【夕顔 03】夕顔の歌と源氏の返歌

【古典・歴史】メールマガジンはこちら

原文

修法《ずほう》など、またまたはじむべきことなど、おきてのたまはせて、出でたまふとて、惟光に紙燭《しそく》召して、ありつる扇御覧ずれば、もて馴《な》らしたる移り香《が》、いとしみ深うなつかしくて、をかしうすさみ書きたり。

心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花

そこはかとなく書きまぎらはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかにをかしうおぼえたまふ。

惟光に、「この西なる家は何人《なにびと》の住むぞ、問ひ聞きたりや」とのたまへば、例のうるさき御心とは思へどもえさは申さで、「この五六日《いつかむいか》ここにはべれど、病者《ばうざ》のことを思うたまへあつかひはべるほどに、隣のことはえ聞きはべらず」など、はしたなやかに聞こゆれば、「憎しとこそ思ひたれな。されど、この扇の尋ぬべきゆゑありて見ゆるを、なほこのわたりの心知れらん者を召して問へ」とのたまへば、入りて、この宿守《やどもり》なる男《をのこ》を呼びて、問ひ聞く。

「揚名介《やうめいのすけ》なる人の家になんはべりける。男《をとこ》は田舎《ゐなか》にまかりて、妻《め》なん若く事好みて、はらからなど宮仕人《みやづかへびと》にて来《き》通ふ、と申す。くはしきことは、下人《しもびと》のえ知りはべらぬにやあらむ」と、聞こゆ。さらば、その宮仕人ななり。したり顔にもの馴れて言へるかなと、めざましかるべき際にやあらんと、思《おぼ》せと、さして聞こえかかれる心の憎からず、過ぐしがたきぞ、例の、この方《かた》には重からぬ御心なめるかし。御畳紙《たたうがみ》に、いたうあらぬさまに書きかへたまひて、

寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔

ありつる御随身《みずいじん》して遣はす。

まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目《そばめ》を見すぐさでさしおどろかしけるを、答《いら》へたまはでほど経《へ》ければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、「いかに聞こえむ」など、言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて、随身は参りぬ。

御前駆《さき》の松明《まつ》ほのかにて、いと忍びて出でたまふ。半蔀《はじとみ》は下《おろ》してけり。隙々《ひまひま》より見ゆる灯《ひ》の光、螢よりけにほのかにあはれなり。

現代語訳

源氏の君は、尼君に、病気平癒の祈祷などを再開しなさいと言いつけなさって、退出なさるということで、惟光に命じて紙燭をお取り寄せになり、さっきの扇を御覧になると、持ち慣れているゆえの移り香が、たいそう深くしみこんでいて、心ひかれるかんじがして、情緒深く走り書きをしてある。

心あてに…

(当て推量で、源氏の君かと見ます。白露に光をそえている夕顔の花のような、美しい御顔のあの御方を)

なんということもなく書きまぎらわしているのも、上品そうでたしなみありげなので、源氏の君は、たいそう思いのほかに面白く思われる。

惟光に、「この西にある家は何者が住んでいるのだ。聞いてみたことがあるか」とおっしゃると、惟光は、いつものやっかいな御心とは思ったが、そう申すこともできないで、「この五六日はここにございますが、病気の母のことを思いまして看病してございましたので、隣のことは聞いてございません」など、取り付くしまもなく申し上げると、(源氏)「私のこういう性分を憎いと思ってるだろうね。しかし、この扇が尋ねなければならない理由があるように見えるので、やはり、このあたりの勝手知っているような者を召して聞いてくれ」とおっしゃるので、惟光は奥に入って、この留守番である男を呼んで、尋ねきく。

(惟光)「揚名介《ようめいのすけ》である人の家でございました。男は田舎に下って、妻は若く風流なことを好んで、その姉妹などが宮仕人をしていてよく訪ねてくる、と申します。くわしいことは、下々の者の知り及ばないことなのでしょう」と、申し上げる。

であれば、(歌を送ってきたのは)その宮仕人なのだろう。したり顔に馴れたようすで言ったものだと、興ざめするような身分の者であろうとは思われるが、この光源氏に対して歌を詠みかけてきた心は憎くはないので、見過ごしがたいのが、いつもの、女性関係の方面にはじっとしていられない御性質なのだろう。御畳紙に、たいそうご自身の筆跡ではないように書きかえなさって、

(源氏)寄りてこそ…

近寄って確かにその人か確かめてみたらどうですか。たれがれにほのぼのと見る夕顔の花、その花が誰なのか。

さっきの御随身にもたせて遣わす。

まだ見ぬ源氏の君の御姿だが、たいそうはっきりと源氏の君に違いないと推察される御横顔を見過ごさずに、いきなり言葉をおかけしたのだが、お答えにならないまま時間が経ったので、なんとなくばつが悪く思っていたところ、このようにわざわざ返事をくれたので、女たちは調子に乗って、(女房)「なんとお返事申し上げましょう」など、言い合っているようだが、気に食わないと思って、御随身はふたたび源氏の君のもとに参った。

先払いの松明はかすかにして、たいそう忍んでご出発になる。西隣の家の半蔀は下ろしていた。あちこちの隙間から見える灯の光は、螢よりいっそうかすかで、しみじみとあはれ深い。

語句

■修法 病気平癒のための密教の祈祷。 ■紙燭 松の木を削った棒の根本に紙を巻いて持ち、先端を削って油を塗って火をつける。 ■例のうるさき御心 女とみると興味をかきたてずにいられない、源氏の性分。 ■病者 「びょうじゃ」の直音表現。病気の母尼君のこと。 ■憎しとこそ思ひたれな 惟光は源氏の浮気性にいつもつきあわされて呆れており、源氏は惟光が呆れていることを理解しているが浮気性はやめられない。源氏と惟光の微笑ましい関係がうかがえる。 ■宿守 留守番。 ■揚名介 政務もとらず俸禄もない名誉職。国司の介(すけ・ニ等官)以下に多い。その地位は希望者に売られ、貴族の収入源となった。 ■ななり 「なるなり」の音便「なんなり」→「ななり」。 ■したり顔 やってやったぞという得意そうな顔。 ■めざましかるべき 興ざめしそうな。 ■さして これとはっきり指して。 ■この方 女性関係の方面。 ■見め 「こそ…め」で、「…してみるがいい」。 ■思ひあてられたまへる 「思ひあてる」は推察する。 ■わほざとめかしければ 「わざとめかす」はわざわざ返事をくれる。 ■言ひしろふ 言い合う。 ■めざまし 気に食わない。

朗読・解説:左大臣光永

【古典・歴史】メールマガジンはこちら