめえの頭に、からかおうとする。こりゃこりゃこりゃ」

田舎「ほんにお前さんの足は。悪い酒じゃ」

北八「左様さ。足は下戸の足がようござります。わっちはまことに困り果てておりやす」

田舎「そんならようござる。もう寝ようじゃないか。女中、女中、寝所を頼みます」

とそのうちに女がやって来てそれぞれに床を取り、寝かすと、田舎者二人は、そこへ転げるやいなや、前後も知らずすうすうと高いびき。弥次郎北八はこの女どもにちょっと話しかけたい言葉があったが、この所食事時の洒落は、ぐっと略す。女どもが床を取ってしまい、勝手へ帰って行くと、弥次郎は小声になって

「北八、北八。本当に手前(てめえ)、さっきの女と約束をしたのか」

語句

■でかした-よくできた。面白い。■こなさんが-こなたさんが。お前さんが。■手そそぶり-てずさみ。てなぐさみ。■あらまい事でもないが-ないことでもない。■すまないすまない-そのままではすまされぬ。■土足に-土の付いた足でつつくのか。足でと言うを、面白く「土足で」といった。■他生の縁-諺に「袖の振合せも他生の縁」「袖振合ふも他生の縁」「一樹の蔭一河の流も他生の縁」などという。■あつくなる-腹を立てて、かっかとする。■こあたり-ちょっと当たってみる。■めしどき-食事時。

原文

北八「しれたことよ。しかしこつちへは来ぬつもりだ。此つぎの間の壁(かべ)を、つたわつてゆくと、いきあたつた所のふすまをあけろ、そこにねているといひおつたから、今にゆかねばならぬ

弥次「おれがさきへいつてやろう

北八「そねまずとはやくねなせへ

トうしろをふりむいてねいるまねする。弥次郎もきた八がじやまをしてやらんと ねいりしふりしてかんがへてゐるうち、ふたりとも、たびづかれにや、おもはず、すやすやとひとねいりし、しばらくすると、弥次郎兵へ、ふつと目をさまし見れば。あんどうきへてまつくらがり、あたりもひつそりしづまりたるに、じぶんはよしとぬけがけし、きた八にはなあかせんと、そつとおきたら、さしあしにてつぎの間に出、かねてききおきたるとをり、さぐりさぐり、かべをつたひて、ゆくうち、弥次郎兵へあまりに手を上へのばしたるにや、つりたるたないたに、手がつかへるとどふしたはづみやら、がたりといつて、たながはづれたると見へ、弥次郎兵へ大きにきもをつぶし

「こいつはへんちきだ。あんまりおれが手をのばしたから、棚板がはづれたそふな。手をはなしたら、おちるであらふし、なにかがらくたがしこたまあげてあるよふす、おちたらみんなが目をさますだろふ。こいつはなんぎな目にあつた

ト両手をたなにつつぱつて、立てゐてもねからつまらず 手をはなせばたながおちる、じゆばんひとつで寒くはなるし コリヤなさけない目にあつた、どふぞしよふはないかと、立はだかつてかんがへているうち、かくともしらず、北八も目をさましおき出、これもだんだんかべをつたひてくるよふす 弥次郎それとすかし見て小ごゑになり

「きた八かきた八か

北八「だれだ 弥次さんだの

弥次「コリヤしづかにしづかに。はやくここへ来てくれ

北八「なんだなんだ

弥次「これをちよつともつてくれ。ここだここだ

北八「ドレドレ

ト手をのばして、なにかはしらずおちかかつた、たなの下をおさへると、弥次郎はそつと手をはなし、北八にもたせて、わきへはづしたるに、きた八おどろき

「コリヤコリヤ弥次さん、どふするのだ

ト手をはなしそふにすると、上のたながおちかかるゆへ

現代語訳

北八「しれたことよ。しかしこっちへは来ないつもりだ。この次の間の壁を伝わって行って、行き当った所の襖を開けろ、そこに寝ていると言いおったから、今に行かねばならぬ」

弥次「俺が先に行ってやろう」

北八「そねまずと早く寝なせえ」

と寝返りを打って寝入る真似をする。弥次郎も北八の邪魔をしてやろうと、寝入った振りをして考えているうち、二人とも、旅疲れだろうか、思わず、すやすやとひと寝入り。しばらくして、弥次郎兵衛がふっと目を覚まして見ると、行灯が消えて真っ暗闇、辺りもひっそりと静まりかえっていたが、時分は良しと抜駆けし、北八の鼻をあかしてやろうと、そっと起きたら、差し足で次の間へ出、かねて聞いていたとおり、探り探り、壁を伝って行くうちに、弥次郎兵衛が、あまりにも手を上へ伸ばし過ぎたのだろうか、吊ってあった棚板に、手がつかえると、どうした弾みやら、ガタリといって、棚板が外れたと見え、弥次郎兵衛はたいそう驚いた。

「こいつは変だ。あんまり俺が手を伸ばしたから棚板が外れたようだ。手を離したら落ちるだろうし、何かガラクタがしこたまあげてある様子、落ちたら皆が目を覚ますだろう。こいつは難儀な目に遭った」

と両手を棚に突っ張って、立っていても根っから役に立たず、手を離せば棚が落ちる。襦袢一つで寒くはなるし、こりゃ情ない目に遭った、何とか方法はないかと立ちはだかって考えているうちに、そうとも知らず、北八も目を覚まして起き出し、これもだんだんと壁を伝って来る様子。弥次郎はそれと透かし見て小声になり

「北八か、北八か」

弥次「こりゃ、静かに、静かに。早くここへ来てくれ」

北八「なんだ、なんだ」

弥次「これをちょっと持ってくれ。ここだ、ここだ」

北八「どれ、どれ」

と手を伸ばして、何かは知らず、落ちかかった棚の下を押えると、弥次郎はそっと手を離し、北八に持たせて、腋へ避けたので、北八は驚いて

「こりゃ、こりゃ弥次さん、どうするのだ」

と手を離しそうになると、上の棚が落ちかかるので、

語句

■そねまず-ねたまないで。うらやましがらずに。■ぬけがけ-抜駆け。戦中で、人を出し抜いて先陣を駈けること。ここは夜這いの先陣争い。■はなあかせんと-出し抜いて失望させる。■さしあしにて-音のしないように、そろそろ歩くさま。■つりたるたないたに-この一件は『当世芝居気質』(安永六年)一の一「三弦たたき立つる野良息子の調子」で、便所へ行くところを、夜這いと間違えられ、背をのばしたところ、棚の端に頭が当り、棚の縄が切れるところを、順序を逆にして、利用した趣向。■へんちきだ-変なことになった。■棚板-棚に使用した板。■がらくた-くだらない道具。■しこたま-たくさんに。■ねからつまらず-どうも片がつかない。どうにもならない。■わきへはづしたる-自分の体を、かたわきへよけた。

原文

北八「ヤアヤアヤア、コリヤ情ないめにあはせる。コレコレ弥次さん、どこへゆく。アア手がだるくなる。コリヤもふどうするどうする

トうろうろしてゐる。弥次郎はくらまぎれ、そろそろとさきのほうへゆきこし、かべをつたひてかつてのかたへ出るに、にはのむかふにみゆる、ありあけの火かげほのかに、すかしてみれば、かのゆきあたりのふすまのそばに、ひとりねているものあるゆへ、さてこそ北八がやくそくのしろもの、しめこのうさぎと、いきなりに手をやつてさぐり見れば、こはいかに石のごとくひへこをりし人、たをりゐたり。さながらいきたるものとも見えず。これはふしぎと、こはごはなでまはせば、あたごもにくるみてあるゆへ弥次郎はつとおどろき、にはかにきみがわるくなつて、がたがたとふるひ出し、やうやうにきた八がゐるところへはひもどり、はのねもあはぬふるへごゑにて

弥次「きた八、まだそこにか

北八「ヲヲ弥次さん、おめへどこへいつた コウちよつとここへ

弥次「イヤそこ所ではない。あそこに死(しん)だものへ菰(こも)がかけてあるから、もふもふうそきみのわりいうちだ

北八「ヤヤとんだことをいふ

弥次「ナニサほんとうに、アレあそこに アアとんだうちにとまり合せた。おそろしやおそろしや

トそうそうにはひいだしにげ行

北八「コレコレコレ、おれをここにおいてどふする。エエそれに、とんだことをいやアがつて、どふやらきみがわるくなつた。コリヤたまらぬコリヤたまらぬ

トがたがたふるへるひやうしに手がゆるみて、うへのたながぐはらぐはらぐはら。こりやかなわぬと、きた八にげいだせしが、うろたへてとまどひをし、いつこうわからず、まごつくうち、このものおとにかつ手よりは、ていしゆのこへとして、あんどうさげて出てくるよふす。おくの間からは田舎ものが出てくるていゆへ、いよいようろたへ、みせのかたへはひ出る手もとに、こもいちまいありしをさいわい、ひつかぶりていきをころし、かがみいると、ていしゆあかりをもち出きもをつぶし

「ヤアヤアヤア コリヤなんぜ、棚(たな)がおちた。膳(ぜん)ばこもなにもらりこくたいになつた

トそこらとりかたづけるうち、何事やらんと、田舎ものふたりながらおき出

「ヤレゑらいおとがせるとおもふた。道理こそコリヤ地蔵さまのねきにまで、箱(はこ)どもがとびちつておるが、ヤアヤアヤア、お鼻(はな)がぶつかけてしもふた

いまひとりのいなかもの「ドリヤドリヤ。ほんに、地蔵さまの鼻アなくならかいた。そこらにやあないか。イヤここにねておるはだれじやい

トこもをまくれば、きた八ははつとばかりかほをあげて見るに、そばにはこもにつつみし石じぞうあり。さては弥次郎兵へが、しんだもののありしといひしは、この石じぞうならんと、おもひゐるうち、ていしゆ北八を見て

現代語訳

北八「やあやあやあ、こりゃ情ない目に遭わせられた。これこれ弥次さん、何処へ行く。ああ、手がだるくなる。どうする、どうする」

とうろうろしている。弥次郎は暗闇に紛れて、そろそろと先の方へ移動し、壁を伝って勝手の方へ出ると、庭の向こうに見える夜通しともる行灯のほのかな灯りに、透かして見ると、かの行き当りの襖の傍に、一人寝ている者がいるので、さてこそ北八が約束した女、しめたっと、いきなり手をやって探って見ると、これはどういうことか、石のように冷え凍りついた人が倒れていた。さながら生きているようにも見えず、これは不思議と、こわごわと撫でまわすと愛宕菰に包んであるので弥次郎は驚き、急に気味が悪くなって、がたがたと震え出し、やっとのことで北八のいる所へ這い戻り、歯の根も合わぬ震え声で

弥次「北八、まだそこに」

北八「おお、弥次さん、おめえどこへ行った。これ、ちょっとここへ」

弥次「いや、そこ所ではない。あそこに死んだ者に菰がかけてあるから、もうもう薄気味の悪い家だ」

北八「やや、とんだことを言う」

弥次「なにさ、本当に、あれ、あそこに。ああ、とんだ家へ泊り合せた。恐ろしや、恐ろしや」

と早々に這い出し逃げていく。

北八「これこれこれ、俺をここに置いたままどうする。ええ、それに、とんだことを言いやがって、どうやら気味が悪くなった。こりゃたまらぬ、こりゃたまらぬ」

とがたがた震える拍子に手が緩んで、上の棚ががらがらがら。こりゃかなわぬと、北八は逃げ出したが、うろたえて戸惑い、一向にわからず、まごつくうち、この物音に勝手より亭主の声。行灯を下げて来る様子。奥の間からは田舎者が出て来る様子で、いよいようろたえ、店の方へ這出る手元に、菰一枚あるのを幸いに、引き被って息を殺し、屈みこんでいると、亭主が灯りを持出し、驚いて、

「やあやあ、こりゃ、なんで棚が落ちた。膳箱も何もめちゃくちゃになった。

と。そこら辺を取り片付けるうち、何事だろうかと、田舎者二人とも起きだし、

「やれ、えらい音がすると思うた。道理だなこりゃ、地蔵さまの傍にまで、箱どもが飛び散っているが、やあやあやあ、お鼻もぶつ欠けてしもうた」

今一人の田舎者「どりゃどりゃ。ほんに、地蔵さまの鼻を無くならかした。そこらにやあないか。いやここに寝ているのは誰じゃい」

と菰を捲くると、北八がはっとばかり顔をあげて見る。傍には菰に包まれた石地蔵がある。さては弥次郎兵衛が、死んだ者がいたと言ったのは、この石地蔵であったのかと、思っているうちに、亭主が北八を見て、

語句

■くらまぎれ-暗さにまぎれて。■ありあけの火かげ-有明行灯。夜通しつけておく灯火。■しろもの-ここは、女性。■しめこのうさぎ-占めるを兎にかけていった江戸時代の通語。占めた。うまくやった。「しめこ(占子)」は兎の吸物ともいい、兎を飼う箱ともいう。■石のごとくひへこをりし人-石のように冷え凍った人。■はのねもあはぬふるへごゑにて-歯の根も合わぬ震え声で。■らりこくたい-散々に離れ散る様。めちゃめちゃになるさま。■ねき-そば。際(きわ)。

原文

「ヤアこなさんはこちへとまらせへた、おきやくじやないか。それに今時分(じぶん)、なんぜこないな(此様)所に。コリヤ合点(がたん)がいかんわい。どふじややら、こなさんたちのなりそぶり、うさんくさいとおもひおつたが、もしや護摩(ごま)のはいじやないか。何ぞまた、しよしめるつもりか、ありやうにいはつせへ

田舎「イヤそればかしじやござらない。大かたこなさんが此棚(たな)をおとしたもんで、なんぜ地蔵(ぢぞう)さまのおはなアうちかいた。コリヤわしどもが村で、今度(こんど)建立(こんりう)せる地蔵さまじや。きんのふ(昨日)石屋どのからうけとつて、あしたは早々(そうそう)長沢寺(ちやうたくじ)さまへおさめにやならぬが、お鼻がうちかけてはもつていかれぬ。もとのとをりまどわつせへ

これはこの近在の人々村のお寺へおさめる地蔵也。石屋よりもつてかへる所、おそなはりしゆへこよひは、ここにとまりしと見へたり。ていしゆいよいよやつきとなり

「お地蔵さまのおはなもおはなじやが、おまいがたのお荷物(にもつ)、なんぞなくなりはせないか。どふでもがてんのいかぬやつらじや。ありやうにいひおるまいか

北八「イヤわしらは、そんなものじやアねへ。めつたなことをいひなさんな。しらきてうめんの旅人(たびう)だ

田舎「インネそふじやあらまい。又それでなけらにやア、なんぜ今時分そこにねてゐさつせへた

北八「イヤこれはの、手水(てうづ)に行とつて

ていしゆ「たはけたことをつくさまい。手水場は座敷の縁さきにあるものを。さだめし宵(よい)にもいたであろに、そないな間似合(まにあい)くやせんわい

北八「そふいはれちやアわつちも面目(めんぼく)ないが恥(はぢ)をいはにやア理(り)がきこへぬ。有体(ありてい)にいひやせう

ていしゆ「ヲヲサいはいでどふせるもんじや

北八「イヤどふもおはづかしいが、今頃わつちがここにまごついておつたといふわけは、ツイ夜這(よばい)にきて、此棚のおちたに、うろたへたのでござりやす

田舎「ナニ夜這にきた。イヤはやこなさんはたはけもんじや。どこの国にか、石地蔵さまの所へ、夜這に来て、どふせるつもりじや

ていしゆ「いへばいふほど、ろくなことはぬかしおらぬ

北八「コリヤとんだ災難(さいなん)にあふことだ。弥次さん、弥次さん

トよびたつる。せんこくより、弥次郎兵へは、たちぎきしてはらすじをよりゐたりけるが、もふよい時分と立出

「コリヤアどなたもおきのどくな、ありやアわつちがうけ合。うろんなものじやアござりやせぬ。りやうけんしてやつてくんなせへ。又地蔵さまの鼻(はな)とやらが、かけたといひなさるが、どふぞわつちにめんじて、あとではどふともいたしやせう

トいろいろちやらくらとことわりをいひちらし、ていしゆも今はせんかたなく、さながらわるものとも見へぬ手あひ、一トふりはいつたものの、今はなつとくしてすましければ

現代語訳

「やあ、お前さんたちはここへ泊られたお客じゃないか。それに今時分、何故こないな場所に。こりゃ合点がいかんわい。どうも、お前さんがたの風体や素振りが胡散臭いと思っていたが、もしや護摩の灰じやないのか。何ぞまた、せしめるつもりか、ありのままを説明しなさい。

田舎「いや、そればかりじゃござらない。おおかたお前さん方がこの棚を落としたもんで、何故、地蔵さまのお鼻がうち欠けたんだ。こりゃ、わしどもが村で、今度建立した地蔵さまじゃ。昨日、石屋どのから受け取って、明日は早々に長沢寺さまに納めにゃならぬが、お鼻が欠けては持っていかれぬ。元の通りに弁償しなせえ。

これは、この近在の人々が、村の寺へ納める地蔵さまだ。石屋から持って帰るところ、帰りが遅くなったので。今夜はここに泊まったのだと思えた。亭主はいよいよいらだって、

「お地蔵さまのお鼻もお鼻じゃが、お前がたのお荷物、何か無くなったりしてはいないか。どうでも合点のいかぬ奴等じゃ。神妙に白状しなせえ」

北八「いや、わしらは、そんな者じゃねえ、滅多なことを言いなさんな。白几帳面の旅人だ」

田舎「いんね、そうじゃああるまい。又そうでなけりゃ、何故今頃そこに寝ていなすった」

北八「いや、これはの、手水に行こうと・・・・」

亭主「馬鹿な事を言いなさんな。手水場は座敷の縁先にあるものを。きっと夕方にも行ったであろうに。そんなにまごつくわけがないわい。その場かぎりの言いわけにはだまされないぞ」

北八「そう言われちゃあわっちも面目ないが、恥を言わにゃあわかるまい。正直に言いやしょう」

亭主「おおさ、言わないでこの場がおさまるものか」

北八「いや、どうもお恥ずかしいが、今頃わっちがここにまごついておった理由(わけ)は、つい、夜這いに来て、この棚が落ちたのでうろたえたのでござりやす」

田舎「なに夜這いに来た。いやはやお前さんはたわけ者じゃ。どこの国に、石地蔵さまの所へ夜這いに来てそれからどうするつもりじゃ」

亭主「言えば言うほど、ろくな事はぬかしおらぬ」

北八「こりゃあとんだ災難に遭った。弥次さん、弥次さん」

と呼び立てる。先ほどから、弥次郎兵衛は立ち聞きしており、大変面白がっていたが、もう良い時分だと悶着の場へ出て行く。

「こりゃあ、どなたさまもお気の毒な、ありゃあわっちが請合います。怪しげな者ではござんせん。了見してやってくんなせえ。又地蔵さまの鼻とやらが、欠けたと言いなさるが、どうぞわっちに免じて、後でどうともいたしやしょう」

と色々口から出まかせの理由を言い散らし、亭主も今となっては仕方なく、さながら悪者とも見えぬ者たち、一通りは文句を並べたが、今は納得して済ませたので

語句

■なりそぶり-様子・風体。■どうじややら-どうも。■うさんくさい-合点のゆかぬところがある。何やらあやしい。■護摩(ごま)のはい-道中で、善良の旅人の風体をして、金品を奪う小賊の事。真言宗のごまの灰と称して、病人に飲ませ、金銭をかすめる者が横行した(人倫重宝記)ことに起る称という。■しよしめる-「せしめる」の訛。ここは盗み出す、の意。■ありようにいはつせへ-ありのままに、事情を明らかに説明せよ。■なんぜ-なぜ(何故)。■まどわつせへ-弁償しなさい。「まどふ」は、つぐなう。うめあわせる。弁償する。■おそなはりしゆへ-遅くなったので。■やつきとなり-躍起。いらだって。■しらきてうめん-白几帳面。甚だしい几帳面。「白」は「几帳面」を強めた語。「几帳面」とは、行為の規則正しい事。正直でまじめな事。後ろ暗いことのないこと。■たはけたことをつくさまい-馬鹿なことをいうな。■手水場-厠の傍の手を洗う所。転じて厠。便所。■間似合(まにあい)くやせんわい-その場かぎりの言いわけにはだまされないぞ。■はらすじをよりゐたりける-大変面白がっていた。■うけ合-保証する。■うろんなもの-怪しく疑わしい者。■了見-ここは勘弁してやってくれ。■ちやらくら-口から出まかせ。よい加減なこと。■一トふりはいつたものの- 一通り文句を並べたが。

原文

はひかけし地蔵の顔も三度笠またかぶりたる首尾のわるさよ

かく即吟(そくぎん)の弥次郎兵へが狂歌(けうか)に、おのおのどつと笑ひをもよほし、やうやういさくさおさまりけるにぞ、いまだ夜のあくるにはほどもあらんと、めいめいねどころにはいりたるが、しばらくありて、はや一ばん鶏(どり)の告わたる声々(こへごへ)、馬のいななきおもてにきこへ、弥次郎兵へきた八、いそぎおき出て支度ととのへ、やがて此しゆくをたちいづるとて

やうやうと東海道もこれからははなのみやこへ四日市なり

それより浜田村を打すぎ、赤堀(あかほり)にさしかかりたるに往来殊(わうらいこと)に賑(にぎは)しく、男女大ぜい、ここかしこにつどひあつまりたるは、何事にやと、弥次郎兵へ北八も片寄(かたより)行つつ、ある親仁(おやぢ)に向ひて

弥次「モシモシ、何でござりやす

おやぢ「あれ見さつせへ

北八「けんくはでもござりやすか

おやぢ「インネ天蓋寺(てんがいじ)の蛸薬師(たこやくし)さまが、桑名(くはな)へかいてうに行しやるので、今ここをとをらつせるから

弥次「ハハアなるほど。向ふへ見へる見へる

ト此内だんだん人あししげくなり、講中とおぼしく、まつさきに、村の名をそめたるのぼりをおしたて、いづれも大おんにて

こう中「なアまアだアなアまアだア

北八「たこやくしさまア、ゆでたのじやアねへ。なまだと見へる

こう中「なアまアだアなアまアだア

弥次「のぼりをもつていくやつのつらア見さつし。ちゑのねへつらだぜ

こう中「おさいせんはこれへこれへ。是は海中(かいちう)より芋畑(いもばたけ)へ出現(しゆつげん)したもふ所の、天蓋寺蛸薬師如来(てんがいじやくしによらい)御しんじんのかたは、おこころもち次第、あげさつしやりませう。サアサアお心もちはよふござりますかな

北八「けさほどは中かさで、三ぜんほどたべました

弥次「ソリヤ蛸どのがござつたござつた

現代語訳

はひかけし地蔵の顔も三度笠またかぶりたる首尾のわるさよ

このようにすぐに吟詠した弥次郎兵衛の狂歌に、各々がどっと笑いを催し、ようやくもめ事も治まったが、まだ夜が明けるには時間もあるしと、めいめい寝所に入ったが、しばらくすると、早くも一番鶏が朝を告げる鳴き声や、馬のいななきやらが表に聞え、弥次郎兵衛北八は急いで起き出し、朝食を取った後、この宿を出立する。

やうやうと東海道もこれからははなのみやこへ四日市なり

それから、浜田村を過ぎ、赤堀にさしかかったが、往来の通行人も賑やかになり、男女とも大勢がここかしこに集い集っているのは、何事だろうかと弥次郎兵衛北八も道路の片方に寄って行きながら、ある親仁に向って

弥次「もしもし、何事ですか」

親仁「あれを見さっせえ」

北八「喧嘩でもござりやすか」

親仁「いんね、天蓋寺の蛸薬師さまが、桑名へ開帳に行かっしゃるので、今ここを通らつせるから」

弥次「ははあ、なるほど。向うに見える、見える」

とその内にだんだんと人の通行も賑やかになり、講中と思われ、真っ先に、村の名を染めた幟を押し立て、誰もが大音で、

講中「なんまいだあ、なんまいだあ」

北八「蛸薬師さまは、茹でたのじゃねえ、生だと見える」

弥次「幟を持って行く奴の顔を見さっし。馬鹿面をしてるぜ」

講中「お賽銭は此処へ、此処へ。これは海中から芋畑へ出現したもう所の、天蓋寺蛸薬師如来である。御信心の方は、お心がけ次第、あげまっしょう。さあさあ、お心がけようござりますかな」

北八「今朝ほどは中椀で、三杯ほど食べました」

弥次「そりゃ蛸どのが御出現だ、御出現だ」

語句

■はひかけし-夜這いを試みた。「かけし地蔵」は、鼻の欠けた地蔵をも込めていったもの。「地蔵の顔も三度」とは、慈悲忍辱の地蔵でも、三度顔を撫でられると腹を立てるの意の諺。■三度笠-深く作った道中用菅笠の一つで、顔を隠すように作ったもの。旅商人などが用いた。もとは三度飛脚などが用いたのでこの名がある。「かぶる」は「笠をかぶる」意と「失敗する」意をかけた。■いさくさ-もめ事。もつれ。ごたごた。■はなのみやこへ-四日市から京都までニ十六里で、四日の行程である。そこで「花の都へ四日」に「四日市」をかけた。■浜田村-浜田村も赤堀も今は四日市市。■片寄(かたより)行つつ-道路の片方に寄って行きながら。■天蓋寺(てんがいじ)-僧家で、蛸を天蓋ということから思いつい寺号である。天蓋は本堂内の高座の上方につるすもの。上から吊るすので、蛸の隠語にしたものであろう。■蛸薬師-京の六角堂や江戸目黒の蛸薬師などは有名であった。■かいてう-開帳。厨子の帳(とばり)を開いて中の仏像を人に拝ませること。■なアまアだアなアまアだア-南無阿弥陀仏の訛。■人あししげくなり-通行人も多くなり。■講中-ここは信仰者の団体や、その団体所属の人。■なまだ-講中が「なアまアだあ」とわめいているのを「生(なま)だ」と聞いて、「なまだと見える」と洒落た。■ちゑのねへつら-愚かしい顔。■海中(かいちう)より芋畑(いもばたけ)へ出現(しゆつげん)した-『日本山海名産図絵』四に「夜水岸に出でて、腹を捧げ頭を仰向け、目を怒らし、八足を踏んで走ること飛ぶがごとく、田圃に入りて芋を掘りくらふ。日中にも人なき時は然り」。咄本『富来話有智』(寛政三年)の「大蛸」のうち、「海辺の芋畑へ、海より大蛸が上って、芋を掘ってどふもならぬ、いふを聞いて」。■おこころもち次第、あげさつしやりませう-賽銭を、気持ちだけ、いくらでもよいあげてくれの意。■中かさ-「ちゅうがさ」。中くらいの大きさの椀の蓋。

原文

ト此内みずしにいれたる、やくしによらい、大ぜいにてかつぎとふる。あとよりてんがいじのおしやう、のりものにてきたると、ここかしこにあるまりゐる、ばばかかども、十ねんをねがひけるに

わかとう「お十念お十念

トいふと

のりものをおろす。わかたうかごのとをひきあくれば、おしやうはゆでだこのごとき、あからがほにて、大あばた、ひげだらけのでつくりおしやう、さもしかつべらしく

「なむあみ

みなみな「なむあみ

おせう「なむあみ

みなみな「なむあみ

おせう、なむあみと、だんだんとなへ、十ねんのしまいに、どふしたはづみやら、はなのあながむづむづとして

おせう「ハアくつしやみ

トいふと、みなみな十ねんのあとゆへ、これも、くちまねすることとこころへ

みなみな「ハアくつしやみ

おせう小ごへにて

「くそをくらへ

みなみな「くそをくらへ

弥次「ハハハハハハ とんだお十ねんだ。アノおせうは、くつしやみから長郎だハハハハハ

こう中「なアまアだアなアまアだア

トざざめき立行過る。弥次郎北八はおかしく、あとを見おくりながら

現代語訳

とそのうち御厨子に入れた薬師如来が大勢の人たちに担がれて通る。後ろから天蓋寺の和尚が乗物に乗って来ると、ここかしこに集まっていた婆、嬶どもが、十念を願いかけると

若党「お十念、お十念」

と言うと

乗物を下ろす。若党が駕の戸を開けると、和尚は茹で蛸のような、赤ら顔で、大あばた、髭だらけの太って脂ぎった体格相貌である。さももったいぶって

「南無阿弥」

皆々「南無阿弥」

和尚「南無阿弥」

皆々「南無阿弥」

和尚は「南無阿弥」と段々に唱え、十念の終りに、どうした弾みにか、鼻の穴がむずむずして

和尚「はあ、くっしゃみ」

と言うと、皆々十念の後なので、これも、口まねをすることと心得

皆々「はあ、くっしゃみ」

和尚は小声で

「糞食らえ」

皆々「糞食らえ」

弥次「はははははは、とんだ十念さまだ。あの和尚は、くしゃみから長老になったんだ。はははははは」

講中「なんまいだあ、なんまいだあ」

とざわつきながら通り過ぎる。弥次郎北八は可笑しくなって、後を見送りながら

語句

■みずし-御厨子。仏像を安置するに用いる具。■のりもの-ここは駕篭乗物。駕篭の四周に、板・網代などで囲いをした駕篭を乗物といい、身分・階層・使用により製法が違っていた(守貞漫稿)。■十ねん-十念。浄土宗などで、南無阿弥陀仏の称号を十回唱えて、信者を仏に結縁させたり、往生させる行。■ゆでだこのごとき-蛸薬師にふさわしい。■でつくり-太って脂ぎった体格相貌。■しかつべらしく-もったいらしく。■くそをくらへ-くさめをすれば、魂が飛び去るというので、「糞をくらえ」と言って、それを呪う習慣。■くつしやみから長郎だ-諺に「沙弥(少年僧の新弟子)から長老にはなられぬ」(順序をふんで上位に至ること)をもじった洒落。

原文

十ねんをもふしながらのくつさめはあつたらくちに風をひかせし

かくよみすてて、打興じ行ほどに、はやくも追分(おひわけ)にいたる。此所の茶屋、まんぢうの名物あり

ちやや女「お休みなさりまアせ。めいぶつまんぢうのぬくといのをあがりまアせ。おぞうにもござりまアす

北八「右側(がは)のむすめがうつくしいの

弥次「かぎやの小ぢよくめらもあいきやうらしい

トちや屋には入こしをかける

女「おちやアあがりませ

弥次「まんぢうもやらかして見よふ

女「今あげませう

トやがてぼんにもつてきたる。此うち、こんぴらまいりと見へて、ぬのこのうへに、しろきひとへのはんてんをひつぱりたるおとこ、おなじくこのちや屋にやすみ、ぞうにもちをくひかかる。弥次郎まんぢうをくひしまい

「もつとやろふか。いくらでもはいるよふだ

北八「イヤおめへも雨風どうらんだ。いいかげんにしなせへし

こんぴら「あなたがたアおゑどかな

北八「さやうさ

こんぴら「わたくしもおゑどへついた時、本丁の鳥飼のまんぢうを、かけどくして二十八くつたことがござりましたが、又かくべつなものじや

弥次「とりかいはわつちらが町内(てうない)だから、まいにち茶うけに、五六十ヅツはくひやす

こんぴら「それはゑらいおすきじや。わたくしも、もちずきで、御らふじませ、此ぞうにを、いきなし五ぜんたべました

弥次「わつちやア今このまんぢうを、十四五もくつたろふが、まだそのくらいはいけるだろふ。ねからくひたらぬよふだはへ

こんぴら「イヤしかし、わるあまいものは、もふそのよふにはあがれますまい。十四五もあがりやア関(せき)の山だ

弥次「ナニまだくへやす

現代語訳

十ねんをもふしながらのくつさめはあつたらくちに風をひかせし

このように詠んで、ふざけ合いながら行くと、はやくも追分に着く。ここの茶屋には名物の饅頭がある。

茶屋女「お休みなさりまあせ。名物の饅頭の抜く温いのをあがりまあせ。お雑煮もござりまあす」

北八「右側の娘が美しいの」

弥次「鍵屋の少女めらの愛敬もいいぜ」

と茶屋に入り腰を掛ける。

女「お茶ああがりませ」

弥次「饅頭も食ってみよう」

女「今あげましょう」

とやがて盆に盛って来る。そのうち、金比羅参りと見えて、布子の上に白い単衣の半纏をひっかけた男が、同じくこの茶屋に休み、雑煮餅を食いにかかる。弥次郎は饅頭を食ってしまい、

「もっと食おうか。いくらでも入りそうだ」

北八「いや、おめえも甘辛両刀使いだ。いい加減にしなせえし」

金毘羅「あなたがたあ、お江戸かな」

北八「左様さ」

金毘羅「私もお江戸へ着いた時、本丁の鳥飼の饅頭を、賭けに勝って二十八個食ったことがございましたが、又格別に美味いものじゃ」

弥次「鳥飼はわっちらが町内だから、毎日茶請けに、五六十づつ食いやす」

金毘羅「それはえらいお好きじゃ。私も、餅好きで、御覧じませ、この雑煮を一気に五膳食べました」

弥次「わっちらあ今この饅頭を、十四五も食ったろうが、まだそのくらいはいけるだろう。根っから食い足らねえようだわえ」

金毘羅「いや、しかし、嫌な甘さのものは、もうそのようには食われますまい。十四五も食えば関の山だ」

弥次「なに、まだ食えやす」

語句

■十ねんをもふしながらの~-「口に風をひかす」とは、無用の弁を弄するの意。一首はせっかくありがたい十念を授けながら、最後のくさめで、ありがたさがふいになってしまったの意。「くっさめ」と「風をひく」は縁語。■追分-日永の追分。四日市から来て、日永村から半里の立場(今は四日市市)。■ぬくいのを-温いのを。暖かいのを。■おぞずに-お雑煮。■かぎや-鍵屋。実在の茶屋。■小ぢよく-小職の転。見習い弟子の意。転じて童子を卑しめて言う語。■めら-達。■やらかして-ここは食べるの意。■こんぴらまいり-象頭山(讃岐の琴平宮)に詣でる徒。物乞いの一で、道中かたりなどもしたと伝える。■ぬのこ-木綿の綿入れ。■はんてん-羽折のように帯の上にはをる半服。三都ともに小民賤者の略服。■ひつぱりたる-ひっかける。着る。■雨風どうらん-酒も甘い菓子類を好むことを「雨風」といい、「胴乱」は革で作った方形の袋で、薬や印を入れて腰に下げるもの。革製で雨にも痛まないので、俗に雨風胴乱などという。ここは両刀使いというのを洒落て言った。■本丁-江戸の目抜きの大通り、大商人が並んでいた。(今の注億区)。■鳥飼-本丁三丁目(初め一丁目)の菓子屋鳥飼和泉。饅頭を有名とした。■かけどく-「賭禄」の訛。賭け。■かくべつ-格別にうまい。■わっちら-弥次はまた癖が出て、本町三丁目の大商人の風をしてみせる語。■茶うけ-茶を飲むときに食する菓子類。■いきなし-一気に。■わるあまい-いやな甘さのもの。■関(せき)の山-物事の限界をいう。それが最高だ。

原文

こんぴら「どふしてどふして。あなた口ではそふおつしやるが、そのよふにはくへぬものじやて

弥次「ナニくへぬことがあるものだ。しかし費(ついへ)だからくひやせぬが、誰(だれ)ぞくはせるとまだまだいくらでもはいりやす

こんぴら「コレハおもしろい。もし不躾(ぶしつけ)ながらなんと、わたくしがお振廻(ふるまひ)申ませう。もふそれだけあがつて御らふじませぬか

弥次「くひやせうとも

こんぴら「もしあがらぬと、あなたのおたをれじやが、よふござりますか

弥次「そりやしれたことさ

トかつにのつてまんぢうをとりよせくひかかりしが、十ヲばかりくつて、あとはもふおくびに出るくらいなれど おのれこんぴら、はなあかせてやらんと、むりにおしこみみなくつてしもふ

こんぴら「コリヤたまらぬ。ゑらいゑらい、もふもふわたくしはかなひませぬ

弥次「おめへもやらかして見なせへ。こんなちいさなものは、いくらでもくはれる

こんぴら「イヤそふはまいりませぬ。しかし、わたくしもあまりざんねんな。十ヲばかりたべて見ませう

弥次「ナニ十ヲぐらい。二十くひなせへ。そのかはり、ひとつものこさずくひなすつたならば、まんぢうの代はもちろん、外に百文、金比羅様へお初尾をあげやせう

こんぴら「そりやありがたい。てんぽのかは、やつて見ませう

トまんぢう二十とりよせ、ただもじもじと見てばかりゐたりけるが、やがてくひかかるとぽつりぽつり十ヲ斗くつてしまい、あとはいやそふなかほつきにて、やうやうとのこらず、くつてしまふ 弥次あてがちがひ

「コリヤおそれるおそれる

こんぴら「おやくそくのとをり、饅頭代はさしひいて、おはつをの百もん下さりませ

弥次「今あげやせう。しかしあんまり見ごとだから、もふ二十くひなせへ。今度はおはつを三百文あげやせう。そのかはり、くはねへとこつちへ弐百とりつこだが、どふだどふだ。

こんぴら「おもしろいおもしろい。何も欲德腹のさけるまで、やつて見ませう

弥次「サアサア今度は現銭(げんなま)だ。おめへも弐百、そこへ出しておきな

弥次郎三百文をつきだし、なんでも今とられた、おはつの百文に、利をつけてとるきになり、よもやもふくはれめへと、おもひこんで、まんぢうをまたまた二十とりよせ、こんぴらへすすめるやいなや、このたびは、なんのくもなく、たちまち、二十くつてしまひ、手ばやくかの三百文をちやくぶくして

現代語訳

金毘羅「どうして、どうして。貴方、口ではそうおっしゃるが、そんなには食えぬものじゃて」

弥次「なに、食えぬことがあるもんか。しかし金がかかるから食いはせぬが、誰ぞが食わせてくれるとまだまだいくらでも入りやす」

金毘羅「これは面白い。もし失礼ながら、なんと私がお振舞申しましょう。もうそれだけ食べて御覧じませぬか」

弥次「食いやしょうとも」

金毘羅「もし食べられぬと、貴方の御損になりますが、ようございますか」

弥次「そりゃしれたことさ」

と調子にのって饅頭を取り寄せ、食いかかったが、十個ばかり食って、後はもう、げっぷと共に、饅頭が出る程度であるが、おのれ金毘羅、鼻をあかせてやろうと、無理に押し込み皆食ってしまう」

金毘羅「こりゃたまらぬ。偉い、偉い。もう、もう、私はかないませぬ」

弥次「おめえも食ってみなせえ。こんな小さなものは、いくらでも食われるわい」

金毘羅「いや、そうはまいりませぬ。しかし、私もあまりに残念です。十個ばかり食べてみましょう」

弥次「なに十個ぐらい。二十食いなせえ。その代り、一つも残さず食いなすったならば、饅頭の代はもちろん、他に百文、金毘羅様へお初尾をあげやしょう」

金毘羅「そりゃ有難い。ええままよ、やってみましょう」

と饅頭を二十取寄せ、ただもじもじと見てばかりいたが、やがて食いかかるとぽつりぽつり十個程食ってしまい、後は嫌そうな顔つきでようやく残らず食ってしまう。弥次は当てが外れて

「こりゃ、恐れ入る、恐れ入る」

金毘羅「お約束の通り、饅頭代は差し引いて、お初穂の百文を下さりませ」

弥次「今あげやしょう。しかし、あんまり見事だから、もう二十食いなせえ。今度はお初穂を三百文あげやしょう。その代わり、食わねえとこっちへ二百貰いやすが、どうだ、どうだ」

金毘羅「面白い、面白い。何事も算盤ずくだ、腹が裂けるまで食ってみましょう」

弥次「さあさあ今度は現金だ。おめえも二百、そこへ出しておきな」

弥次郎は三百文を突き出し、なんでも今取られた、お初穂の百文に利子をつけて取る時になり、まさかもう食われめえと思い込んで、饅頭をまたまた二十取寄せ、金毘羅へ勧めるやいなや、今度は何の苦もなく、たちまち、二十食ってしまい、手早くかの三百文を着服して

語句

■費(ついへ)だから-金がかかるから。物入り。無駄遣いになるから。■不躾ながら-失礼ながら。■不躾ながら-失礼ながら。■おたをれ-御損になる。貸した物が返らないことをいう。■かつにのつて-調子にのって。■おくびに出るくらいなれど-げっぷと共に、饅頭が出る程度である。■はなをあかせて-へこませて。落胆させようと。■初尾-初穂。その年最初に実った稲穂。それを神社や朝廷に奉ることから、神仏に供える金銀・米銭を広くいう。お賽銭。■てんぽのかは-「てんぽ」は運に任せてどうでもなり次第という意。「てんぽの皮」の「皮」は「嘘の皮」「すっぱの皮」の皮と同じく付け加えた語。ええままよ。■何も欲德-何事でも算盤ずくだ。■現銭(げんなま)-現金。取引をするに、じかに金を受け渡しする時に言う。■ちやくぶく-着服。こっそり自分の物にすることにいうが、ここは、取り込む程の意。

原文

こんぴら「これはありがたい。まんぢうの代もよろしうおたのみ申ます。ハハハハハハおもひがけないおざうさにあづかりました。ハイゆるりとこれに

トおみきばこをせなにおひ、あとをも見ずして、出て行たるに、弥次郎はあきれはててゐる

北八「ハハハハハハ大かたこんなことになろふとおもつた

弥次「いまいましいめにあはしやアがつた。はじめの百がおしくなつて、うはのりをした。ごうはらな

ト此内しものかたより、かごかきぶらぶらときたりて

「だんな方は、お篭(かご)はいらしやりませぬか

弥次「かご所じやアねへ。ゑらい目にあつた。まんぢうのくひごつこをして銭(ぜに)三百ただとられた

かごかき「ハハア今のこんぴらめじやな。てきめはあないなふうをしてあるきおるが、アリヤ大津の釜七といふ、ゑらい手づまつかひじやげな。こんぢうも坂の下で、もちのくひくらで、七十八とやらくつたと見せて、銭は人にはらはせ、もちをばみんな、たもとへさらひこんで、うせおつたといふことじやが、旦那も一ツぱいはめられさつせへたのハハハハハハ

此はなしのうちいせまいりの子どもふたり まんぢうを三ツ四ツづつ手にもちてくひながら 此かどぐちへきたり

「ハイだんなさま、ぬけまいりに御ほうしや

北八「コレ手めへたちやア、そのまんぢうを、誰(たれ)んみもらつた

いせ参「ハイコリヤ此あとで、こんぴらまいりの人が、袂(たもと)から出してくれました

弥次「エエそんなら、あいつめがくらつたと見せやアがつて、おいらをだまくらかしやアがつたか。いまいましい。ぼつかけてぶちのめそふか

北八「いいはな、おいらも神参りだ。かんにんしてやりなせへ。みんなこつちがまぬけだからよ ハハハハハハ

弥次「それだとつて、あんまりごうがにへかへる

北八「ゆうふべの泊りでおれをゑらいめにあはせた、そのむくひだとおもひなせへ。ほんにいいごうさらしだ

盗人(ぬすびと)に追分(おひわけ)なれやまんぢうのあんのほかなる初尾(はつを)とられて

弥次「エエおもしろくもねえしやれやんな。モシモシまんぢうの代はいくらだね

女「ハイハイのこらず〆て、弐百三十三文でござります

現代語訳

金毘羅「これは有難い。饅頭の代もよろしゅうお頼み申します。はははははは、思いがけないおもてなしで。はい、ごゆるりとな」

とお神酒箱を背中に負い、後も見らず、出て行ったので、弥次郎はあきれ果てている。

北八「はははははは、おおかたこんなことになろうと思ったぜ」

弥次「いまいましい目に遭わせやがった。初めの百文が惜しくなって、負けの上塗りをした。いまいましいや」

と、そのうちに下の方から駕籠かきがぶらぶらとやって来て、

「旦那がたは、お篭はいらしゃりませぬか」

弥次「篭どころじゃねえ。えらい目に遭った。饅頭の食い比べをして、銭三百をただ取られた」

駕篭かき「ははあ、今の金毘羅めじゃな。あいつはあんな風体で歩いているが、ありゃあ、大津の釜七という、えらい手妻使いじゃげな。このあいだも坂の下で、餅の食い比べで七十八個ほど食ったと見せて、銭は人に払わせ、餅をば皆、袂へ抱え込んで、失せおったということじゃが、旦那も一杯食わせられたの。はははははは」

駕篭屋の話を聞いていると、伊勢参りの子供が二人、饅頭を三つ、四つずつ手に持って食いながら、この角にやって来た。

「はい、旦那様、抜け参りに御奉仕や」

北八「これ、てめえたちゃあ、その饅頭を誰に貰った」

伊勢参り「はい、こりゃあ、この先で金毘羅参りの人が、袂から出してくれました」

弥次「ええい、そんなら、あいつめが食らったと見せかけやあがって、おいらをだまくらがしやあがったか。いまいましい。追っかけてぶちのめそうか」

北八「いいわな、俺らも伊勢参りだ。堪忍してやりなせえ。皆こっちが間抜けだからよ。はははははは」

弥次「それだとって、あんまりしゃくにさわるわい」

北八「昨夜の泊りで俺をえらい目に遭わせた。その報いだと思いなせえ。ほんにいい恥さらしだ」

盗人(ぬすびと)に追分(おひわけ)なれやまんぢうのあんのほかなる初尾(はつを)とられて

弥次「ええ、面白くねえ洒落どころじゃねえ。もしもし、饅頭の代はいくらだね」

女「はいはい、残らず占めて、二百三十三文でござります」

語句

■おざうさ-お造作。おもてなし。饗応。馳走。■おみきばこ-金毘羅道者が背に負っている神酒の入った徳利や樽を入れた箱。■うはのり-上塗。人に誘われて、つい同じ行動をとることをいう。■ごうはらな-業腹な。忌々しい限りだ。■くひごつこ-食べる競争。食べ比べ。■てきめ-あいつめ。ここは三人称の代名詞。■手づまつかひ-手品つかい。元来は、手毬・小刀などを上手に操る技であったが、やがて今日の奇術のごとく、人の目を惑わせる技となった。■坂の下-伊勢国(三重県)鈴鹿郡、鈴鹿山の南の麓にあった宿駅。追分よりは七里程京都寄り。■一ツぱいはめられさつせへた-一杯くわされた。うまうまとだまされた。■ぬけまいり-伊勢神宮への抜け参り。妻子や召使などが、夫・親・主人に無断で伊勢参詣する近世の風習。■ぼつかけて-追いかけて。■神参りだ-ここは伊勢参宮を心がけている意。■ごうがにへかへる-腹が立っておさまらないをいう。しゃくでしゃくで仕方がない。■ごうさらし-恥さらし。人を罵る語。■盗人(ぬすびと)に~-金毘羅参りに思いの外の初穂を取られて、損の上に損をした。まるで盗人に追銭をやったようなものだ。「盗人に追銭」に地名の追分をかけた。「盗人に追銭」は、盗人に追銭を与える。損をした上に損を重ねる意。「饅頭の餡」に「案の外」をかけた。

■しゃれやんな-洒落どころじゃねえ。

原文

弥次「せうことがねへ

トふせうぶせうにぜにをはらふと 

かごかき「だんな、まんなをしに、やすくめしてくださりませ

弥次「いやいや

かごかき「さか手でかいりませう

弥次「きさま酒をのむか

かご「ハイさけはすきで、一升ざけを下さります

弥次「また酒の、のみつくらしよふと、おもつてか。もふいやだいやだ。サア北八出かけよふ

トこれよりいせさんぐうみちへはいる

東海道中膝栗毛五編 上終

現代語訳

弥次「しょうがねえ」

と不承不承に銭を払うと、

駕篭かき「旦那、運直しに、安くしてあげますで、乗って下さりませ」

弥次「いやいや」

駕篭かき「酒代だけで帰りましょう」

弥次「貴様、酒を飲むか」

駕篭「はい、酒は好きで、一升酒をいただきます」

弥次「また酒の飲み比べをしようと思ってか。もう嫌だ、嫌だ。さあ北八出かけよう」

とこれから伊勢参宮道へ入る。

東海道中膝栗毛五編 上終

語句

■まんなをし-「まん」は間(ま)。まわりあわせ。しあわせ。運。「まんなをし」は、運直し、運の悪いのを直すこと。■下さります-いただきます。頂戴します。かの誤写であろう。■さか手で-酒手だけの料金での意。■いせさんぐうみちへはいる-東海道からわかれて伊勢参宮道に入る。

次の章「五編下 追分より白子へ

朗読・解説:左大臣光永

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