【桐壺 13】源氏、亡き母に似るという藤壺の宮をしたう 

源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、我人に劣らむと思《おぼ》いたるやはある。とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげにて、せちに隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と典侍《ないしのすけ》の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばや、とおぼえたまふ。

上《うへ》も、限りなき御思ひどちにて、「な疎《うと》みたまひそ。あやしくよそへ聞こえつべき心地なんする。なめしと思さで、らうたくしたまへ。頬《つら》つきまみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」など聞こえつけたまヘれば、幼心地《をさなごこち》にも、はかなき花|紅葉《もみぢ》につけても心ざしを見えたてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿女御《こきでんのにょうご》、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌《かたち》にも、なほにほはしさはたとへむ方《かた》なく、うつくしげなるを、世の人光る君と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮《みや》と聞こゆ。

現代語訳

源氏の君は、父帝の御あたりをお去りにならないので、まして足しげくお渡りになる御方々は、源氏の君に対して恥じらい通すことがおできにならない。

どの御方も、自分が人に劣っていると思うわけがない。それぞれにたいそう美しいのだが、少し女の盛りを過ぎていらっしゃるところに、藤壺はほんとうに若くかわいげがある様子で、懸命に、源氏の君からお隠れになるのだが、しぜんと源氏の君は、物の隙間から藤壺の御姿を拝見なさる。

母御息所も、面影さえおぼえていらっしゃらないのを、「たいそうよく似ていらっしゃいます」と、典侍が申し上げたのを、若き御心に、(藤壺を)とてもしたわしいと思い申し上げて、常に参りたく、慣れ親しんで拝見したいと、お思いになる。

帝も、源氏の君と藤壺のお二人をともに、限りなく愛しくお思いになって、(藤壺に対して)「源氏の君を疎遠になさいますな。不思議なほどあれの母親とみたててよいような心地がしています。馴れなれしいとお思いにならないで、かわいがってやってください。(源氏の君の)顔つき、まなざしなどは、(母桐壺更衣に)たいそうよく似ていましたので、あなたが源氏の君の母のようにお見えになるのも、不似合いなことではないのです」などお申し付けさなるので、(源氏の君も)幼心にも、ちょっとした花や紅葉のついでにも、藤壺をお慕い申している心ざしをお見せになる。

帝が格別に(源氏の君と藤壺に)お心を寄せられるので、弘徽殿女御は、またこの藤壺の宮とも御仲が険悪であるので、それに加えて、もともとの憎さもこみあがってきて、目障りに思われた。

弘徽殿女御が世に類もないものとお思いになる、また世間からのほまれも高くいらっしゃる東宮のご器量にくらべても、(源氏の君の)美しさはやはりたとえようもなく、愛らしげであるので、世の人は光る君と申し上げる。

藤壺の宮は光の君と並ばれて、帝の御おぼえもそれぞれすばらしいので、輝く日の宮と申し上げる。

語句

■うち大人びたまへる 少し若い盛りをすぎていらっしゃる。 ■なづさひ 「なづさふ」は馴れ親しむ。 ■御思ひどち お思いになっている仲間。「どち」は同類のものをまとめていと接尾語。 ■よそへ聞こえつべき心地 藤壺を桐壺更衣に見立ててよいような気持ち。 ■なめし 馴れ馴れしく無作法である。 ■似げなからず 「似げ無し」は不似合いである。ふさわしくない。 ■聞えつけたまへれば 「聞こえつく」は「言いつく」の謙譲語。 ■ものし 目障り。

朗読・解説:左大臣光永

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