【帚木 10】雨夜の品定め(九)左馬頭による総論ー風流ぶらず、でしゃばらない女がよい

「すべて男も女も、わろ者は、わづかに知れる方のことを、残りなく見せ尽くさむと、思へるこそ、いとほしけれ。三史五経道々《みちみち》しき方を明らかに悟り明かさんこそ、愛敬《ああぎやう》なからめ、などかは女といはんからに、世にあることのおほやけわたくしにつけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然《じねん》に多かるべし。さるままには、真名《まむな》を走り書きて、さるまじきどちの女文《ぶみ》に、なかば過ぎて書きすくめたる、あなうたて、この人のたをやかならましかば、と見えたり。心地にはさしも思はざらめど、おのづからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。上臈《じやうらふ》の中にも多かることぞかし。

歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき故事《ふるごと》をもはじめより取りこみつつ、すさまじきをりをり、詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。返しせねば情《なさけ》なし、えせざらむ人ははしたなからん。さるべき節会《せちゑ》など、五月《さつき》の節《せち》に急ぎ参る朝《あした》、何のあやめも思ひしづめられぬに、えならぬ根を引きかけ、九日の宴にまづ難《かた》き詩の心を思ひめぐらし暇《いとま》なきをりに、菊の露をかこち寄せなどやうの、つきなき営みにあはせ、さならでも、おのづから、げに、後に思へば、をかしくもあはれにもあべかりけることの、そのをりにつきなく目にとまらぬなどを、推《お》しはからず詠み出でたる、なかなか心おくれて見ゆ。

よろづの事に、などかは、さても、とおぼゆるをりから、時々思ひ分かぬばかりの心にては、よしばみ情だたざらむなん、めやすかるべき。すべて、心に知れらむことをも知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは過ぐすべくなんあべかりける」と言ふにも、君は人ひとりの御ありさまを、心の中《うち》に思ひつづけたまふ。これに、足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかなと、あり難きにもいとど胸ふたがる。

いづかたに寄りはつともなく、はてはてはあやしき事どもになりて、明かしたまひつ。

現代語訳

(左馬頭)「すべて男も女も、つまらない者は、わずかに知っている方面のことを、残りなく見せ尽くそうと思うのが、気の毒なことです。三史五経といった本格的な学問をはっきり理解し尽くすのは可愛げのないことでしょうが、(だからといって、)どうして女だからといって、世にあることの公私につけて、まったく知らずに、配慮が至らないということがありましょうか。

意識的に習い学ばないとしても、すこしでも才学のある人なら、耳にも目にもとまることは自然に多いでしょう。(ところが)そのように学んだことに任せて、漢字を走り書いて、漢文でやり取りすべきでもない女友達との手紙に、半分以上びっしりと漢字が書いてあるのは、たいそう残念で、この人がおだやかであったら、と思えます。

ご本人はそんな学識ばったつもりはないのでしょうが、自然と、堅苦しい声でよまれるようなことになって、わざとらしいです。身分の高い女の中にも、多いことでしょう。

みずからを歌詠みと思っている人が、そのまま歌にこだわって、興味深い故事をも歌を詠む前から取り込んで、興の乗らない折々に、人に詠みかけるのは、うっとうしいです。

返歌をしなければ情緒知らずのようだし、返歌のできない者はばつの悪い思いをするでしょう。しかるべき節会など、たとえば五月の端午の節会に急ぎ参内した朝、何の分別もなく落ち着いて考えられない時に、見事な菖蒲の根に引きかけて歌を詠みかけたり、九月九日の重陽の節会に、まずは難しい方面の漢詩の心を思い巡らして隙もない時に、菊の露にちなんだ歌を詠みかけるなどといった、その場に似つかわしくない厄介な目にあわせ、むりにその場で歌を詠まずとも、自然と、まったく、後に思えば、面白くも情緒深くもあるだろうことが、その折には似つかわしく、顧みられないことなどを、考えもなく詠み出すのは、かえって気のきかないことに見えます。

万事、「やらないほうがよい」「やったほうがよい」と思われるような場合は、時節のことをわきまえ理解できぬ程度の心では、気取って風流ぶったりしないことが、見苦しくないところでしょう。

すべて、心に知っているようなことも知らない顔でふるまい、言いたいようなことがあっても、一つ二つの事は言わずにやりすごすのがよいのです」と言うが、源氏の君は一人の女性(藤壺宮)のありさまを、心の中に思いつづけなさっている。

左馬頭の判定に照らしても、藤壺宮は、足らないことも、また過ぎたこともなくいらっしゃるなあと、思われるにつけても、たいそう胸がいっぱいになる。

話はどの方面に行き着くともなく、しまいにはけしからぬ話などになって、夜をお明かしになった。

語句

■わろ者 つまらない者。 ■いとほしけれ 気の毒である。 ■三史五経 三史は『史記』『漢書』『後漢書』。五経は『詩経』『礼記』『春秋』『周易』『尚書』。 ■道々しき方 本格的な学問。 ■書きすくむ びっしり書いてある。「すくむ」は威圧感を加える。こわばらせる。 ■読みなされ 「なさる」は意識的に~する。 ■ことさらびたり 殊更びたり。わざとらしい。 ■まつはれ こだわって。とらわれて。 ■ものしきこと 「ものし」は不快だ。うっとうしい。 ■五月の節会 陰暦五月五日の端午の節句。 ■あやめ 「文目(模様)」と「菖蒲」をかける。端午の節句には菖蒲を家の軒端にさす習慣がある。 ■えならぬ 見事な。 ■つきなき 「つきなし」は似つかわしくない。場違いである。 ■などかは、さても 「などかはさあるべき、さてもありなむ(どうしてそのようにするべきか=やらないほうがよい・それはそれよいだろう=やったほうがよい)」の略。 ■よしばみ 気取る。 ■情だたざらむ 「情だつ」は風流ぶる。 ■めやすかるべき 「めやすし」は見苦しくない。

朗読・解説:左大臣光永

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