【夕顔 08】惟光、夕顔の家に潜入し源氏に報告

原文

まことや、かの惟光《これみつ》が預りのいま見はいとよく案内《あない》見取りて申す。「その人とはさらにえ思ひえはべらず。人にいみじく隠れ忍ぶる気色になむ見えはべるを、つれづれなるままに、南の半蔀《はじとみ》ある長屋に渡り来つつ、車の音すれば、若き者どもののぞきなどすべかめるに、この主《しゅう》とおぼしきも這ひ渡る時はベべかめる。容貌《かたち》なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。一日《ひとひ》、前駆《さき》追ひて渡る車のはべりしを、のぞきて、童《わらわ》べの急ぎて、『右近の君こそ、まづ物見たまへ。中将殿こそこれより渡りたまひぬれ』と言へば、またよろしき大人《おとな》出で来て、右近『あなかま』と、手かくものから、右近『いかでさは知るぞ。いで見む』とて這ひ渡る。打橋《うちはし》だつものを道にてなむ通ひはべる。急ぎ来るものは、衣《きぬ》の裾を物にひきかけて、よろぼひ倒《たふ》れて、橋よりも落ちぬべければ、『いで、この葛城《かづらき》の神こそ、さがしうしおきたれ』と、むつかりて、物のぞきの心もさめぬめりき。『君は御直衣《なほし》姿にて、御随身《みずいじん》どももありし。なにがし、くれがし』と数へしは、頭中将の随身、その小舎人童《こどねりわらわ》をなん、しるしに言ひはべりし」など、聞こゆれば、「たしかにその車をぞ見まし」と、のたまひて、もしかのあはれに忘れざりし人にや、と思ほしよるも、いと知らまほしげなる御気色《みけしき》を見て、「私の懸想《けそう》もいとよくしおきて、案内《あない》も残る所なく見たまへおきながら、ただ我《われ》どちと知らせて、ものなど言ふ若きおもとのはべるを、そらおぼれしてなむ、隠れまかり歩《あり》く。いとよく隠したりと思ひて、小さき子どもなどのはべるが、言《こと》あやまりしつべきも、言ひ紛らはして、また人なきさまを強ひて作りはべり」など、語りて笑ふ。「尼君のとぶらひにものせんついでに、かいま見せさせよ」と、のたまひけり。かりにても、宿れる住まひのほどを思ふに、これこそ、かの人の定め侮《あなづ》りし下の品ならめ、その中に思ひの外《ほか》にをかしき事もあらばなど、思すなりけり。

惟光、いささかのことも御心に違《たが》はじと思ふに、おのれも、隈なきすき心にて、いみじくたばかりまどひ歩きつつ、しひておはしまさせそめてけり。このほどの事くだくだしければ、例のもらしつ。

現代語訳

ああそうそう、あの惟光が担当ののぞき見の件は、惟光は、たいそうよく様子を探り出して、源氏の君に申し上げる。

「どこの誰とはまったくわかりません。人にたいそう隠れ忍んでいる様子に見えますのを、所在のないままに、南の半蔀のある長屋にやって来ては、車の音がすると、若い女たちがのぞきなどするようですが、ここの主人と思われる女もこっそりやってくる時がございますようです。顔だちは、はっきりは見えませんが、たいそう可愛らしいようでございます。ある日、先払いをさせてやってきた車がございました。それをのぞいて、女の子がいそいで、(女童)『右近の君、早く御覧なさい。中将殿がここを通って往かれます』と言えば、もう一人けっこうな年配の女房が奥から出てきて、(右近)『ああやかましい』と手をふってたしなめるが、(右近)『どうしてそれがわかるのか。さあ見てみよう』といってこっそりやってきます。打橋めいたものを道にして行き来してございます。急いで来るものですから、さあ衣の裾をなにかに引っかけて、よろよろと倒れて、橋から落ちそうなので、(右近)『さあ、この葛城の神は、危険な橋の造り方をされますな』と、怒って、のぞきの興味も冷めたようでした。(女童)『君は御直衣姿で、御随身どももいました。誰さんに、彼さんに…』と数えたのは、頭中将の随身、その小舎人童を、ちゃんとみたという証拠に言うのでございます」など申し上げると、(源氏)「しっかりその車を見届けたらよかったのに」とおっしゃって、もしかして、あの頭中将が不憫に思って忘れられない女だろうか、と考えつかれるにつけても、源氏の君は、たいそうお知りになりたそうなご様子である。

そのご様子をみて惟光が、(惟光)「私自身の懸想もとてもうまくしておいて、家の事情も残る所なく調べておいたのですが、私にはただ対等な女房仲間同士と思わせて、ものなど言う若い女房がございますのを、私はそらとぼけて、隠れて通っていきます。女房たちはたいそううまく隠したつもりで、小さい子供などがございますが、言い間違いそうなときも、言い紛らわして、自分たちの他に敬うべき主人などいない様子を無理に作ってございます」など、笑って語る。

(源氏)「尼君のお見舞いをするついでに、私にものぞき見をさせよ」と、源氏の君がおっしゃった。

一時的なこととはいえ、宿っている住まいのようすを思うと、これこそ、あの頭中将が定めて侮った、下流というべきだろう。

しかしその中に、思いの外におもしろい事もあるかもしれないなど、源氏の君は思われるのであった。

惟光は、ささいなことも源氏の君の御心にそむくまいと思っている上、自分自身も、すみずみまでの好色な心で、たいそう知恵をしぼって、うろつきまわる一方、強引に源氏の君がここに通い始めなさるように取り計らった。

このあたりの事情はぐだぐだしているから、例によって、書き漏らすことにする。

語句

■まことや ふと思い出したように言う言い方。話を仕切り直すときの話法。 ■這ひ渡る 「這ひ」はこっそりと。 ■はべかめる 「はべるべかめる」の音便「はべんべかめる」の「ん」を省略した形。 ■右近の君 女主人=夕顔に仕える女房。 ■中将殿 頭中将。夕顔のもとに通っている。 ■これより ここを通って。 ■あなかま 「あな、かまし」(ああ、やかましい)の略。 ■手かく 物をかくような手振りをして、制止する。 ■打橋 板を渡しただけの簡易的な橋。 ■ものは …したところ、さあ。大失敗をしたことを言う慣用表現。 ■葛木の神 大和国葛城山の一言主神が、役行者に命じられて金峰山と葛城山の間の間に橋をかけた。その時、一言主神は自分の顔が醜いことを恥じて夜の間だけ働いたという。 ■さがしう 「さがし」は「険し」。危険である。 ■むつかりて 「むつかる」は怒る。 ■あはれに忘れざりし人 雨夜の品定で頭中将が「常夏の女」として話していた女(【帚木 08】)。 ■私の懸想 惟光は、夕顔の家のようすをさぐるため、夕顔付きの女房の一人に通っているもよう。 ■我どちと知らせて 仲間と思わせて。 ■そらおぼれして そらとぼけて。夕顔はほかの女房たちとは別格の主人であり、この家に隠れている。しかし女房たちは対等の女房どうしのようにふるまって、夕顔の正体が外に漏れないようにしている。惟光はそれ気づいているが、気づいていないふりをする。情報をさぐり、源氏に報告するために。 ■言あやまりしつべきも 夕顔の正体を隠してかくまっていることを忘れて、子供がつい夕顔に対して敬語を使いなどしそうになることをさす。

朗読・解説:左大臣光永

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