八編上巻 大阪見物 一

原文

膝栗毛八編 上・下・下

道中膝栗毛八編上巻

押照(おしてる)や難波(なには)の津は、海内秀異(かいだいそうゐ)の大都会(だいとくはゐ)にして、諸国(しよこく)の賈船(こせん)、木津安治(きづあぢ)の両川口にみよしをならべ、碇(いかり)をつらねて、ここにもろもろの荷物(にもつ)を鬻(ひさ)ぎ、繁昌(はんじやう)の地いふばかりなし。殊更(ことさら)花の春は淀(よど)川に棹(さほ)さして、さくらの宮に遊び、網嶋(あみじま)の鮒卯(ふなう)に酔(ゑひ)をもよほし、夏(なつ)は難波新地の納涼(すずみ)に蛍(ほたる)をかり、豆茶(まめちや)やに腹(はら)をこやし、秋はうかむ瀬(せ)の月、冬(ふゆ)は解船町(ときふなてう)の雪(ゆき)げしき、四季折々の詠(ながめ)おほかる中に、目枯(めがれ)ぬ花の曲中(くるは)は、いつもさかりの春のごとく賑(にぎは)ひ、道頓堀(だうとんぼり)の芝居(しばゐ)は、つねも顔(かほ)みせのここちして群集絶(ぐんしゆたへ)ず。かかる名誉(めいよ)の地を、見のこすも本意(ほゐ)なしとて、かの弥次郎兵衛喜多八なるもの、ふし見の昼船(ひるぶね)に途中(とちう)より飛乗(とびのり)して、はやくも大阪の八軒家(はちけんや)にいたり、爰(ここ)より船をあがりたるは、最早(もはや)たそがれ時にして、東西をしらず、南北をわきまへざれば、人に尋ねとひつつ、長町(ながまち)をさしてゆくほどに、堺筋通(さかいすじどふり)を南に、日本ばしへ出たりければ、宿引(やどひき)どもここに居合(ゐあは)せ、両人を見かけて、宿(やど)の相談(そうだん)をしかくるに、早速(さつそく)きはまり、すぐさま、此長町の七丁目なる、分銅河内屋(ふんどうかはちや)といふにぞつれゆきける

やど引さきにかけぬけて 

「サアサアおきやくさまお供してきたわいな

やどやのばんとう「是はよふお出なされました。おいくたりでござります

弥次「ヘイ同行四拾七人

ばんとう「ナニ四十七人さま。コレコレおさんどんや。大勢(ぜい)さまじや。西のおくの間を打ぬいてあげさんせ。よふきれいに掃きだしたがよいわいの。コレ久三、おあしお洗(あら)ひなさるお湯はどふじやい。ぬるてもだんない。水なとうめてあげませい。はやうはやう。時にもし、その四十七人さまは、いこあとかいな

弥次「イヤ是は、先達(せんだつ)て鎌倉(かまくら)へ発足(ほつそく)。われわれ両人は、是より泉州堺(せんしうさかい)の天川屋へ

ばんとう「エエなんのこつちやいな。やつぱりおふたりかいな。コレコレおつんや、おふたりじやといな。こつちやのおひとり居しやしやる、せまいとこにさんせ

おつん「ハイハイ御案内(あんない)いたしましょかいな

ト此内両人は、あしをあらひあがりて見るに、此宿は当所、ずい一の大家にして、およそ、間かず七八十もありといへり。両人女につれられてゆくに、おくのくちもとの、六でうばかりなる小ざしきへはいる。外に一人この間にとまり合せゐることなれば、

現代語訳

大阪見物 一

大阪は、海に開けた非常に優れた大都市であって、諸国の商船が木津川、安治川の河口に碇を連ねて、ここで色々な物を売買し、繁昌している土地であるのは言うまでもない。

殊更、花の春は淀川に船を浮かべて、さくらの宮に遊び、網島の鮒卯で酒を飲み、夏は難波新地の納涼祭で楽しみながら、女郎を買い、豆茶屋で腹を満たし、秋はうかむ瀬での月見を楽しみ、冬は解船町での水墨画を彷彿させる雪景色を堪能する。四季折々の見事な眺めが多い中でも、見飽きない花の廓は、いつも盛りの春のように賑わっており、道頓堀での芝居興行は、いつも顔見世のような新鮮さで群集が絶えない。かかる名誉の地を、見過ごすのは本意ではないと、かの弥次郎兵衛喜多八なるもの、伏見の昼船に途中で飛び乗り、早くも大阪の八軒屋に到着し、ここで船を下りた時は、すでに黄昏時であった。下船してはみたものの、暗くて方向感覚を無くし、人に道を尋ねながら長町に向って歩いて行く。そうこうしているうちに、堺筋通を南に行って、日本橋に出た。そこでは、宿引きどもが数人待ち構えて居り、両人を見つけて、宿泊の誘いを仕掛けてくる。両人が早速泊まる場所を決めると、そこの宿引きは、すぐさま長町七丁目にある分銅河内屋という所に両人を連れて行った。

宿引きは先に掛けて行って、

「さあさあ、お客様お供してきましたわいな」

宿屋の番頭「これはようお出でなされました。お幾たりでござります」

弥次「へい、同行四十七人」

番頭「なに、四十七人さま。これこれ、おさんどんや。大勢さまじゃ。西の奥の間を打ち抜いてあげさんせ。よう綺麗に掃き出したが良いわいの。これ久三、お足をお洗いなさるお湯の準備はどうじゃい。温(ぬる)くても大事はない。水なとうめてあげませい。早う早う、ところでもし、その四十七人さまは大変遅れているのですか」

弥次「いや、これは先に江戸へ出発しました。我々両人は、これから泉州堺の天河屋へ行く所ですわい」

番頭「ええ、何のこっちゃいな。やっぱりお二人さんかいな。これこれ、おつんや、お二人じゃといな。こっちゃのお一人先客の狭い所にさんせ」

おつん「はいはい、御案内いたしましょかいな」

とそのうちに、両人は足を洗って上って見ると、この宿は、当地随一の大家で、およそ、間数は七、八十もあるという。両人は女に連れられ行くと、奥の入口の六畳ばかりの小さな座敷へ入る。外に一人この間に泊合せる人がいるので、

語句

■押照(おしてる)や-「押照や」は「難波」の枕詞。「難波の津」は大阪の旧名。『万葉集』の昔から、代々の古典に見える。■秀異の大都会-珍しくよい大都市。■賈船(こせん)-商船。■木津安治(きづあぢ)の両川-共に淀川の分流。『摂津名所図会』河口の条に「河海の喉口にして、両所より一は安治川(貞享年中河村瑞賢安治の開削といふ)。大川筋・土佐堀・蜆(しじみ)川等の下流なり。一は木津川といふ。長堀・道頓堀及び西の方諸流ここに帰会す、諸国の廻船ここにつどひて、碇を御し・・・」。■みよし-船の舳先に突き出た部分。船首。■さくらの宮-大阪北郊中野村淀川沿いの宮(祭神天照大神。今都島区)。『摂津名所図会』に「此社頭に神木とて、桜多し、・・・浪花の騒人ここに来りて幽艶を賞す、淀川の渚なればきよらなる花の色、水の面にうつるけしき、塵埃を避て神慮をすずしめ奉る也)。■網嶋-京橋の北、備前島にある。四季共に遊山の地で、鮮魚を饗する料亭があった。■鮒卯(ふなう)-網島第一の料亭の名。粋な料理屋であったという。■難波新地-「なんばしんち」(今中央区)道頓堀の南。難波の東部の新地。『浪花のながめ』三(安永七年)に「此新地繁盛のため、すずみ始りしより、毎年初夏より秋の最中ころまで、毎日暮方より茶店をならべ、軽わざ・ちからもち・曲罵・猿の狂言とうろうの細工・水からくり、其の外珍しき見せものは、としどしかはり、賑はしき風けい、都のすずみ(四条河原)にもおとらぬ、恋風伽羅くさき茶店の酒もり(私娼)に、おりおりこのしろくさい無常の風(千日前の火葬)も、一種のさかなとおもへば、アア浮世なりけり」。■蛍-水茶屋と見せて、売色する私娼を称したのであろう。京都にこの称(『花洛色里案内』など)あり、大阪難波新地にこの称は未見ながら、一九は通じて用いたか。■豆茶や-瑞竜寺の表門より一町東に、南へ通ずる道があって、その西南の角に豆茶屋があった。後に暁鐘成が再興して浮世亭という(浪華百事談・八)。■うかむ瀬-四天王寺の西、新清水寺の西(今、天王寺区)の料亭。浮瀬の貝觴外珍器を蔵し、海上を見渡せる高台で大阪の名所となり、四季飲客が多かった(『摂津名所図会』など)。■解船町(ときふなてう)-阿波座堀の南側で、瀬戸物町の南にあたる町。解船町には古船を解いてその板柱などを商う家が並んでいたという。『浪花のながめ』四に「阿波座解船の雪、唐画ににたり」とあって、解体した古船材を山積みした所に雪の積んだのが唐画のようなのを興じたもの。■目枯(めがれ)ぬ花の曲中(くるは)-見飽きしない花の廓中。大阪の公娼街新町遊郭のこと。■道頓堀の芝居-早くから芝居町であった。■顔みせ~-毎年十一月各大芝居で開く興行をいう(京阪では宝暦以後十二月)。新規編成の一座の役者が初めて顔を見せる意で、座も見物もいろいろの賑々しい催しの習慣があって雑踏した。道頓堀の芝居のいつも繁盛なことの形容。■昼船(ひるぶね)-伏見を昼発して大阪へ下る船。夜船の対。七編末に見えて淀から乗船。■八軒屋-淀川の船の大阪での発着地(今、北区)。『摂津名所図会』に「京師上下のゆきき夜の船昼の船、出るあり、着くあり、賑しき事ならぶ方なし、・・・今は京橋筋三町目・四丁目といふ、又八軒の旅舎あれば土俗八軒屋と地名す」。■長町-道頓堀川の堺筋に架かる橋が、日本橋で、それより北へすぐに延びる通り。■堺筋通を~-日本橋から南、泉州紀州へ通ずるのが長町であるが、寛政七年(1795)より一丁目から五丁目を日本橋通り、六丁目から九丁目までを長町と称した。『摂津名所図会大成』八に、延宝七年(1679)の『難波雀』「長屋旅籠屋十軒」とあるが、「今はむかしに百倍して、其数あげて枚へがたし、浪花の繁昌これにて思ひやるべし」とある。■宿引-宿屋から道中に出て、客を誘うこと。またその者。■分銅河内屋-『摂津名所図会大成』同条に「就中、ひやうたん河内屋・ふんどう河内屋などいへる大家ありて、数百人を宿す、所謂当地の旅籠屋は浪花の名物なり」。山形に分銅(重量を量る時のおもり)の家紋を使用し、河内屋四朗兵衛と称した。■四拾七人-赤穂義士四十七士の洒落なること、後に見える。■間をうちぬいて-数間の襖・仕切りを外して一座にすること。■久三-下男の通称「久三郎」の略。■■水なとうめてあげませい-「湯なりと加えよ」とあるべきを「水」と間違うのが、あわてているところ。■いこおあとかいな-大変遅れているのですか。■イヤ是は~-「仮名手本忠臣蔵」十段目の初め、堺の天河屋義平を、原郷右衛門、大星力弥が訪うところ、所も泉州の道筋なれば、その気取りのせりふである。■鎌倉-「忠臣蔵」で江戸をさす。■天川屋-「忠臣蔵」で浅野家出入りの商人で、討入の武器調達を依頼されて、誠意を示す、天河屋義平。■おつん-下女の名。「つん」は「つんぼう」の略。■おくのくちもと-表の一構えと奥の構えが別になっていて、その奥の構えの入った所の意であろう。

原文

ばんとう「御ゆるしなされませ。どふぞもし、御究屈(きうくつ)のござりましよが、御一ツ所になされて下さりませ

此旅人は丹波の人「だんないてや。サアサアこつちやへわせさつしやい

北八「これは御めんなせへ

弥次「モシわつちらア二三日も逗留(とうりう)して、所々見物がしたいからおたのみ申やす

ばんとう「ハイかしこまりました。先御ゆるりと

トいひすててかつてへゆく

たんばの人「コリヤわごりよたちは、どこからきよりました

北八「わつちらアゑどでござりやす おめへは

たんば「わしは丹波(たんば)のささ山在郷(ざいごう)  今度高野(こんどかうや)へゆきよります。コリヤあじいな縁(ゑん)で、あいやどしよりますわいな

弥次「とかく旅(たび)は道づれ、お心安いがよふござりやす

ト此内やどの女「ままあげましよかいな

ト三ぜんもち来りすへる。しよくじのうち、いろいろあれどもりやくす。やがてめしもすみ、ゆにも入てしまふと、大あばたの女あんま、いやらしきふうにて、さぐりさぐりきたりて

「おりやうじはよござりますかいな。どふぞもましておくれんかいな

弥次「イヤあんまさんか、おめへ女だの。しかも生(いき)ていらア。北八どふだ、もまねへか

北八「こつちからもんでやりてへ

あんま「ヲヲおかし、何いひじややら。おまいさんがたはおゑどじやな。わしやアノおゑどのおかたがすきじやわいな。とのたちは男らしうて、ものいひじやとこが、ゑらいすつぱりとしてよいわいな

北八「おめへさつぱり目が見へやせんか。見へると此うちに、とんだいいおとこがゐるに、見せてへなア

あんま「そじやあろぞいな

弥次「ナントあんまさん、此男よりわつちがいい男か、そふして年(とし)はどつちがわけ(若)い。あてて見なせへ。あたつたらふたりながら、もんでもらひやせう

現代語訳

番頭「お許し下されませ。どうぞもし、御窮屈ではござりましょうが、御一緒になされて下されませ」

この旅人は丹波の人「大事御座りません。さあさあ、こっちゃへおいでなさい」

北八「これは御免なせえ」

弥次「もし、わっちらあ二三日も逗留して、所々見物がしたいからお頼み申しやす」

番頭「はい、かしこまりました。先にごゆるりと」

と言い捨てて調理場へ立って行く。

丹波の人「こりゃ、お前さまがたは、何処から来よりました」

北八「わっちらあ、江戸でござりやす。ところで、おめえは」

丹波「わしは丹波の笹山でござりやす。今から高野山へ行きおります。こりゃ不思議な縁で合宿しよりますわいな」

弥次「とかく旅は道連れと申しやす。遠慮が無いのがようござりやす」

とこの宿の女「ままをあげましょかいな」

と三膳を持って来て据える。食事中にも色々あったが省略する。やがて食事も済み、湯にも入ってしまうと、大痘痕(あばた)の女按摩が変に身体をくねらせ色気を発散させながら手探りしながらやって来て、

女按摩「お療治はよござりますかいな。どうぞ揉ませておくれんかいな」

弥次「いや、按摩さんか。おめえ女だの。しかも生きていらあ。北八どうだ。揉まねえか」

北八「こっちから揉んでやりてえ」

按摩「おお、おかしい。何言いじゃやら。おまいさん方はお江戸じゃな。わしゃぁのお江戸のお方が好きじゃわいな。殿達は男らしゅうて、物を言ったところが、えらいすかっとして気持ち良いわいな」

北八「おめえ、さっぱり目が見えやせんか。見えると、この中にとんだ良い男がいるに、見世てえなあ」

按摩「そじゃあろぞいな」

弥次「なんと按摩さん、この男よりわっちが良い男だろう。そうして年はどっちが若い。当ててみなせえ。当ったら二人とも、揉んでもらいやしょう」

語句

■だんない-『浪花聞書』に「だんない、大事ないこと也、改めて云へば、大事おませんともいふ、御座りませぬ」。■わせさつしやい-おいでなさい。■わごりよ-二人称代名詞で、やさしくいう語。■ささ山-多紀郡笹山町(今、兵庫県)の田舎。■高野-紀州の真言宗の霊山。■あじいな縁で-味な縁。不思議なご縁で。■旅(たび)は道づれ-諺「旅は道連れ、世は情」。■三ぜん-三つの膳。■いやらしきふうにて-変に色気を示したさま。もちろん、客あしらいの気持ちである。■りやうじ-もみ療治。■もんでやりてへ-女性を相手にする意。■ものいひじやとこが-物を言ったところが。

原文

あんま「ソリヤいつき(直)にあてるわいな

北八「コリヤおもしろへ。サアおいらはいくつぐらひだ。

あんま「まちなされ。おまいさんは廿三四

北八「コリヤきついは。男はいい男だろうね

あんま「さよじや、お顔(かほ)はよふ道具(だうぐ)がそろふてじや

北八「かけてあつてつまるものか

あんま「お目がゑらいいつかいお目じやあろがな。そしてお鼻(はな)が

北八「高いかひくいか

あんま「こういふたら、おはらたとかしらんが、たしかに、ししまひばなじやあろぞいな

たんば「ハハハハきよといきよとい

弥次「おいらはどふだ

あんま「あなたは、いこふけてお出でじやわいな。おとしは四十ばかりで、おいろがくろふて、はなのひらいた、髭(ひげ)だらけなおかほじやあろがな

北八「きめうきめう

あんま「そしてぼやけぶとりに、よふ肥(こへ)てゐなさるじやあろ

弥次「イヤちがつたちがつた。おいらはひんなりとしていろ男

北八「うそをつく。コリヤあんまさんがかちだ。もんでやりな

弥次「やくそくだからしかたがねへ。爰(ここ)へ来てくんな

あんま「ヲホホホホホそれへさんぜうかへ

ト弥次郎がうしろへまはり、もみにかかると、此内、女のくわしうり、はこをかさねてもちきたり

「よふおとまりじやわいな。くわしん買(か)ふておくれんかへ

北八「ヒヤアだんだんと出てくるは。なかなかいい菓子(くはし)だぞ。おめへわつちらに売気(うるき)か

現代語訳

按摩「そりゃあ、直(じき)に当てるわいな」

北八「こりゃ面しれえ。さあ、おいらは幾つぐらいだ」

按摩「待ちなされ。おまいさんは二十三四」

北八「こりゃ、きついは。男はいい男だろうね」

按摩「さよじゃ、お顔はよう道具が揃うてじゃ」

北八「欠けてあってつまるものか」

按摩「お目がえらい大きなお目じゃあろがな。そしてお鼻が」

北八「高いか低いか」

按摩「こう言うたら、お腹立ちになりましょが、確かに、獅子舞鼻じゃあろぞいな」

丹波「はははは、面白い、面白い」

弥次「おいらはどうだ」

按摩「貴方は、たいそう老けておいでじゃわいな。お年は四十ばかりで、お色が黒くて、鼻の開いた、髭だらけのお顔じゃあろがな」

北八「奇妙、奇妙」

按摩「そして、締りなくぶくぶく太って、よう肥えていなさるじゃあろ」

弥次「いや、違った、違った。おいらはすんなりした、細くて上品な色男」

北八「嘘をつく。こりゃ、按摩さんが勝ちだ。揉んでやりな」

弥次「約束だから仕方がねえ。ここへ来てくんな」

按摩「おほほほほほほ、そこへ参じましょうかえ」

と弥次郎の後ろへ回り、揉みにかかると、そのうちに、女の菓子売りが箱を重ねて持って来て、

「ようお泊りじゃわいな。菓子買うておくれんかいな」

北八「ひゃぁあ、だんだん出てくるは。なかなかいい菓子だぞ。おめえをわっちらに売る気か」

語句

■かけてあつて-欠けていて。■いつかい-いかい。大きい。■ししまひばな-獅子舞鼻。獅子鼻。低くて大きく小鼻が開いているさま。■ふけて-実際の年より、老年に見えるさま。■ぼやけぶとり-しまりなく、ぶくぶく肥えているさま。■ひんなりとして-すんなりした、細くて上品なさま。

※この女あんまは、実は目が見えたことは、後に判明する。二人の主人公たちは、ここでそのことに疑いをもたねばならぬのに、気づかないで、次の失敗をする。ここに一九の趣向がある。

■くわしうり-菓子売り。■はこをかさねて-菓子を入れた箱を、幾重にも重ねて。■くわしん-「菓子」の上方訛。■なかなかいい菓子(くはし)だぞ-ここは女ぶりを誉めたので、遊女のように自分を売る気かと、からかったもの。

原文

くわしうり「さよじや。こちやおまいさんがたに、売(うり)たうて売(うり)たうてならんさかい、やうやうはしりまふてさんじたわいな

弥次「上方の女中は手があるの

くわしうり「手もあしもないが、むちやにおまいさんがたに、ほれたのじやわいな。そふおもふてどふぞ、くわしんかふておくれや。ドレちややくんでさんじやうかへ

トくわしばこをつき出しおいて、かつてへゆくと

北八「エエつらのにくいほどしやべるやつだ

トいひつつ弥次郎に目くばせして、そつとくわしのはこの下に、かさねてあるはこより、何やらくわしを、五ツ六ツとりいだし、うしろへちやつとかくすと、かのあんま、手を出して、そのくはしをそつとひつたくり、たもとへいるるを、北八いつかうにしらず、弥次郎もおなじく、くはし三ツ四ツとり出すに、かつてより人おとするゆへ、ちやつとはこをもとのごとくかなさておき、かのくはしは、うしろのかたへかくすを、あんまとりこれをもそつとせしめて、たもとにいるるを弥次郎も、いつかうにむちう作左衛門なり。此うち、くわしうりの女、茶をくんでぼんにのせ、もちきたりて

女「サアぬくいのをあがりなされ

弥次「せつかくおめへきなさつたものを、まんざらすげなくもしられめへ

トくわしばこのうちより

弥次「これはいくらだ

くわしうり「ハイハイ四せんヅツじやわいな。ソリヤもむ(味)ない。こつちやあがつて見なされ

トならべたててすすむるに、弥次郎も北八もたんばの人も、てんでにとつてくらう

北八「コウ待ねへ。むせうにくつて、かずがしえめへ

くわしうり「よござります。なんぼなとあがりなされ。こちやただでもあげよわいな ノウおたこさん

あんま「さよじやわいな。サアよござります。こつちやのおかた、もみましよかいな

弥次「ヲヤもふしめへか

あんま「サアあなた、わしがねきへ、よてかしんかいな

北八「ソレよしかよしか

現代語訳

菓子売り「さよじゃ。こちゃおまいさん方に、売りとうて売りとうてならんさかい、やっと走り回って来ましたわいな」

弥次「上方の女中は客あしらいが上手いの」

菓子売り「手も足もないが、無茶におまいさんがたに、惚れたのじゃわいな。そう思うてどうぞ、菓子を買うておくれや。どれ、茶など汲んで来ましょうかの」

と菓子箱を突き出しておいて、調理場へ行くと、

北八「ええ、癪に触るほどよう喋る奴だ」

と言いつつ弥次郎に目配せして、そっと菓子の箱の下に、重ねてある箱から、何やら菓子を五つ六つ取り出し、後ろへさっと隠すと、かの按摩が手を出して、その菓子をそっとひったくり袂へ入れたのに北八は全く気付かない。弥次郎も同じく、菓子を三つ四つ取り出すが、調理場から人の音がするので、さっと箱を元のように重ねて置き、かの菓子を後の方へ隠そうとするのを、これまた按摩が取り上げ、これをもせしめて袂に入れるのを弥次郎も、全く気づかない。

そのうちに、菓子売りの女が茶を汲んで盆に乗せ、持って来て、

女「さあ、温いのをあがりなされ」

弥次「せっかくおめえ来なさったものを、まんざら知らぬ振りもでけめえ」

と菓子箱の中から

弥次「これはいくらだ」

菓子売り「はいはい、四銭づつじゃわいな。そりゃあまり旨くない。こっちゃをあがってみなされ」

と並べ立てて勧めると、弥次郎も北八も丹波の人もそれぞれに取って食う。

北八「これ、待ちねえ。やたらに食って、数がわかりめえ」

菓子売り「よござります。なんぼなとあがりなされ。こちゃただでもあげよわいな。のう、おたこさん」

按摩「さよじゃわいな。さあ、よござります。こっちゃのお方、揉みましょかいな」

弥次「おや、もう終いか」

按摩「さあ、貴方、わしの傍へ寄ってくれんかいな」

北八「それ、よしか、よしか」

語句

■はしりまふてさんじたわいな-走り回って来ましたわいな。■手があるの-ここは、客あしらいの巧みなことをいう。■つらのにくいほど-癪に触るほど。■ひつたくり-奪い取り。■せしめ-こっそりと自分のものにする。■むちう作左衛門-「夢中」を擬人名化したものであるが、ここは気づかないの意。■すげなくも-愛想が無い。■もむ(味)ない-上方語で、「うまくない」の意。

原文

くわしうり「ちやや最(も)ひとつあがりなさらんかいな

あんま「おなべさん、御ちそうなされ。此お旁(かたがた)はゑらい御心よしじやわいな。サアあなたおよこに

北八「もふ肩(かた)はしめへか。ごうぎにはしよるの

たんば「コリャわりさまたちのくちまつにかかつて、ゑらう、くはしんくてのけた。何ぼぞい

くわしうり「ハイハイお三人さまで、弐百四拾八せんでござりますわいな

弥次「ヤアとんだことをいふ。何そんなにくふものか。きた八はいくつだ

北八「さればの、いくらであつたか

たんば「わしは四文のを五ツくつたから、ソリヤ二十やるぞ

北八「そんならあとはふたりで出すのか。ばかばかしい 菓子よりかはたごのほうがやすい

くわしうり「そじやてて、あがりなされたものを、しよことがないじやないかいな。ヲホホホホホ

弥次「イヤヲホホホホ所じやねへ。とんだめにあはせる

トこごといひながらせんかたなく、ぜにをはらひやると、此うちあんまももんでしもふと

北八「あんまさんはいくらだ

あんま「ハイおふたりで、おあし一すじおくれいな

北八「ナニ五十づつか。コリヤたかいたかい

トこれもあとではぜひなく、百文だしてやるとふたりはたつてゆく

弥次「上がたの女にやアゆだんがならねへ。しかしくわしうりめが、おいらをいいようにしたと、おもつてけつかるであろふが、そふは虎(とら)の皮(かは)、こつちにも荒神(くほうじん)さまがあらア。馬鹿(ばか)なつらな。とつくに上菓子(ぐはし)を、ここにはへつけておいたを、しらぬやつさ

トうしろをさがすに、せんこくのくはし見へず。北八もおなじく、ここにおいたはづだと、たづぬるに、いつかう見へず。かつてより女、ちやわんとやくわんをもちいで

「御退屈さまでござりましよ。おにばながでけました

トおいてゆく

現代語訳

菓子売り「茶をもっとあがりなさらんかいな」

按摩「おなべさん、御馳走なされ。この方々はえらい心が広いわいな。さあ、貴方お横になりなされ」

北八「もう肩は終いか。すごく早く終わるのう」

丹波「こりゃ、貴方がたのおしゃべりに乗って、えろう菓子食てのけた。何ぼぞい」

菓子売り「はいはい、お三人さまで、二百四十八銭でござりますわいな」

弥次「やあ、とんだことを言う。何でそんなに食うものか。北八はいくつだ」

北八「そうだな、いくらであったか」

丹波「わしは四文のを五つ食ったから、そりゃ、二十やるぞ」

北八「そんなら後は二人で出すのか。馬鹿馬鹿しい。菓子よりか旅籠代の方が安い」

菓子売り「どういったとて、あがりなされたものを、仕片がないじゃないかいな。おほほほほほ」

弥次「いや、おほほほほどころじゃねえ。とんだ目にあわせやがる」

と小言を言いながら、仕方なく、銭を払いやると、そのうちに、按摩も揉み療治を終えて、

北八「按摩さんはいくらだ」

按摩「はい、お二人で百文おくれいな」

北八「なに五十づつか。こりゃ高い高い」

とこれも後で仕方なく、百文出してやると女二人は立ち去る。

弥次「上方の女にゃあ油断がならねえ。しかし菓子売りめが、おいらを自分に得になるよう、うまうまとあしらったと、思ってけつかるであろうが、そうはうまくはいかないぞ、こっちも荒神様がついていらあ、負けるものか、畜生。とっくに上菓子をここにごまかしておいたを、知らぬ奴さ」

と後ろを探すが、さっきの菓子が見えない。北八も同じく、ここに置いたはずだと、探すが一向に見えない。調理場から女が茶碗と薬椀を持って来て、

「御退屈さまでござりましょ。お煮花がでけました」

と置いて行く。

語句

■おなべさん-菓子売りの名前。■はしよる-簡略にする。短くする。この言葉で女あんまが、二人をすっかり甘く見てお安く扱っている体をよく示している。■わりさまたち-お前様方。■くちまつ-口松。くちまめなこと、口数の多いこと。おしゃべりな人。■弐百四拾八せん-一個四文として、六十二個を食したり、隠したりしたことになる。■さればの~-北八は、隠したからはっきり言わない。■はたご-旅籠代。宿賃。天明六年(1786)『伊勢参宮道中記』(岩城資料白銀文庫第三巻)に、長町七町目ふんどう(家紋)河内屋四郎兵衛に泊った時の代は、「弐百十六文」と見える。■そじやてて-どういったとて。■一すじ-銅銭を銭さしに通した一本。百枚(実数は九十六文でもよかった)即ち百文。■いいようにした-自分に得がつくように、うまうまとあしらった。■そふは虎(とら)の皮(かは)-「さううまくは虎の皮の褌」「さううまくはいかの睾丸」など成語があって、うまくはいかないぞの意にいう。■荒神(くほうじん)さまがあらア-私は私で一家の守護神荒神様が付いているので、負けるものかの成語。■馬鹿(ばか)なつらな-腹を立てた時に言う。「畜生」などと同意語。■はへつける-ごまかして自分のものとする。着服する。■おにばな-お煮花。茶の出し立て。

原文

北八「エエ今のがあると、てうどいいのに、どふしたしらん

たんば「ソリヤいんまのあんまとりめが、とていんだもんじやあろ。ハハハハハイヤここに、ゑいものがありよる

トうしろのやなぎごりをあけて、ちいさなまげものとり出し

「サアサアコリヤ道修町(どしよまち)の店(たな)で貰(もら)ふてきよつた、さとう漬(づけ)じや、茶(ちや)の子(こ)にひとつやらつしやれ

北八「コリヤありがてへ。弥次さんどふだ、たんとやらかしねへ

たんば「インヤそないに、くてもらふてはならんわい。こちくされ

トひつたくりて、そうそうにしまふと、此内女ふとんを引ずり来り

「もふおとこ、のべましよかいな

トそこら取かたづけるうち かつてより今ひとりの女、まくらふとんをもち来り、ほうりこんでゆくを見れば  やつぱり今のあんまとりなり。みなみなきもをつぶし

弥次「モシ女中、今そこへ来た女は、さつきのあんまじやアねへかの

女「さよじやわいな

北八「どふして目が見へる

女「アリヤお客さんがたへ出るに、目あきではお心おきがあつてわるいさかい、おざしきへは、あないに目の見へんふりして、出てじやわいな。爰(ここ)の内かたですぎられますさかい、いにしなには、いつもあないに勝手(かつて)を手つだふていんでじやわいな

弥次「ヤアさては、おいらがことをよくあてたはづだ。目が見へるものを

北八「そんならおいらがものしたものも、ものしやアがつたにちげへはねへ

女「ヲヲおかし、おまいさんがたの、源四郎してじやくわしんじやてて、わたしもこないに貰(もら)ふたわいな

トたもとから出して見せ、打ちわらひかつてへゆく

北八「大笑ひ大笑ひ

弥次「やつぱりあつちが、したつぱらに毛のねへのだはハハハハハ

現代語訳

北八「ええ、今のがあると、丁度いいのに、どうしたろう」

丹波「そりゃあ、今の按摩鳥目が、取って行ったもんじゃあろ。はははははいや、ここに、いいものがありよる」

と後の柳行李を開けて、小さな曲げ物の器を取り出し、

「さあさあ、こりゃ道修町(どしよまち)の店(たな)で貰(もら)うて来た砂糖漬じゃ、茶の子にひとつやらっしゃれ」

北八「こりゃありがてえ。弥次さんどうだ、たんとやらかしねえ」

丹波「いんにゃ、そないに食うてもろうてはならんわいの。こっちへ下さい」

と引ったくって、早々にしまうと、そのうちに女が布団を引きずって来て、放り込んで行くのを見ると、やっぱり今の按摩である。皆々驚いて、

弥次「もしお女中、今そこへ来た女は、さっきの按摩じゃねえかの」

女「さよじゃわいな」

北八「どうして目が見える」

女「ありゃ、お客様方の所へ出るのに、目開きではお心づかいをなされて悪いさかい、お座敷へは、あないに目の見えんふりして、出てじゃわいな。この宿屋内で生計を立てているさかい、帰りがけには、いつもあないに調理場を手伝って帰ってじゃわいな」

弥次「やあ、さては、おいらのことを良く当てたはずだ。目がみえるものを」

北八「そんなら、おいらがくすねたものも、くすねたに違いはねえ」

女「おお、おかしい、おまいさんがたが盗んだ菓子じゃトいうて、私もこないに貰うたわいな」

と袂から出して見せ、笑いながら帰って行く。

北八「こりゃ大笑いだ。大笑いだ」

弥次「やっぱりあっちが、悪賢いわい。はははははは」

語句

■まげもの-曲物。薄くはいだ檜などの板を曲げて、丸く作った器。■道修町(どしよまち)-『摂津名所図会大成』に「道修町薬種行店(どいや)、高麗橋通より三条目ニあり、同五六丁の間すべて薬種の問屋軒をつらね、和漢の薬種の真偽を糺し、買たくわへ、上品と下品を撰わけ、或は乾し塵を除くあり、刻むあり、爾して諸国の薬店の注文にまかせて、吾妻のはてより、筑紫がたまで運送するを活業とす」。ここも、薬店。■さとう漬-果物・野菜の類を干して砂糖で煮または漬けたもの。この時石灰水にまず漬け、または漬けた上に石灰をふりおくと、くさらずという(捨玉日用伝家宝)。■茶の子-茶を飲むときにそえる菓子や漬物の類。■くされ-下さい。■心おき-心づかい。気用心。■爰(ここ)の内かたですぎられますさかい-この宿屋内で生計を立てているゆえ。■いにしな-帰りがけに。『物類呼称』に「いぬるは、かへるなり」。■ものしたmの-手に入れたもの。くすねたもの。■源四郎-『淡路詞』(人形使いの隠語集)に「ぬす人、源四郎」。江戸にも伝わって通言や太鼓持の言葉となった(四季の折詰花枝品々の略)。■くわしんじやてて-菓子じゃというて。■したつぱらに毛のねへ-老獪な者を言う例え。『俚諺集覧』に「老狼は腹下に毛なしと云へり、大姦に喩へるなり。下腹に毛のない狼とも云ふ」。

原文

ろくろくに按摩(あんま)はとらずくはしまでもこちに目のないゆへにとられた

斯打興(かくうちけう)じつつ、それより三人とも、蒲団(ふとん)引かぶり、うちふしたるに、丹波の人ははやさきに、高鼾(たかいびき)かき出せど、ふたりはいまだ寝(ね)入もやらず、彼是(かれこれ)とはなしあふうち、裏通(うらどをり)のはたけに、犬の声きこへ、割(わり)竹の音、時のたいこも、はや九ツのかず打過る頃、きた八あたまをあげて

「コレ弥次さん、おめへごそごそと何をする

弥次「なぜか、あんまりねられねへから、ふつとおもひ出して、コレ見や、足でこんなものをかきよせたは

トよぎの中から、ちいさなまげものをとりいだして見せる

北八「ヲヤそりやさつき、あの人の出した、さとう漬(づけ)じやアねへか

弥次「コリヤ声がたかい。柳ごりのわきに出てあるを、さつきからにらんでおいたからよ

北八「コウひとつよこしねへ

弥次「まてまて

トあんどうをくらくとをければいさいはわからず、かのまげもののふたをとり、ひとつ、つまんでくちにかつちり

弥次「コリヤかたいは

北八「ドレドレ

トまげものをひつとり、これもつまんで、くちにぐしやり、にちやにちや

「エエなんだ、いつそ灰(はい)だらけなものだペッペペッペ

弥次「コリヤさとう漬(づけ)じやアねへ。なんだかおかしな、にほひがする

トむねをわるくして、ゲイゲイといふこへをききつけ、たんばのおやぢ、目をさまし、このていを見るよりびつくりして、はねおき

「ヤアヤアヤア、わりさまたち、コリヤ何しよる。わしが女房(にようぼ)を、なんぜくひよる

弥次「ナニおめへのかみさまたアなんのこつた

たんば「なんのこつちやとは、情(なさけ)ないわいの。ソリヤわしが知音女房(ちゐんにょうぼ)じやわいな。そのいれもののふたを、よふ見やしやれ

現代語訳

ろくろくに按摩(あんま)はとらずくはしまでもこちに目のないゆへにとられた

このように愉快に楽しい時を過しながら、それから三人とも、蒲団を引き被り、横になったが、丹波の人は早くも先に、高鼾をかきだした。一方二人はいまだに眠ることが出来ず、あれこれ話し合ううちに、裏通の畑に犬の声が聞え、火の用心を知らせる割竹の音がする。時を知らせる太鼓の音も、はや九(ここの)つ数を打ち終わる頃、北八は頭を上げて、

「これ、弥次さん。おめえごそごそと何をしているね」

弥次「なぜか、あんまり寝られねえから、ふっと思い出して、これを見や、足でこんなものをかきよせたわ」

と夜具の中から小さな曲げ物の器を取り出して見せる。

北八「おや、そりゃさっき、あの人が出した、さとう漬けじゃあねえか」

弥次「こりゃ声が高い。柳行李の脇に出ていたのを、さっきからにらんでおいたからよ」

北八「そうか、ひとつよこしねえ」

弥次「待て待て」

と行灯が暗く遠いので、詳しくはわからず、かの曲げ物の蓋を取り、ひとつ、つまんで口にがっちり咥える。

弥次「こりゃ、硬いわ」

北八「どれどれ」

と曲げ物を取り上げ、これもつまんで、口にぐしゃり、にちゃにちゃ、

「ええ、何だ、いっそ灰だらけなものだペッペペッペ」

弥次「こりゃあ、さとう漬けじゃあねえ。なんだかおかしな匂いがする」

と胸を悪くして、げぇげぇと言う声を聞きつけ、丹波の親父が目を覚まし、この様子を見るなりびっくりして、跳ね起き、

「やあやあやあ、お前さんたち、こりゃ何しよる。わしの女房を、何故食いよる」

弥次「なに、おめえのかみさまたぁ何のこった」

丹波「何のこっちゃとは、情けないわいの。そりゃわしの恋女房じゃわいな。その入れ物の蓋を、よう見やしゃれ」

語句

■割竹-丸竹の先を割って音響を出すようにしたもの。罪人を叩くに用い、また夜番が引きずって歩いた。これは火の用心の割竹である。■九ツ-午前零時頃。■知音女房(ちゐんにょうぼ)-「知音」は『物類呼称』によると丹波丹後の方言で、女色・情人の意。「知音女房」は、父母の許さぬ女房。野合の女房。恋女房。

原文

トいはれて弥次郎とんでおき、あんどうのまへにもちゆき、かのふたのかきつけをみれば

弥次「ハア秋月妙光信如(しうげつめいくはうしんによ)ヤアヤアヤア。そんなら此曲物(まげもの)は、おめへのかみさまの 骨(ほね)だな

北八「ナニ骨とは、コリヤ大変(たいへん)大変。どをりで胸(むね)がむかつく。エエどうしよふ

たんば「わりさまたちの、むねのわるなつたより、わしのむねがつつぱつたわい。コリヤわしどもの村の所法則(ところぼつそく)で、その骨(こつ)を高野(かうや)へおさめに、もていきよるのでござるわいの。よふまあ、大切(たいせつ)ない仏(ほとけ)を、なんぜくひよつた。わりさまたちは、真人間(まにんげん)じやありやしよまい。鬼(おに)か、ちくしやうか、どしたのじややいやい

トたもとをかほにおしあてておいおいとなく。弥次郎もおかしさはんぶん、小ばらたちて

弥次「エエむつかしいこたアねへ。おめへがさつき、柳ごりをあけた時、ころげ出たをしらずに居(ゐ)たのは、そつちの不調法(ぶてうほう)。それをさとう漬(づけ)だとおもつて、くつたのがこつちの麁相(そそう)、ソリヤ五分(ごぶ)五分だ。何もいさくさはねへわな

丹波「イヤイヤきかんきかん。もとのとをりに、まどうてかへしやかへしや

トいきせいはつて、なみだまじりに、わめきちらせば、きた八いろいろとことわりいひ、さまざまなだめすかして、やうやうとなつとくさせ、しづまりければ、弥次郎もこころのうちにおかしさ、まぎらかして

「イヤもふめんぼくしでへもねへのさ

人の骨(ほね)くふもことはり若(わか)いとき親(おや)の脚(すね)をもかぢりたる身は

此弥次郎がくちずさみに、丹波(たんば)の人も心とけて笑(わら)ひを催(もよほ)し、漸(やうや)くきげんなをりて、打臥(うちふし)たるが、程なく一睡(いつすい)の夢(ゆめ)さめて夜明ければ、勝手(かつて)よりおこしに来り、手水(てうず)つかふやいな、膳(ぜん)をすゆるに、三人ともくひしまひ、丹波の人は、高野へと出ゆき、弥次郎兵衛喜多八は、ニ三日逗留(とうりう)のつもりゆへ、けふは爰もとの名どころ一見せんと、したくするうち、ばんとう出て

「コレハおはやうござります。今日はどつちやへぞおこしでござりますかいな。さよなら御案内(ごあんない)のもの、おつれなさるがよござりましよ

弥次「ホンニそれをおたのみ申やす

ばんとう「畏りました。コレコレ左平次どの、ちよとごんせ

トかつてよりあんないの男をよび

現代語訳

と言われて、弥次郎は飛んで行く。行灯の前へ持って行き、かの書付を見ると、

弥次「はあ、秋月妙光信如(しうげつめいくはうしんによ)やあ、やあ、やあ。そんならこの曲げ物は、おめえのかみさまの骨だな」

北八「なに、骨とは、こりゃ大変大変。どおりで胸がむかつく。ええ、どうしよう」

丹波「お前様たちの、胸の悪くなったのより、わしの胸が張り裂けそうじゃわい。こりゃわしの村のしきたりで、その骨を高野山へ納めに、持って行くところでござるわいの。ようもまあ、大切な仏を、何故食いおった。お前様たちは、真人間じゃありゃしょまい。鬼か畜生か、どしたのじゃ、やいやい」

と袂を顔に押し当てておいおいと泣く。弥次郎も可笑しさ半分、少し腹をたてて、

弥次「ええぃ、難しいいこたあねえ。おめえがさっき、柳行李を開けた時、転げ出たのを知らずにいたのは、そっちの不調法。それをさとう漬だと思って、食ったのがこっちの粗相(そそう)、そりゃ、五分五分だ。何もいざこざはねえわな」

丹波「いやいや、聞かん、聞かん。元のとおりに、弁償して返しや、返しや」

といきり立って、涙混じりに喚き散らすので、北八はいろいろとことわりを言い、さまざまなだめすかして、やっとのこと納得させ、静まったので、弥次郎も心の中で可笑しさを紛らわせて、

「いや、もう面目次第もねえのさ」

人の骨(ほね)くふもことはり若(わか)いとき親(おや)の脚(すね)をもかぢりたる身は

この弥次郎の口ずさみに、丹波の人も胸を開き、笑いを催し、ようやく、機嫌が治り、寝入ったが、程なく一睡の夢覚めて夜が明けると、調理場から起こしに来る。 手水を使うやいなや、朝飯の膳を据えるので、三人とも食い終り、丹波の人は、高野へと出発していく。弥次郎兵衛と喜多八は、二三日逗留のつもりなので、今日はこの地の名所を一目見ようと、支度しているうちに番頭が出てきて、

「これは、お早うござります。今日はどっちゃへぞおこしでござりますかいな。さよなら御案内の者をお連れなさるがよござりましょ」

弥次「ほんに、それをお頼み申しやす」

番頭「かしこまりました。これこれ左平次どの、ちょと来なっせ」

と調理場から案内の男を呼び、

語句

■秋月妙光信如(しうげつめいくはうしんによ)-亡妻の戒名。■かみさま-『物類呼称』に「かみさまとよぶは老女の称也」とあるは、尾張の称。ここは江戸風で、妻の意。■つつぱつたわい-張り裂けるばかりだ。■所法則(ところぼつそく)-『物類呼称』によると、京都・丹波辺りの方言で、その土地のしきたりをいう。■骨(こつ)を高野へ-関西一帯の習慣であろうか。宗旨を問わず、死後に分骨の一を、高野山に葬る。山上の寺院も、それぞれの国を分担して、その世話をする。今日にも続いている。■もていきよるのでござる-持って行くところである。■大切ない-大切なの意。「せはしない」「冥加ない」の類。■まどう-償う。埋合せる。弁償する。■いきせいはつて-いきり立って。■めんぼくしでへもねへ-面目次第もない。■人の骨(ほね)~-一首は、他人の骨を喰うのも道理、若い時は野良者で、我が親の脛(すね)さえかじった(よい年になって親に生活をさせてもらう意)男だものの意。■名どころ-名所。■左平次-操人形浄瑠璃社会の隠語。出しゃばること。余計な口をきく者の意。

原文

あなたがたが、あんないたのむとおつしやつてじや

北八「モシわらざうり、二そく買(かつ)てもらひてへの

弥次「イヤ一そくでいい。おいらは京雪駄買(きやうせつたかつ)てきた。どふもわらざうりでは、みすみす田舎(いなか)ものの、上方(かみがた)見物と見へてわりい

北八「ナニ旅(たび)で見へもへちまもいるものか

左平次「おしたくがゑいなら、出かけましよかいな

弥次「サアサアはやくめへりやせう

ばんとう女ども

「いてお出なされませ

トこれより三人打つれて、此やどを出かけて、左平次

「ナント斯(かう)いたしましよ。天王寺生玉(てんわうじいくだま)は、住吉(すみよし)御参詣(さんけい)のときにおまいりなされ。けふはこつちやのほうへ、さんぜうわいな

ト長町どをりを、北へ、ひのうへより、高津新地に出、まづ高津の御みやにまいる。ここはむかし、仁徳天皇の、たかきやにのぼりてみればと、ゑいじ給ひし旧地にして、今にはんじやういふばかりなし。社内にとうふでんがくのちや屋、さんけいの 人をよぶ

「サアサアおはいりなおはいりな。これへこれへおやすみなおやすみなおやすみな

きしんじやうるりの木戸「今じやア今じやア。紙屋徳(かみやとく)兵衛、天満やおはん、かはらやばし白木屋(しろきや)の段(だん)、次(つぎ)は千本ざくらの天川屋、弁慶(べんけい)の腹切(はらきり)、出がたりじやア出がたりじやア

とをめがねのいひたて「サア見なされ見なされ。大阪(おさか)の町々蟻(あり)の這(は)ふまで見へわたる。近(ちか)くはどどんぼり(道頓堀)の人くんじゆ、あの中に坊(ぼん)さまが何人(いくたり)ある。お年寄にお若い衆、お顔のみつちやが何ぼある。女中がたの器量(きりやう)ぶきりやう、ほつこり買(か)ふて喰(く)てござるも、浜側(はまがは)でししなさるも、橋詰(はしづめ)の非人(みだれ)どもが、襦袢(じゆばん)の虱(しらみ)なんぼとつたといふまで、手にとるやうに見ゆるが奇妙(きめう)。また風景を御らんなら、住吉沖(すみよしをき)に淡路島(あはぢしま)、兵庫(ひやうご)の岬須磨(みさきすま)あかし、大船の船頭(せんどう)が、飯(めし)何ばいくた、何くた角(かく)たも、いつきにわかる。まだまだふしぎは、此目がねをお耳(みみ)にあてると、芝居役者(しばゐやくしや)の声色(こはいろ)、つけひやうし木のかたりかたり、残(のこ)らずきこへて見たもどうぜん、お鼻(はん)をよすれば、大庄(だいしよ)のうなぎのにほひ、ふんぷんとあがつたも同前。ただの四文では見るがおとくじや。千里ひとめの遠眼鏡(とをめがね)これじやこれじや

現代語訳

「この方たちが、案内を頼むとおっしゃってじや」

北八「もし、藁草履を二足買ってもらいてえの」

弥次「いや、一足でいい。おいらは京雪駄を買ってきた。どうも藁草履では、みすみす田舎者の上方見物と見えて悪い」

北八「なに、旅で見栄もヘチマもいるものか」

左平次「お支度ができましたら、出かけましょかいな」

弥次「さあさあ、早く参りやしょう」

番頭・女ども「行っておいでなされませ」

とこれから三人連れだって、この宿を出かけて、

左平次「なんと、斯う致しましょ。天王子生玉は、住吉御参詣の時にお行きなされ。今日はこっちゃの方へ、行きましょわいな」

と長町通りを北へ樋の上から、高津新地に出て、先ず高津のお宮に参拝する。ここは昔、仁徳天皇が「たかきやにのぼりてみれば」と詠われた古い所で、今も繁昌している所である。社内には豆腐田楽の茶屋があり、参詣に来た人を呼びこんでいる。

「さあさあ、お入りな、お入りな。これへ、これへ。お休みな、お休みな」

寄進浄瑠璃の木戸「今じゃ、今じゃあ。紙屋徳兵衛、天満屋おはん、瓦屋橋白木屋の段、次は千本桜の天河屋、弁慶の腹切、出語りじゃあ、出語りじゃあ」

遠眼鏡の言い立て「さあ、見なされ、見なされ。大阪の町々が蟻の這うまで見えわたる。近くは道頓堀の人の群れ、あの中に坊さまが何人おる。お年寄りにお若い衆、お顔のあばたがなんぼある。お女中がたの器量、不器量がほっこり買って食てござる。川岸で小便なさるも、橋詰めの非人どもが、襦袢の虱なんぼ取ったと言うまで、手に取り様に見ゆるが奇妙。また風景を御覧なら、住吉沖に淡路島、兵庫の岬須磨明石、大船の船頭が、飯何杯食た、何食たやら何やらかやらいっぺんにわかる。この眼鏡をお耳に当てると、芝居役者の声色、付拍子木のカッタリカッタリ、残らず聞こえて見たも同然。お鼻を寄せれば、大庄(だいしょ)のうなぎの匂い、ふんぷんと食したも同然。ただの四文では見るがお得じゃ。千里一目の遠眼鏡これじゃこれじゃ」

語句

■あなたがたが-この方たちが。■京雪駄-京都製の雪踏。上品とされた。■天王寺生玉-以下三カ所、代表的大阪名所。後出。■樋の上-大阪の各地にあるが、、ここは道頓堀の清津橋の東西の詰めをさす。■高津新地-一名掘留と称し、東横堀が道頓堀に屈折する所にあった私娼街(『摂陽奇観』六など)。■高津の御みや-仁徳天皇を祭神とする大阪西高津の大社(今は中央区)。■仁徳天皇の~-『新古今集』賀歌に「貢物許されて国富めるを御覧じて/高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり 仁徳天皇御歌」(ただし藤原時平詠という)。『摂津名所図会』高津社の条に「民の煙を望給ひし高台もかたばかり世々にのこせしより、楼の岸の名もありけらし」。■とうふでんがくのちや屋-高津宮の正面石段下に、高い舞台作りの豆腐・田楽の店、柏戸があった。■きしんじやうるり-寄進浄瑠璃。社寺で興行して寄進を求めるをいったが、後は寄進でなくとも称した。■木戸-木戸口で客を呼ぶ口上。以下、滑稽にしてある。■紙屋徳兵衛~-「心中天網島」の紙屋治兵衛と「曾根崎心中」の天満屋の徳兵衛を合わす。■天満やおはん-「曾根崎心中」の天満屋のお初と「桂川連理柵」の信濃屋のお半を合せる。■かはらやばし-「新版歌祭文」の瓦屋橋と「恋娘昔八丈」の白木屋の段を合わす。■千本ざくら-「義経千本桜」と、「仮名手本忠臣蔵」の天河屋義平を一つにする。■弁慶の腹切-「御所桜堀川夜討」の弁慶上使と「忠臣蔵」の勘平のは腹切りを合わす。かかる趣向を「ないまぜ」と称する。■出がたり-太夫・三味線弾きが、幕内でなく、見物に姿を見せて上演すること。■とをめがね-高津宮は高台に高い舞台を作り、眺望の良い所。『摂津名所図会』に「常に茶店に遠眼鏡を置いて詣人を悦ばしむ」。『膝摺木』(文化三年序)にも、高津の「遠眼鏡」を材としている。■どどん堀-道頓堀。大阪一の繁華街。■みつちや-あばた面の人。■ほつこり-『浪花聞書』に「ほつこり、さつま芋の蒸したる也」。■浜側で-前書に「浜、江戸で云ふ河岸也。川端辺を都べて浜といふ」。■しし-「小便」をいう女子・幼児の語。■橋詰-道頓堀に架かる橋のきわ。■みだれ-『浪花聞書』に「みだれ、乞食のこと也」。■住吉沖に-以下、大阪湾の風景、一望のなかにあるをいう。■何くた角くたも-何やらかやら。さまざまのこと。■いつきにわかる-一ぺんにわかる。■つけひやうし木の~-立回りや駆け足、その他の時に、拍子木ようの二本の木で、付板を打って、高い音を出す。その音、「カッタリカッタリ」。■大庄-道頓堀の二ツ井にあった、うなぎ屋。■あがつたも-食したも。

原文

弥次「めがねやさん、おとにきいた新町とやらも、近く見へるかね

めがねや「さよじや、このお山のツイねきに見へるわいな

弥次「それじやアちかく見へるのじやねへ。とをく見へるのだ

めがねや「なせもし

弥次「ハテ此高津(かうづ)と、新町との間(あいだ)はたつた、壱寸弐三分ほかねへもせぬものを

めがねや「ソリヤおまいおさかの絵図(ゑづ)で見てかいな

弥次「さやうさやう、ハハハハ先お宮へまいろう。ハハアいかさまいいおみやだ

ト三人とも神前にぬかづきたてまつりて

もろもろの神(かみ)に背(せ)くらべしたまはばさこぞたか津の宮のたうとさ

是より境内(けいだい)の石段を西におりたち、谷町どをりに出たるに、何とやら腹淋(はらさみ)しくなりたれば、さいわいと居酒(ゐざか)屋めきたる、見せを見つけて立寄

弥次「モシなんぞありやすか

さかやのていしゆ「ハイ煎殼(いりがら)に鳥貝(とりがい)、鯡(にしん)の昆布まきじやわいな

北八「さつぱりわからねへ。そのうち、うめへものならなんでもいい出してくんな

ていしゆ「ハイハイいつきにあぎよわいな

弥次「イヤいつきん(一斤)は入らぬ。三合ばかりたのみます

北八「ときに尾籠(ろう)ながら、用たしにいつて来よふ。雪陣(せつちん)はどこだ。ヲヲあるぞあるぞ

トゑんさきより、むかふへまはりて、せつちんへはいると、此内こなたには、さけさかな出たるに

弥次「サアひとつはじめなせへ

あんない左平次「マアあなたから

現代語訳

弥次「眼鏡屋さん、音に聞えた新町とやらは、近くに見えるかね」

眼鏡屋「さよじゃ、このお山のつい根元に見えるわいな」

弥次「それじゃあ、近くに見えるじゃねえ。遠くに見えるものだ」

眼鏡屋「何故、もし」

弥次「はて、この高津と、新町の間はたった一寸二十三分しかありはしないものを」

眼鏡屋「そりゃ、おまい、大阪の絵図で見てかいな」

弥次「さよう、さよう。はははは、先にお宮へ参ろう。ははあ、いかにもいいお宮だ」

と三人共神前に額(ぬか)づき、かしこまって、

もろもろの神(かみ)に背(せ)くらべしたまはばさこぞたか津の宮のたうとさ

ここから境内の石段を西に下り立ち、谷町通りに出たが、何となく空腹を感じてきたが、さいわいに居酒屋のような店を見つけて立ち寄る。

弥次「もし、何ぞありやすか」

酒屋の亭主「はい、いりがらに鳥貝、鯡の昆布巻じゃわいな」

北八「さっぱりわからねえ。そのうち、うめえものなら何でもいい。出してくんな」

亭主「はいはい、直にあぎょわいな」

弥次「いや、一斤はいらねえ。三合ばかりたのみます」

北八「ときに。不躾ながら、用足しに行ってこよう。雪隠は何処だ。おお、あるぞ、あるぞ」

と縁先から、向うへ回って、雪隠へ入ると、そのうち、こちら側では酒肴が出てきたが、

弥次「まあ、ひとつ始めなせえ」

案内左平次「まあ、貴方から」

語句

■新町-大阪の公娼街。■お山-ここは高津社をさす。■ほかねへもせぬ-しかありはしないものをの意。■おさか-大阪の訛。『醒睡笑』六に祇園と清水との間はどれ程の遠さかと聞かれて、「扇に書いたる絵をひろげ、それは一寸ほどあらうまでよ」とあるに、趣向を得たか。■もろもろの神に~-「高津」は近世「こうづ」とよむが、早く和歌などでは「たかつ」という。一首は、諸方の神々と尊さを、背くらべなさっても、さぞ名のとおり「高つ」の宮であろうの意。■谷町-天満橋南詰浜側から南へ、やや坂を上って、大阪の東台地を南行する通り。ただし高津社より東で、西に下りては回り道になる。■居酒屋-気楽に簡単な肴でちょっと一杯、店先で飲ませる酒屋。■煎殼-以下三種とも、上方風酒の肴。『浪花聞書』に、「いりがら、鯨肉の油とりたるをいふ」。『年中番菜録』に「いりがら、向、わけぎなど取合せ酢あへよし、下品なれども酒のさかなには遣ひてもよし、飯のさいには見はからひあるべし」「平、茶のるいとたきてよし下品なり」。■鳥貝-真弁鰓(しんべんさい)目の海産二枚貝。上方では鮓や酢の物に使用。『守貞漫稿』に「刺身に造り酢味噌にて食す」。■鯡のこぶ巻-『年中番菜録』に「鯡、こんぶ巻また平こんぶに取合せたきて、むかふづけにしてよし、下品なれども、酒のさかなには、時によりをかし。白水につけおき砂糖あめなどいるれば、しぶみなし」。『膝摺木』は弥次郎兵衛に「ナニ、にしんするめ、みな猫のくふものだな」といわせている。■いつきん-「いつき」(直)を洒落て言った。酒一斤は、品川遊郭から出た語で、数人で飲む時に出す一本のこと、時代により分量は変り、語義も変化したが、一九は一升と考えていたらしい。■尾籠(ろう)ながら-ぶしつけなことだが。

原文

弥次「そんならおさき ヲトトトトトアアいい酒(さけ)だぞ。コリヤ北八、はやく出ねへか。酒がみんななくなる。はやくはやく

トせりたてられ、きた八せつちんのうちにて、のみたくてこたへられず

北八「ヲヲ合点(がつてん)だ、今出るぞ

トうろたへて戸をあけ、ずつと出た所が、ふしぎなるかな、さかやの内にてはなし。そもそもこのせつちんは二けんまへのせつちんにて、此さかやと、うらにすむ人の家と、両ほうにてつかふせつちんなれば、あなたにも、こなたにも両くちあるゆへ、きた八うろたへて、はいりしほうの戸をあけず、むかふの戸をあけて出たるゆへ、よそのうちなり。ゐんきよらしきぢいさまひとり、何やら小ざいくしていたりしが、北八を見てきもをつぶし、目がねのうへからじろじろと見るに、きた八もうろうろと、いつかうにがてんゆかず。まごつくうち、かのゐんきよ

「モシモシこなんは誰(たれ)じやいな

北八「ハイ是はちがつたそふな。モシさかやへはどふまいりやすへ

ゐんきよ「ハハアよめたわいの。こなんはおもてのさかやのおきやくじやな。其縁側を(えんがは)をひだりにとつて、すぐにいかんせ

北八「ハイハイコリヤ行どまりだ

ゐんきよ「その戸をあけていかんせ

北八「ハハア又もとのせつちんへはいらにや、いかれねへな

トせつちんの戸をあけんとすればうちに

「エヘンエヘン

北八「なむ三ぽう道がふさがつた

トいふをききて、せつちんのうちより

弥次「きた八か、おつなほうへ出てゐるの

北八「イヤ弥次さんだな、おいらア戸まどひをして、とんだめにあつた。はやくそこを、とをしてくんねへ

ト戸をあけにかかる 弥次郎うちよりかけがねをかけて

「イヤもちつとまつてくれ。そしていけむこたア、大毒だといふこつたから、ひとりでに、出てくる時節(じせつ)を待(まつ)てゐるのだによつて、すこしひまがいる。アア退屈(たいくつ)だは。かねにうらみでもかたろふか。北八そこでくち三味線(さみせん)たのむぞ

現代語訳

弥次「そんならお先 おっとととととああいい酒だぞ。こりゃ北八、早く出ねえか。酒がみんな無くなる。早く早く」

と急き立てられ、北八は雪隠の中で、飲みたくて応えられず、

北八「おお、合点だ。今出るぞ」

とうろたえて戸を開け、ずっと出た所が、不思議なことに酒屋の内部ではない。そもそもこの雪隠は二軒共用の雪隠で、この酒屋と、裏の住む人の家と、両方で使う雪隠なので、むこうにも、こっちにも両方出入り口があるので、北八はうろたえて、入ってきた方の戸を開けず、向うの戸を開けて出たので、よその家である。そこには隠居らしい爺さまが一人で何やら小細工をしていたが、北八を見てびっくりし、眼鏡の上からじろじろと見る。一方、北八もうろうろと、一向に合点がゆかず、まごつくうちに、かの隠居、

「もしもし、貴方さんは誰じゃいな」

北八「はい、これは違ったみたいだ。もし、酒屋へはどう行きやすえ」

隠居「ははあ読めたわいの。貴方さんは表の酒屋のお客じゃな。その縁側を左に曲がって、まっすぐに行かんせ」

北八「はいはい、こりゃ行き止まりだ」

隠居「その戸を開けて行かんせ」

北八「ははあ、又元の雪隠へ入らにゃ、行かれねえな」

と雪隠の戸を開けようとすると、中で、

「エヘンエヘン」

北八「南夢三方道が塞がった」

と言うのを聞いて、雪隠の中から、

弥次「北八か、変な方へ出ているの」

北八「いや、弥次さんだな。おいらは戸惑いをして、とんだ目にあった。早くそこを、通してくんねえ」

と戸を開けにかかる。弥次郎は中から掛け金を架けて、

弥次「イヤもちっと待ってくれ。そして変に気張るこたあ、大毒だというこったから、ひとりでに、出て来る時を待っているので、少し暇がいる。ああ、退屈だわ。金に恨みでも語ろうか。北八、そこで口三味線でも弾いてくれ」

語句

■こなん-「こなさん」の略。二人称。■よめた-訳がわかった。■おつな-変な。■戸まどひ-方角を間違って、違う所へ入ること。これは本当の「戸まどひ」である。■かけがね-戸・障子に付けて開かぬようにする金具。■いけむ-いさむ。気張る。■かねにうらみ-江戸長唄「京鹿子娘道成寺」の初めの文句。よって、この道成寺そのものをさす。

原文

北八「エエとんだことをいふ。はやく出なせへ出なせへ

トそとからおせどもあかず。うちには、ゆうゆうとどうじやうじのうた

「恋の手ならひつひ見ならひて、誰(たれ)に見しよとて、べにかねつきよぞ。みんなぬしの心中だて、ヲヲうれしヲヲうれし

北八「気のなげへ、なんのこつたな

弥次「すへはかうじやになア、そふなるまでは、とんといはずにすまそぞへと、せいしさへいつわりか、嘘(うそ)か誠(まこと)か、どふもならぬほど、あひにきた

北八「エエコリヤはやく出ねへか出ねへか

トいへどもうちにはさつぱりなんのおとさたもなきゆへ 北八せつこみ

北八「どふだもふ出たか。エエコリヤ、弥次さん弥次さん

トいふうちしばらく ムムントンといふおとして

「ふウつウり、悋気(りんき)せまいぞと、たしなんで

北八「コレサどふするのだ

弥次「もふとつくにいいが、まちやれ、やまづくしまでやらかそふ

北八「エエばかなこといひなせへ

トいひさまむりに、戸をつよくおせば、かけがねはづれて、北八せつちんのうちへころげこむと、弥次郎もさかやのかたへ、戸をあけて出るひやうし、戸ははづれてたをれる。そのうへへ、北八ぐるめ、どつさりと、せつちんの戸はやぶれる

弥次「アイタタタタタ

ていしゆはしり来りて

「コリヤ何じやい、せつちんの戸がやくたいじや

北八「イヤぜんてへおめへがたアこんなに、両頭(りやうとう)の雪陣(せつちん)にしておくからわるい

ていしゆ「そじやててふたりつれまふて、せつゐんへゆくといふことが、あるもんかいなあほらしい

弥次「かんにんしてくんなせへ。わつちらがわるかつた

現代語訳

北八「ええ、とんだことを言う。早く出なせえ出なせえ」

と外から押しても開かない。中では、悠々と道成寺の歌をうなる。

「恋の手習いつい見習いて、誰に見しょとて、紅鐘付きよぞ。皆んな主の心中だて、おお嬉し、おお嬉し」

北八「気の長(なげ)え。何のこったな」

弥次「末はこうじゃになあ、そうなるまでは、とんと言わずに済まそぞえと、誓紙さへ偽りか嘘か誠か、どうもならぬほど、逢いに来た」

北八「ええぃ、こりゃ早く出ねえか出ねえか」

と言うが、中ではさっぱり何の音沙汰も無いので、北八は咳き込み、

北八「どうだ、もう出たか。ええこりゃ、弥次さん弥次さん」

と言っているうちに、しばらく、むむ、とんとんという音がして

「ふっつり、悋気せまいぞと、たしなんで」

北八「これさ、どうするのだ」

弥次「もうとっくにいいが、待ちやれ、やまづくしまでやらかそう」

北八「ええ、馬鹿なことを言いなせえ」

と言うなり、無理に、戸を強く押すと、掛け金が外れて、北八が雪隠の中へ転げ込む。弥次郎もその勢いに押されて酒屋の方へ、戸を開けて出る拍子に、戸が外れて倒れる。その上へ、北八と一つになって、どさっと雪隠の戸が破れる。

弥次「あいたたたたた」

亭主が走ってきて、

「こりゃ何じゃい。雪隠の戸がめちゃくちゃじゃ」

北八「いや、だいたいおめえがたあこんなに、両方に出入り口のある雪隠にしておくのが悪い」

亭主「だからと言うて、二人連れ添って雪隠へ行くということがあるもんかいな。あほらしい」

弥次「堪忍してくんなせえ。わっちらが悪かった」

語句

■恋の手ならひ~-以下最も有名な、中ほどの文句。漢字を当ててみると、「恋の手習、つい見習ひて、誰に見しよとて紅鉄◎付きよぞ。皆んな主への心中立、おお嬉し嬉し、末はかうじやにナ、さうなる迄はとんと言はずに済まそぞえと、誓紙さへ偽りか嘘か誠か、どうもならぬ程逢ひに来た、ふつつり悋気せまいぞと、嗜んで見ても・・・」。■やまづくし-前文と少しおいて、「面白の四季の眺や、三国一の富士の山、雪かと見れば花の吹雪か、吉野山・・・」から「入相の鐘を筑波山、東叡山の月のかんばせ三笠山」に至る、山々を連ねたところ。■北八ぐるめ-北八と一つになって。■やくたい-やくたいなしの略。役に立たない。たわいない。■両頭の雪陣-両方に出入り口のある便所。■ふたりつれまふて-二人連れ添って。

原文

トひざがしらをさすりさすり、みせのかたへ出きたれば

左平「なんとなされたぞいな

北八「うち身には酒がいいといふことだ。はやく一ツぱいのましてくんな

弥次「ここはつけがわりい。又さきへいつてのみやれ

トこのところのかんぢやうをして、そうそう出かけると、さかやのていしゆ、ふせうぶせうにあいさつもせず、こごとをいひながら、ふくれかへりてゐるを、ふたりはおかしく、ここをたちいづるとて

出ることのおそいはやいであらそひしこれ宇治川の雪陣(せつちん)かそも

それより、谷町どをりを、安堂寺(あんどうじ)町より、番場の原に出、はなしものしてたどりゆくほどに、頓(やが)て天満(てんま)ばしにぞいたりける。まことや淀川の流れひろく、行かふ船ども、漕(こぎ)ちがひ棹(さほ)さしあひてうたひ、或(ある)は遊山舟(ゆさんぶね)に三みせんたいこ、はやしたててゆくを、橋(はし)の上より、往来(わうらい)の人立どまりて

「ヤアイヤアイ、おどれらそないにたてくさつても、うちへいんだら、借銭乞(しやくせんこひ)にせがまれて、吼(ほへ)おろがな。ゑらいあほうじや。あほよあほよ

ふねの中より「何じやい、そちがあほうじやわい

はしのうへ「何ぬかしくさる。おどれらがあほうじや

ふねの中「ヲヲいしこやの、あほうくらべせうかい こちにはよふかなやしよまいがな

はしのうえ「なんのおどれらに、まけてゑいものかい。こちやあほうのゑらいのじや

トむせうにりきみかへる 此おとこのつれと見へて

「はてゑいわいの、こなはんがゑらいあほうは、みなしつておるこつちや。ほつておかんせ

トひつぱりてつれてゆくと あとからわうらいの人くちぐちに

「ヨウヨウ あほうのゑらいのゑらいのハハハハハ

ト此内弥次郎きた八も、くんじゆにおされながら、このはしにさしかかり、橋のうへとふねとのけんくわ、いづくでもよくあるやつと、こころにおかしく、うちすぐるとて

真黒(まつくろ)になつてはらたつけんくわとてあほよあほよと烏(からす)めかする

現代語訳

と膝頭を擦り擦り、店の方へ出て来ると、

左平「何となされたぞいな」

北八「打ち身には酒がいいということだ。早く一杯飲ましてくんな」

弥次「ここは縁起が悪い。又先へ行って飲みやれ」

とこの酒屋の勘定を済ませて、早々に出かけようとすると、酒屋の亭主は不承不承に挨拶もしない。小言を言いながら膨れ返っているので、二人は可笑しくなってくる。ここを出立しようとして一首。

出ることのおそいはやいであらそひしこれ宇治川の雪陣(せつちん)かそも

そこから、谷町通りを、安堂寺町から、番場の腹に出て、話をしながら辿って行くと、やがて天満橋に到着した。実に淀川の流れは広く、行きかう船は、漕ぎ合い、棹さし合って歌い、或は遊山船では三味線や太鼓の音で囃したてながら行く有様を、橋の上から、往来の人たちが立ち止まって見ている。

「やあい、やあい。おどれ等そないに遊興散在してくさっても、家へ帰ったら、借金取りに、やいのやいのと催促されて、泣くどがな。えらい阿呆じゃ。阿保よ、阿保よ」

船の中から、

「何じゃい。そっちが阿保じゃわい」

橋の上「何ぬかしくさる。おどれ等が阿呆じゃ」

船の中「おお、生意気やの。阿呆比べしようかい。こっちにはとてもかないはしまいがな」

橋の上「なんのおどれ等に、負けていいものか。こちゃ阿呆の偉いさんじゃ」

と無性に力みかえる。この男の連れと見えて、

「はて、いいわいの、こなはんが、えらい阿呆なことは皆知っておるこっちゃ。ほっておかんせ」

と引っ張り連れて行くと、後から往来の人が口々に、

「ようよう、阿保の偉いの偉いの、ははははは」

とそのうちに弥次郎北八も、群集に押されながら、この橋にさしかかり、橋の上と船との喧嘩を見て、何処でもよくあるやつと、心の中で笑いながら通り過ぎようとして、一首。

真黒(まつくろ)になつてはらたつけんくわとてあほよあほよと烏(からす)めかする

語句

■うち身は~-打撲傷は、酒を飲むと内にこもらずにすむという。■つけがわりい-つきが悪い。縁起が悪い。運が悪い。■出ることの~-『平家物語』巻九の源平宇治川の合戦で、佐々木高綱・梶原景季が、名馬をもって宇治川の先陣を争ったのを、先陣を雪隠にいいかけた趣向。■安堂寺町-南谷町の南端、東横堀に架かる安堂寺橋から東行する道に合する所が、内安堂寺町であるが、そこで横切らずとも、谷町筋を北行すれば、天満橋に達する。■番場の原-大阪城の大手口(西口)の原をいう。■天満ばし-『摂津名所図会大成』に「天満橋、松の下の西にあり、猫間川・平野川・古大和川・鯰江川・淀大河筋等ここに合流す。長サ凡七十余丈、高欄擬宝珠あり、南詰は京橋二丁目、北詰は天満二丁目と云ふ。・・・当橋は浪花三大橋の第一にして、河幅頗る広大なり」。■おどれら-二人称卑称。■たてくさつて-遊興散在するをいう。『浪花聞書』に「たてる、たて引くことなり」。■借銭乞にせがまれて-借金取りにやいのやいのと催促されて。■吼えおろがな-泣く。泣き面をするであろう。■いしこい-自慢らしい。生意気だ。■こちには~-自分にはとてもかなうまい。■ゑらい-偉い者。■橋のうへとふねとのけんくわ-船と陸で口争いをすることは、野崎参りなどの時によくやったもので、言いまかされた者は、よく運を取り損なうといわれた。■真黒になって~ひどく腹を立てるを「真っ黒」と形容し、それを「阿房鳥」の語の縁として仕立てた。一首は、真っ黒になって腹立てる喧嘩だけあって、お互いにあほよあほよと、その声阿房鳥ににさも似たりの意。

原文

それより此橋を北へおり、市(いち)の側(がは)どをりをゆくに爰は青物(あをもの)の市たつ所にて、殊(こと)に繁昌(はんじやう)の地なりける。

青ものの売買(うりかい)ながら商人(あきんど)に尾(を)ひれの見ゆる市のかはまち

ほどなく天満宮(てんまんぐう)の御社にいたるに、まことや神徳(しんとく)の彭々(ぼうぼう)たるは、参詣(さんけい)の人どよみにあらはれ、料理茶(りやうりぢや)屋の赤前垂(あかまへだれ)かどになまめき、水ちや楊弓場(ようきうば)のかんばり声(ごへ)、往来の心をうごかせ、あるは仙(せん)助が能狂言(のうけうげん)、忠(ちう)七がうき世ものまね、其外山海の珍物(ちんぶつ)見せもの、芝居、軽(かる)わざ、曲馬乗(きよくばのり)、境内(けいだい)に充満(みちみち)たり

何ひとつ御不足(そく)もなき御繁昌(はんじやう)まことに自由自在天神(じゆうじざいてんじん)

かくて社内悉(ことごと)く順拝(じゆんぱい)し、霊符(れいふ)の女の、ましろきかほも、横(よこ)目にみなし、小山屋のかどをも、むなしく打過、天神ばしどをりに出たるに、弥次郎兵衛のはきたる雪駄(せつた)、いかがしてや、横(よこ)はなをぬけたりければ

弥次「しまつた。京のものはゆだんがならねへ。ごうせへに請合(うけやつ)てうりやアがつて いまいましい

トつぶやく向ふより、かみくずかひ

「デイデイデイデイ

是は大さかにては、かみくずかいかくのごとくデイデイとよんで、あるくを、弥次郎は、ゑどのかくでせつたなをしと、おもひよびかけ

「コレコレ此せつた、頼(たの)みます

かみくずかひ「ハイコリャかたしかいな。かたしではどふもならんわいな。見りやそのはいてじやも、はなをがどふやらそこねそふじや。いつ所にさんせ

弥次「ホンニこいつも今にぬけるは。とてものことに、いつ所にして、いくらだいくらだ

トいふゆへかみくずかひはこれをかひとる心にてひねくりまはし

「コリヤいこ安(やす)いが、ゑいかいな

弥次「そふさ、なんでも安いのがいいの

かみくず「さよなら四拾八文じやが、どふじやいな

弥次「イヤそれでは、たかいたかい。廿四文ばかりでよかろう

かみくず「エエじやらじやらいふてじや

弥次「ハテサ、ほんとうに、廿四文廿四文

トむせうに、はきものをつきつけるゆへ、かみくずかいは、いつかうにがてんゆかず、うりてのほうから、ねだんをねぎるはめづらしいと、おかしさはんぶん、何にしてもそんのいかぬことなればぜにを取出し

現代語訳

そこからこの橋を北へ下り、市の側通りを行くと、ここは青物の市が立つ所で、殊に繁昌する地である。

青ものの売買(うりかい)ながら商人(あきんど)に尾(を)ひれの見ゆる市のかはまち

間もなく天満宮のお社に着いたが、まこと神の御徳の盛んなさまは、たくさんの参詣人の混雑によってわかる。料理茶屋の赤前垂れが、門で艶めき、水茶屋、楊弓場の女の客を呼ぶ甲高い声などが往来の人々の心をわくわくさせ、或は仙助の能狂言、忠七の浮世物真似、その外山海の珍しい見世物、芝居、軽技、曲馬乗りが境内に所狭しと展開して賑わいを見せている。

何ひとつ御不足(そく)もなき御繁昌(はんじやう)まことに自由自在天神(じゆうじざいてんじん)

このようにして社内をことごとく順に拝んで回り、私娼街霊符の女の真っ白い顔も、横目に見て、小山屋の角をも、むなしく通り過ぎて、天神橋通りに出たが、弥次郎兵衛喜多八の履いていた雪駄が、どういうわけか横花緒が抜けてしまったので、

弥次「しまった。京の者は商売上手なので、うっかりできぬ。大いに保証して売りやがって、いまいましい」

とつぶやいてると、向うから紙屑買いが呼声をあげながら、やって来る。

「デイデイデイデイ」

これは大阪においては、紙屑買のようにデイデイと呼びかけながら、歩いているのを、弥次郎は江戸のつもりで雪駄直しと思い、呼びかけ、

弥次「これこれ、この雪駄の修理頼みます」

紙屑買「はいこりゃ、片方かいな。片方ではどうにもならんわいな。見りゃあ、その履いてじゃも、鼻緒がどうやらつん抜けそうじゃ。一緒にさんせ」

弥次「ほんに、こいつも今に抜けるわ。とてものことに、一緒にして、幾らだ、幾らだ」

と言うので、紙屑買はこれを買い取る気持ちになって、あれこれひねくり回し、

「こりゃ、たいそう安いが、えいかいな」

弥次「そうさ、何でも安いのがいいのう」

紙屑「さよなら四十八文じゃが、どうじゃいな」

弥次「いや、それでは、高い高い。二十四文ばかりでよかろう」

紙屑「ええ、じゃらじゃら言うてじゃ」

弥次「はてさ、ほんとうに、二十四文、二十四文」

と無性に、履物を突き付けるので、紙屑買は、いっこうに合点がいかず、売手のほうから値段を値切るのは珍しいと、可笑しさ半分、何にしても損になることではないので銭を取出し、

語句

■市の側-『摂津名所図会』に「天神橋より下手西の街を、市の側といふ。是は市場には非ず、乾物荒物を商ふ一店軒を並ぶ」。但し『摂津名所図会』は市の側について、「常に朝毎に市あり、又毎年極月廿四日の夜には、紀国より多く積上せるみかんをここにて市をなす事・・・市の繁栄たる首長たるべし」と。次の狂歌に見ると、一九はこれによる。■青物(あおもの)の市たつ所-『摂津名所図会』に「天満菜蔬(あをもの)市、天神橋北爪上手より、竜田町まで浜側通三町許の間なり」として、毎朝の市、近畿諸国よりの入荷、問屋四十軒、中買百五十軒あり、と年中の繁栄を述べている。■尾ひれの見ゆる-「尾ひれ」が見えるとは、威勢が良く立派なさま。一首は、青物市場だが、市の側の商人は、魚のごとく尾ひれがあって、活気充満の意。■天満宮-天満天神社。菅原道真を祀る。旧暦六月二十五日の日本三大祭の一、天神祭で有名な、大阪有数の大社。■彭々(ぼうぼう)たる-盛んなさま。■水ちや屋-水茶屋。江戸時代 、道ばたや社寺の 境内 で、 湯 茶 などを供して休息させた 茶屋 。■楊弓場(ようきうば)-料金を払って楊弓(二尺八寸の小さい弓で、七間半の的を射る)を射させる遊技場。社寺の境内に多く、常連などもあり腕前の順位なども決まっていた。世話をするのは女性。■かんばり声-客を呼び入れる女たちの甲高い声。■仙(せん)助が能狂言(のうけうげん)-辻能(一般に見料を取って見せる興行の能)の上方の一座で、堀井仙(または千)助といい、代々ある(翁草・百二十六)。初代の仙助は名手(翁草・五十六)であり、二代目からは歌舞伎化したという(頭註東海道膝栗毛)。一九の頃は二代目であろうか。■忠(ちう)七がうき世ものまね-『皇都午睡』初上に「浮世物まね、又軽口物真似とて、姓もなき馬鹿口をたたき、願をはづさせ、戯場俳優の物真似をするを、東都にて豆蔵声色と云ひ、浪華にて、忠七の身ぶり物まねと云ふ。豆蔵忠七は、小屋主座元の名也」。■曲馬乗り-馬乗りの曲芸または馬に種々の芸をさせる見世物。社寺で小屋掛けで興行した(見世物研究)。■何ひとつ~-天神とは大自由自在天神の略称。自由自在は思うままの意。一首は、何でも揃って不足ない繁昌は、自由自在のその神号に恥じぬ天神様だの意。■霊符(れいふ)-天満天神の東、鎮宅霊符神の祠(ほこら)近くにあった私娼街。『今いま八卦』に「霊符 勿躰なくも北辰の神号をよび、又は袋谷とも唱へ、客は此辺の桶工の村僕(はいで)梓人(はたや)の作人(てまとり)、庚申参りの下向に・・・二階の唐紙あけて二畳敷へ這入りしなに、門がしまったらば、ばらして下んせ」。天神境内からは見えないが近い所でかく描いた。■小山屋-天満宮境内後方の池に面した卓子料理で有名な料亭。■天神ばし-天満橋の西、天満宮参詣道に当る、七十六丈の大橋。北詰は天満十丁目、南詰は京橋六丁目(摂津名所図会大成)。■京のものはゆだんがならねへ-京の者は、商売上手で、うっかりできぬ。■ごうせへに請合て-大いに保証して。■かみくずかひ-『守貞漫稿』に「紙屑買 反故及び古帳・紙屑を買ひ、又兼ねて古衣服・古銅鉄・古器物をも兼買ふ、京坂の詩、テンカミクズテンテンと云ふ、てんてんは、古手の略語。古手は古着とも云ふ。古衣服を云ふ也」。この「てんてん」を「でいでい」としたのである。■ゑどのかく-江戸の格。江戸のつもり。『街能噂』に「江戸の雪踏直、かくのごとくなりにて、大阪とは大いニ異なり、市中をあるくに、デイデイ引とよびてあるく、そは手ニ入リやうといふことなるよしきけり」。「デイ」の意は『反古籠』などにも見える。■かたし-履物など二つ揃いのものの片方。■はきもんなをし-履物直し。

原文

「ハイそしたら、廿四文にまけてあげて買(かひ)ましよかいな

ト廿四文弥次郎にわたし、せつたを取、荷のうちへいれて、ゆかふとする

弥次「コリヤまつたまつた。おれに銭(ぜに)をよこして、その雪駄(せつた)をどふすのだ

くずや「ハテ買(か)ふたのじやわいな

弥次「とんだことをいふ。はなをがぬけたから、なをしてくれろといふのだはな

くずや「イヤこなはん、わしをはきもんなをしじやとおもふてかいな。これ紙屑(かみくず)かいは、わたなべから出やせんぞへ。あたけたいなわろじやわい

弥次「イヤこのよこつたをしめが、なぜそんなら、デイデイといつてあるくのだ

トりきみかかるを左平次おしとめ

「ハハアきこへた。コリヤおまいが麁相(そそう)じや。わしやさつきにから、かわつたことじやとおもふてゐたが、アノおゑどじや、はきもん直しが、デイデイといふて、あるきおると、いふこつちやが、当地(とうち)では、くずやどのが、みなデイデイといふてあるくこと、御ぞんじないさかい、御了簡(りやくけん)ちがいじや。コレくずやさん、こちがわるい。ゆるしなされ

くずや「じやてて、あんまりなわろじやわいな。あんだらくさい

北八「ハテ、間違(まちがひ)じや。その雪駄(せつた)をけへしてくんな

くずや「いやじやわいの。こちをはきもんなをしじやと、いひくさつて、こちや外聞(ぐわいぶん)がわるいわいの

トはらたつを、北八左平次がやうやうとことはりいひて、せつたをとりかへし、それより弥次郎は、わらぞうりをもとめて、はき、せつたはこしにはさみて、天神ばしをみなみへ打わたりて、よこぼりどふりをたどりゆくに、ここに人だちさはがしく、けんくわと見へて、くちぐちにわめきののしりて、うちあひうちあひ、わうらいいやがうへにかさなり、そうだうするに、弥次郎きた八も人におされて、行ぬけんとしたるが、何か紙につつみたるもの、あしもとにおちてあるゆへ、弥次郎何心なく、ひろひとり、ひらき見れば、かくのごときかきたる札なり。今はたへて、そのことなしといへども、此時分は、ざまのみやに、富にありし時節にして、わうらいの人、このくんじゆにおされて、とりおとしたると見へたり。はるかにここをゆきすぎて、左平次

「モシ今あなたの、おひらきなされたのは富(とみ)の札じやないかいな。

弥次「そふだろう。コレ八十八ばんとありやす

現代語訳

「はい、そしたら二十四文にまけてあげて買いましょかいな」

と二十四文を弥次郎に渡し、雪駄を取り、荷物の中へ入れて、行こうとする。

弥次「こりゃ、待った、待った。俺に銭をよこして、その雪駄をどうするのだ」

屑屋「はて、買うたのじゃわいな」

弥次「とんだことを言う。鼻緒が抜けたから、直してくれろと言うのだわな」

屑屋「いや、貴方様、わしを履物直しじゃと思うてかいな。これ紙屑買は、渡辺から出やせんぞえ。不思議な人じゃ」」

弥次「いや、この横紙破りめが。そんなら何故、デイデイと言って歩くのだ」

と力みかかるのを左平次が押し留め、

「ははあ、解った。こりゃ、おまいの粗相じゃ。わしゃあさっきから、変った事じゃと思っていたが、あのお江戸じゃ、履物直しが、デイデイと言うて、歩きおるというこっちゃが、当地では、屑屋殿が、皆デイデイと言うて歩くことを御存じないなかい、思い違いじゃ、これ、屑屋さん、こっちが悪い。許しなされ」

屑屋「じゃと言うて、あんまりな人じゃわいな。あんた馬鹿くさい」

北八「はて、間違いじゃ。その雪駄を返してくんな」

屑屋「嫌じゃわいの。こちを履物直しじゃと、言いくさって、こちゃ外聞が悪いわいの」

と腹を立てるのを、北八左平次がやっとのことで謝って、雪駄を取り返す。それから弥次郎は、わら草履を買って履き、雪駄は腰に挟んで、天神橋を南へ渡って、横堀通りをたどって行くと、ここでは人々が大騒ぎをしている。、喧嘩と見えて、口々に喚き罵って、打ち合い、打ち合い、往来の人々が嫌がうえにも重なり、騒動するので弥次郎北八も人に押されて、通り抜けようとしたが、何か紙に包んだ物が足元に落ちているので、弥次郎は何気なく、拾いあげ、開いてみると、このように書いた札である。(富札 八十八番)。今は絶えて、そのこと無しというが、この頃は、座摩の宮が富札を営んでいた時節で、往来の人がこの群集に押されて、取り落としたものと見えた。遠くまで行き過ぎて、左平次、

「もし、今貴方の、お開きなされたのは富の札じゃないかいな」

弥次「そうだろう。これ、八十八番と書いてありやす」

語句

■はきもんなをし-履物直し。『街能噂』に「大阪の雪踏直、かくのごとく跡先を箱になしたるもあり、または前を箱、跡をたんすにこしらへるもあり、前後ともにたんすばかりなるもあり、江戸と大いに異也」、渡辺といふ処より出る、市中をあるくに直し直しといふ」(『守貞漫稿』など)。■わたなべ-渡辺村。昔は今の座間神社の辺にあったという。後に南方に移る。■けたい-「けたい」は不思議。「あた」は強意の接頭語。■よこつたをし-王道者。横っ倒し。横紙破り。人を罵って言う語。■あんだらくさい-「あんだら」は愚かなこと。ばかくさい。京大阪の方言(物類呼称)。■よこぼりどふり-横堀通り。天神橋を渡って南下すれば、東横堀に沿い、それから西行して座摩神社を目指せば、西横堀沿いの道となる。■そうだう-騒動。大騒ぎ。■富-富突き。今日の宝くじと同じ方法で、当った者が多額の金を得る。社寺の修理などで、幕府が許可したので、その後も社寺で行われた。明和から天明頃、文化末から天保の間が流行で、本書の出た時はその中間(幸田成友『日本経済史研究』など参照)。■富の札-富札。細長い紙製で、番号を書し、計画者の捺印がある。■座摩の宮-南渡辺町(今の、中央区久太郎町)の座摩神社。船場の中央で、かっては西成一郡の生土神。神功皇后ゆかりの宮で、富突きの盛んな宮の一つであった。

原文

左平「コリヤ座摩(ざま)の宮の札じや。しかもけふつく日じゃわいな。大かた今頃は、もふついてしもふたじやろぞいな

弥次「そふさ、どふせおとすくらへのもんだものを、からつぽの札であろう。へちまにもならねへ

トそのままひねつてうちすてるを きた八あとよりちやつとひろひて、くわいちうしゆくほどに、やがてかのざまのやしろにいたりけるが、けふは、くわんげ富の当日、ことに今、つきしまひたると見へて、くんじゆ下向、おびただしく、おしもわけられず。その中に人のはなしながらゆくをきけば

「アア残念(ざんねん)なことをしたわいな。あの八拾八ばん、すでのことに、わしが買(か)ふ所じやあつたわいの。あれ買ぞこなふたは、こちの運(うん)の来らんのじや。買(か)ふたら第一ばんで、金百両とりおつたものを、けたいがわるい

トはなしながらゆくを弥次郎ききつけぎよつとして

「きた八きいたか。今の札をうつちやらなんだらよかつたもの。エエどふしよふ、あとへ戻(もど)つても、もふあるめへか

北八「ナニ今まであるものか

弥次「エエエエ残多(のこりおお)いことをした

トあとふりかへりふりかへり神前にいたり見るに、富はつきしまひて、第一ばんより、だんだんと、あたりふだのばんづけ、いちいちしるして、正めんにはりつけあるを見れば、一のとみ、八十八ばんとふでぶとにかきたりける。弥次郎あまりのことにあきれはてて

「エエいめへましい。おらアもふいつそのこと、坊主(ぼうず)にでもなりてへ。とても運(うん)のひらける時節(じせつ)はねへ

北八「ハハハハハそんなにちからをおとすめへ。おれが百両とるから、おめへにも、三両や五両はかしてやる。コレ見なせへ

トかのひろひしふだを出しみせる

弥次「ヤアヤア手めへひろつて来たか。出かした出かした。こつちへよこせ

北八「イヤそふはなるめへ。おめへのすてたものを、あとからちやつとひろつてきたから、コリヤアおいらにさづかつたのだ

弥次「イヤイヤ、ひつきやう、おれがさきへ見つけて、ひろつたりやこそ、又手めへの手へも入たといふものだから、もとはおいらがものだ

北八「それでも、おめへいつたんすてたじやアねへか

弥次「ハテそふいはずと、マアよこせ

トむりにひつとろうとする きた八いかなやるまいとせりあふを 左平次とどめて

現代語訳

左平「こりゃ、座摩の宮の札じゃ。しかも今日が突く日じゃわいな。おおかた今頃は、もう突いて終ったじゃろぞいな」

弥次「そうさ、どうせ落とすくらいのもんだものを、空っぽの札であろう。役にも立たねえ」

とそのまま捻って捨てた札を、北八が後からちゃっかり拾って、懐に入れて行くと、やがてかの座摩の社に着いたが、今日は、勘化富の当日で、特に今突き終ったみえて群集がぞろぞろと帰りかけている。すごい人の波で、押し分けもできず、その中に人の話ながら行くのを聞くと、

「ああ、残念なことをしたわいな。あの八十八番、すんでの所で、わしが買うところじゃあったわいの。あれを買い損のうたは、こちの運がないからじゃ」

買ったら第一番で、金百両取りおったものを、いまいましい」

と話しながら行くのを、弥次郎が聞きつけ、ぎょっとして、

「北八聞いたか。今の札を捨ててしまわなかったら良かったものを。ええ、どうしよう。後へ戻っても、もうあるめえか」

北八「なに、今まであるものか」

弥次「ええ、ええ、惜しいことをした」

と後を振り返り、振り返りしながら神前に着いて見ると、富は突き終って、第一番より、だんだんと、当り札の番付いちいち記して、正面に貼り付けてあるのを見ると、一の富、八十八番と筆ふとぶとと書きつけてあった。弥次郎はあまりのことに口をあんぐり、

「ええ、いまいましい。おらあ、もういっそのこと、坊主にでもなりてえ。とても運の開ける時はねえ」

北八「はははは、そんなに力を落とすめえ。俺が百両取るから、おめえにも、三両か五両は貸してやる。これ見なせえ」

とかの拾った札を出して見せる。

弥次「やあやあ、てめえ拾ってきたか。でかした。でかした。こっちへ寄こせ」

北八「いや、そうはなるめえ。おめえの捨てたものを、後からちゃっかり拾ってきたから、こりゃあおいらに授かったのだ」

弥次「いやいや、もとを正せば、俺が先に見つけて、拾ったりゃこそ、又てめえの手へも入ったというものだから、元はおいらのものだ」

北八「それでも、おめえ一旦捨てたじゃあねえか」

弥次「はて、そう言わずと、まあ、寄こせ」

と無理に取り上げようとする。北八が、どうしても渡すまいと揉め合うのを、左平次が止めて、

語句

■つく-箱の中へ番号を書いた札を入れ、錐を付けた棒で突き刺した札を当りとする方法を、「つく」と称した。■へちまにもならねへ-何の役にも立たないの意。■くわんげ-勘化富。座摩社が(または座摩社を借りて)この富を計画したのは、やはり社寺の修復のための勧進を、これで行ったものであった。■下向-神仏への参詣から帰ること。■百両-当時、一番は大体、百両であったという。■けたいがわるい-忌々しい。■うつちやらなんだら-捨ててしまわなかったら。■坊主にでもなりてへ-世を捨ててしまいたい。■ひつきやう-畢竟。もとを正せば。■いかな-いっかな。どうしても。

原文

「コレコレしづかになされ。そないにいふたら、ひよつとすてたぬしがききつけて、出まいものでもないさかい。何じやあろと、わしが挨拶(あいさつ)じや。半分づつわけなされ。そしてわしにも、ちとはおくれじやあろな

北八「ソリャアおいらがしやうちの助だ 何にしろ善(ぜん)はいそぎだ 金はどこで受取のだろう

左平「ソリヤあこの世話(せわ)人のおるとこでわたしおりますわいな

北八「そんならそけへいつて見やう

ト打つれてそのところへゆきて見れば、かくのごとくさげふだしてありけるゆへ さてはけふのことにはいかずとまづ神前にまいりて

口上

当日殊之外混雑仕候ニ付当り札之御方明日四ツ時金子御渡可申候以上  月 日

世話人

御神の利生(りせう)かくべつ有がたや罰(ばち)にはあらであたる富札(とみふだ)

かくゑいじて大きにいさみたち 社内のこらずじゆんぱいして おもてのかたにたちいで

北八「ナント其内すてたやつが金請取(かねうけとり)にいきはせまいか

左平次「ソリヤ気遣(きづか)ひないわいの。いたとて札と引替(ひきかへ)にせにや、わたさんさかい、なんぼ当人(とうにん)でも、無証拠(むしやうこ)じやわいの

弥次「きめうこめう。ごうてきにおもしろくなつたわへ

北八「あしたは百両、久しぶりの対面(たいめん)

弥次「エエひさしぶりもおかしい。ついぞあつたこともなくてハハハハハ

トいさみよろこび やがてかしこのちや屋にはいりて まづまへいわひと酒くみかわしぬ

道中膝栗毛八編  上巻終

現代語訳

「これこれ、静かになされ。そないに言うたら、ひょっと捨てた主が聞きつけて、出まいものでもないさかい、ともかく、わしが仲裁じゃ。半分づつ分けなされ。そしてわしにも、ちとはおくれじゃあろな」

北八「そりゃあ、おいらは承知の助だ。何にしろ善は急げだ。金は何処で受け取るのだろう」

左平「そりゃあ、あこの世話人のおるとこで渡しおりますわいな」

北八「そんならそけへ行ってみよう」

と連れだって其処へ行って見ると、このように下げ札がしてあるので、さては今日の受け取りは無しだなと、先ず神前に参拝して、

口上

本日は、殊の外混雑しておりますので、当り札をお持ちの方は、明日の午前十時ごろ金子のお支払いが可能になりますのでお知らせ致します。

月 日

世話人

御神の利生(りせう)かくべつ有がたや罰(ばち)にはあらであたる富札(とみふだ)

このように詠じて大いに勇みたち、社内を残らず順拝して、表の方に出る。

北八「なんと、そのうちに、捨てた奴が金を受け取りに行きはしまいか」

左平次「そりゃ、気遣いは無いわいの。行ったとて、札と引替にせにゃ、渡さんさかい、なんぼ当人でも証拠無しじゃわいの」

弥次「奇妙、奇妙。相当面白くなったわえ」

北八「明日は百両、久しぶりの対面だわい」

弥次「ええ、久しぶりも可笑しい。ついぞ会ったこともないのに、ははははは」

と勇み喜び、やがてそこの茶屋に入って、先ず、前祝と酒を酌み交わした。

道中膝栗毛八編  上巻終

語句

■何じやあろと-どうあろうと。ともかくも。■挨拶-仲裁。■しやうちの助-「承知した」意の擬人名化。■善はいそぎだ-諺に「善は急げ悪はのべよ」。■四ツ-午前・午後の十時頃。ここはもちろん午前のほう。■御神の~-座魔の神様のお恵みで、罰には当らず、富札に当ったとは、何とあちがたいことではないか。■まへいわひ-前祝。どうせ拾ったことに、ことごとしく心配しているのが滑稽である。

次の章「八編中巻 大阪見物 ニ

朗読・解説:左大臣光永