【帚木 05】雨夜の品定め(四)左馬頭、芸能にことよせて女を語る

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原文

馬頭《むまのかみ》、物定めの博士《はかせ》になりて、ひひらきゐたり。中将はこのことわり聞きはてむと、心入れてあへしらひゐたまへり。

「よろづの事によそへて思せ。木の道の匠《たくみ》の、よろづの物を心にまかせて作り出だすも、臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、そばつきざればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、今めかしきに目移りて、をかしきもあり。大事として、まことにうるはしき人の調度の飾とする、定まれるやうある物を、難なくし出づることなん、なはまことの物の上手はさまことに見え分かれはべる。また絵所《ゑどころ》に上手多かれど、墨書《すみが》きに選ばれて、つぎつぎにさらに劣りまさるけぢめふとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱《ほうらい》の山、荒海《あらうみ》の怒れる魚《いを》のすがた、唐国《からくに》のはげしき獣《けだもの》の形、目に見えの鬼の顔などのおどろおどろしく作りたる物は、心にまかせてひときは目驚かして、実《じち》には似ざらめど、さてありぬべし。世の常の山のたたずまひ、水の流れ、目に近き人の家ゐありさま、げにと見え、なつかしく柔《やわら》いだる形《かた》などを静かに描《か》きまぜて、すくよかならぬ山のけしき、木深く世離れて畳みなし、け近き籬《まがき》の内をば、その心しらひおきてなどをなん、上手はいと勢《いきほひ》ことに、わろ者は及ばぬところ多かめる。

手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長《なが》に走り書き、そこはかとなく気色ばめるは、うち見るにかどかどしく気色だちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、いまひとたびとり並べて見れば、なほ実《じち》になんよりける。はかなき事だにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりて気色ばめらむ見る目の情《なさけ》をば、え頼むまじく思うたまへてはべる。そのはじめの事、すきずきしくとも申しはべらむ」とて、近くゐ寄れば、君も目覚ましたまふ。中将いみじく信じて、類杖《つらづゑ》をつきて、向ひゐたまへり。法《のり》の師の、世のことわり説き聞かせむ所の心地するも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言《むつごと》もえ忍びとどめずなんありける。

現代語訳

馬頭は、この論議の博士となって、べらべらとしゃべりたてていた。中将はこの理屈を最後まできこうと、熱心に相手をなさっていた。

(馬頭)「いろいろな事にひき比べて考えてみてください。木工の道の職人が、あらゆる物を心にまかせて作り出すのも、其の場限りの手遊びの道具などで、そういう物だと手本も定まっていないのは、はた目に洒落たように見えるのも、たしかにこのようであるかもなと、時に応じて形を変えて、今風であることに目移りして、それがおもしろいということもあります。しかし、ほんとうに格式高い家の調度品の飾りとするような、きまった様式のある物を、ここ一番の大事な時に、無難に作り出すことが、やはり本当の物の上手は格別にみえ、はっきりわかるものです。また絵所に上手は多いですが、墨書きに選ばれて、次々に絵を描くと、まったく優劣の差はちょっと見ただけでは見分けることができません。ところが、人が見たこともない蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国の凶暴な獣の形、目に見えない鬼の顔などのおどろおどろしく作った物は、心にまかせてひときわ人の目わ驚かして、実際にはそのようではないとしても、それで成立するのでしょう。

しかし世に普通に存在している山のたたずまい、水の流れ、ふだんよく見る人の家のようすなどを、見る人になるほどと思われるように、人の共感をさそう、やわらかな形などを静かに描き入れて、険しくない山のけしきを、木々が、俗世間を離れて、深く畳みかけるように茂っているように描き、人里近い籬の内を描くときは、その心配り、物の配置などを描くときも、上手は筆の勢いがまるで違い、下手な者は及ばないところが多いようです。

字を書くにも、深い素養はなくて、あちこちの点を長く走り書いて、どこということもないが気取っているのは、ちょっと見ると才気ばしって気がきいているようですが、やはり本当の筆筋をこまやかに描くことができるような名人は、表面的な筆の勢いはないように見えますが、あらためて並べて見ると、やはり実質のあるほうがよいです。

ちょっとした事でさえ、このようでございます。まして人の心の、なにかの時に当たって気取って見せるような、見かけだおしの情を、頼みにすることはできないと存じます。

私が女性を知り始めの若い頃の事を、色好みな話ではありますが申しましょう」

といって、近くへ膝を寄せると、源氏の君も目をお覚ましになる。中将はたいそう信心深いかのように、頬杖をついて、向かい合って座っていらっしゃる。

法師が、世の道理を説法する所のような心地がするのも、一方ではおかしいけれど、こうなったついでには、おのおの、隠していた話も我慢して隠し通すことができないのであった。

語句

■博士 学問や知識に長じた人。物知り。学識の人。 ■ひひらくきゐたり 「ひひらく」はべらべらとしゃべりたてる。 ■あへしらひ 「あへしらふ」は相手をする。 ■よそへて 比べて。 ■もてあそび物 手遊びの道具。 ■跡 型。手本となるもの。 ■そばつき はたから見た様子。外観。 ■ざればみたるも 「洒落ばみたるも」。洒落ているのも。 ■絵所 宮中の絵画をつかさどる役所。建春門院の内東脇の御所所の北にあった。 ■墨描き 墨ず絵の下書きをする絵師。 ■つぎつぎに 下に「書くに」などが省略されているか? ■ふとしも ちょっと見ただけでは。「ふと」+「し」+「も」。 ■心しらひ 心配り。 ■おきて 配置。 ■手 文字。 ■かどかどしく 才気ばしって。 ■気色だちたれど 「気色だつ」は気がきいている。 ■気色ばめらん見る目の情 気取って見せるような見かけだおしの情。 ■そのはじめの事 女性を知り始めのころの事。 ■法の師 法師。僧。 ■世のことわり 人生は無情であるという道理。

朗読・解説:左大臣光永

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