【帚木 13】源氏、空蝉と契る
君は、とけても寝られたまはず。いたづら臥しと思《おぼ》さるるに御目さめて、この北の障子《そうじ》のあなたに人のけはひするを、こなたやかく言ふ人の隠れたる方ならむ、あはれやと、御心とどめて、やをら起きて立ち聞きたまへば、ありつる子の声にて、「ものけたまはる。いづくにおはしますぞ」と、かれたる声のをかしきにて言へば、「ここにぞ臥したる。客人《まらうと》は寝たまひぬるか。いかに近からむと思ひつるを、されどけ遠かりけり」と言ふ。寝たりける声のしどけなき、いとよく似通ひたれば、妹と聞きたまひつ。「廂《ひさし》にぞ大殿籠《おほとのごも》りぬる。音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる。げにこそめでたかりけれ」と、みそかに言ふ。「昼ならましかば、のぞきて見たてまつりてまし」と、ねぶたげに言ひて、顔ひき入れつる声す。ねたう、心とどめても問ひ聞けかしと、あぢきなく思す。「まろは端《はし》に寝はべらん。あな暗《くら》」とて、灯《ひ》かかげなどすべし。女君はただこの障子口《そうじぐち》筋違《すぢか》ひたるほどにぞ臥したるべき。「中将の君は、いづくにぞ。人げ遠き心地してもの恐ろし」と言ふなれば、長押《なげし》の下《しも》に人々臥して答《いら》へすなり。「下《しも》に湯におりて、ただ今参らむとはべり」と言ふ。
みな静まりたるけはひなれば、掛《か》け金《がね》をこころみに引き開けたまへれば、あなたよりは鎖《さ》さざりけり。几帳を障子口には立てて、灯《ひ》はほの暗きに見たまへば、唐櫃《からびつ》だつ物どもを置きたれば、乱りがはしき中を分け入りたまひて、けはひしつる所に入りたまへれば、ただ独りいとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なる衣おしやるまで、求めつる人と思へり。「中将召しつればなん。人知れぬ思ひのしるしある心地して」とのたまふを、ともかくも思ひ分かれず、物におそはるる心地して、やとおびゆれど、顔に衣《きぬ》のさはりて、音にも立てず。「うちつけに、深からぬ心のほどと見たまふらん、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心の中《うち》も聞こえ知らせむとてなん。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと思ひなしたまへ」と、いとやはらかにのたまひて、鬼神《おにがみ》も荒だつまじきけはひなれば、はしたなく、「ここに人」とも、えののしらず。心地はたわびしく、あるまじきことと思へば、あさましく、「人違《たが》へにこそはべるめれ」と言ふも、息の下なり。消えまどへる気色《けしき》いと心苦しくららたげなれば、をかしと見たまひて、「違《たが》ふべくもあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめいたまふかな。すきがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆベきぞ」とて、いと小さやかなれば、かき抱きて障子《さうじ》のもとに出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。「やや」とのたまふにあやしくて、探り寄りたるにぞ、いみじく匂《にほ》ひ満ちて、顔にもくゆりかかる心地するに、思ひよりぬ。あさましう、こはいかなることぞと、思ひまどはるれど、聞こえん方なし。なみなみの人ならばこそ、荒《あら》らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむはいかがあらん、心も騒ぎて慕ひ来たれど、どうもなくて、奥なる御座《おまし》に入りたまひぬ。障子を引き立てて、「暁に御迎へにものせよ」と、のたまへば、女はこの人の思ふらむことさへ死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いとなやましげなる、いとほしけれど、例のいづこより取ら出《い》たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知るばかり情《なさけ》々しくのたまひ尽くすべかめれど、なほいとあさましきに、「現《うつつ》ともおぼえずこそ。数ならぬ身ながらも、思《おぼ》し下しける御心ばへのほどもいかが浅くは思うたまヘざらむ。いとかやうなる際《きは》は際とこそはべなれ」とて、かくおし立ちたまへるを深く情なくうしと思ひ入りたるさまも、げにいとほしく心恥づかしきけはひなれば、「その際際をまだ知らぬ初事《うひごと》ぞや。なかなかおしなべたるつらに思ひなしたまへるなん、うたてありける。おのづから聞きたまふやうもあらむ。あながちなるすき心はさらにならはぬを。さるべきにや、げにかくあはめられたてまつるもことわりなる心まどひを、みづからもあやしきまでなん」など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき御ありさまの、いよいようちとけきこえんことわびしければ、すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむと思ひて、つれなくのみもてなしたり。人がらのたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地してさすがに折るべくもあらず。
まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、言ふかたなしと思ひて、泣くさまなどいとあはれなり。心苦しくはあれど、見ざらましかばロ惜《くちを》しからましと思す。慰めがたくうしと思へれば、「などかくうとましきものにしも思すべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ。むげに世を思ひ知らぬやうにおぼほれたまふなん、いとつらき」と、恨みられて、「いとかくうき身のほどの定まらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば、あるまじきわが頼みにて、見直したまふ後瀬《のちせ》をも思ひたまヘ慰めましを、いとかう仮なるうき寝のほどを思ひはべるに、たぐひなく思うたまへまどはるるなり。よし、今は見きとなかけそ」とて、思へるさまげにいとことわりなり。おろかならず契り慰めたまること多かるべし。
鳥も鳴きぬ。人々起き出でて、「いといぎたなかりける夜かな」、「御車引き出でよ」など言ふなり。守《かみ》も出で来て、女などの、「御方違へこそ、夜深く急がせたまふべきかは」など言ふもあり。君は、またかやうのついであらむこともいとかたく、さしはへてはいかでか、御文なども通はんことの、いとわりなきを思すに、いと胸いたし。奥の中将も出でて、いと苦しがれば、ゆるしたまひても、また引きとどめたまひつつ、「いかでか聞こゆべき。世に知らぬ御心のつらさもあはれも、浅からぬ世の思ひ出《いで》は、さまざまめづらかなるベき例《ためし》かな」とて、うち泣きたまふ気色、いとなまめきたり。鳥もしばしば鳴くに、心あわたたしくて、
つれなきを恨みもはてぬしののめにとりあへぬまでおどろかすらむ
女、身のありさまを思ふに、いとつきなくまばゆき心地して、めでたき御もてなしも何ともおぼえず、常はいとすくすくしく心づきなしと思ひあなづる伊予の方《かた》のみ思ひやられて、夢にや見ゆらとそら恐ろしくつつきまし。
身のうさを嘆くにあかで明くる夜はとりかさねてぞねもなかれける
ことと明《あか》くなれば、障子口まで送りたまふ。内も外《と》も人騒がしければ、引き立てて別れたまふほど、心細く、隔つる関と見えたり。御直衣《なほし》など着たまひて、南の高欄《こうらん》にしばしうちながめたまふ。西面《おもて》の格子そそき上げて、人々のぞくべかめり。簀子《すのこ》の中のほどに立てたる小障子の上《かみ》よりほのかに見えたまへる御ありさまを、身にしむばかり思へるすき心どもあめり。
月は有明にて光をさまれるものから、影さやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。何心なき空のけしきも、ただ見る人から、艶《えん》にもすごくも見ゆるなりけり。人知れぬ御心には、いと胸いたく、言伝てやらんよすがだになきをと、かへりみがちにて出でたまひぬ。
殿に帰りたまひても、とみにもまどろまれたまはず。また、あひ見るべき方なきを、まして、かの人の思ふらん心の中《うち》いかならむと心苦しく思ひやりたまふ。すぐれたることはなけれど、めやすくもてつけてもありつる中の品《しな》かな、隈《くま》なく見あつめたる人の言ひしことは、げにと思しあはせられけり。
現代語訳
源氏の君は、うちとけて眠ることはおできにならない。むなしい一人寝と思われると御目がさめて、ここの北の襖障子のむこうに人のけはいがするのを、ここが、例の、話に出てきた人が隠れている所だろう、気の毒なことだと、源氏は御心をとどめて、そっと起きて立ち聞かれると、さっきの子供の声で、(子)「もしもし、どちらにいらっしゃいますか」と、かすれた、かわいい声で言えば、(女)「ここに横になっています。客人はお休みになりましたか。どんなに近くにいらっしゃるだろうと思ったのに、けれども遠かったのですね」と言う。
寝ていた声のしどけないのが、あの子とたいそうよく似通っているので、姉だと源氏はお聴きになった。
(子)「廂の間にお休みになりました。噂に聞いた御ありさまを拝見しました。ほんとうに素晴らしかったですよ」と、ひそかに言う。
(女)「もし昼だったら、のぞいて拝見したかったのに」と、ねむたそうに言って、顔を布団の中に引き入れた声をする。
憎いな、もっと気を入れて私のことを質問しろと、源氏はつまらなく思われる。
(子)「私は端に寝ましょう。ああ暗い」といって、灯をかかげなどしているようだ。
女君はただこの襖の入り口のはすむかいあたりに横になっているようだ。
(女)「中将の君は、どこにいますか。人気が遠い感じがして何となく恐ろしい」
と言うらしいので、長押の下に人々が横になって答えをするようだ。
(人々)「下に湯浴みにおりて、ただ今参ろうとしてございます」と言う。
みな寝静まっているけはいなので、源氏が掛け金をためしに引き開けなさると、あちら側からは掛け金をさしていなかった。几帳を襖の入り口に立てて、灯はほんのり暗い、その灯りで御覧になると、唐櫃めいた物をいくつも置いているので、散らかっている中を分け入りなさって、女の気配のする所にお入りになると、女はただ独りたいそうささやかに横になっている。
女はなんとなくうるさがるが、上に着ていた衣を押しのけられるまで、さがしていた女房(中将)と思っていた。
(源氏)「中将をお召になったのでこうして現れたのです。人知れず貴女を思っていましたことのかいがあった気持ちがしまして」とおっしゃるのを、女は何が起こっているのか理解できず、物の怪におそわれた気持ちがして、「いやっ」と言っておびえたが、顔に衣がかぶさって、声にもならない。
(源氏)「出し抜けにこんなことをして、いい加減な気持ちからだと思うでしょう。そう思うのは道理ですが、長年貴女を思ってきた心の中もお知らせ申し上げようとして、参ったのです。ずっと待っていてようやくこんなことになりましたのも、まったく、私の気持ちが浅くはないせいだと、そう思ってみてください」と、たいそう穏やかにおっしゃって、鬼神でさえ乱暴にできそうにない様子なので、女はどうしたらいいか困って、(女)「ここに人が」とも、大声でさわぐことができない。
気持ちはまたわびしく、あってはならないことと思うので、あきれたて、(女)「人違いでございましょう」と言うが、かききえそうな弱々しい声である。
女が消え入ってしまいそうに困惑している様子がたいそう心苦しくかわいらしいので、源氏は、いいなと御覧になって、(源氏)「間違いようもない心の手引きを、心外にも疑われますことですね。好色めいたふるまいは、けしてお目にかけません。私が思うことをすこし申し上げねばなりません」といって、女はたいそう小柄なので、抱き上げて襖の入口のところにお出でになると、さがしていた中将らしい女房が来あわせた。
(源氏)「ややっ」とおっしゃるので、中将が不審がって、探り寄ってみると、たいそう香の薫りが満ちて、顔にもふりかかる心地がするので、(これは源氏の君だと)中将は気づいた。
あきれて、これは何としたことかと、困惑したが、(相手が源氏の君では)申し上げようもない。
並たいていの人ならば、荒々しく引きのけるだろう、それでさえ、多くの人が知るのはどうしたものだろう、中将は心騒ぎながらも後ろからついてきたが、源氏はすまして、奥の御座所にお入りになった。
襖を閉じて、(源氏)「明け方に御迎えにまいれ」とおっしゃると、女は中将の君がどのように思うかと、それさえも死ぬほどつらいので、汗が流れるまでになって、たいそう悩ましげである、源氏はその様子を気の毒ではあるが、いつものように、どこから取り出しなさる言葉なのであろう、相手が心ほだされるほど、情感たっぷりに言葉の限りを尽くされるようだが、それでもやはり呆れたことなので、(女)「現実とも思えません。数ならぬ身ではありますが、あなたが思い下されましたお気持ちのほども、浅いものと思わずにはいられません。このようなひどい真似は、下賤な者のすることでございます」といって、このように無理押しをなさるのを、女が深く情けなく、残念と思い入っている様子も、ほんとうに気の毒で、源氏のほうが恥ずかしくなるほどの様子なので、(源氏)「その、身分相応の恋のやり方をまだ知らない、初心者のやる事なのです。それをなまじ世間並みのありふれた野暮な行いと同列に思われるのが、残念ですよ。私のことは自然に耳に入ることもおありでしょう。無理やりな好色めいた心はまったくこれまで抱いたことはありませんのに。このような事になるのは前世からの宿縁だったのでしょうか、まったく、このように、貴女が疎んじなさるのも道理であるところの私の困惑ぶりを、私自身も不思議と思っているのですよ」など、まじめぶってさまざまにおっしゃるが、源氏の君が、たいそうたぐいもなく美しい御姿であるので、女は、いよいよ、すべてをお許し申し上げることはみじめだったので、強情で気に食わないと思われたとしても、色恋の道においてはわからず屋で通そうと思って、源氏を薄情に扱うことをやめなかった。
女は柔和な人柄の上に、強情な心を無理に加えているので、なよ竹のような弱々しい感じがして、さすがに手折ることはできそうもない。
ほんとうに心苦しくて、源氏の強引な御気持ちを、どう言っても仕方ないと、泣くようすはとても気の毒である。
源氏は心苦しくはあるが、もし女と契らなかったなら、きっと残念だっただろうとお思いになる。慰めがたく悲しく思えたので、(源氏)「どうしてこのように疎ましいものに思うのだろう。思いがけない逢瀬こそ、前世からの約束だったのだとお思いください。まったく色恋のことを知らないように、正気を失ってぼんやりされているのは、とてもつらいです」と、恨み言を言われて、(女)「このようにつらい身のほどの定まらない、娘時代のままの身で、このような御志に預かるのでしたら、ありえない自分勝手な希望ですが、あなたが私を違ったふうに見てくださるような今後の機会を思って慰められるでしょうけど、まったくこんな仮りそめの、一夜限りの逢瀬のありさまを思いますに、たぐいなく思い惑っております。仕方ありません。今は私に逢ったと人に言わないでください」といって、ふさぎ込んでいるさまは、まったく道理である。源氏は、心をこめて将来を約束し、お慰めになることが多いことだろう。
鳥も鳴いた。お供の人々が起きてきて、(供人)「よく寝た夜であったな」(供人)「御車を引き出せ」などと言っているのが聞こえる。
紀伊守も出てきて、女たちが、(女房)「御方違えというものは、こんな夜深くに急いでご出発になるものでしょうか」など言っているのもある。
源氏の君は、またこのような機会のあるだろうこともたいそう難しく、手紙などもやり取りすることは、とても無理であることを思われるに、とても胸が痛かった。
奥の間にいた中将も出てきて、たいそう困惑するので、源氏は一度女の手を放されてから、また引き留められて、(源氏)「どうやってご連絡すればよろしいでしょう。世間に例のない、あなたの御心のつれなさも、私の深い心も、前世からの契りの浅くはない二人の仲の思い出は、さまざまに滅多に無いだろう例ですね」といって、お泣きになる様子は、とても艶っぽい。
鳥もしばしば鳴くので、心せかれて、
(源氏)つれなきを…
(あなたのつれない態度を恨んでも恨み尽くせないうちに夜明けとなりました。どうして鳥は、何をするひまもないくらい、あわただしく目を覚まさせるのでしょうか)
女は、わが身のありさまを思うと、たいそう不相応で恥ずかしい気持ちがして、すばらしい御もてなしも何とも思わず、いつもは無愛想で気に入らないと軽蔑している伊予介の方ばかりが気にかかって、伊予介が自分のことを夢にでも見るのではないかと何となく恐ろしくて気が引ける。
(女)身のうさを…
わが身の不孝を嘆いても嘆き尽くせないうちに夜が明けてしまい、鳥が鳴いて、私はかさねて泣けてくる。
どんどん明るくなってくるので、女を障子口までお送りになる。内も外も人騒がしいので、襖を閉じてお別れになるときには、心細く、「隔つる関」の心持ちと思えた。
御直衣などを着られて、南の手すりにしばらくぼんやりとながめておられた。西面の格子をそそくさと上げて、女房たちがのぞくようだ。
簀子の中のあたりに立てている衝立の上からかすかにお見えになる源氏の御ようすを、身にしみるほどの思いで見ている好色めいた心の女房たちがいるようだ。
月は有明で光が弱くなってきたが、月影ははっきり見えて、かえって情緒深い夜明けである。何心ない空のけしきも、ただ見る人によって、艶っぽくも、殺風景にも見えることよ。
人に知られるわけにいかない源氏の御心には、たいそう胸がいたく、言伝を送るついでさえないのにと、何度も顧みながらご出発された。
左大臣邸にお帰りになっても、すぐにはうとうととお眠りにもならない。ふたたび逢える方法がないのを、まして、あの女が思っているだろう心の中はどうだろうと心苦しく思いやりなさる。
別段すぐれたところはなかったが、いい感じにたしなみを身に着けた、中の品の女であったな、隅々まで女のことを見つくしている人(左馬頭)の言ったことは、なるほど本当であったと源氏はお思い当たられるのだった。
語句
■とけても うちとけても。 ■あはれや 一度は入内の話もあったのに地方官の御妻となっていることが気の毒と見た。 ■ものけたまはる 「もの承る」の略。 ■かれたる声 声変わりのさなかで、声がかすれている。 ■妹 姉妹。年下の妹だけでなく年上の姉のことも妹という。 ■ねたう 憎いな。 ■障子口 襖の入り口。 ■筋違いたるほど はすむかいに。 ■中将の君 空蝉に仕える女房の名。 ■言ふなれば 言うらしいので。「なれば」はそれだから。したがって。 ■長押 簀(す)の子と廂(ひさし)、母屋(もや)と廂の境にある、長い横木。上長押(鴨居)と下長押がある。 ■湯におりて 当時の風呂は湯ぶねにつかるのではなく、板の間でたらいに湯を汲んで、浴びた。 ■掛け金 襖につけた掛け金。鍵の役目になる。内外両側につける。 ■唐櫃 足のついた長櫃。衣類や道具類をおさめる。足は前後に二本ずつ、左右に一本ずつある。 ■なまわづらはし なんとなくうるさい。女はうとうとしている所を源氏にもぐりこまれた状況。 ■中将召しつれば 源氏は近衛中将なので、「私を呼んだか?」というふりで現れたもの。 ■物におそはるる心地 「物」は妖怪や鬼のたぐい。 ■待ち出でたる ずっと待っていて、やっとその結果を得たこと。 ■はしたなく 「はしたなし」はどうしていいか処置にこまる。 ■息の下 かききえそうな弱々しい声の形容。 ■しるべ 手引き。 ■おぼめく 不審に思う。 ■すきがましきさま 好色めいたふるまい。 ■障子 さっき入ってきた襖の入口。 ■引きかなぐらめ 「かなぐる」は「かきなぐる」の約。ひきのける。 ■どうもなくて 動もなくて。落ち着いて。すまして。 ■奥なる御座所 中将の視点からいう。源氏がもといた南の御座所。 ■かやうなる際は際とこそはべれ このような酷い真似は身分の低い者のすることで、貴方のような高貴な方がすることではないとする説のほか諸説。 ■おし立ちたまへる 「押し立つ」は無理押しをする。 ■おしなべたるつら ありふれた世間並みのふるまいと同列と。「つら」は同類。同列。 ■あながちなる むりやりの。 ■さるべきにや このようになることは前世からの宿縁であったのでしょうか。 ■あはめられ 「淡む」は疎んじる。 ■すくよかに 強情で。 ■心づきなし 気にくわない。 ■さる方 色恋の道。 ■言ふかひなき 理屈が通らない。わからず屋。 ■見ざらましかば 源氏が空蝉と契ったことが暗示されている。 ■おぼほれ 「おぼほる」は正気を失ってぼんやりする。 ■うき身 年老いた地方官の後妻という情けない立場。 ■見直したまふ 源氏が私を単に性欲のはけ口としてではなく一人の女として愛してくれることを。 ■後瀬 今後あるかもしれない逢瀬。「若狭なる後瀬の山も逢はん我が思ふ人にけふならずとも」(古今六帖ニ)。 ■よし 「縦し」。仕方がない。不満足だが、これはこれで受け入れよう。どうなろうとも。「よし」といって仮に許すことから。 ■見きとなかけそ 「それをだに思ふこととてわが宿を見きとな言ひそ人の聞かくに」(古今・恋五 読人しらず)。 ■おろかならず 心をこめて。 ■さしはへて わざわざ。 ■わりなき 「わりなし」は道理にあわない。無理である。 ■ゆるしたまひても 「ゆるす」は手を放して自由にす。 ■世に知らぬ 世間に例のない。非常に特異な。 ■とりあえぬ 「何をするひまもない」の「取り」と「鳥」を掛ける。 ■つきなく 「つきなし」は、不相応である。 ■まばゆき 「まばゆし」は恥ずかしい。 ■すくすくしく 「すくすくし」は生真面目で愛想がない。無愛想だ。 ■夢にや見ゆらむ AがBのことを強く思うと、Bの夢の中にAがあらわれると信じられていた。 ■つつまし 慎まし。遠慮される。気が引ける。身が縮むようである。 ■身のうさを… 「飽く」と「明く」を掛ける。 ■どんどん。 ■隔つる関 「彦星に恋はまさりぬ天の川隔つる関を今はやめてよ」(伊勢物語九十五)■そそき上げて そそくさと上げて。 ■小障子 たけの低い衝立。 ■とみに 急には。すぐには。 ■めやすく 見苦しくなく。