【夕顔 13】惟光、夕顔の遺骸を東山へ送る

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からうじて惟光朝臣《これみつのあそん》参れり。夜半暁といはず御心に従へる者の、今宵しもさぶらはで、召しにさへ怠りつるを憎しと思すものから、召し入れて、のたまひ出でんことのあへなきに、ふとものも言はれたまはず。右近、大夫《たいふ》のけはひ聞くに、はじめよりのことうち思ひ出でられて泣くを、君もえたへたまはで、我ひとりさかしがり抱《いだ》き持《も》たまへりけるに、この人に息をのべたまひてぞ、悲しきことも思されける、とばかり、いといたくえも止《とど》めず泣きたまふ。

ややためらひて、「ここに、いとあやしき事のあるを、あさましと言ふにもあまりてなんある。かかるとみの事には誦経などをこそはすなれとて、そのことどももせさせん、願《ぐわん》なども立てさせむとて、阿闍梨《あざり》ものせよ、と言ひやりつるは」と、のたまふに、「昨日山へまかり登りにけり。まづいとめづらかなる事にもはべるかな。かねて例ならず御心地ものせさせたまふことやはべりつらん」、「さることもなかりつ」とて、泣きたまふさま、いとをかしげにらうたく、見たてまつる人も、いと悲しくて、おのれもよよと泣きぬ。さ言へど、年うちねび、世の中のとあることとしはじみぬる人こそ、もののをりふしは頼もしかりけれ、いづれもいづれも若きどちにて、言はむ方もなけれど、「この院守《ゐんもり》などに聞かせむことは、いと便なかるべし。この人ひとりこそ睦《むつ》ましくもあらめ、おのづからもの言ひ漏らしつべき眷属《くゑぞく》もたち交りたらむ。まづこの院を出でおはしましね」と、言ふ。「さて、これより人少ななる所はいかでかあらん」と、のたまふ。「げにさぞはべらん。かの古里《ふるさと》は、女房などの悲しびにたヘず、泣きまどひはべらんに、隣しげく、咎むる里人多くはべらんに、おのづから聞こえはべらんを、山寺こそなほかやうの事おのづから行きまじり、物紛るることはべらめ」と、思ひまはして、「昔見たまへし女房の、尼にてはべる、東山《ひむがしやま》の辺《へん》に移したてまつらん、惟光が父の朝臣の乳母《めのと》にはべりし者のみづはぐみて住みはべるなり。あたりは人しげきやうにはべれど、いとかごかにはべり」と聞こえて、明けはなるるほどのまぎれに、御車寄す。この人をえ抱きたまふまじければ、上蓆《うはむしろ》に押しくくみて、惟光乗せたてまつる。いとささやかにて、うとましげもなくらうたげなり。したたかにしもえせねば、髪はこぼれ出でたるも、目くれまどひて、あさましう悲しと思せば、なりはてんさまを見むと思せど、「はや御馬《うま》にて二条院へおはしまさん、人さわがしくなりはべらぬほどに」とて、右近を添へて乗すれば、徒歩《かち》より、君に馬《むま》は奉りて、括《くく》り引き上げなどして、かつはいとあやしく、おぼえぬ送りなれど、御気色のいみじきを見たてまつれば、身を捨てて行くに、君はものもおぼえたまはず、我かのさまにておはし着きたり。

現代語訳

やっと惟光朝臣が参った。夜中も明け方も区別なく、源氏の君の御心のままに従っている者が、今宵だけはおそばにお仕えしておらず、お召になった時さえすぐに参上せず怠慢であったのを、源氏の君は憎いと思われながらも召し入れて、おっしゃろうとしても、もうどうしようもないことなので、急にはものもおっしゃられない。

右近が、大夫(惟光)の気配を聞くと、はじめからのことが思い出されて泣くのを、源氏の君もお気持ちをおさえることがおできにならず、自分一人気丈にふるまって女を抱きかかえていらしたが、惟光が参上したことで緊張がおとけになって、悲しさも思い出されたというほどに、しばらくの間、とめどもなく、ひどくお泣きになる。

源氏の君は、やや落ち着かれて、(源氏)「ここに、ひどく不思議な事があったのだ。それを、驚き呆れると言うにも、そんな言葉では足りないようなことなのだ。このような緊急の事には、読経などをしてもらうものだと、そうした諸々のことをさせようと、願なども立てさせようと、お前の兄の阿闍梨に来るように言いやったのだが、どうなっているのだ」とおっしゃると、(惟光)「昨日、比叡山に登ってしまいました。ともかく、ひどく普通でない事ではございますな。以前から御気分が悪くされていることがございましたのですか」、(源氏)「そのようなこともなかった」といって、泣かれるようすは、たいそう美しげで可愛く、拝見している人も、ひどく悲しくなり、惟光自身もおいおいと泣く。

そうは言っても、年長で、世の中のさまざまなことに苦労を積んだ人こそ、有事の折には頼もしいだろうが、誰も彼も若い人たちで、その困りきった様子は言いようもないが、(惟光)「ここの院の管理人などに聞かせることは、たいそう不都合でしょうな。この人一人ならば親しい間柄ですから秘密を守りもしましょうが、自然とものを言い漏らすような親類縁者も中にはおりましょう。まずはこの院をお離れください」と、言う。

(源氏)「そうはいっても、ここより人が少ない所がどうしてあるだろう」と、おっしゃる。(惟光)「たしかにそうでございますな。あの女のもとのすまいは、女房などが悲しみをおさえきれず、泣きうろたえましょうし、隣がうるさく、聞きつける里人が多くございましょうから、自然と話がもれましょうから、山寺こそやはり、このような事にもよく出くわすので、世間の目がごまかせるということが、ございましょう」と、惟光はあれこれ考えて、(惟光)「昔知っておりました女房が、尼になってございます、東山の辺に移し申し上げましょう。惟光の父の朝臣の乳母でございました者が老いさらばえて住んでございます。その辺りは人が多いようでございますが、たいそう閑静なところでございます」と申し上げて、夜がすっかり明ける頃、人々の動きにまぎれて、御車を寝殿につけた。

源氏の君は、この女(夕顔)をお抱えすることがおできにならないようなので、上蓆《うわむしろ》に遺骸を押し包んで、惟光が車にお乗せする。ひどく体が小さく、死体だからといっていやなところもなく、可愛らしい感じである。

遺骸を手荒に扱うこともできないので、髪が上蓆からこぼれ出ているのも、源氏の君は目の前が真っ暗になり、あきれるほど悲しいと思われるので、最期の姿を見ようと思われるが、(惟光)「はやく御馬で二条院においでください。人がさわがしくならないうちに」といって、遺骸の横に右近をつけて車に乗せるので、惟光は、徒歩で、源氏の君は馬にお乗せ申して、袴のくくりを引き上げなどして、一方ではなんとも奇妙な、野べの送りであるが、惟光は、源氏の君のご様子が酷いのを拝見すると、わが身のことは顧みずに歩いていくと、源氏の君は何がどうなっているかもおわかりにならず、正気もなくなった様子で二条院にご到着になった。

語句

■あへなき 「敢へ無し」は、どうしようもない。お手上げだ。女が死んでしまったことをいう。 ■大夫 惟光のこと。 ■はじめよりのこと 惟光が源氏の君を引き入れて夕顔と逢引させて以来のいきさつ。 ■息をのべたまひて 「息をのぶ」は緊張がとけてほっとする。 ■ためらひて 「ためらふ」は躊躇する。ここでは落ち着きを取戻す。 ■とみの事 緊急事態。「とみ」は「頓」。 ■まづ ともかく。源氏の混乱した言動を、惟光はまともに受けず、仕切り直す。 ■さ言へど 惟光が駆けつけてくれたとはいっても。 ■とあることと あれこれのこと。さまざまなトラブルのこと。 ■しほじみぬる 苦労を積んで経験豊かな人。 ■院守 前述の「院の預かり」と同一人物。院の管理人。 ■睦ましくもあらめ 源氏と親しい仲だから秘密を守るだろうが、の意。 ■眷属 親類縁者。「くゑんぞく」の「ん」が省略された形。 ■古里 女のもとの家。五条の夕顔の家。このあたり、有事にあって冷静に次の手を打つ惟光の有能さがよく出ている。夕顔が死んで茫然自失状態の源氏との対比で、いっそう惟光の有能さが際立つ。 ■みづはぐみて ひどく年を取って。老いさらばえて。 ■かごか 周囲を物に囲まれて、閑静でひっそりしているさま。 ■上蓆 畳の上にしく蓆。 ■括り引き上げ 指貫(袴)の口のところを紐でくくり、引き上げる。激しく体を動かす時の格好。

朗読・解説:左大臣光永

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