【帚木 04】雨夜の品定め(三)左馬頭、重ねて大いに女を語る

「今はただ品にもよらじ、容貌《かたち》をばさらにも言はじ、いと口惜しくねづけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、つひの頼みどころには思ひおくべかりける。あまりのゆゑよし心ばせうち添へたらむをばよろこびに思ひ、すこし後れたる方あらむをもあながちに求め加へじ。うしろやすくのどけきところだに強くは、うはべの情はおのづからもてつけつべきわざをや。艶《えん》にもの恥して、恨み言ふべきことをも見知らぬさまに忍びて、上はつれなくみさをづくり、心ひとつに思ひあまる時は、言はん方なくすごき言《こと》の葉《は》、あはれなる歌を詠みおき、しのばるべき形見をとどめて、深き山里、世離れたる海づらなどに這ひ隠れぬるをりかし。童《わらは》にはべりし時、女房などの物語読みしを聞きて、いとあはれに、悲しく、心深きことかなと、涙をさへなん落しはべりし。今思ふには、いとかるがるしくことさらびたることなり。心ざし深からん男をおきて、見る目の前につらきことありとも、人の心を見知らぬやうに逃げ隠れて、人をまどはし心を見んとするほどに、永き世のもの思ひになる、いとあぢきなきことなり。『心深しや』などほめたてられて、あはれ進みぬれば、やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどはいと心澄めるやうにて、世にかへりみすべくも思へらず、『いで、あな悲し、かくはた思しなりにけるよ』などやうに、あひ知れる人、来とぶらひ、ひたすらにうしとも思ひ離れぬ男、聞きつけて涙落せば、使ふ人古御達《ふるごたち》など、『君の御心はあはれなりけるものを、あたら御身を』など言ふ。みづから額髪《ひたひがみ》をかきさぐりて、あへなく心細ければ、うちひそみぬかし。忍ぶれど涙こぼれそめぬれば、をりをりごとにえ念じえず、くやしきこと多かめるに、仏もなかなか心ぎたなしと見たまひつべし。濁りにしめるほどよりも、なま浮びにては、かへりて悪しき道にも漂ひぬべくぞおぼゆる。絶えぬ宿世《すくせ》浅からで、尼にもなさで尋ね取りたらんも、やがてその思ひ出うらめしきふしあらざらんや。あしくもよくも、あひ添ひて、とあらむをりもかからんきざみをも見過ぐしたらん仲こそ、契り深くあはれならめ、我も人もうしろめたく心おかれじやは。

また、なのめにうつろふ方あらむ人を恨みて、気色ばみ背かん、はたをこがましかりなん、心はうつろふ方ありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さる方のよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。

すべて、よろづのこと、なだらかに、怨《ゑん》ずべきことをば、見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも、憎からずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。多くはわが心も見る人からをさまりもすべし。あまりむげにうちゆるべ、見放ちたるも、心やすくらうたきやうなれど、おのづからかろきかたにぞおぼえはべるかし。繋《つな》がぬ舟の浮きためしたる例も、げにあやなし。さははべらぬか」と言へば、中将うなづく。「さし当りて、をかしともあはれとも心に入らむ人の、頼もしげなき疑ひあらむこそ大事なるべけれ、わが心あやまちなくて、見過《みす》ぐさば、さし直してもなどか見ざらむ、とおぼえたれど、それさしもあらじ。ともかくも、違《たが》ふべきふしあらむを、のどやかに見しのばむよりほかに、ますことあるまじかりけり」と言ひて、わが妹の姫君は、この定めにかなひたまへりと思へば、君のうちねぶりて、言葉まぜたまはぬを、さうざうしく心やましと思ふ。

現代語訳

「今はただもう家柄にもよりますまい、容貌のことはまして言いますまい。たいそう残念な、ねじけたような感じがなければ、ただひたすらまじめで、静かな心のおもむきであるような女を、最後まで寄り添う頼みの相手として、思い定めるのがよいですね。

それ以上の資質才能や気立てのよさが添えられているようなら、それをよろこびに思い、少し不十分な面があったとしても、無理に要求を加えることはしますまい。

将来にわたって安心で、気持ちが穏やかなところさえ強ければ、表面的な情緒は自然と後からそなわってくることですからね。

ところが、艶っぽく恥ずかしがって、恨み言を言うべきことをも見知らぬように、言わないで我慢して、表面上はなんでもないふうを装いながら、いざ胸ひとつに収めきれなくなると、言いようもなく恐ろしい言葉や、哀れ深い歌をよみ置いて、自分をしのぶよすがとなるような形見を後に残して、深い山里や、辺鄙な海辺などに隠れ住むような女もいますからね。

まだ童であった時、女房などが物語を読むのを聞いて、たいそうあはれ深く、悲しく、思慮の深いことよと、涙をさえ落としましたよ。

しかし今思うと(そういう女は)たいそう軽々しくわざとらしいことです。

自分を深く思っているであろう男を捨て置いて、たとえ当面の関係につらいことがあるといっても、男の心を見知らぬように逃げ隠れて、男をまどわし、その心を見ようとしているうちに、別れてしまって、永き世のもの思いの種となる、まったくばかげたことです。

「思慮深いことよ」などと周囲にほめたてられて、感情が高ぶると、そのまま尼になってしまうのですよ。

出家を思い立った時はたいそうすっきりした気持ちで、ふたたび俗世を省みるだろうなどとは思いもよらず、「まあ、とても悲しい。ここまで思いつめて決心なさったのですね」などというように、知り合いが訪ねて来る。

あるいはひたすら女のことが嫌だと思って別れたわけでもない男が、女の出家をききつけて涙を落とせば、召使いや年配の女房などが、『ご主人さまはあなたに深く愛情を注いでいらしたのに。惜しいことに御身は(ご出家なさいましたこと)』などと言う。

みずから短くした額髪をさぐって、張り合いがなく心細いので、泣き顔になるのですよ。

我慢しても涙がこぼれはじめてしまうと、折々ごとに我慢できず、悔しいことが多いだろうので、仏もかえって心が汚いと御覧になるにちがいない。

俗人として濁りに染まっている間よりも、半端に悟った状態では、かえって悪道にも漂うだろうと思われます。

切っても切れない前世からの縁が浅くないので、尼になる前に探し出して連れ戻したとしても、そのまま、その時のその思い出がうらめしい筋のことにならないでしょうか。

悪くも良くも、連れ添って、こういう折りもああいう時期も二人で見て過ごしていくような仲こそ、前世からの宿縁も深く、情緒も深いでしょう、(それなのに出家騒動など起こしてしまっては)自分も相手も後ろめたく心にしこりが残らないでしょうか。

また、男が世間によくあるちょっとした浮気をしたからといって、それを恨んで、むきになって仲違いをするのは、また、ばかげたことでしょう。

たとえ浮気したとしても、男が、結婚した当初の妻への愛情を大切に思うなら、それだけの深い縁のある女と思っているだろうに、そのようないざこざから、男女の仲は絶えてしまうことです。

すべて、あらゆる事は、穏やかに、恨むべきことを、見知っているようにほのめかし、恨むべきであるようなことも、憎らしくないようにそれとなくに言えば、それによって、男の愛情もますことでしょう。

多くの場合、夫の浮気心も相手の女によっておさまりもするでしょう。

しかし度を越して男に寛大にして、放任しておくのも、心おだやかで可愛いようですが、自然と、軽い女と思われるでしょうね。

繋がぬ舟はどこへ行くかわからないという例えもありますので、まったく、道理が立ちません。そうではございませんか」と言えば、中将はうなづく。

(中将)「さし当たって、すばらしいとも、愛しいとも思い、気に入っている男が、頼もしくないような疑いがあが心に過ちを抱かず、夫の行状を見ながらそのままに過ごせば、いつかは夫も態度をあらためてどうして向かい合わないことがあろうか、と思いますが、それも必ずしもそうではない。ともかくも、仲違いするような時があるのを、それを気長に我慢するほかに、それ以上のことはないようですね」と言って、わが妹の姫君は、この判定にかなっていらっしゃると思えば、源氏の君は眠っていて、言葉をはさみなさらないのを、中将は、物足りなく、じれったく思う。

語句

■ゆゑよし 資質・才能。 ■あながちに 無理に。 ■うしろやすく 将来にわたって安心できる。 ■のどけき 気持ちが穏やかである。嫉妬しないこと。 ■をや 「を」も「や」も強意。 ■みさをつぐり …ふうを装い。 ■ことさらびたること わざとらしいこと。 ■古御達 年配の女房たち。 ■額髪 額から左右に垂れる髪。出家した女は額髪を短く切る。 ■あへなく 張り合いがなく。 ■ひそみぬかし 顔をひそめて泣き顔になる。 ■なのめに ありふれたさま。平凡なさま。 ■気色ばみ むきになって。 ■をこがまし ばかげたこと。 ■たぢろき いざこざ。 ■繋がぬ舟の浮きたる例 「澹(しず)かなること深き淵の静かなるが如く泛(う)きたること繋がざる舟の如し」(文選・鵬鳥賦)か「情(こころ)なき水も方円の器に任せ繋がざる舟は去住の風に随ふ」(白氏文集・偶吟詩)による。 ■あやなし 道理が立たない。

朗読・解説:左大臣光永

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