【帚木 06】雨夜の品定め(五)左馬頭、若き日の恋愛話ー指喰いの女

【古典・歴史】メールマガジンはこちら

原文

「はやう、まだいと下騰《げらふ》にはべりし時、あはれと思ふ人はべりき。聞こえさせつるやうに容貌《かたち》などいとまほにもはべらざりしかば、若きほどのすき心には、この人をとまりにとも思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかく紛れはべりしを、もの怨《ゑん》じをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいとゆるしなく疑ひはべりしもうるさくて、かく数ならぬ身を見もはなたで、などかくしも思ふらむと、心苦しきをりをりもはべりて、自然《じねん》に心をさめらるるやうになんはベりし。

この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、いかでこの人のためにはと、なき手を出だし、後れたる筋の心をも、なほ口惜《くちを》しくは見えじと思ひ励みつつ、とにかくにつけて、ものまめやかに後見《うしろみ》、つゆにても心に違《たが》ふことはなくもがなと思へりしほどに、すすめる方と思ひしかど、とかくになびきてなよびゆき、醜き容貌《かたち》をも、この人に見や疎《うと》まれんと、わりなく思ひつくろひ、疎き人に見えば面伏《おもてぶ》せにや思はんと、憚《はばか》り恥ぢて、みさをにもてつけて、見馴るるままよに、心もけしうはあらずはべりしかど、ただこの憎き方ひとつなん心をさめずはべりし。

そのかみ思ひはべりしやう、からあながちに従ひ怖《お》ぢたる人なめり。いかで、懲《こ》るばかりのわざして、おどして、この方もすこしよろしくもなり、さがなさもやめむ、と思ひて、まことにうしなども思ひて絶えぬべき気色《けしき》ならば、かばかり我に従ふ心ならば、思ひ懲《こ》りなむと思ひたまへえて、ことさらに情《なさけ》なくつれなきさまを見せて、例の、腹立ち怨《ゑん》ずるに、『かくおぞましくは、いみじき契り深くとも、絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。行く先長く見えむと思はば、っらきことありとも念じて、なのめに思ひなりて、かかる心だに失せなば、いとあはれとなん思ふべき。人なみなみにもなり、すこし大人びんに添へても、また並ぶ人なくあるべき』やうなど、かしこく教へたつるかなと思ひたまへて、われたけく言ひそしはべるに、すこしうち笑ひて、『よろづに見だてなく、ものげなきほどを見過ぐして、人数なる世もやと待つ方は、いとのどかに思ひなされて、心やましくもあらず。つらき心を忍びて、思ひ直らんをりを見つけんと、年月《としつき》を重ねんあいな頼みは、いと苦しくなんあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむある』と、ねたげに言うに、腹立たしくなりて、憎げなることどもを言ひ励ましはべるに、女もえをさめぬ筋にて、指《および》ひとつを引き寄せて、食ひてはべりしを、おどろおどろしくかこちて、『かかる傷さへつきぬれば、いよいよ交《まじ》らひをすべきにもあらず。辱《はずか》しめたまふめる官位《つかさくらゐ》、いとどしく何につけてかは人めかん。世を背きぬべき身なめり』など、言ひおどして、『さらば今日こそは限りなめれ』と、この指《および》をかがめてまかでぬ。

『手を折りてあひみしことを数ふればこれひとつやは君がうきふし

え恨みじ』など言ひはべれば、さすがにうち泣きて、

うきふしを心ひとつに数へきてこや君が手を別るべきをり

など言ひしろひはべりしかど、まことには変るべきこととも思ひたまへずながら、日ごろ経るまで消息《せうそこ》も遣はさず、あくがれまかり歩くに、臨時の祭の調楽《てうがく》に夜更けて、いみじう霙《みぞれ》降る夜、これかれまかりあかるる所にて、思ひめぐらせば、なほ家路《いへぢ》と思はむ方はまたなかりけり。内裏《うち》わたりの旅寝すさまじか、気るべく気色《けしき》ばめるあたりはそぞろ寒くやと思うたまへられしかば、いかが思へると気色も見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人わるく爪食はるれど、さりとも今宵日ごろの悩みは解けなむと思ひたまへしに、灯《ひ》ほのかに壁に背け、萎えたる衣《きぬ》どもの厚肥《あつご》えたる、大いなる籠《こ》にうちかけて、引きあぐべきものの帷子《かたびら》などうちあげて、今宵《こよひ》ばかりやと待ちけるさまなり。さればよと心おごりするに、正身《さうじみ》はなし。さるべき女房どもばかりとまりて、『親の家にこの夜さりなん渡りぬる』と答へはべり。艶《えん》なる歌も詠まず、気色ばめる消息もせで、いとひたや籠りに情なかりしかば、あへなき心地して、さがなくゆるしなかりしも我を疎《うと》みねと思る方の心やありけむと、さしも見たまヘざりしことなれど、心やましきままに思ひはべりしに、着るべき物、常よりも心とどめたる色あひ しざまいとあらまほしくて、さすがにわが見棄ててん後《のち》をさへなん、思ひやり後見《うしろみ》たりし。

さりとも絶えて思ひ放つやうはあらじと思うたまへて、とかく言ひはべりしを、背きもせず、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、かかやかしからず答《いら》へつつ、ただ、『ありしながらはえなん見過ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなんあひ見るべき』など言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思ひたまへしかば、しばし懲《こ》らさむの心にて、『しかあらためむ』とも言はず、いたくつなびきて見せしあひだに、いといたく思ひ嘆きてはかなくなりはべりにしかば、戯《たはぶ》れにくくなむおぼえはべりし。ひとへにうち頼みたらむ方は、さばかりにてありぬべくなん思ひたまへ出でらるる。はかなきあだ事をもまことの大事をも、言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫《たつたひめ》と言はむにもつきなからず、織女《たなばた》の手にも劣るまじく、その方《かた》も具《ぐ》して、うるさくなんはべりし」とて、いとあはれと思ひ出でたり。中将、「その織女《たなばた》の裁《た》ち縫《ぬ》ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げにその龍田姫の錦《にしき》にはまたしくものあらじ。はかなき花紅葉《もみぢ》といふも、をりふしの色あひつきなくはかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるによりかたき世とは定めかねたるぞや」と、言ひはやしたまふ。

現代語訳

「私が若くて、まだ下臈でございました時、いいなと思う女がございました。さっき申し上げましたように容貌などはたいして美しくはございませんでしたので、若い時分の浮わついた心には、この人を生涯の妻にとまで心を決めませんで、妻の一人とは思いながら、物足りなくて、なにかというとこの女の目をごまかしては他の女のところに通ってございましたが、この女がやきもちをひどく焼きますので、私はそれが気に入らず、そこまでひどく嫉妬せずに、もっと大らかであったらよいのにと思いつつ、また一方で、あまりにも容赦なく疑いますのも煩わしくて、このように物の数でもない私のことを見放しもしないで、どうしてこんなにも思ってくれるのだろうと、気の毒になる折々もございして、自然と、浮気心がしずまるといったようなことでございました。

この女のありようは、はじめからは思い至らなかったことにも、どうにかしてこの夫のためにはと、手段のないときも手段を考え出そうとして、遅れている筋の心をも、やはり残念には思われまいと思って努力して、なにかにつけて、夫のことを実直に世話して、ほんの少しでも夫の心に違えることはないようにと思っているうちに、気の強い女と思っていましたが、なにかと従順に柔和になっていき、醜い容貌も、夫に嫌われるのではないかと、ひととおりでなく化粧して、親しくない人に見られたらばつが悪く思うのではないかと、遠慮して恥ずかしがって、ひたすら努めて、見馴れるにつれて、心も悪くはなくございましたが、ただこの憎たらしい癖(嫉妬深いこと)ひとつは抑えきれずにおりました。

その当時思いましたのは、このようにひたすら従順でおどおどした女なのだろう。どうにかして、懲らしめるぐらいのことをして、おどして、この嫉妬深い癖もすこしはよくもなり、悪い性質もなくしてやろう、と思って、心底、嫌だなどと思って関係が絶えてしまうような様子ならば、これほど私に心底従っているのであるから、改心するに違いないと気づきまして、わざとひどく情なくつれない態度を女に見せて、いつものように、女が腹を立ててやきもちを焼きますので、『このように性格がキツいのであれば、別れて二度と逢うまい。これを最後と思うなら、このような理不尽な疑いをするがよい。行く先長く連れ添うつもりなら、つらいことがあっても我慢して、いい加減にあきらめて、このような嫉妬深い心さえ消してくれれば、私はお前をたいそう可愛いと思うだろう。私が人並みに出世して、すこし立派な立場になるのにつれて、お前はほかに並ぶ人ない者(正妻)となるだろう』といったことなどを、かしこくも教えたものだなと思いまして、私は声高に言いつのりましたところ、女はすこし笑って、『万事、見映えがせず、ぱっとしない時期を辛抱して、あなたがいつか人並みになる時節もあるかと待つことは、たいそうのんびりとして思われて、不満でもありません。しかし、あなたの薄情さを我慢して、あなたか改心してくれる日もいつかはあえようかとと、年月をかさねるにつれてあてにならない期待は、とても苦しいでしょうから、お互いに別れるべき時期なのです』と、怨みっぽく言うので、私は腹が立って、憎憎しいことをたくさん言いつのりましたところ、女も抑えられない性質で、私の指の一本を引き寄せて、かじりつきましたのを、大げさにそれを口実にして、『このような傷までついたのでは、いよいよ世間の交わりをすることができない。あなたが見くびっていらっしゃるような官位においても、いよいよ私は人並になれようもない。世を背いて出家隠遁するしかない身であろう』など、言いおどして、『ならば今日こそ最後であろう』と、この指を曲げて立ち去りました。

(馬頭)『手を折りて…

(指を折ってあなたと過ごしてきた日々を思い返して数えると、あなたの欠点は指にかみつくほどの、この嫉妬深い性質ひとつであったのに)

私のことを恨むことはできないだろう』など言いましたところ、さすがに泣いて、

(女)うきふしを…

(あなたの欠点を私の胸ひとつにおさめて我慢してきましたが、今度こそあなたとお別れすべき時ですね)

など言い争いましたが、本当に離縁するだろうなどとは思っておりませんまま、何日もたつまで手紙もやらず、別の女のところに渡り歩いておりますと、賀茂社の臨時の祭の舞楽の練習をしていて夜が更けて、たいそう霙が降る夜、同僚の誰それと退出して別れるところで、思いをめぐらせると、やはり家路と思う方は、あの女の家の他はありませんでした。

宮中で旅寝するのは殺風景だろうし、あの気取った女の家は(今夜あたり)たいそう寒々しているのではないかと思われましたので、どう思っているのだろうと様子見がてら、雪を払いつつ、なんとなく人に見られると具合が悪く、決まりが悪いけれど、そうはいっても今夜あたり日頃の恨みは解けているだろうと思いましたところ、灯をほのかに壁に向けて、柔らかい衣の厚くふくらんだのを何枚か大きな伏籠にかけて、引き上げるべき几帳の袖などを上げて、今夜こそ来るのではないかと待っていたようすです。

それならばと心におごりが生じて、(部屋の中に入ると、)本人はいない。しかるべき女房たちだけが残っていて、『親の家に今夜、行きました』と答えました。

艶っぽい歌も詠まず、それという風の手紙も残さず、たいそうまったく家に籠もったきりで、何の情緒もなかったので、張り合いのない心地がして、(女が私を)意地悪に許さなかったのも、自分を嫌いになってほしいと思う方面の心があったのだろうかと、そうも思えませんでしたが、腹立ちまぎれにそんなことも思いましたところ、私が着るべき物が、いつもよりも気の利いた色あいや仕立てが、理想的なまでにしてあって、やはり私が見捨てた後のことまでも、気をきかして世話してあったのでした。

ところが、まさか女がこれを最後に私に思いを絶やすことはないだろうと思いまして、私があれこれと弁解しましたのを、女は反発もせず、探しまわらせて困らせようと隠れ忍ぶわけでもなく、私の言うことには恥をかかせない程度に返事をしながら、ただ、『以前のままのお気持ちでは我慢して過ごすことはできません。あなたが改心して柔和なお気持ちになったら、一緒に暮らしましょう』など言ったのを、そうはいっても女の思いは私から離れないだろうと思いましたので、ちょっと懲らしめてやろうという心で、『あなたの言うとおり、改心しよう』とも言わず、いそう意地を張り合って見せていたあいだに、女はたいそうひどく思い嘆いて、死んでしまいましたので、戯れ言もたいがいにすべきと思いました。

ひとえに頼みにする正妻としては、あの程度の女でよいのだと、思い出されてなりません。

なんということもない趣味的なことも、実用的な大事なことも、相談して甲斐のないということはなく、(染色の腕は)龍田姫と言っても似つかわしくないことはないし、(裁縫の腕は)七夕の織姫の手にも劣らないでしょうし、その方面の技術も身につけており、巧みでございました」といって、たいそう女が哀れだったと、しみじみ思い出している。

中将が、「その七夕の織女の、裁縫の方面ことは控えめにして、彦星との夫婦仲が末永いことにあやかりたいものだ。実際、その龍田姫の錦以上の世話はないだろう。

はかない桜花や紅葉も、その時々の色合いがふさわしくなく、はっきりしないでは、露ほども少しも見栄えせずに消えてしまうことである。

それだから、人生は難しいもので、(男は)はっきりこの女と決めることができずにいるのでしょうね」と、話をはずませる。

語句

■まほ 真秀。すぐれている。 ■とまり 最後に留まる所。本命の妻。 ■よるべ 頼り所。一時的に立ち寄るところ。妻の一人。 ■紛れ 女の目をごまかして他の女のもとに行く。 ■心づきなく 気に食わず。 ■いとかからで このようでなく。 ■おいらか 大らか。男の浮気に寛大な心で目をつぶること。 ■ゆるしなく 容赦なく。 ■うるさくて 煩わしくて。 ■見も放たで 「見放つ」の中に「も」が入った形。見放す。 ■この人 夫=左馬頭。 ■手 手段。 ■すすめる方 気の強い方。 ■わりなく ひととおりでなく。 ■みさをにもてつけて ひたすら努めて。「みさをに」は変わらず続けるさま。 ■心をさめず 抑えきれない。 ■さがなさ 性質の悪さ。 ■おぞましくは 「おぞまし」は性格がキツいこと。 ■わりなき 道理のない。 ■念じて がまんして。 ■なのめに いい加減に。 ■思ひなりて 努めて思う。 ■言ひそしはべる 言ひつのりました。「そす」は度を超えて~する。 ■見だてなく 「見だてなし」は見映えがしない。みすぼらしい。 ■ものげなき 物の数でもない。ぱっとしないい。 ■見過ぐして 辛抱してきて。 ■心やましくも 「心病し」で不満である。 ■あいな頼み 「あいなき頼み」の略。あてにならない期待。 ■言ひ励ましはべるに 「言ひ励ます」は、言いつのる。 ■をさめぬ筋 抑えられない性質。 ■おどろおどろしく 大げさに。 ■かこつ 口実にする。 ■手を折りて… 「手を折りてあひみしことをかぞふれば十といひつつ四つは経にけり」(『伊勢物語』十六)をふまえる。「やは」は反語。「うきふし」は欠点と、指の傷を掛ける。 ■言ひしろひ 言い争う。 ■変わる 二人の関係が変わる=離縁する。 ■臨時の祭 賀茂社の臨時の祭。11月下の酉の日に行われる。 ■調学 舞楽の練習。 ■これかれ 同僚の誰それ。 ■なま人わるく なんとなく人に見られて具合が悪く。 ■爪食はるれど 「爪食はる」は決まりが悪い。 ■灯ほのかに壁に背け 燭台の火を壁に向けて照明をおとした感じ。 ■厚肥えたる 厚くふくらんでいる。 ■籠 伏籠。伏せておいてその上に衣服をかける籠。中で香をたいて衣類に香をつけたり、乾かしたりする。 ■引きあぐべきもの 几帳の袖など、使わないときは引き上げておくもの。 ■正身 さうじみ。本人。 ■夜さり 夜分。「さり」は「去る」の名詞化。 ■ひたや籠り ひたすら家に籠もっていること。 ■あへなき 張り合いのない。 ■さがなく 意地悪く。 ■心やましきままに 腹立ちまぎれに。 ■あらまほしくて 理想的に。 ■尋ねまどはさむとも 探しまわらせて困らせようとも。 ■かかやしからず 相手に恥をかかせないように。「かかやかし」は恥ずかしい思いをする。照れくさい。 ■つなびきて 意地を張りあって。 ■戯れにくく 戯れ言もたいがいにしないと。 ■龍田姫 大和の龍田川に近い龍田神社の女神。風の神、秋の神、染色の神。 ■つきなからず 「つきなし」は似つかわしくない。ふさわしくない。 ■織女 七夕の織女。 ■うるさく 「うるさし」は巧みである。 ■のどめて ゆるやかにする。控えめにする。 ■あえまし 「肖(あ)ゆ」はあやかる。牽牛、織女が永久に逢い続けることにあやかって。 ■しくもの 「如く」と「敷く」をかける。 ■つきなく ふさわしくなく。 ■はかばかしからぬ  はっきりしない。 ■露の 「露」と「まったく~ない」の意を掛ける。 ■消えぬる 「消ゆ」は「露」の縁語。 ■言ひはやしたまふ 「言ひはやす」は話をはずませる。

朗読・解説:左大臣光永

【古典・歴史】メールマガジンはこちら