【桐壺 12】藤壺の入内

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原文

年月にそへて、御息所《みやすどころ》の御ことを思《おぼ》し忘るるをりなし。慰むやと、さるべき人々参らせたまへど、なずらひに思さるるだにいとかたき世かなと、うとましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝《せんだい》の四《し》の宮の、御容貌《かたち》すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后《ははきさき》世になくかしづききこえたまふを、上にさぶらふ典侍《ないしのすけ》は、先帝《せんだい》の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、「亡せたまひにし御息所の御容貌《かたち》に似たまへる人を、三代の宮仕に伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后《きさい》の宮《みや》の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人《かたちびと》になん」と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。

母后、「あな恐ろしや、春宮《とうぐう》の女御のいとさがなくて、桐壺更衣《きりつぼのこうい》の、あらはにはかなくもてなされにし例《ためし》もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。心細きさまにておはしますに、「ただわが女御子《をむなみこ》たちの同じつらに思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見《うしろみ》たち、御兄《せうと》の兵部卿《ひょうぶきょう》の親王《みこ》など、かく心細くておはしまさむよりは、内裏住《うちず》みせさせたまひて、御心も慰むべくなど思《おぼ》しなりて、参らせたてまつりたまへり。藤壺《ふぢつぼ》と聞こゆ。げに御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際《きは》まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。かれは、人のゆるしきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。

現代語訳

年月が経つにつれて、帝は御息所(桐壺更衣)のことを思い忘れられることがない。

心が慰められるだろうかと、それなりの家柄・教養をそなえた女房を若宮のおそばに参らせなさったが、更衣と同列と思われる方さえめったに得難い世だなあと、万事、世間をいとわしく思われていたところ、先帝の四の宮で、御器量がすばらしくておられると評判高くていらっしゃる人で、母后(先帝の后でその人の母)が世に例もないほどかわいがっているとお聞きなったのを、帝にお仕えしている典侍は、先帝の御時にもお仕えしていた人で、その姫宮にも親しく参りなれていたので、姫宮が幼くいらした時から拝見し、今ちらと拝見することがあり、(典侍)「亡くなった御息所の御姿に似ていらっしゃる人を、三代の宮仕えを続けているうちに、拝見することはできなかったのですが、后の宮の姫宮こそ、たいそうよく似て成人なさったことです。めったにない素晴らしいご器量の御方です」と奏上したところ、(帝は)ほんとうだろうかと御心をとめられて、熱心に入内を申し入れなされた。

母后は、「ああ恐ろしいこと。春宮の女御(弘徽殿女御)がたいそう意地悪で、桐壷更衣が、露骨にひどくもてなされた例も不安だこと」

と、ご用心なさって、すんなりとはご決心されないうちに、后も亡くなってしまった。(姫宮が)心細い様子でいらしたところ、(帝)「ただ私の皇女たちと同列に思い申しあげましょう」と、たいそう熱心にお申し入れなさった。

姫宮にお仕いしている女房たちや、御後見の方々、御兄の兵部卿の親王などは、このように心細い状態でいらっしゃるよりは、内裏にお住まいになって、御心も慰められるだろうという思いになられて、参内させなさった。藤壺と申し上げる。

ほんとうにご器量やお姿が、不思議なほど亡き桐壷更衣に似ていらっしゃる。この人は、御身分が高いので、それを思うといっそう素晴らしく、人もおとしめ申すことがおできにならないので、帝ははばかることなく、何の不足もなくご寵愛することができる。

あの桐壷更衣は、人のゆるし申し上げない低い身分であったところに、帝のご寵愛が不都合なほど大きかったのである。

帝の亡き更衣へのお気持ちがまぎれることはないにしても、自然と御心は藤壺の方にうつって、たいそう思い慰められているようなのも、しみじみと人の世の常であることよ。

語句

■おぼゆ 似ている。 ■生ひ出で 成人すること。 ■思ひつつみて 用心して。 ■思ひなし 皇女という高い身分であることを思うと。 ■うけばりて はばかることなく。 ■あやにく 不都合に。

朗読・解説:左大臣光永

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