【夕顔 18】源氏、空蝉と軒端荻と歌を贈答

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原文

かの伊予の家の小君参るをりあれど、ことにありしやうなる言《こと》づてもしたまはねば、うしと思しはてにけるをいとほしと思ふに、かくわづらひたまふを聞きて、さすがにうち嘆きけり。遠く下りなんとするを、さすがに心細ければ、思し忘れぬるかとこころみに、「うけたまはり悩むを、言に出でてはえこそ、

問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる

益田《ますだ》はまことになむ」と聞こえたり。めづらしきに、これもあはれ忘れたまはず、「生けるかひなきや、誰《た》が言はましごとにか、

うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ

はかなしや」と、御手もうちわななかるるに、乱れ書きたまへるいとうつくしげなり。なほかのもぬけを忘れたまはぬを、いとほしうもをかしうも思ひけり。かやうに憎からずは聞こえかはせど、け近くとは思ひ寄らず、さすがに言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなんと、思ふなりけり。

かの片《かた》つ方は蔵人少将《くらうどのせうしやう》をなん通はすと聞きたまふ。あやしや、いかに思ふらむと、少将の心の中《うち》もいとほしく、またかの人の気色もゆかしければ、小君して、「死にかへり思ふ心は知りたまへりや」と言ひ遣はす。

ほのかにも軒端《のきば》の荻《をぎ》を結ばずは露のかごとを何にかけまし

高やかなる荻につけて、「忍びて」とのたまへれど、とりあやまちて、少将も見つけて、我なりけりと思ひあはせば、さりとも罪ゆるしてんと、思ふ御心おごりぞあいなかりける。少将のなきをりに見すれば、心うしと思へど、かく思し出でたるもさすがにて、御返り、口ときばかりをかごとにて取らす。

ほのめかす風につけても下荻のなかばは霜に結ばほれつつ

手はあしげなるを、紛らはし、ざればみて書いたるさま、品《しな》なし。灯影《ほかげ》に見し顔思し出でらる。うちとけで向ひゐたる人は、え疎みはつまじきさまもしたりしかな。何の心ばせありげもなくさうどき誇りたりしよと、思し出づるに憎からず。なほ懲りずまにまたもあだ名立ちぬべき御心のすさびなめり。

現代語訳

あの伊予の家の小君が参る時があるが、源氏の君は、とくに以前のようなお言づてもなさらないので、空蝉は、源氏の君が自分のことをいやな女と思って諦めてしまわれたのを、お気の毒に思っていたが、このように源氏の君がご病気であられるのを聞いて、いくらつれなくしてるとはいえ、さすがに悲しんだ。

遠い国へ下ろうとするのを、さすがに心細いので、自分のことをお忘れだろうかと、こころみに、

(空蝉)「ご病気とうかがっておりますが、言葉に出してはとても、

問はぬをも…

(私がお見舞いしないからといって、どうして見舞わないのだともおききにもならないまま時が過ぎるのは、私はどれほど思い乱れていることでしょう)

古歌に益田の池とあるように、生きるかいもないことで」と申し上げた。源氏の君はめずらしいことだと、こちらも愛情はお忘れでなく、

(源氏)「生きるかいがないとは、誰が言いたいことでしょうか、

うつせみの…

(はかない貴女との関係はもう望みのないものとわかっていましたのに、また貴女のお言葉をたのみにして、生きようという気になります)

と、源氏の君は、御手もふるえられるので、乱れ書かれているさまが、たいそう美しげである。

空蝉は、源氏の君が今だにあのもぬけの殻をお忘れでないのを、愛しくも、おかしくも思った。

このように憎からずはご連絡しあっていたが、だからといって、親密な関係になろうとは思い寄らず、そうはいってもやはり、まったくどうしようもない女でもないと思われて終わりたいと、女(空蝉)は思っていた。

もう一人の女(軒端荻)は、蔵人少将を通わせていると源氏の君はお聞きになっている。不思議なことよ、蔵人少将はどう思うだろうと、少将の心の内も気の毒であり、またあの女(軒端荻)のようすも知りたいので、小君を使いにして、(源氏)「あなたを死ぬほど思っている私の心をご存知ですか」と言い遣わす。

(源氏)ほのかにも…

(軒端の荻を結ぶように、あなたと関係を持ったのでなかったら、どうしてほんの少しでも苦情を言うことができるでしょう)

丈の高い荻に結びつけて、「忍んで」とおっしゃるが、間違って、少将も見つけて、相手は自分だったと思い当たったら…それでも私の罪をゆるすだろうと、思ううぬぼれは、困ったことであった。

少将のいない間に、小君が軒端荻に源氏の君の文を見せると、軒端荻は、こまったことに思うが、このように思い出してくださったのも、やはり悪くはなく思えるので、御返歌を、早く返歌することだけを言い訳にして小君に取らせる。

ほのめかす…

あなたと私の交際をほのめかすように、たまのお便りをいただきましたが、それにつけても、下萩のなかばが霜におおわれているように、私は今もなかばは貴方を思って涙にしおれております。

下手な筆跡を、ごまかして、小洒落て書いているようすは、品がない。灯影にうつって見た、(軒端荻の)顔が思い出される。くつろがないで向かい合っていた女(空蝉)は、捨てがたいようすをしていたなあ。この女(軒端荻)は、何の思慮もありそうでなく、得意になって騒いでいたなあと、思い出されるにつけても、(源氏の君は軒端荻を)憎めないと思われる。

源氏の君はやはり性懲りもなく、またも浮気な恋の浮名を立てそうなことだ。

語句

■伊予 伊予介。空蝉の夫。 ■小君 空蝉の弟。 ■益田 「ねぬなはの苦しかるらむ人よりも我ぞ益田の生けるこひなき」(拾遺・恋四 読人しらず)。「ねぬなは(根蓴)」はじゅんさい。じゅんさいは水面に葉を浮かべる水草の一種。食用になる。根が長いので「繰る」を導く枕詞。益田の池は奈良県橿原市にかつて存在した池。「いける」を導く。 ■あやしや 自分のような高貴な男と交際がありながら、蔵人少将のような身分卑しい、つまらない男を通わせていることが。 ■いかに思ふらむ 軒端荻がすでに処女でないことを知って、蔵人少将がどんな反応をしただろうか。源氏はそれを想像して、楽しんでいる。 ■死にかへり思ふ心 あなたを死ぬほど思っている心。 ■ほのかにも… 草を結ぶのは男女が関係を持つ。「かごと」は苦言。文句。愚痴。 ■高やかなる 軒端荻の背が高いことをからからうつもりで。 ■ほのめかす… 「風」「霜」「結ぶ」は縁語。「ほのめかす」はそれとわかるように、ちらりと言う。 ■疎みはつ 女を捨てること。 ■さうどき 「さうどく」は「騒動く」。軒端荻のさわがしく慎みがないさま。 ■懲りずまに 性懲りもなく。夕顔の死によって人目を忍んでの女通いなどは懲りたはずなのに。実際には懲りていなかったという作者の意見。「こりずまにまたも無き名は立ちぬべし人くからぬ世にしすまへば」(古今・恋三・631 読人しらず)。性懲りもなく、またも事実でない恋の浮名が立つようだ。あの人のことを憎からず思ってこの世で暮らしているのですからの意。

朗読・解説:左大臣光永

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