【桐壺 09】若宮の参内と祖母君の死

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原文

月日経て、若宮参りたまひぬ。いとど、この世のものならず、きよらにおよすけたまヘれば、いとゆゆしう思したり。

明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしう思せど、御後見《うしろみ》すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなかあやふく思しはばかりて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、さばかり思《おぼ》したれど、限りこそありけれ、と世人《よひと》も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。

かの御祖母《おば》北の方、慰む方なく思ししづみて、おはすらむ所にだに尋ね行かむ、と願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひめれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。皇子《みこ》六つになりたまる年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつりおく悲しびをなむ、かへすがへすのたまひける。

今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始《ふみはじめ》などせさせたまひて、世に知らず聡《さと》うかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。「今は誰《たれ》も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたらしたまへ」とて、弘徽殿《こきでん》などにも渡らせたま御供には、やがて御簾《みす》の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士《もののふ》、仇敵《あたかたき》なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女御子《をんなみこ》たち二所《ふたところ》、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊びぐさに、誰も誰も思ひきこえたま

わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音《ね》も雲ゐをひびかし、すべて言ひつづけば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

現代語訳

月日経て、若宮が参内された。たいそう、この世のものとも思えず、清らかに成長なさっているので、帝は(かえって不吉なことでもありはしないかと)たいそう不安に思われた。

翌年の春、東宮がお決まりになるときにも、帝は第一王子を飛び越してこの若宮を東宮に立てたいと強く思われたが、御後見するような人もなく、また世間が承知するはずもないことであったので、(若宮を東宮に立ててれば)かえって若宮の身があやうくなることをご遠慮されて、そのことをそぶりにもお出しにならなくなったのを、あれほど思い入れなさったのに、限りのあったことなのだなと、世間の人も思い、弘徽殿女御もご安心なさった。

若宮の祖母である北の方は、慰みようもなく思い沈まれて、更衣がいらっしゃる所にせめて尋ねて行こうと願われた効果があったのだろうか、ついに亡くなられたので、(帝は)またこれを悲しく思われることは限りない。

皇子は六つにおなりの年であるので、今回はわけがわかって、祖母恋しさにお泣きになった。

祖母君は長年馴れ親しみ申し上げている若君を、この世に残しおき申し上げる悲しみを、返す返すおっしゃった。

語句

■およすけたまへば 「およすく」は成長する。 ■ゆゆしう思したり 不安なものにお思いになった。あまりに美しく清らかなものは鬼神に魅入られて命をとられるという信仰から。 ■うけひく 引き受ける。後見人を。

朗読・解説:左大臣光永

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