八編序

原文

膝栗毛八編 上・下・下

道中膝栗毛八編序(ひざくりげはちへんじよ)

凡而(すべて)、ことの十分(ぶん)なるは、欠(かく)るの兆(きざし)、九分なるは、充(みつ)るの首(はじめ)なれば、八の数(すう)を以て、永久(えいきう)の嘉瑞(かずい)とし、もののめでたき極位与(ごくゐよ)する事は、先大江都(おほゑど)の八百八町、長(とこしなへ)にして尽(つき)ず。神に八百万神永(なが)く跡(あと)を垂(たれ)給ひ、法華経(ほけけう)の八部末世(まつせ)に伝(つた)へて弘(ひろ)く、歌書(かしよ)には八代集(しう)を最上(さいじやう)とし、易(ゑき)に八卦(け)、十露盤(そろばん)に八算(さん)、食言(うそ)にも八百の相場(さうば)あれば、質(しち)も八ケ月を限(かぎり)とす。予が膝栗毛(ひざくりげ)も、此八編に至(いたつ)て足(あし)を洗(あら)ひ、引込思案(ひつこみじあん)の筆をおくこと、花(はな)の半開(はんかい)、酒(さけ)の微酔(びすい)に託(かこつけ)たれど、実(じつ)の所は逃(にげ)口上、知恵袋揚底(ちゑぶくろあげぞこ)なれば、はたき仕舞(しまひ)し栗毛の趣向拠(しゆかうよんどころ)なく、おつもりの大阪(おほさか)着(づき)、長町泊(ながまちどまり)から滑稽(こつけい)のはじまりはじまり

文化

巳孟春

十辺舎一九

現代語訳

総ての物事で十分いえる状態になっているのは、消滅する兆しである。九分の状態のものは、十分になる前の始まりなので、八の数を以て、永久に続くめでたいしるしとし、ものの目出度き極意に寄与することは、先ず、大江戸の八百八町が江戸と幕府の繁栄を寿ぎ、神においては、八百万(やおよろず)の神が永く人々の足跡を垂れ給い、法華経の八部を広く、末の世に伝え、歌の書には八代集を最上とし、易においては、八卦、算盤においては八算、嘘においても「嘘八百」という諺もある。質においても八か月を限りとしている。予の膝栗毛もこの八編に至って、筆止めとし、引込思案の筆をおくことを花の半開、酒の微酔にかこつけたが、これは実は逃げ口上である。知恵袋が萎んで趣向も出し尽くしたので仕方なく、最後の大阪に着き、長町泊りから滑稽の始まり始まり

語句

■ことの十分(ぶん)なるは-諺に「十分はこぼる」とか「九分は足らず十分は溢る」。■八の数(すう)を以て-『百草露』に「神道に八ノ数を貴びて、・・・十の数の内、始の一と終の一を除き去れば残て八ツ也、是始もなく終もなく、窮め尽る事なきの義を祝して八数を貴ぶといへり(以下、八卦の八、弥を八に示すの諸説をあげる)」。■八百八町-江戸の町数の多いことを示す語。この称は元禄期からあるが、文化頃では、実数はこれ以上である。■嘉瑞-めでたいしるし。吉兆。■長にして尽ず-江戸と幕府の繁栄を寿いだ語。■八百万神-『古事記』に「八百万ノ神、天ノ安ノ河原ニ神集ヒ集ヒテ」。多数の意。■法華経-代表的な仏典。普門品を入れて八巻二十八品。■八代集-平安朝以来の勅撰和歌集。初めから数えて古今・後撰・拾遺・後拾遺・金葉・詞歌・千載・新古今の八集。代々の和歌の典範。■八卦-易経に始まり、占筮(せんせい)にも用いる八種の卦。乾・兌・離・震・巽・坎・良・坤。

■八算-算盤で、掛算の「九九」と共に、割算の基本となる算法で、二から九までの割算を、「二一天作五」などと、呼声で覚える。■食言(うそ)-諺に「うそ八百」。■八ケ月を限(かぎり)とす-八か月過ぎると質流れとなる。時代や地方によってその期限は違うが、江戸では元文から天保頃まで、八か月であった(江戸生活辞典)。■足を洗ひ-仕事を終ることをいう。■引込思案-足を洗って「引込む」(やめる)の意と「引込思案」(進む意気ごみのない意)をかけた。■花の半開-『徒然草』百三十七段「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」、同百七十五段の酒についての発言による。引込思案で、あまり最後までゆかず、花も酒も、この『膝栗毛』も程々でやめますとはいうものの。■揚底(あげぞこ)-箱などの底を、四周より上に作ったもの。底が浅いことになる。■はたき仕舞し~-趣向も出しつくしたので仕方なく。■おつもり-酒宴で最後の一杯をいう。■大阪着-「大阪へ着く」と「大盃(おほさかづき)」の語呂合わせ。「おつもり」の縁。■長町-大阪市街南方の宿屋街。■文化巳孟春-文化六年己巳年(1809)正月。

  

付言

原文

膝栗毛初編(ひざくりげしよへん)よりさいはゐに行(おこなは)れて、今年(ことし)八編(へん)にいたり、漸(やうや)く満尾(まんび)し畢(おはん)ぬ 近ごろ此書(このしよ)に類(るい)せし版本是彼と出はべれば その流行(りうかう)の図をはづさず むかふ午(むま)には初編再版(さいはん)のもよほしあれば それに発端(ほつたん)一冊(さつ)をまして二巻(くはん)となし そのあとへひき続(つづ)き木曽路(きそぢ)の記行(きかう)をもとむれども 作者固辞(こじ)して肯(うけが)はず こひねがはくは 諸君子(しよくんし)の催促(さいそく)をまちてものせんとの事なれば 猶追(おつ)て御披露(ひろう)におよぶものならし

書肆 栄邑堂志

現代語訳

膝栗毛の初編から、幸に好評を得て、今年で八編に至り、ようやく終了となる。近頃は、この書に類した出版物も多くなり、その流行の機会を逃さず、来たる牛の年、文化七庚午年に初編再版の計画があるので、それに最初は一冊増やして二巻構成とし、その後に引き続き、木曽路紀行の執筆を求めたが、作者が固く辞退して請けてもらえなかった。乞い願わくば、読者の催促を待って計画を成し遂げようと思うので、なお、追って御披露することになるであろう。

語句

■満尾し-最後に至ったこと。終了すること。■此の所に類せし~-文化四年(1807)には、『夷国滑稽羽栗毛』『播州巡り旅枕浦青梅』前・後編、『其趣雙笠足毛◎』初・二編などが出ている。■図をはづさず-チャンスを見逃さず。■むかふ午-来る午の年。文化七庚午年(1810)。■初編再版のもよほし-初編再版の計画。今日残るものは、ことごとくこの再版本系。初版は未見。■発端-発端は、この時計画があったが、出版は文化十一年であった。■木曽路の記行-木曽路を帰る前に、金毘羅宮島足をのばして。『金毘羅参詣続膝栗毛』初編は、文化七年刊。『木曽街道』と冠した『続膝栗毛』三編が出刊を見たのは文化九年である。■諸君子-読者をさす。■栄邑堂-本書の書肆村田屋治郎兵衛。

次の章「八編上巻 大阪見物 一

朗読・解説:左大臣光永

【古典・歴史】メールマガジンはこちら