五編下 津より松坂へ
原文
津の入口、ひだりの方に、如意輪観音堂(によゐりんくはんのんどう)あり、又かうのあみだといへるもあり。此所は上方筋より参宮の人おちあふ所にて、往来(わうらい)ことに賑(にぎは)しく、中にも都(みやこ)がたのわかき人々、小袖のうへに揃(そろ)へのゆかたを引ぱり、藝者(げいしゃ)めきたる男女うちまじりて、かざりたてたるつづら馬をひきながら
うた「チチチチチチチンチンエイエイエイエイ~、ござれみやこの名どころ見せん。ぎをん清水(きよみづ)、やれ音羽山(をとはやま)、ヤアとこなアヨウいやさア、ありやありやこりやこりや、コノなんでもせエエエエ~、「チチチチチチチンチンエイエイエイエイ~、ぢしゆのさくらにまく打まはし、霞(かすみ)がくれに、ものおもはする、ヤアとこなアヨウいやさア、ありやありやこりやこりや、コノなんでもせエ~
弥次「コウ北八見や、ごうぎにうつくしいたぼが見へる。
ごま汁「アリヤみな、京都のしゆじや。あないに、りつぱにしてお出やつても、ねから銭はつかやせんがな
京の人「御無心ながら、火ひとつかしておくれんか
ごま汁「サアサアおつけなさい
トくはへきせるをさしいだせば、京の人すいつけにかかり
京「ぱつぱつぱつぱつ
ごま汁「まんだつかんかいな
京「ぱつぱつぱつぱつ
ごま汁「なんじや。おまいのきせるにや、たばこがついでないがな。ハハアきこへた。すひつけるふりして、人のたばこをのむのじやな。モよさんせよさんせ。ノウおゑどの先生(せんせい)、京のしゆは、あないに吝(しは)ひのねつこじやわい。ハハハハハ 時に、先生、もふ一ぷく下さりませ
弥次「京のものをしわいといふが、おめへもさつきにから、わしがたばこばかりのんでゐる
ごま「イヤわたくしはたばこ入をもちやせんもの
弥次「わすれて出なさつたのか
ごま「ナニわすれもせんが、ありやうは、ぜんたいがないのじやわいな。そのわけは、わたくしはゑらいたばこずき、いちいちに、拾匁ではたらぬくらひじやゆへ、コリヤ自分(じぶん)でかふてのんでは、たまらんとおもひて、それからたばこ入はやめて、きせるばかり、もてあるきおります
弥次「そこで人のばかり、のみなさるのだな
ごま「さよじやわい
弥次「そりや京の人へふくりんかけて、おめへがあたじけねへといふもんだ
現代語訳
津より松坂へ
津の入口の左の方に如意輪観音堂がある。又、国府の阿弥陀というものもある。ここは上方筋から来る参宮の人たちが待ち合わせをする所で、往来を行き交う人の流れが賑やかで、なかでも都方面から来た若い人は小袖の上に揃いの浴衣を着て、芸者のようなあでやかな男女を連れ、そのうえ飾り立てた葛籠馬を引いている。
うた「チチチチチチチンチンエイエイエイエイ~、ござれみやこの名どころ見せん。ぎをん清水(きよみづ)、やれ音羽山(をとはやま)、ヤアとこなアヨウいやさア、ありやありやこりやこりや、コノなんでもせエエエエ~。チチチチチチチンチンエイエイエイエイ~、じしゅ(地主-清水の地名)のさくらにまく打まわし、霞(かすみ)がくれに、ものおもわする、ヤアとこなアヨウいやさア、ありやありやこりやこりや、コノなんでもせエ~
弥次「北八、見なよ。とてもいい女が見えるぜ」
胡麻汁「ありゃ皆、京都の衆じゃ。あんなに立派にしておいででも、全く銭は使いはせんがな」
京の人「お願いですが、火をひとつ貸しておくれやす」
胡麻汁「さあさあおつけなさい」
と咥え煙管を差し出すと、京の人は吸いつけにかかり、
京「ぱっぱっぱっぱっ」
胡麻汁「まだつかんかいな」
京「ぱっぱっぱっぱっ」
胡麻汁「なんじや、お前の煙管にゃ、煙草が詰めてないがな。ははあ、わかった。吸いつける振りして、人の煙草を吸うのじゃな。もうやめなさい。のう、お江戸の先生、京の衆は、あんな風にもともとけちですわい。はははははは、時に先生、もう一服下さりませ」
弥次「京の者をけちと言うが、おめえも先刻から、わしの煙草ばかり吸っておるわい」
胡麻汁「いやごもっともで、私は煙草入を持ちませんので」
弥次「忘れてこられたのか」
胡麻汁「なに、忘れもせんが、実を明かせば、初めから持っていないのじゃわいな。その訳は、私は大変な煙草好きでして、いちいち十匁では足らぬくらいじゃ故、こりゃ自分で買って飲んではたまらんと思って、それから、煙草入は止めて、煙管ばかり持って歩きおります」
弥次「それで人のばかり飲みなさるのだな」
胡麻汁「そうですわい」
弥次「そりゃあ、京の人をたいそう輪をかけて馬鹿にしたが、おめえの方ががよっぽどけちんぼうというもんだぜえ」
語句
■如意輪観音堂-恵日山観音寺の本尊は如意輪観音の石像。元明天皇和銅二年(709)、安濃津の浦の漁夫の網にかかって出現したという(明和三年刊『伊勢参宮細見大全』)。■かうのあみだ-国府の阿弥陀。如意輪観音堂の傍に安置する。■小袖-礼服の袖の大きいのに対して、袖の小さい普通の衣服をいう。■引ぱり-ひっかけ。着て。■つづら馬-背に四角な葛籠をつけ、その中に蒲団を敷いて、人を乗せ、また旅の荷物を入れて運ぶもの。■名どころ-名所。■ぎをん-祇園。今の京都市東山区祇園町北側にある八坂神社。■清水-清水寺は京都市東山区にある法相宗の寺。観音の霊場。■音羽山-京都市東山三十六峰の一。紅葉の名所で、山腹に清水寺がある。音羽の滝がかかっている。■ぢしゆ-地主権現。清水寺の境内にある社。桜の名所。■たぼ-「女性」の隠語。■ねつこ-根つ子。根源の意で、けちんぼの本家本元の意。■おめへも~-世に「近江泥棒伊勢乞食」といい、近江や伊勢から都会へ出た商人たちの倹約を称したもの。「伊勢けち」などとも。その例を示した趣向。■ありやうは、ぜんたいがないのじやわい-実を明かせば、全く持っていない。■拾匁-当時、きざみ煙草は、量って売った。■ふくりんかけて-覆輪かけて。わをかけて。一そう甚だしいことをいう。■あたじけねへ-欲深い。けちな。厚顔な。
原文
ごま「ハアそふかいな。ハハハハハ 時にいかうおそなつた。ちといそぎましよか
トあしをはやめてゆくに、ほどなく月もとにいたり、此へんより、からすの宮へまいる道ありとききて
照(てり)わたる秋の月本ならば今うかれまいらん烏御前(からすごぜん)に
かくて雲津(くもづ)にいたり、南瓜のごま汁、おのが家に案内するに、これもはたごやと見ゆれど、折ふし相客(あいきやく)もなく、おくの間に講じ入れ、かれこれともてなしければ、弥次郎兵へはあらぬ名をいつわり、かかるめにあふも一興(へう)なりと、北八もろとも、心の内におかしく、やがて湯にも入しまひ、ゆうゆうと座しゐたるに、ていしゆごま汁いでて「コレハおくたびれでございましよ。よふこそおい入くだされました。しかし折あしく、此頃はしけで、何もおさかながござりません。それゆへなにも、御ちそうがでけぬくいが、当所はいたつて、こんにやくがよござりますから、マア是でもあげましよとぞんじて、申つけおきました
弥次「もふおかまいなされな。イヤ御主人、此ものはいまだ、おちかづきにならぬげな
ごま汁「いかさまあなたは
北八「わたくしは、十辺舎の秘蔵弟子(ひぞうでし)、一辺舎南錂(いつぺんしやなんりやう)と申ます。ふしぎな御縁(えん)で御厄介にあづかります
ごま汁「ナニサとつとねから、おかまいは、申さんじやて。イヤせんせい、ちとおくつろぎなされまいか
女「御ぜんがよござります
ごま汁「はやうあげんかい。御ゆるりとめしあがりませ
トていしゆはかつてへたつてゆく。女ぜんをもち出、弥次郎へすへて行
弥次「まんざらでもねへの
北八「いい女だ。しかしここじやア、おめへも先生かぶだ。おとなしくせざアなりめへ
ト此内十一二ばかりの小ぢよく、ぜんをもちきた八にすへる。両人はしをとりて、くひかかり見るに、ぜんの向ふに、ひらめなるさらのなかに、大ふくもちの大きさのごときくろきもの、のせて出せり。ひらにはこんにやくをもり、みそはべつに小皿にあり。弥次郎兵へ小ごゑにて
「ナントきた八、この皿にあるまるいものは何だろう
北八「されば、なんであろうか
トはしにてつつき見るに、いたつてかたく、はさめどもうごかず、よくよく見れば石也けるゆへきもをつぶし
現代語訳
胡麻汁「はあそうかいな。ははははは。時にえらく遅くなった。ちと急ぎましょうか」
と足を速めて行くと、ほどなく津木本に着き、この辺りから、香良洲(からす)の宮へ参る道があると聞いて
照(てり)わたる秋の月本ならば今うかれまいらん烏御前(からすごぜん)に
このようにして雲津に着き、南瓜の胡麻汁が自分の家へ案内するが、これも旅籠屋とみえるが、たまたま相客も無く、奥の間に招じ入れ、あれこれともてなしたので、弥次郎兵衛はありもしない名を偽って、こんな目に遭うのも一興なりと、、北八もろとも、心の中でおかしく、やがて湯にも入り終り、悠々と座っていたが、亭主の胡麻汁が出て来て、
「これはお草臥れでございましょう。ようこそおいで下さいました。しかし、あいにくこの頃は時化で何もお魚がございません。それでどうにも御馳走ができにくいのですが、ここはいたって蒟蒻(こんにゃく)がよくできますので、まあこれでもあげようと思いまして、申しつけておきました」
弥次「もうお構いなさいますな。いや御主人、ここに控えておるこの者の紹介はまだでありましたな」
胡麻汁「いかさま、あなた様は」
北八「私は、十辺舎の秘蔵弟子の一辺舎南鐐と申します。不思議な御縁で御厄介に預かります」
胡麻汁「なにさ、初めっからお構いは申しませんじゃて。いや先生、ちとおくつろぎなされませぬか」
女「夕食の御膳がようござります」
胡麻汁「早くあげんかい。御ゆるりと召しあがりませ。またのちほど」
と亭主は立って勝手の方へ行く。女が膳を持出し、弥次郎兵衛の前に置いて行く。
弥次「まんざらでもねえ女だの」
北八「まったくいい女だ。しかし、ここじゃあ、おめえも先生格だ。おとなしくせざあなるめえ」
そこへ十一二歳ほどの少女が膳を持って来て北八の前に据える。両人とも箸を取って食いかかって見ると、膳の向うのやや平たい皿の中に、大福餅の大きさのような黒い物を乗せて出してある。平めで浅い椀の中には蒟蒻を盛り、味噌は別に小皿に盛ってある。弥次郎兵衛は小声になって、
弥次「なんと、北八、この皿にある丸い物は何だろう」
北八「さあ、何だろうな」
と箸でつついて見ると、かなり硬めで、挟んでも動かない。よくよく見ると石だったので大そう驚き、
語句
■月もと-「月もと」という部落はどの辺りか明らかではないが、からすの宮への別れ道があると書いてあるから、今の津市藤枝町か小森町辺りにあったものと思われる。■からすの宮-一志郡香良洲(からす)町にある。雲出川の河口にあって、風光明媚、香良洲神社、香良洲公園がある。■照(てり)わたる~-照り渡る月光の下ならば、その光に誘われて烏御前の所へ浮れて参ろう。「秋の月」に地名の「月本」をかけ、「月本」に、月の照り輝く下(もと)という意を含めた。「烏御前」に夫人の代名詞に用いられる「何々御前」をかけた。■しけ-海の荒れること。転じて、そのことから不漁なこと。■秘蔵弟子-大事にされている高弟。自らかく称したところが滑稽。■一辺舎南鐐-南鐐は二朱銀の異称。小判一両の八分の一にあたる。南鐐一枚を一辺といったので、一辺舎南鐐といったのである。■とつとねから-全く。そもそもから。■まんざらでもねへの-女の器量を批評したので、まんざら悪くもないと例の悪癖を出している。■先生かぶ-先生格。■小ぢょく-小女の召使。■ひらめなる皿-やや平たい皿。■大ふくもち-小豆飴を、薄い皮でつつんだ餅。平たくやや大きめに製する。■ひら-平めで浅い椀。■みぞ-田楽にして食するこんにゃくと見える。、
原文
北八「コリヤ石だ石だ
弥次「ナニいしなものかノウ女中
女「それは石でござります
北八「それ見なせへ
女「こんにやくをおかへなさりませ
弥次「いかさま、もふすこし
トひらを出して女のたつて行をまちかね
弥次「コウなんとばかばかしい。どふして石がくはれるものか
北八「イヤそれでも、くはれる仕法がありやアこそ、出したであろふ。さつき、当所のめいぶつをあげませうといつたア、何でもこのいしのことだ
弥次「それでとつて、ついぞはなしにもきかねへ
北八「イヤまちなよ。江戸で団子のことを、いしいしといふから、大かたこりやアだんごであろう
弥次「ハハアなるほどそこもある。よもやほんとうの石じやアあるまい
トまたはしをもつて、つつき見るに、やはり石なり。これはふしぎときせるのがんくびにてたたきみれば、かつちりかつちり
弥次「どふでも石だ石だ。コリヤどふしてくふものだと、きくもごうはらだが、どふもねつからがてんがいかぬ
此内ていしゆかつてより出
「是は何もござりません。よろしうめしあがりませ。イヤ石がさめはいたしませんか。コリヤコリヤ、ぬくといいしをかへてあげ申せ
トいはれてふたり共いよいよぎよつとせしが、いかにしても、此石のくひよふ、しらぬといわれんもごうはらと、弥次郎兵へこれをくひたるかほにて、
「イヤもふおかまひなさるな。いしももはやよろしうござる。匁々めづらしいものを賞翫(しやうぐはん)いたしました。江戸表などで、折ふし小砂利を、とうがらしじやうゆで、煎(いり)つけるか、または煮豆などのよふにいたして、たべることがござります。それに又、石塔なども、娵(よめ)をいぢる、しうちばばなどに、くはせたがくすりだと申て、たべまするが、わたくしも、ずいぶん好物(こうぶつ)でござります。今度府中に逗留いたしたとき馬蹄石(ばていせき)を、すつぽん煮(に)にしてふるまはれましたが、ツイわたくし、四ツ五ツたべました所に、おききなさい。はらがおもくなつて、立(たと)ふとした所が、いつかうたたれず、しかたなしに、りやうほうの手を棒(ぼう)しぼりのよふにいたして、かついでもらつて、やうやうと手水(てうづ)にゆきやした。御当所の石ころはかくべつ風味(ふうみ)もよふござりやすから、又たべすぎたならば、御やつかいになるだろふとぞんじて、おきのどくでござりやす
現代語訳
北八「こりゃあ、石だ、石だ」
弥次「なに、石なものか、のう、お女中」
女「それは石でござります」
北八「それ、見なせえ」
女「蒟蒻をお替えなさりませ」
弥次「も少し、お替りいたしやしょう」
と浅めの椀を出して女が立去るのを待ちかね、
弥次「これ、なんと馬鹿馬鹿しい。どうして石が食われるものか」
北八「いや、それでも食われる方法がありゃあこそ、出したのであろう。さっき、ここの名物をあげましょうと言ったのは、この石のことだぜえ」
弥次「それだとって、ついぞ話にも聞いたことがねえ」
北八「いや、待ちなよ。江戸で団子のことを女言葉で「いしいし」というから、おおかたこりゃあ団子であろう」
弥次「ははあなるほど、それもある。よもや本当の石じゃああるまい」
と又箸を持って、つついて見るが、やはり石である。これは不思議と煙管の雁首で叩いてみると、かっちり、かっちりと石の音がする。
弥次「どうでも石だ、石だ。こりゃあ、どうやって食うのか、聞くのも癪だが、どうも全く合点がいかぬ」
そうしていると亭主が勝手より出て来る。
「これは何も珍しい物もござりませんが、よろしゅうお食べ下さりませ。おや、石が冷めはいたしませんか。こりゃこりゃ、あたたかい石と替えておあげ申せ」
と言われて、二人ともいよいよぎょっとしたが、どうあってもこの石の食いようを知らぬのかと言われても情ないと、弥次郎兵衛はこれを食ったような顔をして、
「いや、もうお構いなさるな。石も、もはやよろしゅうござる。さてさて、珍しいものを賞味しました。江戸表などで、時折、小砂利を唐辛子醤油で、炒ためるか、または煮豆などのようにして、食べることがござります。それに又、石塔なども、嫁をいじめる姑婆などに、食わせたが薬だと申して、食べまするが、私も、たいそうな好物でござります。今度府中に逗留したとき馬蹄石を鼈(すっぽん)煮(に)にして振る舞われましたが、つい、私、四つ、五つ食べましたところ、お聞きなさい。腹が重くなって、立とうとしところが、いっこうに立たれず、仕方なしに、両方の手を棒縛りのようにして、担いでもらって、ようやく便所に行きやした。御当所の石ころは格別風味がようござりやすから、又食べ過ぎたならば、御厄介をかけるだろうと思いまして、お気の毒でござりやす」
語句
■仕法-しかた。方法。手段。■いしいし-「美(い)し」を重ねた語。「いし」は、「おいしい」と同義で、味の良い意。女言葉で、団子のことを「いしいし」という。■そこもある-そういうこともある。■きせるのがんくび-煙管の雁首。「雁首」は煙管の頭の部分。古製は長くて、形が雁の首に似ていたのでいう。■ぬくとい-あたたかい。■匁匁-さてさて■江戸表-江戸表、大阪表などといい、「表」は、ところ、地方をさす。■とうがらしじやうゆ-唐辛子醤油。■煮豆などの世譜に-甘く煮詰める方法。■石塔-墓石。嫁をいじめる姑に、墓石を欠いてのませると効果があるという俗言があったのかもしれない。■府中-駿河の府中。■馬蹄石-安倍川から出る蒼黒色の石。■すつぽん煮-魚類などを酒(または味醂)・醤油(まやは塩)・砂糖など混ぜた濃い味に煮て、生姜汁をかける煮方。■棒しばり-棒を肩に天秤棒をになうようにあて、両手を横にのばしてこれにくくりつけるのである。狂言に<棒しばり>がある。これは主人が太郎冠者を棒に、次郎冠者を後手にしばって外出したが、二人はしばられたまま工夫して酒を盗み飲む話。
原文
ごま汁「ナニそのいしをあがりましたか
弥次「たべましただんか
ごま汁「イヤそれはめつそふかいな。石をあがるといふは、けしからんお歯(は)のおたつしやなことでござります。しかしやけどは、なさりませんかいな
弥次「それはなぜな
ごま汁「イヤあの石はやけいしでござります。すべてこんにゃくといふものは、水氣(みづけ)のとれぬものでござりますから、あのやけいしにて、おたたきなさると、水氣がとれて、かくべつ風味(ふうみ)がよござります。そのためのやけいしでござります。あがるのではござりませんわいな
弥次「ハハアなるほどなるほど。きおへました
ごま汁「マアそふしてあがつて御らんなされ。コレおなべよ。石がぬくとなつたらもてこんかい、はやうはやう
ト此内さらに、いしのやけたるをのせて、女もち出。引かへてゆく。弥次郎北八ていしゆがことばのごとくして、かのこんにやくをはさみ、くだんのいしにうちつけて見るに、シウ引といふて、水氣とれたる所を、みそをつけてくらふふうみ、かくべつかろくしていはんかたなければ、大きにかんしんして
弥次「まことにめづらしいおりやうり、御仕法かんしんいたしました。そしてかやうに、おなじやうなる石が、さつそくによく、そろひました
ごま汁「イヤそれは、かねてたくわへておきます。おめにかけませう
トかつてにかけいり、すいものわんをいるるよふな、はこをもちいで
「御らんくだされませ。こないに二十人まへは、所持(しよぢ)いたしております
トかのはこを見する。ふたりはおかしく、そのはこのよこのほうに、何かかきつけてあるゆへ、よんでみればこんにやくのたたき石二十人まへとかきつけたり。此内近所の狂歌よみおいおいきたりて
「御めんくださりませ
ごま汁「ヤこれは小鬢長兀成(こびんてうはげなり)さま、サアサアどなたもこれへこれへ「ハイハイ是は、十辺舎先生、はじめておめにかかりました。わたくしは富田茶賀丸(とんだちやがまる)と申ます。つぎは反歯日屋呂(そつぱひやろ)、水鼻垂安(みずばなたれやす)、金玉(きんたま)の嘉雪(かゆき)、いづれもお見しりくださりませ」
ごま汁「ときにせんせい、おやかましうはござりませうが
おむつかしかろふといふことをおやかましかろふといふくにことばなり
扇面(せんめん)、たんざくなど、おねがひ申たいが、何なりとも、おもち合せのお歌を、おしたためくださりませ」
現代語訳
胡麻汁「なに、その石を召しあがりましたか」
弥次「食べたどころか、ぐんと食しました」
胡麻汁「いやそれは滅相も無いな。石をあがるというのは、たいそう歯が丈夫なことでございますなあ。しかし火傷はなさりませんでしたか」
弥次「それは何故な」
胡麻汁「いや、あの石は焼石でござります。すべて蒟蒻というものは、水気が取れないものでござりますから、あの焼石を使って、お叩きなさると、水気が取れて、各別風味がようござります。その為の焼石でござります。あがるのではござりませんわいな」
弥次「ははあ、なるほどなるほど。わかりました」
胡麻汁「まあ、そうしてあがってごらんなされ。これ、おなべよ、石が温(ぬく)くなったら持って来んかい」
と、そのうちに焼けた石を乗せて、女が持ってくる。取り替えていく。弥次郎北八は亭主の言葉通りにして、かの蒟蒻を挟み、くだんの石に打ち付けてみると、しゅううううといって水気の取れたところを、味噌を付けて食らう。その風味は格別にあっさりして無類の口当たり。弥次郎兵衛はその風味にたいそう感心して、
弥次「まことに珍しいお料理、食し方に感心しました。そしてこのように、同じような石が、早々と良く揃ったものですなあ」
胡麻汁「いやそれは、かねてからの貯えものですから。お目にかけましょう」
と勝手に足早に入り、吸物椀をを入れるような箱を持出し抱えて来た。
胡麻汁「ご覧下さりませ、このように二十人分は所持いたしております」
とその箱を見せる。二人は可笑しくなり、その箱の横の方に何か書いてあるので、読んでみると蒟蒻の叩き石二十人分と書いてある。そうこうしているうちに近所の狂歌愛好の衆が狂歌をおいおい詠みながら集って来て
近所の人「御免くださりませ」
胡麻汁「やぁ、これは小鬢長兀成(こびんてうはげなり)さま、、さあさあどなたもこれへこれへ」
近所の人「はいはいこれは、十辺舎先生、初めてお目にかかりました。私は富田茶賀丸(とんだちやがまる)と申します。次は反歯日屋呂(そつぱひやろ)、水鼻垂安(みずばなたれやす)、金玉(きんたま)の嘉雪(かゆき)、どなたもお見しりおきくださりませ」
胡麻汁「時に先生、煩わしい事で恐れ入りますが、扇面、短冊など、お願い申したいが、何なりとも、お持ち合わせのお歌を、おしたため下さりませ」
語句
■だんか-食べたどころか、ぐんと食しました。■めつそふかいな-「めっそうもない」に同じ。■けしからん-驚くべく。たいそう。■きこへました-理が明らかになった。わかった。■引かへて-とりかえて。■すいものわん-吸物椀。吸物に使用する椀。十人前とか二十人前とかを揃えて、椀箱と称する長方形で木製、中に仕切のある箱に収めておく。その内容を箱の横に墨書する。■小鬢長-こびんちょ(こめかみの辺)に禿がある意の狂名。■富田茶賀丸-「飛んだ茶釜」の流行語(『辰巳之園』)に「是は谷中、笠森に有し、おせんが、美しきを見て、顔と、顔と、見合、能女とも、誉られず、茶釜になぞらへて、とんだ茶釜ト、云出したると也」)によった狂名。■反歯日屋呂-「三番叟」の拍子に「とつぱひやろ」というを反歯の人物の狂名とした。■水鼻垂安-水鼻汁がたれるによる狂名。■金玉の嘉雪-睾丸が痒いを狂名とした。■おやかましうはござりませうが-煩わしい事で恐れ入りますがの意。
原文
トあふぎたんざくをつきつけられ、弥次郎しかつべらしくとりあげて、なんの出ほうだい、やらかしてくれんと、いろいろかんがへても、わがよみしうたには、これぞといふうたもなく、さつそくにおもひつきもなければ、これまで、ききおぼへゐたりし、人のうたをかきて、さしいだせばごまじるこれをいただき見て
「これはありがたうござります。おうたは、ほととぎす、じゆうじざいにきくさとは、酒屋へ三里、とうふやへ二里。ハハアなるほど。どふかきいたよふなお歌だ。きぬぎぬの、なさけをしらば今ひとつ、うそをもつけや、明六ツのかね。イヤこれは、千秋庵(せんしうあん)大人のおうたではござりませんか
弥次「ナニわたしがよみうた、しかも江戸中大評判(ひやうばん)の歌(うた)、たれしらぬものはござらぬ
ごま汁「イヤさよじやあろが、せんねんわたくし、おゑどへさんじた時、三陀羅(さんだら)大人、芍薬亭(しやくやくてい)大人などにも、おめにかかりまして、すなはちおたんざくも、いただいてかへりましたが、御らんなされ、其びやうぶに、はつてござります
トいふゆへ弥次郎、ふりかへりてみればなるほどびやうぶに、三陀羅とかきて、右のうたあり。きた八おかしくきのどくなれば
「イヤわたくしの先生は、そそつかしいがくせで、人の歌だの、わが歌だのといふ、しやべつはいつかうござりやせぬ。コウ弥次さん、イヤ先生、是まで道中筋で、よみなさつた、おめへのうたをかきなさればいいに
トきをつけられて、弥次郎めんぼくなけれど、おしのつよいおとこなれば、いけしやあしやあとして、あとのたんざくへは、道中すじのうたをかく、此内きた八も手もちなければ、はりまぜのびやうぶをみて
「ハハア恋(こい)川春町(はるまち)のゑがある。モシあのゑのうへにある賛(さん)は、なんでござります
ごま汁「イヤあれは、詩(し)でござります
北八「こちらのほていのゑのうへにあるは、詩と見へますが、誰がいたしたのでござります
ごま汁「イヤあれは語でござります。沢庵和尚(たくあんおしやう)の
トいふゆへ北八心のうちに、こいついまいましいやつだ さんかといへばしだといふ しかといへばごだといふ なんでもこんどはひとつよけいにいつてまごつかせてやろふと そこら見まはし
北八「モシおかけもののゑのうへにかいてあるは、おほかた六でござりませうな
ごま汁「六かなにかしりませぬが、あれは質(しち)にとつたのでござります
ト此うちかつ手より女たち出
現代語訳
と扇短冊を突き付けられ、弥次郎はもっともらしい顔をして取り上げ、なんでも出放題で、作ってみようと、色々と考えてみたが、自分の詠んだ歌には、これぞという歌も無く、早速思いつくものもないので、これまでに聞き覚えのある人の歌を書いて、差し出すと、胡麻汁はこれをいただき、見て、
「これは有りがとうござります。お歌は、ほっとぎす、自由自在に聞く里は酒屋へ三里、豆腐屋へ二里。ははあ、なるほど。どこかで聞いたような歌だ。後朝(きぬぎぬ)の情けを知らば今ひとつ、嘘をもつけや、明六ツの鐘。いや、これは、千秋庵(せんしうあん)大人のお歌ではござりませんか」
弥次「なに、私の読み歌、しかも江戸中で大評判の歌、誰も知らぬ者はござらぬ」
胡麻汁「いや、左様じゃろうが、先年私、お江戸へ参った時、三陀羅(さんだら)大人、芍薬亭(しやくやくてい)大人などにも、お目にかかりまして即ち、お短冊もいただいて帰りましたが、御覧なされ、その屏風に、貼ってござります」
と言うので、弥次郎兵衛が振り返って見ると、なるほど、屏風に三陀羅と署名して右の歌が書いてある。北八は可笑しくもあり、気の毒でもあるので、
北八「私の先生は、そそっかしいのが癖で、他人の歌だの我が歌だのという、区別がいっこうにござりやせぬ。弥次さん、いや、先生、これまで道中筋で読みなさったおめえの歌を書きなさればいいに」
と注意されて,弥次郎は面目を失くしたが、厚かましい男なので、何も無かったように平然として、後の短冊へは、道中筋の歌を書く。そのうち北八も手持ちの歌が無いので張り混ぜの屏風を見て、
北八「ははあ、恋川春町の絵がある。もし、あの上にある賛はなんでございます」
胡麻汁「あれは詩でござります」
北八「こちらの布袋(ほてい)の絵の上にあるのは、詩に見えますが、誰が詠んだものでしょう」
胡麻汁「いや、あれは語でござります。沢庵和尚の」
と言うので、北八は心の中でこいつ忌々しい奴だ。賛かと言えば詩だと言う。詩かと語だと言う。何でも今度は一つ余分に言ってまごつかせてやろう、とそこらを見廻し、
北八「もし、お掛物の絵の上に書いてあるのは、おおかた六でござりましょうな」
胡麻汁「六か何か知りませんが、あれは質に取ったのでござります」
とそのうちに勝手から女が出で来て、
語句
■扇面-扇そのもの。又は扇形をした用紙に、詩や歌などをしたためること。■しかつべらしく-もっともらしい顔をして。■ほととぎす~-『万代狂歌集』などに載る頭(つぶり)の光(ひかる)の作。頭の光は、岸誠之、通称宇右衛門、江戸亀井町の町代、桑揚庵、二世巴人亭の号あって、狂歌四天王の一、伯楽側の頭領。寛政八年(1796)、四十三歳没。■きぬぎぬの~-後朝の暁の鐘で、男女おき別れねばならぬ情を解するならば、明六つ(午前六時ごろ)の鐘のつくついでに、嘘にも一つついて、七つ(午前四時ごろ)にしておけの意。■千秋庵(せんしうあん)大人-赤松(後に清野)正恒。神田お玉が池住の左官という。千秋庵三陀羅法師と号し、狂歌は唐衣橘州に学び、千秋側の頭領。文化十一年(1814)、八十四歳没。■江戸中大評判の-このほうは本当であろう。■芍薬亭(しやくやくてい)大人-芍薬亭長根。本名本阿弥次郎右衛門。孝か弘化二年(1845)、七十九歳没。刀剣鑑定家。狂歌に一派を立てて、文政調と称された(菅竹浦『近世狂歌史』など参照)。■しやべつ-区別■おしのつよい-厚かましい。。■いけしやあしやあとして-平気で、遠慮したり恥じたりする様子の無い様。■恋川春町-倉橋格。通称寿平。駿河小島候の臣で、江戸小石川春日町住なのでこの偽名がある。黄表紙を作り、烏山燕門で画をよくして自画が多い。狂名は酒上不埒。寛政元年(1789)、四十六歳没。■賛(さん)-ここでは画に沿ってつけた詩文歌俳などの総称。■語-禅語の如く、教訓的な言葉。■沢庵和尚-ここは筆者ではなく語の作者を言ったものであろう。沢庵は禅僧宗彭の号。品川東海寺の開祖で、世間的にも有名な人。正保二年(1645)、七十三歳没。■質にとつた-入質して流れたものだとの意。
原文
「ハイひげつらさまから、お手がみがさんじました
ごま汁「ドレドレ何じやあろな
ト此手がみをひらきて、たかだかとよみて見れば
手がみ「鳥渡(ちよつと)申上候。只今東都(とうと)十返舎一九先生、私宅(したく)へ御着(ちやく)有之候 勿論名古屋(もちろんなごや)連中、並吉田大嶽(よしだおおだけ)よりも、書状参り申候。早速(さつそく)貴公御噂(うはさ)もいたし置候事故、追付(おつつけ)貴宅江同道(どうどう)参上可致候間、右御案内申入置候。以上
ごま汁「コリヤどふじやいな。とんとがてんのいかぬ。ノウせんせい、ただいま朋友(ほうゆう)どもから、かやうに申こしましたが、定(さだ)めてこやつ、尊公(そんこう)のお名前をかたつて、まいつたものと見へる。さいわい追付(おつつけ)これへまいるとあれば、ナントおあひなされて、なぐさんでやろじやござりませぬか
弥次「さてさて大変(たいへん)なことだ。いやはや横着(おうちやく)なやつもあればあるものだ。しかしわたくしはあひますまい
ごま汁「なんぜなんぜ
弥次「イヤどふか先刻(せんこく)から、持病(じびやう)の疝気(せんき)がおこりました。さやうでなくばそのにせもの、いたしかたがござるものを。さてさてこまつたものだ
トおもひがけなく、此しぎにおよび、さすがの弥次郎、しゆげかへりてゐる。ていしゆごま汁をはじめ、みなみなせんこくより、弥次郎がふるまい、がてんゆかずとおもひし所、さてはと心づき、こいつばけのかはあらはしてくれんと、たがひにそでをひきあふて
ちやが丸「なんと先生、コリヤおもしろいことがでけました。御不快ではござりませうが、ぜひそのにせものには、おあひなさるがよふござりませう
弥次「ハテさて、こまつたことをおつしやる
たれ安「イヤ時に、先生のおたくは、ゑどおもてでは、どこもとでござりますな
弥次「されば、どこでかござつた。ヲヲそれそれ、鳥羽(とば)かふし見か淀(よど)竹田
かゆき「山ざきのわたしをこへて、与市兵へとお尋(たづね)あれか。おきやアがれハハハハハ
ごま汁「イヤたしか、あなたがたのお笠に江戸神田八丁ぼり、弥次郎兵へとかきつけて、ありおつたが、その弥次郎兵へさまといふは、たれさんの事じやいな
弥次「ハアきいたやうな名だが、だれでかあつた。ヲヲきいたはづだ。わしが実名を弥次郎兵へといひやす
ごま汁「ハハアつねんいやまいらぬ、ちよつちよつとまいらぬ、弥次郎兵へでござるといふは、あなたのことであつたか
現代語訳
女「はい、髭つら様から、お手紙が参りました」
胡麻汁「どれどれ、なんじゃろうな」
とこの手紙を開いて、高々と読みあげてみると、
手紙「ちょっと申しあげます。只今、東都の一辺舎一九先生が私宅へお着きになられました。勿論、名古屋の連中並びに吉田や大獄の仲間からも。書状がまいりました。早速にも、貴公が噂をしていた事でもあるので、追っ付貴宅へ案内して行くので、右御案内申しあげます。以上
胡麻汁「こりゃどうじゃいな。とんと合点がいかぬ。のう、先生。ただいま朋友どもから、このように言ってきましたが、きっとこやつ、尊公のお名前をかたって参ったものと見える。幸い、追っ付ここへ来ると言うのであれば、ぜひともお逢いなされて、慰んでやろうじゃござりませぬか」
弥次「さてさて大変な事だ。いやはや横着な奴もあればあるものだ。しかし私は逢いますまい」
胡麻汁「なんで、なんで」
弥次「いや、どうも先ほどから持病の疝気が起こりました。そうでなければ、その偽物、対処の仕方があるものを。さてさて困ったものだ」
と思いがけなく、この事態となり、さすがの弥次郎、しょ気返っている。亭主の胡麻汁はじめ、皆々、先ほどからの弥次郎の振舞に納得できずにいた所、さてはと感ずき、こいつ化けの皮を剥がしてくれようと、互に袖を引きあって
茶賀丸「なんと先生、こりゃあ面白い話が出てきやした。御不快ではござりましょうが、是非その偽物にには、御逢いなさるがようござりましょう」
弥次「はてさて、困ったことをおっしゃる」
垂安「ところで、先生のお宅は、江戸表では何処でござりますかな」
弥次「されば、何処かでござった。おお、それそれ、鳥羽か伏見か淀竹田」
嘉雪「山崎の渡しを越えて、与市兵衛へとお尋ねあれか。ばかばかしい。はははははは」
胡麻汁「いや、確か、貴方がたのお笠に江戸神田八丁堀、弥次郎兵衛と書いてあったが、その弥次郎兵衛さまいうのは、誰さんのことじゃいな」
弥次「いや、聞いたような名だが、誰かであった。おお、聞いたはずだ。わしの実名を弥次郎兵衛と言いやす」
胡麻汁「ははあ、常には参らぬ。ちょっちょっと参らぬ。弥次郎兵衛でござるというのは、貴方のことであったか」
語句
■ひげつら-狂歌仲間の一人としてある。■名古屋連中-名古屋の狂歌仲間の意。■吉田-三河国渥美郡の城下町の宿駅。■大嶽-これも地名で尾張知多郡の大高でもあろうか)の狂歌仲間のこと。■疝気-腰腹部の疼痛をひろく疝気という。■しぎ-仕儀。事のありさま。なりゆき。■ばけのかはあらはしてくれんと-一九に化けたその正体を見あらわしてやろうと。■御不快ではござりませうが-病気で御気分が悪いでしょうが。■どこもと-「何処」と同じ。やや丁寧にいったもの。■鳥羽かふし見か?-「仮名手本忠臣蔵」六段目で、勘平がかっての同輩千崎弥五郎に自分の今の住居を語って、「其が在所(ありか)お尋ねあらば、この山崎の渡場を左へ取り、与市兵衛とお尋ねあらば、早速相知れ申すべし」。■おきやアがれ-自嘲的な語で、ええやめておけの意。口から出まかせをいってみたが、元来たたんできた江戸の宿所が、正しく言えるものではなく、この言に及んで、苦笑い。■あなたのお笠に-当時の旅人や同者は、笠に名や住所を書く習慣があった。■つねにやまいらぬ~-門付(かどつけ)の芸人与次郎が「常は参らぬ、お門もけがさぬ、与次郎がまゐり」(頭註東海道中膝栗毛)などいって祝言をつらねたことを、弥次郎にもじったという説がある。与次郎を弥次郎に代えて嘲笑したのである。
原文
弥次「さやうさやう
ちやが丸「ときに弥次郎兵へ先生、そのにせものの一九を、いんまつれてこまいかい
弥次「イヤわしは、もふ出立いたそふ
ごま汁「なんぜ。今ごろ何時じやとおもふて。もふ四ツじやがな
弥次「さればの事、わしが疝気はかはつたことで、此やうにかしこまつてばかりおると、だんだんわるくなる。いつも夜分(やぶん)そとをあるひて冷(ひへ)さへすりや、じきによくなるから
ごま汁「ハハアそれで、今立ふといふのか。そふさんせそふさんせ。たとへこなさんがゐよふといふても、爰にやもふおきやせんのじや。はやう出ていかんせ。よふも人の名をかたつて、だまさんしたの
弥次「ナニかたつたとは
ごま汁「ハテかたつたわいな。ほんまの十辺舎せんせいは、なごやの川並連中から、状がついてきてありや、ちがいはないがな
たれ安「はじめから、こなさんの不都合(つがう)たらだら、こないなことであろとおもふた。こちからほからかし出されぬうちに、ちやつちやつと出ていかんせ
弥次「なんだほかし出す。コリヤおもしろい
北八「コレサ弥次さん。りきんでもはじまらねへ。ぜんてへおめへのおもひつきがわるい。サア爰を出て、どこぞ木賃にでも、とまりやせう。コリヤアどなたも、真平御めんなさりやし
ト北八がだんだんのわびことに、ていしゆははらはたてども、おかしさも半分、みなみなこのふたりがほうほうのていにて、そこそこにしたくし出行なりを見おくり、家内のものども、手をうちたたき、どつどつとわらふ。弥次郎兵へは、しじうふくれづらして、りきみかへり出ゆくおかしさ、北八あとにしたがひ
いとはまじとをり一ぺん旅(たび)の恥(はぢ)かきすててゆくあふぎたんざく
かくよみて、あとはわらひをもよほし、出かけたれど、もはや亥(い)の刻(こく)すぎたると見へ、家並(いへなみ)に戸を閉(とぢ)て、ひそまりかへり、いづれを旅籠屋とも見へわかたず、とまるべき方もなくして、うかうかとたどり行ほどに、あはや軒下の犬どもが、おきたちて吼(ほへ)かかれば、弥次郎兵へきよろきよろして「エエこのちくしようめらア、わるくふざきやアがる
現代語訳
弥次「左様、左様」
茶賀丸「ところで弥次郎兵衛先生、その偽物の一九を、今此処へ連れて来ましょうかい」
弥次「いや、わしはもう出立したそう」
胡麻汁「どうして。今何時じゃと思って。もう夜の十時じゃがな」
弥次「だからのこと。わしの疝気は変っておって、このようにかしこまってばかりいると、だんだん悪くなるんじゃ。いつも夜分に外を歩いて冷えさえすりゃあ、直に良くなるから」
胡麻汁「ははあ、それで、今立とうと言うのか。そうなさい、そうなさい。 例えお前さんが居ようと言うても、ここには、もう置きやせんのじゃ。早う出て行きなさい。ようも人の名を語って騙しましたの」
弥次「なに、語ったとは」
胡麻汁「はて、語ったわいな。本当の十辺舎先生については、名古屋の川並連中から、手紙が来ているので、違いはないがな」
垂安「初めから、お前さんの不都合だらだら、こんなことだろうと思うた。こちらから放りだされぬうちに、さっさと出て行きやんせ」
弥次「何だ、放り出す。こりゃ面白い」
北八「これさ弥次さん。力んでも始まらねえ。大体おめえの思い付きが悪い。さあ此処を出て、どこぞ木賃にでも泊りやしょう。こりゃあどなたも真平御免なさりやし」
と北八のだんだんの詫び言に、亭主腹は立てども、可笑しさも半分、皆々この二人が這う這うの体で、そこそこに支度し出て行く様子を見送り、家内の者ども、手を叩き、どっと笑う。弥次郎兵衛は、始終ふくれっ面をして、力み返り出て行くのがおかしく、北八は後に従い、一首を読む。
いとはまじとをり一ぺん旅(たび)の恥(はぢ)かきすててゆくあふぎたんざく
このように読んで、後は笑いを催し、出かけたが、最早、夜の十一時を過ぎた時分とみえ、家並みは皆戸を閉じて、潜まり返っている。どこが旅籠屋かも見分けがつかず、泊まるすべもなく、心そぞろに辿って行くと、二人の足音に驚いた軒下の犬どもが起き上がって、いっせいに吠え掛かる。弥次郎兵衛はきょろきょろして、「ええぃ、この畜生めらあ、悪ふざけしやあがる」
語句
■四ツ-午後十時ごろ。■川並-狂歌の団体の名であろう。■木賃-木賃宿の略。■ふほうのてい-這々の体。這わんばかりの様子。さんざんの有様。■いとはまじ-厭うまい、嫌に思うまい。「旅の恥は掻き捨て」に「扇短冊に字を書き捨て」をかけた。■亥の刻-午後十時より十一時。■あはや-驚きの意を表す語。
原文
ト石ころをひろひてうちつくればなをなを犬はおこりたちてとりまく
北八「かまいなさんな。犬までがばかにしやアがる。ヲヤ弥次さん、おつな手つきをして、おめへ何をする
弥次「イヤ犬にとりまかれたときは、宙(ちう)へ虎(とら)といふ文字をかいて見せると、犬がにげるといふことだから、 さつきからかゐているが、ねつからにげやアがらぬ。 こいつらアみんな、無筆(むひつ)の犬だそふなシツシシツシ
トどふやらこうやらおひちらかしてゆくともなしに、おもはず、このまちを出はなれて
弥次「コリヤつまらねへものだ。ままよ北八、夜どふし、あるこうじやアねへか。きついこたアねへ。やらかせやらかせ
北八「おめへとんだ事をいふ。まだ九つにやアなるめへ。又どこぞへとまりてへものだ
弥次「それだとつて、今頃におきてゐるうちはなし。いやあるぞあるぞ。遥(はるか)向ふに火が見へる。アノ火を目あてにいつて、宿をたのまふ。
北八「ヲヲサそれがいいそれがいい。しかし桃灯(てうちん)の火じやアねへか
弥次「とんだことをいふ。戸のすき間よりもれる火だものを
北八「ほんに、家のうちでたく火だ。なんでも是非あそこをたのんでとまりやしやう
トあしにまかせていそぎ行 やがてそこにちかづきたるに かの目あての火は おのれとだんだんさきへあゆみ出して行ていにおどろき
弥次「ヤアヤアヤアあの家がどふかあるひて行よふだ
北八「ほんになア、こいつはおかしい
弥次「イヤおかしくない きみがわるい どこの国にか家があるくといふは 只事じやアねへ
北八「ナニサこれも赤坂のとまりぐらいで みんな狐めがすることだろう よはみを見せるとなをつきあがりがする 構うこたアねへ さつさつとあよびなせへ
トわざとりきみかへつて あしばやにくだんの火におひつき くらまぎれにすかしみれば いざりの車なり。小屋のうちにて火をたき、ちやをわかしながら、くるまをおしてゆくのなり。ふたりはおかしく、ここをすぎゆくに、折ふし月は出たれども、くさ木もねぶる真夜中のうそさみしさ、あとにもさきにも只ふたり、うわべはがまんにつよばつても、こころはいたつてのおくびやうもの、こはごはたどりゆくあとより、一人来るもの有。弥次郎ふりかへり見れば、小山のごとき大おとこ、長わきざしをこしによこたへ来るは、ただものならず。われわれをめがけ、つけきたるならんと、きた八にささやきて
弥次「コウあとからおかしなやつがついてくる。ちといそひでやらかそふ
現代語訳
と石ころを拾って、投げつけると、犬たちはなおさらに怒って取り巻いて追いかける。
北八「構いなさんな。犬までが馬鹿にしやあがる。おや弥次さん、変な手つきをして、おめえ何をやらかす」
弥次「いや、犬に取り囲まれた時は、空に虎という字を書いて見せると、犬が逃げるということだから、さっきから書いているが、まったく逃げやあがらぬ。こいつらあ皆、文字の書けないだそうな、しっしっしっ」
とどうやらこうやら追い散らかして、行くともなしに、知らないまにこの町を出てしまい、
弥次「こりゃあ困ったものだ。ままよ、北八、夜通し歩こうじゃあねえか。きついこたあねえ。やらかせやらかせ」
北八「おめえはとんだことを言う。まだ午前零時にはなるめえ、又どこぞへ泊りてえもんだ」
弥次「それだとって、今頃起きている家は無し。いや、あるぞ、あるぞ。遠くに火が見える。あの火を目当てに行って、宿を頼もう」
北八「おおさ、それがいい、それがいい。しかしあれは提灯の火じゃねえか」
弥次「とんだことを言う。戸の隙間から漏れる火に違いねえ」
北八「ほんに、家の中で焚く火だ。何がなんでも是非あそこに頼んで泊りやしょう」
と足にまかせて急いで行く。やがてそこには近づいたが、かの目当ての火が、自分でだんだん先へ歩み出して行く様子に驚き、
弥次「やあやあやああの家が何だか歩いていくようだ」
北八「ほんになあ、こいつはおかしい」
弥次「いや、おかしくない。気味が悪い。どこの国に家が歩くという事があろうか。ただ事じゃねえ」
北八「なにさ、これも赤坂の泊りぐらいで、皆、狐めがすることだろう。弱みを見せると猶、つけあがる。構うこたあねえ、さっさと歩きなせえ」
とわざと力み返って、足早にくだんの火に追いつき、暗闇を透かして見ると、いざりの車である。小屋の中で火を焚き、茶を沸かしながら、車を押して行く様子。二人はおかしくなって、ここを過ぎて行くのに、丁度月も出て来たが、草木も眠る真夜中の物静けさ、後にも先にも只二人、うわべは我慢して強がっても、心はいたって臆病者、恐々と辿り行く。その後から一人着いて来る者がある。弥次郎が振り返って見ると、小山のような大男、長脇差を腰に差して来るのは只者ではない。我々を目がけ、つけて来たのだなと北八に囁いて
弥次「これ、おかしな奴が後から付いて来る。ちと急いで行きやしょう」
語句
■無筆(むひつ)の-文字の書けない。文字のわからない。■つまらねえものだ-困ったものだ。■九つ-午前零時ごろ。■おのれと-自分で。■どふか-何だか。■赤坂のとまりぐらいで-赤坂の泊の流儀で。■よはみをみせると-妖怪に化かされるのは、弱みを示すからだなという俗説による。■つきあがりがする-増長する。■あよびなせへ-「歩きなさい」の、江戸の通言。■いざり-足腰が悪くて、歩行できない者。「いざり車」とて、四方に輪をつけた方形の小さい車に乗り、自ら棒をついて進める。当時は、この種の物乞いが、通行参詣人の多い伊勢路には、よく集まっていた。これは屋根を作り、簡単な生活道具を車にのせていたのである。おそらく、一九のこの時の旅中の所見によるものであろう。■くさ木もねぶる真夜中のうそさみしさ-深夜の物静かなさまを形容する語。■長わきざし-町人の一本差に使用する脇差の長いもの。一尺八寸以上のものをいう。(『松屋筆記』九など)。■ただものならず-普通人ではない。
原文
トあしばやにはしればあとの男も又はしる
北八「まちなよ。呑口がはづれそふだ
ト小べんをすれば、その男もたちどまり、まつてゐるゆへ、弥次郎こへをかけ
「モシおめへ、今ごろどこへお出なさる
トこはごはいへば、かのおとこ、そんじの外、やさしきものいひにて
「ハイハイわたしは松坂へもどりおるものじやがな、夜さらひとり、こはふてこはふて、モどふしよいなと、おもひおつたとこへ、おまいがたが、通らんすゆへ、コリヤよいつれじやと、あとからおふたりをこころだよりにさんじたわいな
北八「イヤおめへなりには似合(にあは)ぬよわいねを出しなさる。そしてそんな長いやつをさしてゐながら
かの男「ハハア是かいな。コリヤあとでひらふて来た竹きれじやわいな
トこしからぬいてつへについてゆく
弥次「ハハハハわきざしではねへの。わつちらア又、おめへがこわくてこわくて、さつきにからコリヤ、ひよんなやつに見こまれたとおもつたが、マアおめへおくびやうもので、わつちらもおちついた
北八「もふもふこれから三人といふものだから、大丈夫(じやうぶ)だ
男「イヤイヤ、このさきにとつとゑらいことがあるがな
弥次「なにがゑらい
男「きかんせ。わしやけふ、江戸橋までいて、かへりにきつうおそなつてな、いんまのさき、この松原にきおつたとこが、なんじややら、向ふに大きな白いものがたつてゐおつて、それがあつちやへいたり、こつちやへきたり、ぶうらりぶうらり、もふもふもふ、わしやこはふて、コリヤしぬかとおもふたわいな。そじやもの、どふして向ふへいかれるもので、コリヤならんわいと、あともどりして、どふぞよいつれがほしいと、おもひおつたとこへ、おまいがたにいきあふたのじやわいな
弥次「エエその、しろい大きなものがゐたといふは、どこらに
男「イヤじつきに、このさきじやわいな
北八「エエなにが出るものだ。おいらがさきへゆかふ。おれについて来な
現代語訳
と足早に走ると後ろの男も走る。
北八{待ちなよ。小便が漏れそうだ」
と小便をすると、その男も立ち止まり、待っているので、弥次郎が声を掛け、
「もし、おめえ、今頃何処へお出でなさる」
と恐々に言うと、かの男は案外と優しい物言いをして
「はいはい私は松坂へ戻っているところじゃが、夜中に一人で怖くて怖くて、もうどうしようかと、思っていた所へお前さん方が通りかかられたので、こりゃ、良い連れが出来たと、後からお二人を頼りに付いてきましたわいな」
北八「いや、おめえ形(なり)には似合わぬ弱音を吐きなさる。そしてそんな長い脇差を差していながら」
かの男「ははあ、これかいな。こりゃあ後で拾って来た竹光じゃわいな」
と腰から抜いて杖にして突いて行く。
弥次「はははは、脇差ではねえのか。わっちらあ又、おめえが怖くて怖くて、さっきからこりゃ、妙な奴に見込まれたと思ったが、まあ、おめえ、臆病者でわっちらも安心したわい」
北八「もうもうこれから三人というものだから、大丈夫だ」
男「いやいや、この先に大変なことがあるがな」
弥次「なにが大変」
男「聞きなせえ。わしは今日、江戸橋まで行って帰りがたいそう遅くなってな。いまさっき、この松原に着いたところじゃが、何じゃやら、向うに大きな白い物が立っておって、それがあっちへ行ったりこっちへ来り、ぶうらぶうら、もうもう、わしは怖くて、こりゃ死ぬかと思うたわいな。そういうわけで、どうして向うへ行かれるのかと、こりゃ、ならんわいと後戻りして、どうか良い連れが欲しいと思っておったところへ、お前方と行き遭ったのじゃわいな」
弥次「ええ、その、白い大きなものがいたというのは、何処らに」
男「いや、直に、この先じゃわいな」
北八「ええ、何が出るものか。おいらが先に行こう。俺について来な」
語句
■呑口がはづれそふだ-一杯になって樽の栓即ち飲み口がはずれそうの意で、小便が出そうだ。■ぞんじの外-案外。■松坂-雲津より二里の宿駅。松坂商人の本拠で豊かな町であった(今の松坂市)。■夜さら-古語の残ったもので、夜のこと。■こころだよりに-内心頼りにして来たことだ。■なり-体つき。■よわいね-弱音。いくじのない言葉。■とつとゑらいこと-大変ひどいこと。■江戸橋-津市の北方志登茂川に架かる橋。『伊勢参宮名所図絵』に「大部田北の入口、左りの方の土橋なり。東国往来の追分にして、傍に常夜燈標石あり」。ここから関へ出て、東海道に入るのである。■そじやもの-それじゃもの。それゆえに。■なにが出るもんだ-何も出はしないよ。北八の例の強がりである。
原文
ト打つれてこの松原を一丁斗も行たる時かの男
「アレアレ向ふに、アアコリヤたまらぬたまらぬ
トがたがたふるへる。ふたりもあやしく、はるか向ふを、月あかりにすかし見れば、何ともわからぬしろきもの、およそ一丈ばかりもたかく、かい道いつぱいにひろがり、たつてゐるよふす。これはなんだろふと、さきへもすすまず、たちどまり見れば、又きゆるよふにぱつたり、なくなるかと見れば、又すつくりとたち、おおきくなつたり、ちいさくなつたり、そのかたちわからず
弥次「マアなんだろう
北八「すそがねへから亡魄(ぼうこん)にちげへはねへ
男「アアアレあれじやもの。どふしてさきへいかれましよいな
弥次「しやうたいがわからにやア、猶きみがわりい。コリヤいかれぬ。あとへもどろふ
男「わしもおまいがたをたよりに、又さんじたが、どふもこはふていかれんわい。あとへ戻(もど)つて、又つれの人が出来おつたら、又爰までこうわいな。ニ三度もそないに、いたりもどつたりしおつたら、てうど夜があけふわいな
弥次「なんでも白装束(しろしやうぞく)だから、何ぞの亡魂(ぼうこん)にちげへはねへ
北八「アレアレ青(あを)い火が見へる
男「エエどふかこつちへきおるよふじや
弥次「コリヤどふしよふ。とてもさきへいかれぬいかれぬ
ト三人ながらいろ青ざめてがたがたふるふ折から向ふより人の来るとみへ
うた「恋の重荷をナつんだらおまにへ、いく駄(だ)あろやらしれぬくひ。ナアンアエ
トうたひながら来るは助郷の人そく四五人
弥次「モシモシ、おめへがたアどつちから来なさつた
人そく「ハアわしらアこの近在(きんざい)じやが、役(やく)にあたりおつて、津までいきおるのじやわいな
弥次「ソリヤアいいが、ここへはどふしてきなさつた
人そく「ハテこな人は其役で、津へいくのじやといふのに
弥次「ただし おまへがたも幽霊(ゆうれい)じやアねへか。どふも人間なら、爰(ここ)迄いきてこよふはづがない
人そく「なにいはんすやら。ねからはからわからんわい
北八「イヤむかふに、化(ばけ)ものがゐるのに、どふしておめへがたア、そのまへをとをつて、来なさつたといふことさ
人そく「コリヤこなさんたちは、三渡(みわたり)の籐(とう)九郎狐(ぎつね)が、いこいたのじやな。ハハハハハハ
北八「ナニサむかふを見なせへ
人そく「むこに何がゐるぞい
北八「アノ白いものが、アレアレ
人そく「しろいものとは、あれか、あれか。ありあ道なかで、おまのくつや、わらふじがもえておるが、其煙(けふり)が月にうつつて、白(しろ)なつて見へるのじやわいな
弥次「ハハアそふか、ハハハハ、コリヤ有がたふござりやす
ト人そくにわかれて、三人ともほつとためいきをつぎ、打わらひつつ、やがてその所にたどりつき見るに、なるほどわらじくつなどをつみかさねて、火をつけもしたるにて、そのけふり、しろくたちのぼり見へたるなり。
現代語訳
と連れだってこの松原を一丁ほども行った時、かの男が言う。
かの男「あれあれ、向うに、ああ、こりゃあたまらぬたまらぬ」
とがたがた震える。二人も怪しんで、遥か向うを、月明かりに透かして見れば、何とも知れない白い物が、一丈ばかりの高さに、街道一杯に広がり、立っている様子。これは何だろうと、先へも進めず、立ち止まって見ると、又、消えるようにばったりなくなったと思うと、又すっくと立ち、大きくなったり、小さくなったり、その形がはっきりしない。
弥次「まあ、何だろう」
北八「足が無いから亡魂には違(ちげ)えねえ」
男「ああ、あれじゃもの、どうして先へ行かれましょや」
弥次「正体がわからにゃあ、猶気味が悪(わり)い。こりゃ行かれぬ。後へ戻ろう」
男「わしもお前方を頼りに、又来たが、どうも怖くて行かれんわい。後へ戻って、又連れの人が出来たら又来ようわい。二度も三度もそないに行ったり戻ったりしておったら、丁度夜が明けるわいな」
弥次「なんでも白装束だから、何かの亡魂に違いはねえ」
北八「あれあれ、青い火が見える」
男「ええ、何やらこっちへ来よるようじゃ」
弥次「こりゃ、どうしよう。とても先へは行かれぬ、行かれぬ」
と三人共、色青ざめてがたがた震えている時、向うから人が来ると見え
歌「恋の重荷をなあ、積んだらおま(馬)にへ、いく駄(だ)あるやらしれぬくい。なあんあえ」
と歌いながら来るのは、助郷の人足四五人連れ。
弥次「もしもし、お前がたあどっちから来なさった」
人足「はあ、わしらあ、この近在の者じゃが、役にあたって津まで行くのじゃわいな」
弥次「そりゃあいいが、此処へは如何(どう)して来なさった」
人足「はて、ここな人は。その役で、津へ行くのじゃと言うのに」
弥次「但し、お前方も幽霊じゃあねえかい。どうも人間ならここまで生きて来られる筈がない」
人足「何を言うやら、全くわからんわい」
北八「いや、向うに化物が居るのに、どうしてお前がたあ、その前を通って、来なさったということさ」
人足「こりゃあ、お前さん方は、三渡の籐九郎狐に取り憑かれたんじゃな。はははははは」
北八「なにさ、向うを見なせえ」
人足「向うに何が居るぞい」
北八「あの白い物が、あれあれ」
人足「白い物とはあれか、あれか。ありゃあ道中で、馬の沓や、草鞋が燃えているが、その煙が月に写って、白くなって見えるものじゃわいな」
弥次「ははあ、そうか、はははは、こりゃ有難うござりやす」
と人足と別れて、三人共ほっと溜息をつき、笑いながら、やがて、その場所に辿り着いて見ると、なるほど草鞋・沓などを積み重ねて、火を点けたもので、その煙が白く立ち昇って見えたものだった。
語句
■亡魄(ぼうこん)-底本のまま。人の死後の魂。■しやうたいがわからにやア-正体が知れないと。■こうわいな-来ようわい。■青い火-白装束は勿論、幽霊の着けている死装束雨。青い火は、芝居の焼酎火のごとく、亡霊の出る時に燃えると言われる。諸事芝居らしい発想が滑稽。■どふか-何やら。■おまにへ-「馬」の訛。馬に。■いく駄-駄馬一匹に負わせるべき重さを一駄という。近世では四十貫目。■助郷-宿駅に常備の人馬で不足の時、各駅近くの農村(これを助郷村という)より、人馬を補充した制度があって、その人馬。■役-夫役。課役。宿駅の助郷のことで、宿駅の人馬不足の時、所定の助郷村に課して徴発した。■こな人-ここな人。■ねからはから-根から葉から。全く。■三渡-一志郡松が崎村(今は松坂市に編入)付近をもと三渡村といった。■籐九郎狐-天明年間の道中記に「雲津から松坂へ行く道中の左に狐の森といふ松の森あり。藤九郎狐と云ひて古き狐あり」とある。■いこいた-「憩うた」の訛。休んだ。狐が休んだ意から、狐に憑かれたことをいう。■おまのくつや、わらふじが-馬の沓や草履が。
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