【夕顔 16】源氏、重く患う

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原文

まことに、臥したまひぬるままに、いといたく苦しがりたまひて、二三日《ふつかみか》になりぬるに、むげに弱るやうにしたまふ。内裏《うち》にも聞こしめし嘆くこと限りなし。御祈Ob1x;《いのり》方々《かたがた》に隙《ひま》なくののしる。祭祓《まつりはらへ》修法《ずほふ》など言ひつくすべくもあらず。世にたぐひなくゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにやと、天《あめ》の下の人の騒ぎなり。苦しき御心地にもかの右近を召し寄せて、局など近く賜ひてさぶらはせたまふ。惟光心地も騒ぎまどへど、思ひのどめて、この人のたづきなしと思ひたるをもてなし助けつつさぶらはす。

君はいささかひまありて思さるる時は、召し出でて使ひなどすれば、ほどなく交《まじ》らひつきたり。服《ぶく》いと黒くして、容貌《かたち》などよからねど、かたはに見苦しからぬ若人なり。「あやしう短かりける御契りに引かされて、我も世にえあるまじきなめり。年ごろの頼み失ひて心細く思ふらん慰めにも、もしながらヘばよろづにはぐくまむとこそ思ひしか、ほどもなくまた立ち添ひぬべきが口惜《くちを》しくもあるべきかな」と、忍びやかにのたまひて、弱げに泣きたまへば、言ふかひなきことをばおきて、いみじく惜しと思ひきこゆ。

殿の内の人、足を空にて思ひまどふ。内裏《うち》より御使雨の脚よりもけにしげし。思し嘆きおはしますを聞きたまふにいとかたじけなくて、せめて強く思しなる。大殿も経営《けいめい》したまひて、大臣《おとど》日々に渡りたまひつつ、さまざまの事をせさせたまふしるしにや、二十余日《にじふよにち》いと重くわづらひたまへれど、ことなるなごり残らずおこたるさまに見えたまふ。穢《けが》らひ忌みたまひしもひとつに満ちぬる夜なれば、おぼつかながらせたまふ御心わりなくて、内裏の御宿直《とのゐ》所に参りたまひなどす。大殿、わが御車にて迎へたてまつりたまひて、御物忌何やとむつかしうつつしませたてまつりたまふ。我にもあらずあらぬ世によみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。

現代語訳

はたして女房たちの心配どおり、源氏の君は、横になられるとすぐに、たいそうひどく苦しがりなさって、ニ三日になるその間に、ひどく衰弱されているご様子である。

帝もご存知あそばして限りもなくお嘆きになる。病を鎮めるための御祈祷があちあちで暇もなく行われ、大変なさわぎである。

祭・祓・修法など盛んに行われ、言い尽くすこともできそうにない。源氏の君は、世に例のない、不気味なまでにすぐれた御姿であるので、この世に長くいらっしゃることがないのだろうかと、天下の人の騒ぎとなる。

源氏の君は苦しいご気分の中にも、あの右近を召し寄せて、局など近くにお与えになってお仕えさせなさる。

惟光は心持ちも落ち着かず戸惑うが、気持ちを落ちつかせて、この人(右近)が自分はもう生きる頼りがないと心配しているのを、何かと世話をして、助けながら源氏の君にお仕えさせている。

源氏の君は少しご気分がよくなった時には、右近を召し出して使いなどするので、ほどなく右近はここの務めにもなれた。

右近は、喪服の色はたいそう黒くて、容貌などはよくはないが、べつだん醜く見苦しいということはない、若女房である。

(源氏)「不思議に短かったあの人(夕顔)との宿縁に引かれて、私も世にあることができないようだ。長年の頼みにしていた主人を失って心細く思っているだろうが、その慰めにも、私がもし長生きするなら、万事に世話をしようと思っていたが、すぐにまた私もあの人の後を追うことになりそうなのが、残念だよ」と、静かにおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、右近は、いまさら言っても仕方のないこと(主人の夕顔が亡くなったこと)はさておき、源氏の君が亡くなるのはひどく惜しいと思い申し上げる。

二条院にお仕えする人々は、足が宙に浮いたほどの動転ぶりで戸惑う。帝からの御使いが雨足よりも頻繁にある。源氏の君は、帝が心配しておられるのをお聞きになるにつけて、ひどく勿体なくて、なんとか気を強くしようとされる。

左大臣家でもあれこれ世話をなさって、左大臣殿ご自身も日々に源氏の君のもとにいらっしゃり、さまざまな事をなさる効験であろうか、二十日余りひどく患っておられたが、これといった後遺症も残らず病が癒えたようすにお見えになる。

穢れをはばかって物忌なさっていた、その時期も、この夜、病が癒えるのとあわせて終了したので、源氏の君は、帝がご心配なさっている御心を考慮するに仕方なく、宮中の御宿直所に参られなどする。

左大臣殿は、ご自身の御車で源氏の君を左大臣邸へ迎え申し上げなさる。御物忌やら何やら、うるさいほどに慎みをさせ申し上げなさる。

源氏の君は自身が自身でないようなお気持ちで、別世界によみがえったように、しばらくは思われる。

語句

■ゆゆしき御ありさま あまりに美しいもの、あまりに完璧なものは、この世に属さないものであって、この世に長く生きることはできないという思想があった。 ■のどめて 「のどむ」は落ち着かせる。 ■この人 右近。 ■たづき 生きるすべ。頼り。後見。 ■もてなし 「もてなす」は何かと世話をする。 ■ひま 病気の合間。 ■交じらひつきたり 右近が二条院での勤務になれて、他の女房たちとも問題なくやっていけていること。 ■服いと黒く 喪服の色が濃いのは亡くなった人と喪に服している人との関係が深いことをしめす。 ■かたは 片端。見苦しいこと。不都合なこと。 ■年ごろの頼み 長年主人として頼みにしていた人。右近にとっての夕顔。 ■雨脚 物事の頻繁であるたとえ。 ■経営 けいめい。あれこれ世話を焼くこと。 ■さまざまの事 加持・祈祷・投薬など。 ■穢らひ忌みたまひしも… 死穢にふれた時は一ヶ月間、家に籠もって慎む。その時期が終わるのと、病が癒えるのが同時期だったということ。 ■わりなくて 「わりなし」は理屈にあわない。仕方がない。源氏の君はまだ参内は億劫だが帝の心配されているのに考慮して、仕方なく参内した。 ■宿直所 源氏の宿直所は淑景舎(しげいさ)にあった。

朗読・解説:左大臣光永

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