【桐壺 10】若宮の美貌と才覚

今は内裏《うち》にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始《ふみはじめ》などせさせたまひて、世に知らず聡《さと》うかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。「今は誰《たれ》も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたらしたまへ」とて、弘徽殿《こきでん》などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾《みす》の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士《もののふ》、仇敵《あたかたき》なりとも、見てはうち笑《ゑ》まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女御子《をんなみこ》たち二所《ふたところ》、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠《かく》れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊びぐさに、誰も誰も思ひきこえたま

わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音《ね》も雲ゐをひびかし、すべて言ひつづけば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

現代語訳

今は若宮は内裏にのみいらっしゃる。七つにおなりになると、読書始(ふみはじめ)などなさって、世間に例のないほど聡明でかしこくいらしたので、帝はかえって行く末が不吉であるとまで御覧になる。

(帝)「今は誰も誰も若宮をお憎みになることはできないだろう。母君が亡くなったことによっても、可愛がっておくれ」といって、弘徽殿などにもお渡りなさる時は若宮をお供に連れていかれて、そのまま女御のお部屋の御簾の内にお入れ申しなさる。

恐ろしい武士、仇敵といっても、この若宮を見ては思わずほほ笑みがこぼれてしまうほどのご様子なので、弘徽殿女御も遠ざけることがおできにならない。皇女たちおニ方が、弘徽殿の女御の御腹から生まれていらしたが、若宮とお並びになるような美しい方はない。

女御更衣の御方々もこの若宮を前にしてはお隠れにならず、幼い今から優雅で、こっちが気恥ずかしくなるほどのご様子でいらしたので、たいそう面白く、かといってくだけた感じではない遊び相手として、誰も誰も若宮のことを思い申し上げていらっしゃる。

正式の御学問はもちろん、琴笛の音においても宮中を驚嘆させ、すべて言いたてていくと、大げさで、いやになってしまうほどの若宮の御ありさまであった。

語句

■読書始 皇族が生まれてはじめて漢籍の読みを授けられる儀式。 ■あまり恐ろしきまで御覧ず あまりにすばらしいものは鬼神に魅入られて命を奪われるという信仰から、なにか不吉なことでもありはしないかと帝は若宮の行く末を心配した。 ■らうらうしたまへ かわいがっていただきたい。 ■弘徽殿などにも 若宮をもっとも嫌う弘徽殿女御のもとまでも行かせたの意。 ■いみじき いみじは程度がはなはだしいこと。ここではひどく恐ろしい。 ■なずらひたまふ お並びになる。皇女のなかにも美しさにおいて若宮とならぶ者がないということで、若宮の美しさを強調している。 ■うちとけぬ 若宮が素晴らしすぎるので、うちとけて接することはできないの意。

朗読・解説:左大臣光永

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