【空蝉 02】源氏、空蝉と軒端荻が碁を打つ姿を垣間見

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原文

幼き心地に、いかならんをりと待ちわたるに、紀伊守《きのかみ》国に下りなどして、女どちのどやかなる夕闇の道たどたどしげなるまぎれに、わが車にて率てたてまつる。この子も幼きをいかならむと思せど、さのみもえ思しのどむまじかりければ、さりげなき姿にて、門など鎖《さ》さぬさきにと、急ぎおはす。人見ぬ方より引き入れて、下ろしたてまつる。童《わらわ》なれば、宿直人《とのゐびと》などもことに見入れ追従《ついそう》せず心やすし。

東《ひむがし》の妻戸《つまど》に立てたてまつりて、我は南の隅の間《ま》より、格子《かうし》叩きののしりて入りぬ。御達《ごたち》、「あらはなり」と言ふなり。「なぞ、かう暑きにこの格子は下《お》ろされたる」と問へば、「昼より西の御方《かた》の渡らせたまひて、碁打たせたまふ」と言ふ。さて向ひゐたらむを見ばやと思ひて、やをら歩み出でて、簾《すだれ》のはさまに入りたまひぬ。この入りつる格子はまだ鎖《さ》さねば、隙《ひま》見ゆるに寄りて、西ざまに見通したまへば、この際《きは》に立てたる屏風《びやうぶ》も端《はし》の方《かた》おし畳《たた》まれたるに、紛《まぎ》るべき几帳《きちやう》なども、暑ければにや、うちかけて、いとよく見入れらる。

灯《ひ》近うともしたり。母屋《もや》の中柱《なかばしら》にそばめる人やわが心かくると、まづ目とどめたまへば、濃き綾《あや》の単襲《ひとへがさね》なめり、何にかあらむ上に着て、頭《かしら》つき細《ほそ》やかに小《ちひ》さき人のものげなき姿ぞしたる、顔などは、さし向ひたらむ人などにもわざと見ゆまじうもてなしたり。手つき漫せ痩せにて、いたうひき隠しためり。いま一人は東《ひむがし》向きにて、残る所なく見ゆ。白き羅《うすもの》の単襲《ひとへがさね》、二藍《ふたあゐ》の小袿《こうちき》だつものないがしろに着なして、紅《くれなゐ》の腰ひき結《ゆ》へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげにつぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭《かしら》つき額《ひたひ》つきものあざやかに、まみ、口つきいと愛敬《あいぎやう》づき、はなやかなる容貌《かたち》なり。髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、下《さが》り端《ば》、肩のほどきよげに、すべていとねづけたる所なく、をかしげなる人と見えたり。むべこそ親の世になくは思ふらめと、をかしく見たまふ。心地ぞなほ静かなる気《け》を添へばやと、ふと見ゆる。かどなきにはあるまじ。碁打ちはてて結《けち》さすわたり、心とげに見えてきはきはとさうどけば、奥の人はいと静かにのどめて、「待ちたまへや。そこは持《ぢ》にこそあらめ、このわたりの劫《こふ》をこそ」など言へど、「いで、この度《たび》は負けにけり。隅の所、いでいで」と、指《および》をかがめて、「十《とを》、二十《はた》、三十《みそ》、四十《よそ》」など数ふるさま、伊予の湯桁《ゆげた》もたどたどしかるまじう見ゆ。少し品《しな》おくれたり。

たとしへなく口覆《おほ》ひてさやかにも見せねど、目をしつとつけたまへれば、おのづから側目《そばめ》に見ゆ。目少しはれたる心地して、鼻などもあざやかなる所なうねびれて、にほはしき所も見えず。言ひ立つればわろきによれる容貌《かたち》を、いといたうもてつけて、このまされる人よりは心あらむと目とどめつベきさましたり。

にぎははしう愛敬づきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、笑ひなどそぼるれば、にほひ多く見えて、さる方にいとをかしき人ざまなり。あはつけしとは思《おぼ》しながら、まめならぬ御心はこれもえ思し放つまじかりけり。

見たまふかぎりの人は、うちとけたる世なく、ひきつくろひそばめたる表面《うはべ》をのみこそ見たまへ、かくうちとけたる人のありさまかいま見などはまだしたまはざりつることなれば、何心もなうさやかなるはいとほしながら、久しう見たまはまほしきに、小君出でくる心地すれば、やをら出でたまひぬ。

現代語訳

小君は、幼心に、どういう機会に源氏をお連れしようと待ち続けていたところ、紀伊守が任国に下りなどして、紀伊守邸では女同士がのんびりしている夕闇の、「道たどたどし」と古歌にある、その夕闇の人目にたたぬ頃に、自分の車で源氏の君をお連れする。

源氏の君は、この子も幼いのにどうしたものだろうと思われたが、そうのんびり構えてばかりはいられないので、さりなげない姿で、門の鍵などを閉めてしまう前にと、急いでおいでになる。

小君は、人が見ていない方面から車を紀伊守邸に引き入れて、源氏の君をお下ろしする。童であるので、宿直人なども特に目をかけてへつらったりせず、気が楽だ。

東の妻戸に源氏の君をお立たせして、自分は南の東隅の柱と柱の間から、蔀格子を叩いて、おおさわぎして部屋の中に入った。年配の女房たちが、「外から丸見えになる」と文句を言うようだ。

(小君)「どうして、こんなに暑いのにこの格子は下ろされているのですか」ときくと、(女房たち)「昼から西の対の屋にいらっしゃる御方がお渡りになって、碁をお打ちなのです」と言う。

源氏は、それなら向かいあって座っている姿を見ようと思って、そっと歩みだして、簾のすき間にお入りになる。

さっき小君が入った格子はまだ閉じていないので、隙間が見えるところに寄って、西の方をお見通しになると、格子のそばに立っている屏風も端っこのほうが畳まれていて、身を隠せるような几帳なども、暑いからだろうか、かたびらをまくり上げていて、たいそうよく見通せる。

灯を近くともしている。母屋の中柱に横向きになって座っている人が、わが想い人かと、最初に目をおとめになると、濃い紫の綾の、単衣襲であるようで、何だかわからないがその上に着て、頭の形はほっそりして小柄な女で、みばえがしない姿をしている、顔などは向かい合っている人などにもわざと見えづらいようにしている。

手つきは痩せすぎで、たいそう袖を引き出して腕が見えないよう隠しているらしい。

もう一人は東向きで、残る所なく(顔・姿が)見える。白い薄物の単衣襲に、ニ藍の小袿めいたものをぞんざいに着て、紅の腰のところで袴の紐を結んだ際まで胸をあらはにして、だらしない様子である。たいそう色白で、美しげで、まるまると肥えて、背が高い女で、頭の形、額の形もはっきりして、目つき口つきにたいそう愛嬌があり、きらびやかな容貌である。

髪はたいそうふさふさして、長くはないが、下り端や肩のあたりがきれいで、全体としてひどくひねくれた所がなく、美しい人と見える。

なるほど親が世間にいない娘だと思うだろうと、源氏はおもろしく御覧になる。しかし性格にはやはり静かな気性を加えたいものだと、ふと思われる。

才気がないわけではあるまい。碁を打ち終わってダメ詰めをするあたりは、機敏そうに見えて、てきぱきとはしゃげば、奥の人はとても静かに落ち着いていて、(空蝉)「お待ちなさい。そこは持でないですか。このあたりの劫を先に打ちなさい」など言うが、(軒端荻)「さあね、今回は負けてしまったわ。隅のところを、どれどれ」と、指を折って、「十、二十、三十、四十」と数えるさまは、伊予の温泉の湯桁の数もてきぱきと数えられそうに見える。少し品が落ちる。

一方はこれとまるで比較にならず、口を覆ってはっきりとも見せないが、じっと御覧になると、自然と横顔が見える。まぶたが少し腫れているようで、鼻などもあざやかなところがなく老けたかんじで、美しいところも見えない。

あえて言えば悪い方に傾く容貌だが、たいそうすきのない身だしなみで、この器量のすぐれた人(軒端荻)よりも慎み深いのだろうと、誰もが目をとめるだろう様子をしている。

(一方の娘(軒端荻)は)にぎやかで、愛嬌があり、美人であるが、ますます得意そうにくつろいで、笑いなどしてふざけると、艶っぽく見えて、これはこれで、たいそう興味をそそられる人柄である。

源氏は、軽々しいとは思われながら、一途ではない御心はこっちの女(軒端荻)のことも忘れることがおできにならない。

源氏の君がお逢いになる女たちはすべて、くつろいだ関係ではなく、とりすまして横をむいた、うわべの顔ばかり御覧になって、このようにくつろいだ女のようすをかいま見るなどはまだなさったことがないので、女が何の警戒心もなく顔をはっきり見せているのは気の毒だが、ずっとこのまま御覧になっていたいのだが、小君が出てくる気配がするので、源氏の君はそっと部屋をお出になった。

語句

■国 任国の紀伊国。 ■女どち 女同士。 ■道たどたどし 「夕やみは道たどたどし月待ちて帰れわがせこその間にも見む」(古今六帖一)、「夕闇は路たづたづし月待ちて行かせわが背子その間にも見む」(万葉集 四・709)(夕闇の路は暗くてよく見えないから、月を待ってから出発なさい。わが愛しい人、月を待っている間だけでもあなたと一緒にいたいのです)。 ■思しのどむ 「思いのどむ」の敬語。「のどむ」はのんびりする。静かにする。 ■追従 へつらう。 ■妻戸 両開きの戸。 ■南の隅の間 南面のもっとも東寄りの柱と柱の間。 ■格子叩きののしりて 蔀戸を叩いて開けさせて、大騒ぎして、蔀を乗り越えて部屋の中に入った?騒ぐのはこっちに注意をひきつけて源氏に気づかせないため。 ■御達 年配の女房たち。 ■簾のはさまに このあたり、記述に不審点が多く、さっぱりわからない。源氏がどう移動して部屋に入ったのか、理解不能。おそらく作者もあまり理解していない。寝殿造の図面を頭の中に描きながら、「源氏はここからこう移動した」と、空間的な思考をしていたとは、この文章からはまったくうかがえない。だから深く考えてはいけない。「まあ、なんか、部屋の中に入ったんだな」と、ふわっと、浅く理解するのがよい。 ■うちかけて 几帳のかたびらをまくり上げて。 ■中柱 部屋の中央に立つ柱。 ■そばめる 横向きにいる。 ■濃き綾の 濃い紫の、見事な模様を刺繍した絹布の。 ■単襲 単衣襲。肌の上に着る単衣の衣。 ■頭つき 頭の形。 ■ものげなき みばえがしない。 ■ひき隠しためり 「ひき隠す」は袖をひっぱり出して腕を隠している。 ■東向きにて 源氏は母屋の東側から母屋の中をのぞいているから、東向きの女の顔がはっきりと見える。しかしここに至るまでの具体的な経路、位置関係はこの文章では理解不能。「悪文であることを許しつつ読む」その寛容さが『源氏物語』を読む上でもっとも大切。 ■羅 薄い絹地。 ■ニ藍 紅と藍とで染めた色。 ■小袿 婦人の簡易的な礼服。 ■ばうぞくなる 放俗?だらしないさま。 ■そぞろかなる 背が高い。 ■下り端 前頭部左右の髪の毛を一束ずつ前に垂らしたもの。 ■結さす けちさす。ダメ詰め。ダメは囲碁において黒と白にはされまた、一目にもならないムダな空間。終局前に、白黒の境界線をはっきりするため交互に埋めていく。 ■きはきはと てきぱきと。 ■さうどけば 「さうどく」は騒動く。はしゃぐ。騒ぎ立てる。 ■持 勝敗のない所。セキ。 ■劫 コウ。劫争い。お互いに交互に石を取り、無限に対局が終わらないような形。それでは困るので、特別ルールを定めて無限対局にならないようにしている。 ■たどたどしかるまじう 「たどたどし」はおぼつかない。それを「まじ」で否定している。 ■伊予の湯桁 「伊予の湯」は伊予の道後温泉。「伊予介」からの艶っぽい連想。湯桁は温泉の底に角材を格子状にならべたもの。「伊予の湯の、湯桁はいくつ、いさ知らず、や、かずへずよまず、やれ、そよや、なよや、君ぞ知るらうや」(風俗歌・伊予湯、体源抄・風俗)。 ■たとしへなく 「たとしへなし」は例えようがない。比較しようがない。ここでは軒端荻とくらべて空蝉の品位の高いことを言う。 ■ねびれて 「ねびる」は年寄りくさくなる。老ける。 ■もてつけて 「もてつく」は身につける。身に備える。身だしなみを整える。 ■このまされる人 軒端荻のこと。 ■にぎははしう 「にぎははし」はにぎやかである。活気がある。 ■そぼるれば 「そぼる」はふざける。戯れる。 ■さる方に 気品がないが、そういった愛嬌ある方面に。 ■あはつけし 軽々しい。 ■思し放つ 「思い切る」(忘れる)の敬語。 ■何心もなう 何の警戒心もなく。

朗読・解説:左大臣光永

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