【夕顔 12】物の怪、夕顔を取り殺す

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原文

宵《よひ》過ぐるほど、すこし寝入りたまへるに、御枕上《まくらがみ》にいとをかしげなる女ゐて、「おのが、いとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思《おも》ほさで、かくことなることなき人を率《ゐ》ておはして、時めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとすと見たまふ。物に襲はるる心地して、おどろきたまへれば、灯《ひ》も消えにけり。うたて思さるれば、太刀《たち》を引き抜きて、うち置きたまひて、右近を起こしたまふ。これも恐ろしと思ひたるさまにて参り寄れり。「渡殿《わたどの》なる宿直人《とのゐびと》起こして、紙燭《しそく》さして参れと言へ」と、のたまへば、右近「いかでかまからん、暗うて」と言へば、「あな若々し」と、うち笑ひたまひて、手を叩きたまへば、山彦《やまびこ》の答ふる声いとうとまし。人え聞きつけで、参らぬに、この女君いみじくわななきまどひて、いかさまにせむと思へり。汗もしとどになりて、我かの気色《けしき》なり。「物怖《お》ぢをなんわりなくせさせたまふ本性にて、いかに思さるるにか」と、右近も聞こゆ。いとか弱くて、昼も空をのみ見つるものを、いとほしと思して、「我人を起こさむ、手叩けば山彦の答ふる、いとうるさし。ここに、しばし、近く」とて、右近を引き寄せたまひて、西の妻戸に出でて、戸を押し開けたまへれば、渡殿の灯《ひ》も消えにけり。風すこしうち吹きたるに、人は少なくて、さぶらふかぎりみな寝たり。この院の預りの子、睦《むつ》ましく使ひたまふ若き男《をのこ》、また上童《うへわらは》ひとり、例の随身ばかりぞありける。召せば、御答《こたへ》して起きたれば、「紙燭《しそく》さして参れ。随身も弦打《つるうち》して、絶えず声《こわ》づくれ、と仰せよ。人離れたる所に心とけて寝《い》ぬるものか。惟光朝臣《これみつのあそん》の来たりつらんは」と、問はせたまへば、「さぶらひつれど仰せ言もなし、暁に御迎へに参るべきよし申してなん、まかではべりぬる」と聞こゆ。このかう申す者は、滝口なりければ、弓弦《ゆづる》いとつきづきしくうち鳴らして、「火危《あやふ》し」と言ふ言ふ、預りが曹司《ざうし》の方に去ぬなり。内裏を思しやりて、名対面《なだいめん》は過ぎぬらん、滝口の宿直奏《とのゐまうし》今こそ、と推しはかりたまふは、まだいたう更けぬにこそは。

帰り入りて探りたまへば、女君はさながら臥して、右近はかたはらにうつ伏し臥したり。「こはなぞ、あなもの狂ほしの物怖《お》ぢや。荒れたる所は、狐などやうのものの、人をおびやかさんとて、け恐ろしう思はするならん。まろあれば、さやらのものにはおどされじ」とて、引き起こしたまふ。「いとうたて、乱り心地のあしうはべれば、うつ伏し臥してはベるや。御前にこそわりなく思さるらめ」と言へば、「そよ、などかうは」とて、かい探りたまふに、息もせず。引き動かしたまへど、なよなよとして、我にもあらぬさまなれば、いといたく若びたる人にて、物にけどられぬるなめりと、せむかたなき心地したまふ。紙燭持て参れり。右近も動くべきさまにもあらねば、近き御几帳を引き寄せて、「なほ持《も》て参れ」と、のたまふ。例ならぬことにて、御前近くもえ参らぬつつましさに、長押《なげし》にもえのぼらず。「なほ持て来《こ》や。所に従ひてこそ」とて、召し寄せて、見たまへば、ただこの枕上に夢に見えつる容貌《かたち》したる女、面影に見えて、ふと消え失せぬ。昔の物語などにこそかかる事は聞け、といとめづらかにむくつけけれど、まづこの人いかになりぬるぞと思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず、添ひ臥して、ややとおどろかしたまへど、ただ冷えに冷え入りて、息はとく絶えはてにけり。言はむ方なし。頼もしくいかにと言ひふれたまふべき人もなし、法師などをこそはかかる方の頼もしきものには思すべけれど。さこそ強がりたまへど、若き御心にて、言ふかひなくなりぬるを見たまふに、やるかたなくて、つと抱《いだ》きて、「あが君、生き出でたまへ、いといみじき目な見せたまひそ」とのたまへど、冷え入りにたれば、けはひものうとくなりゆく。右近は、ただあなむつかしと思ひける心地みなさめて、泣きまどふさまいといみじ。南殿《なんでん》の鬼のなにがしの大臣《おとど》おびやかしけるたとひを思し出でて、心強く、「さりともいたづらになりはてたまはじ。夜の声はおどろおどろし。あなかま」と諫めたまひて、いとあわたたしきにあきれたる心地したまふ。

この男を召して、「ここに、いとあやしう、物に襲はれたる人のなやましげなるを、ただ今惟光朝臣《これみつのあそむ》の宿る所にまかりて、急ぎ参るべきよし言へと仰せよ。なにがし阿闍梨《あざり》そこにものするほどならば、ここに来《く》べきよし忍びて言へ。かの尼君などの聞かむに、おどろおどろしく言ふな、かかる歩きゆるさぬ人なり」など、もののたまふやうなれど、胸塞《ふたが》りて、この人を空しくしなしてんことのいみじく思さるるに添へて、おほかたのむくむくしさ譬《たと》へん方なし。夜半《よなか》も過ぎにけんかし、風のやや荒々しう吹きたるは。まして松の響き木深く聞こえて、気色ある鳥のから声に鳴きたるも、梟《ふくろふ》はこれにやとおぼゆ。うち思ひめぐらすに、こなたかなたけ遠くうとましきに、人声はせず、などてかくはかなき宿《やどり》は取りつるぞと、くやしさもやらん方なし。右近はものもおぼえず、君につと添ひたてまつりて、わななき死ぬべし。またこれもいかならんと心そらにてとらへたまへり。我ひとりさかしき人にて、思しやる方ぞなきや。灯はほのかにまたたきて、母屋《もや》の際《きは》に立てたる屏風の上《かみ》、ここかしこのくまぐましくおぼえたまふに、物の、足音ひしひしと踏みならしつつ、背後《うしろ》より寄り来る心地す。惟光とく参らなんと思す。あり処《か》定めぬ者にて、ここかしこ尋ねけるほどに、夜の明くるほどの久しさ、千夜《ちよ》を過ぐさむ心地したまふ。

からうじて鳥の声はるかに聞こゆるに、「命をかけて、何の契りにかかる目を見るらむ。わが心ながら、かかる筋におほけなくあるまじき心のむくいに、かく来《き》し方《かた》行く先の例《ためし》となりぬべきことはあるなめり。忍ぶとも世にあること隠れなくて、内裏に聞こしめさむをはじめて、人の思ひ言はんこと、よからぬ童《わらは》べのロずさびになるべきなめり。ありありて、をこがましき名をとるべきかな」と思しめぐらす。

現代語訳

宵過ぎる頃、源氏の君はすこし寝入られたところ、御枕ちかくにたいそう美しい女が座っていて、「私が、とても愛しいと拝見していたのを、ご訪問しようとも思われずに、このような別段のこともない女をつれていらして、ご寵愛になるのは、ひどく目障りでつらいことですよ」といって、おそばの人(夕顔)を引き起こそうとするという夢を、源氏の君は御覧になった。

物の怪に襲われる心地がして、お目覚めになると、灯も消えてしまっていた。気味が悪く思われるので、太刀を引き抜いて、おそばに置かれて、右近をお起こしになる。

右近も恐ろしいと思っているようすで参って源氏の君のおそばに寄った。

(源氏)「渡殿のところにいる宿直の者を起こして、紙燭さして参れと言え」とおっしゃると、(右近)「どうして参りましょう。暗いので」と言えば、(源氏)「なんと子供じみたことを」と、お笑いになって、手を叩かれると、こだまの返ってくる音がたいそう不気味である。

だれも聞きつけないで、参上しないことに、この女君(夕顔)はたいそうわなわなと震え戸惑って、どのようにしたらいいのかと思った。

汗もぐっしょりになって、我も人もわからないほど混乱している様子である。

(右近)「姫君(夕顔)は、むやみに物を怖がりなさるご性分で、どんなふうに思われていることか」と、右近も申し上げる。

とても弱々しくて、昼も空ばかりを見ていたので、源氏の君はこの女(夕顔)のことを可哀相に思われて、(源氏)「私は人を起こそう。手を叩けばこだまが返ってくるのは、とてもうるさかい。ここに、しばらく、近くに寄れ」といって、右近をお引き寄せなさって、西の妻戸に出て、戸を押し開けなさると、渡殿の灯も消えてしまっていた。

風がすこし吹いた上に、人気も少なく、お供の人々はみな寝ている。

この院の留守役の子と、源氏の君が親しくお使いになっている若い男と、ほかには殿上童ひとりと、いつもの随身だけがいた。

源氏の君がお召しになると、留守役の子が御答えして起きてきたので、(源氏)「紙燭さして参れ。随身も弦打ちして、絶えず声をあげろ、と命じよ。人気のない所で、気を許して寝込んでいいと思っているのか。惟光朝臣が来ていたがどうしたのか」とおききになると、(留守訳の子)「控えてございましたが、仰せ言もないので、明け方にお迎えに参るだろうということを申して、退出いたしました」と申し上げる。

このこう申し上げる者は、滝口の武士だから、弓弦をたいそうそれにふさわしく鳴らして、「火の用心」と言い言いして、留守訳の部屋の方に去っていくようだ。

源氏の君は宮中を思いやられて、名対面は過ぎただろう、滝口の宿直奏は今だろうと推量なさるのは、まだそれほど夜が深くないのに違いない。

部屋にもどってお探りになると、女君(夕顔)はそのまま横になっており、右近はそばにうつ伏せに横になっている。

(源氏)「これはなんだ。ああ物狂ほしい怖がりようではないか。荒れた場所には、狐などのようなものが、人をおびやかそうとして、なんとなく恐ろしく思わせるのだろう。私がいれば、そのように物には脅されないぞ」といって、右近を引き起こしなさる。

(右近)「たいそうひどく気分が悪いので、うつ伏せに横になっているのでございます。姫君(夕顔)こそむしょうに恐ろしいと思ってございますでしょう」と言えば、「そうだ。どうしてこんなに」といって、お探りになると、息もしていない。

源氏の君は女(夕顔)を引き動かされたが、なよなよとして、意識もないようすなので、たいそう子供じみた人なので、物の怪に正気を奪われたのであろうと、どうしようもないお気持ちになられる。

滝口が紙燭を持って参った。右近も動くようなようすもないので、源氏の君は、近くの御几帳を引き寄せて、「もっと近くに持ってこい」とおっしゃる。

主人の逢引の現場まで従者がよばれるなど、異例のことであって、おそば近くにも参上できない遠慮のため、滝口は、長押にのぼることもできない。

「もっと近くに持ってこい。遠慮も場所によりけりだ」といって召し寄せて、御覧になると、ただこの枕近くに夢に見えたのと同じ姿をした女が、幻に見えて、ふっと消え失せた。

昔の物語などにこそこのようなことは聞くが、とたいそうめずらしく気味が悪いが、まっさきにこの女(夕顔)がどうなったかと思われる心騒ぎに、ご自身の安全もお考えにならず、添い寝して、「これこれ」とお起こしになるが、ただ冷えに冷え入って、息はもう絶えてしまっていた。なんとも言いようがない。

源氏の君は、このような時、頼みにして、どうすればいいかと相談なされるような人もない。法師などをこそ、このような方面の頼もしいものとは思われだろうが。

あれほど強がりなさっているが、お若い御心に、女が手遅れになったのを御覧になるにつけて、何ともしようがなく、つい抱きしめて、「私の愛しい人。生き返ってください。私にひどく辛い目をお見せにならないでください」とおっしゃるが、冷え入っているので、人間としての感じがなくなってゆく。

右近は、ただああ恐ろしいと思っていた気持ちがみな覚めて、泣きまどうさまは、とてもひどい。源氏の君は、南殿(紫宸殿)の鬼がなんとか大臣をおびやかした例を例を思い出されて、心強く、(源氏)「いくらなんでも死んでしまわれることはないだろう。夜に声を出しておおげさだ。ああうるさい」と、源氏の君は右近をお諌めになって、たいそうあわただしくあきれたお気持ちをされる。

さっきの男(滝口)を召して、(源氏)「ここに、たいそう不思議なことに、物の怪に襲われた人が苦しそうにしているので、今すぐ惟光朝臣の泊まっている所に行って、急いで参れということを随身に申し付けよ。惟光の兄のなにがし阿闍梨がその時そこに居合わせるのであれば、ここに来るように、こっそり言え。あの尼君などの耳に入るので、おおげさに言うな。このような忍び歩きを許さない人だから」など、ものをおっしゃるようだが、胸がつまって、この女を死なせてしまうことのたまらなく思われるのに加えて、あたり一帯の不気味さは、たとえようもない。

夜半も過ぎたのだろうか、風のやや激しく吹いているのは。加えて松の梢の響きが木が深く茂っているかんじに聞こえて、奇妙な鳥がしわがれ声で鳴いているのも、梟というのはこれだろうかと思われる。

あれこれ考えてみると、こちらでもあちらでも人気は遠く、薄気味悪い上、人の声はせず、どうしてこのような見すぼらしい宿を取ったのだと、悔やまれても、どうしようもない。

右近は正気でなく、源氏の君にぴったりと寄り添い申し上げて、わなわなと震えて死んでしまいそうだ。

源氏の君は、この女(右近)もまたどうなるだろうと無我夢中でお手を取りなさる。源氏の君は、自分一人が正気を保っている状況で、どうしていいかおわかりにならない。

灯はかすかにまたたいて、母屋と廂の間の境に立てた屏風の上を、あちらこちらの灯が届かない隅々が真っ暗にお感じになる上に、何かが、足音をみしみしと踏みならして、背後から近寄って来るかんじがする。源氏の君は、惟光が早く参上しないかと思われる。

惟光は居場所の定まらない男で、使いの者があちこち探し回っているうちに、源氏の君は、夜が明けるまでの時間が、長く、千夜を過ごすようなお気持ちになる。

やっと鳥の声がはるかに聞こえるので、(源氏)「命がけで、どういう前世からの契りでこのような目にあうのだろう。自分から思い始めたことではあるが、このような方面に、身分不相応に、あってはならないことを思っていることのむくいに、このように過去未来の話の種となるようなことになったのだろう。

いくら隠しても世間にもれて隠しきれず、帝のお耳にも入るだろうし、それをはじめとして、世間の人が考えや言うことは、口さがない連中の無責任な噂となることだろう。

とどのつまり、私は馬鹿者という評判を得ることになるのだろうな」とさまざまにお考えになる。

語句

■太刀を引き抜きて 儀礼用・護身用の太刀を引き抜く。物の怪を退散させるためのまじない。 ■渡殿なる宿直人 渡殿は渡り廊下。廊の隅の部屋で従者が寝る。 ■紙燭 松の木を削ってその先端に油を塗り火をつけ、手元を紙で巻いたもの。 ■我かの気色 我か人かわからない。自他の区別もつないような混乱状態。 ■妻戸 両開きの戸。 ■上童 殿上童。召使いとして清涼殿の殿上に上がることをゆるされた子供。 ■弦打 弓の弦をはじく動作。物の怪を退散させるまじない。 ■寝ぬるものか 「ものか」は反問・詰問。 ■滝口 滝口の武士。清涼殿の東北の前庭に皇居を警固する武士の詰所があった。その詰所のことを、またそこに詰めている武士のことも滝口という。 ■名対面 亥の一刻(午後9時)に、宿直の者が名を名乗ること。 ■滝口の宿直奏 宿直にあたる滝口が点呼を受けて名乗ること。 ■け恐ろしう なんとなく恐ろしく。「け」は「気」。様子。気配。接頭語。 ■まろ 一人称。私。 ■乱り心地 気分が悪い。 ■御前 夕顔のこと。 ■けどられぬる 「けどる」は「気取る」。正気を奪われる。 ■例ならぬこと 主人が女と逢っている現場近くまで従者が呼び入れられることが異例のことであると。 ■長押 寝殿造りで、簀(す)の子と廂(ひさし)、母屋(もや)と廂の境にある、横長の角材。上部のものを上長押(かみなげし)、下部のものを下長押(しもなげし)という。今日あるのは上長押。 ■ものうとくなる 人間としてのかんじがなくなる。 ■南殿の鬼 『大鏡』平忠平伝。太政大臣平忠平が若い頃、夜、紫宸殿(南殿)にでかけたところ、鬼に太刀のこじりを抑えられた。その時忠平はあわてず、勅命で参内した者をおそうとは何事かと一喝して退散させたという話。 ■いたづらになりはてたまはじ 「いたづらになる」は死ぬこと。 ■なにがし阿闍梨 惟光の兄。 ■尼君 病気療養中の惟光の母。 ■おほかたの 辺り一帯の。 ■気色ある 奇妙な。風変わりな。 ■から声 しわがれ声。 ■け遠く 「け遠し」は人気が遠い。 ■うとましき 「うとまし」は薄気味が悪い。 ■心そらにて 無我夢中で。 ■さかしき人 「さかし」は正気を保っている。 ■母屋の際に 母屋と廂の間の境に。 ■くまぐましく 「隈」は部屋の住みの灯の届かない所。 ■あり処定めぬ者 惟光はふらふらと女のもとを遊び歩いている。 ■かかる筋 女性方面。 ■おほけなくあるまじき心 「おほけなし」は身分不相応。藤壺の宮に心惹かれていることをいう。 ■童べ 京童。子供に限らず、口さがない連中。 ■口ずさび 面白がって無責任に噂すること。 ■ありありて とどのつまり。結局。

朗読・解説:左大臣光永

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