【桐壺 16】源氏、藤壺を想う

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原文

源氏の君は、上《うへ》の常に召しまつはせば、心やすく里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、たぐひなし思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿《おほひどの》の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。大人になりたまひて後は、ありしやうに、御簾《みす》の内にも入れたまはず。御遊びのをりをり、琴笛の音《ね》に聞こえ通ひ、ほのかなる御声を慰めにて、内裏住《うちず》みのみ好ましうおぼえたまふ。五六日《いつかむいか》さぶらひたまひて、大殿に二三日《ふつかみか》など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は、幼き御ほどに、罪なく思しなして、いとなみかしづききこえたまふ。御方々の人々、世の中におしなべたらぬを、選《え》りととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほな思しいたつく。

内裏には、もとの淑景舎《しげいさ》を御曹司《みざうし》にて、母御息所の御方の人々、まかで散らずさぶらはせたまふ。里の殿は、修理職《すりしき》、内匠寮《たくみづかさ》に宣旨下りて、ニ《に》なう改め造らせたまふ。もとの木立、山のたたずまひおもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。かかる所に、思ふやうならむ人を据《す》ゑて住まばやとのみ、嘆かしう思しわたる。

光る君といふ名は、高麗人《こまうど》のめできこえて、つけたてまつりけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ。

現代語訳

源氏の君は、帝がいつもお召しになり近くに置かれるので、落ち着いて左大臣邸でお暮らしになれない。

心のうちには、ただ藤壺の御ようすを、類もなくすばらしいものと思い申し上げて、そのような人をこそ妻として迎えたい、他に似た人もなく藤壺宮はいらっしゃるものだ、左大臣の姫君は、たいそう美しげで大切に育てられた人とは見えるが、お気に入りとはお思いにならず、幼い頃の心ひとつの熱心さで、たいそう苦しいまでの心思いをしていらっしゃる。

大人になられて後は、子供の頃のように、帝は源氏の君を御簾の内へもお入れにならない。管弦の遊びの折々、琴や笛の音に聞こえ通い、ほのかな御声を慰めにして、内裏住まいのみを好ましいことにお思いになる。

五日六日内裏にお住まいになり、左大臣邸にニ三日など、絶え絶えに退出なさるが、今は、年幼くていらっしゃるので、罪のないことに(左大臣は)解釈なさって、手を尽くして大切にお世話申し上げていらっしゃる。

源氏の君と姫君のそれぞれにお仕えする女房たちについても、(左大臣は)世間並みでないすぐれた女房たちを選び整えてお仕えさせなさる。

源氏の君と姫君が、ご興味を持たれるであろう御遊びをして、できるだけのことをして、精一杯に気遣いをなさる。

内裏では、(帝は)もと桐壺更衣がお住まいであった淑景舎を源氏の君の部屋として、母御息所(桐壺更衣)にお仕えしていた方々を退職させずそのまま源氏の君にお仕えするようになさった。

亡き桐壺更衣の邸宅は、修理職、内匠寮に宣旨が下って、ほかに類がないほど改築させなさった。もともと木立も山のたたずまいも風情あふれる所であったのを、池を掘り広げて、見事に造営して大変な騒ぎだ。

このような所に、理想的であるような人を妻として迎えて住みたいとばかり、(源氏の君は)嘆かしく思い続けなさっている。

光る君という名は、高麗人がおほめ申し上げて、おつけになったと、言い伝えているとのことである。

語句

■召しまつはせば お召しになりおそばを離されないので。 ■里住み 里は内裏に対する言葉で、ここでは左大臣亭のこと。 ■さやうならむ人をこそ見め そのような人がいるなら、そういう人をこそ妻に迎えたい。「見る」は結婚する。妻を迎える。 ■大殿の君 葵の上。大殿は左大臣邸のこと。 ■心にもつかず 気に入らず。 ■ありしやうに かつて子供の頃、帝が源氏の君を局通いにつれていたように。今はそうはいかないということ。 ■内裏住み 「里住み」の反対語。 ■いとなみ 手をつくして。 ■御方々の人々 源氏の君と姫君とそれぞれにお仕えする女房たち。 ■おほなおほな できるだけのことをして、精一杯に。 ■里の殿 亡母・桐壺更衣の邸宅。後に二条院とよばれる。 ■修理職 すりしき。令外の官。宮中の造営修理を行った。 ■内匠寮 たくみづかさ。中務省に属し、宮中の装飾工匠などを担当した。 ■池の心広くなして 心は中心。池の中心を広くした=池を掘り広げた。 ■思ふやうならむ人 理想的な人。

朗読・解説:左大臣光永

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