八編中巻 大阪見物 ニ

原文

膝栗毛八編 上・下・下

道中膝栗毛八編中巻

かくて弥次郎兵衛喜多八は、おもひもよらず、百両(ひやくりやう)の富(とみ)にあたり、たちまちいきほひをゑて、座摩(ざま)の社地をいでしより、煮(に)うり茶屋(ぢやや)に入て酒くみかはし、ほろ酔きげんとなり、心おもしろげにうかれ立て、案内者(あないしや)の佐平次(さへいじ)にひかれ、難波御堂(なんばみだう)の穴門(あなもん)より、御境内(けいだい)を順拝(じゆんぱい)しながら

おふみさまときけば女の名にも似(に)てあらありがたの穴(あな)かしこなり

それより、仁徳(にんとく)天王の社(やしろ)にまいる。これは世俗(せぞく)に博労(ばくろう)の稲荷(いなり)といふ

ばくろうのいなりは別にけいだいに見へたり

博労のいなりといふもことわりや絵馬(ゑま)うりてくふ見せも見ゆれば

門前のでんがくぢやや「おはいりなおはいりな。田楽(でんがく)のやきたてあがらんかいな

北八「エエしれたことをいふ。でんがくのさめたのがいけるものか

芝居の木戸「サア今が盛衰記(せいすいき)、むげんのかねじや。ひやうばんでひやうばんで

弥次「むげんのかねもすさまじい。こっちは百両とつてゐるは、とほうもねへ。コウ北八、ナント是から新町とやらへ、女郎買(けへ)にやらかしはどふだ

北八「おもしれへ。すぐにいかふか。ノウ佐平さん

左平「ソリャお出でなさるはゑいが、不躾(ぶしつけ)ながら、おまいさんがたのそのなりじや、とつともふあかんじやないかいな。ソリヤ局(つぼね)女郎なとおかいなさりや格別(かくべつ)、みせつきじやてて、ちと身なりあんじやうして、あすの夜さりなと、お出でなされ

弥次「コリヤなるほど、おめへのいふとふりだ。ハテ百両といふかねがとれるものを、とても買(か)うなら、その太夫(たゆふ)とやらを、買(かつ)て見る心いきだ

北八「ヲヤもふ、くらへそばへてきたの

左平「ソリヤ其はづのこといの。わしおともして、九軒(くけん)の揚屋(あげや)どつこへなと、おつれ申そ。時にこれが大丸屋、ナントゑらいもんじやあろがな

ごふく店大丸屋「あなたこれへこれへ。なんでござい。おはいりなおはいりなおはいりな

弥次「ナント北八、ここへ今着物(きもの)を、あつらへていかふじやアねへか

左平「ハハハハハおまいさんもまんがちな。あすのことになされませいな

北八「そふさ、今にやアかぎらねへ。サアサアあよびなせへ

現代語訳

大阪見物 ニ

こうして弥次郎兵衛喜多八は、思いもよらず、百両の富に当り、たちまち勢いを得て、座摩の社地を出てから、煮売り茶屋に入って酒を酌み交わし、ほろ酔い加減となって、心浮き浮き浮れ立って、案内者の左平次に引かれ、難波御堂の穴門から境内を順拝しながら

おふみさまときけば女の名にも似(に)てあらありがたの穴(あな)かしこなり

それから仁徳天皇の社に参拝する。ここは世俗では博労の稲荷といい、別に境内に鎮座している。

博労のいなりといふもことわりや絵馬(ゑま)うりてくふ見せも見ゆれば

門前の田楽茶屋「お入りな、お入りな。田楽の焼きたてあがらんかいな」

北八「ええ、知れたことを言う。田楽の冷めたのがいけるものか」

芝居の木戸「さあ、今が盛衰記、無間の鐘じゃ。評判で、評判で」

弥次「無間の鐘も聞いてあきれる。こっちは百両とっているわ、とほうもねえ。これ北八、どうだ是から新町とやらえ、女郎買にやらかしはどうだ」

北八「おもしれえ。すぐに行こう。のう左平さん」

左平「そりゃ、お出でなさるはいいが、不躾ながら、おまいさんがたのそのなりじゃ、とっともうあかんじゃないかいな。そりゃ局女郎なとお買いなさりゃ格別、店付じゃてて、ちと身なりを良くして、明日の夜さりなとお出でなされ」

弥次「こりゃなるほど、おめえの言うとおりだ。はて、百両という金が取れるものを、どうせ買うなら、その太夫とやらを買って見る心意気だ」

北八「おや、もう、調子に乗ってきたのう」

左平「そりゃ、そのはずのこといの。わしがお供して九軒の揚屋なんぞへ、お連れ申そう。ところで、これが大丸屋、なんとたいしたもんじゃあろがな」

呉服屋大丸屋「貴方、これへこれへ。なんでござい。お入りなお入りなお入りな」

弥次「なんと北八、ここで今着物を誂えていこうじゃねえか」

左平「ははははは、おまいさんも手前勝手な。明日のことになされませいな」

北八「そうさ、今に限らねえ。さあさあ歩きなせえ」

語句

■煮うり茶屋-副食物を主として、食事や酒事をさせる茶屋。■難波御堂-『摂津名所図会』に「御堂筋久太郎町にあり、裏御堂とも称す。京師東本願寺御門跡坊なり」。■穴門-『摂津名所図会大成』に「窟門(あなもん)、本堂の後北傍ニあり。土堰(どて)石塁の中を、石にて窟(いわあな)を造りて通路とす。即ち上下左右ともに、切石をもつて造りたれば、夏日といへども、暑気を徹(とふ)さず清、涼なり。ここに西瓜をひさぐ店をいだして名物とす。衆人ここに暑を避けて西瓜を食す。穴門の西瓜と称して名高し」。■おふみさま~-「おふみさま」は御文章のこと。蓮如上人の道を説いたもの。一向宗の尊重して誦するもの。「あなかしこ」は、文即ち女性の手紙の末に書く語。「女」と「穴」はもちろん縁語。難波御堂の一向宗の尊重するもの、お文さまというと、女の名にも似ているが、そこに、手紙の末の語にも、女にも通ずる穴門があって、あらありがたやというところだ。■仁徳天王の社-『摂津名所図会』に上難波仁徳天皇宮、上難波町にあり、社説に云ふ、世人、馬喰稲荷と称ずるは訛なり。・・・祭神鷦鷯(おおささぎ)聖帝(仁徳天皇)、・・・常に詣人多く、芝居・観物・軍書読・小買の市店連なりて囂(かまびす)し。都て辺◎の人も、大阪一覧の時はまづここに詣ずるなるべし」。■ばくろうのいなり-『摂津名所図会』同所の末社を並べる中に、「博労神祠、本社の右にあり、稲荷神を祭る」。■博労のいなり~-「稲荷」は絵馬の多い祠、「博労」は馬の売買の商人で「馬」の縁。絵馬を売って生活する人が見えるから、馬に縁ある博労稲荷というも、もっともだ。■でんがくぢやや-田楽茶屋。田楽で飲食させる店。■芝居-『摂津名所図会』の説明に見え、稲荷境内の芝居として、操人形芝居の番付も残っている。浄瑠璃作者の仲間であった一九のよく知るところ。■盛衰記-浄瑠璃「ひらがな盛衰記」(元文四年初演)。歌舞伎にも演ぜられ、その無間の鐘の場は有名。■すさまじい-仰山らしい。聞いてあきれる。無間の鐘はわずかに三十両、仰山らしくいうことはない。■新町-大阪の公娼街。西横堀の西、立売堀の南の一郭。瓢箪町を通筋として、東西四筋の北に新京橋町・新堀町・九軒町・佐渡屋町の一筋、南に、佐渡島町(一部の旧名越後町)と葭原町の二筋がある。寛永年間から戦前に至る大阪第一の花柳界。京の島原・江戸の吉原と三都に並称された。弥次郎兵衛・北八などの出入りする格ではない。ただし、博労稲荷から新町は近い。■とつともふ-全くもって。下に否定の気味を伴う副詞。■あかんじやないかいな-だめである。■局女郎-街の最下位の遊女で、局と呼ぶ小部屋にいて、そこで客をとる。昔は官許もなく、こっそり営んだという(みをつくし)。■みせつき-見世に出て求め、置屋で客をとる。揚屋・茶屋・呼屋へは出ないもの。一つはこれは営業方法で、大阪では太夫・天神はないが、鹿子級のものには、両方行っていた(みをつくし)。■ちと身なりあんじやうして-少し服装をよくして。■太夫-最上位の遊女。『みをつくし』(寛政十年版)の「価諸分」には「太夫、六十九匁」。■くらへそばへ-調子に乗って、つけ上る。■九軒-九軒町。古くから、揚屋ばかりの町。ただし揚屋は他の町にもあった(みをつくし)。■揚屋-太夫・天神など、上座の遊女を、女郎屋より呼び寄せ(これを「揚げる」という)、遊ぶ家。『みをつくし』に「当津の廓至って寛活なり、殊に此地の揚屋に勝りたるはなし。さればむかしの大臣達の金言に、京島原の女郎に、江戸吉原の張をもたせ、長崎丸山の衣装を着せ、大阪新町の揚屋にてあそびたしといひ置きたり」。一九もよって揚屋遊びを描いたのであろう。■大丸屋-『商人買物独案内』に「大丸、げんぎんかけ値なし。心斎橋清水町角大丸まつや」、江戸大伝馬町、名古屋本丁、大阪では堂島渡辺橋筋角にも店のある大呉服屋。ここは心斎橋筋の方。■なんでござい-御用は何でございますかの意。■まんがちな-手前勝手な。■あよびなせへ-江戸の通言で、「あるきなさい」の意だが、遊山などの時に用いる。                                                       

原文

弥次「そんならあしたのことにしよふ。北八 手めへは、何にするつもりだ

北八「きもののことか。さればの 結城(ゆうき)のぐつといきな縞(しま)で、三まいばかり、羽折(はをり)はりうもんのこりこりするやつの、芥子(けし)あられなぞが、金持(かねもち)らしくて、よかろふじやアねへか

弥次「イヤイヤそれでは店者(たなもの)めく。そんなきものきたら、コレおまいゆふべは何ぼ出た、ヨの字か、キの字か。こちやホ久のしろもので、位(くらひ)出たさかい、ゑらい徳(とく)したなどと、符帳(ふてう)でしやれよふといふふうだから、おさまらねへ。おいらはしまちりぞろへに黒羽折(くろばおり)、お太刀(たち)壱本、ちよいときめの判官(はんぐわん)もりひさは、妙(めう)であろう。ただしはぐつと、大ふざけに、ひがのこのへりとりむく、うへにゆふきの棒島(ぼうじま)、対(つい)のはをりはあんまり、きいたふうであろうか。八丈もやぼになつた。唐桟(とうざん)はおやぢめく。南部(なんぶ)じまはもふ、ゆやにぬいであるやうになつたから、おそれるおそれる

北八「そふさ、なるほど着(き)やうといふと、まさかきるものもねへもんだ

トむちうになりてはなしゆく あとからわうらいのもの

「きるもんがなかア、やつぱりその、うしろにおつきな紋所(もんどころ)のある、幟(のぼり)の染かへしをきて、ゐさんすがゑいわいのハハハハハ

北八「イヤこいつらア何ぬかしやアがる

うしろの人「おまいのこつちやないわいの

トいちもくさんににげてゆく

北八「エエいめへましいやつらだ。今に見ろ、あしたはどんなものきるとおもやアがる

左平次「ハハハハコリヤ不躾(ぶしつけ)ながら、おまいがたが、そないにしゆんだなりして、縮緬(ちりめん)じやの、羽二重(はぶたへ)じやのと、いふてじやさかい、わらひくさるのじやが、コリヤ敵等(てきら)が、もつともじやわいな。ハハハハハときに是から、あみだ池へさんじて、砂場(すなば)の和泉(いづみ)や、おめにかけたいな

弥次「イヤ宮寺(みやでら)はあきはてた。それよりかはやくしんまちへ行てへものだが、あすの晩(ばん)までは、ごうてきにまちどをな

左平「さよなら、斯(かう)いたそかいな。わしなんなと、損料(そんりやう)のきりもん借(かつ)てあげるさかい、それ着て今宵(こよひ)、しんまちへお出でなされ。おかねはあとでもだんない。わしがおやかたのしつてじや、揚屋(あげや)へゆくさかい、どうであすは、百両あとりなさるのじやもの、なんじやあろとそふしなされ

北八「コリヤおもしろへりけつだ

現代語訳

弥次「そんなら明日の事にしよう。北八、手前は、何にするつもりだ」

北八「着物の事か。そうだな、結城のぐっと粋な縞で、三枚ばかり、羽織は竜紋のこりこりするやつの、芥子あられなどが、金持ちらしくてよかろうじゃあねえか」

弥次「いやいや、それでは店者みたいだ。そんな着物を着たら、これおまい昨夜は何ぼ出た、ヨの字か、キの字か。こちゃホ久のしろもので、位が出たさかい、えらい徳をしたなどと、符帳で洒落ようという風だから、もう一つ面白くねえ」おいらは縞縮揃いに黒羽織、お太刀を一本、ちょいと決めの判官盛久は、妙であろう。ただし、ぐっと大ふざけに緋鹿子の縁取り無垢の下着、上に結城の棒島、対の羽織はあんまり、気取りすぎであろうか。八丈も野暮になった。唐桟は芝居でも老け役の着るところ。南部縞はもう、湯屋に脱いであるようになったから、もういい、もういい」

北八「そうさ、なるほど着ようというと、いざという時には、着る物もねえもんだ」

と夢中になって話しながら歩いて行く。後から往来の者、

「着るもんが無かあ、やっぱっり、その後の大きな紋所のある幟の染直しを着て、いさんすがえいわいの。はははははは」

北八「いや、こいつらあ、何をぬかしやあがる」

後の人「おまいのこっちゃないわいの」

と一目散に逃げていく。

北八「ええ、。いまいましい奴等だ。今に見ろ、明日はどんなものを着ると思やあがる」

左平次「はははは、こりゃ不躾ながらおまいがたが地味ななりして、縮緬じゃの、羽二重じゃのと言うてじゃさかい、笑いくさるのじゃが、こりゃ、彼等が最もじゃわいな。はははは、時にこれから阿弥陀池へ参じて、砂場の和泉や、お目にかけたいな」

弥次「いや、宮寺は飽き果てた。それよりか早く新町へ行きてえものだが、明日の晩まではひどく待ち遠しいな」

左平「それなら、こういたそかいな。わし、何なと賃貸の着物を借りてあげるさかい、それを着て、今宵、新町へお出でなされ。お金は後でも結構です。わしが親方の知ってじゃ、揚屋へ行くさかい、どうでも明日には百両お取りなさるのじゃから、ともかくも、そうしなされ」

北八「こりゃ、面白い理屈だ」

語句

■結城-結城紬(紬は紬糸で織った平織の絹)。下総の結城産。縞柄を主とし、強くじみで、町人の着物としては、粋で上品であった。■りうもん-『守貞漫稿』に「竜紋も綾の一種也、今は専ら織紋あるをあや、無地を竜紋と云ふ也、今の竜紋は糸に稜なく平絹の太糸なる物也」。元来地の厚く、しっかりしたもの。こりこりするごとく厚いのが上等。羽織や帯にする。■芥子あられ-小さい斑点を一面に出した染模様。これも地味である。■店者-商家の使用人。番頭・丁稚の類。江戸には上方の大商人の支店が多く、店者といえば、直ちに上方人が思い出された。■ヨの字-商人符牒の中で最も普及した紙屋のものは、イ・コ・ヨ・キ・久(キウ)・位(クライ)・保(ホ)・チ・リ・タまたは正(ヒヤクハ)を、一から十までに当てる(『万法重宝秘伝集』『筆拍子』十など、単位は、銀で、貫・百匁・十匁でも適当につけてよい)。ヨは三、キは四、ホ久は七・五、位は六に当る。ただし、七・五の代物で、六でると損になるのだが、一九はわざと損なのを、ひどい徳と言わせて、弥次の知ったかぶりを、滑稽に描いたのであろう。■符帳-商人達の隠語。■しやれよふ-商人など深川遊里に遊んで、それぞれの業の隠語を使用して面白がる例は、洒落本に見える。■おさまらねへ-納得がいかぬ。も一つ面白くない。■しまちりぞろへ-縞模様の重ね着。■黒羽織-黒色縮緬の羽織。■太刀-長刀ならば落し差し、脇差ならば前へ少し出すなど、遊ぶ時の式がある。その式どおりに差すのを「きめる」という。■きめの-きめるを「主馬判官盛久」(平家の士、武略並びに乱舞に達し、謡曲「盛久」のシテにかけた。■ひがのこのへりとりむく-緋鹿子で縁をとった無垢の下着。

■棒島-結城紬の縞の一種。■対のはをり-結城紬の同じもので作った羽織。■きいたふう-気取りすぎる風。上の着付すこぶる遊人風。■八丈-八丈島産の縞の絹織物。■唐桟-舶来の木綿縞。■おやぢめく-芝居でも老け役の着るところ。■南部縞-南部地方(岩手県)産の木綿縞織物。■ゆやにぬいである-湯屋に脱いである。普及し過ぎたからの意。■おそれる-もうよい。閉口だ。■まさか-いざという時には。■染かへし-染め直し。■しゆんだ-地味な。■敵等-『浪花聞書』に「的(てき)、江戸でいふあれ、又彼なり、てきとも云ふ」。■あみだ池-蓮池山和光寺(『摂津名所図会』に「北堀江御池通にあり、智善院と号す」。元禄十一年(1698)善光寺同体の本尊を安置したに始まる。寺中に欽明天皇の時、百済渡来の弥陀三尊を捨てた難波の堀江の古跡という、阿弥陀池があり、「本堂の北にあり、池中に宝塔あり、池の面には蓮多し」であった)の境内をいう。■砂場の和泉-『摂津名所図会』に「砂場、新町西口南の地名也、ここに麺類を商ふ家あり、難波の名物とて、遠近ここに来集する事日々数百に及べり、重曹に牡蠣殻を葺きて火災を除く用とす、南の方を和泉屋といふて、初は、和泉国熊取郷御門村の産、其類族かの地にありとなん、中氏といふ」。「商人買物独案内」に「御進物用麺類所、すな場、新町西江一丁目南いづみ屋佐兵衛、別製蕎麦並ニ印紙あり」。■ごうてきに-ひどく。■損料-損料貸。衣服や器物を貸して、損料と称して、その貸賃を取るもの。■おやかた-親方。分銅河内屋の亭主をさすか。■なんじやあろと-ともかくも。■りけつ-「理屈」の洒落言葉。思案だ。

原文  

弥次「いかさまなア、そんならすぐにかへつて、おめへに、そのさんだんをしてもらひやせう

トうてうてんになりしんさいばしすじを南へ、はやくもどうとんぼりにいたりければ、まことに当地第一のさかりばにて、まへにしまの内あり、うしろに坂まちあり、おやまげい子のなまめき、行かふさまににぎやか也

いつとても調子(てうし)くるはじ三味線(さみせん)のどうとんぼりのにぎはひはそも

其日もはや、七ツさがり、大西の芝居打出して、櫓(やぐら)だいこの音喧(をとかまびす)く、評判じや評判いやの声(こへ)、木戸口に溢(あふ)れて、見物もどよみつれ、おしあふ中を漸くすりぬけすりぬけ、ゆくままに角の芝居、中の芝居の看板(かんばん)さへも目につかず、角丸(かどまる)若太夫、竹田の切狂言もうち出しまへ、いろは茶屋の仲居(なかゐ)、あかまへだれと供(とも)に毛氈(もうせん)を引ずりてはしり、島の内の迎(むか)ひ篭(かご)、ハイハイ馬じや馬じやにつれて、もまれ行ほどこそあれ、此群集(くんじゆ)大かたは、おかずとも十文のなら茶屋へはいり、あるひは 大庄のかばやきに、 鼻(はな)いからして入るもあり。日本ばし近(ちか)くなりて、しばらく往来(わうらい)もすきたりければ、頓(やが)てはしりだしてゆくままに、はやながまちの宿に着きたりける。左平次さきにたちて

「サアサアお帰りじや

やどの女ども「おはやうござります「アイアイ、是は左平さん御苦労。ときに今の損印(そんいん)の理屈はどふだろう

左平「かしこまりました。いつきにせいらく(詮議)して参上(さんぜう)わいな

北八「そんならはやくはやく

トふたりはおくへとをると おんなきたりて

「モシナお湯(ゆ)におめしなさらんかいな。おひもじかア、御膳(ぜん)にいたしましよわいな

弥次「イヤ飯も喉へはとをらぬ、なんだかそはそはして、しかし湯へはちよつと這入(はいつ)てこよふ

北八「おそくなる。ゆもいいじやアねへか

弥次「イヤ顔ばかりあらつてくる

北八「おきやアがれハハハハハ

ト此内弥次郎はゆにいりにゆく、しばらくして、左平次そんりやうものを、ふろしきにつつみて、はしりもちきたり                           

現代語訳

弥次「いかさまなあ、そんならすぐに帰って、おめえに、その算段をしてもらいやしょう」

と夢中になって、心斎橋筋を南へ、早くも道頓堀に着いてみると、本当に当地第一の盛り場で、前に島の内があり、後ろには坂町があり、おやま芸子が艶めき、行き交う様が賑やかである。

いつとても調子(てうし)くるはじ三味線(さみせん)のどうとんぼりのにぎはひはそも

其の日も最早午後四時過ぎ、大西の芝居も終り、櫓太鼓の音が喧しく、評判じゃ評判じゃの声が、木戸口に溢れて、見物客の混雑は激しく、押し合い圧(へ)し合いする中を漸くすり抜け、歩いて行くと、角の芝居、中の芝居の看板さえも目につかない。角丸若太夫、竹田の切狂言も終了まじかで、いろは茶屋の仲居が赤前垂れと共に毛氈をひきずって忙しく走り回り、島之内からの迎え篭、はいはいじゃ馬じゃ馬につれて、揉まれながら行くと、この群集の大半は おかずとも十文の奈良茶屋へ入り、或は、大庄の蒲焼に鼻をひくつかせて入るもあり。日本橋が近くなって、しばらく往来も少なくなり、やがて走り出して行くままに、早や、長屋の町の宿に帰りついた。左平次は先にたって、

「さあさあ、お帰りじゃ」

宿の女ども「お早うござります。あいあい、これは左平さん御苦労。ところで今の賃貸の着物の件はどうだろう」

左平「かしこまりました。直に工面して来ましょう」

北八「そんなら、早く、早く」

と二人は奥へ通ると、女がやって来て、

「もしな、お湯をお召しなさらんかいな。おひもじいなら、御膳にいたしましょわいな」

弥次「いや、飯も喉へは通らぬ。なんだかそわそわして、しかし湯へはちょっと入ってこよう」

北八「遅くなる。湯もいいじゃあねえか」

弥次「いや、顔ばかり洗って来る」

北八「止めてくれ。はははははは」

とそのうち弥次郎は湯に入りに行く。暫くして、左平次が賃貸の物を、風呂敷に包んで、走って持って来て、

語句

■さんだん-算段。■うてうてん-有頂天。夢中になって。■しんさいばしすじ長堀に架かる東から六つ目の橋の名で、その通りを南下して、道頓堀に着く。■どうとんぼり-劇場を中心とした大阪第一の盛り場なること、古今変わりがない。■しまの内-島の内。ここは道頓堀北岸の遊里をさす。■坂まち-坂町(「道とんぼり南へ三すじ目挙や町、日本橋通少し西より千日まへ通まで」)は道頓堀芝居街南方の遊里。共に『浪花色八卦』の類でも巻頭において、新町のごとき公娼街ではないが、京都の祇園の格で、芸・娼妓共に新町と競った華麗繁栄の花柳界。

■いつとても~-「三味線の胴と道頓堀をかけ、「調子」を縁語として、道頓堀の賑わいは、いつも少しも変らぬ大したものだの意。■七ツさがり-午後四時過ぎ。■大西-心斎橋筋を南行して、道頓堀の戎橋を渡り、道頓堀に沿って東行すると、西から、歌舞伎芝居の大西の芝居(別名、筑後の芝居。竹本筑後掾の操芝居のあと)、中芝居(塩谷九郎右衛門名代の座)が北に面して並び、太左衛門橋の通りを隔てて、東に角芝居(大阪太左衛門名代の芝居)がある。以上が大阪三座の大芝居。その東に中芝居の角屋の芝居。相合橋の通りを隔てて、操芝居の豊竹若太夫の芝居・竹田の芝居(竹田出雲の芝居)が東へ並んでいた。(『摂津名所図会』や『戯場楽屋図会』の「道頓堀六ツ矢倉細見図」)。一九も以下この順で述べる。■打だして-一日の興行を終了して。■櫓だいこの-打出しの時、既定の法式で 櫓の上にすえた大太鼓を打つ。■切狂言-本狂言の後に伏す短い出し物。■いろは茶屋-道頓堀の芝居を案内する茶屋(『南水漫遊続編』一)。■あかまへだれ-これを「おちやこ」という。■毛氈を引きずりてはしり-客の敷物用。あわただしいさま。■迎(むか)ひ篭(かご)-島之内の茶屋から、見物の客や芸娼妓を迎える駕籠を回したもの。■馬じやじやにつれて-一人中を行くときに、注意する言葉。■おかず-「副食物」の上方語。■なら茶屋-奈良茶飯でなくても、一膳飯屋をいう。茶飯に簡単な菜をそえる習慣があった。■大庄-道頓堀の二ツ井にあったうなぎ屋。■鼻いからして-鼻をぴくぴくさせて。■損印-損料貸の着物を略していった語。何々「印」とつけるのは通言。■いつきに-直に。■せいらく-詮索。工夫。工面。■参上わいな-来ましょう。■おきやアがれ-髭むしゃむしゃの弥次郎兵衛が気取るのが、おかしくて、ひやかした語。■おきやアがれ-やめてくれ。相手の言動を強く打ち消す語。■ぶいきもの-野暮なもの。

原文

「おまちかねであつたじやあろ

トつつみをとけば北八、かれこれとひねくり廻し

「モシぶいきものばかりだね

左平「じやてて、是が、いつちゑいのじやわいな。おまいには此黒紬がよかろよかろ

北八「なんだ、とほうもねへ紋所だ。そしてたけがつんつるてんで、袖はてへそうに大きい。これを着たら無塩(ぶゑん)の奴凧(やつこだこ)といふものだろう。そつちらの島(しま)は何だ

左平「ふとりじやそふな

北八「イヤ此小紋(もん)がよかろう

ト引たてて見れば女のきもの

左平「ハハハハわしやおとこのきりもんかとおもふて、とてきたわいの

北八「よしよし、、斯(かう)しよふ。小袖ひとつじやアしみたれだから、此女小そでをしたに着て、うへはふとりじまときめやせう

トふたつかさねてきかへ、おびを〆ているところへ、弥次郎ゆより、あがりて来り

「ヲヤ左平さんはやいな。エエきた八めが、きたはきたは  男ぶりがいいから、どこへ出しても、借着(かりぎ)したとやつぱり見へる見へる

北八「しやれずと、はやくしたくをしねへ

弥次「おらア此黒いやつか。よしよし。旦那と見へるやうに、お太刀一本こうきめてゆくは

北八「コレサおめへきものをきねへか。裸身(はだかみ)に其脇差をさして行つもりか。医者(いしや)どのが清盛(きよもり)さまの脈(みやく)を見にいきやアしめへし、とんだ狼敗(うろたへ)やうだ

弥次「ときにはをりは

左平「おまい様は此ぬきもんにしなされ

北八「けちなはおりだ。干鰯(ほしか)の仕切(しきり)に、ゆかふといふなりだ

弥次「人のことをいふ手めへのふうは、蔕木寸伯(へたのきすんぱく)さまの代脈(だいみやく)に来たといふふうだ。ハハハハハハ

現代語訳

左平次「お待ちかねであったじゃあろ」

と包を解くと、北八はあれこれと捻くり回し、

「もし、野暮なものばかりだね」

左平「じゃと言うて、これが一番いいのじゃわいな。おまいにはこの黒紬がよかろよかろ」

北八「なんだ、とんでもなく大きい紋所だ。そして丈がつんつるてんで、袖はたいそうに大きい。これを着たらそっくりそのままの奴凧だというものだろう。そっちらの島は何だ」

左平「太り縞じゃそうな」

北八「いや、この小紋がよかろう」

と引き立てて見ると、女の着物。

左平「はははは、わしゃあ男の着物かと思うて、取って来たわいの」

北八「よしよし、こうしよう。小袖一つじゃあしみったれだから、この女小袖を下に着て、上は太り縞と決めやしょう」

と二つ重ねて着替え、帯を締めているところへ、弥次郎が湯から上がって来て、

「おや、左平さん早いな。ええ、北八めが、着たわ着たわ、男ぶりがいいから、何処へ出しても借り着したとやっぱり見える見える」

北八「洒落ずに早く支度をしねえ」

弥次「おらあ、この黒いやつか。よしよし。旦那に見えるように、お太刀を一本こう決めて行くわ」

北八「これさ、おめえの着物を着ねえか。裸にその脇差を差して行くつもりか。医者殿が清盛さまの脈を見にいきゃあしめえし、とんだ狼狽えようだ」

弥次「ところで羽織を」

左平「おまい様はこのぬきもんにしなされ」

北八「けちな羽織だ。干鰯(ほしか)の仕切(しきり)に、行こうというなりだ」

弥次「人の事を言うてめえの風は、蔕木寸伯(へたのきすんぱく)さまの代脈(だいみやく)に来たといふ風だ。はははははは」

語句

■ぶいき-野暮なもの。■黒紬-黒色の紬。■とほうもんへ-とんでもなく大きい。■たけがつんつるてん-着物の丈の短いことをいう。■無塩-塩をしていない新鮮な魚をいう。ここは生きた姿とか、そっくりそのままの意で使用。■奴凧-奴が髭面で紋看板を着た姿を作った凧。■ふとり-太縞。太い糸で織った目の粗い絹織物。■小紋-小型の模様が一面に染めてあるもの。■小袖一つじゃあ-重ね着するのが、改まった時には、定めであった。この着替えを弥次が見ていなかったのは、後の趣向の伏線となっている。■黒いやつ-前出の黒紬。前の北八の言葉で、短いこの衣服を着た大男の弥次の姿が想像できる。また以下の北八の言葉で、弥次のあわてたさまを表現するのは、今日の落語にも残る。戯作の会話文の描写の一法である。■太刀-弥次はここでも太刀一本にこだわっているのが面白い。■医者どもが~-『柳多留』初編に「清盛の医者ははだかで脈をとり」(清盛は熱病で没したと『平家物語』にある)。■ぬきもん-白く染め抜いた紋。■干鰯(ひしか)の仕切-田舎の大百姓が、干し鰯の肥料の取引の契約決算をしに行こうと、衣服を改めたさま。■蔕木寸伯(へたのきすんぱく)-下手な医者の擬人名。「寸伯」は疝気の類の病名。■代脈-医家の弟子の先生の代理としての往診。

原文

左平「おしたくがよござりますなら、さんじやうわいな

北八「ヲヤおいらはまだ、湯へはいらなんだ

弥次「ばかアいわずと、サアサア出かけやう

ト打つれてここをたつ。左平次は、ふたりが百両の富にあたりしにつけこみ、なんでもわりまへを、せしめんとて、むせうにおひやりちらかし、このやどのばんとうへふきこみ、しんまちあげやへの手がみをもらひて、打つれこの所を出かける

かくてふたりは、足(あし)もそらに長町を北へ、堺筋ますぐにゆけば、はやくも順慶町にいたりける。名にしあふ此所は、夜見せはんじやうの町筋にて、両側(りやうがは)に内みせ出見せ尺地(せきぢ)もなく、万燈(まんどう)をてらし、呉服(ごふく)や道具屋ふくろもの、櫛笥玳瑁珊瑚馬瑙(くしげたいまいさんごめのう)の類(るい)、あるかとおもへば、その隣(となり)には、盥小桶飯櫃(たらゐこおけめしびつ)すりこ木杓子(しやくし)なんど、或(あるひ)は神棚(かみだな)もとめて、代銭(だいせん)をはらひきよめて行あれば、仏像買(ぶつぞうか)ふて、尻(しり)くらひ観音(くわんをん)と、不足銭(ふそくぜに)あたへてはしるもあり。傘(からかさ)の買手(かいて)に下駄(げた)をはくあれば、草履(ざうり)の売人(うりて)にわらじはくあり。両替(ろやうがへ)やは目を皿(さら)になして天秤(てんびん)を打ならし、金物(かなもの)やは口を剃刀(かみそり)にひとしく、きれものを商(あきな)ひ、肴(さかな)屋、しろものは腐(くされ)たれども、売声(うりごへ)はねて呼立(よびたつ)るをきけば

「ヤアおつきな鯛(たい)じやア鯛じやア、鱧(はも)じやア鱧じやア、くるまやアくるまやア、このしろやアこおしろやア、はつのみのきりうりやアきりうりやア

さつまいもうり「ほつこりほつこり、ぬくいのあがらんかいな、ヤアほつこりじやアほつこりじやア

上かんや「ぬくいぬくい、鯡(にしん)のたいたの、あんばいよし「ヤアまけたまけた、しんまいの煎殻(いりがら)じやア煎殻じやア

すしうり「御ひやうばんのちくらずし、鯖(さば)か鯖か、鳥貝(とりがい)やア鳥貝やア

北八「アレ弥次さん見なせへ。アノ鮓(すし)は、京でくつたがとんだよかつた。ひとつやらかそふ。夕めしもくはねへで、はらがへつた

弥次「ホンニそふだ。モシこれはいくらだね

すしや「ハイそつちが四文、こつちやのが六文じやわいな

弥次「ヲツトよしよし、コウきた八、そんなにやみととつてくふな。又長まちで、くわしをくつたやうなめにあをふぜ。モシこけへ三拾弐文ばかりが、つつんでくんな

トぜにをはらへば、すしや竹のかはにつつみて出すを、弥次郎とりて、みちみちくらう

現代語訳

左平「お支度がよござりますなら、行きましょわいな」

北八「おや、おいらはまだ、湯へ入らなんだ」

弥次「馬鹿あ言わずと、さあさあ出かけよう」

と連れだって出発する。左平次は、二人が百両の富に当ったことにつけこみ、何でも割前の金を手に入れようと、無性におべっかを使って、この宿の番頭にうまく言いなして、新町揚屋への紹介状をもらって、連れだってこの場所から出かける。

このようにして二人は、足音も軽く長町を北へ、堺筋をまっすぐ行くと、早くも順慶町に到着したのだった。有名なこの場所は、夜店が繁昌する町筋で、両側には内店、出店が、わずかな空き地も無い程ひしめき合い、各店では万燈を灯し、呉服屋、道具屋、袋物を扱う店があり、その外、櫛笥、鼈甲、瑪瑙などの高価な装飾品の類を商う店があるかと思えば、その隣には、盥(たらい)、小桶(こおけ)、飯櫃、すりこ木、杓子なんぞを売っており、或は神棚を求めて代金を思い切り良く払って行く人もあれば、仏像を買って、糞食らえと、不足の代金を与えて逃げる人もいる。傘の買手に下駄をはく人がいれば、草履の売手にわらじをはく人もいる。両替屋は、目を皿のようにして天秤を打ち鳴らし、金物屋は、鋭くしゃべりたてて、刃物を売っている。魚屋が商品がたとえ腐っていても、売り声高く声かけをするのを聞くと、

「やあやあ、大きな鯛じゃあ鯛じゃあ、鱧じゃあ鱧じゃあ、車海老じゃあ車海老じゃあ、鮗じゃあ鮗じゃあ、鮪の切り身じゃ鮪の切り身じゃあ」

上燗屋「温い、温い。鯡の炊いたのにおでん。やあ、まけたまけた、新鮮な煎殼じゃあ煎殼じゃあ」

寿司売り「御評判の千くら寿司、鯖か鯖か、鳥貝じゃあ鳥貝じゃあ」                    

北八「あれ、弥次さん見なせえ。あの寿司は京で食ったが、たいそう旨かった。ひとつ食いやしょう。夕飯も食ってねえで、腹が減った」

弥次「ほんに、そうだ。もし、これはいくらだね」

寿司屋「はい、そっちが四文、こっちゃのが六文じゃわいな」

弥次「おっと、よしよし。これ北八、そんなにむやみに取って食うな。又長町で、菓子を食ったような目に遭おうぜ。もし此処へ三十二文ほど包んでくんな」

と銭を払うと、寿司屋が竹の皮に包んで出すのを、弥次郎が取って、道々食らう。

語句

■わりまへを、せしめんとて-割前の金を入手しようと。■おひやりちらかし-お追従をして。おべっかを使って。■ふきこみ-うまく言いなして。■堺筋-長町をまっすぐ日本橋を北上すると、堺筋である。■順慶町-五丁目まであり、堺筋は三丁目へ出る。ここで順慶町を西行すれば、新町橋を渡り、新町廓の正面口に入る。■夜見せ~-『摂津名所図会』に「順慶町の夕市は、四時たへせず、夕暮より万燈てらし、種々の品を飾りて、東は堺筋西は新町橋まで、両側尺地もなく連りける」。■内みせ-家の中に店を構えたもの。■出見せ-街頭に仮店をしつらえたもの。■はらひきよめて行あれば-「神」の縁語で、すっぱり支払って行く。■尻(しり)くらひ観音(くわんをん)-「しりくらへ」は「糞食え」と同じで、どうともなりやがれの意。窮する時は観音を念ずるが、よくなると観音などは顧みない。■不足銭(ふそくぜに)あたへてはしる-不足の代金を与えて逃げる。■下駄(げた)をはく・わらじはく-共に、買物の使いに出て、価を実際より高く言って、その差をくすねるをいう。■両替や-金・銀・銅三種の貨幣間の両替や、大になれば金融業をも行った店。■皿になし-上方で専ら行われた銀貨幣は秤量なので、天秤で量って両替する。「皿」はその秤のものと、よくよく見ようと皿のように目を大きくする意をかける。■天秤を打ならし-針口を鋭敏にするため、塵など除くべく、その柱を打つをいう。■剃刀(かみそり)にひとしく-鋭くしゃべりたてる比喩。■きれもの-剃刀・包丁の類。■しろもの-魚類。■はねて-生きた魚のはねるに比して、一段とはなばなしく叫ぶさま。■くるま-車海老。■はつ-鮪のことを「はつ」という。■さつまいも-「薩摩芋」は当時江戸語、上方では「琉球芋」と称した。■ほつこり-薩摩芋を蒸したもの。■上かんや-上燗屋。大阪の方言。おでん燗酒屋をいう。■あんばいよし-塩梅好し。おでんのこと。■しんまい-新米より転用されて、一般に新しいことをいう。■ちくらずし-『虚実柳巷方言』に「すしは、和利、千くら」とあり、その頃大阪の名物であったのであろう。■やみと-むやみに。

原文

北八「コレおれにもよこしねへ

弥次「あとで竹の皮をやろう

北八「エエむしのいい  こつちへ

トとりにかかる。弥次郎やるまいとするところに、下から犬が、ひよいととびつきひつたくると

弥次「アイタタタタタ

北八「どふした弥次さん

弥次「いめへましい。ちくしやうめにしてやられた

犬「わんわん

弥次「エエこいつめが

トあしでけると犬はにげる。おつかけるはづみに井戸がはへまたぐわつたり

弥次「アアいたいた。コリヤとんだ所へ、井戸を出しておきやアがる。四ツ辻の真中に

左平「コリヤ井戸の辻といふとこじやわいな

北八「いいきみだ。おれにくはせねへむくひだは

ひとつ下されと犬めがとり貝(がひ)はさてもよいきみ団子(だんご)ならねど

それよりも、往来(わうらい)をおしわけゆくさきに、あみがさふかく打かぶりたる、ト筮者(うらなひしや)の口から出次第(でしだい)

「サアサア御遠慮はない。お出でなされ。当卦本卦(とうけほんけ)、すみいろの考(かんがへ)、こゐかうすいをあてるが奇妙(きめう)、うせ物は存(ぞん)ぜず、あづかりものは仕らず、待(まち)人は来(く)るか来(こ)んのふたつ、あたるも八卦、あたらぬも八卦、どつちやでも見料(けんりやう)は十六銅(どう)づつ申うくる。是ばかりは違(ちが)ひはござらぬ。サアサこれへこれへ

弥次「ナント北八、おいらがあした百両とること、しれるかしれねへか、何もなぐさみ、見てもらをふか

北八「コリヤおもしろへ

弥次「モシわつちが運(うん)を見てくんなせへ

現代語訳

北八「これ、俺にも寄こしねえ」

弥次「後で竹の皮をやろう」

北八「ええ、虫のいい。こっちへよこしねえ」

と取りにかかる。弥次郎がやるまいとするところに、下から犬が、ひょいと飛びつき引ったくると、

弥次「あいたたたたた」

北八「どうした弥次さん」

弥次「いまいましい。畜生めにやられた」

犬「わんわん」

弥次「ええ、こいつめが」

と足で蹴ると犬は逃げる。追っかけるはずみに井戸側へ跨ってしまう。

弥次「ああ痛い、痛い。こりゃあとんだ所に、井戸を出して置きやあがる。四つ辻の真中に」

左平「こりゃ井戸の辻という所じゃわいな」

北八「いい気味だ。俺に食わせねえ報いだわ」

ひとつ下されと犬めがとり貝(がひ)はさてもよいきみ団子(だんご)ならねど

それからも、往来の混雑を押し分けて行く先に、編笠を深く被った易者の口から出てくるままの出鱈目、

「さあさあ、御遠慮はいらない。お出でなされ。当卦本卦(とうけほんけ)、すみいろの考(かんがへ)、濃いか薄いか当てるが奇妙、失せ物は存せず、預かり物はしない、待ち人は来るか来んのふたつ、あたるも八卦、あたらぬも八卦、どっちゃでも見料は十六銅づついただきます。こればかりは違いはなし。さあさあ、これへこれへ」

弥次「なんと、北八、おいらが明日百両受け取ること、知れるか知れねえか、何も慰み、見てもらおうか」

北八「こりゃ面白い

弥次「もしわっちが運を見てくんなせえ」

語句

■井戸がは-井戸側。ここは、井戸の地上の部分を桶状または井桁形に囲んだもの。■井戸の辻-『摂津名所図会大成』順慶町夜店の条に「又西の浜より一条内の十字街に井あり、俗に井辻(いどのつじ)といふ、常に蓋を覆ひて汲む事なし」。■ひとつ下されと~桃太郎の犬ではないが、一つ下されと鳥貝を取ったとは、さてもよいきみ団子だの意。■ト者-『摂津名所図会』の「順慶町井戸辻夜店」の図にも、編笠深く天眼鏡を持ち、「周易考」などと書いた灯火を軒下に下げたト者を描いてある。『膝摺木』(文化三年序)にも、高津の真言坂の所で、ト者を登場させる。■当卦本卦-当卦は、失せ物・迷子・移転の方向など、一時当面の事柄の占い。本卦は生涯の運勢など長期的なことの占い。■すみいろの考-字を書かせて、その墨色で、吉凶他を判断すること。■あたるも八卦、あたらぬも八卦-諺。■十六銅-十六文。

原文

ト十六文出せば、うらなひ者、弥次郎のかほを、よこめに見ながら、めど木をとり、さん木をならべしばらくかんがへ

「ハハア是は、おまいとひやうもない、ゑらい仕合なことがでけるわいな

弥次「さやうさ、大きに心あたりがありやす

うらない「そじやあろぞいな。卦(け)は坤(こん)の卦(け)、坤(こん)なこんくわい、俗に申す狐即狐福(けつねすなはちけつねふく)と申て、誠(まこっと)にふつてあいたよふな、さいわいが来ると見へます

北八「コリヤ奇妙(きめう)、よくあたりやした

うらない「しかし変卦(へんくは)は乾(けん)の卦、乾(けん)な、けんけれつの像(かたど)り、本卦(ほんけ)の坤(こん)と変卦(ほんけ)の乾(けん)と、合(がつ)してこれを考(かんが)ふるときは、易(ゑき)に曰乾坤(いはくけんこん)ふたつのあいだをぬけ、離(り)の卦(け)にあたつて中たえたり。扨(さて)は玉(たま)なき空鉄砲(からてつぽう)と申事ござれば、万事にお心をつけらるるがよござります

弥次「こいつはすこたんすこたん。そふいふわけじやねへ。こふこつちの手へにぎつたもどうぜんだものを、延喜(ゑんぎ)のわりい

うらなひ「イヤそこであたるも八卦、あたらぬも八卦

北八「もふよしなせへ。十六文ただすてた

トこごといひながらここを打過ぎゆくほどに、、はやしん町ばしを打わたりてひやうたんまちにぞいたりける

さてこの曲輪(くるわ)は、寛永年中にはじめて 御免許あり、田圃(でんぽ)をひらきて新(あらた)に町を建(たて)たりしより、新町とよんで、廓(くるわ)の惣名(そうめう)となせりにぞ。むかしより今に至るまで、はんじやういふばかりなく、両側の六字見せ、うりものに花をかざり、きらびやかにならびたるを、壱軒壱軒に差覗(さしのぞ)きつつ、それより阿波座越後(あはざゑちご)町を見物し局(つぼね)女郎の袖(そで)ひくを、罵(ののし)り興じてゆくままに、やがて九軒町にいたれば

左平「モシモシここがみな揚屋(あげや)じやわいな

北八「なるほど、ごてへそふな屋てへぼねだ

左平「サアサアここじやここじや。おまいがたはそこにお出でなされ

トふたりをげんくわんにまたせおきて、左平次ひとり、往半のかつてぐちへはいり、かくと言入れる。この所は長まちのかわちやより、おりふし客をおくりこすうちなれば、左平次手紙をもち来りてわたしけるゆへ、ていしゆさつそく、はをりはかまにてむかひに出来り

現代語訳

と十六文を出すと、易者は弥次郎の顔を、横目に見ながら、めど木を取り、さん木を並べ暫く考えて、

「ははあこれは、おまい途方もない、えらい幸せなことが起るわいな」

弥次「左様さ、大きに心当たりがありやす」

占い「そじゃあろぞいな。卦は坤の卦、坤はこんこん狐なり。俗に言う狐即ち狐福と言うて、誠に降って湧いたような幸が来ると見えます」

北八「これは奇妙、よく当たりやした」

占い「しかし変卦(へんけ)は乾(けん)の卦、乾は奇妙不思議の象徴。本卦の坤(こん)と変卦の乾(けん)と合せて考える時は、易に曰く、乾坤(けんこん)二つの間を抜け、離(り)の卦に当って中身が消えうせる。さては玉なき空鉄砲という事がございますので、万事に気をつけらるるがよございます」

弥次「こいつはすっかり外れた、外れた。そういう訳じゃねえ。こうこっちの手へ握ったも同然のものを、縁起が悪い」

占い「いや、そこで当たるも八卦、当らぬも八卦」

北八「もう止(よ)しなせえ。十六文を無駄にしたわい」

と小言を言いながら、ここを通り過ぎて行くうちに、早くも新町橋を渡って瓢箪町に到着した。

さて、この廓は、寛永年中に初めて、御免許あり、田圃を開いて新に町を建てたので、新町と呼んで、廓の惣名としたという。昔より今に至るまで、繁昌言うまでもなく、両側の六字見世では、売り物に花を飾り、きらびやかに並んでいるのを一軒一軒覗きながら、それから阿波座、越後町を見物し、局女郎が袖を引くのを冷やかしながら進んでいくと、やがて九軒町に着いた。

左平「さあさあ、ここじゃ、ここじゃ。おまいがたはそこにお出でなされ」

と二人を玄関に待たせておき、左平次一人、住半の勝手口へ入り、かくかくしかじかと話し込む。ここは長町の河内屋より、時々客を案内してくる店なので、左平次が河内屋の紹介状を渡したことで、亭主は早速に、羽織袴の正装で迎えに出てきた。

語句

■めど木-占いの道具。もとは蓍萩(めどはぎ)で作ったが、後には竹製。筮竹とも。細長い五十本で、これを使用して卦を求めるを「くる」という。『広益秘事大全』の「八卦のくりやう」に「心易の法をよしとす、その見やうは、先づ占はんとする時の年月日時のすべての数を合せて八にて払ひ、その残る数を卦の数にあてて見るなり」。■めど木-占いの道具。六つの方柱状の小木。三個は中程が凹んで陰。他の三個はそのままで陽、これで交卦(こうけ)を作る。■卦(け)-いわゆる八卦で、乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)の八様。二つ組み合せて六十四卦となる。■こんくわい-狐の鳴き声から転じて、狐そのものをいう「けつね」は狐の関西訛。■狐福-狐のもたらす福で、僥倖をいう。■変卦-第一回目の本卦に対し、第二回目に若干爻(陰・陽の組み合せ)を変えて出した卦。■けんけれつ-奇妙不思議。■すこたん-物がすっかりはずれたこと。■延喜(ゑんぎ)のわりい-縁起の悪い。■しん町ばし-『摂津名所図会』に「西堀北より十二目の橋。東は順慶町、西は傾城廓瓢箪町の入口なれば、瓢箪橋ともいふ、四時橋上に市店ありて賑し」。■ひようたん町-新町廓の通り筋。■寛永年中に~-『摂津名所図会』に「寛永年中、此地に初めて傾城廓宮家より御許しあれば、・・・田圃を開きて新に町とせしゆへ、世の人新町とよんで、柳陌(くるは)の惣名となれり」。■六字-太夫・天神に次ぐ鹿恋女郎の見世付。『守貞漫稿』に「鹿子位、右の如く昔は必ず字訓にて、かこいと云ひしを、今俗にかこひと云ふは稀にして、専ら字音に、ろくじと云ふ。ろくじいの訛也」。『虚実柳巷方言』に「見せつき、鹿恋なり、通り筋に、ばせう・富士松・徳きしや・明石や」。■うりものに花をかざり-諺「売物に花を飾る」。■阿波座-新京橋町と新堀町を合せた俗称。『みをつくし』に説明して、「これいにしへは阿波座にありしを、慶長年中に此ところにうつさるなり」。■越後町-大阪の公娼街(前に詳説あり)。■局女郎-前に詳説あり。■九軒町-前に詳説あり。■ごてへそふな屋てへぼねだ-大きな構えの普請である。■往半-『みをつくし』の巻頭に「新堀町、住吉屋半次郎」として、間取りを示してある。■かわちや-分銅河内屋。

原文

「コレハよふお出で下さりました。コリヤコリヤ仲ゐども御案内申さんかい。サアおとをりなされませ

弥次「そんならゆるしなせへ。コウ北八、来(こ)ねへか。かどぐちに立はだかつて、花屋の柳じやああるめへし

左平「コリヤでけました。ハハハハハサアお出

ト玄関よりあがり、いく間もいく間もこへてゆくほどにぐつとおくざしきの、はなやかなる所に、あないすると、左平次は、わざとふたりを、大じんふうにもてなし、はるか末座にすはる。仲ゐども、ちやたばこぼんをもち出るうち

ていしゆ「ていすめでござります。御ひいきによふこそ。有がたふござります

弥次「御亭主さんか。わつちらア今度、ゑどから仕入(しいれ)に登りやしたが、御当地ははじめてでござりやす。逗留(とうりう)のうちは、どふせたびたびめへりやせうから、おたのみ申やす そのかはり、わつちらアちよつと来ても、はしたがねつかうことはきらいだから、むだ遣(づか)ひの一箱ふた箱は、別(べつ)に為替(かわせ)にふつてよこしてあるから、そこはいつかう未練(みれん)なしさ。しかし生得(せうとく)が商人(あきんど)といふものだから、はじめからそふはいきやせぬによつて、マア今宵(こよひ)は、おめへのほうでも、随分(ずいぶん)やすあがりにまけてくんなせへ。ハテあとのためだから。ノウ左平次さん

左平「さやうさやう。斯(かう)いたしましよ。夜前(やぜん)お着(つき)なされて、おくたびれでもあろさかい、マア今宵は、太夫さんがた借(かつ)て、御らふじて、御酒ひとつあがつて、お帰りなさるがよござりましよ。ハテまた、あすの夜さりなと、お供(とも)いたしましよかい

トここにて左平次ふと心づき 今宵かねをつかはせた所が、 ひよつとあすの百両 どういふことにて間違ふまいものでもなし 手に入らぬうちは不定なりと、順慶町のうらなひしやがことば、おもひ合せて、安心ならねども、今さらこのままにもかへられず、ちよつと一ぱいのませて、つれてかへるもくさんゆへ、かくはいふと見へたり

弥次「いづれともよろしくよろしく

左平「そしたら仲居衆(なかいしゆ)、太夫さんがた、マアかりにやらんせ

なかゐ「ハイかしこまりました

トたつてゆく。このうち酒さかな出、なかゐどもあいてに、のみかけてゐると、となりざしきには、ぐつと西国がたのお侍と見へたる客人、たいこもちげい子ども引よせて、大さわぎにしやれちらすを、ふすまのこなたより、そつとのぞき見れば げい子のうた

「三すぢほどある薄鬢のあたま、やがてずぼうに鳴鐘ならば、権八がよかろうけんれど、是から貞月(てげつ)といふておのれの神かけて、願い被参候かしく チツンシヤン

たいこ惣八「イヨイヨおしまさん、ソリヤ南の権八めが摺(すり)もののうたじやな

現代語訳

「これはようお出で下さりました。kりゃこりゃ、仲居どもご案内しないかい。さあ、お通りなされませ」

弥次「そんなら許しなせえ。これ北八、来ねえか。門口に立ちはだかって、花屋の柳じゃああるめえし」

左平「こりゃでけました。はははははは。さあ、お出でませ」

と玄関から上り、幾間も幾間も越えて行くとずっと奥座敷の、遥かな所に案内すると、左平次は、わざと二人を金持ちの遊客のようにもてなし、はるか下座に座る。仲居どもが茶と煙草盆を持って出て来る間に、

亭主「亭主めでござります。御贔屓にようこそ。有難うござります」

弥次「御亭主さんか。わっちらあ今度、江戸から仕入れに登りやしたが、御当地は初めてでござりやす。逗留している間は、どうせたびたびめえりやしょうから、お頼み申しやす。その代り、わっちらあちょっと来ても、端金を使うのは嫌いだから、無駄使いの一箱や二箱は、別に為替を使って持ってきているから、そこは一向に金惜しみはしませんぞ。

しかし、生れついての商人で損得は考えやすので、初めからそうはいきやせぬによって、まあ今宵はおめえの方でも安上がりにまけてくんなせえ。はて、後のためだから。のう、左平次さん」

左平「左様、左様。斯う致しましょ。夜になる前にお着きなされて、お疲れもあろうさかい、まあ今宵は、太夫さん方を借りて、御覧になって、御酒をひとつあがって、お帰りなさるがよござりましょ。はてまた、明日の夜なと、お供いたしましょかい」

とここで左平次はふと気づいて、今宵金を使わせたところで、ひょっとして明日の百両、何かがあって間違うものでもないが、手に入らぬうちは確実ではないと、順慶町の占い師の言葉を思い出して、安心ではないが、今さらこのまま帰る帰るわけにもいかず、ちょっと一杯飲ませて、連れて帰る計画をして、このように言ったのだった。

弥次「どっちにしてもよろしく、よろしく」

左平「そしたら仲居衆、太夫さん方、まあ、今夜は借りにしましょう」

仲居「はい、かしこまりました」

と立って行く。そのうちに酒肴が用意され、仲居共を相手に飲みかけていると、隣座敷では、ずっと西の方の国のお侍と見える客人が、太鼓持ち、芸子共を引き寄せて、大騒ぎして楽しんでいるのを、襖のこっちから、そっと覗いて見ると、

芸子の歌「三すぢほどある薄鬢のあたま、やがてずぼうに鳴鐘ならば、権八がよかろうけんれど、是から貞月(てげつ)といふておのれの神かけて、願い被参候かしく、チツンシヤン」

たいこ惣八「いよっつ、おしまさん、そりゃ南の権八めが摺(すり)ものの歌じやな」

語句

■仲ゐ-新町の仲居について、『誹諧通言』に「此廓では、始ての客人は、太夫をかりて見る。此時仲居一人づつ太夫の名をいふて、呼出し、盃をすすめる、これをかり升(ます)といふ。又太夫の揚屋入に、亡八(くつわ)へむかひに行く、夜分は箱桃灯を持つなり」。■花屋の柳-花屋の前に柳が植えてあるのが常であったから、つっ立っているさまを見立てた。「花屋(ただし花屋久次郎のこと)の見世に生茂る柳樽」(柳多留・七十八)。■おくざしき-住半は奥の庭が見事であった。■大じん-富裕の遊客。■ていすめ-亭主め。切り口上を述べる体。■仕入-品物の買い入れ。■はしたがね-端金。■一箱-金では千両、銀で十貫目の箱(金銀図録)。■為替(かわせ)にふつて-為替(両替商を通じて、現金輸送でなく、証書による、ほとんど今日と同じ方法に発達していた)を使用して。■未練なしさ-金おしみはしない。■生得-生れついての。根が商人で損得は考えるの意。弥次は大きく出たが、根のしみったれが出た滑稽。■太夫さんがた借(かつ)て-『誹諧通言』に新町の太夫について、「太夫借(たゆふかり)、揚屋(あげや)にて、家々の太夫を一組宛呼びよせ、盃をするうち、客相方を見立る、中居帳を扣(ひか)へ、太夫の名を云ひて、ひとりづつ呼出し、盃をする。是を太夫かりと云ふ也」(『羇旅漫禄』など)。■夜さり-夜に同じ。■不定-不確か。■もくさん-目算。もくろみ、計画。■ぐつと西国がたのお侍-ずっと西の方の国の侍。■たいこもちげいこ-太鼓持・芸子。共に遊宴を助ける者。■三すじほどある薄鬢のあたま-権八という幇間が剃髪して、貞月(てげつ)と改名した披露の歌。■ずぼう-「坊主」の逆さ言葉。坊主に「なる」と、ゴンと鐘が「鳴る」をかけてある。■いふておくれの神かけて-言うておくれと、おくれ毛の髪に、「神かけて」をからませた。誓いの言葉で、ぜひの意。■南の-島の内道頓堀方面、ことにその花柳界をさす。■権八-『虚実柳巷方言』(寛政六年)の坂町の「弁慶」(太鼓持のこと)のうちに「つる井、権八」とある。この人物であろう。■摺もの-一枚又は数枚の印刷物で、何かの記念に配布することが流行していた。

原文

げい子「さよじやわいな。東南さんの手をつけてあつたじやわいな

客「コリヤコリヤ、わいどもがこいから、おくに踊(おどり)どもおどるての、サア三味(しやみ)引だいてたもれ

ト此内客人、たつて手ぬぐひをかふり、両の耳を出し、はをりを横ちよに、かたさきを出しかけ、ぢんぢばしよりして、手にあふぎをもつとげい子がさみせん

「トヲチテンテン

客うた「コリヨ合コリヨ合コリコリコリ、もちこいかソコ  ヨツチヨン 

三味「トヲチテンテン

うた「ずやまお亀女(かめぢよ)は、ずやまの山の古狐(ふるぎつね)、亀女しりよふれ、かんべまくれちやちよれちや、コリヨコリヨコリコリコリコリもちこいか、コリヤせどのや小屋がけ亀女がばん、そくばつたのづうからす、ぼうぶら枕にへこといて、そこねいここねねいずりさるき、これしこよかことしてのけた。ソコ ヨツチヨン トヨチテンテントヨチテンテン

みなみな「ヤンヤでけました

客「アアだりがていだりがてい。こんがい、ゑひくらひおつて、わいどものしやんすめに、がらりうばあてや、おとろしおとろし

げい子「ヲホホホホ何いひなますやら、こちやねからよめんわいな

客「なじかいなじかい

げい子「ヲヲすかんやの、アノお顔(かほ)見なませ。ゑらいおつきな目して、ひかるやうにねらんでじやわいな

客「イヤこやつふとうなやつの。わいどもの頬(つら)より、お身のつらなんじや。ふぐとうどもの、横さるきせるやうな、ぶつそうづらして、おもしろふないぞ。わいども最早(もはや)づらんばい。づるぞづるぞ

トもつての外むかばらたちて立あがるを 仲ゐ共引とめ

「コレイナアおまいさん、そないになんで、お腹(はら)たちなますぞいな

たいこもち「コリヤしま主(ず)が無調法(ぶてうほう)。ナントこういたしましよかいな。どふやらおざしきがしゆんできたさかい、是からわつさりと、額風呂(がくぶろ)へなりこみの、例のフカフカフツカフカ、ホカホカけつこうけつこうなぞは、どでござりますぞいな

客「なんじや、額風呂といふは、空ふろのことじやな。こやつ、わいどもをのろまじやとおもひおるか。客どもに向ひて、あんがいおろよいこと、ぬかいてよかばいものか。づくにうどもにやいてくれるぞ

現代語訳

芸子「さよじゃわいな。東南さんが節を付けてあったじゃわいな」

客「こりゃこりゃ、わいどもがこれから、お国の踊りを踊るでの、さあ三味線を弾き始めてくれ」

とそうこうするうちに客人は立って手拭いを被り、両の耳を出し、羽織を横っちょにして肩先を少し出し、爺端折(ぢぢいはしょ)りして、手に扇を持つと芸子が三味線を弾き始める。

三味「とおちてんてん」

客歌「こりょこりょこりこりこりもちこいか、そこ、よっちょん」

三味「とおちてんてん」

歌「津山お亀女は、津山の山の古狐、亀女尻振れ、かんべまくれちゃちょれちゃ。こりゃこりゃこりこりこりもちこいか、こりゃ背戸にゃ小屋掛けをして亀女が番をする、そくばったのづうからす、南瓜枕に褌解いて、あっちこっちを摺り廻して、これだけ良いことをしてやった。そこ、よっちょん、とおちてんてん」

皆々「拍手喝さい、でけました」

客「ああ、だるいだるい、こんなに、酔い喰らいおって、わいどもの相方に、すっかり叱られよう、恐ろし恐ろし」

芸子「おほほほほ、何をおっしゃるやら、こちらは最初から分かりませんわいな」

客「何故かい、何故かい」。

芸子「おお、好かん人じゃの。あのお顔を見なさいませ。えらい大きな目をして、叱るように睨んでじゃわいな」

客「いや、こやつけしからぬ奴じゃの。わいどもの面(つら)より、お身の面なんじゃ。河豚どもが横歩きするような仏頂面して面白くないぞ。わいどもはもう出て行くぞ。出るぞ、出るぞ」

ともってのほかにむかっ腹を立てて立ち上がるのを、仲居共が引き止め

「これいなあ、おまいさん。そないに何で、お腹立ちなますぞいな」

太鼓持「こりゃあ、おしまさんの不調法。なんと、こういたしましょかいな。どうやらお座敷が白けてきたさかい、これからあっさり額風呂へ賑やかに押し掛けて、例のふかふかふっつか、ほかほかなどは、どうでござりますぞいな」

客「何じゃ、額風呂というのは、空風呂の事じゃな。こやつ、わいどもを鈍間(のろま)じゃと思いおるか。客共に向って案外汚いことをぬかしてよろしいものか。頭をひどく打ってくれるぞ」

語句

■東南さん-近松東南。大阪の浄瑠璃作者で、景事道行の作が上手で、三味線をよくした。一九は、かつてうう大阪でこの人の門下にあり、近松余七と称して、浄瑠璃作に従った(「敵討住吉詣」「忠臣蔵岡目評判」の序など)。■手をつけて-節付けした。■おくに踊-お国踊り。自分の郷里の踊り。■引だいてたもれ-弾き始めてくれ。■ぢんぢばしより「ぢぢい端折」の訛。着物の背縫の所で、裾からやや上の所をつまんで、帯の結び目のところへはさむ、尻からげの一種。■コリヨ-コリャコリャに相当する掛け声。■合-合の手の印。ここに三味線が入る。■もちこいか-はやし詞。■ずやまお亀女は~-『浮れ草』に「薩摩踊り」として「津山お亀女は、津山の山の古狐、眉毛ぬらしてかかるべい、こやこやこやなんとかせな、一貫三百十四まい、これしこ出してものせねいか、やせはたけのぼうふやは、てうどならぬにきわまツた、こやこやこやもちこいな、そこせいせい」。また『諸国盆踊唱歌』の「薩摩」のうちに「洲山お亀女はす山の狐、尾ふり尻ふり人をふる」。この種のもの、この侍を薩摩人としたのである。■しりよふれ-尻を振れ。以下この歌、意不明のところが多い。■かんべまくれ-意不明。裾をまくれの意か。■ぼうぶら枕にへこといて-南瓜枕に褌解いて。■そこねいこね-あっちこっち。■だりがてい-だるい。大儀である。■こんがい-このよう。■しやんす-相方。情人。色女。■がらりうばあてや-すっかり叱られう。■おとろしおとろし-こわいこわい。■ひかる-「叱る」の訛。■づる-『物類呼称』に「出るといふを、出羽の秋田、或は肥ノ長崎又四国にて、づると云ふ、づるはいづるを上略していふ」。■しま主(す)-「しま」は仲居の名前で、おしまさんの意。人名や、「太夫」の語などに「主(す)」をつけるは上方の通言。■しゆんできた-沈んできた。しらけてきた。■額風呂-湯屋の名。蒸風呂の風呂屋。■なりこみの-にぎわしく押しかける。■から風呂-蒸し風呂。■のろま-愚鈍者。■おろよい-過言。『物類呼称』に「わるいといふ事を、備前及び筑紫にて、おろよいと云ふ」。■づくにうどもにやいてくれるぞ-頭をひどく打って「くれるぞ。                        

原文

ト此客人はらたち上戸と見へて、むしやうにおこりちらし、みなみなとめるをも、つきのけつきのけ、ぜひかへろうと、大もめのさいちう、あひかたの太夫、引ふねかぶろをつれて、ここにきたると

仲ゐ「ソレソレ太夫主(たゆふす)が来なましたわいな

太夫「ヲヲしんど、おまいさん何じやいな

仲ゐ「今おかへりなますとて、ゑらうおはらたててじやわいな

太夫「おまいさんもマアこちや州浜(すはま)のうちかたに出てじやさかい、ちとの間、まつておくれなませといふて、おこしたじやないかいな。それに今、おかへりんますは、なんのこつちやいな。それほどこちがおうやなら、サアおかへりなませおかへりなませ

客「イヤわいども、それでづるといふではなかばい。たんだ此廓(くるわ)ども、脚(すね)ふりにづらんばいと、いひおつたのじや。もふよかばいもふよかばい

引ふね「よふせわやかしてじや。サアあつちやへお出なませ

ト大ぜいにひつたてられ、かしこのざしきにゆく。さてこなたには、太夫十人ばかり、次の間につめかけひかへゐると、てうしさかづきをべつにもち出、仲ゐてうめんと、すずりばこを、ひかへ

仲ゐ「あふぎやの折琴(をりこと)さん、これへおかし

トよびいだせば、おりこと太夫ざしきに出、さかづきをとり、のむまねして下におき、仲ゐのかほを見てにつこりとわらひ立て行

仲ゐ「つちやのひな松さん、これへおかし

ト此内だんだんと、太夫ひとりひとりに出、はじめのごとくみなみなさかづきをとり、のむまねしてゆく。弥次郎きた八は、これをめづらしきことにおぼへ、ここにもさまざまむだあれどもりやくす

仲ゐ「どなたぞお気に入なましたかいな

北八「イヤもふ残らず気にいつた。そのうち三ばんめに出たは、なんといふ女郎だの

なかゐてうめんをくり

「ハイ、西の扇屋の東路(あづまぢ)さんじやわいな

左平「マア今宵(こよひ)は御見物のみのこつちやさかい、あすの夜さりなと、おゆるりとおあそびなさるがよござりましよ  

現代語訳

とこの客人は腹立ち上戸とみえて、むやみに怒り散らし、皆が止めるのを、突き退け突き退へ、是非にも帰ろうと大揉めの最中である。相方の太夫は鹿恋級の女郎とかぶろを連れて、ここに来ると、

仲居「それそれ、太夫主が来なましたわいな」

太夫「おおしんど、おまいさん何じゃいな」

仲居「今、お帰りなますとて、えろうお腹立ててじゃわいな」

太夫「おまいさんも、まあ、こちゃ州浜という家に出てじゃさかい、少しの間、待って遅れなませと言うて寄こしたじゃないかいな。それに、今お帰りなますは、何のこっちゃいな。それほどこちがお嫌なら、さあお帰りなませ、お帰りなませ」

客「いや、わいどもは、それで出るという訳ではなかばい。ただ、この廓どもが冷やかしには出て行かんばいと云いおったのじゃ、もうよかばい、よかばい」

引ふね「よう世話焼かしてじゃ。さあ、あっちゃへお出でなませ」

と大勢に引っ立てられ、そこの座敷へ行く。さて、こちらには太夫が十人ほど、次の間に詰めかけ、控えると、銚子・盃を別に持ち出し、仲居は帳面と硯を用意し、

仲居「扇屋の折琴さん、これへお出でなされ」

と呼び出すと、折琴太夫が座敷に出て、盃を取り、飲む真似をして下に置き、仲居の顔を見てにっこり笑って立って出て行く。

仲居「土屋の雛松さん、これへお出でなされ」

とそのうち段々と太夫一人一人が座敷に出て初めのように皆盃を取り、飲む真似をして行く。弥次郎北八は、これは珍しいものだと思い、ここでも様々な無駄話があるが省略する。

仲居「どなたぞお気に入りなましたかいな」

北八「いや、もうみんな気に入った。そのうち三番目に出たのは、何という女郎だの」

仲居は帳面を捲り、

「はい、西の扇屋の東路(あづまぢ)さんじゃわいな」

左平「まあ、今宵は御見物だけのこっちゃさかい、明日の夜なと、おゆるりとお遊びなさるがよござりましょ」

語句

■はらたち上戸-酒を飲むと腹を立てる癖のある者。■引ふね-太夫に付き添う鹿恋級の女郎で、諸事世話をする。『誹諧通言』の新町の条に「彼の扇屋夕霧より連始る。今にたえず」。■かぶろ-太夫に付く小間使い風の少女。『誹諧通言』の新町の条に「他所と違ひ、此さとの禿は甚だ権式高く、揚屋より呼び迎に来る女には、ヨウヨウとこたへる」などある。■ヲヲしんど-この頃の、上方遊里の女性たちの通り言葉。■州浜のうちかたに出て-州浜という家に出ている。揚屋か何かの名であろう。■脚ふり-遊郭を冷やかすこと。そぞろ歩き。■よふせわやかしてじや-よく無理を言って、手数をかける。■かしこ-代名詞あそこ。かのところ。■あふぎや-瓢箪町北側にあった女郎屋。次に西の扇屋とあるから、これは東の扇屋(虚実柳巷方言)に相当。『噺の苗』一の享和二戌之年ねり物番組によると、「にし」は扇屋四郎兵衛、「ひがし」は扇屋三郎兵衛。■つちや-瓢箪町南側にあった女郎屋。『噺の苗』によれば、槌屋も二軒あり、「にし槌屋利三郎、東槌屋藤七」。女郎の名はいずれも未詳。■西の扇屋-瓢箪町北側にあった女郎屋。

原文

弥次「ナゼ今夜(こんや)でもいいじやあねへか

左平「ハテまあ、わししだいにしておきなされ

ト心にいちもつあるゆへ これぎりにしようとする 弥次郎もくさんがちがひてふせうぶせうに

「そんなら、酒でもたらふくやらかしやせう

仲ゐ「げい子さんはへ

左平「イヤそれもゑいわいの、お急(いそぎ)じやさかい

北八「こけへきて、酒ばかりじやアはじまらねへ。何ぞ呼(よば)にやア、ここのうちへきのどくじやアねへか

仲ゐ「なんのまあ、サアおひとつおあがりなませ。ホンニおはをり、おとりなませんかいな

ト仲ゐども二三人立かかり、弥次郎きた八に、はをりをぬがせて、たたみながら、はをりのうらに、しるしあるを見つけて、くつくつわらひだし  なかゐのいさ

「コレ見いな。十もんじの糸(いと)ぬいがあるわいな。大かた損料(そんりやう)の着物借(きりもんかつ)て、お出たのじやあろ

ト仲ゐどし、ちいさなこへにてささやきわらふ。すべて長町のそんりようやにては、きものはをりとも、うらには、白糸にて、十もんじのしるしをつけておくとみへたり。折々長町どまりの旅人、これをかり着して、しんまちなどへゆくことあれば、此さとのものども、みなかねてしやうちしていることゆへ、かくはささやきわらふと見へたり。左平次はこれをききつけ、心のうちにおかしくおもひおれども 弥次郎北八はつゆしらず

弥次「ナント女中しゆ此くるわぢうに、太夫はいくたりほどある。みな惣揚(そうあげ)にして遊(あそ)んだらおもしろかろふ

北八「わつちらが逗留(とうりゆう)の内、どふぞみんなへ、そろひの仕着(しきせ)でも残(のこ)していきてへもんだ。ノウ弥次さん

仲ゐ「ソリヤおうれしうおますわいな。ソノきりもんのうらに十もんじの印(しるし)つけてかいな

今ひとりの仲ゐ「コレイナ、そないなこといわんすな

トそで引てわらへども、ふたりはいつかうしらず

北八「ナニうらに十のじとは何か、あたりのあることだな。ちくせうめが。なるほどおめへなぞは、いろがあろう。ごうてきに仇(あだ)ものだ。ドレおさかづきいただきやせう

仲ゐ「ヲホホホホホゑらいあぶらいなます。さよなら、十のじのおかたへ、あぎよわいな

現代語訳

弥次「何故、今夜でもいいじゃあねえか」

左平「はてまあ、わしの言う通りにしておきなされ」

と心中に思うところがあるので。是っきりにしようとする。弥次郎は思惑が外れて不肖無精に、

「そんなら、酒でも腹いっぱい飲みましょう」

仲居「芸子さんは、どうなさります」

左平「いや、それもえいわいの。お急ぎじゃさかい」

北八「此処へ来て、酒ばかりじゃあ始まらねえ。芸子か何か呼ばにゃあ、此処の家に気の毒じゃあねえか」

仲居「何のまあ、さあおひとつおあがりなませ。ほんに、お羽織をお取りなませんかいな」

と仲居共ニ三人立ちかかり、弥次郎北八に、羽織を脱がせて、畳みながら、羽織の裏に、印があるのを見つけて、くすくす笑い出し、仲居のいさ、

「これ見いな。十文字の糸縫いがあるわいな。おおかた賃貸の着物を借りてお出でたのじゃあろ」

と仲居同士、小さな声で囁き笑う。すべて長町の賃貸業では、着物羽織とも、裏には白糸で十文字の印をつけておくのだなと思った。時々、長町泊の旅人がこれを借り着して、新町などへ行くこともあるので、この里の者どもは、皆かねてから承知していることでもあり、このようにささやき笑うのだと思えた。左平次はこれを聞きつけ、心中ではおかしく思っていたが、弥次郎北八は全く気付かない」

弥次「なんと、女中衆、この廓じゅうに、太夫は何人ほどおる。みなを総揚げにして遊んだら面白かろう」

北八「わっちらが逗留しているうちに、どうぞ皆へ、揃いの心づけの着物を残していきてえもんだ。のう弥次さん」

仲居「そりゃあ、お嬉しゅうおますわいな。その着物の裏に十文字の印つけてかいな」

今一人の仲居「これいな、そないなこと言わんすな」

と袖を引いて笑うが、二人は全く気付かない。

北八「なに、裏に十の字とは、何か含むところがあることだな。畜生めが。なるほどおめえなぞは、男がいるであろう。たいそう色気のある女だ。どれ、お盃をいただきやしょう」

仲居「おほほほほほ、たいそうななお世辞をおっしゃる。それなら、十の字のお方へあぎょわいな」

語句

■心にいちもつある-心中に思うところのあること。その内容は前出。■これぎりにしよう-太夫借りのみで帰るつもり。■たらふく-十分に。腹いっぱいに。■何ぞ-芸子や太鼓持をさす。■惣揚(そうあげ)-ここは太夫を全部揚げること。二人の道化者に思いきり恥をかかすのが、滑稽で、知らぬが仏で、大きなことを勝手放題にいわせる趣向。■仕着-仕送りをする。心づけの衣類。衣類であるのが、なお面白い。■あたり-含むところ。北八はこの女の情人の紋が丸に十と勘繰ったのである。■仇(あだ)もの-色気のある女。■あぶらい-追従(ついじゅう)。お世辞。へつらい。

原文

北八「ナニ十のじとは、おれがことか。コリヤありがてへ

トおのれがあそばれることはしらず、さかづきをとりあぐると、なかゐてうしをとつて、つぐとき北八このなかゐのひざを、ちよいとつめる

仲ゐ「ヲヲいた

トとびのくひやうし、さかづきにさはり、きた八のひざのうへへ、ばつたりおちるとそこらぢう、酒だらけになる

仲ゐ「ヲヲせうし、おきのどくなこといたしたわいな

今ひとりのなかゐ「めつそふな、きをつけさんしたがよいわいな。あなたじみじみしておわるかろ。そしてささのかかつたのは、きはづくものじや。ちやとくくみ水でなと、洗ふてあげさんせ

仲ゐ「ホンニざつとなと、あろふてさんじやう。おぬぎなませ

ト立かかり、ぬがそふとする。きた八は下に、女のきものをきてゐるゆへ、うわぎをぬぎては、かつこうわるしと仲ゐをはねのけ

北八「イヤあらはずと、よしよしコリヤほんの不断(ふだん)ぎだ

仲ゐ「ハテ御えんりよはおませんわいな。おぬぎなませ、おぬぎなませ

トこの仲ゐどもふたり、きた八のきもの、これもうらに十のじのしるし、あるか見てやらんとおもひ、うなづきあふて、むりにふたりして、おびをときかかる

きた八きもをつぶし

「コレサコレサ、よいといふに

弥次「ハテコリヤ北八、ゑて吉じや。しみがついては、ナソレ、ちよつくりとそこの所ばかり、ゆすいでもらうがいいわな。ハテ火ばちでなりとあぶればじきにひることだ

トそん印ゆへあとでやかましかろふと、目がほでしらせて、北八にぬげとおしゆる。きた八は大きにこまりはて

北八「エエ何のちつとばかり、さけのしみたぐらひ

弥次「ハテさて、ちつとでも、あとがきはづいちやア、ソレわるいじやアねへか。仲ゐ衆太儀(たいぎ)ながら、ざつとつまみあらひしてやつてくんな

仲ゐ「ハイハイサアおぬぎなませ

北八「ハテサテ、なさけないことをいふ。もふよいといふに

トいろいろいひまぎらかして、ぬぐまいとすれども、とうとうふたりして、おびをとき、むりにぬがせた所が、下には女のきものをきてゐる。そでちいさく、ゆきのみじかい所をかくさんと、きた八両手をちぢめて、しりごみする 弥次郎ふしぎそふに

「ヲヤヲヤ手めへなんだ、女のきものをきてゐるか

現代語訳

北八「なんい、十の字とは俺の事か。こりゃありがてえ」

と自分がからかわれているのに気づかず、盃を取り上げると、仲居が銚子を取って、酒を注ぐとき、北八はこの仲居の膝をちょいとつねる」

仲居「おお、痛い」

と飛び退く拍子に盃に触り、北八の膝の上に、ばったり落ちると、そこら中酒だらけになる。

仲居「おお、笑止。お気の毒なことをいたしたわいな」

今一人の仲居「滅相な、気を付けさんしたが良いわいな。貴方じめじめしてお悪かろ。そしてささにかかったのは、際付くものじゃ。茶とくくみ水でなと洗うてあげさんせ」

仲居「ほんに、ざっとなと、洗ってあげましょう。お脱ぎなませ」

と立ちあがり、脱がそうとする。北八は下に、女の着物を着ているので、上着を脱いだら、格好悪いと仲居を跳ね除け、

北八「いや、洗わずと良し良し。こりゃほんの普段着だ」

仲居「はて、御遠慮はおませんわいな。お脱ぎなませ。お脱ぎなませ」

とこの仲居共二人、北八の着物、これも裏に十の字の印があるか見てやろうと思い、頷きあって、無理に二人がかりで帯を解きにかかる。

北八は驚いて、

「これさ、これさ。よいというに」

弥次「はて、こりゃあ北八、借り着じゃ。染みが付いては、なあそれ、まずいことになる。ちょっくらそこの所ばかり濯いでもらうがいいわな。はて、火鉢でなりと炙ればすぐに乾くわい」

と借り着の印があるので、後で面倒になるかもと目顔で知らせて、北八に脱げと教える。北八は大変困り果て、

北八「ええぃ、何のちっとばかり、酒の染みたぐらい」

弥次「はてさて、ちっとでも跡が際付いちゃあ、それ悪いじゃあねえか。仲居衆すまんが、ざっと摘み洗いしてやってくんな」

仲居「はいはい、さあお脱ぎなませ」

北八「はてさて、情けないことを言う。もう良いと言うに」

といろいろ言い紛らかして、脱ぐまいとするが、とうとう二人がかりで、帯を解き、無理に脱がせた所が、下には女の着物を着ている。袖は小さく、裄の短い所を隠そうと北八は両手を縮めて、尻ごみをする。弥次郎は不思議そうに、

「おやおや、手前なんだ、女の着物を着ているのか」

語句

■あそばれる-からかわれる。■せうし-笑止。■めつそふ-とんでもないことの意。■じみじみして-水分のさらないさま。■ささ-「酒」の女言葉。■きはづく-際付く。きわだって見える。汚れ目などが特に目につく。■くくみ水でなと、洗ふて-口に含んで、水を霧のように吹きかけてでも、洗い落として。■ゑて吉-「えて」に同じ。ことさらに人名めかせた言葉。「えて」は例の人。例の所。例の物。ここは借着であることを知らせようとした。■つまみあらひ-汚れたところだけつまんで、部分的に洗うこと。大変小さいことに気のつく、お大尽ではある。

原文

北八「エエとんだことをいふ。もふもふひとつ脱(ぬい)だら、寒(さむ)くてならねへ

トだんだんうしろのほうへちぢまる

左平「おさむかろ。ひとつあがりなされ

北八「弥次さん、其盃(さかづき)をとつてくんな

弥次「ナゼ手めへ手を延(のば)すことはならねへか。そこにある、とりやな

北八「いまいましい。おめへまでがおいらをへこませるな

ト此内仲ゐ、かの酒のかかりし、きものをあらひ、火にほして、干あがりたるを、もち来り

仲ゐ「サアサア十のじがよござりますわいな。ヲホホホホホ、こちやいやいな。あなたのそのなりは、何でおますぞいな。ヲホホホホホ

トむせうにわらへば、北八むつとして

「コリヤうぬらは、さつきにから、おれがだまつてゐりやア、十のじだのなんのと、おいらに符帳(ふてう)をつけて、なぎさみものにしやアがるが、なんでおいらが十の字(じ)だ。それをぬかせぬかせ

ト何がなあたりまなこにねぢける 仲ゐどもこまりはて

「ツイてんがうにいふたのじやさかい、おきにあたりなましたら、かんにんしておくれなませ

北八「イヤおくれなますめへ。なんでもその十のじのわけを、きかねへうちは、了簡(りやうけん)がならねへは

左平「ハテゑいわいな。そないに、おまい腹立(はらたて)てじやと、いんまのさきのお侍(さむらひ)のよふに無粋(ぶすい)じやぞへ無粋じやぞへ

北八「ハテぬしのしつたことじやアねへ。ぶすいでも、さんすいでも頓着(とんぢやく)はねへ。サアふんばりめら、十のじたアなんのこつた。ぬかせぬかせ

トわめきちらすを、弥次郎左平次いろいろにとめても、さけきげんにていつかうにがてんせず、ぜひぜひ十のじのわけを、きかねばりやうけんならぬとのことゆへ、左平次もしちめんどうになり、此上はせんかたなしとて

「コレコレ仲ゐしゆ、あないにおつしやるものを、しよことがない。十のじのこと、いわんしたがゑいわいの

仲ゐ「そじゃてて、それがまあ

北八「はやくぬかせ

現代語訳

北八「ええ、とんだことを言う。もう一枚脱いだら寒くてならねえ」

と段々と後ろの方へ縮まる。

左平「お寒かろ。ひとつあがりなされ」

北八「弥次さん、その盃を取ってくんな」

弥次「なぜ、手前、手を延ばすことはできねえのか。そこにある。取りやな」

北八「いまいましい。お前(めえ)までがおいらをやり込めるな」

とそのうちに、仲居がかの酒のかかった着物を洗い、火に干して、干上がったのを持って来た。

仲居「さあさあ、十の字がよござりますわいな。おほほほほほ、こちゃ厭いな。貴方のその形(なり)は、何でおますぞいな。おほほほほほ」

と無性に笑うので、北八はむっとして、

「こりゃ、うぬらは、さっきから俺が黙っていりゃあ、十の字だの何のと、おいらに仇名(あだな)を付けて笑い者にしやあがるが、何でおいらが十の字だ。それをぬかせ、ぬかせ」

と何か、当り散らすような目つきをして無理を言うので、仲居共は困り果て、

「つい、冗談に言うたのじゃさかい、お気に当りなましたら、堪忍しておくれなませ」

北八「いや、おくれなますめえ。 どうでもその十の字の訳を、聞かねえうちは勘弁ならねえは」

左平「はて、えいわいな。そないに、おまい腹立ちじゃと、今さっきのお侍のように無粋じゃぞえ、無粋じゃぞえ」

北八「はて、主の知ったことじゃあねえ。無粋でも、山水でも頓着はねえ。さあ、ふんばり女め等、十の字たあ何のこった。ぬかせぬかせ」

と喚き散らすのを、弥次郎と左平次が色々止めても、酒機嫌なので全く合点せず、是非、是非十の字の訳を、聞かねば勘弁ならんとのことなので、左平次も七面倒になり、これ以上は仕方ないと、

「これこれ、仲居衆、あないにおっしゃるものを、仕方 がない。十の字の事、言わんしたがえいわいの」

仲居「そじゃかて、それが、まあ」

北八「早くぬかせ」

語句

■へこませる-やり込める。■いやいな-これも、上方遊里の女性の言葉で、「いや」という語には、大した意味はないが、北八には強くひびくので、腹を立てる。■符帳-記号。あざ名。仇名。■あたりまなこ-当たり散らすような目つき。八つ当たりの姿勢。■ねじける-無理を言う。野暮の本領発揮と出た。■てんがう-冗談。『浪花聞書』に「江戸でいふ、じやうだん也」。■さんすいでも-ただ語呂を合せて付けたものであろう。近世前期の上方語に、「山水」といって、わびてみずぼらしい意のものがあるが、一九はそれを言ったかどうかは不明。■ふんばり-下級の遊女の異称。女を罵倒する語。踏ん張りの意であろう。糞尿(ふんばり)という説もある。■しちめんどうになり-甚だ面倒くさくなり。■しよことがない-仕方がない。

原文

仲ゐ「いふたら又、おはらたちなますじやあろ

弥次「はらアたつても、わつちが呑込(のみこん)でゐるから、念晴(ねんばら)しにいつてしまいなせへ。おいらもどふか、ききてへやうだの

仲ゐ「さよなら、いふてのけるぞへ。アノナ、十のじとは、是じやわいな

トふたりのぬぎおきたるはをりのうらをひつくりかへし見せる

弥次「ヲヤヲヤなんで、此はをりに十もんじがぬひつけてある

左平「ハハハハハハコリヤもふとつとねから、やくたいじや、ハテ旅(たび)のおかたがたじやもの、そないに着物用意(きりもんようゐ)して、お出るおかたばかりもないもんじやさかい、それで損料借(そんりやうかつ)てお出でたじやわいの

北八「ナニおいらが損料(そんりやう)のきものきてくるもんか。とんだことをいふ

左平「イヤもふ、そないに、いわんしても、あかんわいな、長町(ながまち)の損料屋のきりもんには、みな十のじの印(しるし)ついてあること、敵等(てきら)よふしつてじやさかい、それであないにいふたのじやわいな

ト十のじのわけさらりとわかりて、ふたりはにはかに大へこみとなり、北八なまなかのこといひつのり、今さら、はぢのうはぬりし、くしやくしやおもふ内にも、おかしくなり、そうそうしたくして、こそこそとここを出かけけるに、そりやおかへりじやと、なかゐども大ぜい、目ひきそでひき、わらひをかくして、おくり出るにぞ、三人やがておもてにたちいで

損料のきもののみかは太夫までかりてみたりの不首尾たらたら

十のじのしるしありとは露(つゆ)しらず借(か)りしはをりのうらめしきかな

かく打興じつつ、長町さしていそぎける

道中膝栗毛八編 中巻終

現代語訳

仲居「言うたら又、お旗立ちなますじゃあろ」

弥次「腹あ立っても、わっちが呑み込んでいるから、疑念晴らしに言ってしまいなせえ。おいらもどうでも聞きてえわい」

仲居「さよなら、言うてのけるぞえ。あのな、十の字とは、是じゃわいな」

と二人の脱いでおいた羽織の裏をひっくり返して見せる。

弥次「おやおや、なんで、この羽織に十文字が縫いつけてある」

左平「はははははは、こりゃもう全く本当にめちゃくちゃじゃ。はて、旅のお方々じゃもの、そないに着物用意してお出でるお方ばかりもんじゃさかい、それで賃貸の着物を着てお出でたじゃわいの」

北八「なに、おいらが賃貸の着物を着てくるもんか。とんだことを言う」

左平「いやもう、そないに言わんしてもあかんわいな。長町の賃貸屋の着物には、みな十の字の印がついてあること、あの人たちは良く知ってじゃさかい、、それであないに言うたのじゃわいな」

と十の字の訳が二人にはっきりわかって、どうしたらいいかわからない。北八は言わないでもいいことを言い募り、今さら恥の上塗りをし、くしゃくしゃ思ううちに、可笑しくなって、早々に支度をして、こそこそとここを出かけた。そりゃ、お帰りじゃと、仲居共が大勢で目引き袖引きあって、笑いを隠し、送り出る。三人共やがて表に出て、

                                                        

損料のきもののみかは太夫までかりてみたりの不首尾たらたら

十のじのしるしありとは露(つゆ)しらず借(か)りしはをりのうらめしきかな

このように愉快な時を過しながら、長町を目指して急いだ。

道中膝栗毛八編 中巻終

語句

■念晴らし-疑念を無くすために。■ねから、やくたいじや-本当にめちゃくちゃじゃ。■敵等-あの人達。■大へこみ-大困惑。■なまなかのこと-言わないでよいこと。■はぢのうはぬり-恥の上に恥をかいて。■目ひきそでひき-目で知らせ、袖引いて知らせの意で、こっそりとうなずき合い。■損料の-「みたり」は「三人」と「借り試みた」にかける。損料貸の着物を借りた上で、太夫借りと出かけて、三人揃って、大変の不首尾をしたわいの意。■十のじの~-裏に十の字の印あったことを、「うらめしい」にかけた趣向。

次の章「八編下巻 大阪見物 三

朗読・解説:左大臣光永