六編下編 京見物

原文

東海道中膝栗毛六編 上・下

東海道中膝栗毛六編下編

大仏殿方広寺(だいぶつでんほうくはうじ)、本尊(ほんぞん)は廬舎那仏(るしやなぶつ)の座像(ざぞう)、御丈(たけ)六丈三尺、堂(どう)は西向にして東西廿七間、南北は四十五間あり、弥次郎きた八ここに法施(ほつせ)し奉りて

弥次「ナントはなしにきいたよりか、ごうてきなもんじやアねへか。アノこうしてござるお手のひらへ、畳(たたみ)が八畳(でう)しかるげな

北八「たぬきの金玉(きんたま)と同じことだな

弥次「もつてへねへことをいふ。そしてアノお鼻(はな)の穴(あな)からは、人がかさをさして出らるると

北八「ソリヤアまだしも、人がさして出るからいいが、おらがほうのぼうだら八が鼻(はな)の穴からは、瘡(かさ)がひとりでにふき出したは

弥次「ばかアいふな。おうしろへまはつて見よふ。ヲヤお背中(せなか)に窓(まど)があいてゐらア

北八「あれは大かた汐(しほ)をふくところだろう

弥次「ナニ鯨(くじら)じやアあるめへし

北八「ヲヤヲヤ アレみんなが柱(はしら)の穴(あな)をくぐつてゐるは

弥次「ホンニこいつは奇妙(きめう)奇妙

ト此御堂のはしらのもとには、てうど人のくぐるだけ、きりぬきし穴あり。田舎どうじやども、たはふれに、これをくぐりぬける。北八も同じくくぐり

「コリヤおもしれへ。しかしおいらはくぐられるが 弥次さんはふとつてゐるから、ぬけられめへ

弥次「おれだとつて、ナニこれが

ト北八をひきのけ、四ツばいになつて、はしらのあなへ、からだ半分ほどはいりかけて、いつかうにぬけられず。あとへもどろふとするに、わきざしのつばがよこぱらにつかへて、いたみこらへられず、弥次郎かほをまつかいになし

「アイタタタタタタ コリヤひよんなことをした

北八「ヲヤどふした。ぬけられねへか

弥次「コレ手を引ツぱつてくりや

北八「ハハハハハこいつはおかしい

ト弥次郎が両手をぐつとひつぱる

現代語訳

京見物

方広寺大仏殿、本尊は廬舎那仏の座像で御丈(たけ)六丈三尺、堂は西向きに造られており東西二十七間、南北は四十五間ある。弥次郎北八は仏前で念仏を唱え参拝する。

弥次「なんと、話に聞いていたよりたいそうな物じゃあねえか。あの、こうしてござるお手の平の上に畳が八畳敷けるそうだ」

北八「狸の金玉と同じことだな」

弥次「もってえねえことを言う。そして、あのお鼻の穴からは人が傘をさして出らるるそうな」

北八「そりゃあまだしも、人がさして出るからいいが、おらの家の近くのぼうだら八の鼻の穴からは、瘡が勝手に噴出したは」

弥次「馬鹿あ言うな。お後ろへ廻って見よう。おや、お背中に窓が開いていらあ」

北八「あれはおおかた汐を吹く所だろう」

弥次「なに鯨じゃああるめえし」

北八「おやおや、あれ、皆が柱の穴を潜っているは」

弥次「ほんに、こいつは奇妙、奇妙」

とこの御堂の柱の根元には、丁度人の潜るだけ、切り抜かれた穴がある。田舎からの参拝者どもが戯れにこれを潜り抜ける。北八も同じく潜り、

「こりゃおもしれえ。しかしおいらは潜られるが、弥次さんは太っているから、抜けられめえ」

弥次「俺だとって、何これが潜れぬことがあるものか」

と北八を押し退け、四つん這いになって、柱の穴へ、身体半分ほど入りかけて、一向に抜けられず。後へ戻ろうとすると、脇差の鍔が横腹につかえて、痛みをこらえられず、弥次郎は顔を真っ赤にして、「あいたたたたた、こりゃあ困ったことをした」

北八「おや、どうした。抜けられねえか」

弥次「これ、手を引っ張ってくれや」

北八「ははははは、こいつは可笑しい」

と弥次郎の手をぐっと引っ張る。

語句

■廬舎那仏-『都名所図会』の方広寺の条「本尊は廬舎那仏の座像、御丈六丈三尺、仏殿は西向にして、東西廿七間、南北は四十五間なり」。■法施-仏前で念仏して拝すこと。■お手のひら-『山城名所寺社物語』(宝暦七年求坂本)大仏の条に「御はなの高さ五尺五寸、横四尺、御はなの広さ二尺、・・・御手くびよりゆびの先まで二間、大ゆびのまはり六尺五寸」。ただし大仏の大きさを、以下のごとく表現するのは、後々まで奈良の大仏についてのことである。■たぬきの金玉-諺「狸の睾丸八畳敷」による洒落。■ぼうだら-棒鱈。鱈はくしゃくしゃしたものだから、だらしなくぐだぐだしている物を棒鱈という。■背中に窓-仏像の背に、中に入り得る口の作ってあるをいう。■鯨じやアあるめへし-鯨は頭部に潮吹があるが、背中とも見えるので、かく洒落た。■柱の穴をくぐつてゐる-今の奈良の大仏殿にあるごとく、大きな円柱の、下部を切り抜いた所を、参詣者がくぐると、後生安楽を得るとて、くぐる。■田舎どうじや-田舎からの参拝者。■わきざしのつば-脇差しの鍔。■まつかいになし-真っ赤にし、痛さをこらえるさま。■ひよんなこと-おかしなこと。困ったこと。

原文

弥次「アイタタタタタ

北八「よはへ男だ。ちつと辛抱(しんぼう)すればいい

弥次「あとのほうからあしを引てくれろ

北八「しやうちしやうち

トうしろへまはり、両のあしをとらへ

「ヤアゑんさアヤアゑんさア

弥次「あいたあいた

北八「ちつとこらへなせへ。よつぽど出かけたよふだ。ヤアゑんさアヤアゑんさア

弥次「アアまつてくれまつてくれ。腰骨(こしぼね)がおれるよふだ。コリヤやつぱり前(まへ)のほうから引出してくれ

トいふゆへ北八、又前へ廻り、両手をとらへて引く

北八「ヤアゑんさアヤアゑんさア。ソレまたこつちへよつぽど出て来た

弥次「コリヤたまらぬ。アイタタタタタ。北八これではいかぬ。初手(しよて)のよふに、又あとへひきもどしてくれ

北八「エエいろいろなことをいふ

ト又うしろからあしをとらへ

「ヤアゑんさアヤアゑんさア

弥次「まてまてまて。コリヤどふでも、まへのほうから引イてもらおふ

北八「エエそんなに、前へまわつたり、うしろへまわつたり、引出してはひきもどし、いつまでもはてしがねへ。コリヤいいさんだんがある

そばに見ていたりしさんけいの人をたのみて

北八「モシどふぞ、こつちからおめへひつぱつて下さいませ。わしがあつちへまわつて、あしをひきずり出しますから

弥次「ばかアいふな。両方からひつぱつては出る瀬(せ)がねへ

北八「出るせがなくても、両方からひつぱると、前へまわつたり、うしろへまわつたりする、せはがなくていいわな

さんけいの人「イヤ両方からあのさんの骸(からだ)を、引のばしたら、ツイ出られそふなもんじやあろぞい

現代語訳

弥次「あいたたたたた」

北八「弱い男だ。ちっと辛抱すればいい」

弥次「後ろの方から足を引いてくれろ」

北八「承知、承知」

と後ろへ廻り、両の足を捉えて、

「やあ、えんやさあ~、やあ、えんやさあ~」

弥次「あ痛、あ痛」

北八「ちっとこらえなせえ。よっぽど出かけたようだ。やあ、えんやさあ~、やあ、えんやさあ~」

弥次「ああ、待ってくれ、待ってくれ。腰骨が折れるようだ。こりゃ、やっぱり前の方から引き出してくれ」

と言うので、北八は、又前へ廻り、両手を捉えて引く。

北八「やあ、えんやさあ~、やあ、えんやさあ~。それ又こっちへよっぽど出てきた」

弥次「こりゃたまらぬ。あいたたたたた。北八これではいかん。初手のように、又後へ引き戻してくれ」

北八「ええぃ、色々なことを言う」

と又後ろから足を捉え

「やあ、えんやさあ~、やあ、えんやさあ~」

弥次「待て待て。こりゃ、どうでも前の方から引いてもらおう」

北八「ええっそんなに、前へ廻ったり、後ろへ廻ったり、引出しては引き戻し、いつまでも果てしがねえ。こりゃ、いい考えがある」

傍で見ていた参詣の人を頼んで、

北八「もし、どうぞ、こっちからおめえ引っ張って下さいませ。わしがあっちへ廻って足を引きずり出しますから」

弥次「馬鹿あ言うな。両方から引っ張っては出る所がねえ」

北八「出る所が無くても、両方から引っ張ると、前へ廻ったり、後ろへ廻ったりする世話が無くていいわな」

参詣の人「いや、両方からあのさん身体を引き延ばしたら、つい出られそうなもんじゃあろぞい」

語句

■瀬(せ)-ここでは、所とか場所などの意。

原文

北八「コリヤいいことがある。酢(す)を一升(しやう)も買(かつ)て来て、弥次さんおめへに呑(のま)せよふ

弥次「なぜ、酢(す)をのむとどふする

北八「ハテ酢をのむと痩(やせ)るといふことだから

さんけいの人「ハハハハハそないなこといふたてて、いんまの間にあふこつちやないさかい、こうさんせ。どこぞへいて槌借(つちかつ)てきさんして、つむりをあとのほうへ、打こまんしたがよいわいの

北八「なるほど、こいつがはやい理屈(りくつ)だ。しかしそれでは、いのちがあるめへ

さんけい「されば、そこはどふも請合(うけやは)れんわいの

ト此内田舎どうじや一人

「コリヤハアきのどくなこんだアのし。わしはハア遠国(をんごく)のもんだアから あにもしり申さねへが、ふとの難儀(なんぎ)さつせるこんだア、愚意(ぐゐ)のういつて見ますべいか

北八「どふぞ、あの人のたすかることがあるなら、いつてきかしてくんなせへ

どうじや「ハアそれだアからのこんだアよ。あんでもあのふとの足(あし)のさきさを切割(きりわら)つせへて、山椒粒(さんしやうつぶ)のうはさまつせへたら、ふとりでにつんぬけべいのし

北八「ハハハハハハそりや蛇(へび)が女に見こんだ時のことだろふ。どふせ、そんなことであろふとおもつた

さんけい「コリヤわしがちゑかそわいの。何じやあろと、あのさんの骸(からだ)を、和(やは)らかにして引出すがよかろさかい、こうさんせ。土砂(どしや)とて来てかけさんせいの

いなかもの「すんだら土砂のウぶつかけずと、一ばんの桶(おけ)さア買(かつ)てきなさろ。手足(てあし)をちとべしおんまげたら、はいるべいのし

弥次「エエいめへましいことをいふ。むだ所じやアねへ。北八はやくどふぞしてくれぬか

北八「まちなよ。ハハアおめへ脇差(わきざし)の鍔(つば)がよこつおあらへ、こだわつていてへのだ

ト手をさし入てひねくりまはし やうやうわきざしをぬいてとる

弥次「いかさま、これでどふかくつろぎがあるよふだ

現代語訳

北八「こりゃ、いいことがある。酢を一升も買って来て、弥次さん、おめえに飲ませよう」

弥次「なぜ、酢を飲むとどうなる」

北八「はて、酢を飲むと痩せるということだから」

参詣の人「ははははは、そないなこと言うたかて、いまの間に合うこっちゃないさかい、こうさんせ。どこぞへ行って、槌(つち)借(か)ってきさんして、頭を後ろの方へ、打込まんしたがよいわいの」

北八「なるほど。こいつが早い理屈だ。しかし、それでは命があるめえ」

参詣の人「されば、そこはどうも請け合われんわいの」

と田舎からの参詣者一人

「こりゃはあ気の毒なこんだあのし。わしははあ遠国の者だあから、何も知り申さねえが、人様の難儀さっせるこんだあ、つまらん意見のう言ってみますべいか」

北八「どうぞ、あの人の助かることがあるなら、言って聞かせてくんなせえ」

同者「はあ、それだあからのこんだあよ。何でも、あの人の足の先を切り割っせえて、山椒のう挟まっせえたら、一人でにつん抜けべいのし」

北八「はははははは、そりゃ蛇が女を狙った時のまじないじゃろう。どうせ、そんな事であろうと思った」

参詣の人「こりゃあ、わしが智恵貸そかいの。何じゃあろと、あのさんの身体を柔らかにして引き出すがよかろさかい、こうさんせ。土砂を取って来てかけさんせいの」

田舎者「それなら土砂のうぶっかけずと、一番大きな棺桶さあ買って来なさろ。手足をちとへし折り曲げたら、入るべいのし」

弥次「ええ、いまいましいことを言う。無駄口をたたいている場合じゃねえ。北八早くどうなとしてくれぬか」

北八「待ちなよ。ははあ、おめえ、脇差の鍔が横っ腹へつっかえて痛いのだ」

と手を差し入れてひねくり回し、ようよう脇差を抜いて取る。

弥次「ほう。これで少々身体の自由がききそうだ」

語句

■酢を-酢を飲むと、身体の骨がやわらかになるといい、又痩せるともいう。■愚意-「自分の意見」を謙遜していう語。■蛇が-蛇が陰門に入った時、蛇の尾を割って、山椒を入れると出るという。■土砂とて来て-真言宗で加持祈祷に用いる土砂を屍にかけること。その死体が硬くならないという。また床下の日光の当らぬ土ならよいといって、縁の下の土を取って、死体にふりかけることもあるという。■一ばんの桶(おけ)-もっとも大きな棺桶。二番、三番とある。■むだ-無駄口。冗談。■こだわつて-つかえて。■どふかくつろぎがあるよふだ-どうやら身体がゆっくりしてきたようだ。

原文

北八「ドレドレイヤときにどなたぞ、まへのほうからおし出して下さいませ。わしが足をもつて、こつちへ引出しますから。ヤアゑんさアヤアゑんさア

さんけいの人「サア出るわいの。まちつとじや、いけまんせ

弥次「アアウウウウウウ

北八「ハハハハハハ出るやつがいけむから大わらひだ

弥次「アアいてへいてへ

北八「しめたぞ。ゑんやアゑんやア。ソリヤ出たぞ出たぞ

トやうやうのことにて引出せば、弥次郎大あせをふきふき、ほつとためいきをつきながら

「ヤレヤレありがてへ。コリヤどなたも御苦労(ごくろう)でございやした。わつちやア伊勢(いせ)の泊(とまり)で、産(さん)をしやしたが、うむよりか生れる身は、よつぽどせつねへ。コレ着物(きもの)がすりきれて、あばら骨(ぼね)が今にぴりぴりする

傘(かさ)さして出るお鼻(はな)よりはしらなるあなおそろしや身をすぼめても

かくよみ興(けう)じて、大わらひとなり、それより御境内(けいだい)をめぐり、蓮華王院(れんげわういん)の三十三間堂にて

いやたかき五重(ごじう)の塔(とう)にくらべ見ん三十三間堂のながさを

是より、この御門前を北へさしてゆくに、往来殊(わうらいこと)に賑(にぎは)しく、げにも都(みやこ)の風俗(ふうぞく)は、男女ともにどことなく、柔和温順(にうわおんじゆん))にして、馬子荷歩持(まごにかちもち)までも、洗濯布子(せんだくぬのこ)の粘(のり)こはきを、おりめ高にきなして、あのおしやんすことわいなと、なまめきたあるもおかしく、ふたりは興(けう)に乗(じやう)じ、目に見るものごとにめづらしと、たどりゆくうち、俄(にはか)に往来騒(さはぎ)たちて、老若(ろうにやく)打まじり、はしりゆく人ごとに

「ホウホよいホウホよい、ゑつこらさつさ。ホウホよいホウホよい、ゑつこらさつさ

弥次「むしやうに人がかけるはなんだ。イヤ向ふに、何かあるそふで、すさまじい人だ。モシモシ、なんでございやすね

向ふより来る人「あこにゑらい、いさかひがあるわいの

北八「京のけんくはもめづらしかろふ

トあしばやに行て見るに、けんぶつ山のごとく、わうらいもならぬくらひなるに、ふたりは人をおしわけおしわけこれを見れば、かのけんくはの一人は、さかなやと見へて、そこにはんだいなどおろしてあり。あいてはしよく人ていのおとこ、いづれもくつきやうのわかものなり。

現代語訳

北八「どれどれ、いや、時にどなたぞ、前の方から押し出して下さいませ。わしが足を持って、こっちへ引出しますから。やあ、えんさあ~、やあ、えんさあ~」

参詣の人「さあ、出るわいの。まちっとじゃ、もうひと気張り」

弥次「ああ、う、ううう」

北八「はははははは、出る奴が力むから大笑いだ」

弥次「ああ、痛い痛い」

北八「しめたぞ。えにやあ~えんやあ~。そりゃ、出たぞ、出たぞ」

とやっとのことで引出すと、弥次郎は大汗を拭き拭き、ほっと溜息をつきながら、

「やれやれ、ありがてえ。こりゃ、どなたさまもご苦労でございやした。わっちらあ伊勢の泊で、お産をしやしたが、生むよりか生れる身はよっぽどせつねえ。ほれ、着物が擦り切れて、あばら骨が今にぴりぴりする」

傘(かさ)さして出るお鼻(はな)よりはしらなるあなおそろしや身をすぼめても

このように詠みふざけて大笑いになり、それより御境内を巡り、蓮華王院の三十三間堂で、又一首詠む。

いやたかき五重(ごじう)の塔(とう)にくらべ見ん三十三間堂のながさを

これより、この御門前を北を目指して行くが、往来は特に賑やかで、都の風俗は、男女ともにどことなく柔和温順である。馬子や荷運びの人夫までもが、糊のきいた洗濯布子を折り目高くきちんと着て、女を冷やかすと「何をおっしゃいますやら」と、艶めいてはぐらかすのも可笑しく、二人は楽しみながら、目に見るものごとに珍しいと、辿って行くうちに、突然往来が騒がしくなり、老いも若きも混じり合って走り行く人ごとに、掛け声が響く。

「ホウホよいホウホよい、ゑつこらさつさ。ホウホよいホウホよい、ゑつこらさつさ」

弥次「むやみに人が駆けるのは何だ。いや、向うに何かあるそうで、すさまじい人だ。もしもし、何でございやすね」

向うから来る人「あそこでひどい喧嘩が始まってるわいの」

北八「京の喧嘩は珍しかろう」

と足早に行って見ると、山のような見物の人だかり。往来も出来ないくらいの混雑なのに、二人が人を押し分け押し分けこれを見ると、その喧嘩の一人は魚屋と見えて、そこに番台などをおろしている。相手は職人体の男で、どちらも屈強な若者である。

語句

■いけまんせ-「いきむ」の訛。腹部に力を入れて気張る。出産のとき、妊婦が気張る時などにいう。■出るやつがいけむから-出産のときは妊婦が気張るが、ここは出る子供がりきむ様子に似るを、おかしがる。■伊勢の泊で、産をしやした-五編追加で、取上げ婆に、弥次郎兵衛が、産婦と間違えられた条のあるをいう。■傘(かさ)さして~-傘をさして大仏のお鼻から出るよりも、柱の穴の方が恐ろしい。身を窄(すぼ)めてもなかなか出られないので困った。「柱なる穴」に「「あな恐ろし」をかけた。「窄める」は傘の縁語。■蓮華王院-蓮華王院の本堂を俗に三十三間堂という。後白河帝の御建立で、一千一体の千手観音を安置する。実際の長さは六十四間五尺。■五重(ごじう)の塔(とう)-東寺の五重塔をさしたものであろう。五重の塔の高さと三十三間堂の長さとを比べてみようというのである。■荷歩持-荷物を運搬する人夫。■洗濯布子(せんだくぬのこ)の粘(のり)こはきを、おりめ高にきなして-古い布子でも洗濯してきれいで、糊を十分にして、折り目をしっかりつけ、諸事行儀のよいさま。■おしやんすことわいな-京の女性をからかったりすると、何気なくはぐらかす、愛嬌のある言葉。意は「何をおっしゃいますやら」。■ホウホよいホウホよい、ゑつこらさつさ-走る時のかけ声のつもり。■むしやうに-むやみに。■すさまじい人-ものすごい人だかり。■いさかひ-「喧嘩」を古風に言って、京都らしく見せたもの。■はんだい-番台。魚屋が鮮魚の振売りの時、魚を入れてかつぐ浅く広い盤。■くつきやう-屈強。勢い盛んで力の強い形容。

原文

されどみやこは、人の心もゆうちやうにして、けんくはととみゆれど、さのみあたまからたたきあひもせず、日あたりのよきところに、ふたり向ひ合て、

さかなや「コレイノ、わが身のほうから行あたりくさつて、そないなこといふもんじやないわい。おのれ のうてんたやいてこまそかい

あひてしよく人「おきくされ。こなんが手のうごくのに、こちやじつとしてゐやせんわい

トいひつつ手ぬぐひを、ていねいにおりて、はちまきをする

さかなや「よふおとがいならすわろじやな。いつたいわりや、どこのもんじやい

しよく人「おれかい。おりや堀(ほり)川姉(あね)が小路(こうぢ)さがるところじやはい

さかなや「名はなんといふぞい

しよく人「喜兵へといふわい

さかなや「としはいくつじや

しよく人「廿四じやわい

さかなや「おきくされ。おのれ廿四にしちやあゑらうわかい。うそつきくさるな

しよく人「何いふぞい。ほんまじやわい。前厄(まへやく)でことし嬶(かか)めを死(し)なしたわい

さかなや「ソリヤゑらいちからおとしおつたじやあろ。ゑいきみさらしたな

しよく人「イヤそればかりじやない。乳(ち)のみくさるがきめがあるさかい、ゑらいなんぎなめにあふたわい

さかなや「そじやあろわい。おりやわれにふたつうへじやわい

しよく人「そふぬかしくさりや、われもわかい。うちはどこじやぞい

さかなや「一条猪熊(いのくま)どふり、東へ入所じやはい

しよく人「かいやい。あこに盲(めくら)で目の見へん、寸伯(すんぱく)といふ針医(はりゐ)があろがな

さかなや「ヲヲ針医がありやどふすりや

しよく人「イヤこちの一家(いつけ)じやさかい、おのれ遁(いに)くさるなら言伝(ことづて)してこまそ

さかなや「いやじやわい。なんのわれが言伝、たれがい(言)をぞい。ゑらいあほうめじやな

現代語訳

しかし。都は人の心も悠長で、喧嘩はと見るが、それほど最初から殴り合いもせず、日当たりのいい所に、二人向かい合って、

魚屋「これいの、わが身のほうから突き当たりくさって、そないなこと言うもんじゃないわい。おのれ、脳天叩いてやろうかい」

相手職人「おきくされ。お前の手が動くのに、こちかてじっとしていやせんわい」

と言いつつ手拭いを丁寧に折って鉢巻をする。

魚屋「よくしゃべる野郎だ。いったい、わりゃ、何処の者じゃい」

職人「俺か。俺は堀川姉が小路下がる所じゃわい」

魚屋「名はなんというぞい」

職人「嘉兵衛というわい」

魚屋「年はいくつじゃ」

職人「二十四じゃわい」

魚屋「おきくされ、おのれ二十四にしちゃあえろう若い。嘘つきくさるな」

職人「何言うぞい。ほんまじゃわい。前厄で今年嬶めを死なしたわい」

魚屋「そりゃあ、えらい力落としおったじゃあろ。えい気味さらしたな」

職人「いや、そればかりじゃない。乳飲みくさる餓鬼があるさかい、えらい難儀な目に遭うたわい」

魚屋「そじゃあろわい。おりゃ、我より二つ上じゃわい」

職人「そう抜かしくさりゃ、我も若い。家はどこじゃぞい」

魚屋「一条猪熊通り、東へ入った所じゃわい」

職人「そうかい。あそこに盲で目の見えん、寸伯という針医があろがな」

魚屋「おお、針医がありゃどうするんじゃ」

職人「いや、こちらの親戚じゃさかい、おのれそこへ戻りくさるなら、言伝してこまそ」

魚屋「嫌じゃわいの。何の我が言伝、誰が言をぞい。えらい阿保めじゃな」

語句

■さのみ-それほど。さほど。■あたまから-初めから。最初から。■わが身-二人称で、目下の者に使用。■のうてん-脳天。頭のてっぺん。■たやいてこまそかい-打ち欠いでしまうの意か。■手ぬぐひを、ていねいに折りて-江戸のねじり鉢巻に比べ、武士の仇討のように行儀のよいのが滑稽。■おとがい-顎。■よふおとがいならすわろじやな-よくしゃべる野郎だ。■堀川姉が小路-今の中京区姉東堀川町あたり。「姉が小路」は。三丈通りに並行し、その北を東西に通ずる道。■前厄(まへやく)-厄年の前の年。十九・二十五・三十三・四十二を厄年という。■ゑいきみさらしたな-よい気味な目にあいおった。悔み事を言ったり罵ったりしているおかしさ。■がき-自分または他人の子供を、おとしめていう語。■一条猪熊(いのくま)どふり-一条は横の通り、「猪熊通」は堀川より更に西の縦の通り。■かいやい-「そうか」とうけ答える語。■寸伯-女性の下腹部の痛む病をいう。病名を医者の名とした滑稽。■一家-親戚のこと。

原文

けんぶつの人あくびしながら

「十兵衛さん、もふいのかい

十兵へ「またんせ。今に打あふじやあろ

見物「イヤわしやうちに、客(きやく)ほつておいてきたさかい

十兵へ「そしたらそのお客つれてごんせ。序(ついで)にうすべりなと一まいくさんせんかい

又こちらのほうにいる見物、のき下につくばひ、ひげをぬきぬき

「見なされ。あつちやのわろが、どしてもゑらいやつじやわいな

見物「イヤこつちやのおとこも、ゑらい頤(おとがひ)じやはい

見物「ホンニその頤(おとがひ)でおもひ出した。お家(いへ)はどふじやいな。痛所(いたみしよ)はゑいかいな

見物「ハイおかたじけなふござります。とんとゑいよふであつたがな。きのふからゑらうわるなつて、ツイゆふべ、しにましたわいな

見物「ソリヤおまい御愁傷(しうしやう)じやあろ。御葬礼(そうれい)はいつじやいな

見物「今出しおりますとこじやあつたが、ゑらいけんくはがあると、人がはしるさかい、わしもツイいて、見てもどるほどに、それまでまてといふて、またしておきましたはいの

トおのおのきのながいものばかり、ゆふゆふと見物していると、かのしよく人のおとこ

「コリヤヤイ、まちつとこつちやへよりくされ。日向(ひなた)がなふなって、さむなつたさかい

さかなや「ヲヲよつたがどふすりや

しよく人「おのれ今、おれがことをあほうとぬかしおつたが、なんでおれがあほうじやぞい

さかなや「あほうじやさかい、あほうじやわい

しよく人「なにぬかしくさる。そふいふわれがあほうじやわい

さかなや「イヤこちやあほうじやない。賢(かしこ)じやわい

しよく人「われがかしこなりや、おれもかしこいわい

現代語訳

見物の人、欠伸をしながら、

「十兵衛さん、もう帰ろかい」

十兵衛「待たんせ。今に打ちあうじゃあろ」

見物「いや、わしは家に、客をほっておいて来たさかい」

十兵衛「そしたらそのお客を連れてごんせ。ついでに薄べりなと一枚くれんかい」

又こちらの方にいる見物人、軒下にしゃがみこんで、髭を抜き抜き

「見なされ。あっちゃのわろが、どしてもえらい奴じゃわいな」

見物「いや、こっちゃの男も、えらい口達者や」

見物「ほんに、その口達者で思い出した。お家はん(奥さん)はどうじゃいな。痛みはとれたかいな」

見物「はい、おかたじけのうございます。とんといいようであったがな、昨日からえろう悪うなって、つい昨夜、死にましたわいな」

見物「そりゃおまい御愁傷じゃあろ。御葬礼はいつじゃいな」

見物「今出しおりますとこじゃあったが、えらい喧嘩があると、人が走るさかい、わしもつい行て見て戻るから、それまでは待てと言うて、待たせておきましたわいの」

とそれぞれ、気の長い者ばかり、悠々と見物してると、かの職人の男、

「こりゃ、やい、まちっとこっちゃへ寄りくされ。日向(ひなた)が無うなって、寒なったさかい」

魚屋「おお、寄ったが、どうするんじゃ」

職人「おのれ今、俺がことを阿呆と抜かしおったが、なんで俺が阿呆じゃぞい」

魚屋「阿呆じゃさかい、阿呆じゃわい」

職人「なに、抜かしくさる。そう言う我が阿呆じゃわい」

職人「我が賢(かしこ)なりゃ、俺も賢いわい」

語句

■うすべり- 布の縁をつけたござ。薄縁畳。■くさんせんかい-よこしてくれないか。■お家-人の妻をさしていう語。『物類呼称』に「つま・・・京にて他の妻を、お内儀さんと呼ぶ、大阪にて、おゐさんとよぶ、お家さま也」。「頤でおもひ出した」とは、おしゃべりの女房であったとみえる。■ゆふゆふと-悠々と。               

原文

しよく人「サアひよつとたがひにせりあふて、着物(きりもん)でもひきさいたら損(そん)じやさかい、やめにしてこまそかい

さかなや「ゑらふおそなつた。もふい(帰)んでこまそ                                                   

しよく人「おれも、われがいにくさる道じやほどに、つれだつていんでくりよわい

トたがひにあいさつしてこのふたりつれだちてかへる。けんぶつもこそこそと、ちりぢりにみなかへりければ、弥次郎北八、はらをかかへて

弥次「ハハハハハハなるほど、かみがたものは気がながい。あんなうすのろいけんくはが、どこにあるもんだ

北八「あのなかで損徳(そんとく)をかんがへて、やめにしたから大わらひだ

公家衆(くげしう)のゐます都(みやこ)はおのづから喧嘩(けんくは)やめるもうたとよみけり

かくうち興(けう)じ、はやくも清水坂(きよみづざか)にいたるに、両側(りやうがは)の茶屋 軒(のき)ごとにあふぎたつる、田楽(でんがく)の団扇(うちわ)の音喧(かまび)すきまで、呼たつる声々(こへごへ

「モシナおはいりなされ。茶(ちや)ちやあがつてお出んかいな「めいぶつ、なんばうどん、あがらんかいな。おやすみなされおやすみなされ

弥次「何ぞくつてもいいが、もつとさきへいつてからのことにしよふ

トほどなく清水寺にいたり、けいだいをめぐり、をとはの滝を見て

名にしおふ音羽(おとは)の滝(たき)のあるゆへ歟(か)のぼりつめたる清玄(せいげん)の恋(こひ)

本堂は十一面千手観世音(めんせんじゆくはんぜをん)なり。むかし沙門延鎮(しやもんえんちん)が夢(む)中にえたる霊像(れいぞう)にして、坂の上田村丸の建立(こんりう)とぞ。北八弥次郎兵衛、しばらく此宝前(ほうぜん)に休みながら

境内(けいだい)にうへしさくらはすき間なくてもたくさんな千手くはんおん

傍(かたはら)の小だかき所に、机(つくえ)をひかへたる老僧(らうそう)、参詣(さんけい)を見かけて

「当山(とうざん)観世音の御影(みゑい)はこれから出ますぞ。誠(まこと)に霊験(れいげん)あらたなる事は、盲(めくら)がものいひ、唖(おし)の耳がきこへ、あるいて来た、いざりがなをる。一たび拝(はい)する輩(ともがら)は、いかなる無病達者(むびやうたつしや)なりとも、たちまち西方極楽浄土(ごくらくじやうど)へ、すくひとらんとの御誓願(せいぐはん)じや。どなたもいただいておかへりなされ。冥加銭(めうがせん)は沢山(たくさん)にお心もちしだい。御信心(しんじん)のかたはござりませぬかな

現代語訳

魚屋「おお、我も賢いか。そしたらこの喧嘩、止めにしょうわい」

職人「さあ、ひょっと互いに喧嘩して着物でも引き裂いたら損じゃさかい。止めにしてこまそかい」

魚屋「えろう遅くなった。もう帰ろうかい」

職人「俺も、我が帰りくさる道じゃほどに、連れだって帰ってくりょわい」

と互いに挨拶をしてこの二人連れだって帰る。見物人もこそこそと、散り散りに皆帰ってしまったので、弥次郎北八、腹を抱えて、

弥次「はははははは、なるほど、上方の者は気が長い。あんな生温い喧嘩がどこにあるもんだ」

北八「あの中で損得考えて、止めにしたから大笑いだ」

公家衆(くげしう)のゐます都(みやこ)はおのづから喧嘩(けんくは)やめるもうたとよみけり

このように笑い興じて進むうち、早くも清水坂に着いたが、両側の茶屋が軒ごとに、扇ぎたてる田楽のうまそうな匂い、喧しいまでの客寄せの声々。

茶屋「おはいりなされ。茶々あがってお出(いで)んかいな」

茶屋「名物難波うどん、あがらんかいな。お休みなされ、お休みなされ」

弥次「何ぞ食ってもいいが、もっと先へ行ってからのことにしよう」

とほどなく清水寺に着き、境内を巡り、音羽の滝を見て、

名にしおふ音羽(おとは)の滝(たき)のあるゆへ歟(か)のぼりつめたる清玄(せいげん)の恋(こひ)

本堂は十一面千手観世音である。むかし僧延鎮が夢で見た霊像で、坂の上田村麻呂が建立したものと伝えられる。しばらく御仏前で休みながら、

境内(けいだい)にうへしさくらはすき間なくてもたくさんな千手くはんおん

傍らの小高い所に、机を置いて老僧が、参詣人に宣伝している。

僧「当山観世音の御影お札は、こちらでお受け下さい。誠に霊験あらたかなることは、盲が物を言い、唖の耳が聞こえ、歩いてきた躄(いざり)が治ること間違いなし。一度参拝する人たちは、どんな無病息災であっても、たちまち西方極楽浄土へ、救いとらんとの御誓願じゃ。どなたもいただいてお帰りなされ。冥加銭は沢山にお心しだい。御信心の方はござりませぬかな」

語句

■着物(きりもん)-「きもの」の上方語。■うすのろい-ここは、のろいの意。間の抜けた。生ぬるい。■損徳をかんがへて-上方者は勘定高いということを、表したもの。■うたとよみ-「歌と読」は歌かるたと読かるたとは、意味は似ていても非なるものだ。都は喧嘩をやめるのも勘定ずくだの意。それに「公家衆」と「うたとよみ」を縁語にしてあやどったもの■清水坂-東山清水寺参詣の坂道(今、京都市東山区)。五条の橋を渡って東行、東山にかかった辺からをいう。古来賑わしい所。■田楽-豆腐田楽。■なんばうどん-南蛮煮のうどん。南蛮煮は、野菜・魚・鳥肉など、すべて油で煮たものをいう。また「なんば」とは葱(ねぎ)のことで、葱を入れたうどんという説がある。■清水寺-東山五条坂にある。音羽山清水寺。延歴二十四年坂上田村磨建立。■をとはの滝-清水寺の奥の院の下にある滝。■名にしおふ~-清水寺の僧清玄が桜姫に恋して、音羽の滝の前で桜姫を口説くという話。「制限の恋」に「鯉」をかけ、恋にのぼせ上がる意と鯉が滝登りをする意とをかけた。■沙門-僧侶の事。もとは梵語で動息・止息と訳す。■延鎮-清水寺第一代の僧。坂上田村磨が蝦夷征伐の時祈祷して効験があったという。■坂の上田村丸-苅田麻呂の子。桓武・平城・嵯峨の三朝に歴任し、征夷大将軍として大功があった。■宝前-神仏の御前。■境内に~-「てもたくさんな」は、先手観音の手がたくさんある意と、境内の桜樹が、とてもたくさんある意とをかけた。■御影はこれから出ますぞ-千手観音の像を描きまたは印刷した掛け軸のごときものを売っている。■あらた-あらたか。顕著。■盲がものいひ~-目・口・耳・足の支障を、みなちぐはぐにいう滑稽。■無病達者なりとも~-元気なものが極楽へ行くとは。これも反対。■冥加銭(めうがせん)-冥利を祈って神仏に供える銭。「沢山にお心もちしだい」もちぐはぐの滑稽。

原文

北八「よくしゃべる坊主(ぼうず)めだ。時に弥次さん、かのうはさにきいた、傘(からかさ)をさしてとぶといふは、此舞台(ぶたい)からだな

僧「むかしから当寺(とうじ)へ立願(りうぐはん)のかたは、仏(ほとけ)に誓(ちか)ふて、是から下へ飛れるが、怪我(けが)せんのが、有がたい所じやわいな

弥次「爰からとんだら、からだがみぢんになるだろう

北八「おりおりは、とぶ人がありやすかね

「さよじゃわいな。ゑては気のふれたわろ達が来て、とびおりるがな。此間も若い女中が、とばれたわいな

北八「ハアとんでどふしやした

僧「とんでおちたわいな

北八「おちてそれからどふしたね

僧「ハテ 根(ね)どいするわろじや。此女中は罪障(ざいしやう)が深(ふか)いさかい、仏の罰(ばち)で、目をまはしたわいな

北八「鼻(はな)はまはさなんだかね

僧「イヤ瘡(かさ)と見へて、鼻はなかつたわいな

北八「そして、気がつきやしたか

僧「きがついていんだわいな

北八「いんでどふしたね

僧「さてさて、しつこい人じや。それをきいて何さんすぞい

北八「イヤわつちがくせとして、聞かけた事は、金輪際(こんりんざい)きいてしまはねば、気がすまぬといふもんだから

僧「それなりやいふてきかそかい。それからその女中が全体(ぜんたい)其した地もあつたかして、俄(にはか)に気が違(ちが)ふたわいの

北八「ハテナ、きがちがつてどふしたね

僧「百万遍(べん)をはじめたわいの

北八「百万遍はじめて、どふしやした

僧「かねを叩(たたい)て

北八「かねをたたいてどふしたね

僧「なみあみだぶつ

現代語訳

北八「よくしゃべる坊主めだ。ところで弥次さん、あの噂に聞いた、傘をさして飛ぶというのは、この舞台からだな」

僧「昔から当寺へ祈願される方は、仏に誓って、ここから下へ飛ばれるが、怪我せんのがありがたい所じゃわいな」

弥次「ここから飛んだら、身体が微塵になるだろう」

北八「時には、飛ぶ人がありやすかね」

僧「さよじゃわいな。時折気のふれた者たちが来て、飛び降りるがな。この間も若いお女中が、飛ばれたわいな」

北八「はあ、飛んでどうしやした」

僧「飛んで落ちたわいな」

北八「落ちてそれからどうしやした」

僧「はて、しつこく聞く人じゃ。このお女中は罪過が深(ふか)いさかい、仏の罰が当たって気絶したわいな」

北八「鼻は廻さなんだかね」

僧「いや、瘡と見えて、鼻はなかったわいな」

北八「そして、気がつきやしたか」

僧「気がついて行ってしもうたわいな」

北八「行ってしもうてどうしたね」

僧「さてさて、しっこい人じゃ。それを聞いて何さんすぞい」

北八「いや、わっちが癖で、聞きかけた事は、最後まで聞いてしまわねば気が済まぬ性分だから」

僧「そんなら言うて聞かそかい。それから、その女中がもともとそうした地もあったようで、突然気が狂うたわいの」

北八「はてな、気が違ってどうしたね」

僧「百万遍を始めたわいの」

北八「百万遍始めて、どうしやした」

僧「鉦を叩いて」

北八「鉦を叩いてどうしたね」

僧「南無阿弥陀仏」

語句

■傘(からかさ)~-本殿の前が、世に有名な清水の舞台で、絵空事ながら、傘を持って飛び降りる図がよく描かれている。もちろん俗説によるものである。(『思斎漫録』に実話としての噂話も見える)。■ゑては-えてして。時折。■根どい-次々と根まで、深く事情などを聞くこと。■罪障(ざいしやう)が深(ふか)い-罪過が深くて、善果を得難い程であること。■目をまはした-気絶した。以下ふざけた問答が続く。■金輪際(こんりんざい)-仏説に、水面から八万由旬の下に、厚さ三億二万由旬の金輪がある。その金輪のある所をいう。転じて、底の底までとか、どうしても動かぬなどの形容に使う。■其した地-精神錯乱の気。■百万遍-弥陀の名号を、百万遍唱える行。百万に達すると往生安楽を得るという(伽才浄土崘)。

原文

北八「それからどふだね

僧「なむあみだぶつ

北八「コレサ百万遍のあとは、どふしやした

僧「なむあみだぶつ

北八「そのあとはよ

僧「ハテせわしない。百万べんじやわいの。マア念仏(ねんぶつ)すましてからのこといの

北八「エエ其念仏、百万べんすむまでまつてゐるのか。とほうもねへ

僧「イヤこなさん、聞かけたことは、根(ね)ほり葉(は)ほりきかんせにやならんと、いふたじやないかい。まちと辛抱(しんぼう)してきかんせいな。退屈(たいくつ)なりや、こなさんたちも百万遍手伝(てつだ)ふて下んせ

北八「こりやおもしろかろう。弥次さん、おめへもこけへかけなせへ。サアサア、なむあみだぶつ

僧「とてものことに、鉦(かね)いれてやろわいな

トむしやうにかねをうちならし

ハアなまいだア、チヤンチヤン

北八「コリヤごうてきにおもしろくなつた。なまだアなまだア

僧「わしや手水(てうず)してくるうち、たのみます

ト北八にかねをつきつけ、どこへやらいつてしもふ。北八はむちうになり

「ハアなまだア。チヤンチヤンチキチチヤンチキチヤン

弥次「手めへ、鉦のたたきやうが下手(へた)だ。こつちへよこせ

北八「ナニ如才(じよさい)があるもんか。チヤンチヤンなまだアチヤンチヤンチヤンチヤン

トむちうにたたきたてさはぐゆへ、内陣の番僧出来り、このていを見てきもをつぶし

ばん僧「コレナコレナ、わごりよたちはどしたもんじやぞい。勧化所(くはんげじよ)にあがつて無作法(ぶさほう)な

トしかられてふたりは心づききよろきよろして

現代語訳

北八「それからどうしたね」

僧「南無阿弥陀仏」

北八「これさ、百万遍のあとはどうしやした」

僧「南無阿弥陀仏」

北八「その後はよ」

僧「はて、忙しいのう。百万遍じゃわいの。まあ、念仏済ませてからのこといの」

北八「ええ、その念仏が百万遍済むまで待っているのか。途方もねえ」

僧「いや、こなさん、聞きかけたことは根掘り葉掘り聞かんせにゃならんと、言うたじゃないかい。まちっと辛抱して聞かんせいな。退屈なりゃ、こなさんたちも百万遍手伝ってくだんせ」

北八「こりゃあ面白かろう。弥次さん、おめえも此処へ掛けなせえ。さあさあ、南無阿弥陀仏」

僧「せっかくの勉強やさかい、鉦入れてやろわいな」

とむしょうに鉦を打ち鳴らし

僧「はあ、なまいだあ~ちゃんちゃん」

北八「こりゃあ、ごうてきに面白くなった。なまだあ~なまだあ~」

僧「わしが手水してくる間、頼みます」

と北八に鉦を押し付け、何処へやら行ってしまう。北八は夢中になり、

「はあ、なまだあ~。ちゃんちゃんちきちちゃんちきちゃん」

弥次「てめえ、鉦の叩き方が下手だ。こっちへ寄こせ」

北八「なに、抜かりがあるもんか。ちゃんちゃん、なまだあ~ちゃんちゃんちゃんちゃん」

と夢中になって叩きたて騒ぐので、内陣の番僧が何事かと様子を見にやって来る。番僧この様子を見て驚き、

番僧「これなこれな、わごりょ達はどしたもんじゃぞい。勧化所に上って無作法な

と叱られて二人は気づき、きょろきょろして

語句

■根(ね)ほり葉(は)ほり-末から末まで。いわゆる根問いすること。■手水する大小便をする事。■如才があるもんか手抜かりがあるもんか。■内陣-仏殿や神社の拝殿などで、本体を安置している部分。外陣とて一般参詣者の立入る外側と別になっている。■番僧-交替に内陣に詰めている僧。■わごりょ-ちょっと丁寧な二人称。僧侶らしい物言い。■勧化-勧化はもともと大衆を教導すること。転じて、その代償として、寄謝を受けること。勧化所は、寺院で尊像とかお札などを分け与えて、金銭を納めさせる所。

原文

北八「ハア今の坊(ぼう)様はどけへいつた。まだ中回向(なかゑかう)もすまぬうち

番僧「ナニたはこといふのじや。爰をどこじやとおもふてじやぞい

北八「ハイ、ここは清水、あつもりさんの墓所(はかしよ)とけつかる

番僧「コリヤおのれ、気が間違(まちが)ふておると見へる

北八「気ちがひゆへに此百万遍

番僧「ナニぬかしくさるやら。とつとと出ていなんかい。ここは御祈願(ごきぐはん)所じやぞ

トこはだかにいふうち、かつてより、ぼうつきて出、おひはらふに、二人はそうそう、この坂をおりたて

北八「づくにうめが、とんだめにあはした

舞台からとんだはなしは清水にひやかされたる身こそくやしき

此山内をくだりゆくさきに、清水焼(やき)の陶造(すへものづくり)、軒をならべて、往来の足をとどむ。此所の名物なり

天道(てんどう)の恵(めぐ)みもあらんすへもの師大日(だいにち)山の土(つち)を製(せい)せば

かくて其日も、はや七ツ頃おぼしければ、いそぎ三条(でう)に宿(やど)をとらんと、道をはやめ行向ふより、小便担(せうべんたご)と、大根(こん)を荷(にな)ひたる男「大こん小便しよしよ

北八「ハハハハハハ唐茄子(とうなす)が笛(ふえ)をふいた見世ものは見たが、大こんの小便するのは、ついど見た事がねへ

弥次「あれがかの、大根と小便と、とつけへにするのだろう

こへとり「おつきな大こんと、小便しよしよ

トよんでゆくこなたより、おちうげんらしきしみたれのおとこがふたり

「コリヤコリヤ、わしらふたりがここで小べんしてやろが、その大根三本、おくさんかいな

こへとり「マアこち来てして見さんせ

現代語訳

北八「はあ、今の坊様は何処へ行った。まだ中回向も済まぬのに」

番僧「なに、戯言言うのじゃ。ここをどこじゃと思うてじゃぞい」

北八「はい、ここは音羽山清水寺、敦盛(あつもり)さんの墓所でやあがる」

番僧「こりゃ、おのれ、気が違っとると見える」

北八「気違いだからこの百万遍」

番僧「何を抜かしくさるやら。とっとと出ていなんかい。ここは御祈願所じゃぞ」

と声高にどなられた挙句、勝手から、棒を握った坊主が出てきて追い払うので二人は早々にこの坂を逃げ下る。

北八「ずくにゅうめが、とんだ目にあわせおった」

舞台からとんだはなしは清水にひやかされたる身こそくやしき

そうこうして山を下っていく先に、清水焼の店が軒を連ねて、往来の足を留める。ここの名物である。

天道(てんどう)の恵(めぐ)みもあらんすへもの師大日(だいにち)山の土(つち)を製(せい)せば

こうしてその日も、早や午後四時頃になると思われたので、急いで三条に宿をとろうと、足を速めて歩いて行く。と向うから小便担(せうべんたご)と、大根(こん)を荷った男がやって来る。

男「大根小便しょ、大根小便しょ」

北八「はははははは、唐茄子が笛吹いた見世物は見たが、大根が小便するのは、ついぞ見た事がねえ」

弥次「あれがかの、百姓が大根と小便を取替にするんだろう」

肥取「大きな大根と、小便しょしょ」

と声を掛けていくこちら側から、お中間らしいしみったれた人相の男二人が行き違い、

中間「こりゃ、こりゃ。わし等二人がここで小便してやろが、その大根三本おくれでないか」

肥取「まあ、こち来てしてみさんせ」

語句

■中回向-民間でたくさんの人が、大きな数珠を回し繰って百万遍と称する仏事をいとなむ事があるが、その時、中間で休憩することをいう。この二人は百万遍と聞き、念仏を唱えている間は、場所柄を忘れ、この場合の気分にすっかりなっていたのである。しかく■たはこと-ばかげたこと。■あつもりさんの墓所-『小唄のちまた』に「爰はどこじゃとなア、船頭衆に問へば、爰は須磨の浦敦盛さんの墓所トコセ」というのがある。当時流行した歌であったらしい。また敦盛を討った熊谷直実は無常を感じて出家し、蓮生坊となって、東山に分け入り、敦盛の許嫁の玉織姫の出家姿にあったという話があるので、「ここは清水」と洒落たのであろう。■づくにう-木兎入道の略。坊主を罵って言う語。

■舞台から~- 「清水の舞台から飛んだと思って」の諺により、「とんだ」(ここは「けしからぬ」の意)の序。「ひやかされ」は、偽の御影売りに馬鹿にされたことで、「清水にひや(冷)かす」とかかる。一首は、舞台から飛ぶ清水寺で、けしからぬ話で馬鹿にされてくやしいことよの意。■清水焼-五条坂一帯で製し売った焼物。染付の美しいもので、実用品と共に、名工も多く出た。■大日山-安井観勝寺領、粟田口にある山。「大日如来」と「天道」の縁。一首は、大日山の土で製する焼物だけにさぞ天道の恵みもあって、よくできようの意。■七ツ-午後四時ごろ。■三条-京都市中京区。京の中心地で旅宿も多かった。■小便担-しょうべんたご。小便を運ぶ桶。■しよしよ-「為(せ)ん為ん」で、ここでは大根と小便を取替えんの意。当時実際に小便と野菜を取替えていた。■唐茄子-かぼちゃの類の総称。この見世物は未詳。■ちうげん-中間。公家や武家屋敷の下級召使。■しみたれのおとこ-見すぼらしい様子の男。■おくさんかいな-おくれでないか。

原文

ト此所の辻子(づし)へふたりをつれてゆく。辻子は江戸でいふ新道也。弥次郎北八、これを見て、どふするのだしらんと、あとよりついてゆき、立どまり見れば

こへとり「サアやらんせんかいな

ト小べんたごをおろしなをすと、一人の男

「アリヤわしさきやろわい

トこのたごのうちへ、ふたりながら小べんしてしもふと、こへとりたごをかたげ見て

「もふ是限(これぎり)で出んのかいな

中間「うちどめに屁(へ)が出たから、もふ小便はそれぎりじやわいな

こへとり「コリヤあかんわい。、ま一度よふ骸(からだ)をふつて見やんせ

中間「ハテ小便くすねておいて何せうぞい。ありたけしたんで、のけたわいな

こへとり「それじや大こん三本は、よふやれんわいな。二本もてかんせ

中間「コレ小便はすくなふても、こちとらがのは、しろものがゑいわい。よその茶粥(ちやがゆ)ばかり、喰(く)ておるのとはちがふて、こちや肉(にく)ばかり、くておるがな

こへとり「それじやてて、あんまりじやわいな

中間「ハテやかましういはんすな。うちへもていんで水まぜりや、三升ばかりにはなろぞいな。はやう三本くさんせくさんせ

こへとり「そないにくせくせといふたてて、これでくさるもんじやないわいな。そこらへいて、ちやなとのんで来て、まちつとやらんせやらんせ

トやつつかへしついふているを、ふたりはおかしく、見てゐたりしが

きた八「モシモシ、さいわいわつちが小便したくなつたから、不躾(ぶしつけ)ながら、おめへがたに上ゲやせう。これをたして、大根三本とりなせへ

中間「お心ざしは、おかたじけなふござりますが、それじやおきのどくさまじやわいな

北八「ハテいいわな。どふせ、わつちもありあはせたもんだから、あまり軽少(けいせう)なれど

中間「さよなら、お小便いただきましよかいな

トせうべんたごを北八のまへへもつて来りなをす

現代語訳

と二人を辻子に引っ張って行く。辻子は江戸で言う新道の事である。弥次郎北八、これを見て、どうするのだろうと後からついて行き、立ち止まって見ると

肥取「さあ、やらんせんかいな」

と小便担を降ろし直すと、一人の男

「ありゃ、わしが先やろわい」

とこの担の中へ、二人とも小便してしまうと、肥取担を傾けて見て、

「もうこれっきりで出んのかいな」

中間「打ち止めに屁が出たから、もう小便はそれきりじゃわいな」

肥取「こりゃあかんわい。ま一度よう身体を振って見やんせ」

中間「はて、小便をごまかしておいて何しょうぞい。もう小便はそれきりじゃわいな」

肥取「それじゃあ大根三本は、ようやれんわいな。二本持てかんせ」

中間「これ、小便は少のうても、こちとらがのは、代物が良いわい。よその茶粥ばかり喰ておるのとは違うて、こちゃ肉ばかり喰ておるがな」

肥取「それじゃとて、あんまりじゃわいな」

中間「はて、やかましゅう言わんすな。家へ持て帰って水を混ぜりゃ、三升ばかりにはなろぞいな。早う三本寄こせ寄こせ」

と互いに応酬しながら言い合っているのを、二人は可笑しく見ていたが、

北八「もしもし、さいわいわつちが小便したくなったから、不躾ながら、おめえがたにあげやしょう。これを足して、大根三本取りなせえ」

中間「お心ざしは、おかたじけのうござりますが、それじゃあお気の毒様じゃわいな」

北八「はて、いいわな。どうせ、わっちも有り合わせたもんだから、少なくはありますが」

中間「それなら、お小便をいただきましょかいな」

と小便坦を北八の前へ持って来て置き直す。

語句

■辻子(づし)-京都で、通り筋から入る小路の称。縦の通りにも横の通りにもある。■新道-大通りから入り込んだ道で、地主の私道(横丁は公道)。■こへとりかご-肥取り。糞尿を集める男。■かたげ-傾けて。■くすねて-こっそりかくす。ごまかす。■したんで-しずくを残らず出す。■しろもの-代物。ここは品質をいう。■茶粥-茶を煎じた中で作った粥。上方の町家は、多く朝食にした。特に京の茶粥は有名である。中間は、町家ではないので肉食をしていることを誇っている。■あんまりじゃ-あまり少ないの意。■くさんせくさんせ-よこせよこせ。■やつつかへしつ-たがいに応酬しながら。■軽少(けいせう)なれど-人に物を与える時の挨拶の語。

原文

北八「イヤイヤやつぱりそれにおきなせへ。わつちがのは、二間づつ向ふへはしります

こへとり「コリヤきよといきよとい。イヤおまいのは地(ぢ)ではないわい。とかく小便は関東(くはんとう)がよござります。地のはうすふてねうちがない

北八「もちつと早(はや)いと、まだ出たものを。わつちは生(うま)れついて小便ちかいから、不断(ふだん)小便桶(たご)を、首(くび)にかけてあるいた男さ

中間「そりやおうらやましいこつちや

こへとり「さよならおまい、此たごを首にかけておいでんかいな。わしやどこまでもお供(とも)していこわいな

北八「イヤちかごろは、そのよふにもねへのさ

こへとり「おつれさまもあるそふじや。モシおまいもついでに、手水(てうず)してお出んかいな

弥次「イヤわしは前かたは、いちどきに小便の壱斗や二斗するぶんは、ねから苦(く)にもおもはなんだものだが、どふしたことやら、きんねんは小用(せうよう)づまりで、さつぱり出ぬには、こまりはてる

こへとり「ハア小用づまりなら、ゑいことがあるわいな。いつきによふなるこつちや

弥次「どふするとよくなるの

こへとり「アノ酒屋などで、酒の樽(たる)の呑(のみ)口から、おもふやうに、酒の出んことがあるもんじやわいな。そないなときは、樽のうへのほうへ、錐(きり)もみして穴(あな)あけると、じきに下から、シウシウと酒がはしるものじやさかい、おまいの小用のつまらんしたのも、額(ひたひ)ぐちへ錐(きり)もみさんしたら、すぐに小用が通(つうじ)るじやあろぞいな

北八「ハハハハハハこいつはできた。時にあそくなつた。サアいきやせう

トふたりは引わかれゆく。むかふのかたより、かつぎをきたる女の二三人づれ、さすがみやこ女郎のふうぞくしなやかにて、いづれもいろしろく、すきとふるばかりのしろもの。北八うつつをぬかして、

「ヒヤアヒヤアいきた女がくる。きれいきれい

弥次「じやうだんな女どもだ。みんな着物をかぶつてくるは

北八「あれが被(かつぎ)といふものだの。アノうつくしいやつと、おれがものをいつて見せよふか

トやがてかの女中のそばへはしり行て、

現代語訳

北八「いやいや、やっぱりそれへ置きなせえ。わっちがのは、二間ずつ向うへ飛びやす」

肥取「こりゃ、すごいすごい。いや、おまいのは京都のものではないわい。とかく小便は関東のものがよござります。京都のは薄くて値打ちが無いわいの」

北八「もちっと早いと、まだ出たものを。わっちは生れついて小便が近いから、不断小便桶を、首にかけて歩いた男さ」

中間「そりゃ、おうらやましいこっちゃ」

肥取「それならおまい、この桶(たご)を首にかけておいでんかいな。わしゃ何処までもお供して行こわいな」

北八「いや、近頃は、その様にもねえのさ」

肥取「お連れ様もあるそうじゃ。もし、おまいもついでに手水してお出でんかいな」

弥次「いや、わしは以前は一時に小便の一斗や二斗する分は、まったく苦にも思わなんだものだが、どうしたことやら、近年は小便詰まりで、さっぱり出ぬには困り果てる」

肥取「はあ、小便詰りなら、いいことがあるわいな。直に良くなるこっちゃ」

弥次「どうすると良くなるの」

肥取「あの、酒屋などで、酒の樽の飲み口から思うように酒の出んことがあるもんじゃわいな。そないな時は、樽の上の方へ、錐もみして穴を開けると、直に下から、しゅうしゅうと酒が飛び出すものじゃさかい、おまいの小便の詰まったのも、額に錐もみさんしたら、すぐに小便が通じるじゃあろぞいな」

北八「はははははは、こいつは上出来だ。時に遅くなった。さあ行きやしょう」

と二人は別れて行く。向うの方から、かづきを着た女の二三人連れがやって来る。さすが都女の風俗はしなやかで、いづれも色白で、透き通るような肌の美人ばかり。北八は有頂天になって、

「ひゃああ、ひゃああ、すげえ美人が来る。綺麗、綺麗」

弥次「ふざけた女どもだ。みんな着物を被って来るわ」

北八「あれが被(かづき)というものだもの。あの綺麗な奴と、俺がものを言って見せようか」

とやがてその女中の傍へ走って行き、

語句

■きよとい-すごい。『見た京物語』に「とんだよいといふことを、きやうとうよいといふ」。■地-当地。ここでは京都。京都人の口先の上手なことを、誇張して見せたところ。それに乗って法螺を吹く北八も滑稽。■小用づまり-小便が詰まること。■いつきに-一気に。たちまちに。『物類呼称』に「直(ぢき)にといふ事を、大阪及び尾州辺、又は土佐にて、いつきにといふ。其意は休まずして一ト息に物をする事也」。■呑口-酒や醤油の樽の下部の穴につける、管状で栓のついた木製の具。栓を抜いて液を出す。■錐もみして穴あける-錐をもんで穴をあけること。■はしる-勢いよく出る。■かつぎ-「かづき」の訛。被衣。古から貴婦人の外出に、顔を隠す用とした。江戸時代に入り、小袖の襟を前方に下げて裁ち、色模様裏付などの製が定まった。江戸その他は早く禁止となったが、京都の御所方の女性は後々まで使用した。京都俗の一点景ともなった。■しろもの-ここは美人の意。■うつつをぬかして-有頂天になって。■いきた女-御殿女中で、衣類も化粧も極彩色で、絵か人形かと見まがうばかりなのが、歩いて来るさまを評した語。■じやうだんな女-ふざけた女。■着物-被衣と小袖即ち着物の相違は、襟が被衣のほうが下がっているくらいで、見分けがつきがたいので、かくいわせた。

原文

「モシちとものがお尋(たづね)申たい。これから三条(でう)へはどふまいりやすね

トきくに此女中御所がたと見へてとんだおうへい也、

「わが身三条へゆきやるなら、この通りをさがりやると、石垣(いしがき)といふ所へ出やるほどに、それをひだりへゆきやると、ツイ三条の橋(はし)じやはいな

トいつたい御所がたの女中は、人を何ともおもはず、ちときいたふうのおとこと見ると、わるくひやかすふうゆへ、五条のはしを、三条とおしゆる

北八「ハイ是は有がたふござりやす

ト何もしらねば、礼をいつてしばらくゆきすぎ、

弥次さん、アリヤアなんだろう。ごうてきにおうふうな女どもだ

弥次「ハハハハハハとんだやすくとりあつかはれやアがつた。ごうさらしめ

トそれよりやがて、かの石がきといへるをうちすぎ、ひだりのかたへとおしへられたる道すじを、三条へ行とこころへ、はやくも五でうのはしにいたりし頃は、はや日くれて、わうらいの人、

「モシモシしる谷のほうへは、どふまいりますな

北八「ハアわが身しる谷へいきやるなら、此とふりをすぐにいきやると、ツイしる谷へ出やるほどに、ソレ転(ころ)んだら起(お)きていきや。牛(うし)のくそをふんづけたら、遠慮(えんりよ)なしにふいていきやれ

わうらいの人「イヤこやつ、ぞんざいなもののぬかしよふじや。ここなあんだらめが

北八「ナニあんだらたア何のことだ。道をきくからおしへてやるのだは

往来「イヤ細事(こまごと)ぬかすない。どたまにやしてこまそかい

ト此男のつれと見へたるが、二三人立かかるを見れば、いづれも見あぐるごとき大おとこども、こしに長わきざしをよこたへ ものひかつこう、いかさまにも、おのおのすもふとりらしきものどもなれば、北八たちまちしよげかへりて、

「ハイ御めんなせへ

弥次「こいつは生酔(なまゑい)だから、どなたも了簡(りやうけん)してくんなせへ

すもふとり「イイヤ了簡ならんわい。おどれらうちはどこじやぞい

現代語訳

「もし、ちとものをお尋ね申したい。ここから三条へはどう参りやすね」

と聞くと、この女中は御所勤めと見えて、とんでもなく横柄である。

女「わが身、三条へ行きやるなら、この通りを下がりやると、石垣という所に出やるほどに、それを左へ行きやると、じき、三条の橋じゃわいな」

と全く御所勤めの女は、人を人とも思わず、ちよっと利いた風の男を見ると、意地悪く冷やかしたくなる習性があるので、五条の橋を、三条と教えたのである。

北八「はい、これは有難うござりやす」

と何も知らないので、礼を言ってしばらく行き過ぎ、「弥次さん、ありゃあ何だろう。たいそう尊大な女どもだぜ」

弥次「はははははは、とんてもねえ軽くあしらわれたもんだ。いい面の皮さ」

とそれからやがて、かの石垣という所を過ぎ、左の方へ教えられた道筋を、三条へ行くものと思い込み、早くも五条の橋の着いた頃は、早くも日暮れて、

往来の人「もしもし、滑谷(しるたに)の方へは、どう参りますな」

北八「はあ、わが身往来の人「もしもし、滑谷へ行きやるなら、この通りをまっすぐ行きやると、じきに滑谷へ出やるほどに。それ、転んだら起きて行きや。牛の糞を踏んづけたら遠慮無しに拭いて行きやれ」

往来の人「いや、こやつ、ぞんざいなものの抜かしようじゃ。阿保んだらめ」

北八「なに、阿保とは何のこった。道を聞くから教えてやるのだわ」

往来の人「いや、ぐずぐず言うな。ど頭(たま)にやして(打って)こまそかい」

と、この男の連れと見える二三人がたちまち打ってかかろうとするのを見ると、いずれも見上げるほどの大男揃い、腰に長脇差をぶち込んで、ものの言いよう、身のこなし、まぎれもなく角力取りらしい連中だ。北八はたちまちしょんぼりとなって、

「はい、御免なさって下さいませ」

弥次「こいつは生酔いだから、どなたも堪忍してくんなせえ」

角力取り「いいや、勘弁ならんわい。おどれ等家(うち)は何処じゃい」

語句

■御所がた-内裏で勤めをしている女性。■おうへい-横柄。人を見下げたような言行。■石垣-石垣町。賀茂川を挟んで、東西があるがここは東側。『京町鑑』(宝暦十二年)に「宮川筋、此筋北は四条通より南は五条橋通まで、四条下ル宮川筋一丁目、俗に石垣町と云ふ」。■きいたふうの-小生意気な。気取った。■五条のはし-五条の橋。賀茂川五条通に架かる大橋。■おうふうな-尊大にかまえた風。■しる谷-滑谷(今は東山区渋谷通という)。東山の清閑寺山と鳥部山の間を通って、京都より山科へ出る道。五条の橋より東行して、やや南に寄る。■細事ぬかすない-ぐずぐずいうな。■あんだら-阿保。馬鹿。たわけ。愚かなこと。京大阪の方言(物類呼称)。■どたま-頭。卑語。■にやす-打つ。殴るの方言。

原文

弥次「イヤ旅のものでござりやす

すもふ「たびのものなら宿(やど)があろふ。ソレぬかしくされ

弥次「是から三条に、宿をとろふといふのでござりやす

すもふ「なにぬかすぞい。此三条にとは、何のこつちやい。こつとらは今三条の編笠(あみがさ)屋から出て来たものじや。ここは、五条のはしじやわい

弥次「ヤアここは、三条ではござりやせぬか。ソレ見や北八。さつきの女どもが、とんだすつぽかしをおしへやアがつた

すもふ「きさまたちは、どつから来たのじや

弥次「きよ水のほうから

すもふ「ワハハハハハハてつきりけつねにがな つままれくさつたもんじやあろぞい。ゑらい隙費(ひまついや)しな。ほつておけほつておけ。さりとは あほうなやつらじやな

ト打わらひて行過る。弥次北八はおもひもよらず、五条のはしに来り、いまいましいばんくるはせな目にあふたと、こごといひながら、はしを向ふにわたり、そここことまごつくうち、わうらいのにぎやかなるにうかれて、おもはずもはしのたもとを、ひだりのかたへうかれゆくと、なにかはしらず、りやうがはにかけあんどう、のきごとにてらし、三みせんのおとにぎはしく、ぞめきうたに、ほうかふりせし、おとこどものちらつくにまぎれて、のぞきあるく この所は、五条新地とて、すこしのながれをくむ遊所也。家ごとにかどの戸をたてたるが、くぐりばかりをひらきて、かどぐちにたちたる女のささやかなるこへして、モシナモシナと、弥次郎がそでをひくに、ふりかへりて、くぐり戸の内を見れば、みせつきのおやまならびいたりけるにぞ

弥次「ナント北八、ここはおやま屋と見へるが、いつそのくされに、こよひはここにとまりはどふだ

北八「いかさま、何も荷物はなし、まんなをしに、そんな事もやぼでねへ

女「サアはいりんかいな

弥次「はいることははいろうが、ここはいくらだ

女「ヲヲかたやの。おとまりなはるかいな

弥次「もちろんさ

女「まだ初夜(しよや)まへじやさかい、七匁ヅツおくれんかいな

現代語訳

弥次「いや、旅の者でござりやす」

角力「旅の者なら宿があろう。それをぬかしてくされ」

弥次「これから三条に宿をとろうというのでござりやす」

角力「何ぬかすぞい。この山上にとは、何のこっちゃい。こっとらは今三条の編笠屋から出て来た者じゃ。ここは五条の橋じゃわい」

弥次「やあ、ここは三条ではござりやせぬか。それ見や北八。さっきの女どもがとんだ出鱈目を教えやあがった」

角力「貴様たちは、どっから来たのじゃ」

弥次「清水の方からでございやす」

角力「わはははははは、てっきり狐につままれたもんじゃろぞい。えらい暇を費やしたわい。ほっとけほっとけ。さりとは、阿呆な奴等じゃな」

と笑って行き過ぎる。弥次郎北八は思いもよらず、五条の橋へ来て、いまいましい予想外な目に遭うたと、小言を言いながら、橋を向うに渡り、そこ此処とまごつくうちに、往来の賑やかな様子に浮れて、思わずも橋のたもとを、左の方へ浮れて行くと、何かは知らず、両側に掛け行灯が軒ごとに吊るされ、三味線の音賑わしく、花街を浮れ歩く客の歌う声に、ほうかぶりをした、男共がちらちら見えるのに紛れて、覗き歩く。ここは、五条新地といって、ちょっと名の聞こえた遊郭である。どの家も潜り戸だけを開いて、門口に立っている女がささやくような声をして、もしなもしなと、弥次郎の袖を引くので、振り返って、潜り戸の中を見ると、見世付の女郎たちが並んでいた。

弥次「なんと、北八、ここは女郎屋と見えるが、いっそのくされに、今夜はここに泊りはどうだ」

北八「いかさま、何も荷物は無し、厄払いに、そんなことも野暮じゃねえ」

女「さあ、入りんかいな」

弥次「入ることは入ろうが、ここの揚げ代はいくらだ」

女「おお、かたいお人や。お泊りなはるかいな」

弥次「もちろんさ」

女「まだ初夜(午後八時)前やさかい、七匁づつおくれんかいな」

語句

■編笠(あみがさ)屋-未詳。実在した宿屋と見られる。■すつぽかし-よい加減なこと。でたらめ。■けつね-「狐」の訛。■隙費(ひまついや)しな-時間を無駄にした。■ばんくるはせ-番狂わせ。手はず、予定が狂うこと。■かけあんどう-掛行灯。店先に屋号など書き記して掛けておく行灯。■ぞめきうた-花街をうかれ歩く客のうたう声。■ほうかふりせし-面体を隠した遊里にうかれ遊ぶ者の体。■ちらつくに-ちらちら見える。■五条新地-京都の私娼街の一。■くぐり-戸の一部を小さくまた開くようにした出入り口。■みせつきの-見世付き。見世に並び、顔を見せて客を求める遊女(本朝色鑑)。■おやま屋-女郎屋。ここはその女郎屋の並ぶ所、即ち私娼街。■いつそのくされに-いっそのこと。■まんなをしに-運のよくなるように。■かたや-律儀なこと。値を聞いて登楼するのは野暮の一。■初夜まへ-午後八時ごろ。『浪花聞書』に「初夜、戌の刻也、五ツとは決していわず、上下男女共都べて、しよやと唱ふ」。

原文

北八「上方のお山は、直切(ねぎつ)て買(か)うということだ。半分にまからねへか

弥次「何かなし、四百ヅツならとまつていこふ。それで出来ずば、御縁(えん)がねへとあきらめよふさ

女「よござります。おはいりなされ

北八「それでいいの。てうど、おやまさんもふたりあらア

トこのうちへあがると、女が二かいへあんないするに、やねうらのひくき二かいにて、弥次郎あたまをこつつり、「あいたしこ

北八「どふした

女「ヲホホホホホホおあぶなふござんす

トたばこぼんをもつてくる。此内おやまふたり、一人名は吉弥、今一人は金五、いづれも、ふとりつむぎじまやうのきものに、くろびろうどのはんゑり、はりのつかへるほどひくき二かいを、しやんとたつてあるくしろもの。片手にきもののつまを、よこのほうへ引あげてきたり、ヲヲしんどどいつてすはる

北八「とんだくらいあんどんだ。サアもつとこちらへよりなさらんか

吉弥「おまいがたは どこじやいな

弥次「されば、どこやらであつた

金五「ヲホホホホホ六角の朝市(あさいち)に、こないなおかたがよふ見へてじやが、訛(なまつ)てじやさかい、大かた旅(たび)のおかたじやあろぞいな

吉や「六条さまへお出たのかいな

弥次「マアそこらのものよ

吉弥「モシナささひとつあがらんかいな

弥次「そふさ、酒がはやくのみてへの

吉弥「そふいふてやろかいな。お肴(さかな)は何にせうぞいな

金五「かどのすもじが、おいしいじやないかいな

吉弥「わしやナ、かちんなんばがゑいわいな

弥次「かちんでも家賃(やちん)でもとんぢやくはねへ。はやくしてくんな

吉弥「いつきにさんじるわいな

現代語訳

北八「上方の女郎は値切って買うに限るってえことだ。半分にまからねえか」

弥次「とにかく、四百文づつなら泊っていこう。それが駄目なら、御縁がねえとあきらめようさ」

女「よござります。お入りなされ」

北八「それでいいのかい。丁度、おやまさんも二人居らあ」

と、この家にあがると、女が二階へ案内するが、屋根裏の低い二階建てで、弥次郎は頭をこっつりぶつける、「ああ痛い」。

北八「どうした」

女「おほほほほほほ危のうござんす」

と、煙草盆を持って来る。そのうちにおやま二人、一人は名は吉弥、もう一人は金五といい、いずれも太り紬縞様の着物に、黒びろうどの半襟を付けた装いである。二人は梁の閊える程低い二階を、しゃんと立って歩く。片手で着物のつまを、横に引き上げてやって来た。おお、しんどと言って座る。

北八「とんでもねえ暗い行灯だ。さあ、もっとこっちへ寄りなさらんか」

吉弥「おまいがたは何処じゃいな」

金五「おほほほほほほ、六角の朝市に、こないな方が良く見えてお出でじゃが、訛ってじゃさかい、大方旅のお方じゃあろぞいな」

吉弥「六条さまへお出でたのかいな」

弥次「もしな、ささ一つあがらんかいな」

弥次「そうさ、酒が早く飲みてえのう」

吉弥「そういうてやろかいな。お肴は何にしょうぞいな」

金五「かどのすもじ(寿司)が美味しいじゃないかいな」

吉弥「わしゃな、かちんなんばがいいわいな」

弥次「かちんでも家賃でも何でもかまわねえ。早くしてくんな」

吉弥「すぐに参じるわいなあ」

語句

■お山ここは茶屋女などとも称された私娼をさす。■何かなし-ともかくも。■四百-四百文。文化四年(1807)の相場で、銭一貫文が九匁(三貸図彙)であるから、かなり安くなっている。■やねうら-上方に多い中二階(前半分のみ二階で、後方は一階の屋根作り)で、屋根裏が低い。■あいたしこ-痛いときに発する語。ああ痛い。■ふとりつむごじまやうのきもの-太織の袖模様の着物。布子よりはやや上品。■はんゑり-襦袢の襟にかけて、飾りとするもの。■しんど-関西の方言。「しんどい」の語幹。くたびれた。疲れた。■六角の朝市-六角通烏丸の東の頂法寺こと六角堂前における朝市。■こないなおかた-京都人ではなく田舎から来た人の意。■六条さま-東六条の東本願寺と西六条の西本願寺。門徒衆のおのぼりが多かったので、旅人といえば、かかる問いをさせたのである。■ささ-「酒」の女中詞。■すもじ-「鮓(すし)」の文字詞。■かちんなんば-「なんば」は難波葱(なんばねぎ(一般の葱のこともある))「かちん」は「餅」の女房詞で、葱の入ったすまし雑煮のこと。■とんぢやくはねえ-気にすることはない。何でもかまわない。

原文

ト此おやまさけさかなをいひ付に下へおりる。あとにのこりしおやまは此内帯のあいだからかがみをいだし、あんどうのそばへより、かほをなをす。やがて下より、てうしさかづきをいだし、大平が一人まへにひとつづつ、ひろぶたにのせもち出す。弥次郎きもをつぶし、

「なんだ、大平(ひら)を人別割とはめづらしい。京はあたじけねへ所だときいたが、ここらは又ごうせへだ

北八「四百にはやすいもんだ

ト此ふたりは、さけもさかなもあげ代の四百のうちだとおもひ むしやうにやすいとほめる

金五「サアひとつあがりなされ

北八「はじめよふ。ヲトトトトトひらはなんだ。ハハア葱(ねぎ)にはんぺいはきこへたが、こつちでははんぺいをやくと見へて、まつくろにこげてゐらア

吉弥「ヲホホホホ ソリヤ歌賃(かちん)じやわいな

トこれは上がたにてするなんばもちとて、ねぎをいれたるぞうにもち也。此おやま、下戸とみへて、おのれがこうぶつゆへ 客にすすめてとりよせたる也。北八かちんといふことをしらず

「ハアかちんといふは、きいたこともねへ。どんな肴(さかな)だの

吉弥「ヲヲせうし、あも(餅)じやわいな

北八「ムム鱧(はも)か。ドレドレヤアこりや餅だ餅だ

弥次「おきやアがれ。上方ものは気がきかねへ。酒の肴(さかな)にもちとはどふだ。是で酒がのめるものか

金五「外のおさかな、いふてさんじやうわいな

トすぐに下へおりたるが、ほどなくどんぶりものをもつてくる。なかには上がたにはやる烏貝のすしなり。此おやまのすきと見へて、此すしをいひ付やりたる也

北八「なんだ、コリヤばかのむきみをすしにつけたのだな

金五「とりがいのすももじじやわいな

弥次「出すものも出すものも、へんちきな物ばかりで、もふ酒ものめぬのめぬ

ト此内むだもいろいろあれ共りやくして、ここにふとんをしきならべ こしびやうぶにてあいだをしきる。此うち四十斗の女、ここの女ぼうと見へて、つとめをとりにきたり、びやうぶをあけて

現代語訳

と、吉弥は、酒、肴の注文に帳場へ降りる。後に残った金五は、帯の間から鏡を出して行灯の傍へ寄り、化粧直しをする。やがて下から、銚子・盃が運ばれて来た。

大平椀が一人前ひとつづつ、広蓋に乗せられて運ばれて来る。弥次路は驚いて、

「なんだ、大平を人別割にして揃えるとは珍しいぜ、京はけちくさい所だと聞いたが、ここらは又豪勢だ」

北八「四百には安いもんだ」

と、この二人は酒も肴も揚代の四百のうちだと思い、やたらに安いと誉める。

金五「さあ、ひとつあがりなされ」

北八「始めよう。おっととととと、平は何だ。ははあ、葱にはんぺいは解ったが、こっちでははんぺいは焼くと見えて、真っ黒に焦げてらあ」

吉弥「おほほほほ、そりゃ、かちんじゃわいな」

と、これは上方でする難波餅といって、葱を入れた雑煮餅のことである。吉弥は、下戸と見えて、自分の好物なので、客に勧めて取り寄せたのだ。北八はかちんということを知らず、

「はあ、かちんというのは、聞いたこともねえ。どんな肴だか」

吉弥「ああ、可笑しい。餅じゃわいな」

北八「むむ、鱧(はも)か。どれどれ、やあ、こりゃ餅だ、餅だ」

弥次「おきやあがれ。上方の者は気が利かねえ。酒の肴に餅とはどうだ。これで酒が飲めるものか」

金五「他のお肴、注文して参じょうわいな」

と、すぐに帳場へ降りたが、ほどなく丼物を持って来る。中には上方で流行の鳥貝の寿司である。金五が好きと見えて、この寿司を注文したのだ。

北八「なんだ、こりゃあ、馬鹿貝のむき身を寿司にしたのだな」

金五「鳥貝の寿司じゃわいな」   

弥次「出すものも出すものも、おかしな物ばかりで、もう酒は飲めぬ、飲めぬ」

やがて布団を敷き並べ、腰屏風で間を仕切る。そこへ四十ばかりの女で、この家の女房と見えるのが、揚代の勘定を取りに来て屏風を開けて、

語句

■てうしさかずき-銚子と盃。今の磁器のものでなく、塗物である。■大平がま-大型の平椀。魚鳥の肉や野菜の煮たものを入れる。■ひろぶた-長方形で大きい盆の類。料理などを乗せて、客席へ運ぶのに利用する。■人別割-ここは一人づつに付くことを洒落ていったもの。■あたじけねえ-けちくさい。■あげ代-遊女や芸者を呼ぶ代金。■はんぺい-半平。転じて「はんぺん」という。関東、東海地方の食材でスケトウダラなどの魚肉のすり身にすりおろしたヤマノイモなどの副原料を混ぜてよく摺り、調味して薄く四角形または半月型にしてゆでた魚肉練り製品。■せうし-笑止。可笑しい。滑稽だ。■あも-飴餅(あんもち)の約。ここではただの餅のことをいっている。■どんぶりもの-丼物。丼に入った肴。■鳥貝-食用に供し、ことに肉柱は賞味される。■ばか-馬鹿貝の刺身。鳥貝を馬鹿貝と思い違えたのである。■こしびやうぶ-腰屏風。腰の高さほどの低い屏風。■つとめ-遊所などでの支払い勘定。揚代。■雑用(ぞうよう)-諸雑費。

原文

「おゆるしな

弥次「ヲイだれだ

女「ハイおつとめをいただきにさんじました

トかきつけをいだす。弥次郎ひらき見て

「なんだ、四匁ヅツ八匁の揚代(つとめ)はきこへたが、四匁かちんなんば、弐匁すし、壱匁八分御酒、五分らうそく、〆て十六匁三分、コリヤとんだはなしだ。雑用(ぞうよう)は別(べつ)にとるのか。おらア又、酒もさかなも揚代(あげだい)のうちかとおもつた。コレコレ北八このとふりだ

北八「ドレドレなんだ、コリヤおめへがたア、わつちらを他国(たこく)ものだとおもつて、酒代を別にとるさへあるに、ごうてきにたけへもんだ。此四匁かちんなんばといふは、アノ大平のことか。餅(もち)ならたつた三ツ四ツいれて、ねぎのちつとばかりさらへこんだものを、壱匁ヅツとは、なるほど京のものはあたじけねへ。気のしれた根性骨(こんじやうぼね)だ。らうそくまでつけるこたアねへ。こんなものはまけにしておきなせへな

女「ヲホホホホ京のものをわるうおしやんす、おまいさんがしゆみじやわいな。五分ばかりのらうそく代、まけいのなんのと、おしやんすことはないわいな。そしてみな、あがりなされたあとで、たかいのやすいのと、おしやんしたてて、あかんこつちやないかいな

弥次「エエめんどふな、ソレ壱分持ていきな。はしたぐらひは、まけなせへし

ト金壱分をほうり出してやる 女ぼうふしやうぶしやうにとつて下へおりると弥次郎あつけにとられしかほつきぐにやりとなり

「アアとんだめにあつたノウ北八

北八「しかしおらアおしくねへ。どふかおつに、もてそふなあんばいだ

ト此内 北八のあいかた吉弥きたりて

「ヲヲしんきやの、あこにわたしひとりおかんして、ここに何してじやぞいな。サアやすみんかいな

ト手をとりておのがかたへ引ずつてゆく 北八

「コリヤコリヤ、おれが帯(おび)をといてどふする

トわざと弥次にきこへるよふにこはだかにいふ  女北八を引こかし

「よいわいな。こよひはいこうぬくひじやないかいな。おまいさん、じつとしてゐなされ。わたしがあぢよふするわいな

現代語訳

「おゆるしな」

弥次「おい、誰だ」

女「はい、お勤めをいただきに参じました」

と、書付を出す。弥次郎はそれを開いて、

「なんだ。四匁づつ八匁の揚代(お勤め)は解ったが、四匁かちんなんば、弐匁寿司、壱匁八分御酒、五分蝋燭、締めて十六匁三分、こりゃあ、とんだ話だ。雑費は別に取るのか。おらあ又酒も肴も揚代の内かと思った。これこれ、北八、この通りだ」

北八「どれどれ、なんだ、こりゃあおめえがたあ、わっちらを他国者だと思って、酒代は別に取ったとしても豪勢に高くつけたぜ。この四匁かちんなんばというのは、あの大平のことか。餅ならたった三つ、四つ入れて、葱をちっとばかりぶち込んだものを、壱匁づつとは、なるほど京の者はけちくさい。大したけち根性だ。蝋燭までつけつこたあねえ。こんな物はまけにしておきなせえ」

女「おほほほほ京のものを悪うおしゃんすおまいさんがしみったれじゃわいな。五分ばかりの蝋燭代、まけいのなんのと、おしゃんすことはないわいな。そしてみな、上りなされた後で、高いの安いのと、おしゃんしたて、あかんこっちゃないかいな」

弥次「ええ、面倒な。それ、一分持ていきな。はした位はまけなせえ」

と、金一分を放り出してやる。女房が不承不承に取って、帳場へ降りると、弥次郎はあっけにとられたのか、顔に威勢が無い。

弥次「ああ、とんだ目に遭った。のう、北八」

北八「しかし、おらあ惜しくはねえ。どうかおつに、もてそうな塩梅だ」

と、そこへ北八の相方吉弥がやってきて、

「おお、辛気やの。あこに私一人置かんして、ここで何してじゃぞいな。さあ、休みんかいな」

と、手を取って自分の方へ引きずって行く。

北八「こりゃ、こりゃ。俺の帯を解いてどうする」

と、わざと弥次に聞こえるように大きな声で言う。女は北八を引き転がし、

「よいわいな。今宵はえろう暖かい晩じゃないかいな。おまいさん、じっとしていなされ。私があんじょう(うまく)やるわいなあ」

語句

■さらへこんだ-ぶち込んだ。■気のしれた根性骨だ-大したけちな根性だ。■しゆみ-上方で、けちなことの意。『浪花聞書』に「しゆみけん、江戸でいふ、しみつたれといふこと」。■あかん-埒が明かぬ。「あかん」の「ん」は「ぬ」と同じで口語の否定の助動詞。■壱分-一両の四分の一。一両六十匁替にして、十五匁。締めて十六匁三分を、これでまけろという意。■ぐにやりとなり-威勢がなくなったさま。■しんき-辛気。じれったいこと。もどかしいこと。■あぢよふする-味よく。上手に。

原文

トすべて上がたすじのおやまは、初たいめんから、腰ひもをときて、打とけたるていに、客をもてなすこと、さだまれる掟のごとし。中にもこの吉弥は大どしまにて、じよさいのなきしろもの、きた八にきものをぬがせてほうり出し、おのれもおびをときて、きた八におのがきものをうちかけ、さながらふかきなじみのごとく、うちとけたるていに、もてなしけるゆへ、きた八うつつをぬかして、うちふしけるが、夜もしだいにふけゆくままに、犬のとをぼゑものさみしく、時のたいこもはやうしのこくばかりなるに、吉弥目ざめしやうすにて

「モシナモシナよふねてじやな

北八「アアムムなんだなんだ

吉弥「わしや手水(てうづ)へいてくるぞへ

トおきあがりたるが、まくらもとにほうり出してある、きた八のきものをきておびを引〆

「おまいさんの着物(きりもん)ちよとかしておくれや。わしやこれきて、とのたちのふりして、下(した)の衆(しゆ)をだましてこまそわいな

北八「よく似合(にやつ)た。きめうきめう

吉弥「つもりがこれじやあかんわいな

ト手ぬぐひをとつてうちかふり、下へおりたるが、北八はそれよりもねもやらず、まてどくらせど、かの吉弥はいつこうに来らず。さては外に、客にてもあるやと、しばらくまちいたるに、はや七ツのかねもなり、ほどなく夜もあけなんとするに、北八こらへかねて、むしやうに手をたたくと、下より女ぼう、かけあがりて

「どなたぞおよびなされたかいな

北八「ヲヲここだここだ。コレわつちがおやまは、さつき下へおりたが 、それなりで顔出しもしねへ。ちよつくりよんでくんなせへ

女ぼう「サアそのことで、下は大さはぎでござんすわいな

北八「なぜなぜ

女ぼう「アノおやまが、おとこのきりもん着て、はしつたさかい

北八「ナニはしつたとは、にげたのか。ソリヤ大へんだ大へんだ。その男のきものといふはおれがのだ

女ぼう「かいな。ソリヤ又何として、おまいさんのをきていたぞいな

北八「イヤ下へいつて、みんなをだましてくるから、かしてくれろといつたによつて

現代語訳

と、すべてについて上方筋のおやまは、初対面から、腰紐を解いて、打ち解けた体で、客をもてなすことが決められた掟のようである。なかでも、この吉弥は大年増で如才のない女、北八に着物を脱がせて放り出し、自分も帯を解いて、北八に自分の着物を打ち掛け、さながら深い馴染み客のように、打ち解けた体に、もてなしたので、北八は有頂天になって俯せになったが、夜も次第に更けていくまま、犬の遠吠えももの寂しく、時を告げる太鼓の音もはや午前四時頃となり、吉弥は目覚めた様子で、

「もしな、もしな。よう寝てじゃな」

北八「ああ、むむ、なんだ、なんだ」

吉弥「わしゃ手水へ行ってくるぞえ」

と起き上がったが、枕元に放り出してある北八の着物を着て、帯を引き締め、

「おまいさんの着物ちょと貸しておくれや。わしゃこれ着て、男のふりして、下にいる店の者を騙してこまそわいな」

北八「よう似合うとるわい。器用、器用」

吉弥「頭がこれじゃあかんわいな」

と、手拭いを取って被り、帳場へ降りて行ったが、北八はそれよりも眠ることもできず、待てど暮せど、かの吉弥はいっこうに帰ってこない。さては他に客でもあるのかと、しばらく待っていたが、早くも午前四時の鐘(太鼓)も鳴り、間もなく夜も明けようとするが、北八はこらえかねて、やたらと手を叩く。すると、この音に驚いたように帳場から女房が、駆けあがって、                          

「どなたぞお呼びなされたかいな」

北八「おお、ここだ、ここだ。これ、わっちのおやまは、さっき下へ降りたが、それきりで顔出しもしねえ。ちょっくり呼んでくんなせえ」

女房「さあ、そのことで、帳場は大騒ぎでござんすわいな」

北八「なぜ、なぜ」

女房「あのおやまが、男の着物を着て、走ったさかい」

北八「なに、走ったとは、逃げたのか。そりゃ大変だ、大変だ。その男の着物というのは俺がのだ」

女房「そうかいな。そりゃ、又どうして、おまいさんのを着ていたぞいな」

北八「いや、帳場へ行って、皆を騙してくるから、貸してくれろと言ったによって」

語句

■初たいめん-初対面。江戸の遊女は吉原など、三回目いわゆる馴染みになって、打ち解けるのが習慣。上方筋はこの記のごとくである。■大どしま-大年増。時代により年増の年齢に相違があるが、二十代後半は、年増に入る。更にその老けたもの。■時のたいこ-上方では、時刻を報ずるに、番の者が太鼓を叩いて回る。■丑の刻-午前二時頃。■とのたちのふりして-殿達。男の風をして。■下の衆-下にいる店の者。■七ツ-午前四時頃。これは寺の鐘のつもりで「かね」としたか。「たいこ」誤ったをものか。■はしつた-次にあるごとく、駆け落ちした意。出奔した。■かいな-そうかいな。

原文

女ぼう「それでかしなさつたのかいな

北八「そふさ。時にそのおやまの欠落(かけおち)したは、こつちにやアしらねへこつたから、なんでもここの抱(かか)へにちげへはあるめへ。きものは、ぜひとも爰の内から、どふぞしてもらはにやならねへから、下へそふいつてくんなせへ。はやくはやく

女ぼう「マアなんにいたせ、そないに申ませう

ト下へおりてゆくと、ほどなくここのていしゆと見へて、おにぶとりのどてらをきたる、でつくりとせし大男、りやうりばん、おとこども、ニ三人引つれ、どやどやと二階へ来り、ていしゆ北八がまくらもとに立はだかり、

「コレ吉弥にきりもんかしたといふわろは、こなはんかいな

北八「ヲヲおれだおれだ。

ていしゆ「おどれかい。ほてくろしい事さらしたな。マアおきくされ。ドレ頬(つら)見せさらせ

北八「イヤこの才六めらは、何でおれを、そのよふにぬかしやアがる

ていしゅ「ぬかしたがどふすりやア。おどれ吉弥めにきりもんかして、欠落(かけおち)させおつたからは、ゆくさきはしつてけつかるじやあろ。ありていにほざき出しくされ

北八「とんだことをいふ。何おれがしるものか

ていしゆ「イヤイヤそないにぬかしさらしても、われが人にたのまれて 、糸引(いとびき)くさつたにちがいはないわい

北八「コリヤきさまたちは、おつにいひかけをするな

ていしゆ「頤(あご)たたかすな。しよびきおろせ

トみなみな立かかり、北八を手ごめにする。このどさくさに弥次郎目をさまし、このていを見て、はねおき飛び出

「コリヤおれがつれだが、うぬら此男をどふする

トていしゆをつきのくると りやうりばん

「イヤこなやつも 同盗(どうずり)じやあろ。ふたりともにひつくくれ

トいづれも小ぢからのあるものども、弥次郎北八を、両ほうから引たて、下へおろし、ほそびきをもつて、ついにふたりを、ぐるぐるまきにしばりたるに、弥次郎はいつこうがてんゆかず。

現代語訳

女房「それで貸しなさったのかいな」

北八「そうさ。 ところで、そのおやまが駆落ちしたのは、こっちは知らねえこっちゃから、なんでもここの抱えに違いはあるめえ。着物は、ぜひとも、ここの家から、どうにかしてもらわにゃならねえ。下へそう言ってくんなせえ。早く早く」

女房「まあ、なんにいたせ、そないに申しましょう」

ト下へ降りて行くと、ほどなくここの亭主と見えて、鬼太織のどてらを着た、でっぷりと肥った大男が、料理番、下男どもニ三人を引き連れ、どやどやと二階へ上ってきて、亭主が北八の枕元に立ちはだかり、

「これ、吉弥に着物貸したというわろは、こなはんかいな」

北八「おお、俺だ、俺だ」

亭主「おどれかい。出しゃばった真似さらしたな、まあ、起きやがれ。どれ、面(つら)見せさらせ」

北八「いや、この才六めらは、何で俺を、そのように抜かしやあがる」

亭主「ぬかしたがどうすりゃあ。おどれ吉弥めに着物貸して、駆落ちさせおったからは、行先は知ってけつかるじゃあろ。ありていに白状しくされ」

北八「とんだことを言う。何俺が知るものか」

亭主「いやいや、そないにぬかしさらしても、我が人に頼まれて、手引しくさつたに違いはないわい」

北八「こりゃあ、貴様たちは、おつに言いがかりをするな」

亭主「頤叩かすな。引っ張り下ろせ」

と、皆々たちかかり、北八を手込めにする。このどさくさに弥次郎が目を覚まし、このていを見て跳ね起き飛び出す。

弥次「こりゃ、俺の連れだが、うぬ等この男をどうするつもりじゃ」

と、亭主を突き退けると、

料理番「いや、こなやつも、同盗(どうずり)じゃあろ。二人ともにひっくくれ」

と、いずれも小力のある者ども、弥次郎北八を、両方から引立て、下へ降し、細引きを持って、ついに二人を、ぐるぐる巻きに縛ったが、弥次郎は一向に合点がいかない。

語句

■おにぶとり-鬼太織。粗めに織った太織(縦に玉糸、横にのし糸を用いた平織)。■どてら-丹前風の広袖に製した綿入りの綿服。男建ての親分といった風と知るべし。■でつくりとせし-でっぷりと肥えた。■おとこども-下男ども。■ほてくろしい-腹黒い。■おきくされ-起きやがれ。■才六めが-江戸っ子が上方者を罵る語。■どふすりやア-何とする。どこが悪いか。■ほざき出しくされ-白状しやあがれ。■糸引-ここは、手引きをする意。■いひかけ-言いがかりをつけること。■頤(あご)たたかすな-口をきくことを、悪しざまに言う語。■しよびきおろす-引っ張り出す。■手ごめ-力ずくで人を自由のきかぬようにすること。■同盗(どうずり)-「どう」は罵る意を含む接頭語。すり、盗人、騙りなどへの罵言。浄瑠璃に良く見えて『曾根崎心中』に「そこな九平次のどうずりめ」、一九はしかし、同の字を当て、「かたり仲間」の意に使用。■ほそびき-細手の麻縄。

原文

いさいのことをききてぎやうてんし、北八もいまさら、おやまにきものをかしたる、あやまりをこうくはいし、うたがひうけたるうへ、かかる目にあひ、くやしけれども、りのとうぜんにいひわけたたず、だい所のはしらに、つながれたるめんぼくなさ、ことに夜もあけはなれて、きん所のもの共、おひおひ見まいにきたるうちに、これも此しやうばいやのていしゆとみへて、少し小ぐちでもきかふといふ男、名は十吉

十吉「わしや今きいたが、吉弥めが、きよといことさらしたげな。その手引したやつらは、どしたぞいな

ていしゆ「あこに、くくつておいたわいの

十吉「店主(たなぬし)よんであづけさんせ

ていしゆ「旅のもんじやてて、うそつきさらして、ほんまのうちをゑいはんわいの

十吉「ソリヤきのどくなもんじやわい

ト二人がしばられてゐる、そばへきたり

十吉「コレこなんたちは、わるいがてんじやわい。ソリヤはて、友だちづくなら、たのまれまいもんじやないが、もふこないにばれてはしよことがない。ありやうにゐふて、めんめんの身ぬけするがゑいわいの

弥次「イヤわつちらは、かたつきしなにもしりやせん。ただ此男がほんのしやれに、きものかしたばつかりで、うたがひうけたといふもんだから、どふぞあなたのおとりなしで、わつちらをたすけて下さいませ。コレ手をあはせておがみたくても、しばられてゐるから、足(あし)を合せておがみます。コリヤコリヤ北八もおたのみ申せ

北八「ハイ南無金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)さま、此災難(さいなん)を免(まぬが)れますよふに、なむきめうてうらいなむこめうていらい

ていしゆ「エエ何ぬかすぞい。こんぴらさま祈(いの)るなら、そないなこつちやきかんわい。さいわいおどれ裸(はだか)でおるから、水あびせてこまそ。垢離(こり)とつて祈りくされ

北八「イヤわつちは全体(せんてへ)こんぴたしんじんでござりやすが、是まで願(ぐはん)をかけやすに、人とちがつて、水をあびて寒(さむ)い目してはききやせぬ。なんでもきものをたんときて、殻汁(からじる)にあつかんをひつかけたうへ、巨燵(こたつ)へくびつきりのたくりこんで、願ふとすぐに御利生(りせう)がござりやすから、せめてきものはきずとも、いつぱいあつくして下さいませんか

ていしゆ「エエ尻(けつ)ねずりくされ。

弥次「イヤ御尤でござりやす わつちこそは此男めがまきぞへ、ほんの災難(さいなん)、そしてこんな目にあひますと、持病(ぢびやう)の癪(しやく)がさしこんで、アイタタタタタタ

現代語訳

詳しいことを聞いて仰天し、北八もいまさら、おやまに着物を貸した間違いを後悔し、疑いを受けた上に、こんな目に遭って、悔しいが、もっともらし言い訳ができず、台所の柱に繋がれた面目無さ 、特に夜も明けて、近所の者が追々見舞いにやって来るうちに、これも同じ女郎屋の亭主と見えて、少しは物の道理のわかった顔役風の男、名は十吉。

十吉「わしゃ今聞いたが、吉弥めが、恐ろしいことをやらかしたげな。その手引きをした奴らは、どしたぞいな」

亭主「あこに、括っておいたわいの」

十吉「店主(たなぬし)呼んで預けさんせ」

亭主「旅の者じゃてて、嘘つきさらして、ほんまの家をよう言わんわいの」

十吉「そりゃあ気の毒なもんじゃわい」

と、二人が縛られている傍に来た。

十吉「これ、こなん達は、悪い考えじゃわい。そりゃ、はて、友達ずくの頼まれごとなら知らぬ存ぜぬもよかろうが、もうこうばれてはしかたがない。有り様に言うて、面々の見抜けするのが得やわい」

弥次「いや、わっちらは、まるっきり何も知りやせん。ただこの男がほんの洒落に、着物を貸したばっかりに、疑いを受けたというもんだから、どうぞ貴方のおとりなしで、わっちらを助けて下さいませ。これ、この通り、手を合せて拝みたくても、縛られているから、足を合せて拝みます。こりゃ、こりゃ北八もお頼み申せ」

北八「はい、南無金毘羅大権現さま、この災難を免れますように、なむきみょうちょうらい(南無帰命頂礼)、南無帰命頂礼」

亭主「ええぃ、何ぬかすぞい。金毘羅様に祈るならそないなこっちゃ効かんわい。さいわいおどれ裸でおるから、水浴びせてこまそ。水垢離取って祈りくされ」

北八「いや、わっちらは全体金毘羅信心でござりやすが、これまで願を掛けやすに、人と違って、水を浴びて寒い目をしていては効きやせぬ。何でも着物をたんと着て、殻汁に熱燗をひっかけた上、炬燵に首っきり潜り込んで、願うとすぐに御利益がござりやすから、せめて着物は着ずとも一杯熱くして下さいませんか」

亭主「ええぃ、尻でもねぶりくされ」

弥次「いや、御尤もでござりやす。わっちこそはこの男の巻き添え、ほんの災難、そしてこんな目に遭いますと、持病の癪が差し込んで、あいたたたたたたた」

語句

■ぎやうてんし-仰天。びっくりして。■りのとうぜん-理の当然。■此しやうばいやのていしゆ-ここは、同じ女郎屋の亭主。■小ぐちでもきかふといふ男-少しは物の道理もわかった顔役風の男。■きよとい-恐ろしい。甚だしいの意。■さらす-為(す)るの卑語。しやがる。■店主(たなぬし)よんであづけさんせ-弥次郎北八の家主を呼んで、二人を引き渡せ。■わるいがてんじやわい-悪い考えだ。■こないにばれては-このように暴露しては。■ありやうにゐふて-有様に言って。あるがままにすっかり話して。■身ぬけ-一身をある事件から脱すること。身を免れること。■かたつきし-まるで。全然。ちっともの意。下を打ち消しで受ける。■南無-仏に帰依信順する時に用いる語。■きめうてうらい-帰命頂礼。仏を拝する時に唱える言葉。仏を信頼して、仏の足を自分の頂頭にいただいて礼拝すること。■垢離(こり)-神仏を念じるために、水を浴びて身の垢を払うこと。■殻汁-豆腐殻の汁。卯の花汁。■あつかん-熱く燗をした酒。■くびつきり-首だけ出すほど、ぐっと深く。■のたくりこんで-「のたくる」は這いまわる事。ここは、入り込んで。■御利生(りせう)-御利益。効験。■ねずりやがれ-「ねずる」は、舐(な)める。舐(ねぶ)る。■まきぞへ-罪なくして、一緒に罰にあうこと。■ほんの災難-本当に理由なくして受けた難儀。

原文

ていしゆ「しやくがいたいなら、胴中の縄を、もちと堅(かた)う〆てやろかい

弥次「イエイエわつちがしやくは、じんくおどるとおさまりますから、どふぞ此縄といて下さりませ

十吉「ハハハハハハ、コリヤねからやくたいなやつらじやわい。勘太さんゆるしてやらんせ。たかで敵等(てきら)はゑらいあほうじや。なるほど吉弥めにたらされくさつて、きりもんかしたまでのこつちやあろぞいな

ていしゆ「サイナそないにいはんすりや、いかさま賢(かしこ)ふも見へんわろたちじや。べしてのこともありやせまい。いなしてやろかいな

北八「それは有がたふございやすが、わっちやア此はだかのままでは、けへられやせん

ていしゆ「いなれざいなんすな、いなれざいなんすな。こちもいひぶんがあるさかい

北八「イヤそんならめへりやせう

十吉「サアサアいなんせ。あたあほらしい衆(しゆ)じやわいな。

トふたりがなはをといてやると

弥次「きた八、手めへのおかげで、とんだめにあつた

北八「おめへよりか、おらア此とふり、きものをとられて、ハアくつさめ、ヲヲさむさむ

ていしゆ「ハハハハあんまりかわいそふじや。何なと一まい、くれてやろかい

北八「ありがたうございやす。どんなものでも、どふぞいただかして下さいやせ

ていしゆ「エエみだれめがいふよふなことぬかしけつかる。てきに似合(にあふ)たよふに、納屋(なや)の菰(こも)一まい、もて来てやれやい

下男「イヤここにきのふの俵(たはら)がある。これきていかんせ

北八「ナニそれをきろとか。エエ情(なさけ)ないことをいふ。

ていしゆ「せつかくのおれが心ざしじや。きていなんかい

北八「ハイ有がたふございやすが、わたくしはやはり、はだかがかつてでござりやす

弥次「げへぶんのわりいおとこだ。おいらが合羽(かつぱ)をかしてやろう

ト弥次郎が、もめんがつぱをとつて、きた八にうちきせながら

うとましやかいたる恥も赤はだか合羽づかしき身とはなりたれ

はては大わらひとなり、ふたりはやうやうのことにて、此所をのがれたち出けるとなり

道中膝栗毛六編 下編 終

膝栗毛七編 全二冊近刻

大阪心斎橋唐物屋 河内屋太  助

江都本石町二丁目 西 村源  六

同  所 通油町 靏 屋喜右衛門

同  所 同 町 村田屋次郎兵衛

現代語訳

亭主「癪が痛いなら、腹の縄をもちっと堅(かと)う締(し)めてやろかい」

弥次「いえいえ、わっちの癪は、甚句を躍ると治まりますから、どうぞこの縄解いて下さりませ」

十吉「はははははは、こりゃあまったくたわいのない連中じゃわい。勘太さん許してやらんせ。どうせ奴らはえらい阿呆じゃ。なるほど吉弥めに誑(たぶら)かされくさって、着る物(もん)貸したまでのこっちゃあろぞいな」

亭主「さいな、そないに言わんすりゃ、いかさま賢うも見えんわろたちじゃ。たいしたことはありゃせまい。許してやろかいな」

北八「それは有難うございやすが、わっちゃあこの裸のままでは、帰られやせん」

亭主「帰れなきゃ、行くな、行くな。こちにも言い分があるさかい」

北八「いやいや、そんなら出て行きましょう」

十吉「さあさあ。行った行った。何ともばかくさい連中じゃわいな」

と、二人の縄を解いてやると

弥次「北八、手前のおかげで、とんだ目に遭った」

北八「お前よりか、おらあこの通り、着物を取られて、はあっ、くしょん、おお、さむ(寒)、寒」

亭主「はははは、あんまり可哀想じゃ。何なと一枚くれてやろかい」

北八「有難うございやす。どんなものでも、どうぞいただかして下さいやせ」

亭主「ええ、乞食めが言うようなことぬかしやがる。乞食役者に似合うたように、納屋の菰一枚持って来てやれやい」

下男「いや、ここに昨日の俵がある。これを着て行かんせ」

北八「なに、それを着ろとか。ええ、情けないことを言う」

亭主「せっかくの俺のこころざしじゃ。着ていなんかい」

北八「はい、有難うございやすが、私はやはり、裸が勝手がいいようでございやす」

弥次「外聞の悪いことを言う男だ。おいらが合羽を貸してやろう」

と、弥次郎が、木綿合羽を取って、北八に着せながら、

うとましやかいたる恥も赤はだか合羽づかしき身とはなりたれ

最後には大笑いになり、二人はようやく此処を逃れ、出立したということである。

語句

■胴中-腹の中部。■じんく-甚句。この踊は手足をさまざまに動かすので、自由にしてくれの意。■やくたい-「やくたいなし」の略。たわいのない連中。■たかで-どうせ。■敵等-三人称で目下に見た語。■たらされくさつて-だまされる。情欲などをもって欺かれることをいう。■べしてのこと-別してのこと。格別なこと。たいしたこと。■いなして-「いなす」は往(い)なせる。立ち去らせる。追い払う。帰すの上方語。■あたあほらしい-「あた」は形容詞を修辞して、甚だしい意を示す接頭語。何ともばかくさい。■みだれ-乞食。■てきに-敵に。あいつに。■納屋(なや)-物置小屋。■菰(こも)-物乞いのようなことをいったので。それなら菰をやれといった。■げへぶんのわりい-外聞の悪い。■合羽(かっぱ)-もとポルトガル語。防寒又は雨具として、衣装の上に着るもの。防寒用は木綿などで作り、雨具は桐油(とうゆ)紙で作る(『主貞漫稿』など)。■うとましや~-「うとましや」は我が身ながらつくづく嫌になる意。「赤恥をかく」の成語や、「こつぱづかしい」の地口の「合羽づかしい」を入れての一詠。やれやれ嫌なことだ、赤恥をかいて赤裸になり、こっ恥ずかしい、合羽だけを着る身の上となった。

膝栗毛七編 全二冊近刻

大阪心斎橋唐物屋 河内屋太  助

江都本石町二丁目 西 村源  六

同  所 通油町 靏 屋喜右衛門

同  所 同 町 村田屋次郎兵衛

次の章「七編序

朗読・解説:左大臣光永

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