【帚木 07】雨夜の品定め(六)左馬頭、重ねて若き日の恋愛話ー浮気な女

「さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり、心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠み走り書き、かい弾く爪音《つまおと》、手つき口つき、みなたどたどしからず見聞きわたりはべりき。見るめも事もなくはべりしかば、このさがな者をうちとけたる方にて、時々隠ろへ見はベりしほどは、こよなく心とまりはべりき。この人亡《う》せて後、いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、すこしまばゆく、艶《えん》に好ましきことは、目につかぬところあるに、うら頼むべくは見えず、かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心かはせる人ぞありけらし。

神無月《かみなづき》のころはひ、月おもしろかりし夜、内裏《うち》よりまかではべるに、ある上人《うへびと》来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、大納言の家にまかりとまらむとするに、この人言ふやう、『今宵人待つらむ宿《やど》なん、あやしく心苦しき』とて、この女の家はた避《よ》きぬ道なりければ、荒れたる崩れより、池の水かげ見えて、月だに宿る住み処《か》を過ぎむもさすがにて、おりはべりぬかし。もとよりさる心をかはせるにやありけん、この男いたくすずろきて、門《かど》近き廊《ろう》の簀子《すのこ》だつものに尻かけて、とばかり月を見る。菊いとおもしろくうつろひわたり、風に競《きほ》へる紅葉《もみぢ》の乱れなど、あはれと、げに見えたり。懐なりける笛取り出でて吹き鳴らし、影もよしなど、つづしりうたふほどに、よく鳴る和琴《わごん》を調べととのへたりける、うるはしく掻《か》きあはせたりしほど、けしうはあらずかし。律の調べは、女のもの柔かに掻き鳴らして、簾の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば、清く澄める月に、をりつきなからず。男いたくめでて、簾のもとに歩み来て、『庭の紅葉こそ踏み分けたる跡もなけれ』など、ねたます。菊を折りて、

『琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける

わろかめり』など言ひて、『いま一声。聞きはやすべき人のある時、手な残いたまひそ』など、いたくあざれかかれば、女、声いたうつくろひて、

木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべきことの葉ぞなき

と、なまめきかはすに、憎くなるをも知らで、また箏の琴を盤渉調に調べて、今めかしく掻きたる爪音、かとなきにはあらねど、まばゆき心地なんしはべりし。ただ時々うち語らふ宮仕人などの、あくまでざればみすきたるは、さても見る限りはをかしくもありぬべし、時々にても、さる所にて忘れぬよすがと思うたまへんには、頼もしげなく、さし過ぐいたりと心おかれて、その夜のことにこつけてこそ、まかり絶えにしか。

この二つのことを思うたまへあはするに、若き時の心にだに、なほさやうにもて出でたることは、いとあやしく頼もしげなくおぼえはべりき。今より後は、ましてさのみなん思うたまへらるべき。御心のままに折らば落ちぬべき萩の露、拾はば消えなんと見ゆる玉笹の上の霰などの、艶にあえかなるすきずきしさのみこそをかしく思さるらめ、いまさりとも七年あまりがほどに思し知りはべなん。なにがしがいやしき諫めにて、すきたわめらむ女に心おかせたまへ。あやまちして見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり」と、戒む。

中将、例のうなづく。君すこしかた笑《ゑ》みて、さることとは思すべかめり。「いづかたにつけても、人わるくはしたなかりけるみ物語かな」とて、うち笑ひおはさうず。

現代語訳

(左馬頭)「さて、私がまた同じころ、通っておりました女は、人柄もすぐれていて、気立てがほんとうに深い味わいがあると感じられそうで、歌を詠んでも文を走り書きしても、琴を弾く爪音も、手つきも口つきも、みな危ないところがないと、見聞きしつづけておりました。

見た目もまあ問題ない程度ではございましたから、この口うるさい女(指食いの女)を、うちとけた相手として、時々忍んで逢っておりました間は、たいそう心にとまりました。

この指食いの女が亡くなって後、どうしよう、気の毒ではあるが死んでしまったことは仕方なくて、何度もこの女のもとに通いなじむにしたがって、すこし派手好きで、艶っぽく好色らしいことは、気に食わないところがあったので、妻として信用できそうには見えず、間をあけて時々逢うだけにしていました間に、忍んで心を交わした人があったようなのです。

神無月の頃、月の美しかった夜、内裏より退出しますのに、ある殿上人が来あわせて、この車に同乗しましたところ、私が大納言の家に退出して泊まろうとするのに、この人が言うことに、『今夜、待っている女があるだろうな。ひどく心苦しいことだ」といつて、この女の家がまた、通り道であったので、荒れた築地の崩れから、池水に月影が映り込んでいるのが見えて、月さえも宿る住処をこのまま素通りするわけにもいかないので、二人して車を下りたのです。

もとより女とそのような情愛を交わしていたのでしょうか、この男はたいそううきうきして、しばらく月を見ます。

菊がたいそう風情深く一面に色あせていて、風に競いあう紅葉が乱れ散っているのなど、趣深いと、つくづく、そう見えました。

懐に入れていた笛を取り出して吹き鳴らし、「影もよし」など、すこしずつ口ずさむうちに、美しく鳴る和琴の調べを整えたのを、女が鮮やかに合奏していたようすは、悪くはないものでしたよ。律の調べは、女がもの柔らかにかき鳴らして、簾の内から聞こえるのも、今風の声なので、清く澄んだ月に、時節がらふさわしくないことはなかったです。男はたいそう興が乗って、簾のもとに歩いて来て、『庭の紅葉を踏み分けた跡もないですね』など、女を憎らしがらせます。菊を折って、簾の中に差し入れて、

『琴の音も…

(琴の音も月も、えもいわれず美しい宿ではありますが、これまで訪れもまれだった私を、お引き留めになるのですか)

いらぬことを言いましたね』など言って、『もう一声。聞く耳をもったような人のある時、手をお残しになりますな」など、たいそう戯れかかれば、女は、声をたいそう作って、

木枯に…

(木枯の音と合奏するような見事な笛の音を、私の琴などで引き留めることはできません。引き留める言葉もないです)

と艶っぽいやり取りをして、私が憎く思っているのも知らないで、また箏の琴を盤捗調(ばんしきぢょう)に調べて、今ふうにかき弾いた爪音は、才が見えないわけではないが、見ていられないという気持ちがいたしました。

ただ時々親しくするていどの、宮中に仕える女房などが、とことん気取って風流めかしているのは、それなりに、会っている間だけなら、面白くもあるでしょう、しかしたとえ時々でも、通っていく相手で、忘れがたいしっかりした交際相手と思います相手としては、頼みできないかんじで、風流ぶることが程度を越していると用心されて、その夜のことにことつけて、その女のもとに通うことはやめてしまいました。

この二つの例を思い合わせますに、若い時の心にさえ、やはりそのように出過ぎていることは、たいそう酷く頼みにならないと思いました。

今より後は、ましてそうとしか思えなくなるでしょう。御心のままに折れば落ちてしまうにちがいない萩の露や、拾えば消えるように見える笹の葉の上の霰などのように、艶っぽくて、弱々しくて、情緒本位のことばかりを面白いと思われるでしょうが、今はそうであっても、ここ七年あまりのうちに、思い知りますでしょう。私ごときの卑しき者の諌めとして、好色で情緒本位なような女には警戒なさいませ。そういう女は間違いを犯して、付き合った男の無粋であるという評判までも立てるにちがいないものです」と、戒める。

中将は例によってうなづく。源氏の君はすこし薄笑いをして、たしかにそのようだと思われているご様子だ。

(源氏)「どちらの例にしても、人聞き悪く、間の悪い話だな」といって、皆で笑い合っていらっしゃる。

語句

■このさがな者 指食いの女。「さがなし」は口やかましい。 ■過ぎむもさすがにて 「参議玄上が妻の月の明き夜、門の前を渡るとて消息いひ入れて侍りければ/雲ゐにてあひ語らはぬ月だにもわが宿すぎてゆく時はなし」(拾遺・雑上 伊勢)。 ■すずろきて 何となく心惹かれて。うきうきして。 ■簀子だつ物 簀子めいた物。簀子は簀子縁。竹や細板をならべたもの。 ■とばかり しばらく。ちょっとの間。 ■紅葉の乱れ 「秋をおきて時こそありけれ菊の花うつろふからに色のまされば」(古今・秋下・平貞文)。 ■影もよし 「飛鳥井に、宿りはすべし、や、おけ、影もよし、みもひも寒し、みまくさもよし」(催馬楽・飛鳥井)。「宿りはすべし」(泊りましょう)の意をこめる。 ■つづしりうたふ 少しずつ口ずさむ。 ■和琴 日本古来の琴で六弦。 ■かし …よ。…ね。念を押す終助詞。 ■律の調べ 音楽の調子は律と呂に二分される。律は中国渡来の音で長調的な音、呂は日本風の短調的な音という。 ■をりつきなからず 「つきなし」はふさわしくない。 ■庭の紅葉こそ… 「秋は来ぬ紅葉は宿にふり敷きぬ道踏み分けてとふ人はなし」(古今・秋下 読人しらず)。 ■ねたます 憎らしがらせる。 ■琴の音も… 「えらなぬ」はえも言われず美しい。「ひき」は「弾き」と「引き」を掛ける。男が「女を待たせている」といっていることから、この「つれなき人」は男をさすと思われる。 ■聞きはやす 聞いて映えるようにする。 ■あざれかかれば 戯れかかると。 ■木枯に… 「こと」は「琴」と言の葉の「言」を掛ける。 ■箏 十三絃の琴。 ■盤捗調 律の調。 ■かどなき 「かど」は「才」。 ■まばゆき 見ていられない。いたたまれない。 ■さし過ぐいたり 風流ぶることが、過ぎている。 ■心おかれて 用心されて。 ■今より後は 左馬頭が、源氏の君や頭中将とくらべてかなりの年上であることがわかる。経験者としての立場から訓戒する流れになっている。 ■あえかなる 弱々しい。繊細だ。きゃしゃだ。 ■はべなん はべりなんの略。 ■かたくななる 教養がない、無粋だ、粗野だ。 ■かた笑みて 薄笑いをして。「かた」は不完全な。中途半端な。わずかな。 ■いづかたにつけても 指食いの女と、浮気な女の、どちらの例をとっても。 ■おはさうず 皆で~していらっしゃる。

朗読・解説:左大臣光永

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