五編追加完 緒言

原文

膝栗毛五篇追加緒言

荒海(あらうみ)の障子に手足(てあし)を屈(かがめ)、乗合の宝船に天窓(あたま)を掻(かく)。忠綱が歯むなしく歯磨(はみがき)を費(つひや)し、眉間尺が額(ひたひ)いたづらに剃刀(かみそり)を労(ろう)す。話(はなし)長ければ棕櫚箒鯱立(しゆろぼうきしゃちほこだち)をして、災害(わざわひ)はきものにおよび、幕(まく)長ければ蜜柑(みかん)の皮羽翼(かはつばさ)を生じて、余波(とばしり)留場を閙(さはがす)。古人不用物(いらぬもの)を指(さし)て長物(ちやうぶつ)と呼(よ)ぶ 宜哉(むべなるかな)、唯(ひとり)長くして美なるものは飛頭蛮(ろくろくび)、長くして奇なるものは膝栗毛(ひざくりげ)なるべし。今既(すでに)五編追加成(なり)て、長袖(ちやうしう)よく舞ふ古市の娯楽(たのしび)、長舌巧(ちやうぜつたくみ)に囀(さへづ)る宮雀(みやすずめ)の洒落(しやれ)を尽(つく)せり。実にニ子(ふたり)が鼻の下の長より出たる滑稽(こつけい)の骨(ほね)にして、価良馬(りやうば)の骨より貴(たふと)し。卿が文(ふみ)さんげさんげの提灯と光をあらそひ、卿が名法性寺入道とともに長く伝ふべし

文化丙寅仲夏      喜三ニ干芍薬亭

乍憚口上でなし自序ともつかぬ 付 言

気のききたる化物は足をあらひて引こむ時分 ほざくり毛の作者 図にのりて又しても弥次郎兵衛北八がしやれもむだも洗濯頃 此五篇目追加にいたつて あしもとのあかるきうち 先今日は是までの筆をおくにしくことなしと漸満尾しこぢつけたれど 御見物のしびれをきらせし所に付込み 京へのぼるの一段を拾遺にかけよと 書肆のもとめに是非なくとは嘘の皮 やつぱり作者も欲の皮ひつぱりだこの手をくみて ひと工夫せしあとの二冊は 京大阪の穴さがしほぢくりかへして御覧に入んと しこたま趣向はととつておきの正月物 それははれ着此一冊は不断桜の伊勢道中  おはりかとおもへば拾遺のはじまり  ここはざつといたしまあせうとあとをはらんで そのためおことはりさやうと

例のなまけものがいふ

現代語訳

膝栗毛五篇追加前書

荒海の障子に手足を屈め、乗合の宝船に天窓を掻く。忠綱が歯むなしく歯磨きを消費し、眉間尺の額はいたづらに剃刀を使う。話が長ければ棕櫚箒を逆さまに立て、災いは履物に及ぶ。幕間が長ければ、早く開けよと観客が蜜柑の皮を舞台に向かって投げ、留場を煩わせる。古人は不用物ををさして長物と呼ぶ。いかにももっともなことである。一人長くして美なるものはろくろ首、長くして奇なるものは膝栗毛である。今既に五編の追加作品も完成し、古市の妓楼が躍る伊勢音頭大踊りを見物する古市の楽しみ、よくしゃべる神官の洒落を尽した。実に二人の好色な性格から出た滑稽な話は良馬の骨より貴い。一九先生の文はさんげさんげの提灯と光をあらそひ、一九先生の名は法性寺入道とともに長く伝えるべきである。

乍憚口上でなし自序ともつかぬ 付 言

気の利いた化物は足を洗って引き込む時分、ひざくり毛の作者一九は調子に乗って、またしても弥次郎兵衛北八の洒落も無駄話も再度利用し、この五篇目を追加するにいたって、足元の明るいうちに先ず今日はこれまでの筆を暫く終わることとし、無理やり伊勢参宮を目的としてここに至ったが、続編を望む読者の希望で、京へ上る話の一段を拾い集めよという書肆の求めに是非もなくとは嘘だが、やっぱり作者も欲の皮がひっぱりだこの手を組んで、ひと工夫した後の二冊は、京大阪の風俗をほじくり返して御覧にいれようと、多分に趣向はあるが、とっておきの正月物、それは晴着、この一冊は不断桜の伊勢街道、終わりかと思えば拾い集めの始まり、お後がよろしいようでここは簡単に済ませましょう

例のなまけものが言う

語句

■荒海の障子-清涼殿の萩の戸の前の広廂にあった布障子で、表に手長・足長の図があった。手足が長すぎて、屈めねばならぬ。以下長すぎて困るものの列記。■乗合の宝船-七福神の船には、頭の長い福禄寿があって、恐縮して頭を掻く。■忠綱-足利又太郎忠綱は、人にすぐれた三つのうちの一、「歯のたけ一寸」あったという(一時随筆)。よって歯磨粉も、余人以上に必要。■眉間尺が-中国の『呉越春秋』などに見える眉間尺は、眉の間一尺という。さぞ額を剃刀で剃るにも労力を要しよう。■話長ければ-長座の来客を早く返すまじないには、棕櫚箒を逆さまに立てる。「長尻立た箒に突きあたり」(吾妻舞)。■はきものに-それできかねば、その人の下駄に灸をすえる。「いつとてもはきものに生灸のたえ間なし」(絵本不尽泉)。■幕長ければ-芝居で幕間が長いと、早く幕を開けよと、見物が蜜柑の皮を舞台めがけて飛ばす。■留場-『劇場新話』に「一幕に二人づつ半畳を敷き、舞台の下に居て、見物さわがしき時制する役也。うしろの方騒がしきは、楽屋番制する也」。■長物-「無用の長物」(諺)。■飛頭蛮-ろくろ首。見世物で、美女の仕掛けもあったが、実際にも存したとんお記事も近世では多い。ここから、長くてよいものの例。■長袖(ちやうしう)よく舞う-古市妓楼の伊勢音頭大踊りの場面をいったもの。■長舌-よくしゃべるを長広舌という。■宮雀-神社の下級神官で、案内の口上を述べたりする者をいう。■ニ子-弥次郎兵衛・北八の二人。■鼻の下の長-おろかな者または好色な者の相をいう。■価良馬(りやうば)の骨-古の君が千里の馬を求めて、千金で買おうとしたが、到着する前に死んだので、その骨を五百金で求め帰った(韓非子)故事による。■卿-一九を指す。■さんげさんげ-水垢離をとる時の唱えごと。石尊参りのための水垢に、長く列をする意であろうか。■法性寺入道-百人一首の「法性寺入道前関白太政大臣」(藤原忠通)は、百人中最長の名のりで有名。■文化丙寅仲夏-文化三年(1806)五月。■喜三ニ干芍薬亭-芍薬亭長根。本名本阿弥次郎右衛門。弘化二年(1845)、七十九歳没。刀剣鑑定家。狂歌に一派を立てて、文政調と称された(菅竹浦『近世狂歌史』など参照)。

■気のききたる~-長すぎた時の挨拶の一。「足をあらふ」は諸事を切り上げることをいう。■図にのりて-調子にのって。■洗濯頃-一度使用したものを、衣類を選択したものの如く、またまた使用すること。■あしもとのあかるきうち-事の手遅れにならぬ前の意の慣用句。■こぢつけたれど-無理に、何かをしてしまったの意。初めから伊勢参宮を目的として、ここに至ったことをいう。■しびれをきらせし-待ちかねることをいう。■京へ上るの一段を-しびれを止める、祝詞に「しびれ京へ上れ」というを利用して、伊勢から京へ上る話を書くことをいう。■書肆のもとめに-五編に参加した、大阪の河内屋など、特に強く勧めたのではないかと、想像される。■嘘の皮-「嘘」強めたを語。■欲の皮

ひどく欲張ることを、「欲の皮のひっぱった」という。■ひつぱりだこの手をくみて-諸方より作品を求められている、その手を思案のために、腕組みして。■穴さがしここは風俗のうがち。■しこたま-多分に。「とっておき」にかかる。多分に趣向を仕込んで。そして、正月物として特別にとっておきの上物をの意。■正月物-正月用品と、正月の出版物の意を兼ねる。■はれ着-正月の晴着の小袖。■不断桜-伊勢の白子の子安観音の名木。『伊勢参宮名所図会』に「境内(子安観音の)にありて、年中常盤に花を開く、日本の一奇樹なり。歌人文人佳作多し。平城の都の時、称徳天皇禁庭に召されしに、一夜に枯れぬ。帝御製をそへてかへし植ゑさせたまひしかば、枝葉又生茂り、もとのごとく成りしとぞ」。晴着に対し、普段着の意で、この一冊は、京大阪編ではなく、これまでの続きの伊勢道中の記事である。■ここはざつといたしませう-二次会などを予想して一次の宴会を切上げるなどする時の挨拶。■あとをはらんで-お後がよろしい気持ちを示して。

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朗読・解説:左大臣光永