五編下 白子より津へ

原文

それより玉垣(たまがき)をうちすぎ、白子(しろこ)の町にいたり、福徳(ふくとく)天王をふしおがみつつ、子安観音の別れ道にて

風を孕(はら)む沖(おき)の白帆(しらほ)は観音の加護(かご)にやすやす海(うみ)わたるらん

このしゆくをすぎて、磯(いそ)山といへるにつく。此所に吹矢(ふきや)のいろいろ、かざりつけたる小見世の親父(おやぢ)、わうらいを見かけて「サアサアおなぐさみにやてかんせ。外題(げだい)はちうしんぐら、十一だんつづき、ソレふかんせヤレふかんせ。おあてなさるとたちまちかはる、新板(しんばん)の上細工(じやうざいく)は、これじやこれじや

北八「ハハアなんだ。勘平(かんぺい)おかる、魂胆夢(こんたんゆめ)の枕(まくら)イヤこいつ、やらかして見よふ

トふきやづつに矢をいれて

フフフフフ~カチリガツタリ

弥次「なんだ、ハアゑらい松茸(まつたけ)が出た。コリヤおかしい。ははははは与一兵へ子故の闇の夜は、何にが出るだろふ。プツプツププププ~カチリガサガサガサガサ、

ヒヤアみこし入道ハハハハハハ。向ふのはなんだ。北八そつちへよりや

トひきのけるひやうしに、あしもとにねていたりし犬のあしをふむ

犬「キヤアンキヤアン

弥次「このちくしやうめ

トふきやのつつでくらはしにかかる。犬はワンといつてかみつく

弥次「アイタタタタタ、うぬぶちころすぞ

トおつかくるはづみにどつさりところげたそばにおちてあるはたばこいれ

弥次「ころんでも損(そん)はいかぬ。ここにたばこ入が

トひろひにかかると、向ふがはにゐる子どもが、いとをひくとたばこ入はするするするする

弥次「エエいまいましい。一ばんはぐらかしやアがつた

子共「あほうよワハハハハハ

北八「こいつはいいごうさらしだ。さあいきやしう

現代語訳

白子より津へ

それから玉垣を過ぎ、白子の町に着く。福徳天王を伏し拝みつつ、子安観音の別れ道で、一首詠む。

風を孕(はら)む沖(おき)の白帆(しらほ)は観音の加護(かご)にやすやす海(うみ)わたるらん

この宿を過ぎて、磯山といわれる所に着く。ここには吹矢を吹いて遊ばせる店があり、多種の景品が飾りつけられている。底の店主が往来を見かけて、

「さあさあ、お慰みに遊んで下んせ。主題は忠臣蔵の十一段続き、それ、吹きやんせ、やれ、吹きやんせ。お当てなさるとたちまち変る、新しい趣向の紙細工はこれじゃこれじゃ」

北八「ははあ、なんだ。勘平・お軽の密会しての夢枕。いや、こいつはおもしろい。やってみよう」

と吹矢筒に矢を入れて、

ふふふふふう~、がちり。がったり。

弥次「なんだ、はあ、太い松竹が出たぞ。こりゃ、おかしい。はははははは、与一兵衛子故の闇の夜では何が出るだろう。ぷっぷっぷっぷっぷ~、がちり。がさがさがさがさ。ひゃあ、みこし入道が出たぞ。はははははは。向うの何だ。北八そっちへ寄りや」

と引き退ける拍子に、足元に寝ていた犬の足を踏む。

犬「きゃあんきゃあん」

弥次「この畜生め」

と吹矢の筒で殴りにかかる。犬はワンと一声吼えて噛みつく。

弥次「あいたたたたたた、うぬ、ぶち殺すぞ」

と追っかける弾みにどさっと転げた傍に落ちている煙草入れ

弥次「転んでもただでは起きぬ。ここに煙草入れが」

と拾いにかかると、向う側にいる子供が、糸を引くと煙草入れはするするするすると移動する。

弥次「ええ、いまいましい。ひっかけられた」

子供「阿呆よ、わははははは」

北八「こいつはいい恥さらしだ。さあ行きやしょう」

語句

■玉垣-今は鈴鹿市東玉垣町・西玉垣町・南玉垣町。■白子-今は鈴鹿市白子町。■福徳天王-白子町内の栗間神社、一名勝手大明神のこと。祭神は呉服(くれはとり)織姫。「服織」を訛って「福徳」と称したかと見える。■子安観音-白子観音。寺家(じげ)村(鈴鹿市内)にある。■風を孕(はら)む~-「孕む」「海(産み)わたるらん」は、子安漢音の縁語。風邪を一杯に孕んでいく沖の白帆は、観音の守護でたやすく航海するだろうに。孕み女が安産する意を持った狂詠。■磯山-河曲郡の村名(今は鈴鹿市磯山町)。

■吹矢-矢を筒に仕込んでおいて、それを吹いて的に当たると、からくり仕掛けで、人形や細工物が動き出るようになっている。■いろいろ-的をいろいろ飾って出してある。■ちうしんぐら-忠臣蔵。■新板-新趣向の意。■勘平おかる-塩治家の家臣早野寛平と、その恋仲の腰元お軽。「仮名手本忠臣蔵(三段目)」に逢引中に、主人の城中での刃傷あり、身を隠そうとお軽の故郷山崎へ退隠する。■魂胆-やりくり。やりくりしての密会の意。それで男根の形の松茸を出す趣向。■与一兵へ子故の闇の夜は-五段目、夫のために娘お軽が身を売った金五十両を持って、与市兵衛は、山崎街道を「道は闇路に迷はねど、子故の闇につく杖も」と、帰り途、斧定九朗に殺され、金を奪われる。■みこし入道-大きな法師姿の化け物。首をのばして、前を行く人の前に差し出して驚かす事から出た名。闇夜に出て定五郎の「ぎょろつく眼玉ぞつとせしが」という浄瑠璃の文句によって考案した趣向。■ころんでも損(そん)はいかぬ-欲の深いものをいう諺「転んでもただは起きぬ」。■はぐらかしやアがつた-見当はずれにさせる。ひっかけられた。

原文

トふきやのぜにをはらひ出かける。向ふに又きせる一本おちてあるゆへ

北八「ソレ弥次さん、またひろはねへか

弥次「イヤもふ其手はくはぬ。アレあとからくる親父(おやぢ)がひろひおるだろふ

トゆき過てふりかへり見れば、あとよりきたる親父、かのきせるをひろひて、ふところにおしこみ、さつさつと行すぎる

弥次「ハアだましでもなかったそふな

北八「ハハハハおめへごうぎにまんがわるいぜ

ト打わらひつつ行ほどに、やがて上ののしゆくにいたる。ここに此あたりの人と見へはおりぱつちにて、小やろうをともにつれたるおとこ、あとよりきたりて、弥次郎兵へにちかづき

「卒尓(そつじ)ながら、あなたがたアおゑどでござりますか

弥次「アイさやうさ

かの男「わたくしは白子(しろこ)のさきから、あなた方のおあとについてさんじたが、みちみちの御狂詠(けうゑい)を承りまして、およばずながら感心(かんしん)いたしました。おもしろいことでござります

弥次「ナニサみな出ほうだいでござりやす

男「イヤおどろき入ました。先達(せんだつ)ておゑどの尚左堂俊満先生(しやうさどうしゅんまんせんせい)など、当地へおいででござりました

弥次「ハアなるほど。さやうさやう

男「あなたの御狂名(けうめう)は

弥次「わつちやア、十辺舎一九と申やす

男「ハハア御高名はうけたまはりおよびました。十辺舎先生でござりますか。わたくし、南瓜(かぼちや)の胡麻汁(ごまじる)と申ます。さてさてよい所でおめにかかりました。此度は御参宮でござりますか

弥次「さやうさ。かのひざくり毛と申、著述の事について、わざわざ出かけました

ごま汁「いかさま。あれは御妙作(めうさく)でござります。是へおこしなさる道すがらも、吉田岡崎名古屋辺(よしだおかざきなごやへん)御連中(れんぢう)方、御出会(しゆつくはい)でござりましたろふ

現代語訳

と吹矢の代金を払い出かける。向うに又煙管一本が落ちているので、

北八「それ弥次さん、又拾わねえか」

弥次「いやもうその手は食わねえ。あれ後ろから来る親父が拾うだろう」

と行過ぎて降り返って見ると、後から来た親父が、かの煙管を拾って、懐に押し込み、さっさと行過ぎる。

弥次「はあ、今度は騙しではなかったようだ」

北八「はははは、おめえはたいそう巡りあわせが悪いぜ」

と笑いながら進んで行くうちに、やがて上野の宿に到着。そこに、この辺りの人と見えて羽織を引っ掛けた股引姿の、若い下僕を連れた男が後ろから来て弥次郎兵衛に近づき、

「突然で失礼ですが、貴方がたはお江戸でござりますか」

弥次「あい、左様さ」

かの男「私は白子の手前から貴方がたのお後について参りましたが、道々で詠まれた狂歌を承りまして、及ばずながら感心いたしました。面白いことでございます」

弥次「なに、みんな、口から出まかせのでたらめの歌でございやす」

男「いやあ、驚き入りました。せんだってお江戸の尚左堂俊満先生などが、当地へおいででございました」

弥次「ははあなるほど、左様左様」

男「貴方の御狂名は何とおっしゃいますか」

弥次「わっちやあ、十辺舎一九と申しやす」

男「ははあ、御高名を承り及びました。十辺舎先生でござりますか。私は、南瓜(かぼちや)の胡麻汁(ごまじる)と申します。さてさていい所でお目にかかりました。今度は御参宮でござりますか」

弥次「左様さ。かの膝栗毛と申す書を著すために、わざわざ出かけてまいりました」

胡麻汁「確かに、あれは御妙作でござります。ここへお越しになる道すがらにも、吉田、岡崎、名古屋辺りの好きな連中とも出会われたことでしょう」

語句

■ごうぎにまんがわるい-ひどく廻り合わせが悪い。■うへの-上野。白子から一里半の宿駅。■ぱっち-股引のこと。■小やろう-小野郎。年若の下僕。■卒尓(そつじ)ながら-突然で失礼ですが。■さき-手前。■出ほうだい-でたらめ。■尚左堂俊満-窪俊満。通称易兵衛。江戸の浮世絵師で、蒔絵・狂歌をよくす。左ききで尚左堂と号した。狂名に、一筋千杖、南陀伽紫蘭と号して偽作をも試みた。文政三年(1820)、六十四歳没。文化元年(1804)十一月伊勢に遊んだ(市河米庵『西征日乗』)。■十辺舎一九-一九も文化二年実際に伊勢参宮したので、ここに登場させ、この作を宣伝した。■南瓜(かぼちや)の胡麻汁(ごまじる)-胡麻を混ぜてすった味噌を入れた汁に、南瓜を入れたもの。田舎人らしい狂号にした。■連中-ここでは俳諧・狂歌をたしなむ人々。■出会-出会うこと。ここは共に狂歌や俳諧を作ったことを含む。■

原文

弥次「イヤ東海道(とうかいだう)は宿々残らず、立よる所がござれども、まいると、引とめられまして、饗応にあひまするがきのどくでござるから、みな直通(すぐどふ)りにいたしました。それゆへ御らんのとふり、わざと麁服(そふく)を着(ちやく)いたして、やはり同者(どうじや)の旅行(りよかう)どうやうに、心安く、なんでも気まかせに、風雅(ふうが)を第一と出かけました。

ごま汁「それはおたのしみでござります。わたくし宅(たく)は、雲津(くもづ)でござりますが、どふぞお供(とも)いたしたい

弥次「おぼしめしありがたい

ごま汁「まことに御珍客(ちんきやく)。近所の社中(しやちう)どもへもおひき合せ申たい。いづれ御一宿をおねがひ申ませう。マアマアふしぎな御縁(えん)でよいとこでおめにかかつた。時にここが、小川と申所、まんぢうの名物。一ぷくあがりませんか

弥次「イヤまんぢうにはこりはてた。すぐにまいりませう

トうちつれてこのところをゆきすぐるとて

から尻(しり)のうまい名代(なだい)をたび人にくひつかせんと売れるまんぢう

是より行ほどなく、津(つ)の町にいたるまへに、高田(たかた)の御堂(どう)、右の方に見ゆる。石井殿(いしゐでん)といふこれなり

おまな板なほしに鯉のひれふるはこれ佐用姫(さよひめ)の石井殿かも

現代語訳

弥次「いや、東海道は宿々残らず、立ち寄る所がありますが、立寄ると、引き留められまして、饗応に遭いますのが気の毒でござるから、みな素通り致しました。だから御覧の通り、わざと粗末な服を着ておりまして、導者の旅行同様に、気楽に何でも気まかせに狂歌や俳諧を作ることを第一として出かけてまいりました。

胡麻汁「それはお楽しみでござります。私宅は、雲津でござりますが、どうかお供を致したい」

弥次「思し召し有難い事でござります」

胡麻汁「誠に御珍客。近所の社中どもへも御引き合わせ申したい。いづれ御一宿をお願い申しましょう。まあまあ不思議な御縁でいい所でお目にかかりました。ところで、ここが小川という所。饅頭が名物で、いっぷくなさいませんか」

弥次「いや、饅頭は懲りた。すぐに参りましょう」

と連れだってここを通り過ぎようとして、一首詠む。

から尻(しり)のうまい名代(なだい)をたび人にくひつかせんと売れるまんぢう

是からさほど行く程もなく津の町に着く前に高田の御堂が右の方に見える。石井殿というのはこれである。

おまな板なほしに鯉のひれふるはこれ佐用姫(さよひめ)の石井殿かも

語句

■麁服(そふく)-粗末な衣類。■同者-導者。神仏の霊場など参詣し巡るために田舎から出て来た者。多く浄衣など着け、同行何人などと笠に書いて、群をましたものが多いので「同者」とも書いた。■風雅-ここも俳諧・狂歌などを作ることをいう。■雲津-上野から津へ二里半。津より二里の所の宿駅。一志郡のうち(今は津市内)。■社中-結社の全員。ここは狂歌の社。■小川-河曲郡栗間村のうち(今は津市内)。名代の通った饅頭屋があったのであろう。■から尻~-「から尻」から「甘(馬)い」とかかり、「くひつかせん」だ「馬」の縁語。甘いことで名の通った饅頭屋では、人に食いつかせようと、売っているの意。■津-上野より二里半、藤堂家の城下町。天明六年の『東海木曽両道中懐宝図鑑』に「津の町七十町余あり」とした。旧名は安濃の津(今の津市)。■高田の御堂-一身田(いつしんでん)町(津市内)高田山専修寺。■石井殿-「一身田」の聞き誤りである。■おまな板なほし-真宗徒が十一月二十二日から始まる報恩講(親鸞上人の正当日は二十八日)の最終二十八日に、精進落しの意味で鯉を俎板上で料理し、参詣人に振舞う行事。俎板の鯉が尾鰭を動かすを、夫と別れを惜しみ、領巾ひれ(古代夫人の服飾の一、頚にかけ左右にたらした布)を振り、ついに石となった作用姫にかけて、その石と名のつく石井殿だとして、真宗の俎板なおしと関係ある語で結んだ。作用姫の夫を大友佐堤彦さでひこというが古典籍に見えず、中国の望夫石にならった伝説かという(広益俗説弁)。

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朗読・解説:左大臣光永