【桐壺 08】帝、さらにふさぎこむ 

命婦は、まだ大殿籠《おほとのごも》らせたまはざりけると、あはれに見たてまつる。御前《おまえ》の壺前栽《つぼせんざい》の、いとおもしろき盛りなるを、御覧ずるやうにて、忍びやかに、心にくきかぎりの女房|四五人《よたりいつたり》さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。

このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌《ちやうごんか》の御絵、亭子院《ていじのいん》の描かせたまひて、伊勢貫之《いせつらゆき》に詠《よ》ませたまへる、大和言《やまとこと》の葉《は》をも、唐土《もろこし》の詩《うた》をも、ただその筋をぞ、枕言《まくらごと》にせさせたまふ。

いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること、忍びやかに奏す。御返り御覧すれば、「いともかしこきは、置き所もはべらず。かかるせ言につけても、かきくらす乱り心地になん。

あらき風ふせぎしかげの枯れしより小萩《こはぎ》がうへぞしづごころなき」

などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと、御覧じゆるすべし。

いとかうしも見えじと、思《おぼ》ししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず。御覧じはじめし年月《としつき》のことさへ、かき集めよろづに思しつづけられて、時の間《ま》もおぼつかなかりしを、かくても月日《つきひ》は経《へ》にけりと、あさましう思しめさる。

「故大納の遺言《ゆいごん》あやまたず、宮仕《みやづかへ》の本意《ほい》深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思わたりつれ、言ふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。

「かくても、おのづから、若宮など生《お》ひ出《い》でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」などのたまはす。

かの贈物御覧ぜさす。亡き人の住み処《か》尋ね出でたりけん、しるしの釵《かむざし》ならましかば、と思ほすも、いとかひなし。

たづねゆくまぼろしもがなつてにても魂《たま》のありかをそこと知るべく

絵に描《か》ける楊貴妃の容貌《かたち》は、いみじき絵師《ゑし》といへども、筆限りありければ、いとにほひすくなし。太液《たいえき》の芙蓉《ふよう》、未央《びあう》の柳も、げに、かよひたりし容貌を、唐《から》めいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思《おぼ》し出《い》づるに、花鳥《はなとり》の色にも音《ね》にも、よそふべき方ぞなき。朝夕《あさゆふ》の言《こと》ぐさに、翼《はね》をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせずうらめしき。

「風の音《おと》、虫の音《ね》につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿《こきでん》には、久しく上《うへ》の御局《みつぼね》にも参《ま》う上《のぼ》りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こしめす。このごろの御気色《みけしき》を見たてまつる上人《うへびと》女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思《おぼ》し消《け》ちて、もてなしたまふなるべし。

月も入りぬ。

雲のうへもなみだにくるる秋の月いかですむらん浅茅生《あさぢふ》のやど

思めしやりつつ、燈火《ともしび》を挑《かか》げ尽くして、起きおはします。右近《うこん》の司《つかさ》の宿直奏《とのゐまうし》の声聞こゆるは、丑《うし》になりぬるなるべし。人目を思して、夜《よる》の殿《おとど》に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝《あした》に起きさせたまふとても、明くるも知らで、と思し出づるにも、なほ朝政《あさまつりごと》は怠《おこた》らせたまひぬべかめり。ものなどもきこしめさず。朝餉《あさがれひ》の気色ばかりふれさせたまひて、まひて、大床子《だいしやうじ》の御膳《おもの》などは、いとはるかに思しめしたれば、陪膳《はいぜん》にさぶらふかぎりは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふかぎりは、男女《をとこをむな》、いとわりなきわざかな、と言ひあはせつつ嘆く。さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人のそしり、恨みをも憚《はばか》らせたまはず、この御ことにふれたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中の事をも思ほし棄《す》てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、他《ひと》の朝廷《みかど》の例《ためし》まで引き出で、ささめき嘆きけり。

現代語訳

命婦は、まだ帝がおやすみになっていらっしゃらなかったことを、いたわしく存じ上げる。

帝は、御前の壺庭の植え込みが、たいそういい具合に盛りであるのを、ご覧になるようにして、忍びやかに、風流を解するほどの女房四五人をはべらせなさって、御物語をなさっていた。

このごろ、朝夕にご覧になる長恨歌の御絵は、宇多上皇が描かれて、伊勢・紀貫之にお詠ませになったものだが、和歌をも、漢詩をも、ただこの長恨歌のような類のものを、朝夕の話題になさる。

帝は、たいそうこまやかに(更衣の母君への使いの)様子をご質問になる。命婦は母君の哀れなことを、忍びやかに奏上する。

帝は、母君の御返事をご覧になると、その手紙には「とても畏れ多く、帝からの御手紙の置所もございません。このような仰せ言をいただくにつけても、心が曇って暗くなり乱れる心地がいたします。

あらき風…

(荒い風が吹いても、木が影をつくって小萩を守るように、更衣が生きているうちは若宮を守っていました。今は更衣がいないので、若宮の身の上がおぼつきません)

などのように乱れた感じで書いているのを、心が落ち着かないせいだと、帝はお見逃しあそばすだろう。

帝は、このようにひどく悲しんでいる姿を人に見せまいと、お気持ちをお沈めになるが、まったくこらえ通すことがおでにきならない。更衣をはじめて御覧になった年月のことまでも、かき集めて万事思い出しなさって、生前は少しの間でも側に置いていないと気がかりだったのに、こうして更衣が亡くなってしまった後も月日はすぎるものだなと、呆れたことに思われる。

(帝)「(母君が)故大納言の遺言をたがえず、(更衣に)宮仕えをさせたいとう最初からの願いを守ってくださったことへのお礼には、そのかいのあるように報いてやるたいと思いつづけてきたのだが、言っても仕方ないことになったな」とおっしゃって、たいそうしみじみと不憫なことと思いやられる。

(帝)「このようなことになったとはいえ、自然と、若宮などが成人なされば、しかるべき地位におつけする機会もあるだろう。それまで長生きするよう心に念じよ」などおっしゃる。

(命婦は)母君からの贈り物を帝に御覧に入れる。『長恨歌』にあるように、亡き人のすみかを尋ね出したあかしの釵ならば、とお思いになるが、たいそうかいのないことである。

たづねゆく…

(冥界に尋ねていく幻術士がほしいものだ。人づてにでも更衣の魂のありかをそこと知るつてができるだろうに)

絵に描いた楊貴妃の容貌は、上手な絵師であっても、筆には限りがあるので、それほど美しいわけではない。太液池の芙蓉、未央宮の柳にも、なるほどたしかに、通じている容貌ではあるが、唐風の装いは美しくはあろうが、(それにひきかえ更衣のお姿は)親しみやすく可憐であったのを思い出されるにつけても、花の色にも鳥の音にも、たとえようがなかった。

朝夕の話の種に、翼をならべ、枝を交わすというように一生添い遂げようとお約束になられたのに、かなわなかった命のはなかさは、恨みが尽きることがない。

風の音、虫の声につけても、帝は、ひどくもの悲しく思われるのに、弘徽殿の女御は、長いこと上の御局にも参上なさらず、月のおもしろさに、夜がふけるまで管弦の遊びをなさっているということだ。たいそう面白くなく、不愉快なことにお聞きになる。

このごろのご様子を拝見する殿上人や女房などは、はらはらする思いで聞いていた。

弘徽殿女御は、とても我が強く、角が立つようなところもおありになる御方で、(帝の更衣への思いなど)問題にもせず無視なさって、こういうふるまいをなさるのだろう。

月も隠れた。

雲のうへも…

(宮中ですら涙にくれて秋の月が見えないくらいだから、あの雑草が生い茂った宿では、どうして月が澄んで見えるだろうか=どんなふうに暮らしているだろうか)

と帝は思いやられつつ、燈火を掻き立て掻き立て、起きていらっしゃる。右近衛府の役人の宿直奏(といのもうし)の声が聞こえるのは、丑の刻になったということだろう。

人目をはばかられて、御寝所にお入りになっても、まどろむこともなかなかおできにならない。朝に起きられるといっても、更衣が存命の時は夜が明けるのも知らず眠っていたことを思い出されるて、やはり朝の政務を怠りなさるようだ。

食事などもお召し上がりにならない。朝餉の間でほんのお気持ちほどお箸をおつけになって、正式の御膳などは、たいそう縁遠いものと思われているので、お食事の給仕にたずさわる人々は、帝のこのような心苦しいご様子を拝見して嘆く。

すべて、近くお仕えしている人々は、男も女も、たいそう困ったことであるよと、言いあわせては嘆く。

そこまでの前世からの契りではいらしたのたろうが、周囲の人のそしり、恨みをも憚りなさらず、この御事(桐壺更衣のこと)にふれることに関しては、道理をも失われ、亡くなられた今は、このように政務をも思い捨てられたようになっていくのは、ひどくもっての他のことであると、よその朝廷の例まで引用して、人々は、ささやき嘆いた。

語句

■壺前栽 壺庭の植え込み。 ■せさせ給ふ 最上級の敬語。天皇や上皇の動作に用いる。 ■長恨歌 中唐の詩人白楽天による120句の長詩。玄宗皇帝と楊貴妃のロマンを史実を軸に幻想的に語る。 ■亭子院 宇多上皇の御所から宇多上皇のこと。御所は京都市下京区御前通西洞院。今の東本願寺と西本願寺の間あたりにあった。 ■伊勢 古今集時代を代表する女流歌人。伊勢守藤原継景の女。宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕え、その兄仲平と恋仲になるも破局。その後、宇多天皇から寵愛を受け皇子を生むも、皇子は早世。その後、宇多天皇の皇子敦慶親王と結婚し中務(なかつかさ)を生む。家集に『伊勢集』。「難波潟みじかき葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや」。 ■紀貫之 平安時代の歌人・官人。『古今和歌集』の選者。『土佐日記』の作者、『新撰和歌』の編者。三十六歌仙の一人。家集に『貫之集』。「「人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける」。 ■枕言 明け暮れの話題。 ■かうしも 「かう」はこのように。「し」は強調。 ■忍びあへさせたまはず。 「忍びあへず」の敬語。こらえ通す。 ■御覧じはじめし 更衣が参内しはじめた当初のこと。 ■かくても月日は経にけり 「身を憂しと思ふに消えぬものなればかくても経ぬる世にこそありけれ」(古今・恋五 読人しらず)。 ■ものす 代動詞。いろいろな動詞にかわる役割。ここでは守る。 ■まぼろし 幻術士。『長恨歌』で道士が楊貴妃の魂をさがしに冥界におもむいたことをふまえる。 ■太液芙蓉未央柳 芙蓉如面柳如眉(太液(たいえき)の芙蓉(ふよう) 未央(びおう)の柳 芙蓉(ふよう)は面(おもて)の如(ごと)く柳は眉の如し)(長恨歌)。太液は宮中の池の名。太液池。漢の武帝が作らせたもの。未央は宮殿の名。漢の高祖が蕭何に作らせた。 ■よそふ たとえる。 ■翼をならべ、枝をかはさむと 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝(天に在(あ)りては願はくは比翼(ひよく)の鳥となり 地に在(あ)りては願はくは連理(れんり)の枝と為(な)らんと)(長恨歌)。 ■尽きせずうらめしき 此恨綿綿無絶尽(此(こ)の恨みは綿綿(めんめん)として尽くる期(とき)無からん)。 ■らうたげ 「らうたし」は可憐であること。愛おしい。可愛い。愛らしい。 ■もののみ悲し 「もの悲し」の強調。 ■おし立ち 我が強いこと。「おし」は力をこめて~する。 ■かどかどしき 角のある。 ■ものしたまふ 「ものす」は代動詞。ここでは「ある」。 ■燈火 「孤燈挑げ尽くして未だ眠りを成さず」(長恨歌)。 ■右近の司 右近衛府につかえる役人。 ■宿直奏 とのゐまうし 清涼殿滝口の陣で宿直する者が姓名を名乗る儀式。 ■夜の殿 清涼殿内の天皇の御寝所。 ■朝政 あさまつりごと。天皇が早朝に政務をとること。 ■朝餉 
朝餉の間で召し上がるかんたんな御食事。 ■大床子の御膳 清涼殿の昼の御座で召し上がる正式の御食事。 ■陪膳にさぶらふかぎり お食事の給仕をする人々。 ■わりなきわざ 困ったこと。 ■たいだいしきわざ あってはならないこと。 ■他の朝廷の例 玄宗皇帝が楊貴妃に入れ込んだために国が傾いた例。

朗読・解説:左大臣光永

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