【帚木 08】雨夜の品定め(七)頭中将、昔の恋愛話ー常夏の花

原文

中将、「なにがしは、しれ者の物語をせむ」とて、「いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思うたまヘざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶え絶え、忘れぬものに思ひたまへしを、さばかりになれば、うち頼める気色も見えき。頼むにつけては、うらめしと思ることもあらむと、心ながらおぼゆるをりをりもはべりしを、見知らぬやうにて、久しきとだえをもからたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、心苦しかりしかば、頼めわたることなどもありきかし。

親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまも、らうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見たまふるわたりより、情なくうたてあることをなん、さる便りありて、かすめに言はせたりける、後にこそ聞きはべりしか。

さるうき事やあらむとも知らず、心に忘れずながら、消息《せうそこ》などもせで久しくはべりしに、むげに思ひしをれて、心細かりければ、幼き者などもありしに、思ひわづらひて撫子《なでしこ》の花を折りておこせたりし」とて、涙ぐみたり。

「さて、その文の言葉は」と、問ひたまへば、中将「いさや、ことなることもなかりきや、

山がつの垣は荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子《なでしこ》の露

-思ひ出でしままにまかりたりしかば、例の、うらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて、虫の音に競《きほ》へる気色《けしき》、昔物語めきておぼえはべりし。

咲きまじる色はいづれと分かねどもなほとこなつにしくものぞなき

大和撫子をばさしおきて、まづ塵をだになど、親の心をとる。

うち払ふ袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり

と、はかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず、涙を漏らし落しても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむはわりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえおきはべりしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか。

まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらん。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまつはす気色見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなして、長く見るやうもはべりなまし。かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今もえこそ聞きつけはべらね。これこそのたまへるはかなき例《ためし》なめれ。つれなくて、つらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益《やく》なき片思ひなりけり。今やうやう忘れゆく際《きは》に、かれはた、えしも思ひ離れず、をりをり人やりならぬ胸こがるるタ《ゆふべ》もあらむと、おぼえはべり。これなん、えたもつまじく頼もしげなき方なりける。

されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、さしあたりて見んにはわづらはしく、よくせずはあきたきこともありなんや。琴の音すすめけんかどかどしさも、すきたる罪重かるべし。このこころもとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。世の中や、ただかくこそとりどりに、比べ苦しかるべき。このさまざまのよきかぎりをとり具し、難《なん》ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。吉祥天女《きちじやうてんによ》を思ひかけむとすれば、法気《ほふけ》づき、霊《くす》しからむこそ、またわびしかりぬべけれ」とて、みな笑ひぬ。

現代語訳

中将、「私は、おろか者の物語をしましょう」といって、(中将)「たいそう忍んで付き合いはじめた女が、そのままで連れ添っていけそうな様子でしたから、長く付き合っていくものとは全く思いませんでしたが、馴じんでいくにつれて、その女のことを愛しいと思いましので、合間があきつつも女のもとを訪ねて、忘れぬものと思いましたのを、そこまでの仲になると、(女のほうでも私を)頼みにしている様子も見えました。

(かといってあまり本気で)頼みにしては、恨めしいと思うことも出てくるだろうと、我ながら思う折々もございましたのを、女は見知らぬように、長く私が訪れないときも、こんな疎遠な人とも怪しむわけでもなく、ただ朝夕に(従順な妻として)取り繕うような様子に見えて、心苦しかったので、私のことをずっと頼みにしなさいといったことを言うこともありました。

その女は、親もなく、たいそう心細そうで、だからこそこの人こそ生涯の夫であると、事あるごとに思っているさまも、可愛らしかったです。(ところが私は)女がこんなにも大人しいことに気をゆるして、長い間女のもとに行きませんでしたところ、私の妻の近辺から、情けなく嫌なことを、しかるべきつてがあって、それとなくこの女に言わせたと、後に聞きましたのです。

そんないやなことがあろうとも知らず、私は心にこの女を忘れられないまま、手紙なども送らず久しく過ごしておりましたが、女はすっかり気が沈んで、心細かったので、女には幼い子供などもあったので、思いわずらって、撫子の花を折ってよこしてきました」といって、涙ぐんだ。

(源氏)「それで、その手紙の言葉は」とおききになると、(中将)「さあどうでしょうね。別段のこともありませんでしたよ、

山がつの…

(山がつの家の垣根は荒れてしまっても、時々は、撫子の上にあはれの露をかけてください)

このやり取りで思い出したままに女のもとに行ってみますと、いつもの、人を疑うようすもない態度ではありながら、たいそう物思い顔で、荒れた家に露がたくさん降っているのをぼんやりながめて、虫の声と競うように女が泣いているのが、昔物語めいてございました。

(中将)咲きまじる…

(多くの花が咲きまじっているその色はどれがどれとは区別がつかないが、やはり常夏の花…撫子が一番よいな)

大和撫子=幼子のことはさしおいて、まず床に塵すら置かないくらい、今後はあししげく、貴女のもとを訪れますよなどと、親の機嫌をとります。

(女)うち払ふ…

(床の塵をうち払う袖も露だらけで、涙に濡れている常夏の花たる私に、さらに嵐まで吹いてあなたに飽きられる秋にもなってしまいました)

と何でもなさそうに言いつくろって、本当に恨んでいるようすも見えず、涙を濡らし落としても、たいそう恥ずかしがってつつましげにごまかして隠して、私が薄情だと感じていることを見せるのを、むやみに辛いものと感じていましたから、私は安心して、またこの女のもとに通うのがとだえがちになっておりましたところ、この女は、跡形もなく消え失せてしまったのです。

まだ生きているなら、はかない身の上で過ごしていることでしょう。私がこの女を愛しいと思っていた時に、うるさいくらいに慕ってまといつく様子を見せたなら、このようにはかない身の上にはさせませんでしたのに。

長く通わないことはせず、それなりの通い所として、長く付き合っていく方法もございましたでしょうに。

あの撫子…幼子がかわいくございましたので、どうにか尋ねだそうと思いましたが、今もどこにいるか耳にすることができません。

この女こそ、あなた(左馬頭)のおっしゃる、「頼りにならない女」の例のようです。

何でもないふうで、私のことをひどいと思っていたのも私は知らないで、女への愛情が絶えなかったのも、つまらない片思いでしたよ。

今はだんだん忘れつつある時分になって、あの女もまた、私のことを思い切ることができず、時々は誰のせいにもできず胸こがれる夕べもあるだろうと、思います。

これこそ、長続きしない、頼りにならない方の女でした。

であれば、あなた(左馬頭)のおっしゃる口さがない女(指食いの女)も、思い出という面では忘れがたいとしても、面と向かって付き合うには面倒で、悪くすると、ひどく嫌だということもあるでしょう。

琴の音が達者だったという女の才気にしても、浮気者である罪は重いでしょう。私のこの頼りない女も、他に男がいるのではと疑いがつきまとうでしょうから、誰がよいと最終的には決めることができないことは仕方ありません。

男女の仲はただこのようにさまざまに、他人と比べることが難しいのでしょう。これらさまざまのよい面を取り備えて、批判すべきところが混じらない人は、どこにあるのでしょう。

吉祥天女を望みをかけようとすれば、話が仏法くさくなり、人間離れしすぎますので、またそれもわびしいことでしょう」といって、皆笑った。

語句

■心ながら 自分の心でありながら。われながら。 ■思ひたらず 怪しむわけでもなく。 ■もてつけたらむ 「もてつく」は取り繕う。 ■のどけき おとなしい。 ■おだしくて 「おだし」は落ち着いている。安らかである。気をゆるす。 ■この見たまふるわたり 私の妻の所。頭中将の妻は右大臣の四の君。 ■うたてある 「うたりあり」は嘆かわしい、いやな。 ■かすめ言はせたりける それとなく言わせた。このあたり表現が曖昧だが、妻の実家(右大臣家)の者が、頭中将の浮気を知って、この女に付き合いをやめるよう警告したということか? ■幼き者 玉鬘巻以下に登場。 ■いさ さあ、どうだか。感動詞。 ■山がつの… 「山がつ」は木こり。山の仕事にかかわる身分卑しい者。女自身をたとえる。「垣ほ」は垣根。「撫子」は幼児の暗示。 ■うらもなき 人を疑う様子もない。 ■大和撫子 「かわらなでしこ」の異名。常夏の花(撫子)と大和撫子は同じ花だが、文脈上、常夏の花(撫子)を母に、大和撫子を幼子になぞらえる。 ■塵をだに これからは足繁く訪問しますの意。「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわがぬる常夏の花」(古今・夏 凡河内躬恒)。■うち払ふ… 「嵐」は、右大臣家から圧力をかけられている暗示。「彦星のまれに逢ふ夜の常夏はうち払ふ袖も露けかりけり」(後撰・秋上 読人しらず)。 ■世 身の上、運命。 ■まつはす まといつく。 ■されば… 以下、頭中将の言葉ではなく左馬頭の言葉とする説も。また頭中将と左馬頭の言葉をまじえているという説も。 ■飽きたきこと 「飽きいたき」の約。 ■すすめけむ 「すすむ」は優れる。上達する。 ■かどかどしさ 才気。  ■なるぬるこそ 「こそ」の次に「わりなけれ」などが省略されている。 ■くさはひ 物事の原因・材料。 ■吉祥天女 美貌と慈愛を備えた理想の女神。父は帝釈天。母は鬼子母神。毘沙門天の妹という。 ■法気づき 仏法くさくなって。抹香くさくなって。過度に話が仏教的になって人間レベルから離れてしまうこと。 ■霊しからむ 人間離れである。

朗読・解説:左大臣光永

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