【夕顔 07】源氏、六条の御方を訪ねる、源氏と中将の歌の贈答

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原文

秋にもなりぬ。人やりならず、心づくしに思し乱るる事どもありて、大殿《おほとの》には、絶え間おきつつ、うらめしくのみ思ひきこえたまへり。

六条わたりにも、とけがたかりし御気色《けしき》を、おもむけきこえたまひて後、ひき返しなのめならんはいとほしかし。されど、よそなりし御心まどひのやうに、あながちなることはなきも、いかなることにかと見えたり。女は、いとものをあまりなるまで思ししめたる御心ざまにて、齢《よはひ》のほども似げなく、人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜離《よが》れの寝覚め寝覚め、思ししをるること、いとさまざまなり。

霧のいと深き朝《あした》、いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色にうち嘆きつつ出でたまふを、中将のおもと、御格子《みかうし》一間《ひとま》上げて、見たてまつり送りたまへとおぼしく、御几帳《きちやう》ひきやりたれば、御髪《みぐし》もたげて見出だしたまへり。前栽《せんざい》の色色乱れたるを、過ぎがてにやすらひたまへるさま、げにたぐひなし。廊の方《かた》へおはするに、中将の君、御供に参る。紫苑色《しをんいろ》のをりにあひたる、羅《うすもの》の裳《も》あざやかにひき結ひたる腰つき、たをやかになまめきたり。見返りたまひて、隅の間の高欄《かうらん》に、しばしひき据《す》ゑたまへり。うちとけたらぬもてなし、髪の下《さが》り端《ば》、めざましくもと見たまふ。

「咲く花にうつるてふ名はつつめども折らで過ぎうきけさの朝顔

いかがすべき」とて、手をとらへたまへれば、いと馴れて、とく、

朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて花に心をとめぬとぞ見る。

と、公事《おほやけごと》にぞ聞こえなす。

をかしげなる侍童《さぶらひわらは》の姿好ましう、ことさらめきたる指貫《さしぬき》の裾露けげに、花の中にまじりて、朝顔折りてまゐるほどなど、絵に描《か》かまほしげなり。

おほかたにうち見たてまつる人だに、心とめたてまつらぬはなし。ものの情《なさけ》知らぬ山がつも、花の蔭《かげ》にはなほ休らはまほしきにや、この御光を見たてまつるあたりは、ほどほどにつけて、わがかなしと思ふむすめを仕うまつらせばやと願ひ、もしは口惜しからずと思ふ妹など持《も》たる人は、いやしきにても、なほこの御あたりにさぶらはせんと思ひよらぬはなかりけり。まして、さりぬべきついでの御言の葉も、なつかしき御気色《みけしき》を見たてまつる人の、すこしものの心思ひ知るは、いかがはおろかに思ひきこえん。明け暮れうちとけてしもおはせぬを、心もとなきことに思ふべかめり。

現代語訳

秋にもなった。源氏の君は、ご自分から出たことで、もの思いの限りをつくして思い乱れなさるさまざまの事があって、左大臣邸では、お越しにならないことが多いので、ただ恨めしく思い申し上げていた。

六条の御方に関しても、なかなか源氏の君のお誘いに乗らなかった六条の御方のお気持ちを、やっと源氏の君の意のままに、従わせ申し上げなさってからは、以前とはうって変わって、ありふれた熱心さになるのは、六条の御方が不憫なことだ。

しかし、他人であった時の御心惑いのように、熱心になることはないのは、どうしたことかと思われる。

この女性(六条の御方)は、物事をひどくとことんまで思いつめるご気質で、源氏の君は、年齢のほども自分とは似つかわしくないし、世間の人が漏れ聞いたら、さぞ陰口を言うだろうと、たいそうこのようにお通いのないお辛い夜の、寝覚め寝覚めに、さまざまの物思いに沈んでおられる。

霧のとても深い朝、源氏の君は、六条の御方に、たいそう急かされなさって、眠そうなご様子で嘆きつつお発ちになるのを、中将のおもと(六条の御方に仕える女房)が、御格子を一間だけ上げて、お見送りなさってくださいというつもりらしく、御几帳をひきめくったので、六条の御方は、頭をもたげて外を御覧になる。

植え込みがさまざまな色に乱れているのを、立ち去りがたいようすで、源氏の君がたたずんでいらっしゃるご様子は、まったく他に例がないほどすばらしい。

源氏の君が廊の方にいらっしゃると、中将の君は、御供に参る。中将の君は、紫苑色の、季節にあった、薄絹の裳をあざやかにひき結んでいる腰つきは、たをやかで優美である。

源氏の君は見返りなさって、隅の柱と柱の間の高欄に、しばらく中将の君を引き寄せて、お座らせになった。

中将の君の隙のないもてなしぶりも、髪の下り端も、目をみはるほど美しいと、源氏の君は御覧になる。

(源氏)「咲く花に…

(咲く花のように美しい貴女に私が浮気しているという世間の評判は気兼ねしているが、今朝の朝顔を手折らずに、あなたと契ることもなく立ち去るのは、残念です)

どうしたものでしょうか」といって、源氏の君が中将の君の手をおとりになると、中将の君はとても馴れていて、すぐに、

(中将)朝霧の…

(朝霧が晴れる間も待たないご様子でご出発される、あなた様は花にお心をとめてはおられないようにお見受けします)

と、中将は、主人(六条の御方)に送られた歌として申し上げる。

美しい小姓が、感じのいい姿で、特別に仕立てたらしい指貫の裾を露に濡らして、花の中にまじって、朝顔を折って、源氏の君にさしあげるところなどは、絵に描きたくなるほどすばらしい。

特別な関係ではなく通りいっぺんに源氏の君を御覧になる人でさえ、心をとめ申さないことはない。ものの情を知らぬ山暮らしの者も、花の蔭にはやはり休みたくというわけだろうか、源氏の君の御光を拝見する人々は、それぞれの身分に応じて、自分が可愛いと思う娘をお仕えさせたいものと願い、あるいは悪くないと思う妹などを持つ人は、たとえ卑しい地位でも、やはりこの方のおそばにお仕えさせたいという思いにならない者はなかった。

まして、しかるべき折の御言葉も、親しいご様子を拝見する人で、すこしでも物の心をわかっている人は、どうしておろそかに存じ上げようか。

中将の君は、源氏の君が明け暮れ気軽に六条邸にお通いになられないことを、じれったく思っているようだ。

語句

■人やりならず 他人のせいにできない。自分から出たこと。■大殿 左大臣邸。源氏の妻(葵の上)の実家。 ■とけがたかりし なかなか源氏の求めに応じなかったこと。 ■おもむけ 「面向ける」は従わせる。なびかせる。源氏が六条御息所をくどき落としたこと。 ■ひき返し 以前とは態度を変えて。 ■なのめならん 「並め」はありふれたさま。平凡なさま。 ■よそなりし 他人であった時のように。 ■いかなることにかと見えたり 作者の、源氏の君に対する感想。 ■齢のほど この時、源氏17歳。六条御息所24歳。 ■そそのかされたまひて 「そそのかす」は急き立てる。朝が来たのでもう帰ってと、六条の御方が源氏を急き立てるのである。 ■中将のおもと 御息所つきの女房。空蝉にも中将という女房がいたし、頭中将も中将と表記される。どの中将なのか、把握しながら読む。 ■御髪 髪の毛から転じて頭部。 ■廊 渡り廊下。 ■紫苑色 かさねの色目。表は蘇芳、裏は萌黄のほか諸説。 ■隅の間 寝殿の隅の一間。間は柱と柱の間。 ■高欄 簀子の外側の欄干。手すり。 ■しばしひき寄せ… 源氏は、六条の御方だけでなく、六条の御方に仕える中将にも色目を使っているさまがそれとなく描かれている。 ■うちとけたらぬ すきのない。 ■髪の下り端 前頭部から耳の両側に垂れた髪の毛の束を胸のあたりで切りそろえたもの。 ■咲く花に… 「うつる」は容貌が衰えると、気が移るをかける。「朝顔」に朝顔の花と、中将の朝の顔をかける。「つつむ」は気兼ねをする。はばかる。 ■朝霧の… 源氏が中将の君を「花」にたとえたのを受けて、やはり「花」で答えた。しかし自分に送られた歌ではなく、主人の六条御息所に対しての歌として答えた。源氏の君の戯れを相手にせず、主人への不義理にならないように咄嗟に切り返した中将の機転がすばらしい。 ■侍童 おそばに仕える少年の召使。 ■ことさらめきたる 特別につくったらしい。 ■指貫 袴の足首のところを紐でくくったもの。 ■露けげ 露に濡れて。 ■おほかたに ふつうに、通りいっぺんに。特別な関係ではなく。 ■山がつ 山暮らしの者。木こりなど。身分いやしい山住まいの者。 ■心もとなきこと 「心もとなし」はじれったい。

朗読・解説:左大臣光永

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