【07】靫負命婦、桐壺更衣の母君を訪ねる 

野分《のわき》だちて、にはかに肌寒き夕暮《ふゆぐれ》のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦《ゆげひのみょうぶ》といふを遣はす。

夕月夜《ゆふづくよ》のをかしきほどに、出だし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音《ね》を掻《か》き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言《こと》の葉《は》も、人よりはことなりしけはひ容貌《かたち》の、面影《おもかげ》につと添ひて思《おぼ》さるるにも、闇の現《うつつ》にはなほ劣りけり。

命婦かしこにまで着きて、門《かど》引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過《す》ぐしたまへる、闇にくれて臥《ふ》ししづみたまへるほどに、草も高くなり、野分《のわき》にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ、八重律《やへむぐら》にもさはらずさし入りたる。

南面《みなみおもて》におろして、母君もとみにえものものたまはず。

「今までとまりはべるがいとうきを、かかる御使の、蓬生《よもぎふ》の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなん」とて、げにえたふまじく泣《な》いたまふ。「『参《まゐ》りてはいとど心苦しう、心肝《こころぎも》尽くるやうになん』と、典侍《ないしのすけ》の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」とて、ややためらひて、仰《おほ》せ言《ごと》伝へきこゆ。

「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひしづまるにしも、さむべき方《かた》なくたへがたきは、いかにすべきわざにかとも、間ひあはすべき人だになきを、忍《しの》びては参りたまひなんや。若宮の、いとおばつかなく、露けき中《なか》に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうも、のたまはせやらず、むせかヘらせたまひっつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御|気色《けしき》の心苦しさに、うけたまはりはてぬやうにてなん、まかではべりぬる」とて御|文《ふみ》奉る。

「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなん」とて、見たまふ。

ほど経《へ》ばすこしうちまぎるることもやと、待ち過《す》ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになん。いはけなき人をいかと思いやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを。今はなほ、昔の形見になずらへてものしたまへ。

など、こまやかに書かせたまへり。

宮城野《みやぎの》の露吹きむすぶ風の音《おと》に小萩《こはぎ》がもとを思ひこそやれ

とあれど、え見たまひはてず。

「命《いのち》長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、松の思はむことだに、恥づかしう思ひたまへはべれば、ももしきに行きかひはべらむことは、ましていと憚《はばか》り多くなん。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、みづからはえなん思ひたまへ立つまじき。若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなん思《おぼ》し急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、いまいましう、かたじけなくなん」とのたまふ。

宮は大殿籠《おほとのごも》りにけり。「見たてまつりて、くはしう御《み》ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに。夜更《よふ》けはべりぬべし」とて急ぐ。

「くれまどふ心の闇もたへがたき片はしをだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、私《わたくし》にも、心のどかにまかでたまへ。年ごろ、うれしく面《おも》だたしきついでにて、立ち寄りたまひしものを、かかる御|消息《せうそこ》にて見たてまつる、かへすがへすつれなき命にもはべるかな。生《む》まれし時より、思ふ心ありし人にて、故《こ》大納言、いまはとなるまで、ただ、『この人の宮仕の本意《ほい》、かならず遂げさせたてまつれ。我亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、かへすがへす諌《いさ》めおかれはべりしかば、はかばかしう後見《うしろみ》思う人もなき交《まじ》らひは、なかなかたるべきことと思ひまへながら、ただかの遺言《ゆいごん》を違《たが》へじとばかりに、出だし立てはべりしを、身にあまるでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥《はぢ》を隠《かく》しつつ、交らひたまふめりつるを、人のそねみ深くつもり、やすからぬこと多くなり添ひはべりつるに、よこさまなるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御《み》心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」と、言ひもやらず、むせかへりたまふほどに、夜も更《ふ》けぬ。

「上《うへ》もしかなん。『わが御心ながら、あながちに人目驚くばかり思されしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契りになん。世に、いささかも人の心をまげたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひしはてはては、からうち棄《す》てられて、心をさめむ方なきに、いとど人わろうかたくなになりはつるも、前《さき》の世ゆかしうなむ』と、うち返しつつ、御しほたれがちにのみおはします」と語りて尽きせず。泣く泣く、「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。

月は入方《いりがた》の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔《がほ》なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。

鈴虫の声のかぎりを尽くしても長き夜あかずふる涙かな

えも乗りやらず。

「いとどしく虫の音《ね》しげき浅茅生《あさぢふ》に露おきそふる雲の上人《うへびと》

かごとも聞こえつべくなむ」と、言はせたまふ。

をかしき御贈物などあるべきをりにもあらねば、ただかの御形見にとて、かかる用もやと残したまへりける、御|装束《そうぞく》一領《ひとくだり》、御髪上《みぐしあげ》の調度《てうど》めく物、添へたまふ。

若き人々、悲しきことはさらにも言はず、内裏《うち》わたりを朝タ《あさゆふ》にならひて、いとさうざらしく、上《うへ》の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはんことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞きうかるべし、また見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。

現代語訳

野分めいた風が吹いて、にわかに肌寒い夕暮れ時、(帝は)ふだんよりも思い出されることが多くて、靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)という女官を更衣の里にお遣しになる。

夕方の月が哀れ深く出ている頃に、命婦を出発させなさって、帝はそのままぼんやりと物思いにふけっておられた。

このような情緒のある時には、管弦の御遊などをなさったものだが、そのような時に、ことに趣深い楽器の音をかき鳴らし、はかなく聞こえた言葉も、他の人よりは違っていた更衣の気配や容貌が、まぼろしとして現れて、ひしと寄り添って思われるのだが、歌にある「闇の現」にはやはり劣っていて、それははかないものである。

命婦は更衣の実家に参り着いて、門の内に入るとすぐに、雰囲気は風情をただよわせている。母君はやもめ住まいではあるが、更衣ひとりを可愛がり育て上げために、なにかと手入れして、見栄えする程度には整えてお過ごしになっている。

それが、闇にくれて横になって思い沈んでおられるうちに、草も高くなり、野分にたいそう荒れたかんじがして、月の光だけが、生い茂った雑草にもさえぎられずさし入っている。

寝殿の南面に招き入れて、母君も命婦もすぐにはものをおっしゃることもおできにならない。

(母君)「今まで生き残っておりますのがたいそう残念でございますのに、このような御使が、蓬生の露をかけわけて訪ね入ってくださるにつけても、とても恥ずかしゅうございます」といって、なるほどその言葉どおり、こらえきれず、お泣きになる。

(命婦)「『母君の屋敷に参ったところ、たいそう心苦しくて魂も消え入ってしまうようでした』と、(前にうかがった)典侍(ないしのすけ)が奏上なさったのを、ものの情をわきまえない私のような者でも、なるほどもっともだと、たいそう忍びがたく思われますこと」といって、少し心を落ち着かせて、天皇の仰せ言を申し上げる。

(命婦)「(帝)『しばらくは夢かと思って心迷っていたのが、だんだん気持ちが落ち着いてくるにつけても、夢ではないから目が覚めようもなく、どうしたらいいのかとも、相談しあう人さえないので、忍んで宮中にお来しになりませんか。若宮が、たいそう気がかりで、露しげき中に涙にくれて過ごしていらっしゃるのも、心苦しく思われますので、すぐに参ってください』など、(帝は)はっきりとも、おっしゃることができず、むせかえりなさりながせら、一方では人が(帝のことを)心弱いものと拝見するかもしれないと、ご自制なさらぬわけでもないご様子の心苦しさに、(私は)帝のお言葉を最後までうかがわないようなありさまで、退出してきました」といって、御文をさしあげる。

(母君)「(子を思う闇のために)目も見えませんが、このように畏れ多い仰せ言を光にして、見ましょう」

といって、ご覧になる。

時間がたてば心がまぎれることもあるだろうかと、待ち過ごす月日が重なるにつれて、たいそう忍び難くなるのはまったく困ったことです。幼い人(若君)を、どうにかしなくてはと思いやりつつ、ご一緒に若君を育てられない心細いことです。今はそれでもやはり、私のことを亡くなった更衣の形見とみなして、ご参内ください。

など、こまやかに書かれていらした。

宮城野の…

(宮中を吹き渡って露をむすばせる風の音をきくと、私は涙にくれて、若宮のことを思いやります)

とあったが、しまいまでご覧になることもおできにならない。

母君「長生きするのはたいそうつらいことであると、実感されるにつけても、あの高砂の松がどう思うかということさえ、恥ずかしく思いますのに、宮中に出入りいたしますことは、ましてたいそう憚り多くなりましょう。

畏れ多い仰せ言をたびたび頂戴しながら、自分から参内したいとは思い立つ気になれません。若宮は、どうご理解されているのでしょうか。参内なさることをばかり早くと期待していらっしゃるようなので、それももっともだと悲しく拝見していますなど、内々に思っていますということを奏上なさってください。

私は不吉な身でございますので(喪中)、こうしてここに若宮がいらっしゃるのも、縁起が悪く、もったいないことです」とおっしゃる。

若宮はお休みになった。(命婦)「(若宮を)拝見して、くわしくその御有様も帝に奏上したかったのですが、帝が待っていらっしゃいますでしょうから。夜は更けてしまいます」といって帰参を急ぐ。

母君「暗くふさいだ心の闇の耐え難いことですが、その片端くらいは、心が晴れるほどに申し上げとうございますので、私事としても、気軽においでください。長年、うれしく光栄なお知らせとして、あなたはお立ち寄りくださいましたのに、このようなつらいお知らせとして拝見するのは、返す返すも、(あれほど娘の死を悲しみながら)そしらぬ顔で生き残ったわが命でございますよ。(更衣は)生まれた時から、(私たち夫婦が)望みをかけていた人で、故大納言(更衣の父)は、最期のときまで、ただ、『この人の宮仕えの宿願を、必ずお遂げしてさしあげろ。私が亡くなったからといって、志を途絶えさせるような残念なことはするな』と、返す返す諌めおかれましたので、しっかりした後見人もなく宮中に交わるのは、かえってよくないことと存じながら、ただ夫のあの遺言にそむいてはならいとの一心で、出仕させましたのですが、身にあまるまでの帝のご寵愛を受けて、万事畏れ多いことでしたので、人なみに扱われない恥を隠して、宮中の交わりをされていたようですが、人の妬みが深くつもり、心を痛めることがだんだん多くなっていきましたので、(あのような)異常な形で、ついにこのような結果になりましたので、かえってつらいこと思うのです、畏れ多くもご寵愛をいただきましたことを。これも親ゆえの、理不尽な心の闇なのでしょう」と、最後まで言い終わることもせず、むせかえりなさるうちに、夜も更けた。

(命婦)「帝も同じです。『わが御心にかなったこととはいえ、むやみに人が見て驚くほど寵愛したのも、長くは続きようもない関係だったのだなと、今となってはつらく思われる二人の因縁であるよ。少しでも人の心を害したことはけしてないと思うが、ただこの人(更衣)のゆえに、多くの受けなくてもよかった人の恨みを負ってそのしまいに、このように一人残されて、心をしずめる方法もないので、たいそう人が嫌うほど偏屈になってしまったのも、前世の定めであろうか、その前世とはどんなものか見てみたい』と、返す返す、御涙をお流しがちでいらっしゃいます」と語って言葉は尽きない。泣く泣く、

(命婦)「夜がたいそう更けたので、今夜のうちに、御返事を奏上しましょう」と急いで帰参する。

月は沈みかけて、空が晴れやかに澄み渡っている時分に、風がたいそう涼しくなって草むらの虫の声々がまるで涙をさそうようであるのも、ひどく立ち去りがたい草の宿である。

(命婦)鈴虫の…

(鈴虫が声のかぎりをつくして鳴いているように長い夜を一晩中泣いても、それでも尽きずに流れる涙ですよ)

命婦は(名残おしくて)車にかんたんにはお乗りになれない。

(母君)「いとどしく…

(ひどく虫の音の多い雑草の生い茂ったところに、涙の露をそえる、大宮人ですよ)

このような恨み言も申し上げたくなりそうで…」と、母君は侍女を介して命婦に言わせなさった。

風情ある御贈り物など贈るべき折でもないので、ただ更衣の御形見にといって、このような用もあるだろうかとお残しになっていた、御装束一揃い、御髪上の道具めいたものをお添えになる。

若い女房たちは、更衣が亡くなって悲しいことは言うまでもないが、内裏あたりですごすことに朝夕慣れているので、(この山里は)とても物足りなくて、帝の御ありさまなど思い出し申すので、(若君が)はやく参内されることを(母君に)おすすめ申し上げるが、(母君は)このような不吉な身が若君のおそばに付添い申し上げるのも、たいそう人聞きの悪いことにちがいない、そうかといって若宮を拝見しないでほんの少しでもいるのは、とても気がかりに思うことを申し上げなさって、すんなりと参内おさせすることもおできになれない。

語句

■野分だちて 野分は野を分けて吹く風。台風。だちては、「~のような」「~めいた」。 ■ゆげひ 「ゆげひ」は「靫負」(ゆぎおい)の約。靫負は宮中を警固する衛門府の武官。命婦は女官。命婦の父か兄が靫負なのだろう。 ■夕月夜 夕方の月。または月の出る夕方。夜は意味なし。 ■つと ぴったりと。 ■闇の現 「うばたまの闇の現はさだかなる夢にいくらもまさらざりけり」(古今・恋三 読人しらず)。暗闇の中で見る現実の物事は、はっきりした夢にみる物事にそれほど勝らない。はかないものであるの意。 ■まで 参での略。 ■闇にくれて 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどゐぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)。 ■八重葎 「とふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもさはらざりけり」(古今六帖似 紀貫之)。 ■南表 寝殿の正面の、正式な客をむかえる部屋。多くは南表にたてた。 ■とみに すぐには。 ■げに なるほどその言葉の通り。■えたふまじく こらえがたく。「堪ふ」はおさえる。がまんする。 ■もの思ふたまへ知らぬ心地 ものの情緒を解さない心地。 ■ためらひて 心を落ち着かせて。 ■たどられし 「たどる」は手探りで探すことから、思い迷う意。 ■露けき中 露が多くふっていることしと涙にくれていることは掛ける。 ■心苦しう思さるる 「思さるる」は命婦が伝聞で帝のお言葉を伝えていることから尊敬語となっている。 ■かつは 一方では。 ■うちまぎるることもや つづく「あらむ」を省略。 ■わりなきわざ 困ったこと。 ■いはけなき 幼い。 ■昔の形見 自分のことを、あるいは若君のことを、桐壺更衣の形見と思ってくれの意。 ■宮城野の… 「宮城野」は宮城県仙台市の歌枕。萩の名所。「宮城」という字から、宮中をなぞらえる。「露吹きむすぶ」は風が吹いて萩に露がおりるの意。「露」に帝の涙を「小萩」に若宮を通わす。「あらし吹く風はいかにと宮城野の小萩が上を露も問へかし」(赤染衛門集)。 ■命長さの 「寿(いのちなが)ケレバ則チ辱(はずかしめ)多し」(莊子・外篇・天地)。 ■松の思はむ… 「いかでなほありと知らせじ高砂の松の思はむこともはづかし」(古今六帖五)。 ■くれまどふ 暗くなって途方に暮れる。 ■思ひたまへながら 存じながら。「たまふ」はここでは謙譲。 ■よこさまなるやう 通常ではない、異常な死を迎えたことをさす。 ■思ひくづほる 「くづほる」は頽る。気落ちする。意志がくじける。  ■世に 下に否定語をともなって「けして~ない」。 ■御髪上 髪を結い上げる道具。釵・鋏など。 ■さうざうしく 当然あるものがなくて物足りなく。

朗読・解説:左大臣光永

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